サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: hiraokaさん
2008年10月12日 23時00分17秒
icon
霊言の解釈についてです1
>私は与那原町という小さな町に住んでおります。
アッハハハ・・・(^。^)
そうだったんですかぁ。たんなるぼくの深読みでしたね。
>アウグスティヌスもプラトンの影響を受けて、カトリック神学を築いたということです。
そうなんですか、知りませんでした。
自省録はまだ読んだことがないんですよ。
キリスト教系は、プラトンを否定しているようです。
生まれ変わりを言ってることや、彼が少年愛だったことが理由のようです。
しかし、そのように決定したのはアウグスティヌスより後代のキリスト教会の大会議で決定されたことなんでしょうね。
ネオ・プラトニズムと云うのを起こした人がいます。
彼は大川氏によると、谷口雅春さんの前世なんだそうです。
う〜む・・・、 そうなのかなあ?
生まれ変わりのことは、たいへんにむずかしい問題です。
自分とは何かと云う根源的なことを拡大せねばならない問題ですので・・・。
無意識の発見だって、たくさんの曲折がありましたよね。
ぼくはueyonobaruさんと同じように、「黄金の法」を読んでその霊的歴史感の統一に驚愕しました。
だから、この歴史感が真実だと確信しました。
たしかに、この人の発明発見とされているものは、よく調べてみると同時に何人もの人が同じ事を考えているからなんです。
ありていに言いますと、霊界からの指導があったと考えるほうが歴史をすっきりと解釈できるわけです。
まあ、この考えは「わからないものは棚上げしておこう」とも云えますが・・・。(*^。^*)
コメント: 全3件
from: hiraokaさん
2008年10月14日 00時11分09秒
icon
「Re:Re:霊言の解釈についてです1」
ueyonobaruさんは、ぼくよりもうんとよく勉強されていらっしゃいますね。
ますます、敬服します。<m(__)m>
「自省録」を、ぼくも読んでみます。
じつはぼくも、谷口雅春さんとプロティノスの類似性について「黄金の法」を読んだときに、そうだったのかっ! なるほど、これでスッキリ合点がいったと思いました。
>教祖谷口雅春師がプロティヌスとして生まれる前には日本神道のいざなぎの尊だったというのは驚きでもあります。それでも、生長の家の天皇尊崇の教えの一面からみると納得できないことではありません。
なんと! ぼくもそう思ったんです!
他にも、パウロと親鸞聖人の類似性についてもそう思いました。
しかしいまは、ぼくは本当のところを知りたいと言う欲求から、「黄金の法」に書かれていることはそのまま信じてもよいものであるのか、
あるいはすくなくとも「黄金の法」をひとつの指針としても良いものであるかどうかを知りたいと思っています。
こういう姿勢は、ueyonobaruさんとぼくはとてもよく似ていると思いますので、どうぞぼくにもたくさんのことを教えてください。
>無意識の発見とは、心理学における無意識の領域のことでしょうか?
はい、そうです。
大川さんの講演での発言に「心理学の云う無意識の領域については、前世のことに立ち入ってる部分もあるのですが・・・・」と云うものがありました。
まったく、そのとおりだと思います。
また、ユングは集合的無意識と云うものを提案していますが、これなどはまさしく釈尊のいう全体的業と似ていると思います。
ちょっと蛇足のようなことを書き込ませていただきます。
業、カルマと云う概念は、現代ではすこし誤解されているように思われます。
現代人はカルマを
1)「善因善果、因果応報」「蒔いた種は刈り取らねばならない」と解釈したり、
2)前世このようであったから今世もこのようである。
として納得しているようです。
このことは正しい解釈ではあるとぼくは思っているのですが、よくよく考察すると、1)と2)の結果は矛盾しているように思われます。
たとえば、
問い 「わたしは今世どうして、このような苦しみを受けなければならないのでしょうか?」
答え 「あなたは前世、かくかくしかじかの悪業を行った結果の罪滅ぼしだからです。」
問い 「わたしは今世どうして、このような苦しみを受けなければならないのでしょうか?」
答え 「あなたは前前世、かくかくしかじかの悪業を行った結果の罪滅ぼしをしました。そのように、今世も同じ人生を歩むのです。」
ね、ちょっとおかしいでしょ?
