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from: ueyonabaruさん
2008年11月29日 14時56分12秒
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エマ-ソンの日記から ⑤
神は君の内部に住んでいるということだ。これは比喩でもなければたとえ話でもない、多くの人びとも君も、この事実を知らない、だが神は存在するのだ。神は君の世
神は君の内部に住んでいるということだ。
これは比喩でもなければたとえ話でもない、
多くの人びとも君も、この事実を知らない、
だが神は存在するのだ。
神は君の世界のなかにいるのだが、
世界は神を知らない。
神とは、生命の多様な鼓動が別れてゆく
巨大な「心臓」だ。
覆いかくされているにせよ、
「無限なる者が」人間の胸奥に座している。
しかも君は君の客人をしらない、
君が何者を内に包んでいるかを知らない、
君の内部で彼の生命を覆っている雲は、
幾重にも張りめぐらされた君の罪悪の網の目だ。
彼の栄光はその網の目を通りぬけようともがきつつ
お前の悪の色に黒ずんでしまう。
だから、おお人間よ、
君の客人、君の魂の内なる魂の規模に合わせて振舞うがいい。
行くところどこででも堂々と振舞う
この使節にふさわしく
偉大であれ
君の魂に君をゆだねよ---
その支配に従え---
君に言うが、君の魂こそ神自身なのだ、
君という人間を通して、押しころした声で語り、
君という人間を通して、その光を奪われて外部を見ているが、
彼こそ「すべて」を支配するあの存在なのだ。
だが、もし君が彼の声に従い
その高貴な思想に従うならば、
彼の声は君の耳にいよいよ澄んで聞こえるようになり、
その光は君の目にいよいよ燦然と輝くようになるだろう。
いま彼を覆いかくしている雲は裂けて
君は主を見るようになるだろう。
だから偉大であれ、
高慢であってはならない--高慢であることを蔑むほど偉大であれ
君の目をきょろきょろさせるな、
片隅をのぞき込むな。
天真爛漫な神にふさわしく、
君の目の前をまっすぐに見よ。
君の私室にあっても威厳を失わず、
光にみちあふれて、そこを歩むがいい。
そして、王者が自分の国を裏切ろうとはしないように、
君も君の国を裏切ってはならない。
いまはじめて啓示されたことが
君にもよく理解できる
理由はこうだ、
全てのもののなかに住む「霊」が
君のなかに住んでいるからだ。
君が自然の法則を学び得るのは、
その法則をつくった者が君の胸のなかにひそんでいるからだ
だから、おお若者よ、
君がこの真理を知って愛するなら、君は幸福だ。
君は君自身にとって一つの法則なのだ、
万物の魂は君のなかにあるのだから
君は自分以外の何ものをも必要としない。
法則、福音、摂理、
天国、地獄、最後の審判、
真理と善の測り知れぬ倉庫、
こんなもののすべてを、君は
君のただ一つの心のなかに見いださねばならぬ、
他のどこにも見いだせないからだ。
君が法則なのだ。
君の心の奥まった部屋からの応答がなければ、
福音も、
平和や希望を啓示してはくれない---
他のものはすべて藁くずにすぎない。
それは未知の真理を啓示することなどできない。
摂理を実施するのは、
ほかならぬ君自身だ、
君の勤労には富を、君の怠惰には欠乏を、
善には栄光を、怠慢には蛾をさずける。
君は風を蒔けば、やがて旋風を刈り取る、
いつの時代にも君は、君自身の勤労の
賃金を支払うのだ。
内なる全能の精力(ちから)
徳を完成させ、罪悪をののしる。
徳はみずからの光でものを見る。
最悪はみずからのつくりだした夜の闇ののなかでつまずく。
君が正しいことをするのを是認するのはだれか。
君のなかにいる神だ。
君が不正にはたらくのを非難するのはだれか。
君のなかにいる神だ。
君のよこしまな行いを罰するのはだれか。
君のなかにいる神だ。
神のほかには何ものも存在しない。
どこを見ても
すべてのものが神にいそぎ帰ってゆく、
光も神のかすかな影ににほかならない。(1831.7.6)
from: hiraokaさん
2008年11月30日 01時53分58秒
