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from: ueyonabaruさん
2008年11月14日 09時25分15秒
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無限と有限について
表題のように大きく出ましたが、これは私個人の疑問であり悩みであり、おりに触れ、誰かに訊くのですが解決できないことがらです。科学と哲学にお詳しいhiraokaさんにも聞いてもらいたいのです。
私が高校の1年の頃でしょうか、数学の時間に無限数というのですか、要するに無限の概念がはじめて登場したときのことです。
1から2に至るまでには、その間には1.01、1.02等々という数字があります、さらに、1.01から1.02に至るまでには、1.001,1.002等々と数字が続くことになります。そうすると1から2に到達するというのは一体可能なのかという疑問が出てきました。多くの級友はそのようなことを悩まずに素直に勉強を続けていきましたが、私の数学の勉強はここで停止してしまったのです。1と2の間には無限が横たわっているのです。無限とはなにか、有限とは何か、いよいよ分からなくなってしまったのです。
そんなことがあって、宗教に入ったと思うのですが、「一即多、多即一の概念」、バイブルにある「われはオメガでありアルファである」、などはこのあたりのことをいうのであることはおよその推測はつきます。
私は、自分自身、物理学というのは性格的には好きな人間ではあると思っているのですが、電気とはなにか、電磁波とはなにかなどと観念的に考えてしまい、結局は物理を理解できなくなるようです。
コメント: 全9件
from: リアリストさん
2008年11月17日 05時11分17秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:無限と有限について」
hiraokaさん、早速のお返事ありがとうございます。
> ぼくのスタンスをちょっとだけ訂正させてください。
> ぼくは「理性の結論としてあの世は在る」ではなくて、
> 「理性の結論としてあの世は在るはずだ」と訂正させてください。
hiraokaさんが、何故このようなスタンスに到ったのか是非お聞かせ下さい。
> リアリストさんは、「事実」と云うものはゆるぎなくただひとつだけこの世にあると信じていらっしゃるわけですね。
>
> 「信じている事」と云うものはあんがい広範囲なものでして・・、
> たとえば「信号が青だから(横から車は来ないだろう)、さあ渡ろう」と云う段階のものから・・・、
> 「政治家はみんな金儲けばかりだ。」だとか・・・。
> 「すべてに神は宿る」までありますね。
>
> かたや、「事実」と思われているものはどうなのでしょう。
>
> 「青だ、さあ渡ろう。やはり事故に会わなかった。」もそうですし、
> 新聞の汚職記事を見て、「やはり、政治家はみんな金儲けばかりだった。」と云うのも事実です。
>
> 最後の「すべてに神は宿る」は、証明も否定も難しいものですね。
>
> ここでは、最後のような命題の「事実」か「信じている事」かをテーマにしたいと思います。
>
> ぼくは、「事実」と「信じている事」と云う境界線は非常にあいまいなものだと思っています。
> ひょっとすると、「事実」と僕らが思うものは、ほんとうは「何が事実なのかさっぱりわからない」と云うところにいつもたどり着いてしまうんです。
私の場合は、非常にシンプルです。自身が経験した事、これが最も確実な「事実」です。他者から
聞いた事や新聞の記事、テレビの報道は「信じている事」になります。現代では、ほとんどの場合
「事実」=「信じている事」と考えて差し支えないでしょう。地球が平面でなく球体である事は理性的に
考えて事実でしょうし、太陽や月は、学芸会のような円盤ではないでしょう。しかし、私は宇宙から
それをロケットで見た訳ではありません。しかし、すべて「信じている事」=「事実」かというと、
そうではないですね。新聞の汚職記事は誤報かも知れませんし、私は汚職の現場を目撃した訳では
ありません。逮捕起訴されても、刑が確定した訳でもありません。刑が確定しても冤罪の可能性も
あります。オレオレ詐欺などは人の信じる心を利用した卑劣な犯罪行為でしょう。
まあ、自身が経験した事も記憶違いが起こったり、認知症になればありもしない事を事実だと
思い込む事もあるのですが。しかし、空想している事やフィクション、作り話などは現実に
起きている事ではないので、事実とは言えないでしょう。事実とは物理的現象が伴っている
と言っていいかも知れません。
> 最後の「すべてに神は宿る」は、証明も否定も難しいものですね。
>
> ここでは、最後のような命題の「事実」か「信じている事」かをテーマにしたいと思います。
これは、神は存在するのか?という問題になって来るかと思います。また、神とは何か?という
事にも関わって来ると思いますが私の立場は、証明出来ない事をもって「事実」とは認定出来ない事に
なります。すなわち「信じている事」となります。
ちょっと前に角界で大麻問題がありましたが、大麻を吸ったのか、となったら血中や尿中のモルフィネか
