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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年12月03日 15時03分18秒

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    帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について

     表題の本から、271ペ-ジあたりからの池田さんの文章をueyonabaruのバ-ジョンで変えてみました。ソクラテスの言葉はそのままで、検死官の言葉を変更してあります。

     これの方が自然の会話に近いように思えます。プラトンの対話編も対話そのものに若干その設定に無理があるのかとは思いましたが、現在の時点で対話編をまねてしまうのはあまりに窮屈になるように思います。その窮屈性が説得性を減じるように思います。

     さて、池田さんの言いたいこと、すなわち結論なのですが、これがいきなり断定的にでてくるのも面食らうのは普通でしょう。
     池田さんがいう「何かが存在するということは、その言葉が存在するということなのだ。存在とは言葉に他ならないのだ」というあたりは哲学上だれの影響なのかお教えください。


    ソクラテス: すると、死というものは、見たり触ったりできるものではないということになるね。

    検死官: そうですね。当然じゃないですか。死というのは、肉体が動かなくなった状態をさして死というのではないでしょうか。

    ソクラテス: 死体は見たり触ったりできるものだけれども、死そのものではない。

    検死官: さきほどお答えしたように、肉体が動かなくなったら、それを死というのです。死体は、死そのものですよ。

    ソクラテス: すると、さっき君は、目で見え手で触れるものだけが実在すると言ったけれども、見えも触れもしない死そのものは、実在すると言えるのだろうか。

    検死官: 現に死体があれば、それを死と呼ぶわけで、実在するわけでしょう。

    ソクラテス: いやまったくもって不思議なことだ。奇妙奇天烈きわまりない。天網恢恢奇奇怪怪。

    検死官: なにをおっしゃいますか、ソクラテス先生。まじめにお話しください。

    ソクラテス: 実在するということは、存在するということでいいね。物質として実在するするのではないけれども、存在する死によって人は死ぬのだと君は認めたのだからね。

    検死官: また、先生は難しいことを言われる。存在する死によって人は死ぬなんて意味の分からないことをおっしゃったら、困ります。人は病気が原因か毒を飲んだことが原因であるかを問わず、体が動かなくなったら死なんです。

    ソクラテス: ところで、この、「存在する」ということは、いったいどういうことなのだろう。

    検死官: 存在するということはーーー存在するということですよ。何かがあるということですよ。

    ソクラテス: うん。存在するということは、何かがあるということだ。物質や肉体は、見えて触われるものとして存在するけれども感情や考えや精神的なもの、そうだなあ、人格なんてのも、見えも触われもしないけれども、確かに存在するものだよね。

    検死官: はい。

    ソクラテス: ところで、その人が生きているということは、その人が存在するということでいいかしら。

    検死官: はい。

    ソクラテス: 存在しなくなるということは、いなくなるということだ。

    検死官: はい。

    ソクラテス: いなくなるということは、無になるということだ。

    検死官: はい。

    ソクラテス: 無なんてどこに存在するのだ。

    検死官: えっ? 変なことをおっしゃる。

    ソクラテス: 無が存在したら、それは無ではないではないか。

    検死官: 先生、このごろおかしいですよ。うわさどおり、池田晶子さんとお付き合いしているのですね。影響がありますよ。池田さんの言葉遣いですよ、それは。いなくなるというのは、無になるということだと、先に先生が言われ、それには同意したが、それは、いなくなることが死であり、不存在のことであるということなんですよ、私は。

    ソクラテス: それなら無になることとしての死なんてものも、存在しないではないか。

    検死官: なんてことを。

    ソクラテス: 死なんか存在しないではないか。

    検死官: ああ、なんていうことを。

    ソクラテス: 人が死ぬということなんか、ないではないか。

    検死官: 私は毎日死をみているんですよ。

    ソクラテス: そうだろう。君が毎日見ている通り、現実に人は死んで死体になる。死体はやがて灰燼に帰す。しかし君はさっき、肉体と精神とは同じ「存在する」でも違う存在の仕方をしていると認めた。見えて触われる肉体は、見えも触われもしなくなるけれども、もともと見えも触われもしないところの感情や考えや人格なんかが無になったと、どうしてわかるだろうか。

    検死官: 人が死ねば、これに付随して存在した感情や考えや人格がなくなることは当然ではありませんか。

    ソクラテス: 無というものは、存在するだろうか。

    検死官: また、わけの分からないことをおっしゃる。これは、全て池田晶子さんの影響なのだ。ソクラテスより悪いのは、池田さんん方だ。もう、ソクラテスの話は聞くまい。これから、検察官のところへ行き、池田さんを逮捕し起訴するよう訴えてくる。  

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コメント: 全8件

from: ueyonabaruさん

2008年12月07日 15時22分27秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」
>
> 大川さんであっても、すべてを知っているとは思えないんです。
> どんな人でも肉体を持ったらそれは無理であるどころか、その人もその時代の制約から逃れられないだろうと思うんです。
> おそらく一人の人が全てを知る事ができたら、もう神の目的は達成されたはずだろうと思うんです。


 大川さんが全てを知っていないというのは、そうだとは思います。大川さんが、地獄界の地図を書きたいとおっしゃったのは事実ですので、ユタの霊界を統合した総合的な道しるべぐらいはできるのでは思うのですが。各自の数だけの霊界があるとして、そのままで満足してしまうのも、どうかと思うのです。だれかが、このあたりのこと、体系的にまとめる必要があると思っておりますが。

 総合的な道しるべはもう示したと大川先生はおっしゃるのかもしれません。



> >地獄霊も憑依をするわけですが、彼らは自分が死んだことは知っているのでしょうか。地獄にいても死んでないと思っているのでしょうか。
>
> いえいえ、彼らは「生と死」について一度も考えた事が無いはずです。
> 自分と云うものが、さまざまな見聞きする体験をしていることに何の不思議も思わないんです。
> ぼくらだって、「ああ、今自分は生きているんだなあ!」とか、滅多に思わないのと同じです。
> 池田さんは、根底にこの不思議さを痛烈に実感しているようです。

 池田さんは、観念的世界のみが実在するとのお考えではないでしょうか。
 地獄霊は「生と死」について考えたことがないということを挙げられました。そのほかに、地獄霊の特徴はなんなのかと、考えてみる必要はございませんか。一度、地獄とはなにか地獄霊の特徴などまとめて話したいですね。



