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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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  • from: ueyonabaruさん

    2008年12月14日 13時48分55秒

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    地獄について

     やはり、地獄から離れることはできません。正面から考えていきたいと思います。

     地獄思想は宗教では、いつの頃でて、どのように展開してきたのか体系的に考えなければとも思いますが、このあたりのことについて私は詳しいことは分かりません。

     個人的にいえば、私はかつて生長の家の信徒でしたので、地獄を主要なテ-マとしての教えをそこでは受けておりませんでした。生長の家は光明思想ですので、人間は神の子仏の子の教えですので、地獄を詳しく説くことはなかったのです。

     ところが、幸福の科学に入信してみると、地獄思想は相当に重要な位置を占めております。「正心法語」では、この世の闇夜は地獄なり、あの世の闇夜も地獄なりと説かれます。これから、地獄に堕ちない生き方が大切ということで、自身の修養が説かれてゆくのです。

     生長の家を信じていた者からすれば、幸福の科学に入り、地獄をまじめに取り扱うということは非常に大変なことなのです。いろいろと学んでいくうちに結局納得には至るのですが、それはそれは重いものです。相当に努力が要りました。

     地獄とはなんでしょうか。どのように捉えればよいのでしょうか。ダ-ウィン、マルクス、吉田茂、最澄、三島由紀夫、西郷隆盛、その他、著名な方々がそちらに行っているということです。
    普通には信じがたいことです。これらの方々は、実際には多くの人の尊敬をうけていた方々なのですから。また、現在では、半分ぐらいの人は死後地獄に行くと大川先生は説かれます。ホントでしょうか。

     地獄について考えてまいりましょう。

     

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コメント: 全13件

from: リアリストさん

2008年12月19日 05時49分28秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:地獄について」
hiraokaさん、サイト御覧になられてありがとうございます。善悪というほんのちょっとした
錯覚(間違って灰色の薬を飲んでしまうと表現しておりますが)が悲惨な事態を招いてしまう
ことを良く説明されていると思います。おっしゃる通り相対論であり人間が勝手に作り出した
ものなのでしょう。蛇にそそのかされて、この木の実を食べて楽園を追放されてしまう話も
頷けます。

>原爆投下は正義であり善だったのでしょうね。

たしかに彼らにとっての、正義なのでしょうね。

でもぼくは、これはアメリカのやりすぎだと思っているんですよ。
東京の大空襲もそのほかの無差別焼夷弾もやりすぎです。

おっしゃる通りではないでしょうか。戦争に善も正義もあろうはずがありません。国を
挙げての殺人行為ではないでしょうか。真珠湾攻撃の報復、人種差別、はたまた日本が
反キリストの国、「悪魔の国家」と見えていたのかも知れません。アメリカはキリスト教国
でしたね。最近でもブッシュさんは「悪の枢軸」という言葉を使いましたね。「アメリカが
世界の平和と秩序を守っているのだ。その為にはアメリカは核兵器を持っていて当然で
北朝鮮は持っちゃいけないんだ。」こんな感じでしょうか。そのアメリカも今回の自国発
金融恐慌で世界のアメリカではなくなりそうですね。

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from: hiraokaさん

2008年12月19日 01時29分19秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:地獄について」
皆さん、こんばんは。

リアリストさま

>霊にも足が在ったのですね!(驚きです)

あっははは〜。だって、首の無い幽霊もいるじゃありませんか。(^.^)
ぼくの近くのお寺に、狩野派だったかの有名な幽霊の絵を所蔵しているお寺があるんです。
お盆の頃にご開帳があるんですが、この絵は結構有名な図です。
やっぱり足がありませんねぇ。足を書かなくなったのは江戸時代のころの絵師からのようですよ。

「霊界は何気圧か?」なんですが・・・、物質ではないのでなんにも要らないんですよ。
ただ、自分を自分と意識している存在だけで成り立つようですよ。
では、霊界とはエネルギーか?と云うとそれもちょっと違うようでよく分からないんです。
どうも、エネルギーの前の段階が在ってそれがエネルギーを作り、さらに物質化するようです。
ぼくらの実体は、このエネルギーの前駆エネルギーのようですよ。
ここら辺は、ぼくもよく分かりませんです。

気象予報官などを長年勤めてきた人なんかで、霊界に行っても自分が既に死んでいることをよく分からないひとなんかは、その人の地上経験を無意識に使って、気圧計を見たり気になったりするかも知れませんね。
そういう時、夢と同じように彼の前に何故だかは知らないけれども気圧計が出てくるわけです。

>善悪につきましては、当時はヒトラーも自分達が善であり正義だと思っていたのかも知れませんね。

リアリストさん、いいこと言うなあ・・・。
そうなんですよね。ゲルマン民族の理想を早急に実現しようとしたようです。
ヒトラーの悪口を云う勢力もかなり減ってきましたが、西洋ではタブーすれすれのところですね。
最近では人間としてのヒトラーを映画化したものもあるようですので、すこしづつ変わっていくんでしょう。

「善悪って、ほんとは人間が社会生活上で決めたものなんですよ。」と云っただけで、身構えてしまう古い人達がたくさんいますね。
ぼくの親の世代の人達は、ほとんどそうです。
彼らは、「善悪の基準」が無いと、自分と云うものがものすごく不安定なものに感じるようです。

むかしのことですが・・・。
父と妹と3人で晩御飯を食べながら、特攻隊のテレビ番組を一緒に見ていたことがありました。
妹が「この人達かわいそうだね」と云いました。
ぼくは「かわいそうだけれども、この人達の死は犬死にだった」と云ったことを父はものすごく怒り始めて口論の末、「お前なんか出て行け!!」ということになりました。
それで、ぼくは家出をしました。

こう云う事件においても、「互いに信ずるものの相克を超越するものこそ愛である」と長い年月を経て思うようになりました。

>原爆投下は正義であり善だったのでしょうね。

たしかに彼らにとっての、正義なのでしょうね。

でもぼくは、これはアメリカのやりすぎだと思っているんですよ。
東京の大空襲もそのほかの無差別焼夷弾もやりすぎです。
狙うなら、皇居と大本営だけを狙えばいいはずです。
かれらはゲリラ戦になることを憂慮していました。
実際には、日本ではゲリラ戦にはならなかったはずです。
2回もしかも型の違う爆弾を実験も兼ねて落としたのは、あきらかにやりすぎです。
ぼくは昭和27年生まれですので戦争を知らないはずなのですが、父母よりも戦争の悲惨さを知っているつもりなんです。
長崎の原爆は、ぼくの家から見える八幡あたりの製鉄所に落とす計画でした。
そのとき曇り空なのでそのまま進んで長崎に落としました。
(落とした様子を写真撮影できないからです)、

