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  • from: hiraokaさん

    2008年10月22日 01時01分43秒

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    ゾロアスターの霊言についての所見です

    昨日、書き忘れていたことがありました。

    エル・カンタラーの霊言として33ページに
    『もうK会のもとに本来の釈迦教団の意思はなく、蝕まれた残骸が横たわっているのみです。もう天上界からの指導はなく、あるのは地獄界からの、サタンの惑わしに寄る指導があるのみです。』
    とあります。

    「もう天上界からの指導はなく」と云うのは、二通りの意味に取れます。
    つまり、(彼は聞いてくれない)、(彼への指導をやめた)

    さて、どっちなんでしょう? この本を読む限りでは呼びかけを継続しているようには見えず、見限ったというニュアンスです。

    しかし、この素朴な疑問はそっとしまって置きましょう。
    なぜなら、これから彼らの云うことの真偽を確かめる試金石になるからです。かれらにこのことを伝えることもやめておいたほうがいいでしょう。彼らもすぐに気が付くはずです。


    さて、最後の章にゾロアスターが出てきます。
    これまでの霊人よりもちょっと饒舌ですので、検討する部分も幾つかあります。

    ゾロアスターはご存知のように拝火教の教祖です。
    教義の骨子は「神は常に魔と戦っている。あなたはどちらの味方に付くのか?」と云うことだったと思います。
    高橋さんの言によれば、『拝火教と呼ばれるようになったのは、瞑想するときに薪を焚いてそれを背にし野獣などからの被害を防ぐためでしたが、その姿が火を拝んでいるように見えたからです』と云っていたと思います。

    さて、ぼくが一番問題にしたいところは、219ページから曰く
    『原住民としてのアフリカの人たちがいます。外宇宙から移住してくると、まずそのような未開の地と呼ばれるところに、地球での日常生活に慣れさせるために、そういう地にまず送るのです。』とあります。

    これは、大川さんもある講演会で「大きな声では言えませんが、・・・」と前置きしてそのように言っています。

    大きな声で言えない理由は、もちろん人種差別や国の差別につながるからでしょう。

    そして220〜221ページにかけて『近代国家に生まれているあなたたちは、もうそこのプロセスは終わったものとみなされ、より複雑な難解な修業の中に、試されていくのです。』とあります。

    ぼくは、この発言の中にいくつかの疑問点を感じます。

    未開の人たちにも世界共通に「喜怒哀楽嫌悪」の感情があり、愛を善きものとして最初から知っていること。
    未開国にも先進国にも、すぐれた魂とそうでない魂がいつも同時に暮らしていること。

    そして、『試されていく』としている部分です。

    ぼくたちは誰に試されんがために生きているわけでは決してない!と、ぼくは主張します。
    ただし、自分で自分を試したいのなら別ですが・・・。

    そのあとの発言には、中東やアル・カイーダなどの人たちの例をだして、
    神に対する畏れ尊崇が大切だと説き、全托の信心、無条件の信心、自己を捨ててでも神に対する希求を主張しています。

    いったい人間たちは上述の理念と徳を強調するあまりに、どれだけの苦しい思いをせねばならなかったことか・・・・!!

    人類の平均意識もレベルが上がり、昔においては秘密中の秘密とされていた、
    「神と自己はつながっており、本質においては自己は神の現れである。これが、事実であるように他者も自分と同じ神の現れである。さらに、目の前に見える世界も事物もすべて神の表れでないものはない。」と云う結論にようやく至りかかっているはずです。

    それとも、ゾロアスターの霊言と称するこの章では、中東の狂信者たちは、神の徳の表れだと云いたいのでしょうか?

