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  • from: ueyonabaruさん

    2008年11月27日 15時58分31秒

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    エマ-ソンの日記から ①

     エマ-ソンを解説するのは私の手に余りますが。

     生没は、1803-1882です。メイフラワ-号でイギリスから清教徒たちがアメリカに渡ったのが、1620年です。独立宣言がなされたのが、1776年。南北戦争が1861年から1865年まで行われておりますが、これは日本の幕末、維新の頃にあたりますね。エマ-ソンは幕末から明治の初期に生きていたことになります。彼は、アメリカ文学の父とも、アメリカ思想の父とも呼ばれています。
     
     彼の思想を一言で言えば、超絶主義(Transcendentalism)となります。理想主義哲学、ロマンティシズム、インドのヴェ-ダの思想との関わりが挙げられるでしょう。でも、この説明はは参考程度にとどめた方がよさそうです。例えば、プラトンのことを一言で言えるでしょうか。イデア論者と括るには、やはり余ってしまいますよね。
     
     明治の知識人たちには大きな影響があったそうです。福沢諭吉、北村透谷、宮沢賢治など、多くのものが、彼の著作を読んだということです。生長の家の谷口雅春師は、生長の家はエマ-ソンを幽祖
    とするとまで言い切りました。生長の家は、エマ-ソンを幽祖とする光明思想に仏教理論を加えてできたという風なことを書いておられたことを記憶しています。

     多様なエマ-ソンですが、彼は日記を書いておりますので、そこからかいつまんでご紹介するのがよさそうです。以下抜粋です。


     叔母の信仰は、ぼくの考え得るあらゆる信仰のなかで至醇至高のものである。その信仰は、方便と、ひとつの目的にかなっているか否かを主眼とする、ひろやかな、深い、一風変った原理にもとずいているらしい。・・・・・彼女はいわば、彼女の宗教を奉ずる魔女であり、いつも自分を、狭い、だが崇高な小径を歩かねばならぬ人間だと考えている。その小径は、歓喜にみちた、荘厳な栄光の、はてしない世界に通じているのだ。

     われわれの内部に刻みつけられた「対比」の原理-どうしてこの原理は生まれたのだろう。・・・・・

     あと12日すると、ぼくは19才になる。これはみじめなことだと思う。教育のある人間でこの年齢まで生きて。こんなに多くの年月を無駄に費した者が、ぼく以外にひとりでもいるだろうか。・・・・・ぼくは、いまでは不遜な愚かしいものに見えるかも知れないが、将来偉くなることについて絢爛たる夢をいだいた人間なのである。ぼくの幼いころの想像は、ひたすら栄光を跪拝して、社会でいちばん高い位置を占めた人びとの栄誉を得ようと企て、歳月と時代の称讃によって聖別された人びとと名声を競うことさえ辞さなかったのだ。・・・・・この希望は、時折、ぼくが経験する、詩神たちの住む天界との高い交わりによってはぐくまれ、あおりたてられた。そうした交わりは、時あってぼくを、ふだんのぼくをはるかに超えた、異常な気持や感情の器とするのだった。・・・・・


     人間生活のもろもろ不幸を思って泣いてばかりいたヘラクリトスは馬鹿者だったのだ。あるいは美と階調が見えなかったり聞こえなかったりしたのであろうか。・・・・・ほんとうの哲学はもっと明晰な視力をもっていて、人間の状態の大きな不均衡のただなかにも、幸福の大きな均等化を認める。・・・・・人間の心は、崇高な「必然性」によって結合され支配されている調和ある全体を、認識することができる。ところでこの必然性は、その力強い環のなかに、多くの個人の自由を抱きしめ、何ものをも控除することなしに、すべてのものを、その正しい目的へと向けるのである。・・・

     人間にむかってぼくの頭をさげたり、畏縮した態度をとらなければならないいわれは無いのだ。魂を裸にしてみるとき、ただ毅然たる独立精神をもつ人間だけが尊敬に値するのだ。・・・・・だが、自分は測り知れぬほど高い運命を成就すべく生まれた不滅の存在であり、ぼくの道徳的知的属性は直接に全能の神に由来するものであって、神の子供としてのぼくの存在と状態は、同じく神の子供である他の人間の支配や意志からは永久に独立していなければならぬという事実を考えるときに、ぼくという人間は、自分の目からみて、人生におけるより高い位置に、よりよき自尊の念へと高められる。・・・・・敬虔なキリスト教徒だったら、自分の謙遜に淫することはないはずだ。創造主にたいする彼の崇敬の念は、創造物にたいする度外れな尊敬を禁ずるのである。