八幡の製鉄所の高炉が夜に開くとき空が異様に赤くなるんですが、もしもこちらに落とされていたらどういうことになっていたやら・・・・。

すみません、ちょっと興奮気味でした。リアリストさんの書き込みはよく理解していますよ。

>善悪に関しては、是非こちらのサイトを御覧下さい。すばらしい絵本が御覧頂けます。

ああ、ぼくよりもうんとうまく説明されています。
ありがとうございます。
ほんとにこんな単純な「善悪は相対的なものだ」と云うことすら多くの人達は「理解したくない」のですね。

ueyonabaruさん、見られました? 旧約のことも書いてありますよ。ぼくと同じ意見です。

------------------------

ueyonabaruさま

> 私の甥のW君のことです。

へえ〜・・・! 甥子さんはそのような能力と日常を同時に持っておられるとすると、いわゆる新人類なのかも知れませんね。
なかなか、両立しにくいものなんですが・・・。

>西丸さんの場合もご本人だけが見たのではないかと思います。

いえ、巫女さんが見ているんですよ。西丸さんが見るときは自分ひとりの時のようです。

>w君はまた、幽体離脱の経験もあります。

これについてもたくさんの記録がありますよ。
10年以上も寝たきりの人が目覚めて話すには、近所のあちこちを見て回ってるんですよ。
けっこう遠いところの事情も見てきたようなことを話すわけです。あの家の人はどうだとかこうだとか・・・。
外国の古い記録にもありますし、今の日本にも外国にもあります。

心理学の実験で、幽体離脱を経験できる装置と云うのもあります。
物理学者のファインマンさんが、その装置で幽体離脱(本人はそう思ってない)をした、なんてのも在ります。

>霊能力ではありませんが、ハブを見つける能力にも差があるようです。・・・

まさに、そのとおりでありまして・・・・、キノコもそうなんです。
あんまり見ないものは、みんな能力差があるみたいですね。

>全て人間は共通の能力と、個別の他と異なる能力の二つをを持っているのかもしれません。

ぼくはこう考えるんです。
「全て人間は共通の能力を持っているのだが、個別に発達させた能力をより強く持っているのかもしれない。」

>ここまで書いていて、池田さんのことを思い出しました。「14歳からの哲学」の62pで次のような言葉があります。

池田さんも、直感的に不思議だなあ?と感じているんでしょうね。
ぼくらみたいに素直に霊界は在ると思いさえすれば、当たり前のことになるんでしょうけど・・・。
でもそれでは、彼女も書く事がないでしょうね。

>友だちが激情に駆られて行動しているさまも、観察してごらん。彼は彼でありながら、彼でないものによって動かされているようにも見えるね。その見えない力はどこから
やってくるのだろう。やってくる思いや感じや考えは、どこからやってくるものなんだろう。」

これがいわゆる、「憑依」みたいですよ。良い意味でも悪い意味でも・・・。

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from: ueyonabaruさん

2008年12月18日 19時26分11秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:地獄について」
 今日は、特に書きたいものもないので、hiraokaさんから興味深い幽霊のお話をお聞かせいただいたので、こちらもそのような話をしてみたいと思います。

 私の甥のW君のことです。小さい頃から幽霊を見るということは聞いておりましたが、数ヶ月前に彼が沖縄に帰っていたときに、具体的にその内容を訊いてみました。

 彼の言うには、普通の人の姿そのままだというのです。幻のような影のようなものではなく、普通の人が眼前に座っており、そのときは幽霊と思わず、宴が引けてから家族のものにあの方は誰だったのかときいてはじめて、幽霊であったということが分かったというようなものでした。これは、西丸さんの幽霊と同じだだなと思われました。

 これにしても、他の誰もが見たものではありません。西丸さんの場合もご本人だけが見たのではないかと思います。現実の人間の肉体を見るように見えたということが不思議な感じがします。

 w君はまた、幽体離脱の経験もあります。ここにいて、知らない土地のことを見るということもあるそうです。

 沖縄戦で悲惨な事件があった、座間味島では公園のベンチに5,6名の幽霊が座っているのを見たこともあるといいます。

 本人は、幽霊に特に興味を持っているようでもありません。そういう能力があるというだけのことです。霊視能力だけとっても色々と個人によって違いがあるようですね。占い師が使う道具がそれぞれ違うように、霊能力もさまざまです。人間には何らかの霊能力が多くの人びとに備わっているようにも思えます。

 霊能力ではありませんが、ハブを見つける能力にも差があるようです。沖縄のひとは皆がハブを見るのでもありません。自然界に生息する状態のハブを誰よりも多く見る少年もおれば、私のように、高校時代になってはじめて自ら自然のハブを見つけ、一人前になったような気持ちを味わうものもいるのです。

 全て人間は共通の能力と、個別の他と異なる能力の二つをを持っているのかもしれません。

 ここまで書いていて、池田さんのことを思い出しました。「14歳からの哲学」の62pで次のような言葉があります。

「考える精神によって、冷静に観察してごらん。気分や感情というものは、それ自体が面白いものだ。どこからかス-ッとやってきて、またどこかへス-ッと消えてゆくんだ。決して目に見えるものではないけれど、なにかそれ自体が別の世界からの訪れであるように感じることもあるだろう。友だちが激情に駆られて行動しているさまも、観察してごらん。彼は彼でありながら、彼でないものによって動かされているようにも見えるね。その見えない力はどこから
やってくるのだろう。やってくる思いや感じや考えは、どこからやってくるものなんだろう。」
 

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from: ueyonabaruさん

2008年12月17日 04時43分07秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:地獄について」
> >それでも、私たちみたいに長いものではないと思いますが。
>
> ↑この意味がよく分かりませんでした。長いと言うのは何でしょうか?

 お釈迦様でも、現実的には怒りがあるわけで、その怒りが正当でない場合もまれにはあったのかと想像します。その場合でも、彼の心はただちに冷静さを取り戻すことができたが、われわれ凡夫の場合は迷い、怒りを解くことがナカナカできないということを言いたかったのです。


> この世とあの世は、はっきり二分されていないようなんです。中間があるようです。
> と云いますか、ぼくらがどちらかでしか認識できないのかもしれません。
> どうしても、物理的にしか考えにくいようです。

 この辺のことを分かりやすくご説明ください。
 日蓮の霊言のなかにあったと覚えておりますが、ある女性の子宮に地獄ができたという記述があるのですが、どういうことでしょうか、分かりません。


> 「ヨブの苦しみに神様が冷淡ではないかということなのでしょうか?」 いえ、そうではありません。
> 世の中にはものすごく悲惨なものがたくさんあるわけなんですが、今この瞬間にも拷問にかけられている人も居るようです。
> 拷問を受けている人の胸中や如何に?  そして、拷問を受けている人の存在を許す神の思し召しとは?と言うことです。

 ああ-そういうことですか。ナチに殺されたユダヤ人達のことを考えると悪魔はいるとしか考えられません。神は、なぜ、悪魔の存在を許すのか、神のこの世の設計をも疑うことにもなります。この世界はホントに大変な世界、苦界ですよね。