> >地獄に堕ちなかったものたちは、死んで霊界にいることを知っており普段そこで生活をしており、時々はこの世に関心を示し、身近のもの達を助けたりするという具合に考えてよろしいでしょうか。
>
> ほぼそのようだと思われるのですが、ぼくは上述のことが正しいとは断言できません。
> 上述のように推測すると、生きている人が災難を避けられたのが霊界からの通信である場合、こちら側の人生の進行具合と、あちらがわのたまたまこちら側に関心を寄せたタイミングがなぜ合うのか? と云う疑問が残ります。

 そうですよね。もしかしたら、以心伝心の作用なのでしょうか。縁あるものとは、心の世界では結びついているということがあり、伝わるということでしょうか。このあたりも不明ですね。



> >東西で霊界構造が違うということになるのでしょうか。
> しくみはどの人にとっても変わらないと思うんです。
> 始めの頃に書き込んだように、人の数だけさまざまな霊界があるはずだと、ぼくは思っているんです。

 基本的な仕組みは同じということでよろしいですか。そして、こちらは役所のような仕組み、あちらはキリスト教教理の世界ということでしょうか。



> >。「それなら、生と死とは言葉じゃないか。この言葉なければ、生と死なんかどこにも存在しないじゃないか」というところ、興味はあります。すごい観念論です。もっと説明が必要ですね。対話形式ではなく、池田さんの哲学そのものを述べたものはないのでしょうか。対話形式のものは疲れるので、あまり読みたくないです。
> この観念論を言葉で説明するのには、ひじょうにもどかしさを感じますね。
> ソクラテス・シリーズの最後に、なぜ池田さんが対話形式にしたかを説明していますが、ややこしいです。

 読んでみたいですね。


> >極端な言い方ですが、大川さんを尊崇する私ですが、私自身が日々彼に論戦を挑んでいるともいえます。大方は負けているということなんです。
>
> う〜ん・・・・。
> 四大聖人に論争を挑んでも、まず負けるでしょう。
> 孔子と子路の最初の出会いなどは、論争以前に実にあっさり孔子に感服してしまいました。
> これは、子路が孔子のことを、「この人は、自分の知らないことを知っている!」と思ったはずです。
> おそらく、ueyonabaruさんも大川さんのことをそのように「尊崇」されているだろうと思うのです。
> 「尊崇」ではなくて「敬愛」されては、どうでしょうか?

 おっしゃるとおりです。しかし大川さんを批判するには、論争を挑むべきです。大川さんのここがおかしいというべきで、それには根拠もシッカリと付随しなければなりません。できる限りのことをすべきです。常識からみて批判するだけでは、まだ足りません。この人は常識を超えている人なのですから。池田さんもそのような面があります。



> >人間から争いをなくすことは不可能です。ですが、敵もあっぱれという大人の精神をもつことが大事です。そして、憎しみが生じたとしたら、それは解消すべき義務があるのです。
>
> まったく、ueyonabaruさんのおっしゃるとおりです。
> ぼくはリアリストさんをたいした人だと思っているわけなんですが、彼の原理である「平等」を「愛」に置き換えたほうがいいんじゃないかと伝えたかったのです。
> それを伝えたいと云う動機には、「論争」は無いんです。

 自由と平等でも、格差がでるとこれを補正しようというのは、愛の作用ですね。他力信仰やキリスト教などは神の愛に頼るものです。むろん、頼るだけでもよくないのですが。他方、アメリカに顕著な自己責任に基づく自由主義の価値もまたたいしたものです。現在アメリカ経済のグロ-バリズムがゆらいでいるようですが、これの行過ぎた面は修正し、自由主義経済が壊れないことを願っております。自由のない平等はいやです。hiraokaさんがおっしゃるように愛と自由こそが理想ですね。

 

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from: hiraokaさん

2008年12月07日 00時39分06秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」

ueyonabaruさん、こんばんは。

>大川先生は、初期の頃、地獄界の地図も作ってみたいとおっしゃっておりましたので、全て霊界についてはご存知であり、関心もおありだと思います。

大川さんであっても、すべてを知っているとは思えないんです。
どんな人でも肉体を持ったらそれは無理であるどころか、その人もその時代の制約から逃れられないだろうと思うんです。
おそらく一人の人が全てを知る事ができたら、もう神の目的は達成されたはずだろうと思うんです。


>地獄霊も憑依をするわけですが、彼らは自分が死んだことは知っているのでしょうか。地獄にいても死んでないと思っているのでしょうか。

いえいえ、彼らは「生と死」について一度も考えた事が無いはずです。
自分と云うものが、さまざまな見聞きする体験をしていることに何の不思議も思わないんです。
ぼくらだって、「ああ、今自分は生きているんだなあ!」とか、滅多に思わないのと同じです。
池田さんは、根底にこの不思議さを痛烈に実感しているようです。

>地獄に堕ちなかったものたちは、死んで霊界にいることを知っており普段そこで生活をしており、時々はこの世に関心を示し、身近のもの達を助けたりするという具合に考えてよろしいでしょうか。

ほぼそのようだと思われるのですが、ぼくは上述のことが正しいとは断言できません。
上述のように推測すると、生きている人が災難を避けられたのが霊界からの通信である場合、こちら側の人生の進行具合と、あちらがわのたまたまこちら側に関心を寄せたタイミングがなぜ合うのか? と云う疑問が残ります。
ぼくらにとっては時間と空間をない交ぜにして思考することはたいへん難しいことですが、これを解消するモデルが必要のようです。
もうひとつあります。
自分が死んでいることを知っていて、ぼくらが地獄と称しているところに居る人達も多く居るようなんです。

>東西で霊界構造が違うということになるのでしょうか。
しくみはどの人にとっても変わらないと思うんです。
始めの頃に書き込んだように、人の数だけさまざまな霊界があるはずだと、ぼくは思っているんです。

>池田さんのことです。hiraokaさんがおっしゃることは、ほとんど理解しますよ。

ああ、安心しました。同意していただいて嬉しいです。(*^_^*)

>。「それなら、生と死とは言葉じゃないか。この言葉なければ、生と死なんかどこにも存在しないじゃないか」というところ、興味はあります。すごい観念論です。もっと説明が必要ですね。対話形式ではなく、池田さんの哲学そのものを述べたものはないのでしょうか。対話形式のものは疲れるので、あまり読みたくないです。

