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  • from: hikaru0827さん

    2009年09月22日 21時01分02秒

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    滅私奉公

    私が使った「滅私奉公」という言葉は、決して
    「自分で考える事を放棄し、又は奪われ、ただひたすらに誰かに付き従う事」
    ではありません。
    私の言う、滅私奉公の
    「滅私」は、無私の心、わたくし心を消し去る、という意味です。
    「奉公」は、他人や社会の為に尽くす、という事です。利他です。
    幸福の科学では、「無我」の教えと、「愛は与えるもの」という教えが近いでしょうか。
    しかし、私は「無我」について、その意味を完全に捉えきれていません。
    ですので「無我」という言葉を安易に使う事を避けています。

    幸福の科学を信じる人は、上昇思考の強い傾向がありますが、私もそうです。
    上昇思考が良い面が出れば、向上心や努力に繋がりますが、悪い面が出れば、自己顕示欲や、虚栄心を生みます。
    ですので、それを戒める為に、「滅私」と「奉公」を心掛けようと思っています。
    こちらで発言する場合でも、
    「滅私」…自己保身になっていないか?自己顕示欲がないか?
    「奉公」…自分の書く文章には、どんな念いが乗っているか?(愛があるか?)自分の発言を見た人に、どんな影響を与えるか?
    に注意しています。

    以前、聖徳太子の17条の憲法第10条について触れた事かありましたが、この話と関わりがありますので10条全文引用します。

    第十条
    「十に曰く、心のいかり(忿)を絶ち、おもてのいかり(瞋)を捨てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われ非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。相ともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。」

    表面的には、多数決の原理を言ってるように思いますが、よく読むと色々な思想を感じます。
    ① 多様な価値観に対する寛容性
    ② 自我力を排し、周りと協調する事
    ③ 自らは謙虚に、相手には敬意を
    ④善悪の相対性
    などです。

    この10条に、「無我」の教えの一端を見る気がしております。

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コメント: 全2件

from: hikaru0827さん

2009年09月23日 23時16分02秒

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「Re:Re:滅私奉公」
cosmo77さんへ


> 無我っていうのは自分にとらわれない状態のことではないでしょうか

なるほど、そういった点からも思索してみたいと思います。
私は、自我力をなくすという事と、我欲(執着)を取り去る、といった事を考えておりました。
諸法無我といいます。「さまざまな法は、執着を取り去る為にあるのだ」、という解釈もあり得る、と。

> > 第十条
> > 「十に曰く、心のいかり(忿)を絶ち、おもてのいかり(瞋)を捨てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われ非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。相ともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。」
> >
> > 表面的には、多数決の原理を言ってるように思いますが、よく読むと色々な思想を感じます。
> > ① 多様な価値観に対する寛容性
> > ② 自我力を排し、周りと協調する事
> > ③ 自らは謙虚に、相手には敬意を
> > ④善悪の相対性
> > などです。
> >
> > この10条に、「無我」の教えの一端を見る気がしております。
>
> 確かに いろいろな立場で見ることは大切だとは思うのですが
> 腑に落ちないのは やはり 物の考え方には 上下があり 善悪もあるということです


もちろん勧善懲悪も重要です。どちらも真理です。

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from: cosmo77さん

2009年09月23日 14時50分19秒

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「Re:滅私奉公」
>しかし、私は「無我」について、その意味を完全に捉えきれていません。
> ですので「無我」という言葉を安易に使う事を避けています。

そうだったのですか
無我っていうのは自分にとらわれない状態のことではないでしょうか
瞑想などしていても 自分を忘れている状態になりますよね

滅私というと 何か意図的というか努力している感じがありますが 無我は自然になっている という感じでしょうか

> ですので、それを戒める為に、「滅私」と「奉公」を心掛けようと思っています。
> こちらで発言する場合でも、
> 「滅私」…自己保身になっていないか?自己顕示欲がないか?
> 「奉公」…自分の書く文章には、どんな念いが乗っているか?(愛があるか?)自分の発言を見た人に、どんな影響を与えるか?
> に注意しています。

それはすばらしいですねー 一つの修行ですね
やはり 反省 瞑想 祈りを通じて 無我を体感されるとよろしいのではないでしょうか

> 第十条
> 「十に曰く、心のいかり(忿)を絶ち、おもてのいかり(瞋)を捨てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われ非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。相ともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。」
>
> 表面的には、多数決の原理を言ってるように思いますが、よく読むと色々な思想を感じます。
> ① 多様な価値観に対する寛容性
> ② 自我力を排し、周りと協調する事
> ③ 自らは謙虚に、相手には敬意を
> ④善悪の相対性
> などです。
>
> この10条に、「無我」の教えの一端を見る気がしております。

確かに いろいろな立場で見ることは大切だとは思うのですが
腑に落ちないのは やはり 物の考え方には 上下があり 善悪もあるということです

みなさん 地獄の議論をされていますが やはり 悪の最低段階に地獄があり 善の最高段階に 高次元霊界があるということです

大川先生は確か 今世での思いと行いの地獄的な部分が 50%を超えると死後地獄に落ちることになる と言われていたと思います



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