> 宮沢賢治も法華経を読んで強い影響を受けたそうですが、いったい法華経の何に影響を受けたのか不思議なんです。
>
> >実相論、人間は仏子であること、現象の奥にイデア(実相)があるという観点からの解釈と思います。
>
> う〜〜ん、よくわかりません。(ーー;)

 人間が仏の子であるという真理は偉大なものです。これについては、生長の家の聖歌集の歌詞をみれば推察つくと思われます。谷口師による歌詞で、法華経からでたものです。

 「衆生却尽きて、この世の焼くと見ゆれど、現象の奥に、実相堅固なる法華経の世界あり(ウロ覚えです)」

 現象は不完全であるが、これは実在にあらず、実相の世界(イデアの世界)こそ実在するのだという主旨です。これは、ソクラテスがパイドンで語ったように、荘厳な世界なのです。谷口師はこの真理を生前、情熱的に語ってくれました。悲惨な現象界は実存在ではないとする見方です。


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from: hiraokaさん

2008年12月17日 01時14分35秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:地獄について」
ueyonabaruさん、こんばんは。

>高い見地から見るのと、そうでないところから見るので違うというのはどういう意味でしょうか。どちらも正しいのでしょうか。

テレビの「何でも鑑定団」に出演する鑑定士の人達は、やはり高い見地の審美眼で見ていると思うんです。
同じように大川さんは見地が高いのかも知れません。
どちらも正しいと云うわけではないんです。
やっぱり高い見地と云うものがあると思います。でも、それが唯一の正しさと云うわけではないんです。

>どちらを選ぶかというのは、どういう意味でしょうか。間違えば地獄堕ちもあるという意味なのでしょうか。

それとも、精神の状態としてあるかどうかの意味なのでしょうか。後者であれば、人間ですからあるのではないでしょうか。それでも、私たちみたいに長いものではないと思いますが。

信仰心の深い人は、イエスや釈迦は絶対的な聖人としてあがめる気持ちが強いので、彼らがこの世に生きている間に一度も間違いを犯さなかっただろうと思いたがりますよね。
人に自由意志があると云うのは、瞬間瞬間に自分の意思を「自動的」に行使しているのだと思います。
ときどき、重大な問題のときの「生きるべきか? 死ぬべきか?」と云うようなことはまれにしか起こりません


ぼくの云っているのは、日常茶飯事で自分が自動的に選んでいる選択行動のことなんです。
これこそが、大事だとぼくは思っています。
でも、常に一大事一大事と考えていたら、身が持ちませんよね。
だから、自動的な選択になってしまうんだと思われます。

「間違えば地獄落ち」ではなくて、重大な人生の転機においては「間違えれば地獄落ちも覚悟する」と云う自由意志の決意だと思います。

>それでも、私たちみたいに長いものではないと思いますが。

↑この意味がよく分かりませんでした。長いと言うのは何でしょうか?

>私は単純に、思うとおりの地獄があるというのがハッキリしないということを言ったまでですよ。思うとおり

の地獄が出現するという感覚は分かるような気がします。しかし、これも地獄の中でのバリエ-ションなのかと思っております。

ああ、そうだったんですか。深読みでした。(*^_^*)

>心の中の地獄と4次元幽界の地獄とのかかわりなど、ハッキリしません。怒っているときそこが地獄だという方も分かります。

この世とあの世は、はっきり二分されていないようなんです。中間があるようです。
と云いますか、ぼくらがどちらかでしか認識できないのかもしれません。
どうしても、物理的にしか考えにくいようです。

>  単純にヨブが自身の不幸を嘆いているのではないでしょうか。これに対して、神はすべてお見通しなのに、なぜそれほどまでに嘆くのかと言っていいるという具合に解釈しておりました。ヨブの苦しみに神様が冷淡ではないかということなのでしょうか。その境遇はかわいそうですが、神は見ているという安心はそこには全くないのでしょうか。キリスト者の大きな疑問であったとは知りませんでした。叔母にも聞いてみます

「ヨブの苦しみに神様が冷淡ではないかということなのでしょうか?」 いえ、そうではありません。
世の中にはものすごく悲惨なものがたくさんあるわけなんですが、今この瞬間にも拷問にかけられている人も居るようです。
拷問を受けている人の胸中や如何に?  そして、拷問を受けている人の存在を許す神の思し召しとは?と言うことです。


> イエスは「愛」のことしか、言ってないようなんですよ。これだけだったんです。そして、これが一番大切なものだったんです。と同時に僕らに苦しみももたらすんですねえ。
>  最後のくだり、「ぼくらに苦しみももたらす」の意味もよくわかりません。

「愛」を感じるときは幸せなんですが、「愛」を感じないときは苦しみなんです。
ここにも、一つのものが二つに分かれて互いに相手を求めているという説話が表れているようですよ。

>法華経は腰をすえて読んでみる必要がありますね。学び足らずです。深い意味があるように思ってはおります。

ueyonabaruさんに成果がありましたら、ぜひぼくに教えてください。
ぼくはほんとうになぜ法華経が尊ばれるのかよく分からないんです。
宮沢賢治も法華経を読んで強い影響を受けたそうですが、いったい法華経の何に影響を受けたのか不思議なんです。

>実相論、人間は仏子であること、現象の奥にイデア(実相)があるという観点からの解釈と思います。

う〜〜ん、よくわかりません。(ーー;)

>私がもっている因果観は、もともとゆるやかなものであったようです。hiraokaさんの持っておられるものと比べ、そのように思われました。ぎちぎちやられたらホントに窮屈ですね。

あっ、なるほど!
ぼくは、どうも物理的に厳密に考える癖があるようなんです。
ゆるい因果関係と云うのは、じつに示唆に富んでいます。

>* 話がかみ合わないときもありますが、今後ともどうぞよろしくおねがいします。

いえいえ、ぼくがueyonabaruさんから恩恵を受けているんですよ。ほんとにそうなんです。

> hiraokaさんと因果論とのかかわりは根が深そうですね。霊友会の教義がそのようになっているようですね。また、交霊界などもやるとのこと、先日おっしゃっておりましたね。

ええ、そうなんです。因果論は物理学とも相性がいいんですよ。
「色即是空、空即是色」を物理学的に解説した学者も居るんです。
交霊界を「影の修行」と呼んでいて、表と裏と二つの修行があると云うわけです。
しかしぼくの知るところ、これらの真の実相を知っていて行っている人は一人もおりませんでした。
ぼくも長い長いあいだわかりませんでした。
結局のところ、交霊会はやらないほうがいいです。

>多分ご存知かと思います。compennsationは身近には損害賠償などの請求などにも使われる一般的な言葉です。補償するという意味合いがあります。

いえいえ、ぜんぜん知りませんでした。compeの派生語なんでしょうね。英語には物事の真髄を言い表した概念の語源を持つものが結構ありますね。
日本語と漢字の語源とはちょっと違うおもしろさがありますね。
「神との対話」にも、英語のダジャレ(?)がときどき出てきて、おもしろいです。

