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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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  • from: hiraokaさん

    2008年11月18日 01時11分24秒

    icon

    「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?

    ueyonabaruさんと、リアリストさんに感謝します。

    表題の前に、リアリストさんへのご返事を書きます。

    >自身が経験した事、これが最も確実な「事実」です。
    これこそが曲者なんですよぉ〜。(*^。^*)
    リアリストさんは、経験したことの物理的に起こったことを「事実」とされているとは思いますが・・・。

    重要な問題は、「経験したことを、どのように思ったか?」、
    「経験したことを、自分の中のどの位置にどのようなパターンとして収めているか?」、なんです。
    つまり、「自分にとっては事実だ、と思っていること」を事実だと記憶し、かつ思い出すわけです。
    このことは、ぼくに云われなくてもご存知と思います。
    同じように、リアリストさんが思われる「事実」の定義も、ぼくは納得します。

    >心理学の「ジョハリの窓」
    次に書くことは、この手法を否定しているわけではありません。
    この4分類は、自分で書いて、さらに自分を知る人にも書いてもらえばより効果的かもしれません。
    もっとも、この手法は「他人を気にしている自分が自分自身を苦しめているのだと気づかせる」のが目的でしょうから、これでもかまいません。
    この手法は、世の中に「自分と云うものを、他人の目から見たら自分はこう見えるだろう、それが自分だと」と無意識に思い込んでいる人たちが、いかに多いかと云うことを気づかせてくれるでしょう。
    ですが、この分類を自分ひとりでやっても、それこそ自分の見ている世界なんです。
    さらに、ぼくの云うように「他人による、あなたのジョハリ・テスト」を本人が読んだら気絶してしまうかも知れませんね。
    ショック療法です。(^.^)

    >私の場合は、宗教のあるべき姿を模索している状況と言えましょうか。また、このような対話を通してお互いに何らかの「気付き」があることを願っております。

    たいへんに驚きました、尊敬します!
    科学の結論を信じることも、ある意味で宗教なのだと云うことに気づいていらっしゃるのですね。安心しました。
    ぜひ、お付き合いください。

    >hiraokaさんが、何故このようなスタンスに到ったのか是非お聞かせ下さい。
    はい、ぼくは科学少年でした。
    過去ログにもあるように啓示のような体験をしてから、人が生きていることの不思議や、宇宙が存在することの不思議や、自分が自分をなぜ自分と認識できるのか?自分はなぜ他を自分とは思えないのか?と云ったような疑問にずいぶん苦しんで来ました。

    これらは、すべて偶然の結果だとは思いたくなかったのでしょう。
    それで、さまざまな方面から納得のいきそうな調べものを始めることになりました。
    科学方面からも哲学方面、文芸、その他片っ端から、自分が納得できうるものを探し求めました。

    幽霊の話や博物学や民俗学などもずいぶん読みましたが、あるときエドガー・ケイシーのリーディングを読んで、「本当にあの世ってあるんだ!」と仰天しました。
    まさに理性的に考えて、「これは死後の世界があるとしなければ、まったく説明できない」と思ったのです。

    それから、「もし死後の世界があるとするならばそれはどのようなものだろう?」と云うことに主題が変わりました。
    この考えの変化には一年以上かかったと思います。
    大川さんも「このように考えることができるようになるためには、どうしても一年以上はかかります。」と云っていました。

    それからのちは、ソクラテスの云うとおり「善きものは自分がすでに知っている」と云うとおり「そのはずだ」と思えるようになりました。

    さて長くなりましたが、表題のことに移ります。

    「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?
    ↑このテーマでよろしいでしょうか?
    その前に定義しておきたいことがありましたらお知らせください。

    ぼくは、どちらでも云えると思います。
    例えは悪いかもしれませんが、ぼくの考えは不確定性原理と同じです。
    「神はその人の思うように現れる」と云うのが、ぼくの結論です。
    無いと思えば、そのように無いように(現れる?)見えるし、在ると思えばイワシの頭もそのように(現れる?)思われるでしょう。

    なぜそのように神が現れるかと云うと、自分は神だったのだとうすうす気が付いてきたからなんです。

    このようなことを書けば、昔なら異端審問にかけられるでしょう。
    ですが、「成長の家」などは最初からそう云っています。
    イエスも「私にできることは、あなたたちもできる」と云っています。

