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from: ueyonabaruさん
2008年04月08日 15時44分04秒
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アウグスティヌスの時間とナ-ガルジュナの時間の比較
佐倉さんが解説するナ-ガ-ルジュナの時間論は、次のとおりでした(以前のブログから引用)。そうであれば、アウグスティヌスの時間論と同じものになると思います。東西の二賢人が時間について同じ考え方をしていることになり、非常に興味をそそられます。
(1)時間論
ナーガールジュナの時間論は、『中論』の19章「時の考察」に非常に簡単に述べられていますが、ここで「時」とは「三つの時(三世)」すなわち、過去・現在・未来のことです。これは仏教だけではなく一般にインドの思想のすべてに当てはまるものです。田端さんが想定されているようなすべての事象の背景としての「時の流れ」としてではなく、このようにインドでは「時」が「三つの時」として理解されている事実が、ここでは、ナーガールジュナの縁起説(すなわち彼の自性主義批判)にとって非常に都合のよいものとなっています。
もし自性論を認めれば、ものの自性は自立・独立・永存していることになりますから、過去・現在・未来はそれぞれまったく別の事象を指しているのか、それとも同一の事象を指しているのか、ということになります。ところが、もし、それぞれが同じものを指しているとすると、過去も現在も未来もその区別がなくなってしまうという受け入れがたい事態に落ち込んでしまいます。他方、それぞれがまったく独立した事象であるとすると、明らかに認められる過去と現在と未来の関係が、全く説明できないという別の受け入れがたい事態に落ち込んでしまいます。こういう受け入れがたい事態に落ち込んでしまうのは、もともと、時に自立・独立・永存の自性を想定するという間違いを犯しているからだ、というのがわたしの理解するナーガールジュナの批判(1節から3節)です。
もう一つの興味深い批判(6節)は、「もの」と「時間」との関係に関するものです。
もしも、なんらかのものに縁って時間があるのであるならば、そのものが無いのにどうして時間があろうか。しかるに、いかなるものも存在しない。どうして時間があるであろうか。(中村元訳)
「時間はない」というのがナーガールジュナの結論ですが、もちろん、「時間は自性として存在していない」、という意味です。これをわたしなりに具体例を挙げて解説してみますと次のようになります。
たとえば、ふたりの子どもがかけっこをしているとします。ゴールにいる人が、まずA君が到着し、そのあとB君が到着したことを見ました。ここで「A君の到着」という事象と「B君の到着」という事象の間には、先後関係があることが認識されます。この先後関係のことを「時」というわけです。「過去・現在・未来の三世」とは、事象の先後関係のことに他なりません。さらに、A君とB君がかけっこをしている間にC君はブランコに乗って遊んでいたとすると、ブランコの「振り」の数で、A君とB君の到着の先後関係を数量可することができます。たとえば、A君が到着してからC君が「3振り半」したときB君が到着した、といった具合です。これが時計の原理です。つまり、時間という何かがあって、水が川を流れるように、存在の背景でそれが流れているのではありません。あるのは、「A君の到着」という事象とか、「B君の到着」という事象とか、「C君がブランコに乗って遊んでいた」というような事象とそれらの間にある関係だけです。これらの事象がなければそれらの先後関係、すなわち「時間」もありません。このことをナーガールジュナは
なんらかのものに縁って時間がある・・・
と言っているわけです。つまり、田畑さんが想定されているような、事象の背後に「時間」という背景が事象とは別に存在していて、それが「最初からプログラムされている」というようなものではなく、むしろ、ものから離れて時間は存在しないというのがナーガールジュナの語る時間です。
ナーガールジュナは、さらに、そういう個々の事象(もの)というものも、それ自体で自立しているのではなく、さまざまな原因や条件に依存しているので、どこまでいっても、他に依存しないで自存するものはない、というぐあいに、自性論者の逃れ道をふさいでしまいます。それが、
しかるに、いかなるものも存在しない。どうして時間があるで あろうか。
という後半の部分の、いわば「だめ押し」とでもいうべき批判になります。
まとめると、ナーガールジュナの時間論は次のようになります。
(イ)「先(過去)」とか「後(現在・未来)」は独立した別々 の存在でもなく、また、同一存在の単なる別名でもない。そ れらは依存関係(縁起)をしめす。
(ロ)先後関係そのもの(時間)も、事象に依存している。だか ら、事象がなければ時間もない。
(ハ)時間が依存しているところの事象さえも、それ自体で成立 しているのではなく他に依存している。
このように、時間はさまざまなレベルの縁起によって成立している。
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