    ぼくは尊崇や崇敬は自然に出てくるものだと思っています。
    しかし、強調するのはよくない。

    「何事のおわすか知らねども、ただそのありがたきにぞ涙こぼれる」、これがほんとうの崇敬だと思います。

    ゾロアスターの霊言の云うことが本当だとしたら、外宇宙の魂はまず中東にこそ生まれるはずでしょう。
    アフリカの人たちの宗教は、アニミズムです。
    まったく、矛盾しています。

    暗殺と云う言葉はアサシンとも云うそうです。
    中東にはかなりの昔から、暗殺者を育てるシステムとしての集団が連綿として続いているそうです。
    アサシンの語源はハッシシで大麻の樹脂のことだそうです。
    かれらは純粋な若者を勧誘して神につかえるようにさとし、さまざまな訓練を受けさせた後、ハッシシを与えて天国の疑似体験をさせられ、政治的目的の為に派遣されるのだそうです。
    このことは、実際に行われてきたことのようです。
    現在では、これほどまでの手をかけた殉教者教育が間に合わなくて、孤児を連れてきて旨くできなかったら耳を削ぐぞなどと、恐怖に訴えて促成殉教者をしたてあげてもいるようです。

    これらの問題は、教える教師の側が確信犯だから始末におえません。かれらは善き事をしていると思っているのですから。

    昔から「知って行う罪と、知らずに行う罪のどちらが重いのか?」と云う疑問があります。
    釈尊は焼け火箸のたとえを使って答えたと云われていますね。
    道教にも伝わっているのでしょうか。
    また、西洋にもあります。
    面白いことにどの答えも「知らずに犯す罪のほうが重い」と断じています。

    この本の中では、マヌと云う霊人が「知識、知識では堅苦しいでしょう?」と主張していますが、これはアマーリエさんの深層意識からの思いに、ぼくは思えます。

    別のブログで、
    ある方が「なにも、わざわざ宗教難民になることはないではないですか。」と主張されていましたが、ぼくもこの面白い表現に同意見です。

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コメント: 全3件

from: tamaさん

2008年10月25日 20時12分23秒

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「Re:Re:Re:ゾロアスターの霊言についての所見です」
hiraoka さん。
早速のレス有難うござます。

> 「試される」と云うからには、何が何を試しているのだろうか?
> 自分よりさらに大きな存在が自分を試しているのだろうか?
> だとすると、自分はその大きな存在からはまだ充分には信じられていないのかもしれない。
> しかし自分と大きな存在は繋がっているということは、すでに学習済みのはずだ。
> そうだとすれば、自分が試されるはずがない。
> このように考えることも可能だと思えるようになりました。

輪廻転生とは、実在界(天上界)にあって、己の魂の永遠の向上を希求し、神への長い長い道程を歩んでいる自分自身が、現象界で肉体を纏い、記憶を潜在意識に移し、全く異なる環境(両親、時代、文明、身分、教養、社会通念・・・・)でゼロから新たな人生を手探りでスタートし、自分の内なる心のうずきに耳を傾け、実在界での悟りが「なま悟り」で無かったかどうかを「試し」、切磋琢磨し新たな人生経験を積んで行く。
 輪廻転生はこういう事だと思いますが、自分自身が実は既に神の子であり神としての素質(愛の塊)を内在している、つまり、自分の心の深奥には神の心が実在しており、自ら作り出した心の曇り歪みを取り去り調和した本来の姿に戻れば神と一体になり他者とも一体にる存在であること、この事を考えると、自分で自分を「試す」のは、現象界(この世)だけでの行為であり、自分自身が本来の自分自身に回帰して行くためのただ単なる「きっかけ」かも知れませんね。
 実際、自分と同じ波長の人ばかり、似たもの同士、共感ばっかりしている人しか回りにいない実在界での環境では、自分を「試す」事も難しいでしょうし、現象界(この世)で肉をまとい、全然性格や価値観の違う様々な人々と切磋琢磨してこそ、自分を試し自分を磨く事が出来ますよね。

> 最初に肉体を持つことを経験した霊魂は、もともと恐れと云うものを知らなかったのではないだろうかと、ぼくは思うのです。
> ひとつの生命の生から死をたどると、わざわざめんどくさい「固体発生は系統発生を繰り返す」と云うパターンをどうしてもたどるように見えます。
> そして、精神も「固体発生は系統発生を繰り返す」と云うパターンをたどるように思えるんです。