つまり、英語圏では因果論を「自分の行ったことについての責任をとること」と云う意味合いですね。
まさにそのとおりでして、「人は撒いた種を刈り取らなければならない」ですね。

> 最近、幸福の科学の月刊誌でエマ-ソンを取り上げ彼のこの思想を解説しておりました。代償の法則という言葉でこの思想を紹介しておりますが、仏教の因果論との共通性を指摘しており、さらに、これと若干異なるニュアンスで、たとえば物事を成就させようとするとき、努力という代償を支払うという原則があるのだというのが、エマ-ソンの考え方だというのです。成功するには、何かを犠牲にすることが必要だということなのですね。

なるほどっ!!
 エマーソンについて、半かじりのぼくよりも編集子のほうがよく勉強されています。

> カルマは魂の傾向でもありますが、同時に因果論をそのうちに含むように思います。因果の積み重ねにより業は作られるのではないでしょうか。善因果を多く積み、善業の人となるように努力するということでしょうか。

「「カルマ」の語源は「渦」の意味だったそうです」、とすでに書きましたかね?
たくさん書いたので、自分でも思い出せませんです。
これは、ぼくにとって重要問題なんです。
ぼくの親友(畏友?)と長電話をして、互いにメールで通信をしようと云うことになったんですが・・・、
ぼくは、ようやく自分の云いたい事が言えると思ってここでの通信のようなことを書き始めたら、「お前の話しは聞きたくない!」と返事があったんです。
それよりもなによりも、いちばん僕が切れたのは「お前がそう思っているなら、お前の来世も今と同じように苦しみになるだろう」と書いてきたことなんですよ。
彼は一種の天才肌の人なんです。
「さすが、天才!! 人の一番痛いところをついてくる!」と憤ってしまいました。

ぼくにとって、もしも今生と同じ苦しみを味わうのなら、ぼくの今生は無駄だったと云うことになるんです。
ちょっと、暗い話しになりましたかね。(ーー;)

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from: ueyonabaruさん

2008年12月16日 21時49分33秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:地獄について」
>> 因果の法則は確かに在ると思いますが、厳密に行われるわけではないようですよ。
> 因果の法則を強調したのが仏教界の誤りだと、ぼくは思っています。
> 人の恐怖心を煽ってしまいました。
> じっさいの所は、カルマ(業)は、魂の傾向の意味のようです。
> 「因果の法則を厳密に適用したら、人類はとうに果てている」と、リーディングにありました。


 hiraokaさんと因果論とのかかわりは根が深そうですね。霊友会の教義がそのようになっているようですね。また、交霊界などもやるとのこと、先日おっしゃっておりましたね。沖縄にいると霊友会のことはあまり情報が入りません。

 私は申しましたように、地獄とはホントに縁遠い生長の家の信徒でした。谷口師は、それでも因果論については語ることもありましたが、中心思想はやはり、人間神の子、実相のみ実在という理想主義、観念主義の教えです。プラトンの思想によくなじみます。

 因果論ですが、仏教の大切な教えだと思います。エマ-ソンはこの概念をcompensationという言葉で表現していることは、多分ご存知かと思います。compennsationは身近には損害賠償などの請求などにも使われる一般的な言葉です。補償するという意味合いがあります。

 最近、幸福の科学の月刊誌でエマ-ソンを取り上げ彼のこの思想を解説しておりました。代償の法則という言葉でこの思想を紹介しておりますが、仏教の因果論との共通性を指摘しており、さらに、これと若干異なるニュアンスで、たとえば物事を成就させようとするとき、努力という代償を支払うという原則があるのだというのが、エマ-ソンの考え方だというのです。成功するには、何かを犠牲にすることが必要だということなのですね。

 悪を欲せば、善を失い、 善を失えば罰があり、 罰があれば償いがなされる 償いがなされれば再度の出発あり と言う具合に考えていけばよいのかと思います。

 カルマは魂の傾向でもありますが、同時に因果論をそのうちに含むように思います。因果の積み重ねにより業は作られるのではないでしょうか。善因果を多く積み、善業の人となるように努力するということでしょうか。

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from: ueyonabaruさん

2008年12月16日 04時09分04秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:地獄について」

> 大川さんが霊眼で見ているのは、その通りだろうと思います。
> そして、大川さんは一段高い見地から見ているかも知れません。
> そうだとすると、大川さんの著名な偉人が地獄に居ると云うのも正しいかも知れませんね。
> ですが、同時に著名な偉人を天国に居ると思って霊眼で見ている人も居るようなんです。

 高い見地から見るのと、そうでないところから見るので違うというのはどういう意味でしょうか。どちらも正しいのでしょうか。


 > ところでueyonabaruさんは、大川さんの中には地獄は無いと思われているのではないでしょうか?
> ぼくは釈迦にもイエスにも誰にでも、その人の中に天国と地獄を同時に持っていて、本人が今どちらを選ぶかなのだと思っているんです。

 どちらを選ぶかというのは、どういう意味でしょうか。間違えば地獄堕ちもあるという意味なのでしょうか。それとも、精神の状態としてあるかどうかの意味なのでしょうか。後者であれば、人間ですからあるのではないでしょうか。それでも、私たちみたいに長いものではないと思いますが。



> ワ〜〜ン、悲しい!! (*^_^*)(*^_^*)
> あっははは、そうですかぁ〜。
> ぼくは、人を嫌うことをとても恥ずかしいことだと思っている愛深い人間ですよ。
> すくなくとも、そうなりたいと思っているんです。
> そして、ぼくよりもっと上の人達がたくさん居るし、上の人達の中にも善き面とそうでない面があるし、ぼくと同じ程度の人達や、まだ未開発の人達の中にも善き面とそうでない面があるのを見つけます。
> さらに、それぞれの善き面とそうでない面も、断定的なものではなく、その場その場の局面に於いては善きものとして表現されたり、そうでなかったりすると思っているんです。

 私は単純に、思うとおりの地獄があるというのがハッキリしないということを言ったまでですよ。思うとおりの地獄が出現するという感覚は分かるような気がします。しかし、これも地獄の中でのバリエ-ションなのかと思っております。心の中の地獄と4次元幽界の地獄とのかかわりなど、ハッキリしません。怒っているときそこが地獄だという言い方も分かります。



