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from: hikaru0827さん
2009年09月13日 03時44分42秒
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「中道」
にしき鯉さんへ
以前、私が発言した「中道」の意味は、あくまで個人的見解です。
教えの内容がどうこうではなく、思考行動の土台、スタンスといった感じです。
ちなみに、ORで「中道」について言及されているのは、
●釈迦が体験した王宮時代の贅沢な暮らしと、行き過ぎた苦行、そのどちらも、人として、正しい生き方ではない事を悟る経緯
●たるんでたら鳴らない弦、張り過ぎたら切れる弦の話
●ギリシャ哲学にある「中庸」は、ほどほどとか、中くらいって意味だけど、「中道」は、「中庸」ではなく「王道」であるって話
ぐらいではないでしょうか。私の記憶によると。
それらの話などなどを総合して思索した結果、「大河の真ん中を泳ぐイメージ」にたどり着いたわけです。川の流れに沿って泳ぐ場合、今は真ん中にいても、数秒後には、真ん中に居るかどうかは分かりません。川自体が曲がっているから。
瞬間瞬間判断を求められる、ある意味、面倒で、難しい道のりです。
「平和」という概念にとらわれ、そればかりにこだわるのでなく、時には「勇気」や「正義」の行動が、正しい道の場合もある、って事です。
私の思う「中道」の定義は「臨機応変に正しい道を選び取る、とらわれのない心、またはそのような生き方」です。
「とらわれのない心」について、私の好きな話があります。
『ある高僧と、その弟子5名が旅をしていた時、ある川の前で女性が、立ち往生していました。その川を渡りたいようです。
豪放磊落な高僧は、「おおよしよし、わしらも川を渡らにゃならん。わしがオンブしてあげよう」と、女性を抱き抱え、川をバシャバシャと渡り始めました。
もしかしたら、どっか触ったかも知れません。
高僧と女性は、ワイワイキャッキャと楽しそうです。川を渡りきり、女性は高僧に礼を言って去っていきました。
しばらく、高僧の一行は歩き続けてましたが、1人の弟子が堪りかねたように高僧に抗議の声を上げました。「先生!さっきのあの態度は何ですか!私たちは仏に仕える身です。淫らな事をしてはいけないと戒めにもあります!」他の弟子達も皆いつ言おうかと思っていたようです。
高僧は答えます。
「なんだ、お前たちはまだ女を抱いておったのか?わしはとっくに下ろしてきたぞ。」
結局、こだわっていたのは弟子の方だった、という話です。
にしき鯉さんなら、この話知ってるかもですが。禅の方の話です。
コメント: 全1件
from: にしき鯉さん
2009年09月13日 08時15分53秒
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「Re:「中道」」
hikaru0827 さん
中道に対する感覚了解しました、正しい理解だと思っています
「たるんだらならない弦」の話は今でも素晴らしい比喩として使われています
高僧と5人の弟子の話は知りませんでした、禅の公案などは独特の方法をとっていますので中々難しいですね
これからもこういう話をお願いします、しっかり自分の題材として考えたいと思います
・・・
ueyonabaru さんへ
<天台チギは分類しただけだという意味でしょうか?>
いえ、やはりランク付けしました、チギさんは元々大乗思想で勉強してきました、小乗といわれる上座部は「個人の解脱」を第一に考えます、大乗といわれる大衆部は民衆を「苦しみから救う教え」として発展してきました、チギさんにとって「自分ひとりで涅槃に入る」なんて教えは下等だったんです、よって「法華経」のような万人に毎日使えるような理論が魅力的だったのでしょう
・・・
ここからはにしき鯉のかってな解釈です
小乗というのは大衆部の方の「上座部」に対する侮蔑的な言い方なんです、明らかに「上座部」から発展した宗派のほうが瞑想技術、修行体系が優れています、特にゾクチェンの教え(チベットに伝わる密教の一派)などはグイグイと私をのめり込ませてくれます
どちらの道に入るかは個人によるものです、私みたいな理論と実践両方ががないとイヤだという輩には上座部のダイレクトな教えが合っているというだけです
もちろん、大乗の「心の救済」を主体とした考え方も好きですが元来、頭の回転がいい方ではないので「経典の中でこう書いてある」等の論議はあまり得意ではありません
・・・
<顕正会と日蓮正宗は同じものですか?>
全く別団体です、顕正会は創価学会と同じく日蓮正宗から破門された団体です
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