サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: ueyonabaruさん
2008年12月10日 14時57分13秒
icon
小林秀雄の批評
このごろ、池田さんのことを気にしていたら、彼女が尊敬する小林秀雄を読みたくなり、今朝、何十年ぶりかで「考えるヒント」を手にしてみました。若いときには理解できなかったところが、スラスラと読めるのです。うれしかったですね。そういえば、プラトンも若い頃はそんなに身近には感じていなかったようにも思えてきました。
60歳を過ぎてまた勉強です。若いときの勉強には、希望がありました。たくさんの本を読み、偉くなり名を挙げたいという、欲望もありました。いま、何のために勉強するというのでしょうか。社会的な果実ももう得られませんよね。
小林秀雄の「考えるヒント」を読んで、自分自身も反省させられた箇所を引いてみます。
「そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気付く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。」
「批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を言う退屈を、非難否定の働きの非生産性を、よく承知しているはずなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張というものがあるからだろう。主張するためには、非難もやむを得ない、というわけだろう。」
「しかし、もし批評精神を、純粋な形で考えるなら、それは、自己主張はおろか、どんな立場からの主張も、極度に抑制する精神であるはず。でも、そこに、批評的作品が現れ、批評的生産が行われるのは、主張の断念という果敢な精神の活動によるのである。・・・・・論戦は、批評的表現の一形式に過ぎず、しかも、批評的生産に関しては、ほとんど偶然を頼むほかないほど困難な形式である。」
コメント: 全7件
from: hiraokaさん
2008年12月13日 00時51分44秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:Re:小林秀雄の批評」
ueyonabaruさん、こんばんは。
>ホントによく孔子の活動の意味がよくわかりますね。子路は実際には描かれているような性格の方だったのでしょうか。作者は、このあたりを調べて、書いたのだろうとは思います。子路と自分が一緒に考えることもありました。
子路はこの通りの純朴な人だったようですよ。
大川さんも講義で、「ほんとは孔子は、子路が一いちばん好きだったんですけどね。・・・」と云うことを云っていたと記憶しますよ。
「堂に入る」と云う言葉がありますよね。
これも、音楽を奨励した孔子の言に従っておよそ音楽とは似つかわしくない子路が一生懸命練習しているのを他の弟子が冷やかしているのを孔子がかばって云った言葉なんだそうです。
「堂」は広間の意味で、「いやいや、彼(子路)の演奏も堂で演奏できるくらいになったよ。」と他の弟子達に云ったそうなんです。
中島敦さんは漢学者の家柄で湯川秀樹などと同じように、素養として子供時代から漢文に親しんでいたようですが、本人は時代の趨勢と古色蒼然たる漢文の世界にもどかしさを感じていたようです。
伯父にあたる人に「斗南」の号を称する人が居て、この人についてのすばらしい思い出のエッセーがあります。
作品は「斗南先生」として、青空文庫でも読めると思いますよ。
この、エッセーはすばらしいです。
>「山月記」のトラさん自分に引き写して考えてしまいますね。孤独で淋しいトラです。
ほんとにそうですよね! 自分をトラに投射しなければ、この作品を読む価値は無いくらいですよね。
> スティーブンソンの伝記なのでしょうか。この作品の背景、構成などお分かりだったら教えてください。映画を見るように読んでいます。今日も続きを読みます。
伝記ではないと思われます。スティーブンソンについての資料はいろいろと集めていたようです。
彼は小説家として自立したいと云う希望があったのですが、生活費を稼ぐために東京帝大を卒業して女学校の教師になり、嫌になってやめ、南方の植民地の日本語教師として赴任しました。
おそらく給料が良かったのだろうと思います。
ここでも仕事が嫌で、日本の出版社と連絡を取り合いながら「光と風と夢」を書きました。
最初は違う題名だったのですが、出版社の「内容を推測できないような題名にして欲しい」と云う依頼を受けて、この題名にしたんです。
中島さんは皮肉なことに、自分が嫌気のさしていた漢文の世界を現代に翻訳する特異な才能を持っていたんですが、それらの作品は当時の文壇には古臭いものと受け取られていましたし、本人もそう思っていたようです。
