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from: ueyonabaruさん
2009年03月28日 17時12分01秒
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信仰するってどんなこと
信仰するって何でしょうか。私は、エル・カンタ-レを信仰します、私はイエス様を信じます、私は阿弥陀様を信じます等々色々の信仰があります。人が信仰しますと言うときの心理はどのようなものでしょうか。
私が、エル・カンタ-レを信じますというときの心理について語ってみます。私は、長い期間にわたり、三帰誓願をしないまま「幸福の科学」の書籍だけを読んでまいりました。興味本位の読者でしかなかったわけです。あることがキッカケで三帰誓願をすることになりましたが、それでもしばらくは熱心な信徒ではありませんでした。しかし、現在ではエル・カンタ-レを信じますと言えるのです。そのように言う時の私の心理はどのようなものかなんですが、それは一種賭けにも似たようなものがあります。多くの大川先生のご本を読んできて、これを全て理解できたわけではありませんが、ある時点で、今後は読書や理性的判断のみでなく、さらに一歩進まねばどうしようもないと思われたのです。それは、実際にやってみるということでした。そこで、信仰するという決意がでてきたわけです。現在では、信仰すると決意してからしか理解できないものがあるように思っております。
昨晩は、苦しいことがあり、心の中で神様に語りかけました。若いときにはそのようなことはありませんでした。やはり、どこか理性的に考える部分が必ずありました。昨晩は、ただただ祈るばかりでした。そんなときは、エル・カンタ-レでも良し、イエス様でも良し阿弥陀様でも良しの心境なのですね。祈る対象の神々の違いは小さくなっておりました。このことを考えると、クリスチャンの祈りも私の祈りも心理的にはさしたる違いはないように思えるし、対象の神々の違いも重要ではないのではないかと思われたのです。
信仰心というのは、それ自身がある価値を持っているように思えます。他宗の方でも、その方に信仰心が見受けられるとき、ある親しみと敬意を感じるものです。もちろんおかしな宗教でないことは言うまでもありません。私には、生長の家の信仰深い方々にも敬意を表したい思いはありますね。
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