    ここで気をつけなければならないのは、「自分は神だ」と同じように「あなたも神だ」なんです。

    ぼくはこのことを証明できません。ですがリアリストさんのおっしゃる、
    「>宗教のあるべき姿を模索している状況」
    に貢献できるのではないでしょうか。

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    • 8

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コメント: 全8件

from: ueyonabaruさん

2008年11月20日 11時06分53秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
池田さんや小林秀雄には信仰はあったのではないでしょうか。今再度考えるのですが、池田さんが何故あのように観念的思考ができるのか、主観的観念をあのように主張できるのかを考えると、信仰はあったとしか思えなくなりました。また、小林秀雄は存命のころ、橋かなにか高いところから落っこちたことがあるのですが、自分が助かったのは亡くなった母親が守ってくれたと思うと話しておりましたし、さらに他所では、魂が存在するのは当たり前だとも言っておりました。

 小林秀雄で思い出すことは、あとひとつ、批評について語った言葉があります。批評は、相手を理解し愛しなければ、良いものは描けないということも言っておりました。批評の神髄がそこにあるように思ったものです。なつかしい小林秀雄と自分の若かりし頃を思い出しております。

 どうぞ議論を続けて下さい。

> いや、じつは池田さんも、『何故、このひとはここまで思考を進めているのに信じる世界に入らないのだろうか?』と不思議に思っていたのです。

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from: リアリストさん

2008年11月20日 05時15分19秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
> >毎日楽しく幸福に生活しております。現実生活の中に幸福を感じております。
> なんと、うらやましい。(*^。^*)
> どうすればそうなれるのですか、教えてください。
> ぼくなんか、介護認定の人から「あなた、これをよく独りでやってますねぇ。」って同情されました。(*^。^*)
ひょっとしたら、hiraokaさんは、毎日の介護を「何で、こんな大変なことを俺独りがしなければ
ならないんだ?」と思われてはいませんか?その答えは、簡単です。それはhiraokaさんが
それに耐えられるからです。私にはとても耐えられないし、恐らく今現在私には必要ではないので
そのような環境は現われてはきません。「片手落ち」という言葉を使われましたね。この言葉は
介護をされている方は使わないものです。そこにhiraokaさんの介護に対する考え方が現われていませんか?
麻痺して使えなくなった部分を恨んではおりませんか?こんなふうにならなければ、と思っておりませんか?
また、健康な部分に感謝されていますか?hiraokaさん自身は、健康である事が当たり前であると思って
おりませんか?もし、書店に小林正観さんの「釈迦の教えは「感謝」だった」という本がありましたら
御一読お勧め致します。「悩み・苦しみをゼロにする方法」と副題がついております。

> >ちょっと誤解されているようですが、無意味とは申し上げておりませんし、想像を膨らませる事は科学の進歩に取っても当然必要だと思っておりますが。
> そうだったのですか。ではリアリストさんは、「死後の世界は死んで見なければわからない」として想像を膨らませることをしなくても平静でいられるのは何故なのでしょうか?
既に思想に「転生輪廻」が入っているからですよ。これはhiraokaさんも信じておりませんか?
「私自身も霊魂のようなものがあって死後赴く事は確信しております。」と申し上げております。

> できれば、リアリストさんが自分の生まれる前に、自分は何であったのかと考えたことを教えていただければありがたいです。
> ぼくには死後のこと以上に、いまだに解らないんです。
お互いに、人間の実相は神そのものである、という結論に辿り着いていると思います。
また、一即多、多即一で自他は一体となっております。自身と対象物の宇宙は一体の神となっております。
「万物に神は宿る」の命題は、私は信じておりますし、また肯定しております。正確には
「宇宙の森羅万象は神である」、となりますが。
ちょっとイメージして頂きたいのですが、時間軸に対して宇宙が螺旋上に回転しているイメージです。
そこに過去から未来に実相の光が当たっております。光と宇宙が交わっている部分が転生している部分です。
そして、その光は、また次の螺旋の部分で交わり来世となります。転生と転生の間は実相の光りの
束の中で一体となっております。(これを五次元と呼んでいるのかも知れません)そして、個別の粒子で
あると同時に全体の情報を共有しております。螺旋ですから次々と光が転生致します。そして
実相の光(神)は転生を終えるとまた光に帰っていきます。
自身が実相の光そのものであるので、生長の家の教義とはちょっと違って自身の実相を見る事はできません。
しかし、他者(対象物、宇宙)の中に実相(神)を見る事はできます。