     ※以上は、エマ-ソンが20才までに書いていた日記からの抜粋です。私の本では、彼が20才で1823年のときから1838年までの日記が載っています。それ以降の日記があるかどうかは分かりません。次回は、20才からあとの分を若干引いてみたいと思います。

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コメント: 全3件

from: ueyonabaruさん

2008年11月28日 06時08分40秒

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「Re:Re:エマ-ソンの日記から ①」
> >まだ、彼女の本は1冊しか読んでおりませんね。 
> 彼女の「帰ってきたソクラテス」なんかは、どうでしょうか? 
 そうですね。早速注文します。

> >上のこと、非常にためになる解説です。キリスト教教義にひっかかったったようです。ざ-っと、上の感覚で読んで見ましょう。
> 具体的に、何と云う本の、どう云う文章に疑問を持たれたのでしょうか?
> もう少しお伝えできることもあるかも知れません。
 私のもっている本は、霊界日記(高橋和夫訳、たま出版)です。この本の43ペ-ジにある「というのは、類似した能力をもつ多くの霊があり、人間の記憶が、類似しているものに触発されて霊たちに表象されるとき、彼らは自分たちがその人間そのものだと考えるからである。・・・・・省略」のくだりが難解です。キリスト教教義とは関係ありませんが。

> 西洋においては、多くの人たちがキリスト教教義に縛られているように思います。
> ほとんどは教会の戒めであって、教会が決めたことなんです。
> パスカルほどの人でさえ、ずいぶん呪縛のなかにいるように思えるんです。

 パスカルより、アウグスティヌスの方が読みやすいですね。西洋文化における定義主義、規則主義、契約主義、聖書主義など、日本人とは異なる文化ですね。エマ-ソンは、キリスト教の形式主義に疑問を感じ牧師の職を辞するのですが、しかし、この伝統の形式主義というのは永遠に無くはならないのではないでしょうか。

> >実は、ハイデッガ-の「存在と時間」・・・・
> なんと、むずかしそうなものに挑戦されるのですね。(^.^)
> ぼくには、ぜんぜん分かりそうも無いです。
> 逆に物理学の説明のほうが、ぼくの性に合っているようです。
> なにかひらめくような文を見つけられましたらお伝えください。

 大川先生がアウグスティヌスはハイデガ-として生まれ変わったとおっしゃったので、それを吟味しながら学ぼうというものです。私の指針は全て大川先生にありますね。

> 昨日書き忘れたのですが、できるだけ「岩波文庫」の本を避けた方がいいんじゃないかなぁと思います。
> あの翻訳は難解なものが多いです。

 岩波は昔から、別の面から抵抗感がありますが、難しいのですか。それなら、易しいのを選んで参ります。

> >われわれの内部に刻みつけられた「対比」の原理-どうしてこの原理は生まれたのだろう。・・・・・
> するどいですね。ライプニッツを思い出します。

 対比の原理というのは何ですか。ソクラテスを思い出したので、引いてみました。若いエマ-ソンがこのような疑問を持ったことが
天才の証拠のように思いました。

> >創造主にたいする彼の崇敬の念は、創造物にたいする度外れな尊敬を禁ずるのである。
> ちょっとueyonabaruさんを、ちゃかしていいですか? 
> ueyonabaruさんの大川さんに対する尊敬は度外れ?・・・・ではない・・・、と思いますです。(*^_^*)