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「Re:エマ-ソンの日記から ⑤」
リアリストさま
>hiraokaさんにはどうも「脳」という事に一つのテーマがあるように感じております。
あっははは、違います違います。(^.^)
ぼくは脳にぜんぜんこだわってませんよ。リアリストさんに合わせたつもりなんですが、別方面からの話でもかまいません。
こう書くからと云って、ぼくがリアリストさんより多く知っていると云う意味とは取らないでくださいね。
ぼくは、どんな方面からも神の一面を知る事ができるはずだと思っているんです。
大脳生理学を追求していっても、神の一面に触れることはできる、と思っているんです。
現代の脳科学者は皆、脳のどこに「記憶」と「自分」が在るのだろうと探っているのですが・・・、
ぼくはエドガー・ケイシーや高橋信次さんやヒンドゥー教や神智学の云うように、「想念帯」だとか「アカシック・レコード」と云われる物が在ると仮定したほうがよりよく現象を説明しているように思えるんです。
ぼくは、ほんとうに自分が病気かなにかで死んでも、ぼくは生きてるときとあんまり変わらないだろうなぁと思うんです。体が生きてるときとそのまま連続のように想像してるんです。
>ちょうど、昨晩ホーキング博士のことがテレビで放映されていました。・・・・
ホーキング博士すごいですね。大川さんは彼も菩薩のひとりだとか言ってましたね。
あっ、リアリストさんは、いったん全否定でしたね。(*^_^*)
↑(hiraoka流の冗談と受け取ってくださいよね。ぼくはぜったいに皮肉なんか云いません!)(^.^)
この人、メガネをかけたミック・ジャガーに似てませんか?
ALSの発病を知る以前の彼を知る同級生達によると、ほんとうにミック・ジャガーみたいに意地悪で皮肉屋で嫌な性格だったんだそうです。
で・・・、ぼくらは普通次のように期待するんです。
彼が車椅子生活になった後、彼は人から嫌われる性格を自ら変えて人への感謝を知る性格に変わったであろうことを期待するんです。
車椅子に取り付けられたコンピュータは、志を同じくする仲間達がボランティアで作ってくれた特別製ですね。
彼の予測はほとんど外れていますね。
でも、そんな事はほんとうにどうでもいいことなんですよね。
かれはインタビューで「ご自分の難病が無ければいいのにと思うことはありませんか?」と問われて、
「そんなことは、考えるだけ時間の無駄だ。」と云ったそうです。
「やはり、彼は大川さんの言うように菩薩だ」と思ってもいいのではないかと思います。
こんなことも、リアリストさんが、kkを全否定するのはむずかしい道のりではないかなあと思うんです。
↑ぼくのこう云う書き込みを、老婆心って云うのかも知れませんね。 (^.^)
>表在意識や記憶はすべて捨て去って、統一された存在と渾然一体となるのか、これは各人の信ずるところでよろしいかと存じます。
う〜〜ん、ここなんですよねぇ。ほんとに、それで気がすむんでしょうかねぇ・・・?
ぼくには、そんなことないように思えるんですが・・・・。
ぼくの力ではいまだに説明できませねぇ・・・。
これは、事実だと云いたいんですが、リアリストさんの云うとおりのこともあるようなんです。
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ueyonabaruさま
>スウェ-デンボルグの説く霊界は、やはり誰かの解説などが必要ですね。その都度教えていただければありがたく思います。
夢を思い出すときとまったく同じようなんです。
霊界日記の特徴は、ガイド無しで言葉も分からずに外国へ行った時のようなものなんです。
「睡眠は小さな死である」と云う説明がありますよね、たしかに睡眠中にその日の出来事を追体験しているようですので、「小さな死」と云えるんじゃないかなと思うんです。
「照魔の鏡」だとか「閻魔さまの裁判」だとか言われているものは、死後に人生の追体験をすることのようなんです。
ただし、生きてる時の反省と違うのは・・・、
自分が相手にしたことと思ったこと、そのとき相手が思っていた事が同時に分かるようなんです。
霊界日記に書いてある描写は、いつもスウェーデンボルグが見て感じたことと、見た対象が同時に書かれてありませんか?