 hiraoka さんは、なかなか面白い発想をされますね。
 個体発生としての、人間のこの世での一生は、ゼロからスタートし、素直な純粋な心を持った赤ちゃんとして生まれたものの、しだいに自我が芽生え、五感六根や周りの環境に翻弄されながらエゴの混じった自我を確立し、自分自身を見出し、内なる心を頼りに自分自身を深めて行き、心のひずみを修正しながらそれぞれの人生を生き、幼子のような純粋な円満な心に戻って行く・・・・。
 一方、系統発生としての魂の進化のほうは、残念ながら生まれる前の記憶は潜在意識に眠っているので引き出せませんが、生物学的テーゼが魂の進化にも適用されるとすれば、古の昔に、私たちの魂は神から別れ、赤子のような純粋無垢な魂として存在していた。しかし、同質の者達に囲まれ無菌室に居ては経験も乏しく個性も偏っており個性の全く異なる他者への指導も出来ず、様々な強烈な個性が活き活きと自分を輝かせながら大調和を現出するのが神のご意思でもあったので輪廻転生を通じて経験を増やしていく事になり、様々な文明や時代で様々な国々で肉体を持ち経験を積んで行く過程で、ある時は道を誤り、地獄に堕ち償いの日々を送る経験もしながら次第に魂を向上させ、人間としての幅も広がり、色々な人の指導も出来るようになり、本来の神の子としての自分の姿に帰ってゆき自分の個性を最大限に輝かせてゆく・・・・。
 このように考えると、精神も「固体発生は系統発生を繰り返す」と云うパターンをたどることも考えられなくはないですね。

> その意味では、「神への畏れ」と云う概念感覚は必要不可欠なのでしょう。
> 「神への畏れ」と云う概念はまだ必要だと、ぼくも思っています。
> ですが、そのことがわかっている人にとっては、次のような質問が起こるはずです。
> 「神の意思が愛そのものであるならば、なぜ私たちに畏れの感情をもたせたのだろう?」

 私も同じ疑問を持っていましたが、「無償の愛の尊厳」ということがその答えだろうと思います。
 そもそも神への畏れの念とはどういうものでしょうか。神とは大宇宙を統べる偉大な愛のエネルギーであり全ての命の本源です。
そして、神は私たちを神の子として深く愛されています。
大宇宙や全ての生命を創造した偉大なエネルギー体ですから、その神に対して最も深い畏敬の念、崇敬の念、畏れの念を抱き、私たちの魂の親として仰ぎ見るのは当然の心情と言えます(縦の愛)。
 一方、私たちは間違いなく神の子です。
 私たちは神の心を内在しており、心の奥は愛の塊と言えるが、それがなかなか表に表れていないだけです。そして、神の子であるがゆえに犯すべかざる尊厳を持っている。しかし、同時に自由意志を持っているので、その心の尊厳を無視し、欲の道に走り自分の魂の価値をおとしめる事も赦されており自由意志に任されている。
 そんな私たちですから神の子であり神の一部でもある自分自身を正しく認識すればするほど、正しく自覚すればするほど、己の魂に対して尊厳を感じ、威厳を感じ、犯すべかざる何かを感じるのが本来の感覚だと思います(内なるものへの愛)。
 そして、他人に対しての感覚も同様ですね(横の愛)。
最も謙虚な魂ほど最も深い神への感謝の念に包まれ、最も尊厳を発現する。
私が神への畏敬の念を私たちが既に内在している、と言ったのはこういう意味合いです。
 従って、神が愛である故に、無償の愛と言う最も尊い犯すべかざる尊厳を持ち、私たちもその一部として尊厳を発現している、そして、隣人同士の横の愛は、共に助け合い補い合い信じ合い赦しあう愛であり、これも最も尊い愛の姿ですが、神への愛、縦の愛というのは偉大なるものへの崇敬の念がより鮮明に出てくる、そして、己の魂に内在する光に対しても同様の威厳を感じる、しかし本質的には縦の愛も横の愛も内なるものへの愛も同じものである、というのが一番素直な見方だと思います。
 そういう意味で、豊かな物質文明に生きるからこそ五感六根に翻弄され、知識ばかりに偏り、神への畏れ、という概念を忘れてしまわないように常に注意する事が肝要ですね。

> ゾロアスターの霊言は、はしょったのでしょうか。
> 地球外の霊は、まず神への崇敬を知るためにアフリカに生まれるとあったように思います。
> たしかに、アニミズムは自分とコミュニケーションを取れないものに対しては、すべて畏れるようです。
> ゾロアスターの霊言が真正なのだとしたら、地球にやってくる地球外の霊は地球の霊よりも未発達な霊かもしれません。
> う〜〜む、ここまで考えると・・・・
> ひょっとすると、他の惑星は地球霊のための孵化する場?
> やっぱり、ぼくにはわかりません。(~_~)

