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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

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  • from: hiraokaさん

    2009年09月30日 01時06分22秒

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    信仰とは個人を神格化することであるか?

    尊敬されるべき個人は神格化すべきか? あるいは、信仰とは個人を神格化することであるか?


    みなさん、こんばんは。

    >hikaru0827さん

    ものみの塔(エホバの証人)の重要教義は、じつに簡単に証明できるんですよ。
    でも、彼らはこの証明を認めないんですねぇ・・・。
    認めたくないと云う心理と、もうひとつは論理思考になじみが薄いのだろうと思うんです。
    でもでも、だからと云って・・・、 「論理」の勝利ではないんです。

    >ueyonabaruさん

    ぼくとueyonabaruさんの最大の違いは、
     ↓これだろうと思うのです。

    >クリスチャンがイエスを神、神の子として信仰するように、幸福の科学の信者は、大川隆法を神、神の子として信仰するのです。

    ぼくは、その道の選択は、「自分自身にとっても、社会にとっても危険だろう」と思っているのです。
    とは云え、ueyonabaruさんと真反対が良いと云っているわけではありません。

    ueyonabaruさんの云われる、「大川さんを信仰する」と云うことは、戦前の天皇を「現人神」として崇敬信仰すると云う意味でしょうか?

    >そうでなければ、幸福の科学を理解することも不可能ではないでしょうか。三帰誓願をしないとしても、仮定の信仰でももたない限り、幸福の科学の理解は深まらないでしょう。

    なぜ、そのように思われるのでしょうか?
    「もう、何度もその指摘は聞いた」と云われるかもしれませんが、信仰が欲しいからですね。
    つまり、信仰の対象を持つことによって、自分の存在根拠を確認したいのです。
    ほんとうは、信仰を持たなくても自己を確立している人はたくさん居ますが、たしかにそれも危ない道である確率は高いものです。

    信仰するがゆえに、信仰しない人が見ているものを見ようとしない事はいくらでもあります。
    僕らから見れば、ものみの塔の教義上の間違いは明らかです。
    おそらく、幸福の科学の会員にとっては、「どうして、かれらはこんな簡単なことがわからないんだろうか?」と、笑ってしまうくらいの間違いです。

    そのような、まちがいを幸福の科学の会員はしていないと云いきれるとは思えないのです。
    これこそ、「贔屓の引き倒し」かも知れないのです。

    ぼくは、イエス、ソクラテス、孔子、仏陀を、尊敬すべき敬愛すべき大偉人、人類の恩人と思うと同時に、かれらをひじょうに善き友人、善き先輩、善き先達と実感します。
    おそらく、かれらと一緒に楽しく歓談できるような気がします。
    もちろん、ぼくが教えてもらうことばかりでしょうが、ときには冗談も云いあえるような気がするんです。
    ぼくには、これこそほんとうの「信仰」のすがたと思えるのです。

    この考えは、けっして彼らを冒涜するものではありません。
    また、自分を「偉し」と、うぬぼれるものでもありません。

    それどころか、歴史的偉人はこのように寄ってくる人をこそ、もっともよろこぶ人たちなはずです。
    なぜなら、かれらはみな「ひとを愛するひと」だからです。
    かならずや、究極の神も同じはずなのです。

    >大川隆法が9次元の神であることを認めるかどうかは、その人によるわけで、そうだと感じるものがその様に思い決め信仰するということなんでしょう。

    9次元の神が居たとして、よるべなき迷えるたましいが救いを求めにやってきたとき、そのあわれなたましいを邪険に追い払うでしょうか?
    9次元の霊は、自分をいくつにでも分けることができる存在です。
    ueyonabaruさんに、会えないはずはありません。
    ueyonabaruさんが霊界に帰ったとき、大川さんの分霊にせよ会ってもらえるのでしょうか?


    >パウロもアウグスティヌスもイエスを神として信仰したので、その点では何の間違いもありません。

    その点では間違いではありません。当時としては、ほとんどのひとたちがほんの瞬間にしか思い至れなかった境地です。
    しかし、「これこそが信仰」と思う「信仰」が、時代の制約なのです。そして、この過程が人類史を織りなすドラマなのです。

    そして、パウロ、アウグスティヌスより以降の人たちはたとえ善人であったとしても、信仰するがゆえにさらに分からなくなってゆき、歴史に汚点も残したんですよ。

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    • 20

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コメント: 全20件

from: hikaru0827さん

2009年10月10日 06時24分49秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
hiraokaさんへ
>
> いいこと、かきますねえ。
>
> >なぜ、人は、自分の信仰を非難されたり、攻撃されたりした時、激しく抵抗したり、かたくなになったり、するのでしょうか?
> たぶん、それは怖いからだと思います。・・・・・
>
> まったく、おっしゃるとおり! 握手しましょう! (*^_^*)
> ぼくも、このことを子供の頃から知っていれば、どんなにか苦しみが軽減されたことでしょう。
> bokumo
> 二十歳代の頃、「もう自分はこれから一生、ひとのことを馬鹿にしないぞ!!」と決心した事があるんですよ。


意見が合い、嬉しく思います。

> ぼくは、ほんとうに皆さんの味方なんですよ。
> 文章に表現するから、そのようには見えないだけなんです。

とても心強いお言葉です。


> 強がって言うわけではありませんが、ぼくは自分の信念をひとから否定されてもほとんど気にしません。
> もちろん、気分がいいわけではありませんけどね。(^.^)


たぶん、人から否定されただけで、心が揺らぐ状態の人こそ、恐怖を覚えるのかもしれませんね。
私の挫折時は、自分のこれまでの人生を、自分で否定してしまい、人生の目的を見失ってしまったんです。
今から思えば必要な出来事だったと思ってますが。


> 神格化することが「信仰」だと思い込んでいると、「そんな、畏れ多いこと・・・」と思われるでしょうが、この窮屈な「信仰心」は長い人類の歴史の中で作られたものなんです。


「神格化せず、友達と思って…」も1つのパターンかもしれませんね。
巷にあふれる怪しい団体も多い今日、ある意味安全かもしれません。
…友達ですか…hiraokaさんしか出来ないかもしれませんよ。

やはり私は「どうしても消化出来ない疑問点は、とりあえず保留」を採ります。

霊界は、多次元世界だということですから、現世の格差問題など、ぶっ飛ぶほど完全格差社会です。
大いなる偉大な存在に対する畏敬の念、というものがあり、先を歩む大霊への礼儀も無視出来ません。

これは一般論ですが、
この「疑問の保留事項」が積み重なり、 平常心にて「違う」と判断した場合は、潔く退く勇気は、持っていたいと思います。
その前に、その宗教・その教えが正しい教えかどうかを見定める目を持った自分でいたいですが。

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from: hiraokaさん

2009年10月09日 01時28分44秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
みなさん、こんばんは。
>hikaru0827さん

いいこと、かきますねえ。

>なぜ、人は、自分の信仰を非難されたり、攻撃されたりした時、激しく抵抗したり、かたくなになったり、するのでしょうか?
たぶん、それは怖いからだと思います。・・・・・

まったく、おっしゃるとおり! 握手しましょう! (*^_^*)
ぼくも、このことを子供の頃から知っていれば、どんなにか苦しみが軽減されたことでしょう。
bokumo
二十歳代の頃、「もう自分はこれから一生、ひとのことを馬鹿にしないぞ!!」と決心した事があるんですよ。

ぼくは、ほんとうに皆さんの味方なんですよ。
文章に表現するから、そのようには見えないだけなんです。

>hiraokaさんも、「ここにこそ、ぼくの信仰心の真髄があり、生きて知ってきた大集約があるのです。」と言われていました。
もし、その部分を否定され、捨てないといけない事態になれば、その精神的ショックはかなりのものだと思います。

ぼくは、だれも否定しないんですよ。もちろん、大川さんも。
ueyonabaruさんは、ぼくのめずらしい精神構造を分かってると思いますよ。

強がって言うわけではありませんが、ぼくは自分の信念をひとから否定されてもほとんど気にしません。
もちろん、気分がいいわけではありませんけどね。(^.^)

>考えてみれば、9次元霊であっても、そんなに誤りがある(ように見えるの)なら、他の時代の人は、大変だったでしょうね。

そうなんです、昔も弟子達は大変だったんです。
イエスの弟子たちなんか、そりゃ筆舌に表しがたいでしょうね。
でもね、大川さんの誤りについて行く弟子達の苦しみとは少し違うと思いますよ。

ぼくが、ここで云いたいことをひとことで表すなら、
「大川さんを友達だと思ってみてはどうですか?」と云うことになります。

友達なら、「あいつはあんな偉そうなことを云ってるけどな、・・・
むかしは、ああだったんだ、・・・こうだったんだ。・・・
でも、たいしたもんだよ。 たしかにいいことも云うよなあ・・・・」

神格化することが「信仰」だと思い込んでいると、「そんな、畏れ多いこと・・・」と思われるでしょうが、この窮屈な「信仰心」は長い人類の歴史の中で作られたものなんです。

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from: hikaru0827さん

2009年10月08日 02時44分56秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
 hiraokaさんへ・みなさんへ

仏陀とは、悟りたる人という意味です。
仏という字は、にんべんに、非に似た字を書く難しい漢字もあって、
それについて、「にんべんだから、人なんだけど、人に非ざる者」という解釈を示されていました。
そして、全ての人には仏性があり、仏になる可能性を秘めている、とします。

全ての魂は、創造神という無限遠点を目指し、修行しているのだと思います。
それは、救世主と言われる存在であっても同じです。
9次元霊という存在であっても、試行錯誤があり、魂修行を積んでいるのだと思います。
という事は、もちろん誤りや、失敗も有りうるといえます。
肉体という鎧による制限というものもあるようです。

ただ、高次元霊の深慮遠謀など、私の理解の範囲を超えます。
ですので、簡単には、これは間違い、これは正解、という判断は出来ません。

考えてみれば、9次元霊であっても、そんなに誤りがある(ように見えるの)なら、他の時代の人は、大変だったでしょうね。
菩薩、如来クラスが、その時代のリーダーだった時、彼らを信じる人達は、時に過ちを犯すリーダーに、ついていかねばならないわけです。
そんな事を考えると、リーダー、そして、それを信奉する人、が共に、一丸となって成長や幸福を目指し、前進していく姿が、見えてきます。
全ての魂にとって、全てがエクササイズなのでしょう。

教えを請うている私たちは、師の言葉に疑問を持ったとき、「ホントかな?」ぐらいで、「保留」する、というのも1つの知恵かもしれませんね。



あと、総裁先生の言葉を、「鵜呑みにするのは、どうなんだ。」という話もありました。

私は、鵜呑みにするべきではない、と考えています。
幸福の科学では、自分で考えよ、腑に落とせ、理解せよ、という方針だと思います。
いつぞやかに、先生が、弟子の理解不足を嘆かれてました。
自分の言葉を一面でしか捉えられない、というような事をおっしゃられてたと思います。


信仰心についての話題も、たまに出ます。

なぜ、人は、自分の信仰を非難されたり、攻撃されたりした時、激しく抵抗したり、かたくなになったり、するのでしょうか?