> どうしても旧約を引きずってしまい、つじつまを合わせようとする作業がでてきます。アウグスティヌスもそのような作業をしているように見えます。みなそのような矛盾に悩むのでしょう。
ほんとに、そうですね。
アウグスティヌスの悩んでいる所なども、現代のぼくらから見ればもどかしさを感じるのですが其処こそ彼の良きところであり、ぼくらの感動するところなんだろうと思います。
>生長の家の谷口雅春師は、エホバの神を因果をあらわす象徴として解釈しようとしていたと思いました。大川さんは、いろいろの神様が語っていると理解します。大川さんの考え方が非常に単純で分かりやすいですね。
大川さんの解釈のほうが、真相に近いとぼくも思いますです。
いろいろな土着信仰が集成されながら、統一神を求めていった記録ではないかと思います。
>エマ-ソンたちは、自由に、旧約のある神様が好きだとか言ったりしますね。
そうなんですか。
う〜ん、今の時代はありがたいです。求めて探し続ければ、きっと情報が手に入る時代にありがたさを感じられずにはおられません。昔の人達のほうが、はるかに大変だったはずですよね。
> 多分叔母に聞いてもわからないと思いますよ。この間、アウグスティヌスを読んだときに、旧約とのつじつまあわせのことをこちらが話したのですが、複雑な表情と無言がありました。一修道女に答えを求めるのも酷だと思い、それ以上は聞きませんでした。
あ〜、そうなんですか・・・。
団体の中に居てさらに進歩を求めようとすると、必ず相克をおこしますもんね。
それが、結構つらいものなんですよね。
>おっしゃるところ分かるような気がします。彼らの全てを否定してしまうのも酷ですね。
同意していただいて、ありがとうございます。
ですが、ぼくもueyonabaruさんもいまだに天国と地獄の実相について悩んでいますよね。
原爆を作った人達は、どうなんでしょう?
カラシニコフ銃を設計した人は、どうなんでしょう?
おそらくカラシニコフ銃のほうが、原爆よりも多くの人達を不幸にした筈なのですが、罪の軽重を天網はどのようにして解決するのでしょうか?
子供のときに読んだ文に「第二次大戦では、迫撃砲がもっとも多くの人を殺傷した」とあり、とてもびっくりしたことがありました。
>時代の風潮でしょうかやはり多くのものが唯物主義に引っ張られていったということはありましたね。
たしかに、そのように思われます。
そして、必ずそのゆり戻しが来るようです。このことを螺旋と表現したり、「正反合」と表現しているように思うんですよ。
>「弟子」や「山月記」のインパクトが強かったので、少し長い「光と風と夢」まで読んでしまいました。私は、高校時代に夏目漱石を読んで以来、小説をあまり読んでおりません。
ええ、ぼくもある時から小説とジャズを捨ててしまった年代なんですよぉ〜〜。(*^_^*)
from: ueyonabaruさん
2008年12月12日 20時57分48秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:小林秀雄の批評」
中島敦の「光と風と夢」を読み終えました。スティ-ブンソンの伝記風に書いた、中島の小説なのでしょうか。
そうであれば、スティ-ブンソンのことを相当に勉強しているでしょうね。スティ-ブンソンへの一体的理解がないと書けないでしょう。それに、出てくる欧米の小説家などの引用が的確なのには驚かされます。スティ-ブンソン本人の表現かと思うほどです。
中国の漢文世界だけでなく、西欧の文化にも通暁している知性に脱帽です。
「弟子」や「山月記」のインパクトが強かったので、少し長い「光と風と夢」まで読んでしまいました。私は、高校時代に夏目漱石を読んで以来、小説をあまり読んでおりません。
from: ueyonabaruさん
2008年12月12日 09時57分31秒
icon
「Re:Re:Re:Re:小林秀雄の批評」
> ぼくは「論語」はすばらしい叡智だとは感じていたのですが、漢文独特のそっけなさから、いまひとつ孔子の人物像がイメージできませんでした。
> しかし、「弟子」を読んで一気に孔子の人となりが、すごく身近に感じられるようになりました。
> この作品は、「論語」の副読本とも言えるものだと思います。
ホントによく孔子の活動の意味がよくわかりますね。子路は実際には描かれているような性格の方だったのでしょうか。作者は、このあたりを調べて、書いたのだろうとは思います。子路と自分が一緒に考えることもありました。
> 「山月記」は教科書に載ったので、ずいぶん有名になりました。
> 「説教くさいのが嫌だ」と云う昨今の風潮で避ける人も多いかもしれません。
