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from: ueyonabaruさん
2008年06月04日 15時51分59秒
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プロタゴラス/メノン
プラトンの対話編を読んできましたが、ただいま、プロタゴラス、メノンを読み終えて、考えているところです。プロタグラスもメノンも、徳というものが主題となっております。徳というものはなにかとか、徳は知識のように人に教えることができるかなどが語られます。
徳が知識のように人におしえることができないことを、次の会話で示します。
「しかしあなたには、彼(テミストクレス)がほかの者―――と くに自分の息子を、すぐれた人物にする気にならなかったとい うようなことが、考えられるかね。彼が自分の息子に対して、 もの惜しみ根性から、みずからのすぐれた点であるその徳を、 わざと授けようとしなかったとでも思うのかね。・・・・・」
「では、この点はどうだろう―――テミストクレスの子クレオパ ントスが、父親と同じ知徳の持ち主になったということを、あ なたはこれまで、若い人からでも年長の人からでもいいが。聞 いたことがあるかね?」
対話の相手であるアニュトスが、聞いたことはないと答えます。徳は教えられないということです。
さて、ここでいう徳とはどういう意味でしょうか。本を読む限りでは、とくにこれについてソクラテスは定義をしていないように思えますが、これは、我々の徳の概念と大きくは変わらないように思われました。我々は、あの人は徳高い人だという場合、過去に善業が積まれたことによる、一種の善き感化力をもった人のことをいうことがあります。それも徳でしょうが、ソクラテスは次の会話にもあるように、さらに徳の別の面を考えていたようです。
「ところでメノン、知性なくしてその言行に多くの偉大な成功を おさめたような者がいるとしたら、そのような人たちを神のよ うなと呼ぶのは、まことにふさわしいのではないだろうか」
「そうしてみると、いま話に出た神託を伝える人々や、神の意を とりつぐ人々、それにすべての詩人のことを称して、われわれ が神のようなと呼ぶのは正しいことになるだろう。そして、そ うした人々のうちでもとくに政治家たちは、まさに神のような 人たちであり、神がかりにかかっているのだと主張してしかる べきだろう。彼らが、自分の言っていることの意味を何も知ら ずに、偉大な事柄をいろいろとたくさん言うことに成功する場 合。それは神から霊感を吹き込まれ、神にのりうつられている わけなのだからね」
「・・・むしろ、徳のそなわる人々がいるとすれば、それは知性 とは無関係に、神の恵みによってそなわるということになるだ ろう・・・・・」
「それでは、メノン、これまでの推論にしたがうかぎり、徳とい うものは、もし徳が誰かにそなわるとすれば、それは明らか に、神の恵みによってそなわるのだということになる。しかし ながら、これについてほんとうに確かな事柄は、いかにして徳 が人間にそなわるようになるかということよりも先に、徳それ 自体はそもそも何であるかという問題を手がけてこそ、はじめ てわれわれは知ることができるだろう。・・・・・」
徳とは何でしょうか。
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