たぶん、それは怖いからだと思います。
人にとって、信仰心が揺らぐ事、もしくは、崩れる事は、アイデンティティの崩壊を意味します。
自分の存在意義、存在理由、精神的支柱を失うわけですから、それは恐怖です。
私は、高校生の頃、それを体験しましたが、2年以上もがきました。暗闇の中を手探りで進むような、泥沼の中からどうやったら、浮き上がれるのかと、非常に苦しみました。
信仰を否定される事は、そんな状態に、突き落とされる恐怖を感じるのではないでしょうか。

hiraokaさんも、「ここにこそ、ぼくの信仰心の真髄があり、生きて知ってきた大集約があるのです。」と言われていました。
もし、その部分を否定され、捨てないといけない事態になれば、その精神的ショックはかなりのものだと思います。
大川総裁を否定されている(ように見える)事を見聞きする事により、そういう恐怖を抱く人もいる、という事ではないでしょうか。
こちらに、来られている方は、それほどヤワではなさそうですが。

いろんな人が、いろんな信仰をもってますが、引くも進むも覚悟が必要ですね。

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from: ueyonabaruさん

2009年10月05日 05時02分05秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
 hiraokaさんへ


> >鳩山さんやオバマさんはもしかすると、自分でも意識しない部分で、実際にそのように考えているのかも知れません。
>
> そのことについては、ぼくたちには知りようも無いことのはずです。
> 大川さんがそう云うから、その可能性がクローズ・アップされて印象付けられるのです。
> もし、大川さんからそのようなことを聞かなければ、ぼくたちには思いつきもしない事です。
>
> 発達した宗教は、・・・
>
> 「まず、相手を善意の人であるとの前提を持ちなさい。なぜなら究極の神は愛なのですから。」
> 「もし相手が善意の人でなければ、その人はかんちがいをしているのですから、そのときはあなたの社会のなかで判断してください」
> ↑ であろうと思います。
>
> 大川さんの発言は、世界的に見ても物議をかもすことでしょう。

 常識で考えれば、hiraokaさんのおっしゃるとおりです。なんだか常識家に一発くらった感じです。

 私達はある意味では常識人ではない部分があります。常識を外れたことを信じている部分があります。これは、まさしくそういう事例の一つです。

 しかし、大川先生がおっしゃることですので、正しいこととしてまずは受け取ってみたいと思います。

 ある人の人物判断をするのには(その人の潜在意識を含め)、その経歴、生い立ち、発言内容、印象など全ての知りうる情報から、思いを凝らして判断することになると思うんです。現在意識の方は、日常の発言等から判断するとして、潜在意識の方はその奥にあるものを探るのですから、難しいものがあるとは思います。

 しかし、この人の潜在意識はどのようなものかを探る作業を凡人の私がするとなると、やはり、彼の生い立ちなどの情報から判断して何らかの結論を出さねばなりません。かなり難しくなりますが、想像力なども働かせたりすれば、何らかの結論は出せるかもしれません。結果、得られた結論は、なんだかそんな感じがするぐらいのものなのかも知れませんね。それはそれである程度の把握はしていることにもなるでしょうね。

 このような作業は、沖縄のユタにも聞いたほうが有効かもしれません。霊感です。私達は霊感を持つ方々の意見も参考にすれば、より有効になる可能性があるでしょう(大違いのユタがいると困りますが)。あるいは、手相や人相でみることも考えられます。催眠術も使えるかもしれません。

 大川先生は、オバマさんの演説文でしたか、それを5回ぐらい読み返した上で、オバマ大統領の言わんとすることを判断したそうです。これからすると、オバマの潜在意識の話も、単なる霊感のみによるものではないように思われます。表面の発言などからの判断と霊感による判断がその様なご発言のもとにはあるということです。

 ともあれ、守護霊=潜在意識説が一般に受け入れられてない現況では、発言は慎重に行われなければならないと思われます。 



 宗教狂いのお話もありますが、それは気をつけるべきで、極端に走らないほうが良いでしょう。「宗教をとれ」は真理ですが、無理はしないことです。




 

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from: hiraokaさん

2009年10月05日 01時27分39秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
皆さん、こんばんは。

>cosmo77さん
>ところで 景山さんが亡くなったのは うっかりミスの火災だったのかもしれませんよ 偶然性もあり得るということですね うっかりタバコの始末をしなかったとかです

新聞によると、付き合いか何かでお酒を飲んで夜遅く帰ってきて、自宅二階の仕事場で仕事(執筆?読書?)をしていたそうです。そのまま寝込んで自分のたばこの消し忘れから出火したそうです。

ぼくがここで何度か強調的に主張していることの一つに、「宗教狂いもいいが、そのひとの家族はどうなるのだ?」と云う事です。
ぼくの身近な人にも、そういう家庭がありましたし。
「幸福の科学被害者」のサイトにも、そういう人たちの訴えがほとんどでした。
大川さんは、初期から一貫してこの問題に対して「宗教を優先すべきだ」と発言しています。

> hikaru0827 さん
>先生の話を前提にしますと、虫とウイルスに親和性があるという事ですね。
あと、季節についてですが、夏風邪はもちろん、今猛威を振るっている新型インフルエンザもまだ暑い時期から、流行が始まりました。私は、この時期に他の要因(大量死した何か)があるんだろうな、と想像しました。いまなお、答えは見つかりませんが・・・。

ぼくの指摘を理解してくださって、ありがとうございます。

じつは、ぼくの指摘をくつがえすのも、論理のあなを突くのも簡単にできるのです。

まずは大川さんの発言を妄信せずに、いったん常識的に受け止めてみてくださいね。
大川さんを信じたいと云う気持ちは、それから後でも遅くはないと思います。

ものみの塔の根本教義の間違いは以下の通りです。

1:エホバの神は全知全能であり、われわれ人間は土塊に神の息吹を吹き込まれて誕生した。
2:エホバの神は人間の所業を見て義人とそうでないものに分け、最後の審判の日に義人を蘇みがえらせ千年王国に住まわせる。いっぽう、義人でない者は永遠の業火に焼かれる。

↑これが、根本教義の一つです。
かたや、ものみの塔は、・・・
3:輸血をしてはいけない。なぜなら、最後の審判の日に神が義人を蘇らせる事ができなくなるから。

1と3は矛盾するのです。なぜかは、普通のひとだったら分かりますよね。
ほかにも、教義の矛盾点を突く事はいくらでもできます。

ところが、ところが、・・・
その矛盾点をくつがえすことも、いくらでもできるんですよ。


>ueyonabaruさん

>鳩山さんやオバマさんはもしかすると、自分でも意識しない部分で、実際にそのように考えているのかも知れません。

そのことについては、ぼくたちには知りようも無いことのはずです。
大川さんがそう云うから、その可能性がクローズ・アップされて印象付けられるのです。
もし、大川さんからそのようなことを聞かなければ、ぼくたちには思いつきもしない事です。

発達した宗教は、・・・

「まず、相手を善意の人であるとの前提を持ちなさい。なぜなら究極の神は愛なのですから。」
「もし相手が善意の人でなければ、その人はかんちがいをしているのですから、そのときはあなたの社会のなかで判断してください」
↑ であろうと思います。

大川さんの発言は、世界的に見ても物議をかもすことでしょう。

> サイババに何かあったのでしょうか。サイババのことは良く知りません。魔法のような奇術のようなことをするインド人ぐらいの知識しかありません。

このことは、以前にも書いたのですが。
サイババは、マイケル・ジャクソンが訴えられたことと同じことをしていたのです。
この、訴えについての書籍はそうとうに昔から在ったのですが、発禁処分にされてしまいました。
ノルウェーだったかの実業家が、意を決して自分とサイババの同じ体験を発表しました。
この実業家は、同じ目に合った母国の子供のことを聞き、どうしても黙っていられなくなったのだそうです。
また、サイババ・アシュラムでは幹部どうしの、ピストル射殺事件もありました。

今ではサイババは鳴りをひそめていますが、・・・
60年代の頃、ヨーロッパ・アメリカでは大流行でした。
僕も一時期、サイババ関係の本を漁って読んでいました。

>当時の田中義一内閣は、天皇に叱責されたために内閣の総辞職をするということがあり、・・・

政敵が、天皇の叱責を利用したのですね。
このように、・・・
「神の代理を人間におきかえた政治」を運用するにはたいへんにむずかしいところがあります。
もうこれから先き、「神なる権威」を個人に代表する政治システムは世界的に通用しなくなっていくと思われます。

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from: hikaru0827さん

2009年10月04日 23時08分33秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
hiraokaさんへ

>このような理由で、種を大幅に超えた憑依は起こりにくいだろうと思われるのです。


先生の話を前提にしますと、虫とウイルスに親和性があるという事ですね。
あと、季節についてですが、夏風邪はもちろん、今猛威を振るっている新型インフルエンザもまだ暑い時期から、流行が始まりました。
私は、この時期に他の要因(大量死した何か)があるんだろうな、と想像しました。
いまなお、答えは見つかりませんが・・・。


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from: ueyonabaruさん

2009年10月04日 18時34分41秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
 hiraokaさんへ

>> >というのは、実在のする人のことに言及するからです。鳩山由紀夫やオバマの守護霊が実はとんでもないことを言うのです。
>
> ですから、これはueyonabaruさんが大川さんを神格化したがために「大川さんの云うことはすべて正しいはずだ」と云う先入観を持って聞くからなんですよ。
>
> そういう先入観を持っていない、大多数の人たちは大川さんの云うオバマの守護霊についての発言を聞いても「また、へんな宗教がへんな事を言ってる」としか受け取らないのです。

 鳩山さんやオバマさんはもしかすると、自分でも意識しない部分で、実際にそのように考えているのかも知れません。


> 一番大事な点は、大川さんが正しいとは限らないのです。
>
> >取り上げられたご本人から抗議されたらどう対応するのでしょうか。裁判所に訴えることも可能ではないでしょうか。私の杞憂でしょうか?
>
> もし、また以前のような講談社攻撃キャンペーンのようなことをやったら、マスコミは日本人の大多数に幸福の科学排斥キャンペーンを公儀の美名のもとに展開するはずです。
> そのときは、あやふやなネット情報もいっせいに公開されるはずですよ。
>
> たしかにフライデー事件は、幸福の科学のマスコミに対する先制攻撃でした。
> 大川さんも、そのような意味のことを言っていました。
> しかし、二度目はやらないほうが無難です。

 フライデ-事件は、他人事のように見させてもらいましたが、幸福の科学の行動の成果はあったと思います。マスコミが真実でない報道をしてなお、謝罪をしないのはホント傲慢です。あれぐらいのことをマスコミにやられて、それに対し反論、抗議運動をやらないのが大人の事なかれ主義かもしれません。おとなげないとの評価もありましたが、これは大事なことだと思います。勇敢な行動であり、私には真似することすらもできません。

 しかし、この潜在意識の件、与謝野さんが長く生きないなどの発言などはホントに気をつけてもらいたいものです。教団内部で、信仰の問題としてコミュニケ-ションの内容であるのであれば、構わないと思うんです。私達はその様に思うで、頑張れるのではないでしょうか。

 幸福の科学の幹部の方々、どうぞご考慮ください。法的には大丈夫ですか。名誉毀損にはなりませんか?