> 「光と風と夢」はスティーブンソンについての中篇ですね。この作品は賞を受賞するはずでした。
> スティーブンソンは、当時の日本政府が日本に教授として招聘しようとしていた人だそうです。
「山月記」のトラさん自分に引き写して考えてしまいますね。孤独で淋しいトラです。
スティーブンソンの伝記なのでしょうか。この作品の背景、構成などお分かりだったら教えてください。映画を見るように読んでいます。今日も続きを読みます。
> パウロはいっそのこと旧約聖書を棄ててしまえばよかったのに、と思うんです。
どうしても旧約を引きずってしまい、つじつまを合わせようとする作業がでてきます。アウグスティヌスもそのような作業をしているように見えます。みなそのような矛盾に悩むのでしょう。生長の家の谷口雅春師は、エホバの神を因果をあらわす象徴として解釈しようとしていたと思いました。大川さんは、いろいろの神様が語っていると理解します。大川さんの考え方が非常に単純で分かりやすいですね。エマ-ソンたちは、自由に、旧約のある神様が好きだとか言ったりしますね。
> この話しはあまりにも膨大ですので、こんど叔母さまとお会いになられたときに話題のひとつにでもしていただければ、ぼくもueyonabaruさんも何か得るところがあるかもしれませんね。
多分叔母に聞いてもわからないと思いますよ。この間、アウグスティヌスを読んだときに、旧約とのつじつまあわせのことをこちらが話したのですが、複雑な表情と無言がありました。一修道女に答えを求めるのも酷だと思い、それ以上は聞きませんでした。
> 最初の「ダーウィン」が元凶だと云うことになるわけですね。
> そうかも知れません。「修正唯心論者」とでも云える現代の心ある人達から見ればそうかも知れません。
> しかし、現代の「修正唯物論者」も大きな進歩をしています。
> この4つをそのまま信じている学者は、おそらくほとんど居ないと思います。
> みんな、これらの考えを修正し続けているようです。
>
> 4番目の「行動主義・パブロフ」については、いまやこれを云う人はほとんど居ないと思います。
> と云うのも、これは旧ソビエト連邦の「御用学説」として流行したからです。
> ちょうど、ワーグナーがナチズムと協調したようなものだと思われます。
> (パブロフの条件反射は生体の事実ですよ。この他にも「越冬する種子や球根は、一旦寒い環境に置かなければ発芽率が悪くなる」と云うような研究までもが対象になったようです。)
>
> 「マルクス」は、ドイツの炭鉱労働者の過酷な生活を見て自分の考えを発展させました。
> この人が武力革命も止むなしと発表したがために、たしかに人類に大きな争いをもち来たらしました。
> マルクスは、2階に居候させて貰っているのに家主とケンカして、互いにフンッと反目しながらそのまま居候し続けるような図太さと云うか無神経さがありました。
> しかし、彼は何かやってくれるかも知れないと云う期待を託すことのできる人だったのかもしれません。
> エンゲルスなどの人達の大きな援助を得ていました。
> もし、マルクス意外に誰も社会構造の矛盾を指摘しなかったら、世界はちょっと前のインドや中国やアフリカのような状態のままであったかもしれません。
>
> 「フロイト」の、最大の功績は「自分と云うものは、今 自分が自分だと思っているものだけではない」と云う重大なことを気づかせてくれました。
> 現代の学者はリビドーだけが人間の行動原理であるとは、だれも思っていないでしょう。
> 「たしかに、それもある」くらいにしか思ってないはずです。
> ぼくも「強く抑制されたリビドー」のために、ときどき気が狂う人のまさに気が狂う瞬間を目の前で体験した事があります。その人は、今もときどきおかしくなります。
> この人の問題に関しては、フロイトも行動主義も正しく思えます。
> さて、「ダーウィン」です。
> 彼はそういう問題よりも、自然を観察してそこに驚異を見出すことに無常の喜びを感じていた人のはずです。
> ぼくらが、「あいつは地獄に行くだろう」とか「あの人は天国のような人だ」とか批評する埒外に居るような人だと思います。
> この人のおかげで、キリスト教会の「無知、迷妄」から西洋人は脱出するきっかけを貰いました。
>
> イスラム教もキリスト教も仏教もみなそうですが、一般庶民には高邁な真理はなかなかそこまでたどり着けないので、日常の疑問点や行動原理を教えてくれる人達を教会の中で作ってきました。
> しかし、教える人がなかなかそこまでたどりつけないんです。
> そのため、多くの混乱が生じているように思えます。
>
> さて・・・、上記の人達にも彼らの喜怒哀楽の人生があったはずです。
> 彼らは、自分の人生のどこまでを自分の責任として負うのでしょうか?