> 体験したからと思い込んでいても、それが事実であるかどうかは断定できないことについてはリアリストさんにも同意していただけているものと思っています。
このお答えから、体験談は不要のようです。私は幽霊なるものが物理的実体を伴ったものであるのかを
確かめたかったのです。すなわち、幽霊が「信じている事」であるならば否定論者で差し支えないのですが
万人が検証できる物理的実体を伴ったものであるならば、「事実である事」となり霊魂の前に
いわゆる幽霊を認めなくてはいけないからです。私は物理的実体を伴った幽霊は見た事がないのですよ。

> その前にちょっとお尋ねしたいのですが、『我々は肉体だけが自分だ』と思っていらっしゃるのではないですよね?
> ほとんどの人たちは、体を自分と思っていて、それを認識するのは脳の作用だと思っていますね。
> リアリストさんは、それとは違う立場なんでしょうか?
> それによって、話すことは大きく違ってきますもんで。
人間の肉体は60兆個の細胞で成り立っており、脳細胞は140億個と言われておりますね。
また、細胞同士がネットワークで複雑に絡み合っている。全宇宙を始め一切を脳内で感知している。
脳で感知出来るのは、全宇宙の姿のうち脳(五官=感覚器官)が感知できる部分となっている。
テレビの電波や、紫外線赤外線は五官の限界で感知出来ない。感知できないから存在しないとは
当然言えない。感知出来ない事象(=物理的現象として捕らえられない部分)は、科学が発達して
感知し得なければ、例え存在していたとしても「信じている事」となってしまう。

もう一つ、脳内には不思議な力があって、現実には存在していないものを作り出す力がある。
視野が欠損しているのも関わらず、脳の機能として自動的に周りと同じように埋め合わせてしまう。
盲点は、そこに存在している対象物を認識させない。自動的に周りと同じように埋め合わせてしまう。
脳の機能として脳内に幽霊を作り出す力がある。これは、幻覚、幻聴と呼ばれている。これは、脳内の
神経伝達物質の問題となってきます。これも外界の物理的現象を伴っていないので「信じている事」
となってしまう。

幽霊を科学的に認めるならば、現代医学、大脳生理学に矛盾する内容であってはならないという
立場です。

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from: hiraokaさん

2008年11月20日 00時29分13秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
なんだか、いい感じになってきましたね。
人が人を分かり合えると云うことこそ、仁・愛を感じられる瞬間ですね。

>この思想が、実は日蓮正宗の考え方だと私は理解したのですよ。
なるほど、そうだったのですか。
ネットを流し読みしたくらいでは、気づきませんでした。ありがとうございます。

>毎日楽しく幸福に生活しております。現実生活の中に幸福を感じております。
なんと、うらやましい。(*^。^*)
どうすればそうなれるのですか、教えてください。
ぼくなんか、介護認定の人から「あなた、これをよく独りでやってますねぇ。」って同情されました。(*^。^*)

>ちょっと誤解されているようですが、無意味とは申し上げておりませんし、想像を膨らませる事は科学の進歩に取っても当然必要だと思っておりますが。
そうだったのですか。ではリアリストさんは、「死後の世界は死んで見なければわからない」として想像を膨らませることをしなくても平静でいられるのは何故なのでしょうか?

いや、じつは池田さんも、『何故、このひとはここまで思考を進めているのに信じる世界に入らないのだろうか?』と不思議に思っていたのです。

>死後の事と、生まれる事の疑問は、両方考えていたと私は申し上げていたと思います。
すみません、僕が読み落としていたようです。
できれば、リアリストさんが自分の生まれる前に、自分は何であったのかと考えたことを教えていただければありがたいです。
ぼくには死後のこと以上に、いまだに解らないんです。


>この辺の事実こそ、曖昧でよく判っていないということですね。
エジソンについては、オカルト好みの人たちが引用しすぎると云う意味なんです。
クルックスも霊界に興味をもちましたし、以前に書いたウォーレスもそうだったそうですし、興味を持った有名人はたくさん居るはずです。