> ところが、そのサイババもあのようなことであったとは!!

 サイババに何かあったのでしょうか。サイババのことは良く知りません。魔法のような奇術のようなことをするインド人ぐらいの知識しかありません。




> じっさい、ぼくも幸福の科学から離れるときは、非常に迷ったと云うどころではありませんでした。
> 「じぶんは、大逆罪を犯しているかもしれない」と云う不安がものすごくありました。
> 最後に離れることを決意した晩は、「ああ〜、自分には師を与えられないのだろうか・・・」と云うような、神に見放されたような気持ちでひとり泣いたのです。

 そうでしたか。




> そのときに最大限の注意をしていただきたいのは、「大川さんを神格化すること」であると云うのが、ぼくの主張なのです。

 私は妄信するようなタイプではありません。分からなくてもついてはいきますが、おかしいと気づいたら、立ち止まります。



> >選挙結果については、一丸となってやったことですから、謝る必要もありません。われわれの理想を掲げ、再度挑戦するしかないでしょう。掲げた理想を降ろすようなことがあってはなりません。修正は必要かもしれません。われわれも間違うのですから。
>
> 選挙結果のことについて、ぼくが云っているのではありません。
> そうではなく、選挙を決断し、指導したことについての大川さんの責任です。
> 分かりますでしょうか?

 hiraokaさんとは見解が違います。私は面白いと思いました。自分達の主張をしたとの思いがあります。この主張は大方が正しいものだと思っております。

 いま民主党がフレッシュで希望にあふれておりますので、成功を期待しておりますが、大きな成果をあげられるかどうか大いに疑問があります。彼らには成長戦略がありません(全くないわけではないが)。経済が発展しないでは内需拡大は難しいのではないでしょうか。弱者に分配したお金は使われることなく、貯蓄に回るしかないでしょう。将来展望があれば、消費は伸びるはずですが、それが欠けております。これは自民党にも言えることでした。将来の日本の希望を、目標を提示するのに失敗したと思うんです。

 民主党に期待するのは、公務員制度の改革の分野です。大川先生がおっしゃるように、民間の制度を取り入れるのです。生産性が低いのです。許認可までの期間を短縮すべきです。
 民主党の唱える政治主導に賛成です。その方法論ですが、国家戦略室をつくるのなど色々考えているようですが、私は、個々の政治家の実力をつけるのが一番だと思っておりますので、大臣には補佐官を多くつけチ-ムとして、そこで議論が行われ各省庁の方針が固められるようなシスエムを考えます。公務員制度で不要な役職もありますので、これらを整理し、補佐官にして高給優遇するのです。

 長くなるので省略します。



> これはueyonabaruさんが、「天皇に戦争責任が無い」としたがる責任のすり替えなのです。
> こう書くと、ueyonabaruさんにとっては嫌なことかもしれません。
> しかし、その時代に住んでいる人にとって、大なり小なりその時代の責任を負わないでいられる人は居ないのです。

 大川先生は、元首である天皇は敗戦の責任はあるとおっしゃいました。これは法理論上正しい見解です。私は、昭和天皇は元首として法的な位置づけをされてはおりましたが、実際はそのとおりに行動されることはなかったと思っております。議会の審議を尊重したのです。盧溝橋事件の関係でしたか、当時の田中義一内閣は、天皇に叱責されたために内閣の総辞職をするということがあり、それからはとみに直接自分の意見を言うことは控えられたそうです。

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from: hiraokaさん

2009年10月04日 02時10分41秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
ueyonabaruさん、こんばんは。

>おっしゃるとおり、確かに矛盾しますね。
同意してくださって、ありがとうございます。

>先生の憑依説もただしいのですよ、きっと。
>> それでも虫の霊が途中の段階の生物を一足飛びに飛び越してウィルスに憑依するとするのは、とても無理があると思います。
> これもよく分かりません。

大川さんの説はおそらく間違いであろうと思われる憑依のことについて、もうちょっと詳しく説明をしてみます。
ただし、僕の推測です。
憑依現象は、ひょっとすると「物質に魂が宿る現象」つまり発生の現象と関係があるかもしれません。

なぜ、生物はその生物に特有の性質や行動を取るのでしょうか?
形態が違うので、そもそも違う種の行動がやりにくいと云うこともありますが、・・・
なぜ、犬のような行動を取る虫がいないのでしょうか? その逆もありません。

こんな、あたりまえと思われることに秘密があるように思えます。
(注:人間が動物の行動をとる憑依現象はいくらでもありますが、これは別の原因のようです)

憑依するためには、その魂の型、または大きさ(大きさと云うのは比喩です)に合った生命形態にしか乗り移れない原則があるように思えます。
たとえば、軽自動車は大男が運転するのに向いてないと云う事です。

人間に憑依しやすい浮遊霊は、元人間であった霊に違いないと思われます。
逆に、元人間であった霊は、虫の気持ちそのものになることはむずかしく、しかも虫の気持ちになる欲求も少ないがために、・・・

そして、虫にとっては人間の気持ちになることはむずかしく、しかも人間の気持ちを想像することもできず、・・・

↑ このような理由で、種を大幅に超えた憑依は起こりにくいだろうと思われるのです。

このことは、にしき鯉さんの疑問である、「六道輪廻」で「原則、人間は人間に」と云う疑問にも応用できるかもしれません。

>複眼のhiraokaさんの真骨頂ですね。これは、hiraokaさんが否定するだろうと思っておりましたが・・・・・。

えっ〜〜、なんでですかぁ〜〜。
ぼくは以前、ユングとフロイトを引き合いに出して、前世経験が今生の経験の潜在意識になっていることと、ユングの唱える集合的無意識は、仏教の共業のことということを云いましたのに、・・・

>私は実は社会との関わりで見れば、ハッキリと公に発言しないほうが利口ではないかと思うんです。

その通りです。 まずは正しい、霊界の実相を社会常識にしなければなりません。
しかし、霊界の性質上、正しい霊界像と云うのが、一つではないと云うたいへんに理解しにくい世界であると云うのが、ぼくの持論なのです。

>というのは、実在のする人のことに言及するからです。鳩山由紀夫やオバマの守護霊が実はとんでもないことを言うのです。

ですから、これはueyonabaruさんが大川さんを神格化したがために「大川さんの云うことはすべて正しいはずだ」と云う先入観を持って聞くからなんですよ。

そういう先入観を持っていない、大多数の人たちは大川さんの云うオバマの守護霊についての発言を聞いても「また、へんな宗教がへんな事を言ってる」としか受け取らないのです。

一番大事な点は、大川さんが正しいとは限らないのです。

>取り上げられたご本人から抗議されたらどう対応するのでしょうか。裁判所に訴えることも可能ではないでしょうか。私の杞憂でしょうか?

もし、また以前のような講談社攻撃キャンペーンのようなことをやったら、マスコミは日本人の大多数に幸福の科学排斥キャンペーンを公儀の美名のもとに展開するはずです。
そのときは、あやふやなネット情報もいっせいに公開されるはずですよ。

たしかにフライデー事件は、幸福の科学のマスコミに対する先制攻撃でした。
大川さんも、そのような意味のことを言っていました。
しかし、二度目はやらないほうが無難です。

>hiraokaさんがこのように大川先生のことを詰問されることに対しては、どのようにご返答してよいか困ってしまいます。一つ一つ具体例を挙げながらすすめてゆきましょう。

ぼくは以前、どうしても断りきれなくなって信者の懇親会に出た事があります。
席上では、ぼくひとり幸福の科学の矛盾点を、にこやかに笑いながら話題に出しました。
同意する人も居れば、「う〜ん〜」と考え込む人、いやな顔をする人・・・様々でした。

もし、ぼくが断りきれなくなって「反幸福の科学」懇親会に出席する事があったとしたら、
ぼくは「幸福の科学擁護論」を笑いながらにこやかに提議するはずです。

すくなくとも、もし社会が「幸福の科学撲滅運動」を起こしたら、きっと「擁護論」側にまわるはずです。

>一つ一つ具体例を挙げながらすすめてゆきましょう。一挙に全体評価で来られると、こちらはそうは思わないというしか応えようはありません。

たしかに、おっしゃるとおりですね。
ぼくは典型的な理系よりの考え方をしますので、ついプライマリーな原理から話し始めるくせがあります。気をつけなければならない所です。

>生長の家の谷口雅春先生と大川先生はだいぶ違います。谷口先生は愛深い優しいイメ-ジがありますね。大川先生は冷たいとおっしゃるのですね。私はそうでもないのかと思っております。大川先生は大人であると思うんです。

ueyonabaruさんの、すばらしい表現です!

>阿南、原、種村さんなどに直にお会いし、事情をお聞きしたいものです。人それぞれの葛藤、ドラマがあると思います。hiraokaさんもその中のお1人です。他の方々は現在どのように暮らし、どのように考えているのでしょうか。気がかりではありますね。

ほんとうに気がかりです!
とくに原さんは、彼女が去ったあと大川さんから「彼女は仙人界の人間で、前世は木の上で生活していた・・・」というようなことを云われました。

その後、ご自身のヨーガの著書の前書きに「これからは自分とサイババだけを頼りに生きていこうと思います」と書いておられました。
ところが、そのサイババもあのようなことであったとは!!
これから先、原さんはなにを拠り所とされるのでしょうか?
ほんとうに気の毒です。
ですが、これも原さんの人生の経験なのかもしれません。

じっさい、ぼくも幸福の科学から離れるときは、非常に迷ったと云うどころではありませんでした。
「じぶんは、大逆罪を犯しているかもしれない」と云う不安がものすごくありました。
最後に離れることを決意した晩は、「ああ〜、自分には師を与えられないのだろうか・・・」と云うような、神に見放されたような気持ちでひとり泣いたのです。

>肉体の鎧をかぶっているので、他人の思いが分かりません。他人の思いが分かれば、そしてその他人がこちらの思いを知ることができれば、どんなにいいことであるか。

ほんとに、そうです。
からだを自分と思い込まなければ生きてはいけず、からだを本当の自分ではないと思わなければ自分はわからず、・・・・
霊界に帰れば、ストレートに相手が何を思っているか分かりますよ。
夢では、いつもそうですね。

