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from: ueyonabaruさん
2009年02月14日 23時31分38秒
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死後の魂の存在証明
2,3日前に、昨年亡くなった弟の法事に行ってまいりました。弟の妻、即ち私の義妹が、親戚の者にある写真を見せて、弟があの世からサインを送ってきたと説明をしているのです。その写真は弟の死後に写したもので、そこには、縦、横に十字状に光るものが写っておりました。それは、弟が義妹に対し、あの世で生きていることを知らせるサインだというのです。
TVの霊番組でもこのような写真が出ることがあります。普通には何か分からないが、写真のイタズラぐらいに思ってしまうようなものです。TVの霊能者は、ある霊のよせる何らかのサインであるということをよく言います。このことをTVで見て知っているので、義妹の親しくしているユタ(霊能者)がこの写真を見て何らかのことを言ってくれるだろうと思っておりましたが、訊いててみると、ユタは神様であると言っていたとのことでした。それでも義妹は、自分は弟からのサインであるとしか思えないということで、親戚の者にそのように説明をしていたわけです・
死後、残されたものにとっては、義妹のように、死後の魂の存在証明を求めるものです。しかし、これはナカナカ現実には難しいように思えます。弟夫婦は、死後に必ずサインを送るとの約束をしていたにも関わらず、約束どおりの現象は起こりませんでした。
神様は、簡単にあの世の魂の存在証明をお許しになっていないかの様です。霊界通信などの本を読むと、死後約束どおりにサインを送ることに成功した事例が挙げられておりますが、いざ、自分の場合にはどうなのかと考えると、やはり、おぼつかないものがあります。
別にサインを送ったり送られたりするのを望んではいませんが、大方の人々の場合には、切実な問題としてあるのでしょう。死に臨んで、ホントにあの世の存在、魂の永続を信じている自分であるかどうかを試されるでしょうね。
「新樹の通信」を読んでいて、上のことなど考えておりました。
コメント: 全3件
from: ueyonabaruさん
2009年02月15日 16時07分53秒
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「Re:Re:死後の魂の存在証明」
> >死後、残されたものにとっては、義妹のように、死後の魂の存在証明を求めるものです。しかし、これはナカナカ現実には難しいように思えます。
>
> おっしゃるとおりですね、ぼくもそう思います。
> ですが、よくよく事象・現象をつぶさに観察し考察すると、たしかに奇跡の連続なんです。
> あたりまえのように生きていると,生きていること自体ががあたりまえと思いがちですが決してそうではないと思います。
私は、原因・結果の因果論で考えますが、おっしゃるとおり現象・事象は不可思議なものですね。目に見えない原因結果の法則、目には見えない霊界との関係、守護霊・指導霊の導き、人と人との縁など、 人生は奇跡の連続のような大きなドラマとして考えていきたいと思います。
> >死に臨んで、ホントにあの世の存在、魂の永続を信じている自分であるかどうかを試されるでしょうね。
>
> 神は自分を試したりしないと思いますよ。
> このことは、現代の進歩的な宗教解釈においてもっとも重要な鍵だと思います。
> 試されるのではなくて、その時その場において自分はどのように感じどのように思ったかと云う自分の経験、それがつまり神そのものの経験の一部を創造しているのではないかと僕は考えるんです。
神様に試されていると言っても良いのですが、自分自身が死に臨んで、どれだけの信仰があったか、どれだけ悟っていたのか、どのような心境なのかは、その時にしか分からないものがあります。願わくは、その場に臨んで、従容として死を受け入れられるような自分でありたいものです。
「神そのものの経験の一部を創造する」というくだりは、分かるようでよく分かりませんが、もう少し、本を読んでいけばその様な感覚も分かるかも知れませんね。
from: hiraokaさん
2009年02月15日 01時24分56秒
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「Re:死後の魂の存在証明」
ueyonabaruさん、こんばんは。
>死後、残されたものにとっては、義妹のように、死後の魂の存在証明を求めるものです。しかし、これはナカナカ現実には難しいように思えます。
おっしゃるとおりですね、ぼくもそう思います。
ですが、よくよく事象・現象をつぶさに観察し考察すると、たしかに奇跡の連続なんです。
あたりまえのように生きていると,生きていること自体ががあたりまえと思いがちですが決してそうではないと思います。
>その写真は弟の死後に写したもので、そこには、縦、横に十字状に光るものが写っておりました。それは、弟が義妹に対し、あの世で生きていることを知らせるサインだというのです。
写真の専門家によればハレーションだろうと云うことが多いのですが、本当のサインであることもあるかもしれません。
ぼくは、いままでに一度もそのようなハレーションの写真を撮ったことがありませんので、逆にもし僕がそう云う写真を撮ったらなんらかのサインかもしれないと思うかもしれません。
>ユタは神様であると言っていたとのことでした。
巫女さんは、じぶんの理解できないものはぜんぶ神様のせいにするものなんですよ。(*^_^*)
>自分の場合にはどうなのかと考えると、やはり、おぼつかないものがあります。
どうも、たいていはメンドウになるようなんですよ。 まあ、どうでもよくなると言いますか・・・・。
たしかに、執着が無くなると云うことは、このことかも知れませんね。(*^_^*)
>死に臨んで、ホントにあの世の存在、魂の永続を信じている自分であるかどうかを試されるでしょうね。
神は自分を試したりしないと思いますよ。
このことは、現代の進歩的な宗教解釈においてもっとも重要な鍵だと思います。
試されるのではなくて、その時その場において自分はどのように感じどのように思ったかと云う自分の経験、それがつまり神そのものの経験の一部を創造しているのではないかと僕は考えるんです。
from: hiraokaさん
2009年02月15日 23時59分07秒
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「Re:Re:Re:死後の魂の存在証明」
ueyonabaruさん、こんばんは。
>神様に試されていると言っても良いのですが、・・・
神は試さないと思うんです。試す必要がありませんし、自己と神は別個ではないんですから。
>自分自身が死に臨んで、どれだけの信仰があったか、どれだけ悟っていたのか、どのような心境なのかは、その時にしか分からないものがあります。願わくは、その場に臨んで、従容として死を受け入れられるような自分でありたいものです。
おっしゃるとおりですね。ぼくもそう在りたいものです。
でも、痛いのはイヤだなあ。(*^_^*)
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