>ということは、hiraokaさんは幽霊の肯定論者なのですか?それとも自身で目撃なり体験されたのですか?
体験したからと思い込んでいても、それが事実であるかどうかは断定できないことについてはリアリストさんにも同意していただけているものと思っています。
そして「ぼくたちは神そのものの相似縮小形である」と云うことも同意していただけていると思っています。

その前にちょっとお尋ねしたいのですが、『我々は肉体だけが自分だ』と思っていらっしゃるのではないですよね?
ほとんどの人たちは、体を自分と思っていて、それを認識するのは脳の作用だと思っていますね。
リアリストさんは、それとは違う立場なんでしょうか?
それによって、話すことは大きく違ってきますもんで。

>書店の本はほとんど読破されているのでは?
あっははははは。(*^。^*) そんなこと、ありませんってば。
紹介して頂いたお二人を調べておきます。

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from: リアリストさん

2008年11月19日 22時08分47秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
ueyonabaruさん、コメントありがとうございます。

>  ここは全く賛成できますよ。今の時点で幸せを感じること、感謝できることはとても大事ですね。そう、今が大事なのです。
この思想が、実は日蓮正宗の考え方だと私は理解したのですよ。ですから、これが「正法」と私は
申し上げました。あの論戦は、この事を気付いて頂くためのものだったのですよ。日蓮正宗の方々は
決して折伏して信者を増やす事を目的とはしていませんでした。厳しいコメントの中にも
ueyonabaruさんの幸せを願っておられた事を私は気付いておりました。

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from: ueyonabaruさん

2008年11月19日 17時27分00秒

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「Re:Re:Re:Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
 生きていることがつらいなと思うことは度々あります。

 リアリストさんは今が大切であり、幸せに生きることができるとおっしゃいます。ここにきてリアリストさんの今まで分からなかったことが少し、わかりかけてきました。斉藤さんなどのことを知ったからです。

 ここは全く賛成できますよ。今の時点で幸せを感じること、感謝できることはとても大事ですね。そう、今が大事なのです。

 人間は偏見だらけです。他人が何を考えているか理解できないのです。これが人間です。人間社会です。

 多くの点で意見は異なりますが、今幸せであろうとするところを心に銘じる点は同じです。時にはこのことを忘れてしまっていたようです。

 どうぞ議論を続けて下さい。
 
> > ひょっとすると、リアリストさんは僕と同じように生きていることが結構つらく感じていらっしゃるんではないでしょうか? (*^。^*)
> > ↑ちょっと冗談です。でも、なんの不足もなければこんなこと考えませんよね。
> それは、全く正反対でして、毎日楽しく幸福に生活しております。現実生活の中に幸福を
> 感じております。

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from: リアリストさん

2008年11月19日 05時25分53秒

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「Re:Re:Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
hiraokaさん、お返事ありがとうございます。hiraokaさんのスタンスが判ってきました。

> ひょっとすると、リアリストさんは僕と同じように生きていることが結構つらく感じていらっしゃるんではないでしょうか? (*^。^*)
> ↑ちょっと冗談です。でも、なんの不足もなければこんなこと考えませんよね。
それは、全く正反対でして、毎日楽しく幸福に生活しております。現実生活の中に幸福を
感じております。

> おっしゃるとおり未来については、「事実か否か」の話しは無意味になります。
> ですが・・・、
> ぼくたちは宇宙の果てや宇宙の始原を「事実か否か」として話し合ったりはしませんよね。
> 同じように想像を膨らませて、もしも死後も自分と感じている実体が存続するとしたら、その自分はどのように物事を見るのだろうかと云うことは想像できませんでしょうか。
ちょっと誤解されているようですが、無意味とは申し上げておりませんし、想像を膨らませる
事は科学の進歩に取っても当然必要だと思っておりますが。

> 多くの人たちは、死後に自分は存続するかどうかを問題にしますが、これは片手落ちとも云えるものだと思います。
>
> 死後の自分が在るか無いかが疑問であると同時に、自分が自分と認識できる以前の自分は在ったのか無かったのか・・・、
> 「生まれる前にも自分は在ったのだろうか?」を同時に考えるべきです。
死後の事と、生まれる事の疑問は、両方考えていたと私は申し上げていたと思います。