>前に、ロ-マの賢帝マルクス・アウレリウスのことをお話しましたね。ホントに立派な方ですが、この皇帝の時代にキリスト教禁止令が発布されたのです。

このことについては、ぼくも長い擁護論を書き写しましたね。
しかた、ないのです。
ソクラテスやプラトーンの国家論が、奴隷制度を前提にしたものであるのと同じなのですよ、きっと・・・。

>私は幸福の科学を選択しており、分からないことは分からないと言いながらもついていきたいと思うんです。

そのときに最大限の注意をしていただきたいのは、「大川さんを神格化すること」であると云うのが、ぼくの主張なのです。

>科学者が具体的な宗派に属するようになっていくようなものが望ましく思います。

これは、いまのところ無理です。
かれらは論理的な矛盾には特別に敏感なのです。
ぼくの知るところ、論理的に矛盾の無い宗教は知りません。
残る頼みの綱は、ぼくが何度か書いている「論理の不確定性原理」の事です。
かならず、いつかは宗教と科学は融合し始めるはずです。

> 科学者の世界と宗教家の世界は違います。しかし、先生はどうして訂正をなされないのでしょうかね。だれか教えてください。

宗教者としての責任があるからだと思います。
「武士に二言なし」と同じだと思います。
政治家も、簡単には発言できません。
(もっとも、大川さんはおしゃべり過ぎだと思います。それにしても凄いおしゃべりではありますが・・・)

バチカンはガリレオとの和解文を発表するのに300年くらいもかかりましたね。
宗教家は、ほんとうに慎重に事を進めなければならないはずです。

>選挙結果については、一丸となってやったことですから、謝る必要もありません。われわれの理想を掲げ、再度挑戦するしかないでしょう。掲げた理想を降ろすようなことがあってはなりません。修正は必要かもしれません。われわれも間違うのですから。

選挙結果のことについて、ぼくが云っているのではありません。
そうではなく、選挙を決断し、指導したことについての大川さんの責任です。
分かりますでしょうか?

これはueyonabaruさんが、「天皇に戦争責任が無い」としたがる責任のすり替えなのです。
こう書くと、ueyonabaruさんにとっては嫌なことかもしれません。
しかし、その時代に住んでいる人にとって、大なり小なりその時代の責任を負わないでいられる人は居ないのです。

もっとも、誤る必要はないかもしれません。
誤ってもらっても、過ぎた事はどうにもならないのですから。
ようは、あやまらなくても次に大川さんがどうするかです。
それを、いっしょに注意深く見ていきましょう。

>個人レタ-ではなくて、#836の後段のhiraokaさんのご発言のことです。説明不足でした。  

あっ、そういうことだったんですね。分かりました。

>幸福の科学は神道を宗教とみなしており、靖国を受け入れられるのかという問題があります。私は、是非受け入れてもらいたいのです。日本の国教は神道であると、幸福の科学は言っております(チャンネル桜での討論会での泉氏の発言)。神道式のまつりごとには参加しないということであれば、一部のキリスト教と同じ次元の発想であり、狭量です。

このことについては、別途スレッドを立ててくださいね。
なぜ、こうなったのか? これから、どうなるのだろうか? について、ぼくの考えもあります。

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from: ueyonabaruさん

2009年10月03日 13時53分14秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
hiraokaさんへ

> やはり、取り違えられてしまいました。
> ueyonabaruさんの反応も、宗教にどっぷり浸かっている人の典型的な反応のようです。
>
> ぼくは「虫の霊が憑依するか否か」を問題にしているのではないのです。
>
> 1:風邪が流行するのは、虫が大量に死んでその浮遊霊がウィルスに憑依するから。
> ↑ 1が正しいとすると、・・・
>
> 2:虫が大量に発生して、その不幽霊が減る時期にも風邪は流行する。
> ↑ 「1と2は矛盾する」、と云っているのです。

 おっしゃるとおり、確かに矛盾しますね。となると、大川先生は春先の風邪の流行についても説明する必要がありそうです。冬になると死んだ多くの虫の霊が作用を及ぼし風邪が流行するが、春先には虫は死なず霊的な作用はないのに風邪は流行するということですね。 私には、よく分かりません。医学的な説明も正しいし、先生の憑依説もただしいのですよ、きっと。



> ぼくは、憑依現象は日常茶飯に起こっていることであると思っています。
> それでも虫の霊が途中の段階の生物を一足飛びに飛び越してウィルスに憑依するとするのは、とても無理があると思います。

 これもよく分かりません。



> >大川先生の、潜在意識とは本人の魂の一部だという理論も、一般の心理学にはありえない説でしょう。これも世間の常識とはかけ離れているものですね。
>
> これは、ぜひとも心理学者たちに取り入れていただきたい考えです。
> この点では、世間の常識のほうが間違っていると思います。
> ですが、霊の存在自体が世間の非常識とされていますね。
> ほとんどの人たちは、霊の存在をうすうす感じてはいるのですが、それを言うには条件が整っていません。
> だからこそ、大川さんにはほんとうに正しい霊界を伝えて欲しいのです。
>
> 「虫の霊がウィルスに憑依する」などと云うことを発言していては、霊的存在を信じたがっている科学者を、さらに遠ざけてしまいます。

 複眼のhiraokaさんの真骨頂ですね。これは、hiraokaさんが否定するだろうと思っておりましたが・・・・・。この件については、私は実は社会との関わりで見れば、ハッキリと公に発言しないほうが利口ではないかと思うんです。というのは、実在のする人のことに言及するからです。鳩山由紀夫やオバマの守護霊が実はとんでもないことを言うのです。取り上げられたご本人から抗議されたらどう対応するのでしょうか。裁判所に訴えることも可能ではないでしょうか。私の杞憂でしょうか?

 幸福の科学内々の議論であれば、当方はその様に考えるで対抗することもできますが、公的に発言するのはどうなのでしょうか。ダブルスタンダ-ドも良くはないとは言えますが。

 潜在意識=守護霊説は非常に興味あることではあります。



>> >初期の大川さんにうらみはないが現在の大川さんにはあるという風に聞こえます。
>
> それは、ueyonabaruさんが、ぼくを大川さんに敵対する人と見ているからです。
> うらみなど、ありません。
> うらみつらみを書いていられるようなひまは、ぼくにはありません。
>
> ueyonabaruさんが、ぼくのことを「複眼的に見ている」と評価してくださいました。
> ueyonabaruさんが、複眼的に物事を見れないのでしたら、
> それこそueyonabaruさんが大川さんを神格化しようとしているからにほかなりません。
> 妄信、神格化、美化の危険を、ぼくは主張しているのです。

 hiraokaさんがこのように大川先生のことを詰問されることに対しては、どのようにご返答してよいか困ってしまいます。一つ一つ具体例を挙げながらすすめてゆきましょう。一挙に全体評価で来られると、こちらはそうは思わないというしか応えようはありません。



> >大川先生には愛がないということでしょうか。私の見解とは異なります。愛がないのに宗教的な指導ができるはずもないではありませんか。
>
> 「愛」の無い人など、何処にいましょうか?
> 大川さんに「愛」が、ないことなどあるはずがありません。
> 大川さんの「愛」の表現のしかたが「冷たい」のです。
> 簡単に人を切り捨てるのです。
> 阿南にしろ、原さん、関口さん、・・・、影山さん、、
> 成長の家の総裁は、ひじょうに「愛深い」ものを感じます。

 生長の家の谷口雅春先生と大川先生はだいぶ違います。谷口先生は愛深い優しいイメ-ジがありますね。大川先生は冷たいとおっしゃるのですね。私はそうでもないのかと思っております。大川先生は大人であると思うんです。
 関谷さんの告白文も読みました。関谷さんはその様に大川先生を見たのです。その様な見方もできます。でも、それは関谷さん個人の問題でしょう。関谷さんに同情もいたします。私がその立場にあったら、関谷さんのようになったかもしれません。阿南、原、種村さんなどに直にお会いし、事情をお聞きしたいものです。人それぞれの葛藤、ドラマがあると思います。hiraokaさんもその中のお1人です。他の方々は現在どのように暮らし、どのように考えているのでしょうか。気がかりではありますね。
 大聖が世に現れるときには、現在の幸福の科学に起こったようなドラマがやはりあったのだろうと推察します。高弟達が袂を分かつという現象です。お釈迦様もイエス様にもその様なことがあったのでしょう。大聖が世に現れるときのみではなく、どの教団もそうでしょうし、私個人の周りでも起こっている現象であるのかもしれません。
 この世は不思議なものです。誤解の連続のような世界とも思えます。仏教の無常観でみるような、ひとときの仮の世かもしれません。非情な世界ともいえます。肉体の鎧をかぶっているので、他人の思いが分かりません。他人の思いが分かれば、そしてその他人がこちらの思いを知ることができれば、どんなにいいことであるか。
 前に、ロ-マの賢帝マルクス・アウレリウスのことをお話しましたね。ホントに立派な方ですが、この皇帝の時代にキリスト教禁止令が発布されたのです。マルクス・アウレリウスともあろう方がイエスを迫害するということを嘆いたイギリスの文人のことを取り上げ、大川先生は、この世では貴い者が貴い者を知らないことがあるという、この世の悲劇性をお説きになったことがありました。私達はあきめくらの世界にいるのかもしれません。なにが貴いのか分からないのです。
 要するに、大川隆法を預言者として信じる者信じない者があるのがこの世であり、個人個人の選択にゆだねられているのです。私は幸福の科学を選択しており、分からないことは分からないと言いながらもついていきたいと思うんです。 

 


> 僕は、幸福の科学はいまより信者が二倍に膨らむ事はもうないだろうと思っています。
> なぜなら、一般大衆はたとえバカであったとしても、そういうこと(わたしは指導者に愛されているか?)に、とても敏感に反応するからです。

 将来のことは分かりませんが、困難を乗り越えふやしていかねばなりません。



> >科学者の宗教が、一宗派としてできるかなんです。・・・・・
>
> そんなことになったら大悲劇が起こりますよ。 (*^_^*)
> 「科学と云う宗教」と云うのは、ぼくの修辞です。

 科学者が具体的な宗派に属するようになっていくようなものが望ましく思います。



> 現代においては、科学者は個人主義でちょうどいいんです。
> 科学者のほとんどはモラルや道徳をきちんと守りますし、世俗的な享楽を求めませんし、ある意味、もっとも神やソクラテスに愛でられる人たちなんです。
> なによりも絶対にウソをつかないんです。正直なんです。
> 科学者村ではウソをついたりだましたりすると、即追放なんです。
> じぶんの信念に基づいて発表しても、じぶんが間違っていると認めたらすぐに間違いを詫びます。
> これは、宗教者に見習ってほしい美徳です。
> 大川さんは、自分の発言を訂正したことがありますか?
> いままで、膨大な発言をしてきて、そのなかには間違いもあるはずなのに、信者にたいして訂正をしたことがありますでしょうか?