> > ヨブのことは、大川先生のお説きになるように、「ヨブよ、お前に神の心が分かるのか」で一応の満足は得ております。
>
> そうでしょうか? 池田さんのソクラテス・シリーズの中に「ラスコーリニコフ」と「人権擁護主義者」の話があるんですが、「自分の存在を作った神を憎むラスコーリニコフ」は、気が狂う一歩手前です。
> これこそが地獄と云えそうです
> ヨブの話は、昔からキリスト者の大きな疑問でした。
> たしかに、「ヨブよ、お前に神の心が分かるのか」で引き下がるのも分かりますが、それでは納得しない人も多いんです。
> そういう人達はまずこう考えます。「何故、俺でなきゃいけないんだ!」、ここからは苦しいものです。
> すんなり納得するひとなら、自分を小さな小さな価値の無いものと思うことでしょう。
>
  単純にヨブが自身の不幸を嘆いているのではないでしょうか。これに対して、神はすべてお見通しなのに、なぜそれほどまでに嘆くのかと言っていいるという具合に解釈しておりました。ヨブの苦しみに神様が冷淡ではないかということなのでしょうか。その境遇はかわいそうですが、神は見ているという安心はそこには全くないのでしょうか。キリスト者の大きな疑問であったとは知りませんでした。叔母にも聞いてみます。



> >おっしゃるキリスト教の矛盾ということ、ちょっと意味がわかりませんので。
>
> イエスは「愛」のことしか、言ってないようなんですよ。これだけだったんです。そして、これが一番大切なものだったんです。と同時に僕らに苦しみももたらすんですねえ。
>
 最後のくだり、「ぼくらに苦しみももたらす」の意味もよくわかりません。



> >法華経は地獄を説くのでしょうか?
> 地獄の苦しみのことは、たくさん書いてあります。
> なかには、「受持せぬものは、悪そう、脳けつ、水腹、たんげ、在るべし」と言うような呪いの言葉も在ったと思います。
> ぼくはよく知らないんですが・・・、
> ぼくの読んだ限りでは、法華経って「何にも書いてない!!」と云うものでした。
> 「仏の教えは、こんなにもこんなにも素晴らしい」と云うばかりで、他には何にも見あたらなかったと言うのがぼくの感想です。おおくの人達が法華経を賛美するのですから、ぼくが間違っているのかも知れません。
> 大川さんも講義で、「当会も法華経を使おうかなと考えております」と言うと同時に、別の場所では「法華経って、薬の効能書きみたいなもので、この薬はこんなに何でも効くんだと云うことばかり書いてあるんですが、箱を開けてみたら中身は空っぽだったと言うようなものなんですねえ」と当初語っていました。
> ぼくも、その通りだと思いました。
>
 法華経は腰をすえて読んでみる必要がありますね。学び足らずです。深い意味があるように思ってはおります。


> >谷口雅春師は法華経を光明思想を裏付ける仏典として、法華経を解釈しておりました。
> 光明思想は、よく効くという意味なのかなあ?

 実相論、人間は仏子であること、現象の奥にイデア(実相)があるという観点からの解釈と思います。



> 因果の法則は確かに在ると思いますが、厳密に行われるわけではないようですよ。
> 因果の法則を強調したのが仏教界の誤りだと、ぼくは思っています。
> 人の恐怖心を煽ってしまいました。
> じっさいの所は、カルマ(業)は、魂の傾向の意味のようです。
> 「因果の法則を厳密に適用したら、人類はとうに果てている」と、リーディングにありました。

 私がもっている因果観は、もともとゆるやかなものであったようです。hiraokaさんの持っておられるものと比べ、そのように思われました。ぎちぎちやられたらホントに窮屈ですね。


> > 私が過去に地獄にいたことは否定できないでしょう。当然、覚えてはおりませんが、しかし、地獄の様子が想像できる面がありますね。
>
> だれでもその人なりの地獄を想像できるはずだろうと思うんです。
>
> >特に最近の地獄では、サラリ-マン地獄というものがあるそうで、普段は地中に体のほとんどを埋め、首だけ表にだしているが、何かあるとすぐにだしていた首を恐怖で引っ込めるという亀のような動きをする、上司に叱られるのが怖い地獄があるそうです。おかしくもありますが、笑えない地獄の様相です。
>
> あっははははは〜〜! (*^_^*)
> ueyonabaruさん、これこそ大川さんの見ているサラリーマン地獄ですよ。
> 上級会社の正規社員の経験がある人の見るサラリーマン地獄ですよ。
>
> ぼくの想像するサラリーマン地獄は、こんなこっけいなものじゃありません。
> もっともっと悲惨ですよ。
> ぼくは何人も次のような人を見ました。
> 元サラリーマンだったとおぼしき背広を着た人が、俳諧しながら自動販売機や空間に罵声を浴びせたり毒づいていたりするんです。
> そのほかにも、いろんな狂った元サラリーマンらしき人を見ました。
> この点については、リアリストさんの云うことが本当だと思いますよ。(^.^)

 思うとおりの地獄が、ピンからキリまであるようですね。


 * 話がかみ合わないときもありますが、今後ともどうぞよろしくおねがいします。

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from: hiraokaさん

2008年12月16日 01時13分25秒

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「Re:Re:Re:Re:地獄について」
ueyonabaruさん、こんばんは〜〜。

> 大川さんが思っているマルクスやダ-ウィンを見ているというお考えですね。私は、大川さんが霊眼でみていると思っているのですよ。リアリストさんが、霊感など認めないという立場を持されていることは承知しており、私が霊はあるんだといっても信じてくれないでしょうね。

え〜っと、3人絡むとややこしいですね。(*^_^*)
ぼくの考えが正しいと断言は決してしませんのですが、霊界の通信を読むとこんなのがあります。

「戦い好きの男が戦争を起こすために兵士を募集したところ、同じような戦い好きのいろいろな人生を送ってきた霊人たちがたくさん集まってきた。と云うのも、類は類を呼ぶのが霊界の特徴であり、それがすぐさま実現するのである。さて面白いのはこの戦争については、さまざまな時代の男達が集まるのでなかには弓矢と剣しか知
らないのもおれば、近代的な銃を知っているものもいて、当然銃を知っているものは銃を撃つのだが、弓矢と剣しか知らない霊人はなんのことかわからず、また倒れもしないのである。」

大川さんが霊眼で見ているのは、その通りだろうと思います。
そして、大川さんは一段高い見地から見ているかも知れません。
そうだとすると、大川さんの著名な偉人が地獄に居ると云うのも正しいかも知れませんね。
ですが、同時に著名な偉人を天国に居ると思って霊眼で見ている人も居るようなんです。

ところでueyonabaruさんは、大川さんの中には地獄は無いと思われているのではないでしょうか?
ぼくは釈迦にもイエスにも誰にでも、その人の中に天国と地獄を同時に持っていて、本人が今どちらを選ぶかなのだと思っているんです。