この観念論を言葉で説明するのには、ひじょうにもどかしさを感じますね。
ソクラテス・シリーズの最後に、なぜ池田さんが対話形式にしたかを説明していますが、ややこしいです。

ueyonabaruさんは、池田さんの言いたいことはもう分かっていらっしゃるようですから、これ以上読む必要は無いのかも知れませんね。

>極端な言い方ですが、大川さんを尊崇する私ですが、私自身が日々彼に論戦を挑んでいるともいえます。大方は負けているということなんです。

う〜ん・・・・。
四大聖人に論争を挑んでも、まず負けるでしょう。
孔子と子路の最初の出会いなどは、論争以前に実にあっさり孔子に感服してしまいました。
これは、子路が孔子のことを、「この人は、自分の知らないことを知っている!」と思ったはずです。
おそらく、ueyonabaruさんも大川さんのことをそのように「尊崇」されているだろうと思うのです。
「尊崇」ではなくて「敬愛」されては、どうでしょうか?

>ギリシャ時代には、ソクラテスにやっつけられて腹を立てた人も多かったでしょう。

そうですね、ずいぶん恨みを買って死刑に追い詰められたわけですもんね。
池田さんも、ずいぶん多くの敵を作りました。
でも、そう云わずにはおられなかったんでしょうね。ひとつの使命なのかも知れません。


>人間から争いをなくすことは不可能です。ですが、敵もあっぱれという大人の精神をもつことが大事です。そして、憎しみが生じたとしたら、それは解消すべき義務があるのです。

まったく、ueyonabaruさんのおっしゃるとおりです。
ぼくはリアリストさんをたいした人だと思っているわけなんですが、彼の原理である「平等」を「愛」に置き換えたほうがいいんじゃないかと伝えたかったのです。
それを伝えたいと云う動機には、「論争」は無いんです。

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from: ueyonabaruさん

2008年12月06日 09時55分31秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」

> >もし私が、このあたりのことについて確たる知識があれば、彼らのことを理解できるし、時には正しい霊知識を教えてあげられるかもしれないと考えるんです。
>
> なるほど、そうだったんですか。 
> でも、彼らは霊能力が無いと自覚しているueyonabaruさんの云うことを聞いてくれるかなあ?
> ぼくなんかも、「あなたが霊現象を起こしてくれたら、信じるんだけどなあ・・・。」って云われたことが何度かあります。

 総合的な霊知識があれば、説得性はかなりでてくると思います。ユタの方々の心情ををホントに理解していなければならないでしょうね。できたら、彼女たち同様に、霊感があればさらによいのでしょうが。
 しかし、ユタの方々を説得するというより、むしろユタのところへ行きたい人を説得したいのです。私自身も説得したいのですね。そうです、整合性なんですよ。大川さんの説かれる霊界論は、ユタの霊界も含まなければならないと思います。そして、それを記述していただく必要があると思うんです。大川先生は、初期の頃、地獄界の地図も作ってみたいとおっしゃっておりましたので、全て霊界についてはご存知であり、関心もおありだと思います。


> こういう霊が地縛霊になったり、あちこちさまよったり、憑依したりしているようです。
> 断言はできませんが、どうもそのようです。
> 彼らの特徴は、自分がすでに死んでいることを理解してないようです。

 地獄霊も憑依をするわけですが、彼らは自分が死んだことは知っているのでしょうか。地獄にいても死んでないと思っているのでしょうか。地獄に堕ちなかったものたちは、死んで霊界にいることを知っており普段そこで生活をしており、時々はこの世に関心を示し、身近のもの達を助けたりするという具合に考えてよろしいでしょうか。



> > ユタのことに戻りますが、彼らにいわせると、あの世はこの世に似ていてこの世に役所があるように、あの世にも役所があり、種々の手続きがあるというのです。手続きの世界ということです。このような説明は二度ほど聞いております。
>
> あ、なるほど! わかりますわかります。巫女の人達でこういうふうに言う人たちはとても多いですね。
> う〜〜ん、中国の天帝を頂点とする感覚がありますねえ。
> ueyonabaruさんが求めている「信仰心」か、あるいは「そのほうが居心地がよいと思える世界」もそんな感じですよね。
>
> ユタの人の云われる「手続きをする相手」と云うのは、どのようなものなのでしょうか?
> おそらく、ユタの方にもよく分からないんじゃないかと思うんです。
> とにかくユタは、依頼者の願いについて一生懸命お祈りをするんです。
> で、そのお祈りをした相手と云うものについては漠然としているようなんです。
> これについては「霊言現象」とも関係があるようですので、これから先のテーマの一つにしておきませんか?
>

 そうしてください。


> >スウェ-デンボルグにこのような霊界の説明はあるのでしょうか。
>
> これについては、まったく無いと記憶していますよ。

 東西で霊界構造が違うということになるのでしょうか。



 池田さんのことです。hiraokaさんがおっしゃることは、ほとんど理解しますよ。それでも、池田さんはソクラテスにいじめさせているように思います。検視官は死んだことをさして死といい、それに対しソクラテスが死はあるということだね、そしてそれは「無」ということだねとたたみかけ、・・・・・・そこから、自分の存在論という土俵にに引き込んでいるのです。そして、「無」があるのかと詰問するわけでしょう。 
 検死官との対話は続いて、言葉と存在に話題が移りますが、そこのところでもやはり大きなテ-マを唐突にだしてきたようにおもいます。しかし、これは私も別に考えていきたいと思うテ-マでもあります。「それなら、生と死とは言葉じゃないか。この言葉なければ、生と死なんかどこにも存在しないじゃないか」というところ、興味はあります。すごい観念論です。もっと説明が必要ですね。対話形式ではなく、池田さんの哲学そのものを述べたものはないのでしょうか。対話形式のものは疲れるので、あまり読みたくないです。
 

 私はhiraoka-リアリスト論争という大げさな名づけをしましたが、論戦というのはいいものだと思っているんです。傷をつけたりつけられたりもあるでしょうが、大人の感覚をもっていればいいと思います。極端な言い方ですが、大川さんを尊崇する私ですが、私自身が日々彼に論戦を挑んでいるともいえます。大方は負けているということなんです。ギリシャ時代には、ソクラテスにやっつけられて腹を立てた人も多かったでしょう。