 科学者の世界と宗教家の世界は違います。しかし、先生はどうして訂正をなされないのでしょうかね。だれか教えてください。訂正をすると権威がおちるとお考えなのでしょうか。天皇陛下も、簡単に謝るということをなさいません。アメリカ大統領もそう簡単には謝りませんね。やはり、科学者の世界とは異なるようです。



> そして今回の選挙騒動でも、にしき鯉さんの質問に対して、
> ueyonabaruさんは「・・・、総裁にあやまってもらう必要はないと思います」と云うように、信者、開祖一丸になるのです。
 
 選挙結果については、一丸となってやったことですから、謝る必要もありません。われわれの理想を掲げ、再度挑戦するしかないでしょう。掲げた理想を降ろすようなことがあってはなりません。修正は必要かもしれません。われわれも間違うのですから。



> >> ぼくは、まったく見ておりません。
>  >すみません。
>
> 「すみません」だけでは、なんのことかぼくにはまったく分からないのですが、・・・
> ぼくに送ったレターと云うのは、ここのブログの「個人レター」のことだろうと想像しているのです。
> いったい、何のことなのでしょうか?
> ぼくが、見落としている可能性があるのです。

 個人レタ-ではなくて、#836の後段のhiraokaさんのご発言のことです。説明不足でした。  



> >何か、先生のご意志あってのゆえかもしれません。私には、不満ですが・・・・・。靖国至上主義者ではありませんが、靖国が問題になることが、今の日本人の国民精神の漂流状態を表しているように見えます。何とか解決したいものです。
>
> なぜ、不満なのでしょうね。そこにこそ、ueyonabaruさんが大川さんより大切に思うものが在るのかもしれませんね。
> ちょっと、興味あります。 (^.^)

 靖国のことは、あるいは英霊をお祀りするということは国家として当然のことですが、これについての国民の意見は割れており、首相が参拝すると言ったりしないと言ったりで全く収拾がつかない状況です。
 幸福の科学は神道を宗教とみなしており、靖国を受け入れられるのかという問題があります。私は、是非受け入れてもらいたいのです。日本の国教は神道であると、幸福の科学は言っております(チャンネル桜での討論会での泉氏の発言)。神道式のまつりごとには参加しないということであれば、一部のキリスト教と同じ次元の発想であり、狭量です。

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from: hiraokaさん

2009年10月03日 03時40分25秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
>ueyonabaruさん
>ウイルスの憑依の件ですが、現代の科学では逆に反証はできないでしょうね。・・・・・・

やはり、取り違えられてしまいました。
ueyonabaruさんの反応も、宗教にどっぷり浸かっている人の典型的な反応のようです。

ぼくは「虫の霊が憑依するか否か」を問題にしているのではないのです。

1:風邪が流行するのは、虫が大量に死んでその浮遊霊がウィルスに憑依するから。
↑ 1が正しいとすると、・・・

2:虫が大量に発生して、その不幽霊が減る時期にも風邪は流行する。
↑ 「1と2は矛盾する」、と云っているのです。

ためしに、大川さんの話しと僕の書き込みを、他の人たちに読んでもらってみてください。
ほとんどの人たちは、ぼくの指摘に同意するはずです。

話しを変えます。

ぼくは、憑依現象は日常茶飯に起こっていることであると思っています。
それでも虫の霊が途中の段階の生物を一足飛びに飛び越してウィルスに憑依するとするのは、とても無理があると思います。

>ウイルスなどによる風邪などの流行をみるとき、何か霊的な作用があるというのが私の率直な思いです。コレラやペスト、これが大流行したときヨ-ロッパの国々ではたくさんの人が亡くなりました。

そうであるかも知れず、そうでないかも知れません。
また、そう思いたくもなります。
だからと云って、大川さんがそれに近いことを云ったことをもって、大川さんを妄信するエネルギーにすることの危険を云っているのです。

前世紀末に、エイズが流行し「これは、神の警告ではないか?」と心配するひとたちが増えた事はまだ記憶に新しいことです。

大川さんの説は、当時、性の乱れを懸念した宗教化が、セックス狂いの人霊がエイズ・ウィルスに憑依したと云っているようなものなのです。

コレラやペストの大流行に霊的影響があったかなかったかは、ぼくらには分かりません。
ぼくとしては、霊的影響があっただろうと思います。
ですが、それを信仰をより強める材料にすべきではありません。

>大川先生の、潜在意識とは本人の魂の一部だという理論も、一般の心理学にはありえない説でしょう。これも世間の常識とはかけ離れているものですね。

これは、ぜひとも心理学者たちに取り入れていただきたい考えです。
この点では、世間の常識のほうが間違っていると思います。
ですが、霊の存在自体が世間の非常識とされていますね。
ほとんどの人たちは、霊の存在をうすうす感じてはいるのですが、それを言うには条件が整っていません。
だからこそ、大川さんにはほんとうに正しい霊界を伝えて欲しいのです。

「虫の霊がウィルスに憑依する」などと云うことを発言していては、霊的存在を信じたがっている科学者を、さらに遠ざけてしまいます。

もし、ぼくが提示した「大川さんの霊界に関する発言にも矛盾がある」ことを認める事ができましたら、大川さんを妄信したり、個人崇拝をしたり、神格化することの、個人にとっての危険性が分かると思います。

>初期の大川さんにうらみはないが現在の大川さんにはあるという風に聞こえます。

それは、ueyonabaruさんが、ぼくを大川さんに敵対する人と見ているからです。
うらみなど、ありません。
うらみつらみを書いていられるようなひまは、ぼくにはありません。

ueyonabaruさんが、ぼくのことを「複眼的に見ている」と評価してくださいました。
ueyonabaruさんが、複眼的に物事を見れないのでしたら、
それこそueyonabaruさんが大川さんを神格化しようとしているからにほかなりません。
妄信、神格化、美化の危険を、ぼくは主張しているのです。

>大川先生には愛がないということでしょうか。私の見解とは異なります。愛がないのに宗教的な指導ができるはずもないではありませんか。

「愛」の無い人など、何処にいましょうか?
大川さんに「愛」が、ないことなどあるはずがありません。
大川さんの「愛」の表現のしかたが「冷たい」のです。
簡単に人を切り捨てるのです。
阿南にしろ、原さん、関口さん、・・・、影山さん、、
成長の家の総裁は、ひじょうに「愛深い」ものを感じます。


僕は、幸福の科学はいまより信者が二倍に膨らむ事はもうないだろうと思っています。
なぜなら、一般大衆はたとえバカであったとしても、そういうこと(わたしは指導者に愛されているか?)に、とても敏感に反応するからです。

> > ヒンズ-の人たちの人類的トラウマとは何でしょうか?
>悲劇です。人間の浅はかな思いによる悲劇です。私達の世界はもろいもので、常に崩壊の危機にさらされているようでもありますね。

古代ヒンドゥーにおいて、人工が四分の一にまで激減する大内戦があったようです。
人類の歴史と云うものはとても不思議なもので、現代のヒンドゥーでそんなことを知る人は少ないのでしょうが、やはり民族性にそういう歴史が残されているように見えます。

>科学者の宗教が、一宗派としてできるかなんです。・・・・・

そんなことになったら大悲劇が起こりますよ。 (*^_^*)
「科学と云う宗教」と云うのは、ぼくの修辞です。

現代においては、科学者は個人主義でちょうどいいんです。
科学者のほとんどはモラルや道徳をきちんと守りますし、世俗的な享楽を求めませんし、ある意味、もっとも神やソクラテスに愛でられる人たちなんです。
なによりも絶対にウソをつかないんです。正直なんです。
科学者村ではウソをついたりだましたりすると、即追放なんです。
じぶんの信念に基づいて発表しても、じぶんが間違っていると認めたらすぐに間違いを詫びます。
これは、宗教者に見習ってほしい美徳です。

大川さんは、自分の発言を訂正したことがありますか?
いままで、膨大な発言をしてきて、そのなかには間違いもあるはずなのに、信者にたいして訂正をしたことがありますでしょうか?

そして今回の選挙騒動でも、にしき鯉さんの質問に対して、
ueyonabaruさんは「・・・、総裁にあやまってもらう必要はないと思います」と云うように、信者、開祖一丸になるのです。

とは言え、これも「愛」の現われの一つです。
そして、信者が大川さんを神格化しようとするからうちわの中でのみ許されるのです。
科学者村では、そうはいきません。たいへんにきびしい世界です。

科学者村では、論理を神とする信仰がはびこっています。
ですが、論理さえ神の全体ではなかったと云うことに、じょじょに気が付きはじめてきました。
科学と宗教は、少しづつ近づき始めているようですよ。

>> ぼくは、まったく見ておりません。
 >すみません。

「すみません」だけでは、なんのことかぼくにはまったく分からないのですが、・・・
ぼくに送ったレターと云うのは、ここのブログの「個人レター」のことだろうと想像しているのです。
いったい、何のことなのでしょうか?
ぼくが、見落としている可能性があるのです。

>何か、先生のご意志あってのゆえかもしれません。私には、不満ですが・・・・・。靖国至上主義者ではありませんが、靖国が問題になることが、今の日本人の国民精神の漂流状態を表しているように見えます。何とか解決したいものです。

なぜ、不満なのでしょうね。そこにこそ、ueyonabaruさんが大川さんより大切に思うものが在るのかもしれませんね。
ちょっと、興味あります。 (^.^)

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from: ueyonabaruさん

2009年10月02日 16時51分55秒

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「Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
 hiraokaさんへ

> >私達が肉眼で見るところの大川先生はホントの大川先生ではないのですね。ホントの大川先生は目には見えない存在で、法であり、エル・カンタ-レであり、われらが見る大川先生はこの世に仮に我々の前に現れておられるだけでしょう。
>
> ueyonabaruさんの考えに大賛成です!
> こまかいところは違いますが、ueyonabaruさんと同じように思っています。
> まあ、おいおいすり合わせていきましょう。
>

 賛成していただきありがとうございます。
 hikaru0827さんのご意見も伺ってから議論していきたいと思います。

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from: ueyonabaruさん

2009年10月02日 11時25分45秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
 hiraokaさんへ

> >あまり複雑なことはテ-マにしないほうが良いと思います。信仰の枠のなかに閉じ込め、本来の自分を発揮できなくするの意味は何でしょうか。
>
> ちょうど格好の題材をhikaruさんが、提供してくれました。
> 行き過ぎた「信仰心」は、個人にとっても危険であると言う好例になると思います。
> もっとも、ueyonabaruさんの場合はたいした好例とは思えないかも知れません。
> 「そんなことは、どうでもよろしい」と云った感想になるかも知れません。

 ウイルスの憑依の件ですが、現代の科学では逆に反証はできないでしょうね。否定はできます。それは、憑依という概念がが科学のなかに取り込まれていないからです。医者は、説明できるように、ウイルスの生存に適する環境や人間の体がウイルスに進入されやすい条件などを言いますが、これだけで100%の正解ではないのかもしれません。これも正しいし、霊的な憑依現象もあるかもしれません。一般の医学的な説明だけが正しいととの断定もまだできないと思っております。世論と先生の理論が食い違うことはままあることです。結論保留です。