その代謝物の濃度を計るしかありません。測定前は本人の「吸っていない」という言を信じるか、
「吸っているらしい」と言う周囲の噂を信じるか「事実」はあるのでしょうが不明ですね。しかし、
測定によって大麻成分が検出された以上「吸っていない」にもかかわらずそのことが起こる合理的な
事由を説明しない限り、吸った事が事実として認定されるでしょう。それでも弁護士は何者かが混入
したのだと言い張るのでしょうが。(もちろん、これも私が報道で聞いた内容ですが)
> 世紀末思想などで人を煽って入信させる団体は、リアリストさんも大嫌いだろうと思います。
> ぼくも、そうです。
将来の事はわからないのに、人類が滅亡する、核戦争が起こる、最近ではアセンションという
事をよく耳にしますね。但し鳥インフルエンザは科学的に考えて確実性は高いと思っていますが。
入信すれば幸福になれる、死後の幸福が約束されている、布施をすれば菩薩になれる。退会や
批判すれば地獄に行く等、論外なのですが、それにどっぷりと洗脳されてしまって抜けたくても
抜けれない方がいるのも事実でしょう。そして追い詰められて最悪の選択を考えてしまう方が
いるとしたら、なんとかならないものか?と考える訳ですね。
> リアリストさんは、夜遅くまでこのような書き込みをされているわけですが、その動機やモチベーションは、どのようなものなのでしょうか?
夜遅くとも朝早くとも言えるのですが、お返事を頂いたら即答という性分なもので。
私の場合は、宗教のあるべき姿を模索している状況と言えましょうか。また、このような
対話を通してお互いに何らかの「気付き」があることを願っております。心理学の「ジョハリの窓」
を御存知ですか?他の方はみんな見えているのに、本人だけが見えていないのは自身の背中ですね。
これは自己開示と他者との関わりによって気付ける部分ですね。
from: hiraokaさん
2008年11月17日 00時48分16秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:無限と有限について」
リアリストさま、ご返事ありがとうございます。
さすがに、いい文章です。
>生きている人間にはあの世は知り得ない」という立場です。要は「死んでみなければ死後の事はわからない」、ということです。
ああ、そうでしたね。
ぼくが書き込んだ池田晶子さんもリアリストさんとまったく同じスタンスのようですね。
この状態で精神のバランスが取れていることにとても驚嘆します。
いえ、けっして見下しているのではありません。
強い理性を認めているんです。
ぼくのスタンスをちょっとだけ訂正させてください。
ぼくは「理性の結論としてあの世は在る」ではなくて、
「理性の結論としてあの世は在るはずだ」と訂正させてください。
>ただ、ここで押さえておかなくてはいけないことは、「事実」なのか、「信じている事」なのかという区別なのです。
たしかに、このことが一番のポイントになると思います。
リアリストさんは、「事実」と云うものはゆるぎなくただひとつだけこの世にあると信じていらっしゃるわけですね。
「信じている事」と云うものはあんがい広範囲なものでして・・、
たとえば「信号が青だから(横から車は来ないだろう)、さあ渡ろう」と云う段階のものから・・・、
「政治家はみんな金儲けばかりだ。」だとか・・・。
「すべてに神は宿る」までありますね。
かたや、「事実」と思われているものはどうなのでしょう。
「青だ、さあ渡ろう。やはり事故に会わなかった。」もそうですし、
新聞の汚職記事を見て、「やはり、政治家はみんな金儲けばかりだった。」と云うのも事実です。
最後の「すべてに神は宿る」は、証明も否定も難しいものですね。
ここでは、最後のような命題の「事実」か「信じている事」かをテーマにしたいと思います。
ぼくは、「事実」と「信じている事」と云う境界線は非常にあいまいなものだと思っています。
ひょっとすると、「事実」と僕らが思うものは、ほんとうは「何が事実なのかさっぱりわからない」と云うところにいつもたどり着いてしまうんです。
でも、僕は「不可知論者」ではありません。
「不可知論者」は、すでに「ものごとは、すべて不可知である」と決めつけ、決定し、それを信じていますね。
ここにも、パラドックスが生じています。
>アメリカで「火星人が攻めてきた」と・・・
この話は有名ですね。
だから、「緊急事態でもパニックにならずに冷静になろう」と啓蒙されていました。
ところが、最近では次のようなことも警告されています。
「緊急事態で死亡率が高い人達は、事態を冷静に判断しようとした人達である」
笑ってくださいね。(^。^)
世紀末思想などで人を煽って入信させる団体は、リアリストさんも大嫌いだろうと思います。
ぼくも、そうです。
ですが、小惑星が地球に激突して文明が灰燼に帰す可能性は零だとも云えません。
世紀末思想も「人生をどのように思い、どのように生きたのか」、と云う経験であるとぼくは思います。
>「理性の結論としてあの世をどう考えるか」これが宗教の役割だと思っております。
大川さんに、そのことを期待していたのですが・・・。
さいごにお尋ねしたいことがあります。
リアリストさんは、夜遅くまでこのような書き込みをされているわけですが、その動機やモチベーションは、どのようなものなのでしょうか?