私にもよく分からないのですが、異星から地球に来た霊人といっても数十種類もあるようです。
地球は異星人のルツボのようで、様々な個性がぶつかり合い切磋琢磨し真の愛の姿を追求する文明の実験場のような意味合いがあるようです。
従って、ゾロアスターが言った事は、全ての異星人の霊人に当てはまる事では無いかも知れませんね。

> >私には、マヌのような芸術を愛し、人生を楽しく謳歌してゆくという特異な個性はアマーリエさんの深層意識とは思えないのですが・・・・。
> ぼくは、この霊言は本物の霊言だと思っているんです。
> ですが、霊言の云っていることがすべて真実であると思い込むことは危ないと思うんです。
> 真実であることを、証明する手立てをぼくらは持っていないからなんです。
> アマーリエさんと云う人がどのような方なのか、ぼくはまったく知らないので、ぼくはこの人はきっとこうなのだと云うことはできませんです。
> しかし、ぼくでもだれでも、演技とか物まねとかはやったことがあると思います。
> そういうときは、どうなんでしょう。
> あんがい、その人とは思えないような言動をしてみせることもあれば、その人を連想させるような言動をしてみせることもありそうです。
> 誤解されるかもしれませんが、うまい役者とへたな役者みたいなものかも知れません。
> 役者は自分が演技をしていることを知っていますが、霊言をする人は自分が演技をしているとは思っていません。
> それどころか、ちまたに起こっている多くの霊言は自分の意識が、催眠術にかけられたように小さくじっとしていて、自分の自由意志に麻酔でもかけられたような状態のようです。
> ぼくは、この本を全否定しているわけではありませんので、これからも注意深く見ていこうと思います。

了解しました。
私も霊言と言うのはいつ何時地下からの通信に置き換わってしまうかも知れないものですから、妄信せず真偽を問いながら内容の素晴らしさで判断しつつ今後も読んで行きたいと思います。

> >真理に到る道は多種多様です。どの道を辿って頂上に到るかは個人が選ぶものであり、より多く共感できる道が見つかれば、そちらを歩んでゆくのも、やぶさかではないと思います。
> ほんとうにそうですね!!。
> 人を批難せず、人も自分も愛して幸せになりたいものです。
> ↑ つまり、ぼくはまだそうなってないということなんですが…(*^。^*)

神の創造された夫々の人間の個性の多様性にはいつも、感嘆する事が多いです。
お互い、神より分かれてきた自分の個性、宇宙に一つしかない掛け替えの無い自分の個性が、最大限に輝く事が出来るようがんばりましょうね。
今日は休みであまり用事がなかったので、じっくりご返事が書けましたが、日頃は時間が少なく思う通りのレスが出来ず申し訳ありません。

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from: hiraokaさん

2008年10月25日 00時09分02秒

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「Re:Re:ゾロアスターの霊言についての所見です」
tamaさん、こんばんは〜。

>私たちは、長い輪廻転生を通して己の魂の向上を目指し、・・・・天上界での悟りが本物であった事を試すべく生まれてきます。『試されていく』のは、魂の進歩と学習の手段であり目的ではないというのは私も同感であり、上記ような意味だと思います。

いい文章ですね。ぼくもほぼ同じように感じています。
高橋さんの霊言を読んでから、そう思うようになりました。
ですが、神との対話を読んでからまったく別の考え方もありうると思えるようになりました。

「試される」と云うからには、何が何を試しているのだろうか?
自分よりさらに大きな存在が自分を試しているのだろうか?
だとすると、自分はその大きな存在からはまだ充分には信じられていないのかもしれない。

しかし自分と大きな存在は繋がっているということは、すでに学習済みのはずだ。
そうだとすれば、自分が試されるはずがない。
このように考えることも可能だと思えるようになりました。



>神への畏れ、崇敬の念は、既に私たちの魂に内在するものであり・・・・、・・・それを強調し教えるというのは、問題ないと思いますがいかがでしょうか。

最初に肉体を持つことを経験した霊魂は、もともと恐れと云うものを知らなかったのではないだろうかと、ぼくは思うのです。

ひとつの生命の生から死をたどると、わざわざめんどくさい「固体発生は系統発生を繰り返す」と云うパターンをどうしてもたどるように見えます。
そして、精神も「固体発生は系統発生を繰り返す」と云うパターンをたどるように思えるんです。

