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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年01月20日 14時53分16秒

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    反幸福の科学サイトを読んで

     hiraokaさんやリアリストさんに促され、表題のサイトを再度読んでみました。大川さんの経歴詐称、夫婦間の問題、詩のことなど色々と悪く書いております。

     どのように解すればよいのでしょうか。そのまま受け取るか、全く無視するか、半分ぐらいは真実として認めるか・・・・・。

     これの真偽については、幸福の科学の支部の友人に聞いてみる必要がありそうです。ホントにそんなに悪いとなれば困りますね。大川先生のことまで、信頼ができなくなるかもしれません。とにかく、きいてみます。

     信仰に力点を置いております。この頃は、自分のなかの神様、すなわち守護霊のことも身近に感じられるようになり、だんだんに自信が生まれつつあるのを感じるようになっております。そのような中での今回の嵐ですね。安穏たる信仰生活も難しいですね。

     次は、大川先生の著書「信仰のすすめ」からの抜粋です。

    「少し逆説的で奇抜な言い方ですが、かつて私は「信仰とは事実の確認である」と述べたことがあります。その言葉の真意は「この大宇宙のなかで、人間をはじめとした、いろいろな生き物を生かそうとする、根本仏の意思があって、生命が生まれた。根本仏が大宇宙を創り、その中に生命を生み、育んでいる。その生命が、現象界でのさまざまな魂修行をしている。そのなかで転生輪廻もある。その事実を確認することが信仰にほかならない」ということです。」

    「結局信仰とは、「あなたは誰ですか。どこの家の子ですか」と訊かれ、「私は00家の子です」と答えているのと同じようなことなのです。すなわち、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は仏の子です。私の親は仏です。神と言われることもありますが仏が私の親です」と言えることが信仰です。」

     上の言葉は単純な表現ですが、皆さんはどのように思われますか。当たり前ではないかとおっしゃいますか。あまりに単純であると。

     私は、これを大真理だと申し上げたいのです。日夜、親さまのことを考え生きねばと思うのですよ。そして、その上、私の内なる神様、守護霊さまのご指導もいただきたいなと思っているのです。これが、私の信仰です。
     そういえば、これは、「生長の家」にいたときに、谷口先生から教わったことなんですね。先生は、「真理への道はただ一つ、人間は神の子であるということである」とおっしゃっておりました。

     今回のまとめ作業であらためて上述のことを再確認させられました。

     ともあれ、大川さんの悪いところなど、訊いてみたいと思います。 

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コメント: 全6件

from: ueyonabaruさん

2009年01月23日 11時10分17秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:反幸福の科学サイトを読んで」
> ぼくの答えは簡単です。天皇はローカルな神だからです。
> 西洋の神がグローバルだと云う意味ではなく、ちょうど英語が優位な状況にあると云う意味です。
> だから、反日の人達は「日帝」(日本の帝王であって、天『宇宙』の神ではない)と呼びますね。
> 天皇の存在はこれからも無くなることは無いはずです。
> なぜなら、血筋のみが正統の根拠だと信じ込んでいる世風のなかでは、いちど途絶えさせたら二度と復興できないと思い込んでいるからです。
>
> 時代は否応なく変化していくものですから、彼のテーマなど宇宙の計画からみれば瑣末なことであると同時に、
> その痛みを彼みずからが一身に請け負う辛い人生を選ぶことを彼自身がひきうけたのでしょう。
> 彼の経験は同時にぼくらの経験にもなっているはずです。

 三島さんの思想は、尊皇、伝統主義ですが、古臭いで簡単に括れるものとは思っておりません。仏教やキリスト教が主流には違いないのですが、神道の美点もたくさんあると思っております。美しい日本の原点です。佐藤優という方は、高天原の概念を取り上げ、英国の国教の原点にある理念なども引き合いに、国体論を展開しております。日本の個性の強調かも知れません。この方は、バ-クの思想を基に、日本国家の進むべき道を探っておりますが、傾聴に値します。
 日本主義という古臭いといわれる思想も、さらに勉強していく必要はありませんか。三島のもとになっているのは、日本浪漫主義の文学運動とも言われております。その中に、中川与一という作家がおり、「天の夕顔」という美しい小品を書いております。私の言葉でいえば、これは、ベ-トベンの「エリ-ゼのために」のようなものです。ある花火つくりの物語なのですが、美しい花火をつくることに命がけになる男の物語です。この作品は、実存主義者であるカミュも絶賛したものです。イデアを求める理想主義者に通じる価値観があります。三島は、この方を尊敬しており、彼もまた理想主義者でありました。
 あの時代(中川与一の)の作家には理想があります。太宰もそうですし、中島敦も同じだと感じます。武者小路実篤その他名前は思い出せないのですが、すべてに理想や神仏への尊敬、真理探求というものがあったように思います。
 三島さんの、このような失われゆく日本的美、日本的精神への愛惜の思いが、いびつな形での爆発となったと思います。物質より価値のあるものがあるということを示したかったのです。今、彼に同調した、鶴田浩二のことなど、ホントに懐かしく思われますね。
 三島さんのご性格が健全であったとは言いませんが、小林秀雄の好意的批評に基づけば、このような三島像が浮かび上がります。