>hiraokaさんも私にはよく分からない点が時々あるのですが、似たように、思うとおりの霊界があるというようなことをおっしゃいます。

ワ〜〜ン、悲しい!! (*^_^*)(*^_^*)
あっははは、そうですかぁ〜。
ぼくは、人を嫌うことをとても恥ずかしいことだと思っている愛深い人間ですよ。
すくなくとも、そうなりたいと思っているんです。
そして、ぼくよりもっと上の人達がたくさん居るし、上の人達の中にも善き面とそうでない面があるし、ぼくと同じ程度の人達や、まだ未開発の人達の中にも善き面とそうでない面があるのを見つけます。
さらに、それぞれの善き面とそうでない面も、断定的なものではなく、その場その場の局面に於いては善きものとして表現されたり、そうでなかったりすると思っているんです。

>宗教思想史で見てみたいですね。たとえば、旧約の時代、その前の宗教ではどのように扱われたかなど。また、宗教以外の思想の観点から、ダンテなどもいます。

「善悪」で分ける宗教確立以前は、アニミズムが一般的なように思われますよ。
ユタの世界観も、アニミズムが多く残っていると思うんです。
じっさい、全てのものに霊は宿ると云うか、入り込もうとするようです。
条件さえととのえば、なんにでも生命として現出しようとするみたいです。

> ヨブのことは、大川先生のお説きになるように、「ヨブよ、お前に神の心が分かるのか」で一応の満足は得ております。

そうでしょうか? 池田さんのソクラテス・シリーズの中に「ラスコーリニコフ」と「人権擁護主義者」の話があるんですが、「自分の存在を作った神を憎むラスコーリニコフ」は、気が狂う一歩手前です。
これこそが地獄と云えそうです
ヨブの話は、昔からキリスト者の大きな疑問でした。
たしかに、「ヨブよ、お前に神の心が分かるのか」で引き下がるのも分かりますが、それでは納得しない人も多いんです。
そういう人達はまずこう考えます。「何故、俺でなきゃいけないんだ!」、ここからは苦しいものです。
すんなり納得するひとなら、自分を小さな小さな価値の無いものと思うことでしょう。

>おっしゃるキリスト教の矛盾ということ、ちょっと意味がわかりませんので。

イエスは「愛」のことしか、言ってないようなんですよ。これだけだったんです。そして、これが一番大切なものだったんです。と同時に僕らに苦しみももたらすんですねえ。

>法華経は地獄を説くのでしょうか?

地獄の苦しみのことは、たくさん書いてあります。
なかには、「受持せぬものは、悪そう、脳けつ、水腹、たんげ、在るべし」と言うような呪いの言葉も在ったと思います。
ぼくはよく知らないんですが・・・、
ぼくの読んだ限りでは、法華経って「何にも書いてない!!」と云うものでした。
「仏の教えは、こんなにもこんなにも素晴らしい」と云うばかりで、他には何にも見あたらなかったと言うのがぼくの感想です。おおくの人達が法華経を賛美するのですから、ぼくが間違っているのかも知れません。
大川さんも講義で、「当会も法華経を使おうかなと考えております」と言うと同時に、別の場所では「法華経って、薬の効能書きみたいなもので、この薬はこんなに何でも効くんだと云うことばかり書いてあるんですが、箱を開けてみたら中身は空っぽだったと言うようなものなんですねえ」と当初語っていました。
ぼくも、その通りだと思いました。

>谷口雅春師は法華経を光明思想を裏付ける仏典として、法華経を解釈しておりました。

光明思想は、よく効くという意味なのかなあ?

>神がそのようにしているとは思いたくないですよね。因果の法則として考えていいのではないでしょうか。悪因果も善因果もあります。

因果の法則は確かに在ると思いますが、厳密に行われるわけではないようですよ。
因果の法則を強調したのが仏教界の誤りだと、ぼくは思っています。
人の恐怖心を煽ってしまいました。
じっさいの所は、カルマ(業)は、魂の傾向の意味のようです。
「因果の法則を厳密に適用したら、人類はとうに果てている」と、リーディングにありました。

> 私が過去に地獄にいたことは否定できないでしょう。当然、覚えてはおりませんが、しかし、地獄の様子が想像できる面がありますね。

だれでもその人なりの地獄を想像できるはずだろうと思うんです。

>特に最近の地獄では、サラリ-マン地獄というものがあるそうで、普段は地中に体のほとんどを埋め、首だけ表にだしているが、何かあるとすぐにだしていた首を恐怖で引っ込めるという亀のような動きをする、上司に叱られるのが怖い地獄があるそうです。おかしくもありますが、笑えない地獄の様相です。

あっははははは〜〜! (*^_^*)
ueyonabaruさん、これこそ大川さんの見ているサラリーマン地獄ですよ。
上級会社の正規社員の経験がある人の見るサラリーマン地獄ですよ。

ぼくの想像するサラリーマン地獄は、こんなこっけいなものじゃありません。
もっともっと悲惨ですよ。
ぼくは何人も次のような人を見ました。
元サラリーマンだったとおぼしき背広を着た人が、俳諧しながら自動販売機や空間に罵声を浴びせたり毒づいていたりするんです。
そのほかにも、いろんな狂った元サラリーマンらしき人を見ました。
この点については、リアリストさんの云うことが本当だと思いますよ。(^.^)

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from: リアリストさん

2008年12月15日 20時47分46秒

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「Re:Re:Re:地獄について」
>  もう一つ考えられるのは、宗教の違いから生じる食い違いがあるのではと思ったりもします。リアリストさんは日蓮正宗のドグマの影響がおありではないかとの想像もするのですよ。霊否定が極端にも思えます。また、一面には自然を大きく尊重されます。おっしゃるとおり、リアリストさんの実像がつかめません。

一連の御発言から、私の事を随分と御理解頂いていると存じております。私の考えは非常にシンプルです。
死後の事は良くわからない事なのでシンプルに考えております。むしろ現実重視の考えです。
日常の現実生活をどう幸福に生きるのか。これが日蓮正宗の考え方と、たまたま共通点が多いように
感じております。私は日蓮正宗を本格的に学んだ事はありませんが、掲示板などを拝見しますと
他宗と比べて納得できる考えをしていると思っております。但し、「自分教」を崩す事は今後とも
ないでしょう。

>  それでも、大川さんはやはり見ているのです。客観的な真実を見ているのです。これは、私の信仰と言われてもかまいません。

例えば万人が霊眼なるものを持っていて、万人が共通認識として見ていて初めて「客観的な事実」と
なると私は考えてしまいます。敢えて申し上げなくてもueyonabaruさんは十分御承知とは思いますが
「信じている事」と私は考えております。

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from: ueyonabaruさん

2008年12月15日 10時39分12秒

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「Re:Re:地獄について」
>> >地獄思想は宗教では、いつの頃でて、どのように展開してきたのか体系的に考えなければとも思いますが、・・・
>
 宗教思想史で見てみたいですね。たとえば、旧約の時代、その前の宗教ではどのように扱われたかなど。また、宗教以外の思想の観点から、ダンテなどもいます。



> 叔母様と「ヨブ」の話ならできるんじゃないでしょうか?
> 叔母様と、神と「ヨブ」は、まったく別のものであるのかどうかを問うてみてください。
> ここにキリスト教会の最大の矛盾があるように思えるんです。