 度外れた大川信仰ですね。この知性こそ私の希望です。でも、疑問が生じたりするのです。


 エマ-ソンが愛した弟のチャ-ルズを偲んで日記に書いてある箇所がありますので見てみます。

「シェイクスピアに深い満足を覚えた趣味と魂、聖ヨハネと聖パウロと、イザヤとダビデを深く愛した魂・・・・・この地上では、二度とふたたび見ることはできないのだ。・・・・・彼の感覚はギリシャ人的だった。・・・・・彼と一緒に暮らすのは、すぐれた画家と一緒に暮らすようなものだった。私が口癖のように言っていたことだが、何でも彼が指摘するまでは、その事物を見ることをゆるされないが、指摘されたあとでは、私はいつまでも見飽きないのだった。・・・・・」

 聖書の読み方ですが、個別の人物の評価が見受けられますね。これは教義を離れた、自由な感覚による聖書の読み方だと言えます。エマ-ソンもそのように聖書にあたったように考えていいかと思います。
 

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from: リアリストさん

2008年11月28日 03時59分05秒

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「Re:Re:エマ-ソンの日記から ①」
> ぼくは「事実であること」と「そう信じること」とは、明確に分けられるものではないと思うのです。
> 日常一般的な生活上(巨視的)には、ほぼそのように分けられるのですが、さらに深く突き詰めると(微視的)だんだん分けられなくなるように思えます。
> このあたりの事情を主張しているのがドイツ観念論と、不確定性原理だと解釈しているんです。
> 「空」と「色」、両面からのアプローチだと思うのです。

不確定性原理によると、微視的には観測上の限界があり、「事実である事」は一通りには
決められない、あるいは、確率的にしか表現出来ないとなりますね。アインシュタインは
「神はサイコロを振らない」と言って、初めは認めようとしませんでしたね。
(位置と速度は同時には決められないでしたね)
hiraokaさんとの、やりとりで未来の事象は、当然「信じている事」過去の事実は、記憶等の
問題があり既に変容している。現在只今の自身の体験が、巨視的には最も「事実である事」
と言えそうですが、微視的には正確には決められない。

では、明確な線引きが出来ないから、何でもかんでも信じてしまっていいかというと
私は、自身の体験が最も信憑性が高いと思うのですよ。あるいは、それを客観的に記録した
ビデオやテープ、犯罪捜査で証拠とされるものは、信憑性が高いものですよね。
自身が犯していないにも関わらず、犯罪行為をした(冤罪ではなくて)確率が不確定性原理に
より超極微の確率であり得るのかも知れませんが、本当に有り得ない確率ですので通常は
無視しますよね。ですから、信じる根拠を「自身の体験」に置く姿勢は私にとっては合理的
だと思っております。但し、「あれ、家のカギかけたっけ?」と良く確認するのですが。。。
記憶が曖昧になるので、再体験するということですね。

私が厳密という言葉を使いましたので、このような話になったかと思いますが、光の性質
として「粒子」としての性質と「波」としての性質を合わせ持っているというのが
あったと思うのですが、この世界も万物が「多」として現われているように見えて本来
「一」なる存在だと思うのですよ。私はこの大宇宙、森羅万象を「天」(=神)として信仰して
おります。

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from: hiraokaさん

2008年11月28日 00時48分45秒

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「Re:エマ-ソンの日記から ①」
リアリストさま

>名前は、どこかで伺ったかもしれません。
そうでしたか。たくさんの人たちが同じような体験をしたんですね。

次に書くことについては、リアリストさんも忙しいようですから返答してくださる必要はありませんよ。
リアリストさんの求める探求の参考にだけ受け止めてください。
もう知っているかも知れませんけどね。(*^_^*)

ぼくは「事実であること」と「そう信じること」とは、明確に分けられるものではないと思うのです。
日常一般的な生活上(巨視的)には、ほぼそのように分けられるのですが、さらに深く突き詰めると(微視的)だんだん分けられなくなるように思えます。
このあたりの事情を主張しているのがドイツ観念論と、不確定性原理だと解釈しているんです。
「空」と「色」、両面からのアプローチだと思うのです。

ヒンドゥー教の考えの中に、「人生は神の見る夢(マーヤー)である」と云うものがあります。
これは、あながち間違いとは云えないように思えるのです。

「邯鄲の夢」とか、荘子の「胡蝶の夢」とか、熊楠さんによればアラブにもまったく同じ逸話が在るそうです。
この解釈も参考にされてください。ただし、虚無的にではなくなんです。
hiraokaがそんなことも云っていたなあ、くらいで結構です。