ぼくのここに書き込む動機を、お伝えします。
ぼくは、「もうあの世のことについて考えるのをやめよう。そのときになればわかるだろう」と思っていました。
ですが、幸福の科学を熱心にやっていた頃のある人からの、レムリア・ルネッサンと云う団体の霊言本を送っていただいたことから始まりました。
送っていただいた方に対するお返しのつもりで、ウソは云えないので真剣に取り組み始めたんです。
from: リアリストさん
2008年11月16日 04時46分33秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:無限と有限について」
hiraokaさん、お返事を頂きありがとうございます。また、御家族の介護という
多忙な中での書き込み恐縮致します。早速ですが、
> リアリストさんは、「理性の結論としてあの世は無い」とされる立場のお方でしたよね?(間違いでしたら、お許しください)
>
> ぼくは逆に、「理性の結論としてあの世は在る」と云う立場なんです。
「理性の結論」という上手いお言葉、とても気に入りました。「生きている人間にはあの世は
知り得ない」という立場です。要は「死んでみなければ死後の事はわからない」、ということです。
わからないのだから考えたってしょうがない、そんなことよりも今現実に生きているんだから
それを一生懸命生きればいいんだ、という結論になりそうなのですが、わからないところを
ちょっと考えてみたい、好奇心みたいな事は皆様もお持ちだと思います。ひょっとしたら死に
よって自身が消滅して無となるならば、この生きていると言う事実もまた消えてしまうのか
自身の認識する宇宙も、生きた証拠すら消えてしまうのか。そして時間の経過と伴に死が確実に
訪れるならば今生きている事も死んでいる事も区別がなくなってしまうのではないのか?
ならば、生きている意味とは何なのか。また、生の瞬間とは何なのか?何ゆえ自身が生まれたのか?
このようなことを、よく考えていました。
「死んでみなければ死後の事はわからない」これを論理の大前提に置いております。これが
出発点になりますので、あの世の事をどう捉えて、どう考えるか、どう信じるか、これは各人の
自由になると考えます。hiraokaさんは、「各人の思う数だけのあの世がある」というような
事を仰っていたかと思いますが、それも一つの考え方だと思います。霊界の次元構造も一つの
考え方だと思います。ただ、ここで押さえておかなくてはいけないことは、「事実」なのか、
「信じている事」なのかという区別なのです。信じる力が強過ぎると「空想」なのに「事実」
と勘違いしてしてしまう、ということです。アメリカで「火星人が攻めてきた」と、物語を
ラジオ放送で流したら、そこだけ聞いた方が鵜呑みにしてパニックになったという有名な話が
ありますね。
「理性の結論としてあの世をどう考えるか」これが宗教の役割だと思っております。
from: hiraokaさん
2008年11月15日 23時47分36秒
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「Re:Re:Re:Re:無限と有限について」
リアリストさま、はじめまして。
別ブログでのリアリストさんの書き込みを読ませていただいておりました。
明晰な論理とうまい表現がとても印象的でした。
リアリスト様が、ここを読んでいてくださったとは驚きです。
リアリストさんは、「理性の結論としてあの世は無い」とされる立場のお方でしたよね?(間違いでしたら、お許しください)
ぼくは逆に、「理性の結論としてあの世は在る」と云う立場なんです。
もしよろしければ、ここでお話していただけませんでしょうか?
きっと、ueyonabaruさんも喜んでくださると思います。
ぼくは決して失礼な論争のようなことはいたしません。
いつでも、突っ込みをなさってください。
>αとωはヨハネの黙示録に書いてありませんか?