 ヨブのことは、大川先生のお説きになるように、「ヨブよ、お前に神の心が分かるのか」で一応の満足は得ております。叔母も同じことを言うのかもしれません。機会があれば聞いてみます。
 おっしゃるキリスト教の矛盾ということ、ちょっと意味がわかりませんので。


> ですから、ぼくは地獄のことはわりと良くわかるような気がしますです。(*^_^*)
> 簡単に云うと「これはしてはいけない。これをしたら地獄に行くぞ!」です。
> ぼくはueyonabaruさんとは逆に「天国」とはどんなところと云うのがよく分からないんです。
> 酒池肉林が天国であろうはずがないし・・・、
> ぼくの妹みたいに「夫婦仲良く、パチンコ楽しいな」なんてのもちょっと違うような・・・・。(*^_^*)
> ぼくは父と地獄のことで言い争いになるとき、こう云って反論したのを覚えています。
> 「おとうさんは、『地獄では、耐えられないような苦しみを受ける』と云うけれど、地獄で受ける耐えられない苦しみと云うことが分かるならば、それは耐えられた苦しみじゃないか。」

 生長の家と霊友会では相当な違いがあるのですね。法華経を中心経典とされているのが、霊友会だと理解しておりますが、法華経は地獄を説くのでしょうか?。谷口雅春師は法華経を光明思想を裏付ける仏典として、法華経を解釈しておりました。



> > 生長の家を信じていた者からすれば、幸福の科学に入り、地獄をまじめに取り扱うということは非常に大変なことなのです。
>
> ぼくは、ueyonabaruさんのこの告白をある意味で、とても「そうなのだったのかぁ〜。」と驚いています。
> ぼくは、逆に地獄のほうばかり聞かされていましたから・・・。

 ホントにそうだったんですよ。だって、谷口雅春師はプロティノスであり、エマ-ソンの光明思想の影響を受けた方ですから。


> まず、「神」は罰として地獄を用意していることは絶対に無いと断言したいです。
> 同じように、罰としてカルマを適用しているわけではない事も断言します。

 神がそのようにしているとは思いたくないですよね。因果の法則として考えていいのではないでしょうか。悪因果も善因果もあります。



> ぼくにはほんとうのことは分からないんですが、おそらく半分どころかほとんどの人が一旦は地獄を経験するだろうと思っています。
> 間違いを犯さずに生き通した人はまれなはずだろうと思うんです。
> 新生児のままに亡くなる魂は別だろうと思います。
> ダ-ウィン、マルクス、吉田茂、最澄、三島由紀夫、西郷隆盛、・・・、みんなそれぞれの人生で天国と地獄を経験したはずです。
> ueyonabaruさんの最大の疑問は、「その人の人となりが良きものであったかどうか?」と、「その人の影響が良きことであったかどうか?」を、神はどう裁くのだろうか? と云うことではないでしょうか?

 私が過去に地獄にいたことは否定できないでしょう。当然、覚えてはおりませんが、しかし、地獄の様子が想像できる面がありますね。特に最近の地獄では、サラリ-マン地獄というものがあるそうで、普段は地中に体のほとんどを埋め、首だけ表にだしているが、何かあるとすぐにだしていた首を恐怖で引っ込めるという亀のような動きをする、上司に叱られるのが怖い地獄があるそうです。おかしくもありますが、笑えない地獄の様相です。

 その人の影響ですよね。それに、心の三毒という憎み(欲か)、怒り、おろかに該当したときに堕ちるということなどです。

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from: ueyonabaruさん

2008年12月15日 09時29分55秒

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「Re:Re:地獄について」

 大川さんが思っているマルクスやダ-ウィンを見ているというお考えですね。私は、大川さんが霊眼でみていると思っているのですよ。リアリストさんが、霊感など認めないという立場を持されていることは承知しており、私が霊はあるんだといっても信じてくれないでしょうね。
 おっしゃるとおり、信仰の問題ですね。実証ができないのですから実証性のないものは認めないリアリストさんには、受け入れられないでしょう。
 このように明瞭な食い違いというのは、どこから来るのかと考えるのですが、一つには性格、性向の違いがあげられるでしょう。私の父は、霊などを決して表向き信じない人間でした。自身は不思議な経験もしたと思っておりますが、それでも立場を変えませんでした。霊を信じたくない人なんですね。
 もう一つ考えられるのは、宗教の違いから生じる食い違いがあるのではと思ったりもします。リアリストさんは日蓮正宗のドグマの影響がおありではないかとの想像もするのですよ。霊否定が極端にも思えます。また、一面には自然を大きく尊重されます。おっしゃるとおり、リアリストさんの実像がつかめません。
 もっと実像がハッキリ分かるようにしていただければありがたいのですが・・・・・。私は、自分のことをできるだけ表現していくつもりでいます。
 その人の思うように現象は現れるというのは、宗教の一つの教えとしてあります。大川さんが思うとおりに現象は現れるというご発言は、これともつながるのでしょうか。hiraokaさんも私にはよく分からない点が時々あるのですが、似たように、思うとおりの霊界があるというようなことをおっしゃいます。
 それでも、大川さんはやはり見ているのです。客観的な真実を見ているのです。これは、私の信仰と言われてもかまいません。
 

> ですから、大川さんは実物のダ-ウィンやマルクスではなくて、大川さんが思っているダ-ウィン像
> やマルクス像を見ているのではないかと思うのです。そして、それが地獄に行っていると見えている
> のだと考えれば、合点が行くと思うのです。実際に地獄が在ってそこに行っているかどうかは
> 誰にも分からない事ではないでしょうか。(すなわち信じている事=空想です)
>
> 極端な話、例えば、大川さんがリアリストは地獄に行くと信じられても、それはそれで結構な事で
> 私には全く関係在りません。大川さんの心の中の「リアリスト像」が地獄に行くだけで、私は
> そのようなものは存在していないと信じている訳ですから。私の心の中の万人像は一なる世界に
> 還るのであって、地獄なるものは存在しておりませんし不要です。否定論者、不要論者と以前
> 申し上げました。
>

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from: hiraokaさん

2008年12月15日 01時03分37秒

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「Re:地獄について」
ueyonabaruさん、こんばんは。
「斗南先生」も読まれていたとは、驚きでした。

>地獄に堕ちた方がたの話が続いたため、現在私は憂鬱の状態にあります。
おや!、どうされたのですか?
悩み事が大きくなったんですか?

