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from: ueyonabaruさん
2008年06月28日 13時26分44秒
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石原慎太郎を読んで
石原氏のご本「法華経を生きる」を読み終えました。仏教への理解が深いことには非常に感心しました。特に、宗教を生活に生かしている、氏の生き方は、仏教信者の模範にもなりうるでしょう。
石原氏の仏教観と幸福の科学を信奉する私の仏教観とはどう違うのかと問うた場合、あまり違わないというのがその答えになります。積極的な仏教観です。
同じく釈迦の教えを学ぶ方々にも様々な考え方があります。
佐倉哲さんのように、無霊魂説を唱える方もいますし、仏教の専門の学者にも虚無的な仏教観のかたがたも多くいるとのことです。
現役の仏教の僧侶に来世の存在を信じるかどうかのアンケ-トを行ったところ、半分前後の僧侶は来世の存在を信じないと答えたそうです。さらに、信じないのに葬式になぜ供養と称してお経をあげるのかという追加の質問にたいしては、遺族が満足する安心するからだというのがその答えだったそうです。まさしく末法の時代です。葬式仏教、観光仏教と批判されるのも当然でしょう。
それに比べ、霊友会の小谷師のように石原慎太郎をして法華経信者にもしてしまう力があるのがこのような新興宗教の導師なのです。石原氏は立正佼成会の庭野師も、弁天教の大森智弁師なども尊敬しているようです。氏は、新興宗教に何の抵抗もないかのようです。実存的に仏教を捉えていこうとする石原氏の面目躍如たるものがうかがえます。権威にたよらず自らの信念で、自らの理解のみで、真理を追究する石原氏を讃えたいと思います。
さて、これまでアウグスティヌス、プラトン(ソクラテス)、石原慎太郎と読みすすんできたわけですが、ここで、私という幸福の科学の一信者が、これら賢人達のことをどのように考えているかについてさらに若干のべておきたいと思います。
アウグスティヌスですが、彼の神への信仰心には打たれます。「告白録」のあるくだりで、哲学的な思考を続ける彼が、時間とい
うものが分からないと神に助けをもとめます。次のように祈ります。哲学者が神に祈るのです。
「私の魂は、まことにこみいったこの謎をときたい願いに燃えています。閉ざしたもうな、主よ、神よ。善き父よ。キリストによりて願いたてまつる。閉ざしたもうな。わが熱望にたいし、この身近にしかも深くかくれた謎を。この謎のうちに深くはいりゆき、おんあわれみの光のもとに、照らしだされるようになしたまえ、主よ。この問題について、誰にたずねたらよいでしょう。あなた以外の誰に自分の無知を告白し、あなたに告白する場合に得られる以上の成果を得ることができるでしょうか」
私はこの「告白録」を読んではじめてキリスト教の敬虔な信仰が哲学とも深く関わっていることを如実に知ることが出来ました。また、敬虔な唯一神信仰の美しさも知ることが出来ました。思うに、安易なキリスト教批判はしまい。幸福の科学の信者が深くキリスト教を学んでもないのに、安易な批判などすることはあってはならないと思うのです。
プラトン(ソクラテス)ですが、大川隆法の哲学になんら矛盾しないというのが結論です。あの世の存在、霊魂の存在、善き来世と悪しき来世があること、不成仏霊のこと、哲学者の行くべきあの世の輝くような美しさ、輪廻転生など共通します。
大川師はキリスト教は、教典編纂の際に当時の多くの宗教にはあった輪廻転生の概念をすべてとりさったというようなことをおっしゃっておりますが、プラトンを読むとそのようなこともあり得たことだと思わざるを得ません。
私は幸福の科学の一信者ですが、今後とも、石原氏のように実存的に真理の探求を続けてゆくしかありません。願わくば、わが信仰が決して失われることがありませぬように。
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