 ウイルスなどによる風邪などの流行をみるとき、何か霊的な作用があるというのが私の率直な思いです。コレラやペスト、これが大流行したときヨ-ロッパの国々ではたくさんの人が亡くなりました。

 大川先生の、潜在意識とは本人の魂の一部だという理論も、一般の心理学にはありえない説でしょう。これも世間の常識とはかけ離れているものですね。
  

> >もちろん宗教心には愛が含まれます。これが宗教の命でしょう。

> だから、ぼくは景山さん問題を何度も出すのです。
> 大川さんに対する、「うらみ」で出しているのではないのです。
> ぼくは、大川さんに「うらみ」などありません。
> それどころか、初期の大川さんにはずいぶん教えてもらって感謝していると何度も書いてきています。

 初期の大川さんにうらみはないが現在の大川さんにはあるという風に聞こえます。



> どうして、多くのひとは宗教に対して「是々非々」が苦手なのでしょうか?
> それは、信じるものを批判する者があると、自分の「信仰心=愛」を否定されたと思うからなんです。
>
> これこそ、信仰心が「是々非々」を妨げているのです。だからと云って、「信仰心」が良くないとは一度も言ってないのです。

 これには賛成です。



> > ここにこそ、ぼくの信仰心の真髄があり、生きて知ってきた大集約があるのです。
> > それは何でしょうか?
>
> 「神」は「愛」であること。 人の本性は「愛」であること。自然はさまざまな「愛」の現われであること。 
> イエスの教えたことであり、ソクラテスや孔子や仏陀が示した言葉と行動です。

 大川先生には愛がないということでしょうか。私の見解とは異なります。愛がないのに宗教的な指導ができるはずもないではありませんか。



> > ヒンズ-の人たちの人類的トラウマとは何でしょうか?
>
> 「愛」を感じるときに広がる至高の境地と、「愛」を行うときの苦しさです。
> ですが、ヒンズーの人たちは「自分の神が最高」と云うところがあって、自分の神を表すために平気で創作をやるようです。
> この点、イスラム圏も「自分の神にさえ忠実なら、あとは自由」と云うところがあって、成長の家のような考えはなかなか受け入れられないかも知れません。
> 二次大戦の後、ガンジーの悲願もむなしくふたつに分かれてしまったのは、まさに宗教による影響なのです。

 悲劇です。人間の浅はかな思いによる悲劇です。私達の世界はもろいもので、常に崩壊の危機にさらされているようでもありますね。



> >> 変わらないのは、「この全宇宙の自然界があり、それを認識できる自分があり、自分と同じように認識しているらしい人が居る」と云うことのみです。
> > それだけでは、具体的な信仰は必ずしも生まれないかもしれませんね。真理の不可思議さを感動してゆくのは、嬉しい瞬間ではあります。
>
> いいえ、そんなことはありません。
> 多くの天文学者たちや、多くの物理学者、多くの数学者、多くの生物学者たちは、神秘と真理の奥深さに感動し、一般のひとたちから宗教の対極と誤解されている「科学」と云う宗教を大構築してきましたよ。

 科学者の宗教が、一宗派としてできるかなんです。宗教は団体を作り、社会に影響を及ぼそうとします。これは、宗教団体の宿命のようなものですね。科学者がそこまでやることはないでしょうから、あくまで科学者個人個人の悟りということになるのでしょう。仮に宗教団体を組織しようとすると、意見は割れていくでしょうね、きっと。



> ぼくは、まったく見ておりません。

 すみません。



> >一つ気がかりは、先生は靖国に参っておられませんが、これが疑問です。
>
> それが、ueyonabaruさんの切実なおもいならば、同じ思いの人を集めて嘆願書を出してみてください
>
> 。大川さんも団体で来られたら、「いやだなあ・・・」なんて云ってられないでしょうから。

 何か、先生のご意志あってのゆえかもしれません。私には、不満ですが・・・・・。靖国至上主義者ではありませんが、靖国が問題になることが、今の日本人の国民精神の漂流状態を表しているように見えます。何とか解決したいものです。

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from: hiraokaさん

2009年10月02日 02時53分38秒

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「Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
hikaru0827さん、こんばんは。

>「・・・風邪やインフルエンザを引き起こしているのは霊なのです。
その霊とは、いったい何でしょうか。
寒くなってくると風邪やインフルエンザが流行ります。そのころに霊になるものがあるかどうか、考えてみてください。
ありますね。虫です。秋の虫たちは急に冷え込むと死んでしまいます。このあとあたりから風邪やインフルエンザが流行るのです。
成仏していない虫たちは、浮遊霊になり、集団になって固まり、空中にフワフワと浮いています。実は、風邪やインフルエンザを広げているものは、こういう虫の霊なのです。
もちろん、病原体としてのウイルスや細菌はありますが、それ自体は、それほど有害ではありません。

それに霊的作用が加わって、あれだけ伝染していくのです。つまり、ウイルスなどが核となって、そこに虫の霊が憑依するわけです。これは、本当です。
おかしいと思いませんか。ウイルス自体は、春だって夏だって、一年中、生きているのに、冬になったら、なぜ広がるのでしょうか。それは霊的作用を受けて、急に勢力が増大するからです
そして、あとは憑依の原理と同じです。・・・」

書き込んでくださって、ありがとうございます。 <m(__)m>

大川さんの発言を読んでどこがおかしいか、大川さんを「信仰」している人にはなかなかわからないことだろうと思います。
疑わないのですから、それも当然です。
しかし、大川さんを「信仰」していない人が、これを読めばどこがおかしいかをすぐに分かるのです。

このことこそ、ぼくが主張する「盲目の信仰は社会にとっても、個人にとっても危険だ」と云うことなのです。
八正道と云いながら、何が正しくて何が間違っているかを知るのはたいへんにむずかしい事です。
じぶんが間違っているかも知れない事は、自分も含めてだれにでもあることですが、「信ずる」がゆえに簡単な間違いさえ見つけられなくなってしまうものなのです。

ぼくの説明を読んでも、hikaruさんはぼくの主張を認めないかもしれません。
あるいは・・・、「そんなことは会員たちにとっては、どうでもいいことだ。大川さんの教義だけが大切なのだ」と云われるかも知れません。
または、「そうだとしても、大川さんはまちがっていない」と思われるかもしれません。

しかし、会員以外のほとんどの人たちは、幸福の科学を見るとき、そんなことはどうでもよいとは考えないのです。
そして、こう云った大川さんの間違いを世間はあげつらい、ますます幸福の科学は社会から遊離していくかも知れないのです。

急に寒くなって大量の虫たちが死ぬ頃に、風邪やインフルエンザが流行るのはそのとおりです。
そして、春先に急に大量の虫たちが生まれる頃にも、風邪やインフルエンザは流行るのです。
虫たちの霊をもってくる必要はありません。
流行り風邪にかかりやすいのは、季節の変わり目に集中するのです。
それは、季節の変わり目に夏向き冬向きの体に人体が変化するときに、ホルモンのバランスが崩れて体調が失調しやすくなり免疫システムが弱まるから、と云うのが一番の原因です。
南極では風邪をひかないと云われるのは、南極に虫が居ないせいではないのです。

二番目の原因は、ウィルスの生存にとって最適な湿度と温度があって、人間にとってウィルスに侵入されやすい状態、目、鼻、口、喉、の粘膜が乾燥しやすい時期と一致するからです。

ですから、大川さんが云う、
「おかしいと思いませんか。ウイルス自体は、春だって夏だって、一年中、生きているのに、冬になったら、なぜ広がるのでしょうか。それは霊的作用を受けて、急に勢力が増大するからですそして、あとは憑依の原理と同じです。・・・」

↑ これを、常識を持った世間の人たちは笑うのです。

hikaruさんは反論するかも知れません。
「虫の霊が、ウィルスに憑依するかもしれないことは否定できないではありませんか」
そう、否定できないのです。 しかし、肯定もできないのです。
ほんとうは、わからないのです。
しかし、一般的には正誤が判断されてゆくものです。

虫の霊がウィルスに憑依するかどうかは分かりません。

あえて反論を述べれば、憑依には「波長道通」の原則があると云われていますね。
ウィルスは、結晶として取り出すことのできる、生物と無生物の中間の最小生物です。(プリオン説はまだ確定しておりません)

大川さんによれば、「狐やその他の動物と見えし者は、よく見ると人間なのです。人間が狐やその他の動物の心そのままに姿を表しているのです」とありますね。
だいたい、近いものにしか憑依できないと云うか、それ以外は憑依したくないと云うか・・・
虫とウィルスとの隔絶は、ものすごい隔絶があります。
それを思うと、どうも大川さんの云うことは疑わしいと思うのです。

以前にも、大川さんは「虫の霊」のことをチラと云った事があったと思います。
ぼくも、「何故、虫なのだろう?」と不思議に思った事があります。
推測ですが、大川さんは古代中国の夏、殷の時代に行われていた「蟲術」(こじゅつ)と云う、虫を使った呪詛宗教のことを知っていて、このことが大川さんの潜在意識にあるのかな? とも思います。
まあ、ひとの頭の中までは分かりませんね。


>>ものみの塔(エホバの証人)の重要教義は、じつに簡単に証明できるんですよ。
具体的には、どのような事ですか?

あれっ! 文字が抜けてる!!
すみません、正しくは・・・以下の通りです。

「ものみの塔(エホバの証人)の重要教義のまちがいは、じつに簡単に証明できるんですよ。」

>>信仰するがゆえに、信仰しない人が見ているものを見ようとしない事はいくらでもあります。
>この世で、無信仰で生きる事は、暗闇の中を灯りなしで進むようなもの、と言われています。

そうですね。もっとも難しいものが宗教だとぼくも思っています。

>>おそらく、かれらと一緒に楽しく歓談できるような気がします。
それは「信仰」なんでしょうか?
どちらかというと、「友愛」な気がします。

対等の「友愛」では、ありません。しかし、大偉人は僕を対等に扱ってくれるのです。
そのことがぼくにとって、さらに「信仰」を強めてくれるのです。

>来てもシャットアウトするおつもりなら、そもそも「来ないで」と言う必要がありません。

大川さんは「漏神通力」を使って、それをやっているとの自身の発言もあります。
そもそも、これが大川さんの矛盾です。
イエスは「医者にとって必要なのは病人である」と云います。
また、「悩むものはわたしのところへ来なさい」とも云います。
大川さんは、「だから、イエスは潰れたんだ」と云います。
そうかも知れません。
しかし、釈迦は大衆と遊離はしていません。
大川さんの感覚はあきらかに庶民感覚からは、ずれています。

>私はネット上、その他にあふれる情報をあまり信用していません。人を中傷する内容は特にです。
そういう噂がある、という事実を確認した。とするのみです。

それは、大川さんに関するものだけではないでしょうか。
火の無いところに煙は立たぬ、とも云います。
これだけ多くの非難があふれているのに見てみぬふりをするのは、大川さんを信じたいからなのです。
ネット上、その他にあふれる情報をまったく無視することはできません。
ueyonabaruさんも、ネットの情報からここを立ち上げたいきさつがあります。
hikaruさんは、幸福の科学にたいして、まったく疑問は無いのでしょうか?