>ソクラテスはエマ-ソンという魂で生まれ変わったことが本当なのだろうか、というのが一つのテ-マなのですが、現在は、そうかも知れないなという感じが少しあります。
エマーソンと云う人は「光明思想の祖」と云われている人ですよね。
う〜〜ん、ソクラテスの生まれ変わりなのかなぁ?
生まれ変わりは、ほんとに難しい命題です。
たしかに在るようなんですが・・・。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と云うのも生まれ代わりですしねぇ。
今のところ、ぼくの感想ではソクラテスとエマーソンは、別個の個性の魂のように思えるんですが・・・。
>大川先生は、ソクラテスはプラトンに比べ頭が悪かったという風に書いているようですが、・・・
あっははは。(*^_^*)
プラトンは頭が良すぎたんだと云うべきなんじゃないかなぁ。
以前にも書いたんですが、高橋圭子さんの本(平井さんの代筆?)に「ソクラテスはたいしたことないと思います」と云うのがあって、大川さんもそのように言ってるんです。
たしかに、ソクラテスは純朴な人ですが。
ぼくは偉大な人だと思うなあ・・・・。
ヘーゲルは「哲学史上、もっとも重要な人物だ」と云ってるそうですよ。
>この辺のところ、いつもhiraokaさんリアリストさんたちの議論を興味深く見て、参考にしております。
神はひとつのものにして完全無欠であったとすれば、それだけで自己完結していても不思議ではない筈なんです。それなのになぜ神は僕たちのような不完全なものを現出させたのだろうか? と云う疑問は必ず出てくるようなんです。
プロティノスはひとつの解釈として、完全無欠なものからあふれ出てくるのだと解釈したようです。
ぜんぜん別の考えとして、神はひとつで完結しているはずだが、そのままでは神が自分自身を神と知ることはできない。だから、まず自分自身を二つに分け、互いが互いを見ることによって元を知ろうとした。
と云う考えがあるんです。
ぼくは、こちらがより正しそうに思えるんです。
論理の矛盾が、包含されているように見えるからなんです。
>インドのガンジ-はソ-ロ-に大きく影響を受けたということです。ソ-ロ-は税金を拠出することを拒否したことでも有名ですが、社会にも目を向けていたのでしょうね。
へぇ〜! そうなんですか、知りませんでした。
>彼らは、自分自身で神学を創造するような面をがあるようです。
これこそ、ぼくらやueyonabaruさんがやらなければならないことと思えるんです。
ただし、ueyonabaruさんのような「信仰心」を忘れずになんですけど・・・。
>「 [337] エマ-ソンの日記から ④ 」
は、つっこみどころが多すぎてとてもこの場では収まりそうにありません。同意、不同意が多すぎるんです。
はなしが飛びすぎそうなので、ちょっとパスさせていただきます。
あまりに「その通り!」と云うのと「違うだろ!」が混在してるんです。
ひとつだけ・・・、
>こっけいなものによって表される真理も多いのだ。(1931.3.4)
これは、エマーソンが話のわかる好人物であったことを示していますね。
> [338] エマ-ソンの日記から ⑤
詩のような表現ですね。
ぼくは以前から思っていたんですが、なぜ「神は自らの内に在る」と云う思想が広まっていったのだろうと考えていました。
ほんらいならば(中世の暗黒時代と云われている頃には)、この思想は異端審問にかけられていたはずです。
ましてや、ホーキングが紹介した「人間原理」など、中世なら絶対にガリレオと同じ運命になるはずです。
ueyonabaruさんの探求されている、「霊界の計画とこの世の歴史が一致するか否か」は、ぼくは一致するほうに全財産を賭けます。
エマーソンも、そのような神の計画の一人であったと思います。
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