> ほんとうは、そうしたくなる人間性を禁じた教えのほうが間違っているんですが・・・、
> もともとは人間が表したもの(たとえば仏像)のみや、自然の一部だけに神が在るのではないんだよと云いたかったのが、いつのまにか禁じることになってしまった人類の歴史なんです。
> でも、表現の本能はもともと神の性質なので、どんなに厳格にとりしまっても、教義に違反しないであろうと解釈のお墨付きが付くと必ず表現することになって、モスクは外側は荘厳になったようです。

 偶像崇拝禁止を極端に推し進めると、形あるものをすべて破壊するまでに至るようです。タリバンがバ-ミヤンの仏教遺跡を爆破するという愚を犯すことにもなりますね。イスラム過激派はホントに困ります。ガザはどうなるのでしょうか、気になりますね。これは、宗教戦争です。



> 「ヒマラヤ聖者の生活探求」と云うマイナーな本があるんですが、その中に厳寒の雪中に宮殿を一瞬にして繰り広げる話がありまして・・・。

 あ-また懐かしい本が出てきました。若いときに読んでおります。訳者は仲里誠吉さんという方ですね。この方は、沖縄の生長の家の有力な講師であった方です。まさしく誠実で、学者風の立派な方です。後には、生長の家の活動から離れられました。大川隆法の本を読んでもらったらどのように反応されるのか、興味はあります。私にとってはご恩のある仲里先生です。恩知らずにも、最近の消息も分かりません。

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from: hiraokaさん

2009年01月23日 00時24分37秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:反幸福の科学サイトを読んで」
ueyonabaruさん、こんばんは。

>直接お読みになって、やはり売り言葉に買い言葉の次元のお話と解釈されましたか?

いいえ、ふたりとも立場ある人として口にするべき言葉ではないと思いました。
でも、二人とも心中には売り言葉に買い言葉の感情が働いているかも知れません。

> 田母神さんは、自虐史観を否定する意図があります。この点には同調します。近現代史を我々は学校で教えられることはありませんでした。戦前を否定するのに躍起になって、歴史を客観的に学ぶということをしていないというのが私の見方です。多く学べることがあります。

同感です!

>。「今どきの若い者・・・・・」
という言い方は、できないのですが、私は、若い者に期待してゆくしかないと思っております。カラフルな今の子供達に幸いあれと祈るのみです。

そうですね。これもぼくの信じるものなのかも知れませんが、「今どきの若い者は、わしらの若い頃より進んでいる」とぼくは思います。
彼らは、ぼくらの若かった頃よりも視野と世界が広がり、他人を認め、偏見が少なく、知識とスキルが洗練され、こだわりが少なくなっているように思えます。

ご存知かも知れませんが、エジプトで発掘されたヒエログリフにも「今どきの若い者はなっとらん・・・」と嘆く文章が残っているそうですね。(*^_^*)

大川さんも「もし、若い世代がほんとに自分らよりも劣っていくのなら、世界はだんだん悪くなっていくはずですよね・・・」と云っていましたね。そのとおりだと思います。

ぼくの結論として、日本の行く末を心配する必要は老婆心と云うものだと思います。
若い世代はぼくらよりもうまく舵取りしていくはずです。
三島さんや田母神さんは、自己陶酔しているように思います。
この真理は自分の存在価値を確認したいという潜在的な衝動から来ているように分析します。
ぼくの云う事が正鵠を射ているならば、若い人達はじつにたのもしいと思います。

ぼくは三島さんや田母神さんのような人達が居なくなればいいとは、まったく思いません。
彼らには彼らの存在価値があるとおもっています。
ですが、彼らの思考の行き着く先に幸福は薄いだろうと思われるのです。

