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  • from: ueyonabaruさん

    2008年06月23日 11時42分38秒

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    石原慎太郎の法華経論 ②

     時間とはいったい何なのか

     ものが在る、何かものごとが起こって人間の生き方にいろいろな影響を与える、ということの舞台は「空間」と「時間」です。いい換えれば私たち住んでいる空間、もっと大きくいえば世界全体という空間であり、すなわち地球という人間の住む惑星を含めての膨大な宇宙ということです。

     ・・・ニュ-トンは、「絶対的、真の数学的時間はそれ自体、その本性からして下界のいかなるものとも関係なしに、均一に流れる」と規定しました。そして彼は、均一な絶対的時間の上の各瞬間が、幾何学線上の点のように連続的な順序を形成していると考え、瞬間の過ぎていく速さは、出来事や変化にまったく左右されないと考えました。この考え方は、大方の人間が漠然と感じている、時間というものは始めも終わりもなく、何が起ころうと関わりなしに独立して続いていくものだという思いに近いものです。           
     しかし、この絶対的時間概念に対してライプニッツは時間の「相関性」について説きました。要するに、何も存在しない時にも時間が在るのか。時間を形成している瞬間という時間の流れの粒々が在るというのはおかしい、と。 この天地宇宙を神が造り出したとし、それが何百億年前の某月某日として、しかし神はなんでもう一年早く天地を創造しなかったのだろうか、と誰かが首を傾げたとする。ならば、神がなぜわざわざその日に天地を創造したのか、その理由は無いじゃないかといい出す人がいたとする。 そしてもし、時間がものごとに関わりなしに時間として存在するというなら。この人のいい分は正しいことになるではないか。なぜなら、ある瞬間にはものごとが存在しているのに、他の瞬間には存在し得ないという理由は無いではないか、とライプニッツはいいました。

     確かに何も存在しない時にも時間は存在しているのだというのは理が通らない。だからライプニッツは、瞬間瞬間が構成する時間より出来事の方が先、つまり基本なのだといいました。いわゆる「時間の相関説」です。つまり、前にも述べたように、「時間」は「存在」の影なのです。

     しかしニユ-トンも、力学については相対性原理を説いています。いわくに、「ある空間の中で運動している物体相互の関係は、その空間が静止していようが、一様に直線的に動いていようが変わらない」と。

     こうした先人の研究を踏まえて、後にアインシュタインはいわゆる「相対性理論」を編み出しました。力学における相対性原理を光の範疇に持ちこみ、光の速度、つまり、目に見える出来事は、それを止まって眺めている者にとっても、仮に光と同じ速度で動いている者から眺めても、ともに同じなのだという論です。
     
     ウットロウが要約しているように、ニュ-トンは「時間は宇宙から孤立存在(もの)である」といい、ライプニッツによれば、「時間は宇宙の様相である」、アインシュタインいわせれば、「時間は、宇宙のそれを眺める者との相関関係である」ということですが、これ以上の説明はややこし過ぎてこの本題から外れてしまうのでこの程度にしておきます。

     しかしいずれにせよ「時間」はいったい何なのかということについて過去にも今でも人間はいぶかしみ考えながら、それぞれがそれぞれの思いでそれを踏まえつつ自分の人生を考える手がかりにしてきたのです。 とにかく誰しも、時間というものが明らかに在るということは知ってはいても、それがいったい何なのかは知っているようで知りはしません。しかし人間である限りそれを気にしない者などいる訳がない。

     ついでに記しますとウットロウがいっているように、それぞれの解釈が何だろうと時間には明らかに二つの特性があります。これは誰も否定できません。 一つは、「時の矢」ともいわれる特性で、次々に続いて起こってくる出来事について非可逆的にその前後関係を時が記述するのです。つまり時間の流れは元には絶対に戻りはしないのだから、過去の歴史について、「もしあの時」などという仮説はまったく無用無益なものでしかない。・・・・・厳然たる時間のル-ルがあるということ。  二つは、「時の経過」です。この場合の経過とはやや短絡的にいわれていますが、過去と現在と未来はそれぞれ明らかに違う、異なる、ということを時間は歴然と教えてくれている。つまり時間が推移するということこそが人間に「永遠」という観念を与えてくれるので、時間が切りもなく流れていかぬ限り誰が永遠などということを想ったりするものか。
     
     以上ジグザグに述べてきましたが、こうした時間に関する過去の人間たちの錯誤を含めての思考のすべてを釈迦の説いた仏法の哲学は包含していて、時間と存在の関わりの上での人間の存在の意味と仕組みを解き明かし、それを知ることでしか獲得出来ぬ解脱と自らによる救済を教えてくれているのです。


    ueyonabaru: 相対性原理については、まだ理解できません。残念です。






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