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from: hiraokaさん
2008年11月21日 01時01分13秒
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:「神」の存在は、「事実」か「信じること」か? 2
ueyonabaruさま
>池田さんや小林秀雄には信仰はあったのではないでしょうか。
ええ、ぼくもあったと思うんです。
でも、信仰の「仰」の字は使わないだろうと思うんです。
彼らは強力な推論で自分の構築した世界観宇宙観に自信を持っているので、自分の推論の結論に「信」を置いていたと思うんです。
>また、小林秀雄は存命のころ、橋かなにか高いところから落っこちたことがあるのですが、自分が助かったのは亡くなった母親が守ってくれたと思うと話しておりましたし、・・・
へえ〜、そうなんですか。
やはり人智を超えたものの存在を強く感じていたんですね。
>魂が存在するのは当たり前だとも言っておりました。
へえ〜、はっきり言ってたんですね。
でも、彼らが「魂」と云うときは、「自分を自分として認識できる本体」「自己そのもの」と云う意味なのだろうと思うんです。
ソクラテスも「魂」と云う言葉をよく使ってるんですが、当時の(今も?)、素朴に直感できる「あなた自身」「自分自身」の意味で使ってるようですよ。
>あとひとつ、批評について語った言葉があります。批評は、相手を理解し愛しなければ、良いものは描けないということも言っておりました。
さすが、ですね。
リアリストさま
>ひょっとしたら、hiraokaさんは、毎日の介護を「何で、こんな大変なことを俺独りがしなければならないんだ?」と思われてはいませんか?
大丈夫です大丈夫です、ご心配なく。(*^。^*)
でも、32歳よりも前に、今のようになったら狂って自殺を考えたかも知れませんね。
>それはhiraokaさんがそれに耐えられるからです。
ええ、そうなんですよねぇ〜、つらいんですけど。
いやほんと、ぼくの経験に何人の人が耐えられるだろうって思うんですよ。
ああ、自分って結構強いんだなあって思ってるんですよ。
でも、「もう一度、やってみるかい?」と問われれば、まっぴら御免でございます。(^.^)
ワシントンだったか、「もし生まれ変わったとしたら、迷わず同じ人生を繰り返します」と云ったそうですが・・・・。
ぼくだったら、「いえいえ違う道をたどります。特に、生活のためにこんなに一日のほとんどを費やさなくてもいいようにしてくれなきゃ嫌です。」と主張しますです。(^.^)
>「片手落ち」という言葉を使われましたね。
気に障られましたら、ごめんなさい。
差別用語なんでしょうね。
ぼくはあんまりそういうことにこだわらないんですよ。
自分が侮蔑的に云われても、「まあ、それはあなたの言葉なんだよな」、くらいにしか思わなくなったんです。
もちろん、昔の自分だったら逆上してたことでしょう。
父親が「あいつは、こう云った!」と逆上しているのを何度も見て、直感的にそういう感情を避けなければならないと思うようになったようです。
まあ、こういうのもつらい体験ではありますが・・。
>hiraokaさん自身は、健康である事が当たり前であると思っておりませんか?
大丈夫ですよ。
それどころか、この年になって一度も大病もせず同級生よりもはるかに若く見られることに感謝を通り越して、不思議だなあ!って思ってるんです。
>既に思想に「転生輪廻」が入っているからですよ。これはhiraokaさんも信じておりませんか?
「私自身も霊魂のようなものがあって死後赴く事は確信しております。」と申し上げております。
そうだったんですか! いや、まったく誤解していました。
ueyonabarさんがリアリストさんから離れたのは、リアリストさんが霊界を信じていないからだと思っていました。
いやはや、言葉と云うものは厄介なものです。
リアリストさんは言葉を厳密に使おうとされているんですね。
じつは、「あれあれ? おかしいな。
リアリストさんは人間は神の現れであると同意した。
神は消えることはない。だから、自分も消えることはない。
だから、自分の肉体の死後での存在も認めているはずだ。
かたや、幽霊というのは自分が肉体ではないのに生きているときの惰性で、まだ生きていると思い込んでいる霊が、敏感なひとに見えるものだ。
これら幽霊の存在を信じていないとは、どういうことなのだろう?