その意味では、「神への畏れ」と云う概念感覚は必要不可欠なのでしょう。
「神への畏れ」と云う概念はまだ必要だと、ぼくも思っています。
ですが、そのことがわかっている人にとっては、次のような質問が起こるはずです。

「神の意思が愛そのものであるならば、なぜ私たちに畏れの感情をもたせたのだろう?」


>また、地球人として、自然の中の神に感謝し賛美し一体になるアニミズムを物質文明の前に経験する、これが基本中の基本であり、その後、中東における一神教への帰依もそれを元に深めてゆき篤い信仰心を引き出し、経験を積んでゆく、と考える事ができると思います。

ゾロアスターの霊言は、はしょったのでしょうか。
地球外の霊は、まず神への崇敬を知るためにアフリカに生まれるとあったように思います。
たしかに、アニミズムは自分とコミュニケーションを取れないものに対しては、すべて畏れるようです。

ゾロアスターの霊言が真正なのだとしたら、地球にやってくる地球外の霊は地球の霊よりも未発達な霊かもしれません。

う〜〜む、ここまで考えると・・・・
ひょっとすると、他の惑星は地球霊のための孵化する場?
やっぱり、ぼくにはわかりません。(~_~)

>私には、マヌのような芸術を愛し、人生を楽しく謳歌してゆくという特異な個性はアマーリエさんの深層意識とは思えないのですが・・・・。

ぼくは、この霊言は本物の霊言だと思っているんです。
ですが、霊言の云っていることがすべて真実であると思い込むことは危ないと思うんです。
真実であることを、証明する手立てをぼくらは持っていないからなんです。

アマーリエさんと云う人がどのような方なのか、ぼくはまったく知らないので、ぼくはこの人はきっとこうなのだと云うことはできませんです。
しかし、ぼくでもだれでも、演技とか物まねとかはやったことがあると思います。
そういうときは、どうなんでしょう。

あんがい、その人とは思えないような言動をしてみせることもあれば、その人を連想させるような言動をしてみせることもありそうです。
誤解されるかもしれませんが、うまい役者とへたな役者みたいなものかも知れません。
役者は自分が演技をしていることを知っていますが、霊言をする人は自分が演技をしているとは思っていません。
それどころか、ちまたに起こっている多くの霊言は自分の意識が、催眠術にかけられたように小さくじっとしていて、自分の自由意志に麻酔でもかけられたような状態のようです。

ぼくは、この本を全否定しているわけではありませんので、これからも注意深く見ていこうと思います。

>真理に到る道は多種多様です。どの道を辿って頂上に到るかは個人が選ぶものであり、より多く共感できる道が見つかれば、そちらを歩んでゆくのも、やぶさかではないと思います。

ほんとうにそうですね!!。
人を批難せず、人も自分も愛して幸せになりたいものです。
↑ つまり、ぼくはまだそうなってないということなんですが…(*^。^*)

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from: tamaさん

2008年10月24日 06時15分43秒

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「Re:ゾロアスターの霊言についての所見です」
hiraoka さん。

> さて、ぼくが一番問題にしたいところは、219ページから曰く
> 『原住民としてのアフリカの人たちがいます。外宇宙から移住してくると、まずそのような未開の地と呼ばれるところに、地球での日常生活に慣れさせるために、そういう地にまず送るのです。』とあります。
> そして220〜221ページにかけて『近代国家に生まれているあなたたちは、もうそこのプロセスは終わったものとみなされ、より複雑な難解な修業の中に、試されていくのです。』とあります。
> ぼくは、この発言の中にいくつかの疑問点を感じます。
> 未開の人たちにも世界共通に「喜怒哀楽嫌悪」の感情があり、愛を善きものとして最初から知っていること。
> 未開国にも先進国にも、すぐれた魂とそうでない魂がいつも同時に暮らしていること。
> そして、『試されていく』としている部分です。
> ぼくたちは誰に試されんがために生きているわけでは決してない!と、ぼくは主張します。
> ただし、自分で自分を試したいのなら別ですが・・・。