 人間から争いをなくすことは不可能です。ですが、敵もあっぱれという大人の精神をもつことが大事です。そして、憎しみが生じたとしたら、それは解消すべき義務があるのです。

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from: hiraokaさん

2008年12月06日 01時06分29秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」

>もし私が、このあたりのことについて確たる知識があれば、彼らのことを理解できるし、時には正しい霊知識を教えてあげられるかもしれないと考えるんです。

なるほど、そうだったんですか。 
でも、彼らは霊能力が無いと自覚しているueyonabaruさんの云うことを聞いてくれるかなあ?
ぼくなんかも、「あなたが霊現象を起こしてくれたら、信じるんだけどなあ・・・。」って云われたことが何度かあります。

> 家相が悪いので、先祖を祭るところへ祈りをするなどするいろいろと必要があるということです。それは、申しましたように、種々の事情で実施できませんでした。自分のもつ宗教を真剣にやったらどうかという言葉もいただきましたので、その方向で努力しているところです。

ああ、そういう事だったんですね。
ueyonabaruさんは、その助言に対して「そう云うことも、あるのかなぁ?」と感じられているわけですね。
その目的もあって、自分の中で整合性を求めていらっしゃるわけなんですね。
ぼくもこのことで父と論争した事がありますです。
ueyonabaruさんは、どのようにお考えなのでしょうか?

>余裕ができれば、もっと広い土地を求め、さらに静かな場所へ移りたいという希望がありますよ。

ああっ、うらやましい!! ぼくは、もう全部あきらめました。(*^_^*)

>私のイメ-ジで、どうも自信がないのですが、まず死んで49日前後ぐらいのところで、通常であれば三途の川を渡り、そして閻魔様の裁きの門に至り、その後天国か地獄に行くことになる、これを成仏という。

だいたい、その通りみたいですよ。

>ですから、地獄行きの方も成仏になります。そうではなく、地獄から天国へ移るをもって成仏するという見方(表現)もあると思います。

あ、なるほどそう思われてたわけですか!。
う〜ん・・・、 でもですね、地獄に行って「成仏」とはちょっと云えないんじゃないでしょうか?
「仏」は「仏陀、ブッダ」で、「悟った人」と云う意味だったと思うんです。

>裁きの門に至るまで、浮遊霊として長らくさまよっていることもあるのでしょうか。

これは、たしかに在るとぼくは思いますです。
こういう霊が地縛霊になったり、あちこちさまよったり、憑依したりしているようです。
断言はできませんが、どうもそのようです。
彼らの特徴は、自分がすでに死んでいることを理解してないようです。

>経済的発展については、大川先生の理論のとおりでしょう。私の場合は、今はジット待つの姿勢を維持する状況です。具体的には、機会を見つけてお話できるかもしれません。

具体的に聞きたいです。
ぼくの悩みのほとんどは経済的なものに起因しているんです。(同じですね) (*^_^*)
でも、「人はパンのみによって生きるにあらず」ですね。

> ユタのことに戻りますが、彼らにいわせると、あの世はこの世に似ていてこの世に役所があるように、あの世にも役所があり、種々の手続きがあるというのです。手続きの世界ということです。このような説明は二度ほど聞いております。

あ、なるほど! わかりますわかります。巫女の人達でこういうふうに言う人たちはとても多いですね。
う〜〜ん、中国の天帝を頂点とする感覚がありますねえ。
ueyonabaruさんが求めている「信仰心」か、あるいは「そのほうが居心地がよいと思える世界」もそんな感じですよね。

ユタの人の云われる「手続きをする相手」と云うのは、どのようなものなのでしょうか?
おそらく、ユタの方にもよく分からないんじゃないかと思うんです。
とにかくユタは、依頼者の願いについて一生懸命お祈りをするんです。
で、そのお祈りをした相手と云うものについては漠然としているようなんです。
これについては「霊言現象」とも関係があるようですので、これから先のテーマの一つにしておきませんか?

>スウェ-デンボルグにこのような霊界の説明はあるのでしょうか。

これについては、まったく無いと記憶していますよ。

>私はいろいろと知りたいのです。知ることが自分を救い、他人を手助けできると考えているのです。

そうですね、同感です。 もっとも、ぼくは自分の疑問で手一杯なんですけど・・。 (^.^)

>私が言いたいのは、検視官をあまりいじめてほしくないということなのです。・・・

あっははは〜〜〜。(*^_^*)
じつにueyonabaruさんらしい、やさしさです!
ぼくはueyonabaruさんのそういうやさしさから表れる文章が、とても好ましいものに感じられたんです。
あ〜、そうだったんですねえ、でも「検視官」は「読者」(ぼくら)なのだと思うんですよ。

ちょっとおおげさに言うと、
池田さんの主張することは、「みんな、このことに気づいておくれよ!」と云う菩提心から出たものかもしれません。
ソクラテスの一生も「みんな、このことに気づいてくれよ!」と云う人生だったと思うんです。
イエスの一生も「愛が一番大事なものなんだと気づいて欲しい!」と云う人生でしたし。
孔子も「一番大事なのは、仁なんだよ」って云い続けていたと思うんです。

>hiraoka-リアリスト 論争のように議論が必要ということなんです。

ぼくとリアリストさんの会話は、ぼくにとっては「論争」ではないんですよ。
ぼくは人を説得しようとは、まったく思ってないんです。
「どちらが、正しい」と云う絶対的基準はないけれども、「どちらが、心地よい?」と云う基準でぼくは考えてるんです。

> 有と無は対立概念です。論理でいけば、ここには存在論の介入する余地はないと考えます。中性なのです。・・・・

そうですね。国語のテストで反対語を書けとあったら「有」に対して「無」を答えなければならないわけですが、哲学のテストでは、そうはいかないだろうと思われるんです。
池田さんは哲学を話していると云うことになると思えるんです。
限られた読者にだけなんですけどね。

たとえば、物理学でも「有」についてのみ考察しているわけなんです。
「無」について考察することは、とても難しいというよりも「無」について考察しているそのことが、すでに「有」の立場で考察していることになるんです。

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from: ueyonabaruさん

2008年12月05日 11時38分10秒

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「Re:Re:Re:Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」

> ええ、理解してますよ。否定しているわけではないんです。
> でも、出場者が「この霊は成仏しました」と云ったとしたら、ぼくは「本当に?」と疑ってしまいますけど・・・。

 もし私が、このあたりのことについて確たる知識があれば、彼らのことを理解できるし、時には正しい霊知識を教えてあげられるかもしれないと考えるんです。


> あ、そうだ。庶民の悩みと云えば、ueyonabaruさんは金持ちになるためにはどうしたらよいか?と云うことでユタのところに相談されたと聞きましたが、金持ちになることと、家を移ることにどのような因果関係をユタは教えてくれたのでしょうか? 
> ueyonabaruさんは、ユタの言う言葉のどのようなことに納得されたのでしょうか?

