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from: ueyonabaruさん

2008年04月27日 13時27分05秒

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ソクラテス ②

ソクラテスは死について次のように言います。「〜なぜなら、死を恐れるということは、いいですか、諸君、智慧がないのに、あると思っていることにほかならないの


 ソクラテスは死について次のように言います。

 「〜なぜなら、死を恐れるということは、いいですか、諸君、智 慧がないのに、あると思っていることにほかならないのです。な ぜなら、それは知らないことを、知っていると思うことだからで す。なぜなら、死を知っている者は、だれもいないからです。ひ ょっとすると、それはまた人間にとって、いっさいの善いものの うちの、最大のものかも知れないのですが、しかしかれらは、そ れを恐れているのです。つまりそれが害悪の最大のものであるこ とを、よく知っているかのようにです。そしてこれこそ、どうみ ても、知らないのに、知っていると思う、かの不面目な無智とい うものに、ほかならないのではないでしょうか。」

 彼らは、死はひょっとする人間にとって最大の善いものかも知れないものなのに、それを恐れるというのは、これこそ無智だというのです。そして次のように言います。

 「わたしはつまりその、あの世のことについては、よくは知らな いから、そのとおりにまた、知らないと思っているという点をあ げるでしょう。これに対して、不正をなすということ、神でも、 人でも、自分よりすぐれている者があるのに、これに服従しない ということが、悪であり、醜であることは、知っているので   す。」

 「・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅 に出るようなものであって、ひとは死ねば、誰でもかしこへ行く という、言い伝えが本当だとするならば、これより大きい、どん な善いことがあるでしょうか、裁判官諸君。・・・・・またその うえ、最大の楽しみとしては、かの世の人たちを、この世の者と 同様に、誰がかれらのうちの智者であり、誰が智者とは思っては いるが、そうではないかと、吟味し、検査して暮らすということ があるのです。・・・・・それらの人 たちと、かの世におい  て、問答し、親しく交わり、吟味するということは、はかり知  れない幸福となるでしょう。」

 「しかしながら、諸君にも、裁判官諸君、死というものに対し  て、よい希望をもってもらわなければなりません。そして善きひ とには、生きている時も、死んでからも、悪しきことはひとつも ないのであって、そのひとは、何と取り組んでいても、神々の配 慮を受けないということは、ないのだという、この一事を、真実 のこととして、心にとめておいてもらわなければなりません。」

 ソクラテスは霊能者であり、守護霊の導きを声としてきくことができたようです。

 「・・・・・私には、何か神からの知らせとか、鬼神からの合図 とかいったものが、よく起こるのです。・・・・・これは、わた しには、子供の時から始まったもので、一種の声となってあらわ れるのでして、それがあらわれるとき時は、いつでも、わたしが 何かをしようとしている時に、それをわたしにさし止めるのでし て、なにかをせよとすすめることはいかなる場合にもないので  す。」

                          (続く)

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from: tamaさん

2008年04月29日 18時59分26秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ソクラテス ②」
> > 死後は(ソクラテス自身を含めて)誰も知らない、というのがソクラテスの論旨の大前提ですよ。
> > 死は善い事というのは、死に対する見方や捉え方を言っているのであって、死後の事は、はっきりとは
> > わからない、という論旨ではないのでしょうか。
> > ですから、パイドンでハデス(冥府)やダイモンと言う言葉が出てきますが、これは言い伝えだ
> > と前置きをしていますよね。私は、むしろプラトンの方が霊界よりだと思っていますが。

この議論に私が加わると、同時並行で進んでいる別の議論との兼ね合いでで、ややこしくなる、と思い少し差し控えていましたが、お二人の議論に刺激され約30年振りに「ソクラテスの弁明」読み返してみました(岩波文庫:1978年第42刷)。
確かに、『弁明』では、「私は冥府(ハデス)のことについては何事も碌に知らない代わりに、また、知っていると妄信してもいない、ということである(十六)」とか、「死はこの世からあの世への遍歴の一種であって、また、人の言う通りに実際全ての死者がそこ(冥府=ハデス)に住んでいるならば、・・・・」と、自分の信念ではなく「人の言う通りに・・・ならば」と前提を付けていたりしていますのでソクラテスは、死後の事は詳しくは知らない、との立場で発言しているようです。
しかし、「解説」(久保勉)の中に、「・・・・ソクラテスのこのような態度の根底には、恵み深き守護者である神に対する不動の信仰と、霊魂不死の信仰(『弁明』では明言されていないが『ファイドン』では肯定されている)があるということである。」と訳者の解説の中にあるので(私はパイドンを読んだ事がありませんが)霊魂不死=死後の世界、をソクラテスは肯定していたと思われますが、それがどの様な世界であるかは迷信であり判らない、ということではないでしょうか。

> > >例の声の件ですが、我々が普通にいう、良心の声と解するには無理があると思います。
> > というのは、一種の声として聞いたとの表現なので、そのようにして、良心の声を聞くというのは、
> > やはり霊能者の力でしょう。もっとも、良心の声と内容は同じだと思っておりますが。
> > その声は「するな」としか言わなかったのでしょう?霊の声とするにも無理があるのでは
> > ないのですか。本人の言葉通り、神からの知らせ、もしくはインスピレーションという
> > ところでしょうか。

この事に関しては、ueyonabaruさんの意見に賛成で「それは即ち私には一種の神的で超自然的な徴「声」が現れることがある、ということである。・・・・これはすでに私の幼少時代に始まったもので、衷(うち)に一種の声が聞えて来るのである。(十九)」と具体的に「声」(翻訳によっても違うかも知れませんが)と言っており、しかも、神からのインスピレーションであれば、むしろ「在るべき姿」が肯定的に脳裏に閃きそうですが、間違った方向を選びそうな時にだけ「するな」と制止の声が聞えてくるのでしたら、もし「こうしろ、ああしろ」という指導では自分で考えなくなり「哲学者」としての成長が阻害され使命が果たせなくなる恐れがあるので、本人に充分考えさせるため、このような制止しかしないような指導を霊人が行ったのではないか、と私などは考えます。
 また、訳者注(18)には、「彼が熱烈なる合理主義者であるのみならず、同時に宗教的神秘家であることを物語るものと言うべきものである。・・・・元来ギリシャ人の言うところの「ダイモン」とは、神々、特に低位の神々のことで、人間と関係深く、往々守護霊とも解せられる。」と言っています。
 しかし、いずれにしても、このような事はどちらでもよい事ですね。
ソクラテスが無実の罪で訴えられ、法廷の場でも相手におもねる事無く死刑を恐れず良心と理性に従い堂々と真実と正義を主張し、死刑の宣告を受けてからも何ら態度を変える事無く、立派に死んでいった事、彼にとって哲学と実践とは完全に一致していた事、これらの事こそが私たちに感動をもたらし、勇気を与えてくれます。

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