カルマと云う概念には、もっとだいじな本来の目的を説明したものだろうと思います。
エドガー・ケイシーのリーディングのなかに「もしも、法則としてカルマが字義とおりに作用するならば、人類はとうに潰れている。」とありました。
これらを、ごっちゃに使っているのがTVに出ている江原さんとか三輪さんたちのように見えます。
ごめんなさいね。<m(__)m>
ueyonabaruさんは江原さんを好意的に見ていらっしゃいましたよね。
ぼくはTVをあまり見ないのですがたまたま見た番組で、江原さんと三輪さんとゲストの誰だったか忘れたのですが、三人の対談を見たことがあります。
三輪さんが「この人の前世はねぇ・・・(わたしには見えるんだけど・・・)」と云いながら、江原さんに同意を求めるように見上げました。
江原さんは「うんうん、そうなんですよね〜・・・。」と、相鎚を打ちました。
このとき、ぼくは「この人たちは、じぶんが解っていないことをさも解って見えているかのごとく振舞っている。」と思いました。
これは、あくまでもぼくの私見です。証明はできません。
前世問題はたいへんに難しい難題です。
とりあえずは前世問題の前提としてある、あの世の物理的な発見や数学的な証明が進むのを待つばかりです。
from: ueyonabaruさん
2008年10月13日 09時15分23秒
icon
「Re:霊言の解釈についてです1」
> >アウグスティヌスもプラトンの影響を受けて、カトリック神学を築いたということです。
> そうなんですか、知りませんでした。
> 自省録はまだ読んだことがないんですよ。
> キリスト教系は、プラトンを否定しているようです。
> 生まれ変わりを言ってることや、彼が少年愛だったことが理由のようです。
> しかし、そのように決定したのはアウグスティヌスより後代のキリスト教会の大会議で決定されたことなんでしょうね。
アウグスティヌスが、直接に影響を受けたのは、当時にあったネオプラトニズムの一元論の考え方です。これを、プラトンの影響と私は表現したわけですが、当時、ロ-マで盛んだったマニ教の善悪二元論に対抗するのに、プロティヌスの一元論を援用したのですね。
確かではありませんが、プラトンなどの輪廻転生の考え方が公会議で否定されるようになったのはアウグスティヌスの生きていた時代以前かも知れません。というのは、自省録を読んでいると、アウグスティヌスのとらえるキリスト教はすでに現在のカトリックとそう違わないように読みとれるからです。ここでは、輪廻転生らしきものは扱われません。その中心はキリスト教の信仰です。
この方の信仰心は深く、私自身の信仰心をも刺激してくれます。他力信仰の美しさをも知らせてくれます。自省録はとても読みやすいものです。ロ-マ時代という古代の人の古い物語では決してなく、現代人にも身近に感じられる内容です。一読おすすめします。
> ネオ・プラトニズムと云うのを起こした人がいます。
> 彼は大川氏によると、谷口雅春さんの前世なんだそうです。
> う〜む・・・、 そうなのかなあ?
先ほどのプロティヌスのことですね。流出説という一元論の哲学を説いた方ですね。大川師は谷口雅春の前世の魂だと仰っておられます。これは、そうかも知れないと考えております。谷口雅春師は唯神実相論を説きましたが、まさに善一元論が生長の家の教えの根本であり、プロティヌスの一元論に通じるところがあるように思います。また、生命の実相という教典の中にはギリシャ哲学からの例を挙げて説く箇所もあります。生長の家というのは、西洋哲学をも取り入れる面があり、日本の宗教としては以外と進歩的です。しかし、教祖谷口雅春師がプロティヌスとして生まれる前には日本神道のいざなぎの尊だったというのは驚きでもあります。それでも、生長の家の天皇尊崇の教えの一面からみると納得できないことではありません。
> 生まれ変わりのことは、たいへんにむずかしい問題です。
> 自分とは何かと云う根源的なことを拡大せねばならない問題ですので・・・。
> 無意識の発見だって、たくさんの曲折がありましたよね。
無意識の発見とは、心理学における無意識の領域のことでしょうか?
> ぼくはueyonobaruさんと同じように、「黄金の法」を読んでその霊的歴史感の統一に驚愕しました。
> だから、この歴史感が真実だと確信しました。
> たしかに、この人の発明発見とされているものは、よく調べてみると同時に何人もの人が同じ事を考えているからなんです。
> ありていに言いますと、霊界からの指導があったと考えるほうが歴史をすっきりと解釈できるわけです。
> まあ、この考えは「わからないものは棚上げしておこう」とも云えますが・・・。(*^。^*)
>
同感ですね。
また書きますが、テ-マがたくさんありすぎて、一挙にというわけにはいきません。一歩一歩進んでいきたいと思います。他の方のご発言も待ちたいところです。
from: ueyonabaruさん
2008年10月14日 12時52分44秒
icon
「Re:Re:Re:霊言の解釈についてです1」
> しかしいまは、ぼくは本当のところを知りたいと言う欲求から、「黄金の法」に書かれていることはそのまま信じてもよいものであるのか、
> あるいはすくなくとも「黄金の法」をひとつの指針としても良いものであるかどうかを知りたいと思っています。
>
> こういう姿勢は、ueyonobaruさんとぼくはとてもよく似ていると思いますので、どうぞぼくにもたくさんのことを教えてください。
(ueyonabaru)
黄金の法で説かれている内容は、仰るとおり驚愕すべきものですね。よくあれだけの内容のことをお書きになったと思います。真偽は別にしても、誰もがなしえなかったことをなさいました。さて、その真偽ですが、確かめるには、自分で努力するしかないのでしょう。一つの指針としてよいかどうかですが、これのほかにいかなるものがあるのでしょうか。これが指針となります。
この指針に従って、私はプラトンの対話編を読み始めましたし、アウグスティヌスも読みました。いろいろと学ぶことができ、また大川師への信頼はいよいよ深まっております。
考え方が似ているので心強く思いますよ。
> >無意識の発見とは、心理学における無意識の領域のことでしょうか?