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from: hiraokaさん

2009年10月02日 00時39分57秒

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「Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
>ueyonabaruさん
>私達が肉眼で見るところの大川先生はホントの大川先生ではないのですね。ホントの大川先生は目には見えない存在で、法であり、エル・カンタ-レであり、われらが見る大川先生はこの世に仮に我々の前に現れておられるだけでしょう。

ueyonabaruさんの考えに大賛成です!
こまかいところは違いますが、ueyonabaruさんと同じように思っています。
まあ、おいおいすり合わせていきましょう。

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from: hiraokaさん

2009年10月02日 00時22分35秒

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「Re:Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
ueyonabaruさん、こんばんは。

>人間の信仰心が悪いことを助長することがあるということでしょうが、たしかにそうです。ナチの熱情、兵士達の愛国心がエネルギ-となって大きな悲劇を生んでしまいました。だからといって、信仰心や愛国心をなくすことはできません。

もちろん、無くしてはいけませんね。また、無くすことは不可能です。
これは、「愛」ですから、無くす事は不可能です。
ぼくも、左翼思想の人たちが信仰心や愛国心を減らす方向に持っていこうとしていることは大嫌いです。

>あまり複雑なことはテ-マにしないほうが良いと思います。信仰の枠のなかに閉じ込め、本来の自分を発揮できなくするの意味は何でしょうか。

ちょうど格好の題材をhikaruさんが、提供してくれました。
行き過ぎた「信仰心」は、個人にとっても危険であると言う好例になると思います。
もっとも、ueyonabaruさんの場合はたいした好例とは思えないかも知れません。
「そんなことは、どうでもよろしい」と云った感想になるかも知れません。

>> 「崇敬」の意味を考察したことが、ありますでしょうか?
> これには、全世界に見られる原始的宗教のパターンがあります。
> それを、最初に打ち破るべく使わされた天使がイエスだったのだと云うことは、ueyonabaruさんも知っていると思います。
>このことは知りません。イエス以前の神々より巨きな神の出現がイエスの誕生と思っておりますが。

世界中の宗教の変化の歴史と、現在にも見られるパターンを見れば、古今東西を問わず、みな同じなんです。
最初は、過酷な自然と生きることの苦しさから逃れるために、その苦しさの原因を目に見えないものに求めたのです。
それが、人間の考える「神々」の始まりでした。

「神々」は、気まぐれで荒々しく理不尽にも災難をふっかけてくることさえあります。
人間としてできることは、「神々」の機嫌を損ねないように最大限の努力をせねばなりませんでした。
それで、さまざまな呪詛やアニミズムや祖霊信仰や、はては現代においてもカーゴ信仰のようなものが生まれるのです。
日本でも、ユタ信仰や道祖神やイタコや、その他・・・、みんながわけもわからずやっている節分の豆撒きだって、その名残りなのです。

>もちろん宗教心には愛が含まれます。これが宗教の命でしょう。

だから、ぼくは景山さん問題を何度も出すのです。
大川さんに対する、「うらみ」で出しているのではないのです。
ぼくは、大川さんに「うらみ」などありません。
それどころか、初期の大川さんにはずいぶん教えてもらって感謝していると何度も書いてきています。

どうして、多くのひとは宗教に対して「是々非々」が苦手なのでしょうか?
それは、信じるものを批判する者があると、自分の「信仰心=愛」を否定されたと思うからなんです。

これこそ、信仰心が「是々非々」を妨げているのです。だからと云って、「信仰心」が良くないとは一度も言ってないのです。

> ここにこそ、ぼくの信仰心の真髄があり、生きて知ってきた大集約があるのです。
> それは何でしょうか?

「神」は「愛」であること。 人の本性は「愛」であること。自然はさまざまな「愛」の現われであること。 
イエスの教えたことであり、ソクラテスや孔子や仏陀が示した言葉と行動です。

> ヒンズ-の人たちの人類的トラウマとは何でしょうか?

「愛」を感じるときに広がる至高の境地と、「愛」を行うときの苦しさです。
ですが、ヒンズーの人たちは「自分の神が最高」と云うところがあって、自分の神を表すために平気で創作をやるようです。
この点、イスラム圏も「自分の神にさえ忠実なら、あとは自由」と云うところがあって、成長の家のような考えはなかなか受け入れられないかも知れません。
二次大戦の後、ガンジーの悲願もむなしくふたつに分かれてしまったのは、まさに宗教による影響なのです。

> 幸福の科学では景山さんは認められていることはご承知されましたか。それでいいのですよ。

hiraokaさんがそれでも、恨み心を棄てていないように見えます。恨みでなければ執着でしょうね。正しくものをご覧になっておられますか。

ぼくが景山さんを持ち出す理由を分かってもらえません。
恨みでも執着でもありません。
そういった類いのものを、わざわざ書くほどひまではありません。


>> 変わらないのは、「この全宇宙の自然界があり、それを認識できる自分があり、自分と同じように認識しているらしい人が居る」と云うことのみです。
> それだけでは、具体的な信仰は必ずしも生まれないかもしれませんね。真理の不可思議さを感動してゆくのは、嬉しい瞬間ではあります。

いいえ、そんなことはありません。
多くの天文学者たちや、多くの物理学者、多くの数学者、多くの生物学者たちは、神秘と真理の奥深さに感動し、一般のひとたちから宗教の対極と誤解されている「科学」と云う宗教を大構築してきましたよ。

>私がパウロやアウグスティヌスのことを取り上げるのは、彼らの内面の美しさからなんです。

ぼくは、そのことをよく分かっているつもりです。
ぼくはソクラテスを大尊敬していても、ソクラテスの時代の制約を除いた小さなまちがいも同時に見ているのです。かと云って、ぼくがソクラテスより偉いはずもありません。

>信仰心に訴えたというのは事実でしょう。hirakaさんは、信仰心が虐殺の原因であり、これを人類から取り除きたいというお気持ちですか?

信仰心を取り除きたいなど考えたこともありません。
それを目論んだのが、共産主義を理想とした国家戦略でした。
しかし、神と人への「信仰心」のかわりに、かれらは指導者に対する「信仰心」にすげ替えました。
そして、あのとおりになりました。

ueyonabaruさんが、天皇と大川さんに信仰心を持ち、特攻隊員が天皇と日本国に信仰心を持ち、9.11のアラブ特攻隊員がビルに突っ込んだのも、同じ「信仰心」なのです。

>あと、haikaruさんへのレタ-で、右翼思想と大川先生の関係を述べられておりますので、これにも応えておきたいと思います。

えっ! そのレターはいつ送られたのでしょうか?
ぼくは、まったく見ておりません。

>一つ気がかりは、先生は靖国に参っておられませんが、これが疑問です。

それが、ueyonabaruさんの切実なおもいならば、同じ思いの人を集めて嘆願書を出してみてください

。大川さんも団体で来られたら、「いやだなあ・・・」なんて云ってられないでしょうから。

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from: ueyonabaruさん

2009年10月01日 23時09分08秒

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「Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
 hikaru0827さんへ


> まず、標題の「信仰とは個人を神格化することであるか?」
> についてですが、個人的には仏=法と思ってますので、変な言い方ですが、そもそも生身の人間という風に思ってないです。
 
 仏は法であると教えられていますね。そうすると生身の大川先生はどのように考えるかという極めて現実的なテ-マが出てまいりますね。私は、それについては現人神というより他はないのかと思っているんです。

 法であるだけでは、目に見ることも触れることも話すこともできません。生身の人間でありながら、法を熟知している方というのが、大川隆法であると考えることにしております。私達が肉眼で見るところの大川先生はホントの大川先生ではないのですね。ホントの大川先生は目には見えない存在で、法であり、エル・カンタ-レであり、われらが見る大川先生はこの世に仮に我々の前に現れておられるだけでしょう。
 
 われわれにしても、ホントの姿は目に見えないものであり、仏子であり、霊であり、不滅の知性であり、不滅の力であると、「正心法語」に説かれており、これがわれわれの実相なのですね。

 先生のことを法を熟知している方としたのは、表現として、十分ではないようにも思いますが、法そのもの、神そのものと表現してしまうと、その様なものが間違うのかという攻撃もあることですので、その様に表現しております。

 現人神以外の表現があれば、ご提起願います。

 これは、キリスト教初期の頃、イエスをどのように位置づけるかという重要な審議があったと思われ、結局は、創造神が肉体を持ったものがイエスであると決めたのではないかと思うんです。創造神の子供というわけですね。

 イエスを神とするように、大川隆法も神であるとしたいと思います。そして、創造神であるかというと、そこまでの主張は無理ではないかと思うんです。

 どうぞ、ご意見をください。

 

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from: ueyonabaruさん

2009年10月01日 19時05分10秒

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「Re:Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
hiraokaさんへ


> >これらは、全て宗教の信仰とからんでおります。しかし、それだけが原因といえるでしょうか。
>
> ひとつの歴史的事件に、ひとつだけの原因しかないなどと云うことがあるでしょうか。
> なぜ、ピサロたちやナチスたちが大虐殺を行いえたと思われますか?
> 宗教的お墨付きがあればこそ、できうるものなのです。
> イエスが十字軍を組織するとは思われないでしょう。

 人間の信仰心が悪いことを助長することがあるということでしょうが、たしかにそうです。ナチの熱情、兵士達の愛国心がエネルギ-となって大きな悲劇を生んでしまいました。だからといって、信仰心や愛国心をなくすことはできません。



> 自分自身にとっての危険は、自分自身を信仰の枠の中にとじこめ、ほんらいの自分を表現することを制限してしまう事です。
> このことは、別途お話ししましょう。たいへんに、複雑な問題です。

 あまり複雑なことはテ-マにしないほうが良いと思います。信仰の枠のなかに閉じ込め、本来の自分を発揮できなくするの意味は何でしょうか。



> > 天皇を現人神とするのと似ているのかもしれません。心理的には同じものではないでしょうか。
>
> 「崇敬」の意味を考察したことが、ありますでしょうか?
> これには、全世界に見られる原始的宗教のパターンがあります。
> それを、最初に打ち破るべく使わされた天使がイエスだったのだと云うことは、ueyonabaruさんも知っていると思います。

 このことは知りません。イエス以前の神々より巨きな神の出現がイエスの誕生と思っておりますが。



> >信仰を公にもっていない方々にもご立派な方々がいらっしゃいます。それは構わないのです。異なる宗派でもりっぱな方々がおります。宗教心なくして偏る人が問題です。

> すこしも問題ではないと思います。ぼくは、さらに云います。
> 「宗教心が無くとも、りっぱな人たちはいくらでも居ます」
> 宗教心が無かったからと云う理由で地獄に行くことは考えられません。
> ただし、そのような人の行く先は、地獄でないにしても「おらが春」の境遇でしょう。
> その人たちも、いつかはその境遇に飽きてくることでしょう。
>
> ueyonabaruさんの云われる「宗教心なくして偏る人が問題です。」は、
> 「愛の心なくして偏る人が問題です。」が、本当のところだと思います。


 もちろん宗教心には愛が含まれます。これが宗教の命でしょう。


>
> >景山民雄さんのことをおっしゃておられるようですが、もういい加減に心からお解きになられてはどうですか。いつかの月刊誌かなにかで、先生が、景山さんもやがて幸福の科学の霊界における講師になるというようなお話をされてましたよ。このことは、前にもお話したつもりです。それでも、大川隆法はおかしいとおっしゃるのであれば、逆にhiraokaさんがおかしいのではと思えますね。
>
> いいえ、これこそが僕の信仰心なのです。
> これからも、云い続けるつもりです。
> けっして、うらみで僕が云い続けるのではありません。

 ここも非常に分かりにくいhiraokaさんのお言葉ですね。。



> ueyonabaruさんが、「もう、聞きたくない」と云うなら、そうハッキリ宣言されてください。
> ここにこそ、ぼくの信仰心の真髄があり、生きて知ってきた大集約があるのです。

 それは何でしょうか?