>古臭い文章は、三島さんの価値観に由来するでしょう。旧漢字,旧かなづかいでしか表現できない情感はたくさんあります。

その通りですね。たしかにそう云うものがあると思います。
しかしそれでも、かれの文章は古臭いんです。
なぜ、そうなるかと云うと、物事の皮相にばかりしか思い至っていないからだと思います。
森鴎外や南方熊楠や稲垣足穂などの文章は、旧仮名遣いでもまったく古臭く感じられません。
それどころか、旧仮名遣いだからこそ味わいがあります。
ちょうど「百人一首」や「万葉集」が古い表現であっても普遍的なものを歌うから古臭さが匂わないのと同じではないでしょうか。

>その中に、三島さんの小学時代の文章を紹介する記事がありました。小学生が名文を書いているのですね。彼のクラスのなかに朝鮮人の子がおり、その子が皆にいじめられることを書いており、いじめる側の子供達の非をなじっております。彼には、元来優しい愛深い面があるということが窺われ、彼の派手な行動と対比させながら涙したものです。

これこそが、だれでも持っている愛ですよね。太宰さんもやさしい少年だったようですよ。
ふたりとも、その愛の種を向ける対象を限定してしまいました。
かたや日本人のみに、そしてかたや一人の人間のみに・・・。

>。「天皇はなぜ神であることをやめたのか」というのは彼のテ-マですが、たくさんのことを考えさせられます。

ぼくの答えは簡単です。天皇はローカルな神だからです。
西洋の神がグローバルだと云う意味ではなく、ちょうど英語が優位な状況にあると云う意味です。
だから、反日の人達は「日帝」(日本の帝王であって、天『宇宙』の神ではない)と呼びますね。
天皇の存在はこれからも無くなることは無いはずです。
なぜなら、血筋のみが正統の根拠だと信じ込んでいる世風のなかでは、いちど途絶えさせたら二度と復興できないと思い込んでいるからです。

時代は否応なく変化していくものですから、彼のテーマなど宇宙の計画からみれば瑣末なことであると同時に、
その痛みを彼みずからが一身に請け負う辛い人生を選ぶことを彼自身がひきうけたのでしょう。
彼の経験は同時にぼくらの経験にもなっているはずです。

> 根本真理は一つでしょう。論理に外れたものも、含めて表現すればよいのではないでしょうか。

すみません。意味がよく分かりませんでした。
ぼくにとっての根本真理は「愛」です。

> 感じるものです。もう少し追加説明できませんか。

はい。
表現せざるを得ないような強い衝動を起こさせるほどに感じるものなのに、
表現したとたんに「それ、そのものではなくなってしまうようなもの」
しかしうまく表現されたものには、だれでも「感じる事ができるもの」

なぜ良きことは、それが良きことだとア・プリオリに分かるのか?
これこそが、ぼくらが神そのものであることを証明するものだと思います。
ひいては、神とはなんであるかを想像する思い出す道糸になるものですね。
ueyonabaruさんは、知っていると思います。

>白い幕のような物しか置かないというのがイスラムの祭壇の様ですが、モスクは競って美しくしようとしております。これの兼ね合いはどうなのでしょうか。白い幕だけ置き、コ-ランの教義に心を集中させる意味があるのでしょうか。

人間肉体に宿ると、どうしてもかたちに表さないと居心地が悪いんです。
なっとくできないような気がしてしまうんです。
それで、どんなにアイドルが本当の神ではないんだよと云われても云われても、どうしても神を感じさせるようなものを作りたくなってしまうんです。

ほんとうは、そうしたくなる人間性を禁じた教えのほうが間違っているんですが・・・、
もともとは人間が表したもの(たとえば仏像)のみや、自然の一部だけに神が在るのではないんだよと云いたかったのが、いつのまにか禁じることになってしまった人類の歴史なんです。

でも、表現の本能はもともと神の性質なので、どんなに厳格にとりしまっても、教義に違反しないであろうと解釈のお墨付きが付くと必ず表現することになって、モスクは外側は荘厳になったようです。

ここまで書いてて自分で笑っちゃいました。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」と云うマイナーな本があるんですが、その中に厳寒の雪中に宮殿を一瞬にして繰り広げる話がありまして・・・。
ちょうど、上述と真反対なので・・・。

「第三の眼」と云う、ちょっとマイナーな本をご存知でしょうか?
こういうのを読むと、三島さんの書いていることなどコップの中の嵐のような感覚に引き込まれます。
ちょうど、壮大な宇宙の解説本などを読むとホントにいろんなことが、どうでもいいような気に成ってくるので面白いですね。(*^_^*)

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from: ueyonabaruさん

2009年01月22日 11時03分37秒

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「Re:Re:Re:Re:反幸福の科学サイトを読んで」

> 年頭にueyonabaruさんの書き込みを読んですぐに大川さんの発言を自分でも読みました。
> ふしぎです。 大川さんの発言を全部読むと「日本が中国の植民地になる可能性も考えるべき」と云う物騒な言葉が独り歩きしないように聞こえるから不思議です。
> でも、云っていることは同じことです。

 直接お読みになって、やはり売り言葉に買い言葉の次元のお話と解釈されましたか?