> >エジソンが晩年に死者と交信する装置を考案しようとしたのも頷けます。
> 以前にも書きましたが、エジソンが霊界通信機を考えていたと言うのは過大評価と思えます。
> その当時、交霊会はアメリカ・イギリスで大流行したようです。
> もちろん、そのなかにも本物はあります。
> エジソンが考えていたのは、ウィじゃ盤(西洋こっくりさん)とタイプライターを組み合わせたものに違いありません。
> その当時から、霊言のセンサーは人間以外が代用できないと思われていたようですので、エジソンが摩訶不思議なものを考案しようとしていたというのは半ば伝説のようなものだと思います。
この辺の事実こそ、曖昧でよく判っていないということですね。

> >私は死後の地獄否定論者、不要論者で、いわゆる幽霊も否定論者です。
> 幽霊は居ますよ、いくらでも居ます。
> 自分が肉体の中に居ないことに気づいていない本体はいくらでも居ます。
> こっちのほうが、多いくらいかも知れませんよ。
> 機会があったら、幽霊についての面白い話をしましょう。
ということは、hiraokaさんは幽霊の肯定論者なのですか?それとも自身で目撃なり
体験されたのですか?

> ぼくにも覚えがあります。こういう苦しい経験をどうしても繰り返さなければならないのだとしたら、転生輪廻など、まっぴらごめんだと云うのが、今のぼくの心境です。(^.^)
そうですね、ただ私はこのような苦しい経験をとても感謝しています。もちろん苦行大好き人間でも
ありませんし修行大好き人間でもありません。ただ、この転生している地球と言う星はとても
素晴らしい星だと思っております。私は極楽とはあの世にあるのではなくて、現在只今にあるのでは
ないかと思ってしまうくらいです。

> >ところで、hiraokaさんは「小林正観」さんや「斉藤一人」さんの本は読まれましたか?
> まったく知りませんでした。
> 小林さんのことは、まったくわかりません。
> 斉藤さんについては、さっきネットでちょっと調べました。
> 彼の思想を精査したわけではありませんので、次に書くことはぼくのざっとの印象とだけにとりおいてください。
これは、私にとっては少し意外でした。hiraokaさん程の方は、書店の本はほとんど読破されているのでは?
と思っておりましたので。簡単に私の感想を書かせて頂きます。
「小林正観」さんは感謝の本当の意味を教えてくれました。
「斉藤一人」さんは更に人間がいかに偏見に満ちているかを教えてくれました。
本当に簡単でスイマセン。hiraokaさんが最初に手にする一冊が素晴らしい本でありますように。

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from: hiraokaさん

2008年11月19日 02時15分54秒

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「Re:Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
リアリストさま、ご返事ありがとうございます。

>ひょっとしたらお互いに議論は不要なのかも知れません。
そうかも知れませんね。ぼくも議論をしたいわけではありませんし。知りたいだけですから。

ひょっとすると、リアリストさんは僕と同じように生きていることが結構つらく感じていらっしゃるんではないでしょうか? (*^。^*)
↑ちょっと冗談です。でも、なんの不足もなければこんなこと考えませんよね。


>死という未だ訪れていない事柄に対しては、すなわち未来の事象に関しては事実などという事はあろうはずがない、となりそうですね。すなわち、死後に関して考える事は「信じている事」となりそうですね。

おっしゃるとおり未来については、「事実か否か」の話しは無意味になります。
ですが・・・、
ぼくたちは宇宙の果てや宇宙の始原を「事実か否か」として話し合ったりはしませんよね。
同じように想像を膨らませて、もしも死後も自分と感じている実体が存続するとしたら、その自分はどのように物事を見るのだろうかと云うことは想像できませんでしょうか。

多くの人たちは、死後に自分は存続するかどうかを問題にしますが、これは片手落ちとも云えるものだと思います。

死後の自分が在るか無いかが疑問であると同時に、自分が自分と認識できる以前の自分は在ったのか無かったのか・・・、
「生まれる前にも自分は在ったのだろうか?」を同時に考えるべきです。