 家相が悪いので、先祖を祭るところへ祈りをするなどするいろいろと必要があるということです。それは、申しましたように、種々の事情で実施できませんでした。自分のもつ宗教を真剣にやったらどうかという言葉もいただきましたので、その方向で努力しているところです。家相が、悪いというところで、がんばってみますが、余裕ができれば、もっと広い土地を求め、さらに静かな場所へ移りたいという希望がありますよ。


> 「裁きの門」と云うところがポイントのようですね。
> しかし、「裁きの門」に至るまでの時間となると、ぼくははっきり云えません。
> ひとつの可能性として、死後すぐに「裁きの門」が始まっているかも知れません。
> その場合、人生の追体験の途中で非常に強い経験のところで、死者が自分だと思っている実体が、その体験をうまく処理できずに堂々巡りをしている可能性もあります。
> その状態を「地獄」と称しているのかも知れません。
> もうすこし、考察してみたいですね。

 私のイメ-ジで、どうも自信がないのですが、まず死んで49日前後ぐらいのところで、通常であれば三途の川を渡り、そして閻魔様の裁きの門に至り、その後天国か地獄に行くことになる、これを成仏という。ですから、地獄行きの方も成仏になります。そうではなく、地獄から天国へ移るをもって成仏するという見方(表現)もあると思います。この辺が私はハッキリとは理解できておりません。裁きの門に至るまで、浮遊霊として長らくさまよっていることもあるのでしょうか。



> >はい、ueyonabaruさんの思われているとおりのようです。
> > ただ、貴重な霊界通信はそこまで説明しているゆとりが無いようなんです。
> > それで、ユタや巫女の位置づけに関する情報が少ないようですよ。
> >>  庶民の悩みに応えるには、そのようなところはとても大事なように思えるのですが・・・・・。
> ぼくも庶民でしてさまざまな悩みを抱えているわけなんですが、ueyonabaruさんの庶民としての目下の悩みとは、やはり金銭的なものなんでしょうか?
> それでしたら、ぼくも大いに同感しますです。
> このことは、切実なこの世的テーマですよね。 (*^_^*)
> ueyonabaruさんが、「理想的経済」についてテーマをお持ちでしたら、おおいに教えてください。

 経済的発展については、大川先生の理論のとおりでしょう。私の場合は、今はジット待つの姿勢を維持する状況です。具体的には、機会を見つけてお話できるかもしれません。
 ユタのことに戻りますが、彼らにいわせると、あの世はこの世に似ていてこの世に役所があるように、あの世にも役所があり、種々の手続きがあるというのです。手続きの世界ということです。このような説明は二度ほど聞いております。スウェ-デンボルグにこのような霊界の説明はあるのでしょうか。
 私はいろいろと知りたいのです。知ることが自分を救い、他人を手助けできると考えているのです。



  さて池田さんのことです。hiraokaさんのご説明で多く得るところがありました。

 私が言いたいのは、検視官をあまりいじめてほしくないということなのです。検視官を説得するのには、hiraoka-リアリスト 論争のように議論が必要ということなんです。または、パルメニデスの思想を挙げて説明をした上で、検死官に納得してもらうしかないでしょう。

 有と無は対立概念です。論理でいけば、ここには存在論の介入する余地はないと考えます。中性なのです。存在論で有と無のテ-マ挙げるのはしかし、可能です。この存在論が土俵の世界では、論じることは可能であり、無というのはありえないと言ってもかまいません。しかし、論理という土俵では、価値判断はないはずです。上と下、右と左、男と女、前と後、陰と陽、明と暗、等々には、何の価値判断はありません。


 
 


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from: hiraokaさん

2008年12月05日 00時50分01秒

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「Re:Re:Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」



こんばんは〜。

>テレビの霊番組は無視できません。むしろ、私の場合重視しているんです。こちらに、庶民の悩み、生活などがあるのですから。ユタの霊界に興味をもつのも、そのような感覚からです

ええ、理解してますよ。否定しているわけではないんです。
でも、出場者が「この霊は成仏しました」と云ったとしたら、ぼくは「本当に?」と疑ってしまいますけど・・・。

あ、そうだ。庶民の悩みと云えば、ueyonabaruさんは金持ちになるためにはどうしたらよいか?と云うことでユタのところに相談されたと聞きましたが、金持ちになることと、家を移ることにどのような因果関係をユタは教えてくれたのでしょうか? 
ueyonabaruさんは、ユタの言う言葉のどのようなことに納得されたのでしょうか?

>霊界移行後に裁きの門に至るまでどのぐらいかかるのかというのも分かりません。この辺のことを整理しておきたいのです。
> このことについては、ぼくは断定的なことが言えないんです。・・・・
> できるだけあいまいさを取り除きたいのですが、無理のようですか。

もう一度ご質問を読み直してみて、ueyonabaruさんの疑問がちょっと分かりました。
「裁きの門」と云うところがポイントのようですね。
これが、夢と死における追体験ですね。
どうも・・・、なかなか追体験しない人も多いようなんです。
人生を追体験して、それを本人がどのように思い、次はどのようにしようかと決心するまでは、生まれ変わることが無いのかも知れません。(想像です)
ちょうど、熟睡したかどうかみたいですね。
しかし、「裁きの門」に至るまでの時間となると、ぼくははっきり云えません。
ひとつの可能性として、死後すぐに「裁きの門」が始まっているかも知れません。
その場合、人生の追体験の途中で非常に強い経験のところで、死者が自分だと思っている実体が、その体験をうまく処理できずに堂々巡りをしている可能性もあります。
その状態を「地獄」と称しているのかも知れません。
もうすこし、考察してみたいですね。