といぶかしんでいました。
>私は幽霊なるものが物理的実体を伴ったものであるのかを確かめたかったのです。
ああ、このことでしたら、ぼくは物理的にあるはずだと思っています。現在の物理の分野がまだよく解ってないのだと思っています。
ぼくにはとても手におえない難問ですが、ほんとうはこのことを物理的に証明したかったんです。
>ちょっとイメージして頂きたいのですが、時間軸に対して宇宙が螺旋上に回転しているイメージです。
このことについては、ご心配なく。
ブラバツキー夫人の十八番理論ですので、ぼくもある程度わかってます。
>脳の機能として脳内に幽霊を作り出す力がある。・・・・これは、脳内の神経伝達物質の問題となってきます。
研究したわけではないので断定はできないのですが、「脳内の神経伝達物質」ではなくて、ニューロンのネットワークの混線・混乱ではないかと思うんです。
薬で幽霊を見たと思うことは多いにありえますが、たいていは脈絡が無くその場限りで、見たものと現実の過去をつき合わせることはできませんね。
しかし、数ある幽霊との遭遇体験と云われているものは、じっさいの現実と付き合わせられる例がたくさん残っているんですよ。
>幽霊を科学的に認めるならば、現代医学、大脳生理学に矛盾する内容であってはならないという立場です。
現代医学、大脳生理学に矛盾しているとは、ぼくには思えません。
もっともその分野の結論が、「自分を認識している本体は、脳による作用である」と主張するなら話は別ですが・・・。
そうはやとちりしている学者さんも多いみたいですね。
茂木さんが徹夜の研究をして、朝の始発電車で帰るときにモウロウとした頭でボウッと考えていたそうです。
そのとき、ハッとクゥオリアの意味が解ったんだそうです。
「赤い色と云うのは解るが、赤の赤色らしさと云うものがそれだったんだ!」と思ったんだそうです。
赤色の赤らしさと云うのが、イデアなのかも知れません。
この、赤色の赤らしさを感じ取る本体が、本当の自分に近い本体なんですねえ。
夢なら水のみずみずしさとか、毒々しさとかよくわかるんですけど、・・・。
ちなみに、ぼくは脳による所産を否定しません。
ぼくらは霊と肉を同時に生きているのだと思っています。
コメント: 全2件
from: リアリストさん
2008年11月21日 06時30分17秒
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「Re::「神」の存在は、「事実」か「信じること」か? 2」
hiraokaさん、御丁寧にレスを頂きありがとうございます。また、随分と誤解されていたのですね
すなわち、hiraokaさんの信じられている「リアリスト像」が少しずつ事実と思われる像に
変わってきたのではないでしょうか?これは、お互いに言える事だと思いますが。
> >それはhiraokaさんがそれに耐えられるからです。
> ええ、そうなんですよねぇ〜、つらいんですけど。
> いやほんと、ぼくの経験に何人の人が耐えられるだろうって思うんですよ。
> ああ、自分って結構強いんだなあって思ってるんですよ。
> でも、「もう一度、やってみるかい?」と問われれば、まっぴら御免でございます。(^.^)
>
> ワシントンだったか、「もし生まれ変わったとしたら、迷わず同じ人生を繰り返します」と云ったそうですが・・・・。
> ぼくだったら、「いえいえ違う道をたどります。特に、生活のためにこんなに一日のほとんどを費やさなくてもいいようにしてくれなきゃ嫌です。」と主張しますです。(^.^)
実は、こんなことも考えたのです。ひょっとしたら、転生後にまた同じ人生を繰り返すんでは
ないのかな?って、そしたら人生やり直しができちゃいますよね。一度魂は経験しているのですから。
「あそこでああしておけば良かったのになあ?」ってよくありませんか?そして、少し改善された
人生を何度も何度も歩んでいく。「まっぴら御免」が、「人生ってなんてすばらしいんだろう!」
って思えるまで。(これは、もちろん私の空想ですので)
> 気に障られましたら、ごめんなさい。
> 差別用語なんでしょうね。
> ぼくはあんまりそういうことにこだわらないんですよ。
> 自分が侮蔑的に云われても、「まあ、それはあなたの言葉なんだよな」、くらいにしか思わなくなったんです。
> もちろん、昔の自分だったら逆上してたことでしょう。
やりとりは二人の間なのですが、読まれている方は大勢いますのでいろいろな可能性と
御配慮を。
> 研究したわけではないので断定はできないのですが、「脳内の神経伝達物質」ではなくて、ニューロンのネットワークの混線・混乱ではないかと思うんです。
私は簡単に申し上げましたが、ニューロン端末から神経伝達物質が放出されてお互いに情報を
伝達していることは、当然御存知ですよね。そして、この過剰放出や枯渇が精神活動や情動に多いに
関わっている事も御存知ですよね。ネットワークの問題もあろうかと思いますが「神経伝達物質」