>地獄思想は宗教では、いつの頃でて、どのように展開してきたのか体系的に考えなければとも思いますが、・・・

これは、根深い問題なんだと思います。
まず太初の人間は地上経験を経て、容赦のない自然に直面しなければならなかったと思われます。
(もっとも、自然のすばらしさも経験しているはずですが・・・)
肉体にやどったからには、これらの経験は「自分の中に原因がある」と考えることはできないはずです。
つまり、「なぜこのような苦しさがあるのだろうか?」と考えたはずでしょう。
大自然の災害に直面すれば、だれでも「自分と思っているものよりも、さらに大きなもの」を思うはずです。

そして、もう一つ重要な原因があると思います。
それは、地上では人間が「愛」を最もよく知っているがために、家族単位でまとまるような経験を多くしてきた事と関係があると思っています。
家族において父の役割と母の役割は、神の二面性を具象化したもののように思われるんです。

この二つの人類の経験が積もって、「怖い神話」を作り始めたのだろうと思われます。
その集大成が旧約聖書みたいなもんです。
神の理不尽な試練に翻弄される「ヨブ」の話をご存知だと思います。
叔母様と「ヨブ」の話ならできるんじゃないでしょうか?
叔母様と、神と「ヨブ」は、まったく別のものであるのかどうかを問うてみてください。
ここにキリスト教会の最大の矛盾があるように思えるんです。


> 個人的にいえば、私はかつて生長の家の信徒でしたので、地獄を主要なテ-マとしての教えをそこでは受けておりませんでした。生長の家は光明思想ですので、人間は神の子仏の子の教えですので、地獄を詳しく説くことはなかったのです。

なるほど〜・・・、そうなんですか。
ものごころ付いた頃から「成長の家」だったのでしょうか?
僕などはものごころ付いた頃から「霊友会」でしたので、地獄思想ばかりだったんですよ。
父は事あるごとに「霊界はほんとうに恐ろしいところだ」と常々強調していました。
ですから、ぼくは地獄のことはわりと良くわかるような気がしますです。(*^_^*)
簡単に云うと「これはしてはいけない。これをしたら地獄に行くぞ!」です。

ぼくはueyonabaruさんとは逆に「天国」とはどんなところと云うのがよく分からないんです。
酒池肉林が天国であろうはずがないし・・・、
ぼくの妹みたいに「夫婦仲良く、パチンコ楽しいな」なんてのもちょっと違うような・・・・。(*^_^*)

ぼくは父と地獄のことで言い争いになるとき、こう云って反論したのを覚えています。

「おとうさんは、『地獄では、耐えられないような苦しみを受ける』と云うけれど、地獄で受ける耐えられない苦しみと云うことが分かるならば、それは耐えられた苦しみじゃないか。」

なんだか、池田さんの話しに戻りそうですね。 (*^_^*)


>「正心法語」では、この世の闇夜は地獄なり、あの世の闇夜も地獄なりと説かれます。これから、地獄に堕ちない生き方が大切ということで、自身の修養が説かれてゆくのです。

そのとおりだと思います。
赤子はちょっとお腹がすいたらワンワン泣きますね。
これは本人にとっては、「地獄」のはずです。
大人なら、お腹がすけば、「そろそろ晩飯にしようか」と思うかも知れませんね。
これは、ほとんどの人が身につける「自身の修養」の一つなんだと思います。

なかには、こんな大人の態度も取れなくて、家に帰ったらまだ晩飯が出来ていなかったといって怒り出し、地獄を現出しそれが習い性になってしまった、わがままな人も居ると云うわけなんだろうとおもうのです。
こういう人は、死んでからも性格はそれほど変わるはずもありませんから、だいたいどういう心境を作り出すか想像できますよね。

> 生長の家を信じていた者からすれば、幸福の科学に入り、地獄をまじめに取り扱うということは非常に大変なことなのです。

ぼくは、ueyonabaruさんのこの告白をある意味で、とても「そうなのだったのかぁ〜。」と驚いています。
ぼくは、逆に地獄のほうばかり聞かされていましたから・・・。

>ダ-ウィン、マルクス、吉田茂、最澄、三島由紀夫、西郷隆盛、その他、著名な方々がそちらに行っているということです。

「ヒロヒトは、地獄に居る」と霊言する外国の霊能者も居るんです。
イエスを心の底から憎む一派もあるんです。しかも、それを楽しんで・・・。
近代でも、ヒトラーをあがめるネオナチがあるようなものだと思うんです。

ぼくが人それぞれに天国と地獄があると云ったからとて、てんでばらばらな天国地獄を言っているわけではありませんです。
これらに共通する原則があります。
それが、「愛」なんです。

まず、「神」は罰として地獄を用意していることは絶対に無いと断言したいです。
同じように、罰としてカルマを適用しているわけではない事も断言します。

>また、現在では、半分ぐらいの人は死後地獄に行くと大川先生は説かれます。ホントでしょうか。

ぼくにはほんとうのことは分からないんですが、おそらく半分どころかほとんどの人が一旦は地獄を経験するだろうと思っています。
間違いを犯さずに生き通した人はまれなはずだろうと思うんです。
新生児のままに亡くなる魂は別だろうと思います。
ダ-ウィン、マルクス、吉田茂、最澄、三島由紀夫、西郷隆盛、・・・、みんなそれぞれの人生で天国と地獄を経験したはずです。

ueyonabaruさんの最大の疑問は、「その人の人となりが良きものであったかどうか?」と、「その人の影響が良きことであったかどうか?」を、神はどう裁くのだろうか? と云うことではないでしょうか?

ぼくは断言はしませんが、
「人それぞれの天国と地獄を持っていると同時に、自分はその中のどれを選ぶかの自由意志を持っている!」と思うんです。

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from: リアリストさん

2008年12月14日 23時18分00秒

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「Re:地獄について」
私は、地獄の存在は認めていない立場ですので、あまり参考にならないと存じますが、
今までのやり取りから、次の事が言えるのではないかと存じます。我々が見ているものは
事物そのものではなくて、事物の像ではないのかということです。例えば私はueyonabaruさん
やhiraokaさんそのものではなくて、ueyonabaru像、hiraoka像を見ております。
私が勝手に想像している像を見ております。ですから、お二人と実際にお会いして飲み会でも
すれば、また違ったお二人が見えて来ると思うのです。そしてそれは、より実物に近いものに
なっていると思えるのです。皆様のリアリスト像も最初のイメージとは少し違っている筈です。
全く違っているかも知れません。

ですから、大川さんは実物のダ-ウィンやマルクスではなくて、大川さんが思っているダ-ウィン像
やマルクス像を見ているのではないかと思うのです。そして、それが地獄に行っていると見えている
のだと考えれば、合点が行くと思うのです。実際に地獄が在ってそこに行っているかどうかは
誰にも分からない事ではないでしょうか。(すなわち信じている事=空想です)

極端な話、例えば、大川さんがリアリストは地獄に行くと信じられても、それはそれで結構な事で
私には全く関係在りません。大川さんの心の中の「リアリスト像」が地獄に行くだけで、私は
そのようなものは存在していないと信じている訳ですから。私の心の中の万人像は一なる世界に
還るのであって、地獄なるものは存在しておりませんし不要です。否定論者、不要論者と以前
申し上げました。

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