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from: ueyonabaruさん
2008年04月06日 20時47分14秒
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アウグスティヌスの時間論、信仰
アウグスティヌスの時間論を見るつもりで、告白録を読んで見ました。時間論というのは、それだけで大きな哲学的テ-マであり、告白録を一読しアウグスティヌスの時間論を理解できたということはできません。素人の読み方しかできませんが、これまで佐倉さんの難しい理論を読み、これに刺激を受け非力ながらも佐倉さんの思想に対決するつもりで、この大きなテ-マに挑戦してみたわけです。
佐倉さんは唯物論的であるように思えてなりませんが、仏教についての勉学には敬意を表しなければなりませんでした。佐倉さんは信仰を持たない立場です。私は、信仰の立場に立つつもりです。
さて、若い頃に、向学心旺盛の時期に買い、途中までしか読まなかったアウグスティヌスの告白録ですが、今度読んでの感想ですが、一言で言えば、偉大な信仰者ということでしょう。深く、深く神をキリストを信仰します。同じく信仰を持つ者(大川隆法への信仰者)として、対象は異なるものの同感するところは非常に多くあります。信仰するということは美しいことであるとも思います。しかし、私自身には彼ほどの信仰はいまだできていません。理性や理屈があり、いまどき信仰をもつということが世間的にどうなのかということを考えたりするのです。ましてや、現在生きている人間を主エル カンタ-レとして信仰するということの恥ずかしさに似た感情があります。しかしながら、自身の立場は信仰者として置き、色々と勉強していくつもりです。本当にエルカンタ-レを信じる方向を目指し歩んで行くつもりです。
アウグスティヌスの告白録を読むと、予想に反して、彼自身の日々の心境をつづりながら哲学していく姿が非常に身近に感じられるのです。意外でもあり、またこのことを嬉しく思いました。神学者、哲学者としての厳めしさがないのです。マニ教との論争などのくだりを読むと、ネットで他宗教との論争をした自分の姿が浮かんできます。昔も今も同じく人間は論争するのですね。論争しながら、自分の考えを固めていくのでしょうね、きっと。
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