> あるいは、どこまでを自分の責任として負いきれるのでしょうか?
> そして、自分はどうなのでしょうか?
>
> 彼らがどこに居るかは、ぼくらが思っていることのはずだと思います。
> 彼らは彼らの天国と地獄を同時に持っているはずなんです。
> ぼくらも、そのはずだろうと思うんです。
>
> 「歴史上の罪は、振り返れば必然の苦しみだった」と云うのが、小林さんの思いのように見えます。
> ぼくも、そのように思うんです。
> ちょうど自分の人生を振り返ったときのように、そう思えるんです。
> けっして、過去の過ちを肯定するものではありません。
おっしゃるところ分かるような気がします。彼らの全てを否定してしまうのも酷ですね。
パブロフの犬の実験など、当時中学生だった頃の自分には、非常に新鮮な驚きでありましたが、時代の風潮でしょうかやはり多くのものが唯物主義に引っ張られていったということはありましたね。フロイトもあるところだけが強調されて、そこが一般には影響していくのですね。
from: hiraokaさん
2008年12月12日 01時01分51秒
icon
「Re:Re:Re:小林秀雄の批評」
> 「山月記」を読み、現在「光と風と夢」を読んでおります。
ぼくは「論語」はすばらしい叡智だとは感じていたのですが、漢文独特のそっけなさから、いまひとつ孔子の人物像がイメージできませんでした。
しかし、「弟子」を読んで一気に孔子の人となりが、すごく身近に感じられるようになりました。
この作品は、「論語」の副読本とも言えるものだと思います。
「山月記」は教科書に載ったので、ずいぶん有名になりました。
「説教くさいのが嫌だ」と云う昨今の風潮で避ける人も多いかもしれません。
「光と風と夢」はスティーブンソンについての中篇ですね。この作品は賞を受賞するはずでした。
スティーブンソンは、当時の日本政府が日本に教授として招聘しようとしていた人だそうです。
> ペテロのくだりは、人間は弱いと思いました。
ほんとうに、人間の弱さに同情して泣いてしまいますね。
>キリスト教のこと、神とキリストの関係だと察しますが、ご意見お聞かせくださいね。私は、主キリストでもかまわないと思っているのですよ。
パウロがキリスト教会の創設者ですよね。パウロは「異教(ユダヤ教)の使途」と云われていますね。
パウロはいっそのこと旧約聖書を棄ててしまえばよかったのに、と思うんです。
ご存知と思いますが、「新約」「旧約」の「約」は、神との契約の「約」ですね。
とうぜん、この言葉はユダヤ教では使いません。
ちょうど「小乗仏教」と名指された派閥は、自分達のことを「小乗」とは名乗らないのと同じですね。
パウロが「旧約」の言い伝えを持ち越したために、教会は大きな矛盾を抱え込むことになりました。
「旧約」の中でいい伝えられる「神、ヤハウェ」と、イエスを「神」としてあがめる事との矛盾です。
そのため教会はずいぶん悩んだ挙句、「三位一体説」を採用してしまいました。
これが、キリスト教会の最大の間違いだと、ぼくは思っています。
イエスは「神の愛」だけを説いたんです。
そのほかの事もたくさん云いましたが、大川さんの言うように三年くらいの布教期間では全てを言い尽くせなかったのだと思います。
この話しはあまりにも膨大ですので、こんど叔母さまとお会いになられたときに話題のひとつにでもしていただければ、ぼくもueyonabaruさんも何か得るところがあるかもしれませんね。