ああっ! そうでした! のっけからそう書いてありました。
ほんとにぼくは何を読んでるんだろう・・・。(~_~)
「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』」
ぼくの本にはアルパと書いてありました。
教えていただいたお礼に、もうご存知かも知れませんが「ヨハネの黙示録」について書きますね。
黙示録のヨハネは十二使徒のヨハネとは別人のようです。
十二使徒のヨハネは思慮深い人柄だったようで、この人の書いたものと誤解されていることが多いようですが、黙示録はキリスト教会が意図的に新約聖書に組み入れたものと僕は思っています。
そのほうがキリスト教会を拡大するのに都合がよかったからだと思います。
ぼくにとっては、キリスト教会についてちょっと腹立たしいくらいに思っていることなんですが・・・、
「イエスはそんなこと何にも云ってないぞ!」って思うんです。
同じようにちょっと腹立たしく思えるのは、仏教界の人たちが云う「このお経がだいじだ」、と云う主張です。
不思議なことに、僕らの一番大事な思想の根底にあるものを主張した人たちは、皆誰も書き残してないんですよね。
イエスもソクラテスも孔子も釈迦も・・・・。
ムハンマドは、啓示を受けるままに書いたのであって、布教の初期の頃は「お前が書いたんだろう?」と、よく突っ込まれていたようです。
ムハンマドは、それに対して「この詩的な文章が俺に書けると思うか? これを読めば俺が書いたものじゃないと云うことが解るはずだ!」と云ってたんだそうです。
モーゼの十戒の石版も、神が稲妻で直接掘ったと言うことになってるようですし・・・。
>また、微積分で今度は限り無く小さくするということを、・・・
ホントにこれも、つまづきの元ですよね。
つい最近、「解読!アルキメデス写本」と云う本を読みました。
この時代から、無限と有限について悩んでいたことがよく解ります。
from: ueyonabaruさん
2008年11月15日 21時55分04秒
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「Re:Re:Re:Re:無限と有限について」
> ueyonabaruさん、こんにちは。hiraokaさん、はじめまして。
>
> お二人のやり取り、時々拝見しております。元気な証拠にたま〜に書き込みますね。
リアリストさんおっしゃるように、ヨハネの黙示録にアルファでありオメガであるという表現があります。ありがとうございました。
from: リアリストさん
2008年11月15日 13時09分02秒
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「Re:Re:Re:無限と有限について」
ueyonabaruさん、こんにちは。hiraokaさん、はじめまして。
お二人のやり取り、時々拝見しております。元気な証拠にたま〜に書き込みますね。
物理や数学の話は、私も大好きです。1と2の間には、無限の数が並んでいて
数も無限にある、ということですね。ところで、この無限にある数(1より大きい数)
の逆数を取ればなんと0と1の間にすべての数が入ってしまいます。もちろん分母が
大きくなれば0に限り無く近付いていく訳ですが。この0と1が、αとωを暗示して
いるのでは?などと考えたりもしています。αとωはヨハネの黙示録に書いてありませんか?
私も高校数学で初めて無限大という事を聞いた時、無限大とは実際は宇宙よりも
大きいんだろうなあ?と紙の上の小さなグラフを見ながらよく考えたものです。
また、微積分で今度は限り無く小さくするということを、大きさでは素粒子よりも
小さくなるのでしょうし、時間では止めなくてはならなくなるのでは?そのとき
空間は?などとよく考えたものです。しかし私の場合は、「フーン、数学ってそう
いうものなんだ」とあまり考えずにテストの点数を取る事に夢中になっていた事を
思い出します。
from: ueyonabaruさん
2008年11月15日 09時14分06秒
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「Re:Re:無限と有限について」
ご返事がくるのを楽しみにまた不安に思いながら、待っておりました。積年の私の悩みにストレ-トに応えて下さいました。ホットしております。ありがとうございました。
今日は、パルメニデスやゼノンなどのことを調べてみます。
「オメガでありアルファである」は逆であったかも知れません。若しくは、我は始めであり、終わりであるとの表現だったかも知れません。旧約聖書が今手許で見つかりません。タルム-ドは知りませんので、旧約聖書のどこかだと思います。わかり次第、お知らせします。
from: hiraokaさん
2008年11月15日 00時49分01秒
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「Re:無限と有限について」
あっははは・・・ (*^。^*)
ぼくも、そうだったんですよぉ〜。
まじめな人ほど、ここでつまずくみたいですよ。
ある意味、イデアへの思い込みが邪魔しているのかも知れません。
ぼくは、さらに物理の授業で反対方向に動くことをマイナスで表すことにものすごく抵抗がありました。
昔の人もそうだったんだそうですよ。(^.^)
>そうすると1から2に到達するというのは一体可能なのかという疑問が出てきました。
この問題はいまだに続いております。
ぼくらは無限と有限について、まだよく解ってないんです。
この問題はギリシャのパルメニデスと云う人が最初に提唱したように言われています。
弟子筋にあたるゼノンと云う人の、「ゼノンのパラドックス」が今も有名ですね。
「アキレスは亀に追いつけない」「飛ぶ矢は的に到達できない」などのパラドックスが有名です。
ぼくは読んでないんですが、ソクラテスはパルメニデスと対話したそうです。
そこではソクラテスはほうほうの呈だったそうです。
パルメニデスにやり込められたらしいんですね。
プラトンはその場に居たはずです。
と云うのも、数学の本で知ったことですが・・・、
「無限についてのこのやっかいな問題を解決したのはプラトンです。どうやって解決したかと云うと『無限については考えないことにしよう』と提唱しました。」、だそうです。
なんだか拍子抜けしてしまう話ですが・・・、
でもこれはカントが、『わけのわからないものは話しからはずそうではないか』と提唱したことと似ていませんか?