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ueyonabaruさま

>まだ、彼女の本は1冊しか読んでおりませんね。 
彼女の「帰ってきたソクラテス」なんかは、どうでしょうか? (*^_^*)

>上のこと、非常にためになる解説です。キリスト教教義にひっかかったったようです。ざ-っと、上の感覚で読んで見ましょう。
具体的に、何と云う本の、どう云う文章に疑問を持たれたのでしょうか?
もう少しお伝えできることもあるかも知れません。

西洋においては、多くの人たちがキリスト教教義に縛られているように思います。
ほとんどは教会の戒めであって、教会が決めたことなんです。
パスカルほどの人でさえ、ずいぶん呪縛のなかにいるように思えるんです。

ぼくはケイシーのリーディングの影響で、イエスのことを一生懸命に探求したことがあります。
彼の幼少時については、ほとんど分かっていないと云うのが定説です。
彼についての霊的伝記だけでも、ぼくの知る限り5冊くらいあります。

霊的伝記には、イエスの誕生以前からの事情もそれぞれに書かれてあります。
内容は、すべてバラバラです。
なかには、大川さんの講義で言っていたように、「イエスは今のインドまで行った」と云うのもあります。
大川さんによれば、「イエスはインドでサイババの前世の人と会い、彼のめざましい奇跡を見て、この奇跡の前には自分の使命などほんとうにあるのだろうか?とさえ思います。」と云っていたと記憶します。

また、「死海写本」のことや「エッセネ派」のことなども探求しました。
ぼくはこの探求で、「愛」こそがもっとも大切なものと確信するようになりました。

>これも、「神秘の法」に出てきます。シルバ-・バ-チと同じように、同じ頃、霊界思想を広めるため、天上界で計画されたとのことです。
ああ、すこしづつ思い出されました。そう云えば、ウォーレスのこともチラッと大川さんは言っていたように思います。

>実は、ハイデッガ-の「存在と時間」・・・・
なんと、むずかしそうなものに挑戦されるのですね。(^.^)
ぼくには、ぜんぜん分かりそうも無いです。
逆に物理学の説明のほうが、ぼくの性に合っているようです。
なにかひらめくような文を見つけられましたらお伝えください。

昨日書き忘れたのですが、できるだけ「岩波文庫」の本を避けた方がいいんじゃないかなぁと思います。
あの翻訳は難解なものが多いです。
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エマーソンの紹介、ありがとうございます。
今日わかったのですが、山口県の図書館にはエマーソンの本は無いそうです。
妹の言うには、「送料がかかるが広島の図書館から取り寄せることはできる」なんだそうです。

琉球大学にスェーデンボルグの本が無いそうですが、もっとひどい話を聞いてください。
うちの息子は国立のまあ有名大学に居るのですが、息子の言うには「ファインマンの本が図書館に無いから貸して欲しい。」とぼくに云うのです。
「そんなばかなことはぜったいに無いはずだよ。探し方が悪いんじゃないか?」と云うと、「ほんとに無いんだ」と云うのです。
息子のほうが間違っていることを心から願うばかりです。
いちおう日本を代表するような有名大学に、ファインマンの本が無いなどと云うことがほんとうなら担当者に怒鳴りつけたくなってしまいます。

>インドのヴェ-ダの思想との関わりが挙げられるでしょう。
ここは、ちょっと興味がありますねぇ。

>明治の知識人たちには大きな影響があったそうです。
なんか、これは聞いた事があるような気がします。

>生長の家の谷口雅春師は、生長の家はエマ-ソンを幽祖とするとまで言い切りました。
ほう、そうなんですか。なんか、ちょっと見えてきたような気がします。

>われわれの内部に刻みつけられた「対比」の原理-どうしてこの原理は生まれたのだろう。・・・・・
するどいですね。ライプニッツを思い出します。

>創造主にたいする彼の崇敬の念は、創造物にたいする度外れな尊敬を禁ずるのである。
ちょっとueyonabaruさんを、ちゃかしていいですか? 
ueyonabaruさんの大川さんに対する尊敬は度外れ?・・・・ではない・・・、と思いますです。(*^_^*)

次回を期待します。

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