>はい、ueyonabaruさんの思われているとおりのようです。
> ただ、貴重な霊界通信はそこまで説明しているゆとりが無いようなんです。
> それで、ユタや巫女の位置づけに関する情報が少ないようですよ。
>>  庶民の悩みに応えるには、そのようなところはとても大事なように思えるのですが・・・・・。

ぼくも庶民でしてさまざまな悩みを抱えているわけなんですが、ueyonabaruさんの庶民としての目下の悩みとは、やはり金銭的なものなんでしょうか?
それでしたら、ぼくも大いに同感しますです。
このことは、切実なこの世的テーマですよね。 (*^_^*)
ueyonabaruさんが、「理想的経済」についてテーマをお持ちでしたら、おおいに教えてください。

>> スウェーデンボルグの霊界日記の世界観と似ているように思えませんか? > ガイド役無しだったら、似た世界観になるように思えるんです。
> 再度、よく見てみます。

「世界観」と云うほどのものではないんですが、統一的な「世界観」が無いように見えませんか?
それが、良いとか悪いと云う意味ではないんです。

> エマ-ソンの思想には、自然という重要な一つのテ-マがあります。・・・・極端をいえば、彼はわれなりがありうるのです。

いい説明ですね。
子供のボーイ・スカウトのお手伝いをした頃の事を思い出します。

> 検死官とソクラテスの話のことですが、検視官(ほとんどの人が)が死は自分の体験から実際にあると言うと、ソクラテスは死とは結局は無のことだろう、無というのは存在するのか?と言葉の論理性に話を転換してしまいます。ここに無理があるように思います。

う〜ん・・・。 池田さんが正しいわけでもないんですよ。

>実際にソクラテスという方は、このようなことをいったのかどうかは不勉強で分かりませんが、仮に言ったとしたら、私はやはり適切なものではないといわざるをえません。

いえ、ソクラテスはこういう論理の使い方はしますが、このようなことは云ってないと思います。
逆に、ソクラテスの苦手部分だったかも知れません。

>無と有は対立概念ですから、無の立場に立てば有はなく、逆に有の立場に立てば、無はないのが当然でしょう。この二人の会話では、検視官はむりやり有の立場にたたされてしまい、詰問されているように思えます。

「無」と「有」は対立概念だと一般に思われていて普通はそれでいいのですが、その意味するところを扱い始めると対立概念ではなくなるんです。
これが、言葉のあやと云うか、言葉とイデアのギャップのようです。

何かを感じている「自分」と云うものは、たしかにそれ(自分)が「在る」と認めざるを得ないのですが、
では「自分」と云うものが「無い」状態(無我の境地とは違います)では、「何かを感じる主体そのもの」が無くなってしまうんです。
それで、完全な「無」は在り得ないことになってしまうんです。

デカルトは「我思うゆえに、我在り」と云う結論を出しましたが、このことについて昔の天声人語に次のような文がありました。

『デカルトの言う通りだとすると、動物には魂が無いことになるかもしれない。(ぼくの注・彼らは我思うとは思わないだろうから)・・・、彼は黒人には魂が無いと考えていた・・・』
ぼくはよく知りませんが、デカルトは動物には魂が無いと考えていたようなんです。
池田さんの功績は、デカルトの名言を一歩進めたように、ぼくは思っているんです。

「無い」と云う概念(イデア?)を、在りようがないと言い出したのはパルメニデスのようです。
池田さんは、この人の影響を受けているのかも知れませんね。

ちょっとこの事について検索しましたので、ぜんぜん知らない人なのですが、この人の意見を参考に貼り付けておきますね。
↓以下はネットで検索したものです。

>「在るものは在り、無いものは無い」、エレアのゼノンの師パルメニデスの言葉だ。彼は、この原理に従って論を進め、虚無の存在を前提とする生滅を否定し、在るものは唯一、不生不滅、不変不動で、しかもそれは球形であると主張した。

この原理はうなずける。私は、どうも、「無から有、有から無」というのは、うさんくさく感じる。不変不動でないにしても、不生不滅ではないかと思っている。

この世は、有か?無か?もちろん有であろう。

「感覚ありき、ゆえに有なり。感覚を認識す、ゆえにさらに有なり。あるものはある、ゆえに、意識がなくても有である。」

死は、消滅、無ではない。意識がなくなるだけだ。夢を見ない熟睡。あんな感じだろう。意識がなくなっても、遺体はある。土葬にしても火葬にしても、その個体を構成していた粒子は姿、形を変え、その人の死後も実在し続ける。つまり、徳川家康は、今も実在しているわけだ。生きていても死んでいても、宇宙の一部、有の一部に変わりがないのである。圧倒的な有の現実の前で、無は空想の産物となる。有は有のみ、無の入り込む余地はない。空間も有だ。無ではない。物質が収まっている器だ。

「無から有、有から無」は、もはやナンセンスとしかいいようがないであろう。

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from: ueyonabaruさん

2008年12月04日 09時48分16秒

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「Re:Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」
> >hiraokaさんが、このブログを見つけたのはどのような方法によったのですか。

 検索の件、よく分かりました。

> >たくさんのアクセスがあるのですが・・・
> ここのサービスが、どのような方法でカウントを調べているのか公表していないので、じっさいの所はほんのわずかの人達しかすべてを読んでいないだろうと思います。

 カウントは、このブログのどれかにアクセスしたものをすべてカウントするようですので、必ずしも読者数とはならないでしょうね。

>> まったくそのとおりであります!! 憑依霊を追い払っただけです。
> このことは、高橋信次さんも大川さんも強調していましたよね。
> 新約聖書にもイエスの言葉として、同じことが比喩で書かれています。
> 憑依霊は憑依霊で良くないんですが、それを呼び寄せているのは本人なんですよね。
> 本人が変わらなければ、決して事態は変わりませんよね。
> これを、「腐れ縁」と云うんでしょうね。(^.^)

 テレビの霊番組は無視できません。むしろ、私の場合重視しているんです。こちらに、庶民の悩み、生活などがあるのですから。ユタの霊界に興味をもつのも、そのような感覚からです