0.9999・・・と、どこまでも続く数は「1」であると云うことを了解できますでしょうか?
ほぼ、「1」ではなくて、「1」と等しいものであると了解できますでしょうか?
「無限」の数よりも無限倍多い数の集まりと云うものを想像できますでしょうか?
ご存知かもしれませんが、カントールと云う人がこの問題の端緒をつけました。
この人の晩年は精神病になり、だれからも認められることなく亡くなったかわいそうな人です。
数えられる数を自然数と言いますね、1,2,3・・・です。
これは無限に続きますね。
この自然数は偶数と奇数に分けられますね。
とすると、偶数は自然数のちょうど半分だけあるのでしょうか?
よく考えると偶数も自然数も無限にあるはずです。
こういった問題をカントールは考えて、どちらも同じ数だけある無限として、アレフ1群と命名しました。
アレフと云うのは、悪名高きオウム教の再生教団の名前ですね。(^.^)
カントールの考察はさらに進んで、無限にある自然数よりもさらに多い数の集合をアレフ2としたそうです。
無理数のことですが・・・・。
無理数と云う言葉は、中国の数学書の誤訳とでも云える言葉でして、実際は「無比数」「不比数」のほうがより正しく表されています。英語ではノン・レシオナブル・ナンバーでしょうか。
整数の比率として表せない数のことです。
つまり、分数でも表せない数です。
ルートとかπとか自然対数の底のことです。
無限に在りますが、特徴的な数が少ないだけです。
この数は自然数が無限にある以上に多くあることがカントールによって証明されています。
どうやって証明するかと云うと、数には量を表す意味と順番を表す意味がありますね。
自然数を並べておいて、それに順番をつけていって、順番のところにその数があるかどうかを考えたのです。
具体的には、表計算のような升目に自然数を埋め尽くしたとしてそれぞれに対応する順番の番号があるかどうかと云うやり方です。
エラトステネスの「素数のふるい」と云われている方法と似ています。
数学の醍醐味のような面白い話ですね。
>バイブルにある「われはオメガでありアルファである」、などはこのあたりのことをいうのであることはおよその推測はつきます。
この言葉はよく聞きますが、聖書にあったのかどうか僕には疑問です。タルムードに在る言葉なのではないでしょうか?
ご存知でしたら、教えてください。
>電気とはなにか、電磁波とはなにかなどと観念的に考えてしまい、結局は物理を理解できなくなるようです。
まったく、ぼくも同じなんですよ。
どうも、ueyonabaruさんもぼくも古い世代なのかも知れませんよぉ〜〜。(*^。^*)
from: ueyonabaruさん
2008年11月17日 17時24分05秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:無限と有限について」
リアリストさんとhiraokaさんの議論が行われることを希望します。ブログの整理上、新しくタイトルをつけて(スレッドを建ててというのでしょうか)hiraokaさんのご発言から始められたらいかがでしょうか。例えば、「理性の結論としてあの世はあるのかないのか」、「信仰と事実」、「理想の宗教像」、等々hiraokaさんの方で決めていただくか すれば良いと思います。すでに無限と有限についての表題を超えた議論になっているようですので。
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