>うまく送れるか心配もありますが、メ-ルでお送りします。
はい、ありがとうございます。うまく見る事ができました。
添付ファイルのままでは大きすぎるので、ファイルをフォルダーに保存して別ソフトで縮小して全てを読みました。
「ダーウィン」「フロイト」「マルクス」「行動主義・パブロフ」
最初の「ダーウィン」が元凶だと云うことになるわけですね。
そうかも知れません。「修正唯心論者」とでも云える現代の心ある人達から見ればそうかも知れません。
しかし、現代の「修正唯物論者」も大きな進歩をしています。
この4つをそのまま信じている学者は、おそらくほとんど居ないと思います。
みんな、これらの考えを修正し続けているようです。
4番目の「行動主義・パブロフ」については、いまやこれを云う人はほとんど居ないと思います。
と云うのも、これは旧ソビエト連邦の「御用学説」として流行したからです。
ちょうど、ワーグナーがナチズムと協調したようなものだと思われます。
(パブロフの条件反射は生体の事実ですよ。この他にも「越冬する種子や球根は、一旦寒い環境に置かなければ発芽率が悪くなる」と云うような研究までもが対象になったようです。)
「マルクス」は、ドイツの炭鉱労働者の過酷な生活を見て自分の考えを発展させました。
この人が武力革命も止むなしと発表したがために、たしかに人類に大きな争いをもち来たらしました。
マルクスは、2階に居候させて貰っているのに家主とケンカして、互いにフンッと反目しながらそのまま居候し続けるような図太さと云うか無神経さがありました。
しかし、彼は何かやってくれるかも知れないと云う期待を託すことのできる人だったのかもしれません。
エンゲルスなどの人達の大きな援助を得ていました。
もし、マルクス意外に誰も社会構造の矛盾を指摘しなかったら、世界はちょっと前のインドや中国やアフリカのような状態のままであったかもしれません。
「フロイト」の、最大の功績は「自分と云うものは、今 自分が自分だと思っているものだけではない」と云う重大なことを気づかせてくれました。
現代の学者はリビドーだけが人間の行動原理であるとは、だれも思っていないでしょう。
「たしかに、それもある」くらいにしか思ってないはずです。
ぼくも「強く抑制されたリビドー」のために、ときどき気が狂う人のまさに気が狂う瞬間を目の前で体験した事があります。その人は、今もときどきおかしくなります。
この人の問題に関しては、フロイトも行動主義も正しく思えます。
さて、「ダーウィン」です。
彼はそういう問題よりも、自然を観察してそこに驚異を見出すことに無常の喜びを感じていた人のはずです。
ぼくらが、「あいつは地獄に行くだろう」とか「あの人は天国のような人だ」とか批評する埒外に居るような人だと思います。
この人のおかげで、キリスト教会の「無知、迷妄」から西洋人は脱出するきっかけを貰いました。
イスラム教もキリスト教も仏教もみなそうですが、一般庶民には高邁な真理はなかなかそこまでたどり着けないので、日常の疑問点や行動原理を教えてくれる人達を教会の中で作ってきました。
しかし、教える人がなかなかそこまでたどりつけないんです。
そのため、多くの混乱が生じているように思えます。
さて・・・、上記の人達にも彼らの喜怒哀楽の人生があったはずです。
彼らは、自分の人生のどこまでを自分の責任として負うのでしょうか?
あるいは、どこまでを自分の責任として負いきれるのでしょうか?
そして、自分はどうなのでしょうか?