多くの人たちは「死んだら、あの世に行く」と思っているのですが、
そうではなくて「いま、あの世とこの世を同時に生きている」と云うのが実状のようです。


>ミクロの世界を説明するのに不確定性原理が最適な理論なのですよね。
はい、同じ立場を共有できて嬉しいです。

>すなわち死とは時間の経過に関して不可逆的なのです。
この世では不可逆なのですが、あの世では一枚の絵のようですので、死を経験する自分と云うものは同時にすべてを見ることも可能のようですし、時間系列で感じることも可能のようです。

>エジソンが晩年に死者と交信する装置を考案しようとしたのも頷けます。
以前にも書きましたが、エジソンが霊界通信機を考えていたと言うのは過大評価と思えます。
その当時、交霊会はアメリカ・イギリスで大流行したようです。
もちろん、そのなかにも本物はあります。
エジソンが考えていたのは、ウィじゃ盤(西洋こっくりさん)とタイプライターを組み合わせたものに違いありません。
その当時から、霊言のセンサーは人間以外が代用できないと思われていたようですので、エジソンが摩訶不思議なものを考案しようとしていたというのは半ば伝説のようなものだと思います。

>私は死後の地獄否定論者、不要論者で、いわゆる幽霊も否定論者です。
幽霊は居ますよ、いくらでも居ます。
自分が肉体の中に居ないことに気づいていない本体はいくらでも居ます。
こっちのほうが、多いくらいかも知れませんよ。
機会があったら、幽霊についての面白い話をしましょう。

「不要論者」とおっしゃるところが、とてもいいですね。同感です。(^.^)
ダンテの神曲の冒頭に、自分の師が煉獄に居るのでビックリするところがあるんです。
理由は、師が男色家だったからだそうです。
スェーデンボルグの本にも、自分の師がおぞましい機械の上に居る地獄を見ています。
理由は、師が機械のみにしか興味がなかったからなんだそうです。

>その方は悪魔ではなかったのです。
ぼくにも覚えがあります。こういう苦しい経験をどうしても繰り返さなければならないのだとしたら、転生輪廻など、まっぴらごめんだと云うのが、今のぼくの心境です。(^.^)

>私もhiraokaさんと全く同じ結論に辿り着いております。これを「自他一体」と言っているのではないか
と思っております。ここまで来れば神の定義論は不要ですね。
確かに不要のようですね。
哲学も神秘学も大教祖も、ぜんぶこのことを云っているんですよね。

>ところで、hiraokaさんは「小林正観」さんや「斉藤一人」さんの本は読まれましたか?
まったく知りませんでした。
小林さんのことは、まったくわかりません。
斉藤さんについては、さっきネットでちょっと調べました。
彼の思想を精査したわけではありませんので、次に書くことはぼくのざっとの印象とだけにとりおいてください。

「ありがとう」の意味に込められていることは、もっとも大事なことだと思います。
水に馬鹿野郎と云えば汚い結晶ができて、ありがとうと感謝すればきれいな結晶ができるとする本がちょっとブームになったことがありましたね。
ぼくの甥っ子で「おいちゃん、イデアって何のこと?」って聞いてきた純粋な青年も、この人からの派生本を自分の弟に薦めていました。

ぼくは、「意念が物質にどのくらい影響を及ぼすのか」、ずいぶん興味があった時期がありました。なにしろ科学少年なんだもんですから。(^.^)
朝日の昇るときに草花に手を合わせて感謝するとか、ウソ発見器と同じ回路を作って葉っぱにつけて話しかけてみるとか・・・・・。(^.^)
たしかに、そのようなことの影響は否定できません。
しかし、そうとうな忍耐力が要るようなんです。
どうも、ぼくらは確かに神と同じ能力を持っているのですが、その力は本当にちいさなものなんですねぇ。
それで、昔の偉人は「継続は力なり」と云ったんだと思うんですよ。

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from: リアリストさん

2008年11月18日 06時40分58秒

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「Re:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?」
大変有り難い文章を頂きましたので、しばらくレスを書かないで皆様にじっくりと読んで
頂きたいと思いましたが、性分故に更にお返事致します。ひょっとしたらお互いに議論は不要なのかも
知れません。