> >近現代史を読む限り、田母神さんのおっしゃる濡れ衣論だけで括れるものではありません。
>
> 同感です!
>
 田母神さんは、自虐史観を否定する意図があります。この点には同調します。近現代史を我々は学校で教えられることはありませんでした。戦前を否定するのに躍起になって、歴史を客観的に学ぶということをしていないというのが私の見方です。多く学べることがあります。



> 「今どきの若い者は、ワシらの若い頃に比べたら・・・」
> ↑ueyonabaruさんでしたら、この後どのように続けられますでしょうか?
> 興味あります!

 わたしの小学校時代は、振り返ってみると、学校での先生方は、ほとんどが戦前の教育を受けた方々でした。ですから、戦前の雰囲気を感じとることができます。「斗南先生」を読むと、まさしくそのような世界ですね。良いものもたくさんありますが、その背景はやはり暗いセピア色の世界ですね。「今どきの若い者・・・・・」
という言い方は、できないのですが、私は、若い者に期待してゆくしかないと思っております。カラフルな今の子供達に幸いあれと祈るのみです。


> >三島さんは、文学的天才でしょう。大物でしょう。三島さんの小説は、あまり入り込めないんですが、・・・
>
> あの古臭い文章がですか? (*^_^*) (*^_^*)
> 旧仮名遣いから抜け出せないような表現がですか?
> 光る表現は沢山あることは、そう思います。
> しかし、彼は人間にとって一番大事な「仁」「愛」の意味が分かっていないように思えます。
 
 古臭い文章は、三島さんの価値観に由来するでしょう。旧漢字,
旧かなづかいでしか表現できない情感はたくさんあります。三島さんの最後の作品などでは輪廻転生の概念がでてきますね。むかし分からなかった、三島さんの小説のよさが今になれば分かるのか、再度読んでみたい気がします。仁や愛をテ-マにした小説を書く方ではありませんね。三島さんが自決された当時は、東京に住んでおりましたが、死後たくさんの三島関連の記事がマスコミにあふれました。その中に、三島さんの小学時代の文章を紹介する記事がありました。小学生が名文を書いているのですね。彼のクラスのなかに朝鮮人の子がおり、その子が皆にいじめられることを書いており、いじめる側の子供達の非をなじっております。彼には、元来優しい愛深い面があるということが窺われ、彼の派手な行動と対比させながら涙したものです。「天皇はなぜ神であることをやめたのか」というのは彼のテ-マですが、たくさんのことを考えさせられます。
 でも、私のタイプは中島敦に近いでしょうね。正統派です。
 

> >仏の産んだ悪魔という表現は文学的な感じがしますが、どういうことでしょうか。
>
> ぼく達は、論理に外れるものは無視するわけなんですが・・・。
> 神は論理に外れたものをも許容するはずなんです。
> もしそうでなければ、論理に外れたものの存在を最初から無いものにするはずなんです。
> すると、神に反する物をもぼくらは神の被造物として認めざるを得ません。
> この矛盾は大昔から言い伝えられていました。
> 真理は一つではないようです。

 根本真理は一つでしょう。論理に外れたものも、含めて表現すればよいのではないでしょうか。



> >ソクラテスもプラトンも第一原因者の存在を信じていたという事実から始まっているように思います。
>
> そうだろうと思うのですが、・・・。
> 「第一原因者」の「者」の字を使っただけで、すでにぼくらの理解の範疇に収めようと努力しているわけなんです。
> そうではなくて、感じるものではないのでしょうか?
> 感じることによって、その存在と自分の出所を想像するものではないでしょうか。

 感じるものです。もう少し追加説明できませんか。



> この意味では偶像崇拝や歌舞音曲絵画に神を表してはいけないとするイスラム教の教えは正しい勧めだと思うんです。

 偶像崇拝はいけませんが、絵画、彫刻、音楽を通じ、神を称え、信仰心を養うのは良いことだと思っております。白い幕のような物しか置かないというのがイスラムの祭壇の様ですが、モスクは競って美しくしようとしております。これの兼ね合いはどうなのでしょうか。白い幕だけ置き、コ-ランの教義に心を集中させる意味があるのでしょうか。