彼らがどこに居るかは、ぼくらが思っていることのはずだと思います。
彼らは彼らの天国と地獄を同時に持っているはずなんです。
ぼくらも、そのはずだろうと思うんです。
「歴史上の罪は、振り返れば必然の苦しみだった」と云うのが、小林さんの思いのように見えます。
ぼくも、そのように思うんです。
ちょうど自分の人生を振り返ったときのように、そう思えるんです。
けっして、過去の過ちを肯定するものではありません。
from: ueyonabaruさん
2008年12月11日 18時45分05秒
icon
「Re:Re:小林秀雄の批評」
> さっそく「弟子」を読んでいただいて、ありがとうございます。
> 賛同していただいて、とても嬉しいです。(*^_^*)
「山月記」を読み、現在「光と風と夢」を読んでおります。
> >言い忘れておりましたが、「神との対話」は読んでおりません・・・
>
> 文庫本で出ておりますので、最初の一冊だけを読むのでしたら安く上がります。
> お暇な時でけっこうです、気長にお待ちします。
> 池田さんのようなアレルギー反応は出ないことと思いますよ。(^.^)
>
これも読んでみますね。
> ぼくは、イエスについてはほんとうに真剣に勉強しました。
> ペテロが、鶏が鳴く前に三度「彼を知らない!」と云うくだりは、何度読んでも涙無しには読めません。
> 聖書についてはほんとうに長い話になりそうなので、ぼちぼちと行くことにしようではありませんか。
ペテロのくだりは、人間は弱いと思いました。キリスト教のこと、神とキリストの関係だと察しますが、ご意見お聞かせくださいね。私は、主キリストでもかまわないと思っているのですよ。
> >* 前にダ-ウィンの地獄堕ちの件お話しましたね。これに関する記事が、リバティ-の最新号に詳しく載っております。よかったらこちらで、まとめお知らせいたしますがどういたしますか。
>
> ありがとうございます、感謝いたします。<m(__)m>
うまく送れるか心配もありますが、メ-ルでお送りします。
from: hiraokaさん
2008年12月11日 01時22分58秒
icon
「Re:小林秀雄の批評」
さっそく「弟子」を読んでいただいて、ありがとうございます。
賛同していただいて、とても嬉しいです。(*^_^*)
ぼくはこの短編を一気に読み終え、深いため息をつき増した。
終わりの2ページを2度読みさらにため息をついて、もう一度最初から読み始めました。
それほどに、感動したんですよ。
中島敦さんは早世してしまって、ほんとうに惜しいことをしました。
この人が長生きしてれば、かならずや文壇界の重鎮になったはずです。
もしそうなっていたら、現在のような小説界の混乱も違ったかたちになっただろうと思うと残念でなりません。
中島敦さんの作品は、この他にも教科書の定番「山月記」や、沙悟浄が道を求める「悟浄縁起」などが青空文庫で読めますよ。
この作品には、もうひとつ大きな思い出があるんです。
長女の夏休みの読書感想文に「弟子」を薦めたんです。
長女もこの作品に感動して作文を書いてくれたのですが、なんと作文に書いたその箇所が大学の入試試験に出たのです。
これには、親子ともどもたいへんびっくりしました。そのためかどうかは分かりませんが、娘は無事に志望大学に進学できました。
>言い忘れておりましたが、「神との対話」は読んでおりません・・・
文庫本で出ておりますので、最初の一冊だけを読むのでしたら安く上がります。
お暇な時でけっこうです、気長にお待ちします。
池田さんのようなアレルギー反応は出ないことと思いますよ。(^.^)
> hiraokaさんがそこまで聖書をお読みとは知りませんでした。私は、幸福の科学を勉強し始めてからの方がむしろ、キリスト教のことが身近に感じられるようになりました。今は、信者の方の、「主キリストのおかげだ」という風な言葉にすら同調してしまいます。
ぼくは、イエスについてはほんとうに真剣に勉強しました。
ペテロが、鶏が鳴く前に三度「彼を知らない!」と云うくだりは、何度読んでも涙無しには読めません。
聖書についてはほんとうに長い話になりそうなので、ぼちぼちと行くことにしようではありませんか。
>今は、信者の方の、「主キリストのおかげだ」という風な言葉にすら同調してしまいます。
そうですね。大いなるもののおかげと云うことには同調します。
でも、主とキリストをごっちゃにしてしまったのはキリスト教会の責任だと思っているんですよ。
この話しは、さらに長くなりそうです。
ぼくが幸福の科学を離れるころ、多くの人達が大川さんのことを「主よ!、主よ!」と呼ぶのがとても気がかりでした。
>* 前にダ-ウィンの地獄堕ちの件お話しましたね。これに関する記事が、リバティ-の最新号に詳しく載っております。よかったらこちらで、まとめお知らせいたしますがどういたしますか。
ありがとうございます、感謝いたします。<m(__)m>
ですが、ueyonabaruさんはパソコンにタイプせねばならないんではないでしょうか?