> 重要な問題は、「経験したことを、どのように思ったか?」、
> 「経験したことを、自分の中のどの位置にどのようなパターンとして収めているか?」、なんです。
> つまり、「自分にとっては事実だ、と思っていること」を事実だと記憶し、かつ思い出すわけです。
これは、過去に対する事実認識であろうと思いますが、自身の死という未だ訪れていない事柄に
対しては、すなわち未来の事象に関しては事実などという事はあろうはずがない、となりそうですね。
すなわち、死後に関して考える事は「信じている事」となりそうですね。

hiraokaさんは「ジョハリの窓」のことは御存知のようですね。またかなりアカデミックに
考えられる方なのですね。

> 科学の結論を信じることも、ある意味で宗教なのだと云うことに気づいていらっしゃるのですね。安心しました。
ニュートン物理学に基づいて天体は運行している訳ではありませんよね。天体の運行を説明するのに
ニュートン物理学が最も良い数学的モデルである、ということですよね。不確定性原理に基づいて
ミクロの世界が成り立っている訳ではありませんよね。ミクロの世界を説明するのに不確定性原理が
最適な理論なのですよね。

> 幽霊の話や博物学や民俗学などもずいぶん読みましたが、あるときエドガー・ケイシーのリーディングを読んで、「本当にあの世ってあるんだ!」と仰天しました。
> まさに理性的に考えて、「これは死後の世界があるとしなければ、まったく説明できない」と思ったのです。
「信じている事」が「確信」に変わった瞬間のように思えます。私自身も霊魂のようなものがあって
死後赴く事は確信しております。しかし、それだけでは先の大前提の壁は破れない。
「死んでみなければ死後の事はわからない」
これを、破るには死後の存在証明が必要だと思うのです。プラトンが証明し得たのかは存じませんが
臨死体験をした「エルの物語」はあまりにも有名です。しかし、死んだ者は生き返らないという厳然と
した物理法則があるのです。すなわち死とは時間の経過に関して不可逆的なのです。
エジソンが晩年に死者と交信する装置を考案しようとしたのも頷けます。この装置が開発されれば
ノーベル賞どころの話ではないでしょう?

> 「神」の存在は、「事実」か「信じること」か?
> ↑このテーマでよろしいでしょうか?
> その前に定義しておきたいことがありましたらお知らせください。
>
> ぼくは、どちらでも云えると思います。
> 例えは悪いかもしれませんが、ぼくの考えは不確定性原理と同じです。
> 「神はその人の思うように現れる」と云うのが、ぼくの結論です。
> 無いと思えば、そのように無いように(現れる?)見えるし、在ると思えばイワシの頭もそのように(現れる?)思われるでしょう。
私は神の存在は「信じること」と考えておりますが、hiraokaさんの結論も十分に納得できます。
私は死後の地獄否定論者、不要論者で、いわゆる幽霊も否定論者です。これで別段日常生活に困る事は
ありませんし、日々幸福に生きております。かつては、天国地獄も信じておりましたし、悪い事をすれば、
地獄に行くんだなと単純に信じておりました。善霊、悪霊、天使、悪魔も信じておりましたが、
実は信じている通りに現われる体験をしているのです。これには、随分と苦しんだのですが
悪魔と思われる者の正体を見破った時にそれは消えてなくなりました。その方は悪魔ではなかったのです。
実は神様だったのです。自分の悪魔と見る見方の中に悪魔はいたのです。自身の偏見の中に魔は存在していた
のです。その事を神様は魔の姿を取って気付かせて下さっていた。。。

> なぜそのように神が現れるかと云うと、自分は神だったのだとうすうす気が付いてきたからなんです。
>
> このようなことを書けば、昔なら異端審問にかけられるでしょう。
> ですが、「成長の家」などは最初からそう云っています。
> イエスも「私にできることは、あなたたちもできる」と云っています。
>
> ここで気をつけなければならないのは、「自分は神だ」と同じように「あなたも神だ」なんです。
私もhiraokaさんと全く同じ結論に辿り着いております。これを「自他一体」と言っているのではないか
と思っております。ここまで来れば神の定義論は不要ですね。

ところで、hiraokaさんは「小林正観」さんや「斉藤一人」さんの本は読まれましたか?
この方々の本は、私の参考書とさせていただいているのですが。もちろん鵜呑みにしている訳では
ありませんが、とても面白い事を言っておりますよ。

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