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from: hiraokaさん

2009年01月22日 00時48分18秒

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「Re:Re:Re:反幸福の科学サイトを読んで」
ueyonabaruさん、こんばんは。

>また、私は、誤解を与える書き方をしたようです。・・・・

いえいえ、分かっていますよ。江沢民の発言は知っています。
あちらは政治システムが違うので、あんな物騒なことを言っても民意による批判を受けずに済むわけですよね。

年頭にueyonabaruさんの書き込みを読んですぐに大川さんの発言を自分でも読みました。
ふしぎです。 大川さんの発言を全部読むと「日本が中国の植民地になる可能性も考えるべき」と云う物騒な言葉が独り歩きしないように聞こえるから不思議です。
でも、云っていることは同じことです。

>与那国町の漁協長のことは、私自身が直接聞いたことで、・・・

この発言も昔から言われていますね。
朝鮮との李ライン(李政権の頃の海域のことです)での日本漁船の拿捕や、北方領土でのロシア側からの拿捕・・・・。 そこで生計を立てている人達に取っては死活問題ですね。

ああ、なんと情けないほど現代はこういった問題ですらいまだに解決できないでいる状況ですね。
ユートピアなど夢のまた夢の状況です。

>しかし、リバ-ティ-誌では抑止力のことを論じております。

国家と云うのは、互いに左手で握手をしながら右手でいつでも相手をブン殴れるようにこぶしを振り上げているんですよね。
左系の人は「右手を降ろせ!」と云い、右系の人は「右手をもっと上げろ!」と云っているわけですね。
まあ当分は、右手を降ろせないことでしょうね。

でもでも、右手を降ろすことについてはどの国も「賛成」なんです。
いつか、それが実現するときが来ますよ。
それまではあまり現実を見過ぎないことも、現代人にとっての処世術かも知れませんよ。

>近現代史を読む限り、田母神さんのおっしゃる濡れ衣論だけで括れるものではありません。

同感です!

>右傾化するから良いというものでもありません。

同感です! でも、特攻隊志願者はたくさん出てきますよ。きっと・・・

>・・・・、そうでしょうか。

ちょっとお聞きしたいことがあるんですが・・・
「今どきの若い者は、ワシらの若い頃に比べたら・・・」
↑ueyonabaruさんでしたら、この後どのように続けられますでしょうか?
興味あります!

>太宰の「走れメロス」は宗教的な価値観にも通じるところがあるように思いますね。

なるほど! そうですね。

>三島さんは、文学的天才でしょう。大物でしょう。三島さんの小説は、あまり入り込めないんですが、・・・

あの古臭い文章がですか? (*^_^*) (*^_^*)
旧仮名遣いから抜け出せないような表現がですか?
光る表現は沢山あることは、そう思います。
しかし、彼は人間にとって一番大事な「仁」「愛」の意味が分かっていないように思えます。

中島敦さんの文章は古臭くなかったように思いませんでしたか?

>仏の産んだ悪魔という表現は文学的な感じがしますが、どういうことでしょうか。

ぼく達は、論理に外れるものは無視するわけなんですが・・・。
神は論理に外れたものをも許容するはずなんです。
もしそうでなければ、論理に外れたものの存在を最初から無いものにするはずなんです。
すると、神に反する物をもぼくらは神の被造物として認めざるを得ません。
この矛盾は大昔から言い伝えられていました。
真理は一つではないようです。

>ソクラテスもプラトンも第一原因者の存在を信じていたという事実から始まっているように思います。

そうだろうと思うのですが、・・・。
「第一原因者」の「者」の字を使っただけで、すでにぼくらの理解の範疇に収めようと努力しているわけなんです。
そうではなくて、感じるものではないのでしょうか?
感じることによって、その存在と自分の出所を想像するものではないでしょうか。

この意味では偶像崇拝や歌舞音曲絵画に神を表してはいけないとするイスラム教の教えは正しい勧めだと思うんです。

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from: ueyonabaruさん

2009年01月21日 10時41分32秒

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「Re:Re:反幸福の科学サイトを読んで」
> >江沢民主席は、オ-ストラリアを訪問した際に、00年あとに日本という国が存在してはいないとのことを公の場で発言しました。
>
> 江沢民と同じことを大川さんは言ったわけですね。
> 売り言葉に買い言葉ですよ。こうしておかしくなっていくんです。
> 宗教家が言うような言葉とは思えません。
>
 また、私は、誤解を与える書き方をしたようです。大川先生の言葉ではなく、雑誌の記事なのです。与那国町の漁協長のことは、私自身が直接聞いたことで、以外は報道によるものです。しかし、リバ-ティ-誌では抑止力のことを論じております。