> はい、そうです。
> 大川さんの講演での発言に「心理学の云う無意識の領域については、前世のことに立ち入ってる部分もあるのですが・・・・」と云うものがありました。
> まったく、そのとおりだと思います。
> また、ユングは集合的無意識と云うものを提案していますが、これなどはまさしく釈尊のいう全体的業と似ていると思います。
(ueyonabaru)
分かりました。釈尊の全体業と集合無意識の共通点、仰るとおりでしょうね。
> ちょっと蛇足のようなことを書き込ませていただきます。
>
> 業、カルマと云う概念は、現代ではすこし誤解されているように思われます。
> 現代人はカルマを
> 1)「善因善果、因果応報」「蒔いた種は刈り取らねばならない」と解釈したり、
> 2)前世このようであったから今世もこのようである。
> として納得しているようです。
>
> このことは正しい解釈ではあるとぼくは思っているのですが、よくよく考察すると、1)と2)の結果は矛盾しているように思われます。
>
> たとえば、
> 問い 「わたしは今世どうして、このような苦しみを受けなければならないのでしょうか?」
> 答え 「あなたは前世、かくかくしかじかの悪業を行った結果の罪滅ぼしだからです。」
>
> 問い 「わたしは今世どうして、このような苦しみを受けなければならないのでしょうか?」
> 答え 「あなたは前前世、かくかくしかじかの悪業を行った結果の罪滅ぼしをしました。そのように、今世も同じ人生を歩むのです。」
>
> ね、ちょっとおかしいでしょ?
> カルマと云う概念には、もっとだいじな本来の目的を説明したものだろうと思います。
> エドガー・ケイシーのリーディングのなかに「もしも、法則としてカルマが字義とおりに作用するならば、人類はとうに潰れている。」とありました。
>
> これらを、ごっちゃに使っているのがTVに出ている江原さんとか三輪さんたちのように見えます。
>
> ごめんなさいね。<m(__)m>
>
> ueyonabaruさんは江原さんを好意的に見ていらっしゃいましたよね。
>
> ぼくはTVをあまり見ないのですがたまたま見た番組で、江原さんと三輪さんとゲストの誰だったか忘れたのですが、三人の対談を見たことがあります。
> 三輪さんが「この人の前世はねぇ・・・(わたしには見えるんだけど・・・)」と云いながら、江原さんに同意を求めるように見上げました。
> 江原さんは「うんうん、そうなんですよね〜・・・。」と、相鎚を打ちました。
> このとき、ぼくは「この人たちは、じぶんが解っていないことをさも解って見えているかのごとく振舞っている。」と思いました。
(ueyonabaru)
オ-ラの泉のことですね。毎回楽しみに見ております。江原さんも美輪さんも私は容認できます。輪廻転生がテレビで当たり前に語られるようになったことが、うれしいのです。
私が学生時代には実存主義のサルトルやボ-ヴァワ-ル女史がもてはやされ、学生運動は革マルなどの左翼が暴れており、すべてが、唯物主義思想にあふれておりました。政治は社会党や共産党が強くて国の将来が危ぶまれるような状況でした。今はそれに比べオ-ラの泉がテレビ朝日から放送されるようになっております。まさに隔世の感があります。
幸福の科学では、江原さんのことを日本神道系の裏仙人といっており忌避しているようです。裏の方であっても良い、人々を救っている面があれば、私には応援する気持ちがあります。
因果論ですが、今の時代には強調しても良いと思っております。学校で善悪を教え込むようにしたほうが良いのではないでしょうか。学校教育に宗教をとりいれることにより、子供たちが最低限のモラルが身に付くようにしたいものです。
しかし、仰るように、悪い因果を強調するだけでもよくないでしょう。善因果により運命を改善する方法も幸福の科学では教えているところです。
生長の家の谷口師が生前、因果眩まさずということを仰いましたが、この言葉は今でも私の心のなかにずう-と残っております。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
icon拍手者リスト