> > 4次元霊界に地獄と天国の両方の世界があり、5次元以上はすべて天国という風に考えております。
> リアリストさんは嫌かも知れませんが、ぼくもだいたいその二分法でいいだろうと思います。
> 分かりやすいですもんね。(^.^)

 大川先生のご本からそのような分別をしたのですが、これも今までにない、霊界論ではないでしょうか。これはそのまま、みなに伝えるようにしましょう。こういう明快な論理はいいですね。

> >また、霊界移行後に裁きの門に至るまでどのぐらいかかるのかというのも分かりません。この辺のことを整理しておきたいのです。
> このことについては、ぼくは断定的なことが言えないんです。
> と云いますのは、とにかくあの世では「時間」と「空間」がごっちゃなんです。「時空間は無い」と云ってもいいと思います。

 できるだけあいまいさを取り除きたいのですが、無理のようですか。


> >ユタの世界が、悪霊や地獄霊などとのみ関わるのではないように思うんです。
> はい、ueyonabaruさんの思われているとおりのようです。
> ただ、貴重な霊界通信はそこまで説明しているゆとりが無いようなんです。
> それで、ユタや巫女の位置づけに関する情報が少ないようですよ。

 庶民の悩みに応えるには、そのようなところはとても大事なように思えるのですが・・・・・。

>
> >ユタの霊界とはどのようなものなのか、・・・
> スウェーデンボルグの霊界日記の世界観と似ているように思えませんか?
 > ガイド役無しだったら、似た世界観になるように思えるんです。

 再度、よく見てみます。



> >さて、池田さんの言いたいこと、すなわち結論なのですが、これがいきなり断定的にでてくるのも面食らうのは普通でしょう。
> ここのところで、ハッキリ二つの人達に分かれるようですね。
> 同意する人にとっては同意できて、同意できないひとには同意できないようです。

 池田さんの結論は、私としては、同じ思想をもっておりますので、心強く思うのですが、やはり段階的に説明してもらいたいです。
 エマ-ソンの思想には、自然という重要な一つのテ-マがあります。この自然は、人間存在とすごく深く関わっており、たとえば晴天、曇天、嵐、風、毛虫、鳥、魚などの自然の事象は自己のうちにあるなにものかと照応するというのです。自然との一体感とも普通いいますね。彼ら超絶主義者たちは、自然の事象のみならず、宗教も哲学もそのように自分自身の内面に深く引き寄せて考えていくのです。これはなにも彼ら超絶主義者たちだけのものでもないでしょうが、大方が納得できる思考だと思います。このようなことから、他人というものに対しても、自己のうちに取り込み、自他一体の方向へと進まざるを得ないと思われます。極端をいえば、彼はわれなりがありうるのです。
 池田さんもそのようなことをおっしゃているので、エマ-ソン同様、観念主義、理想主義者と私はおもいます。しかし、池田さんの論理で他者の理解を求めるところに違和感を感じることはたびたび申しております。

 検死官とソクラテスの話のことですが、検視官(ほとんどの人が)が死は自分の体験から実際にあると言うと、ソクラテスは死とは結局は無のことだろう、無というのは存在するのか?と言葉の論理性に話を転換してしまいます。ここに無理があるように思います。実際にソクラテスという方は、このようなことをいったのかどうかは不勉強で分かりませんが、仮に言ったとしたら、私はやはり適切なものではないといわざるをえません。検視官は現実論者もしくは唯物論者としての設定なので、それを前提とした上での会話の可能性を見つけなければなりません。
 無と有は対立概念ですから、無の立場に立てば有はなく、逆に有の立場に立てば、無はないのが当然でしょう。この二人の会話では、検視官はむりやり有の立場にたたされてしまい、詰問されているように思えます。

> ueyonabaruさんは、これが引っかかるんでしょうね。
> 「「無」と云う意味のもの、そのものが存在できるであろうか?」と考えてみてください。
> 「無」と云う意味そのものは「無い」と云うことなので、「無い」ものが在ると云うことは論理の矛盾としていつまでも付きまとうんです。
> 逆に言うと、「存在するものは「無」ではない。すると、在ると思えるもの中には「無い」と云うものが無い」と云うことになりますね。
> だから「色と無」ではなくて、「色と空」なんです。
> 「空」は「無いように見えるもの」なわけなんです。
>

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from: hiraokaさん

2008年12月04日 01時25分50秒

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「Re:帰ってきたソクラテスから「死ぬのは誰だ」について」
ueyonabaruさん、こんばんは

>* hiraokaさん#349を読むの抜かしておりますよ
ああ、すみません。ほんとでした。

>hiraokaさんが、このブログを見つけたのはどのような方法によったのですか。
はい、ぼくは幸福の科学からしばらく遠ざかっていたので、ぼくに本を贈ってくださった方に誠実に答えるためにも、現状の幸福の科学がどうなっているのか調べる必要がありました。
こういう場合、普通最初にやることはグーグルなどで「”幸福の科学 疑問 現状”」などのAND検索を行います。
ずらっと出てきた検索結果から、「幸福の科学研究会」を選びそれを読みました。
その文中からueyonabaruさんやtamaさんやリアリストさん達の会話を読みました。
ueyonabaruさんの誠実な文章に感ずるものがあって、ueyonabaruさんのブログを今年の1月分まで読みました。
僕と対話する直前のものをまだ読んでませんので、早く読まねばと思ってます。

>今日、幸福の科学で検索をしたのですが・・・・
おそらく、キーワードを一つだけにしたのだろうと思います。
上述のようにAND検索をしなければ膨大な検索結果になりますので、その中から目的のものを探し出すことは大変です。
グーグルでは単語をスペースで区切るだけで、AND(論理学で云う『AかつB』)検索になります。

>たくさんのアクセスがあるのですが・・・
これはあんまり信用しない方がいいですよ。
ここのサービスに限らず、ほとんどどこでも運営資金は広告と消費者情報の提供でまかなわれているようです。
それで、テレビの視聴率と同じように、どこのサービスも多めにカウントするようにしていると思われます。
ここのサービスが、どのような方法でカウントを調べているのか公表していないので、じっさいの所はほんのわずかの人達しかすべてを読んでいないだろうと思います。

ネットの世界と霊界は、ある意味似たところがありますね。
ネット界だけでも、ものすごく広大です。なかには、ueyonabaruさんが、見たら卒倒するかも知れないようなものだってあるんです。(*^_^*)

-------------------------------------------------------------
↓351番の返事です。

> この成仏ということなのですが、前に書きましたテレビの霊番組でのこと、霊能力者が祈祷をすることにより憑依していた霊が被憑依者から離れていく様子をを成仏といっておりました。

テレビ霊界番組は、信用なさらないほうが良いと思うんです。
まさに盲人が盲人を導くようなありさまに見えます。(ぼくも盲人なわけですが)

>これは、その霊が憑依を止め霊界に移行するだけのことであって、その後に三途の川を渡り、そしてゆくべきところへ赴くということではないのかという疑問があるのです。天国へ行くか地獄へ行くかが決まる段階以前のことではないかと思っておりますが、いかがでしょうか?