> ueyonabaruさんがそのように思われるということは、田母神さんの言うことに一部反論ありと云うことですね。

 論文は読んでおりませんが、全く日本がすべて正しかったというのは違うでしょう。近現代史を読む限り、田母神さんのおっしゃる濡れ衣論だけで括れるものではありません。



> >日本に防衛の意思はあるのかと疑います。
>
> ありますよ。予算だけは十分に取ってありますよ。(*^_^*)
>
> >今の国家、国民に独立の気概はないと言ってよいかと思います。
>
> 三島さんみたいに心配しなくても、ほんとうの有事になれば日本は一気に右傾化しますよ。
> これは、日本人の特性ですね。


 右傾化するから良いというものでもありません。



> >今の国家、国民に独立の気概はないと言ってよいかと思います。
>
> 仮想的を作っておくのが、独立の気概ではないんです。
> こちらから、あそこの国は敵だ!敵だ!と煽っているうちに、ほんとの敵になってしまうんです。


 あおるのも良くありません。 



> >これまで日本はアメリカの植民地でした。それは大変に居心地の良いものでした。
>
> 経済的には暗にアメリカの植民地と云えるかもしれませんが、居心地のいいものではありませんよ。


 一般的な考え方として申しております。文化的にも独立したものが当然必要です。



> >テレビでみると、侵略には対抗しないということを、堂々と発言する若者、ジャ-ナリスト、学者が出てまいります。これを見て、私は、今の国民に自主独立の気概はないとしか言えません。。
>
> ueyonabaruさん、そういう発言をする人達ばかりをマスコミは報道している偏重に気づきませんか?
> 新聞の三面記事を読めば、世の中がものすごく物騒なところに思われることでしょう。
> おなじことだと思いますよ。


 そうでしょうか。



> >三島由紀夫は尊敬しております。hiraokaさんは、三島とおっしゃるのですか。好きな名前です。
>
> あっはははは〜〜・・・。(*^_^*) いや、失礼しました。<m(__)m>
> 三島由紀夫と云うのはペンネームですよ。
> 本名は平岡公威(きみたけ)って云うんです。
> ぼくは三島さんとか太宰さんとかをあまり尊敬できないんです。
> コンプレックスの塊りがあって、そのことを隠そうとコソコソしたり悩んだり、そして自尊心が強すぎて・・・・。
> かれらは、自分の中にある自尊心を他の人達も自分と同じように持っているというところまでに到っていません。だから、自分だけの世界の中に入り込んでしまうんです。
> 三島さんは太宰さんのことを毛嫌いしていますが、自分のなかに同じものがあることに気が付きたくないんです。
> 他の人達の中に自分と同じものを見つける事ができない人達は、特に特別な才能を持っている人ほど悲劇的なゴールに行き着いてしまうようですよ。
> 太宰さんはちょっとやねこいかも知れませんが、三島さんとは仲良くなれるかも知れませんね。(*^_^*)

 太宰さんと三島さんは似ておりますね。太宰の「走れメロス」は宗教的な価値観にも通じるところがあるように思いますね。三島さんは、文学的天才でしょう。大物でしょう。三島さんの小説は、あまり入り込めないんですが、生前の彼の評論などはいつも参考にしておりました。


> >・・・・、私の何か良いところをいつの日にかまねるようになればと願うのみです。
>
> ご心配なく! 子供は親の良いところも悪いところも全部感じていますよ。
> ただ、「だから、自分はどうするか・・」というところだけは、子供の自由意志なんですねぇ。


 そのとおりであって欲しいです。


> > 嫌いなのかどうかは分かりません。裏側をどう位置づけされるのかに興味があります。裏側も面白いと私自身は思うのですが、どうでしょうか。天狗さん、竜神さんなど面白いです。
>
> 会の初期の頃のことですが、大川さんはある信者からパラマハナンサ・ヨガナンダ(故人)の「あるヨギの自叙伝」(かなり分厚い本です)を貰って読んでいるうちに、「これは全部読むよりも、直接本人に会ったほうが早いなと思って会ってきたんですが、やはり彼らの目指すところは当会の方向とは違うようなんですね」と云っていたと思います。
> また、ある人の質疑に対して、「世界には霊的磁場の特別に強いところが幾つかあってインドなどもそういうところの一つなんです」と云っていました。
>
> 密教的な考え方の一つに、「すべての人が等しく悟る必要は無い。たった一人だけでも悟る事ができたならそれは神の本望である」と云う暗黙の思想があるように思えます。


