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from: ueyonabaruさん
2008年02月02日 21時00分54秒
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佐倉哲さんの無我論
この頃、佐倉哲さんのサイト「佐倉哲エッセイ集」を見ております。佐倉さんという方は、相当に博学で仏教、キリスト教、新興宗教、政治など広範にわたり造詣がの深い方ですので、皆さんも是非このサイトを訪問されたらよいと思います。
この方の仏教論について読みましたが、原始仏教の教典を材にご自身の思想を語っているわけですが、これを読んでみて原始仏教に疎い私にはとても勉強になりました。
無我論における論争を、佐倉さんと佐倉さんに反対するtakapさんとの間で行っているわけですが、これは現代一流の論争とも言えるものと思われます。双方とも、凄く勉強していらっしゃいます。
魂の永遠性を釈迦は認めているとするtakapさんの意見に対し、佐倉さんは、釈迦は、魂の永続性を認めない=断見ではないが、魂の永続性を認める=常見でもなく、中庸という独自のものの見方をされたというのです。takapさんは心霊主義も肯定しておりますが、佐倉さんはいっさいこのようなものを否定します。
私が、以前幸福の科学研究会で議論していたリアリストさんが現実に確証できないものは認めないとする考えは佐倉さんとよく似ていると思いました。霊言をリアリストさんは認めません。私は、認めます。両者の間の溝は簡単には埋まらないだろうな思ったものです。深い溝の対岸に対立する二人が立ち、結論の出そうにもない議論をするのは意味があるのでしょうか。議論はすべきではないのでしょうか。
やはり、議論はしたほうがよいと思います。議論することにより自分自身の考え方をしっかり持つようになるのではないかと思います。中途半端な考え方では論争に望めません。そのためには勉強するようになるでしょうから。
コメント: 全8件
from: この世は仮の世7vさん
2017年04月03日 09時45分02秒
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佐倉氏は仏教学から先に学んで後から仏典に当たったのだと思います。
順番が逆なので、彼は殆ど仏典を理解出来てないと思います( ´ ▽ ` )ノ
from: この世は仮の世7vさん
2017年04月02日 23時10分45秒
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「悟りの挑戦」に断常の中道がありましたか。
私自身は「反省の原点」を根拠として佐倉氏の主張に対して反論出来ます( ´ ▽ ` )ノ
「反省の原点」には無我の説明が出ます( ´ ▽ ` )ノ
佐倉氏は仏典をろくすっぽ読んでません。
何もかも仏教学の受け売りです( ´ ▽ ` )ノ
from: この世は仮の世7vさん
2017年04月02日 22時19分17秒
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私が読んだ仏典は中村元さんのスッタニパータとサンユッタニカーヤと仏教伝道協会の仏教聖典、そして今は片山一良さんの中部経典の序盤です( ´ ▽ ` )ノ
仏教聖典は仏教の合理的側面ばかり目立ちますが、中村さんのサンユッタニカーヤは地獄の描写が2ページ続く箇所があります( ´ ▽ ` )ノ
中部経典は信仰はあって当然と言う箇所が頻繁に出ます( ´ ▽ ` )ノ
from: この世は仮の世7vさん
2017年04月02日 21時51分16秒
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私も佐倉哲エッセイ集は読んでます。
佐倉氏に魅力を感じるのは仏典を読んで裏付けを取ってないからです。
私も仏典を読むのはゴミの山⛰🏔から砂金を探すような骨折りを感じました。
でも、翻訳者による注解迄、目を通したら何とか言わんとするところは分かるものです( ´ ▽ ` )ノ
from: ueyonabaruさん
2017年04月02日 14時16分55秒
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この世は仮の世7vさん
> 常見というのは魂の永続性を認めるということじゃなく、幽体がいつ迄も続くという見方です( ´ ▽ ' )ノ
私もそんな見方をしております。勉強中で、詳しくは分かりませんが。
> あなた自身は佐倉哲が持ち出す仏典に当たりましたか?
私自身は一部の仏典に当たりました。
その結果佐倉哲は仏典訳を出版した麻原彰晃と同じ穴のむじな🕳だと言う結論を出しました。
不勉強で仏典そのものの一部は読みましたが、途中で投げ出しました。私が佐倉哲のブログを読んだことはお知りだったのですか?
大変知的な佐倉哲さんですが、唯物論的、実存主義的なペシミストと思っておりますが、ある魅力のある方ではあります。
追伸: 上の私の言葉を訂正します。「悟りの挑戦」では、次のように書かれております。
そうすると、あなたが自分だと思っている形態や姿は、本当のあなたではなく、あの世に還ったあなたは自由自在な存在となります。あなたという存在自体は継続しますが、今のあなたとは違うあなたになってしまいます。そうすると、「あなたの自我、あなた自身というのはずっと続くのだという「常住」---常なるちう考えと、「あなたは死んだらそれで終わりだ」という考えの両方が、正しいことではなくなります。・・・・・・・。これが「断常の中道」という考えなんです。
from: この世は仮の世7vさん
2017年04月02日 08時13分38秒
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あなた自身は佐倉哲が持ち出す仏典に当たりましたか?
私自身は一部の仏典に当たりました。
その結果佐倉哲は仏典訳を出版した麻原彰晃と同じ穴のむじな🕳だと言う結論を出しました。
from: ueyonabaruさん
2017年04月03日 21時55分57秒
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佐倉氏は頭のいい方です。迷信は徹底的に排除する気がありますね。
初期仏典(原始仏教)では神秘的なことが書かれているようですね。佐倉氏はナ-ガ-ルジュナの縁起論をテ-マに長い文章を書いておられます。苦闘しながらそれを読んだことがあります。あれからずいぶんの年月が経ってしまいました。この頃は、佐倉氏とも縁遠くなってしまっております。どうしていらっしゃるのでしょうかね?
佐倉氏が理性主義、唯物主義的になったのは、キリスト教信仰を失ってからのことでしょうね。あのようなキリスト教信仰(教条的)からは、佐倉氏のような反乱が起こるのでしょうね。
佐倉氏は、仏典を直接読むようになってもその態度は変化しないと思いますね。それは中村元教授が仏教の専門でありながら、ついぞ神秘的な釈迦を認めなかったことと同じなんでしょう。
人って不思議なものです。頭のよい仏教の専門家が唯物論的仏教観で人生を終えることもあれば、私のように、大川先生の仏教論を一番だと思うものもおります。性格の違いから、歩む道も違ってくるのかとも思うし、中村教授でも、佐倉氏でも、仏教の説く六大煩悩の罪を犯すのだとも思えます。人生って、不思議だ。
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