私たちは、長い輪廻転生を通して己の魂の向上を目指し、この世に出てくる時には、過去の記憶は潜在意識に封じ込め、両親や環境を決め、数々の人生の課題を予め計画し、己の良心のみに耳を傾け、天上界での悟りが本物であった事を試すべく生まれてきます。
『試されていく』のは、魂の進歩と学習の手段であり目的ではないというのは私も同感であり、上記ような意味だと思います。

> そのあとの発言には、中東やアル・カイーダなどの人たちの例をだして、
> 神に対する畏れ尊崇が大切だと説き、全托の信心、無条件の信心、自己を捨ててでも神に対する希求を主張しています。
> いったい人間たちは上述の理念と徳を強調するあまりに、どれだけの苦しい思いをせねばならなかったことか・・・・!!
> 人類の平均意識もレベルが上がり、昔においては秘密中の秘密とされていた、
> 「神と自己はつながっており、本質においては自己は神の現れである。これが、事実であるように他者も自分と同じ神の現れである。さらに、目の前に見える世界も事物もすべて神の表れでないものはない。」と云う結論にようやく至りかかっているはずです。
> それとも、ゾロアスターの霊言と称するこの章では、中東の狂信者たちは、神の徳の表れだと云いたいのでしょうか?
> ぼくは尊崇や崇敬は自然に出てくるものだと思っています。
> しかし、強調するのはよくない。
> 「何事のおわすか知らねども、ただそのありがたきにぞ涙こぼれる」、これがほんとうの崇敬だと思います。
> ゾロアスターの霊言の云うことが本当だとしたら、外宇宙の魂はまず中東にこそ生まれるはずでしょう。
> アフリカの人たちの宗教は、アニミズムです。
> まったく、矛盾しています。

神への畏れ、崇敬の念は、既に私たちの魂に内在するものであり、物質文明の中で自ら発現するのが困難になっているとすれば、それを強調し教えるというのは、問題ないと思いますがいかがでしょうか。
また、地球人として、自然の中の神に感謝し賛美し一体になるアニミズムを物質文明の前に経験する、これが基本中の基本であり、その後、中東における一神教への帰依もそれを元に深めてゆき篤い信仰心を引き出し、経験を積んでゆく、と考える事ができると思います。

> 暗殺と云う言葉はアサシンとも云うそうです。
> 中東にはかなりの昔から、暗殺者を育てるシステムとしての集団が連綿として続いているそうです。
> アサシンの語源はハッシシで大麻の樹脂のことだそうです。
> かれらは純粋な若者を勧誘して神につかえるようにさとし、さまざまな訓練を受けさせた後、ハッシシを与えて天国の疑似体験をさせられ、政治的目的の為に派遣されるのだそうです。
> このことは、実際に行われてきたことのようです。
> 現在では、これほどまでの手をかけた殉教者教育が間に合わなくて、孤児を連れてきて旨くできなかったら耳を削ぐぞなどと、恐怖に訴えて促成殉教者をしたてあげてもいるようです。
> これらの問題は、教える教師の側が確信犯だから始末におえません。かれらは善き事をしていると思っているのですから。

中東の狂信者の怖さを危惧するのは私も同感です。

> 昔から「知って行う罪と、知らずに行う罪のどちらが重いのか?」と云う疑問があります。
> 釈尊は焼け火箸のたとえを使って答えたと云われていますね。
> 道教にも伝わっているのでしょうか。
> また、西洋にもあります。
> 面白いことにどの答えも「知らずに犯す罪のほうが重い」と断じています。
> この本の中では、マヌと云う霊人が「知識、知識では堅苦しいでしょう?」と主張していますが、これはアマーリエさんの深層意識からの思いに、ぼくは思えます。

私には、マヌのような芸術を愛し、人生を楽しく謳歌してゆくという特異な個性はアマーリエさんの深層意識とは思えないのですが・・・・。

> 別のブログで、
> ある方が「なにも、わざわざ宗教難民になることはないではないですか。」と主張されていましたが、ぼくもこの面白い表現に同意見です。

真理に到る道は多種多様です。
どの道を辿って頂上に到るかは個人が選ぶものであり、より多く共感できる道が見つかれば、そちらを歩んでゆくのも、やぶさかではないと思います。

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