の問題は決して軽視できないと思いますよ。要は配線の問題か、中を流れる電流のアンペアの
問題になりますが。両方ですね。
> 薬で幽霊を見たと思うことは多いにありえますが、たいていは脈絡が無くその場限りで、見たものと現実の過去をつき合わせることはできませんね。
>
> しかし、数ある幽霊との遭遇体験と云われているものは、じっさいの現実と付き合わせられる例がたくさん残っているんですよ。
いえいえ、逆なんですよ。薬を使わないで幽霊が見えると言っている人は、実際は脳内の幽霊を
見ているんですよ。これを、薬剤で止められるんですよ。幽霊の幻覚を見ている人は実際に
そこにいるように感じているんですよ。眼は物理的実体でない幽霊を脳に伝えられないんです。
> 現代医学、大脳生理学に矛盾しているとは、ぼくには思えません。
> もっともその分野の結論が、「自分を認識している本体は、脳による作用である」と主張するなら話は別ですが・・・。
> そうはやとちりしている学者さんも多いみたいですね。
はやとちりでなくて、事実かも知れませんよ。学者さんですから研究事実という現実の積み重ねの上で
主張されているのでしょうね。
私は物質だかどうだかわからない幽霊は否定していますが、人間の実相である魂までは否定しておりません。
しかしそれが人間のような格好をしている、いわゆる「幽霊なんだ」となってしまうと
それは違うでしょうと思えるのです。
from: ueyonabaruさん
2008年11月21日 09時48分30秒
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「Re::「神」の存在は、「事実」か「信じること」か? 2」
hiraokaさん
下のhiraokaさんのご発言に関してですが、
> ソクラテスも「魂」と云う言葉をよく使ってるんですが、当時の(今も?)、素朴に直感できる「あなた自身」「自分自身」の意味で使ってるようですよ。
ソクラテスはパイドンにおいて次のように言っております。長いのですが、重要なことですので引用してみます。
「他方これに反して、思うに、もし魂が汚れたまま、浄められぬままに肉体をはなれるならば--それというのはほかでもない、魂がつねに肉体と結びつき、肉体にかしずき、肉体を愛し、肉体ならびにその欲望と快楽に魅せられてきたきたからであり、そのあげく、肉体と同性質のの形而下的なもの、すなわち手でふれたり目で見たり、飲んだり食ったり、性の満足のために用いたりすることのできるもの、ただそういうもののみが真実であると思いこんで、肉眼にはかくされてある不可視のもの、ただ哲学によってのみ把握することのできる知性の対象はといえば、これを嫌い、おそれ、逃げるように習慣ずけられていたからなのだが・・・・・。君は、このようなあり方を続けた魂が、純粋に自分自身になって、汚れなきままに肉体をはなれて行くだろうと思うかね」
「むしろ思うに、そのような魂は、形而下的なものにしっかりととりすがられているのだ。肉体との交渉と結合が、その不断の密接な関係と長いあいだの習熟とを通じて、魂の中に抜きがたく植えつけたものによって・・・・・」
「そして、友よ、これが魂の重荷となることは疑いえない--形而下的なものは、重く、土の性をもち、目に見えるものなのだ。いまいったような魂は、これをかかえこんでいるために重圧を負い、ふたたび目に見える領域へと引きもどされる。それは見えざるものと見えざる(ハデス)の世界をおそれるからであるが、そのために魂は、世に言われているように、碑や墓のまわりをさまようのだ。事実そのあたりでは、なにか影のような魂の幻像がよく見られるということだが、これは、いまいっているような魂、浄められぬままに肉体からはなれ、「見えるもの」をふり捨てきらなかった魂のもたらす幻像なのであって、だからこそそれは人に見えるわけなのだ」
と、このように言っております。魂が自分を指すときと魂そのものをいっているときがあります。おそらく、小林秀雄も不可思議な魂というものを指して言ったものと思われます。しかし、池田さんについては分かりません。
茂木さんという方は、TVでもよく見ますが、そのような観念的なことも考える方ですか、興味ありますね。ところで、クゥオリアとは何ですか。
茂木さんが徹夜の研究をして、朝の始発電車で帰るときにモウロウとした頭でボウッと考えていたそうです。
> そのとき、ハッとクゥオリアの意味が解ったんだそうです。
>
> 「赤い色と云うのは解るが、赤の赤色らしさと云うものがそれだったんだ!」と思ったんだそうです。
>
> 赤色の赤らしさと云うのが、イデアなのかも知れません。
> この、赤色の赤らしさを感じ取る本体が、本当の自分に近い本体なんですねえ。
> 夢なら水のみずみずしさとか、毒々しさとかよくわかるんですけど、・・・。
※ どうぞ議論をお続け下さい。
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