それは、たいへんな労苦です。
もしスキャナをお持ちでしたら、イメージを僕宛にメールの添付書類として送っていただければ最小限の労力ですみますよ。
>・・・・、いま中国では孔子の復活運動が大きくなっております。・・・
中国は文化革命で大変な損失をしました。
焚書坑儒もそうですし、日本の廃仏棄釈も、アレクサンドリア図書館の焼き討ちもそうですね。
でもまったく見方を変えれば、これらの歴史のおかげで夾雑物が減ったのかも知れませんね。
この歴史観が小林さんの見方のような気がします。
>彼女が尊敬する小林秀雄を読みたくなり、今朝、何十年ぶりかで「考えるヒント」を手にしてみました。
そういう事って、ぼくもよくあります。
むかしはこんなに難しかった微積分が、なんだこう云うことだったんだ! とかですね。
そうしてみると、先達と云われる人たちは偉いものですねぇ。
ほんとうに感謝の気持ちが起こります。
>「そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気付く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。
ほんとにそうなんですよ!! 以下の文を読んでください。
ケイシーの過去生リーディングに次のようなものがあるんです。
依頼者は、ときどき衝動的に沸き起こる男色に悩んでいるんです。
まるで、三島由紀夫みたいな人ですね。(^.^)
↓以下は記憶をもとに書いています。
「この実体(リーディングでは、その人の魂を常に実体『entity』と呼びます)は、過去に辛口の批評家として知られていた。この実体は若手の芸術家を厳しく批判して、それが善きことと思いそうしていた。この実体の批評は若手の芸術家でとくに男色傾向のある人達のその傾向に辛らつに向けられ、それがために絶望して自殺する人までいたのである。このため人の苦しみを・・・」
以下続くのですが、後は正確な文章をよく思い出せません。
しかし、因果応報のニュアンスではありませんでした。
それよりも、気付きのためのニュアンスでした。
まさに、「汝、裁くなかれ。汝が、裁かれたくなければ。」ですね。
ぼくは、「裁かずにどうやって批判・批評ができるのだろう?」と、そのころは思っていたのです。
ぼくも、そのころを振り返ると幼稚な精神でした。 (ーー;)
>主張するためには、非難もやむを得ない、というわけだろう。
若いころは、ほとんどの人(ぼくもです)がそうでしょう。
自分の主張のために人を非難しなくなったと云うことは、とりもなおさず自分が年を取って老いぼれたと云うことでもありますね。痛し痒しですね。(^.^)
>論戦は、批評的表現の一形式に過ぎず、しかも、批評的生産に関しては、ほとんど偶然を頼むほかないほど困難な形式である。」
まったく、同感です!! ネット上で繰り広げられる口喧嘩のなんと多いことか・・・・。
彼らは皆、自分を主張したいんです。
主張しなければ、自分が無いような気持ちになる衝動に駆られているんですよね。
ぼくも、年を取ってこういうことが分かるようになりました。
ああ・・・・、ぼくも普通の人だったんです。 (ーー;)
from: ueyonabaruさん
2008年12月13日 23時27分26秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:小林秀雄の批評」
> 作品は「斗南先生」として、青空文庫でも読めると思いますよ。
> この、エッセーはすばらしいです。
これも読みました。戦前の雰囲気が色濃くでておりますね。あの時代は暗いなあという感じがぬぐい得ないですね。半面、人情があります。先生が、中国のことを救うのは日本だと思っていた点、当時の庶民の感情がそうであったんだなと思われました。愛国心があり、国家の行方を庶民が心配しているのですね。戦後、国家観が失われて久しいのですが、日本人もやがて国家のことを真剣に考えるようになるかもしれません。
地獄に堕ちた方がたの話が続いたため、現在私は憂鬱の状態にあります。
とりあえず、新しくテ-マを見つけませんか。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
icon拍手者リスト