 幸福の科学の方向と違うのは分かるのですよ。



> いえ、ueyonabaruさんのおっしゃることはわかりますが、ぼくはそのようには思わないんです。
> 「あなたは誰ですか?」はわかりますが、その説明に「どこの家の子ですか?」は、自分が何であるかの説明にはならないと思います。
> 「私は仏の子です。仏の産んだ悪魔です。仏は私の存在を愛して許しておられます。」と云う可能性もあります。
ぼくの反論を屁理屈だと思われるでしょうか?
> でも、これに答えられなければ、本当の信仰に到ったとは思えません。

 神様はすべてお許しになるというのは真理ですが、神の子であるという真理もあります。仏の産んだ悪魔という表現は文学的な感じがしますが、どういうことでしょうか。



> まず、「仰」の字を取ってしまったらどうなるのでしょうか。
> 「仰」がある限り、ほんとうの自分と人と自然を見ることはできないように思うと同時に、「仰」の立場からしか見えない、ほんとうの世界もあると思います。
>
 これも微妙な表現の様です。信じることから始まるというのが私の今の気持ちです。ソクラテスもプラトンも第一原因者の存在を信じていたという事実から始まっているように思います。

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from: hiraokaさん

2009年01月21日 00時48分06秒

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「Re:反幸福の科学サイトを読んで」
ueyonabaruさん、こんばんは。

>江沢民主席は、オ-ストラリアを訪問した際に、00年あとに日本という国が存在してはいないとのことを公の場で発言しました。

江沢民と同じことを大川さんは言ったわけですね。
売り言葉に買い言葉ですよ。こうしておかしくなっていくんです。
宗教家が言うような言葉とは思えません。

>中国には、日中戦争で強引な日本の態度への仕返しの感情がないとはいえません。

ueyonabaruさんがそのように思われるということは、田母神さんの言うことに一部反論ありと云うことですね。

>日本に防衛の意思はあるのかと疑います。

ありますよ。予算だけは十分に取ってありますよ。(*^_^*)

>今の国家、国民に独立の気概はないと言ってよいかと思います。

三島さんみたいに心配しなくても、ほんとうの有事になれば日本は一気に右傾化しますよ。
これは、日本人の特性ですね。

>今の国家、国民に独立の気概はないと言ってよいかと思います。

仮想的を作っておくのが、独立の気概ではないんです。
こちらから、あそこの国は敵だ!敵だ!と煽っているうちに、ほんとの敵になってしまうんです。

>これまで日本はアメリカの植民地でした。それは大変に居心地の良いものでした。

経済的には暗にアメリカの植民地と云えるかもしれませんが、居心地のいいものではありませんよ。

>テレビでみると、侵略には対抗しないということを、堂々と発言する若者、ジャ-ナリスト、学者が出てまいります。これを見て、私は、今の国民に自主独立の気概はないとしか言えません。。

ueyonabaruさん、そういう発言をする人達ばかりをマスコミは報道している偏重に気づきませんか?
新聞の三面記事を読めば、世の中がものすごく物騒なところに思われることでしょう。
おなじことだと思いますよ。

>三島由紀夫は尊敬しております。hiraokaさんは、三島とおっしゃるのですか。好きな名前です。

あっはははは〜〜・・・。(*^_^*) いや、失礼しました。<m(__)m>
三島由紀夫と云うのはペンネームですよ。
本名は平岡公威(きみたけ)って云うんです。

ぼくは三島さんとか太宰さんとかをあまり尊敬できないんです。
コンプレックスの塊りがあって、そのことを隠そうとコソコソしたり悩んだり、そして自尊心が強すぎて・・・・。
かれらは、自分の中にある自尊心を他の人達も自分と同じように持っているというところまでに到っていません。だから、自分だけの世界の中に入り込んでしまうんです。

三島さんは太宰さんのことを毛嫌いしていますが、自分のなかに同じものがあることに気が付きたくないんです。
他の人達の中に自分と同じものを見つける事ができない人達は、特に特別な才能を持っている人ほど悲劇的なゴールに行き着いてしまうようですよ。

