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from: ueyonabaruさん
2008年02月18日 17時52分13秒
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大川隆法の説く涅槃
大川さんに行く前に、
涅槃についての、田中裕さんと佐倉さんの論旨をできる範囲でまとめてみます。
(田中裕さん)
① 涅槃について、小乗仏教は生死からの解脱を考えていた。生死 とは過去世、現世、来世を循環輪廻する無明の世界である。
※ueyonabaru註 輪廻転生を認めている考えである。
② 神々への信仰が、この無明から我々を救済するのではない。ヒ ンズ-やギリシャの神々は嫉妬心をもつなどから、この無明の世 界に属する。
③ ゴ-タマブッダは人間ではあるが、神々を超える「法に目覚め た人」、「覚者」として位置づけられる。
④ 生死の世界は無明であり、そこには実体などはない。この無明
を特徴づけるのは縁起(依存関係による生起)である。、小乗仏 教では、涅槃についてそのような(無明)世界を超越するもの として了解されていた。
⑤ 龍樹は、縁起=無自性=空性という仏教の基本を、人間の生死
のみでなく生死と涅槃との関係に適用した。
⑥ 小乗仏教でも、煩悩とはいえ、優れた思索があった。涅槃とは
段階的な修行の結果得られる少数の聖者のみの恵みであったと とする小乗仏教の教えは、それなりに尊いものである。
⑦ 涅槃とは、修道(修行)を抜きにして得られるものではない。
⑧ 仏教では、「来世において救われる」という思想が当初から
存在しなかった。来世も生死の一部であり、終着駅ではない。
⑨ 仏教は現世利益の呪術に頼らず、来世の幸福も説かない。
⑩ 小乗仏教には、「出家者の仏教、エリ-トの仏教」という制約 があった。涅槃というものが、「逃避」という色調を帯びること となった。解脱した、ブッダはこの世に生をうけることのない、 完全にこの世から姿を消すものと理解された。
⑪ 龍樹は、このような小乗仏教を更に越えていく思想を鮮明に提示します。それは、難解な思弁のように見えても、本質的に「在家」の信徒を勇気づけるメッセージを含んでいたように思います。その典型的なものが、観涅槃品の次の句でしょう。
19生死は涅槃にたいしていかなる差別もなく、
涅槃は生死にたいしていかなる差別もない
20涅槃の究極なるものは即ち生死の究極なるものである。
両者の間には、最も微細ないかなる差別も存在しない
「生死からの解脱」と特徴付けられる涅槃理解がここで、退けられます。我々が生死を繰り返している「この世界」を離れて別に、なにか「永遠なる」涅槃の世界なるものが有り、そこに我々が行くわけではない涅槃と生死の両者には寸毫の差別もない--これが中論の根本的メッセージのように思われます。
(佐倉さん)
⑫ 「涅槃」と「生死」が別々のものではない、とナーガールジュナは主張している。「救い」とはこの世から別の世界に逃れ行くことではない。ご指摘の通り、縁起論からしても、四諦論からしても、人の悲苦には原因があり、その原因を見極め、それを取り除く具体的な行動こそなすべきことであるわけですから、まさに、
仏教というのは、本来は、現世利益の呪術に頼ることもしないし、来世の幸福で現世の苦しみにあえぐ大衆の不幸の帳尻を合わせることもしない。地獄をなくすために、おのずから地獄におもむかんとすることこそが、仏教徒の本来の姿勢である。
ueyonabaru お二人は、同じ立場のように思えます。しかし、気になることが一点あります。田中裕さんは転生輪廻を認めているように思えます。一方、佐倉さんは、これまでの佐倉学習から見れば、転生輪廻を認めない立場であったはずです。
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