まったくそのとおりであります!! 憑依霊を追い払っただけです。
このことは、高橋信次さんも大川さんも強調していましたよね。
新約聖書にもイエスの言葉として、同じことが比喩で書かれています。
憑依霊は憑依霊で良くないんですが、それを呼び寄せているのは本人なんですよね。
本人が変わらなければ、決して事態は変わりませんよね。
これを、「腐れ縁」と云うんでしょうね。(^.^)

> 4次元霊界に地獄と天国の両方の世界があり、5次元以上はすべて天国という風に考えております。
リアリストさんは嫌かも知れませんが、ぼくもだいたいその二分法でいいだろうと思います。
分かりやすいですもんね。(^.^)

>また、霊界移行後に裁きの門に至るまでどのぐらいかかるのかというのも分かりません。この辺のことを整理しておきたいのです。
このことについては、ぼくは断定的なことが言えないんです。
と云いますのは、とにかくあの世では「時間」と「空間」がごっちゃなんです。「時空間は無い」と云ってもいいと思います。
だとすると、「地獄に100年居ます」と云っても100年くらいに感じると云うことなんでして、実際には時間で計れないようなんです。
この世でも、「二十歳になるまでは長かったが、その後はあっという間だった」とか、「遠足の行き帰りの時間感覚」とか、本にもなった「ゾウの時間ネズミの時間」と云った主観適感覚が、霊界では増長されるようなんです。
それで、もし霊界に「時空間の概念は無い」とすると・・・、
地獄に100年居ましたと云う体験は、つまり「その人にとっては、その人の中にその人の思う地獄が在り、かつそれは100年分に相当するような苦しみとして感じるであろう」と思えるんです。

>霊現象が起こったのではありません。金銭欠乏症がおこったのです。女房にせかされて、ユタのところへ行きました。女の人は、ユタに熱心ですよ。

ああ、そうだったんですかぁ〜〜。 同類相憐れむ・・・ (*^_^*)
いやあ、みんなほとんどの人が「金銭欠乏症」ですよね。
これについては、「神頼み」をぜひあきらめて、「どうすれば、儲かるか?」を考えて実行するか、あるいは「かつかつ食べていければ、それで良し」と腹をくくることしか、ぼくにはお伝えできません。
ちなみに僕はこれを同時にやっておりますが・・・・、う〜〜ん、やっぱり苦しい!。(^.^)

このことについては経済の話題でまたお話しましょう。あんまり、参考にならないかも知れませんが・・・。

>ユタの世界が、悪霊や地獄霊などとのみ関わるのではないように思うんです。
はい、ueyonabaruさんの思われているとおりのようです。
ただ、貴重な霊界通信はそこまで説明しているゆとりが無いようなんです。
それで、ユタや巫女の位置づけに関する情報が少ないようですよ。

>ユタの霊界とはどのようなものなのか、・・・
スウェーデンボルグの霊界日記の世界観と似ているように思えませんか?
ガイド役無しだったら、似た世界観になるように思えるんです。

>大川霊界論とどのようなかかわりが持たせられるかなど考えております。
大川霊界論では霊界の下層段階に位置づけていますので、問題にしないと思います。
大川さんはアニミズムが嫌いなようです。
宮崎駿男さんのアニメ映画を批判していますよね。
たしかに、アニミズムの世界に長くいても悟るのはむずかしいだろうと思えます。

↓エマーソンの日記に対してです。

> そんなこともあったのかもしれませんね。それにしても、彼の自己信頼の気持ちの強さには、驚かされます。 
悩んだからこその自己信頼ですよね。
どうしても、ぼくたちは次のような器であるようですね。

「あるものを得るためには、別のものを捨てる」
「あるものを得るためには、その裏の物も同時に得なければならない」

-----------------------------------------------------------------------------------------

↓352番の返事です

>さて、池田さんの言いたいこと、すなわち結論なのですが、これがいきなり断定的にでてくるのも面食らうのは普通でしょう。
ここのところで、ハッキリ二つの人達に分かれるようですね。
同意する人にとっては同意できて、同意できないひとには同意できないようです。

> 池田さんがいう「何かが存在するということは、その言葉が存在するということなのだ。存在とは言葉に他ならないのだ」というあたりは哲学上だれの影響なのかお教えください。

申し訳ありません、誰の影響なのかわかりません。
「始めに言葉ありき」と云う聖書の言葉を池田さんが知っていることは分かっていますが・・・、

このことについては多くの人達がいまだにああでもない、こうでもないと喧喧額額やっておるようです。
みんなの影響を受けたように、ぼくには思えます。

たとえば、「机」と云う概念(イデア?)を考えてみますと、「3〜4以上の足を持ち、上面が平らな物」と云う概念をぼくらは持ちますね。
そのことが、だれにでも分かると云うことが不思議なんです。
「机」「デスク」「テーブル」「台」、これらに共通する物を、ソクラテスはイデアと定義したのだと思うんです。
共通しているからこそ、言葉が違っても解かりあえるのだろうと思うんです。

>ソクラテス: 無というものは、存在するだろうか。

ueyonabaruさんは、これが引っかかるんでしょうね。
「「無」と云う意味のもの、そのものが存在できるであろうか?」と考えてみてください。
「無」と云う意味そのものは「無い」と云うことなので、「無い」ものが在ると云うことは論理の矛盾としていつまでも付きまとうんです。
逆に言うと、「存在するものは「無」ではない。すると、在ると思えるもの中には「無い」と云うものが無い」と云うことになりますね。
だから「色と無」ではなくて、「色と空」なんです。
「空」は「無いように見えるもの」なわけなんです。

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