太宰さんはちょっとやねこいかも知れませんが、三島さんとは仲良くなれるかも知れませんね。(*^_^*)

>・・・・、私の何か良いところをいつの日にかまねるようになればと願うのみです。

ご心配なく! 子供は親の良いところも悪いところも全部感じていますよ。
ただ、「だから、自分はどうするか・・」というところだけは、子供の自由意志なんですねぇ。

> 嫌いなのかどうかは分かりません。裏側をどう位置づけされるのかに興味があります。裏側も面白いと私自身は思うのですが、どうでしょうか。天狗さん、竜神さんなど面白いです。

会の初期の頃のことですが、大川さんはある信者からパラマハナンサ・ヨガナンダ(故人)の「あるヨギの自叙伝」(かなり分厚い本です)を貰って読んでいるうちに、「これは全部読むよりも、直接本人に会ったほうが早いなと思って会ってきたんですが、やはり彼らの目指すところは当会の方向とは違うようなんですね」と云っていたと思います。
また、ある人の質疑に対して、「世界には霊的磁場の特別に強いところが幾つかあってインドなどもそういうところの一つなんです」と云っていました。

密教的な考え方の一つに、「すべての人が等しく悟る必要は無い。たった一人だけでも悟る事ができたならそれは神の本望である」と云う暗黙の思想があるように思えます。

「いや、そんな事はないはずだ!」と云うのがナーガルジュナだとか、ルターだとかなんでしょうね。
険しい道か、安易道かの違いかも知れませんね。

>裏側をどう位置づけされるのかに興味があります。

大川さんは、裏側を切って捨てていますよ。
問題にしないはずです。

>イエスがお生まれになったとき、雪が降っていたのか降ってなかったのかも分かりませんが、できたら降っていたんだが好きです。

ほんとうに雪が降っていたようですよ。

>しかし、大事なのは、大川隆法の思想性のことです。

その通りですね。
ぼくはueyonabaruさんと通信をしているこの体験を通じて、ますます大川さんへの妄信から離れつつあります。

> 信仰に力点を置いております。この頃は、自分のなかの神様、すなわち守護霊のことも身近に感じられるようになり、だんだんに自信が生まれつつあるのを感じるようになっております。そのような中での今回の嵐ですね。

真の自信と云うのはなかなか身に付かないものですよね。
ueyonabaruさんが、そのように感じられるのは良きことの兆しなのだと思います。
孔子だったと思うのですが、真の自信と云うのは「和して同ぜず」の一言に表されるような気がします。
しっかりと自分を正しく保つと云うのはむずかしいことですね。

>「結局信仰とは、「あなたは誰ですか。どこの家の子ですか」と訊かれ、「私は00家の子です」と答えているのと同じようなことなのです。すなわち、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は仏の子です。私の親は仏です。神と言われることもありますが仏が私の親です」と言えることが信仰です。」
 上の言葉は単純な表現ですが、皆さんはどのように思われますか。当たり前ではないかとおっしゃいますか。あまりに単純であると。

真の自信と云うのはなかなか身に付かないものですよね。
ueyonabaruさんが、そのように感じられるのは良きことの兆しなのだと思います。
孔子だったと思うのですが、真の自信と云うのは「和して同ぜず」の一言に表されるような気がします。
しっかりと自分を正しく保つと云うのはむずかしいことですね。

>「結局信仰とは、「あなたは誰ですか。どこの家の子ですか」と訊かれ、「私は00家の子です」と答えているのと同じようなことなのです。すなわち、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は仏の子です。私の親は仏です。神と言われることもありますが仏が私の親です」と言えることが信仰です。」
 上の言葉は単純な表現ですが、皆さんはどのように思われますか。当たり前ではないかとおっしゃいますか。あまりに単純であると。

いえ、ueyonabaruさんのおっしゃることはわかりますが、ぼくはそのようには思わないんです。
「あなたは誰ですか?」はわかりますが、その説明に「どこの家の子ですか?」は、自分が何であるかの説明にはならないと思います。

「私は仏の子です。仏の産んだ悪魔です。仏は私の存在を愛して許しておられます。」と云う可能性もあります。
ぼくの反論を屁理屈だと思われるでしょうか?
でも、これに答えられなければ、本当の信仰に到ったとは思えません。
まず、「仰」の字を取ってしまったらどうなるのでしょうか。
「仰」がある限り、ほんとうの自分と人と自然を見ることはできないように思うと同時に、「仰」の立場からしか見えない、ほんとうの世界もあると思います。

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