> およそ、世界の大偉人で「愛を拒絶した人」が居ますか?
> イエスの前身と云われるクリシュナは戦争を前に、親類縁者と戦わなければならないことに大苦悩します。神霊の叱咤によってクリシュナは、意を決っします。
> このことはヒンドゥーの人たちの人類的トラウマになっていると指摘されています。
> ぼくには、このことがとてもよく分かる気がします。
>
> 人類の認める世界的大偉人で、自分を頼ってきた人を邪険にあつかった人が居ますか?
> これこそ、もっとも簡単な真贋判定の試金石なのです。

 ヒンズ-の人たちの人類的トラウマとは何でしょうか?



> 景山さんが霊界での幸福の科学の講師になるなど証明のしようもなく、
> そんな説明は、ぼくと意見を同じくする人たちへの取り繕い発表にしか受け取れません。
> これまでもたくさんぼくが書いてきた「霊界の実相には、大川さんのものも在る」と主張するその世界でしか通用しません。
> ちょうど、影山さん問題が、幸福の科学内での問題であるのと同じなのです。

 幸福の科学では景山さんは認められていることはご承知されましたか。それでいいのですよ。hiraokaさんがそれでも、恨み心を棄てていないように見えます。恨みでなければ執着でしょうね。正しくものをご覧になっておられますか。



> 変わらないのは、「この全宇宙の自然界があり、それを認識できる自分があり、自分と同じように認識しているらしい人が居る」と云うことのみです。

 それだけでは、具体的な信仰は必ずしも生まれないかもしれませんね。真理の不可思議さを感動してゆくのは、嬉しい瞬間ではあります。



> >> そして、パウロ、アウグスティヌスより以降の人たちはたとえ善人であったとしても、信仰するがゆえにさらに分からなくなってゆき、歴史に汚点も残したんですよ。
> >  科学的な過ちのことでしょうか。

 私がパウロやアウグスティヌスのことを取り上げるのは、彼らの内面の美しさからなんです。彼らが神学的に間違っていたとか、科学的に無知であったとかはあまり考えることもありません。ただし、キリスト教神学を批判する段に至れば、そればかりではありません。



> さきに十字軍のことを書いたときに「宗教的な理由だけではない」ことを書きました。
> ほんとうは十字軍遠征は「宗教を理由に奨励されたもの」なのです。
> 当時のイスラム世界は最高の文化を享受する、世界最大の宗教圏にまで成長していたのです。
> それは、旧態以前としたキリスト教圏が、まさに田舎国家にしか見えないほどだったのです。
> そのことに危機感を持った宗教指導者が、ひとびとに抗うことのできない「信仰心」に訴えて実行されたものなのです。
> そしてこれが、ひとびとの苦悩と喜びである「歴史の綾」に織り込まれたのです。
 
> ピサロやコルテスの蛮行も、ナチスの所業も、「信仰心」があったからこそなしえた歴史なのです。

 信仰心に訴えたというのは事実でしょう。hirakaさんは、信仰心が虐殺の原因であり、これを人類から取り除きたいというお気持ちですか?



 あと、haikaruさんへのレタ-で、右翼思想と大川先生の関係を述べられておりますので、これにも応えておきたいと思います。

 右翼とはいいますが、健全な歴史観、防衛論をもつことを目指すものであり、傍から何といわれようと構いません。大川先生から、従来の私の信条と同じ方向を示されて嬉しく思います。単に宗教にこもるお方ではありませんね。ホントに大人だと思いますよ。

 一つ気がかりは、先生は靖国に参っておられませんが、これが疑問です。

 仮に、大川先生から右翼思想を取り除いたとしても、幸福の科学から離れることはありません。私は、先生の哲学に一番に惚れています。霊言には、興味はありますが、惚れてはおりません。間違いもありますし・・・・。私がソクラテスを読み感動したもの、それは単純にも、ソクラテスの霊界への信仰心の存在などを確認したことでありました。キリスト以前にギリシャにその様な思想があったということが驚きでした。そして、それはキリスト教とは異なるものであり、東洋の思想に共通のものでした。hiraokaさんは、このようなことはすでにご存知だったと思うのですが、私にとっては、感動の一時でした。
 私はたくさんの本を読んでいませんが、数少ない読書のなかで得られたものを大切に反芻するタイプかもしれませんね。

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from: hikaru0827さん

2009年10月01日 01時39分03秒

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「Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
hiraokaさんへ

まず、標題の「信仰とは個人を神格化することであるか?」
についてですが、個人的には仏=法と思ってますので、変な言い方ですが、そもそも生身の人間という風に思ってないです。


>そうですか。 「虫の霊がウィルスに憑依する」なのですね?

正確に書きますね。以下「心と体の本当の関係」の抜粋です。

「・・・風邪やインフルエンザを引き起こしているのは霊なのです。
その霊とは、いったい何でしょうか。
寒くなってくると風邪やインフルエンザが流行ります。そのころに霊になるものがあるかどうか、考えてみてください。
ありますね。虫です。秋の虫たちは急に冷え込むと死んでしまいます。このあとあたりから風邪やインフルエンザが流行るのです。
成仏していない虫たちは、浮遊霊になり、集団になって固まり、空中にフワフワと浮いています。実は、風邪やインフルエンザを広げているものは、こういう虫の霊なのです。
もちろん、病原体としてのウイルスや細菌はありますが、それ自体は、それほど有害ではありません。それに霊的作用が加わって、あれだけ伝染していくのです。つまり、ウイルスなどが核となって、そこに虫の霊が憑依するわけです。これは、本当です。
おかしいと思いませんか。ウイルス自体は、春だって夏だって、一年中、生きているのに、冬になったら、なぜ広がるのでしょうか。それは霊的作用を受けて、急に勢力が増大するからです
そして、あとは憑依の原理と同じです。・・・」


>ものみの塔(エホバの証人)の重要教義は、じつに簡単に証明できるんですよ。

具体的には、どのような事ですか?


>信仰するがゆえに、信仰しない人が見ているものを見ようとしない事はいくらでもあります。

この世で、無信仰で生きる事は、暗闇の中を灯りなしで進むようなもの、と言われています。
ただ、灯りである信仰にも様々あり、その色調や、明るさは千差万別です。
色なしは、天気の悪い日などに適しています。
黄色系は、雪面の凸凹が見易いです。
…失礼、これはスキーのゴーグルの話でした。
なんにせよ、灯りによって、見易い物、見にくい物は当然あります。
しかし、手探りよりはマシだと思います。
また後で、灯りを変えれば見落としてた物も見えてくるでしょう。
手探りでの発見(壁の手触りとか)が貴重な経験である人もいるでしょうけど、ここを見てる方が、その様な段階とは思えません。


>おそらく、かれらと一緒に楽しく歓談できるような気がします。

それは「信仰」なんでしょうか?
どちらかというと、「友愛」な気がします。
信仰の対象って、字の通り仰ぎ見るものでは?
でも、この話面白いと思いました。
帰天した時、「誰と歓談したいか」って、つまりその人達のいる階層に自分が居るって事ですよね。
恐れ多い人とは、普通歓談しませんから。
自分の帰る場所が、なんとなく分かりそうな気がします。


>9次元の神が居たとして、よるべなき迷えるたましいが救いを求めにやってきたとき、そのあわれなたましいを邪険に追い払うでしょうか?

総裁先生は、「追い払う」とは言われていません。
景山さんが来た時も、追い払ってません。

先生の言葉を、逆に考えれば追い払えないからこそ、「来ないでくださいね」と言われてるともとれます。
来てもシャットアウトするおつもりなら、そもそも「来ないで」と言う必要がありません。

私からすれば、9次元霊は、目を開けていられないほどの光の塊であり、動く姿は稲妻のごとくだと思うのです。
そういう方に、のこのこ会いに行って何を言えるでしょう。
私は直属の上司にしときます。


景山さんは今菩薩界なんですか?
知らないというのは罪ですね。
失礼な発言をしました。
景山さん、すみませんでした。

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from: hiraokaさん

2009年10月01日 01時19分28秒

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「Re:Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
ueyonabaruさん、こんばんは。

>危険とおっしゃるのは、具体的には何なんでしょうか。戦前の軍国主義や十字軍、イスラムのテロなどをお考えなのでしょうか。

社会にとっての危険は、ueyonabaruさんの推測の通りです。
付け加える事例は、北朝鮮や旧ソ連、イスラムの過激派、・・・いくらでもあります。

>これらは、全て宗教の信仰とからんでおります。しかし、それだけが原因といえるでしょうか。

ひとつの歴史的事件に、ひとつだけの原因しかないなどと云うことがあるでしょうか。
なぜ、ピサロたちやナチスたちが大虐殺を行いえたと思われますか?
宗教的お墨付きがあればこそ、できうるものなのです。
イエスが十字軍を組織するとは思われないでしょう。

自分自身にとっての危険は、自分自身を信仰の枠の中にとじこめ、ほんらいの自分を表現することを制限してしまう事です。
このことは、別途お話ししましょう。たいへんに、複雑な問題です。

> 天皇を現人神とするのと似ているのかもしれません。心理的には同じものではないでしょうか。

「崇敬」の意味を考察したことが、ありますでしょうか?
これには、全世界に見られる原始的宗教のパターンがあります。
それを、最初に打ち破るべく使わされた天使がイエスだったのだと云うことは、ueyonabaruさんも知っていると思います。

>生長の家の谷口先生は、天皇を神とし、天皇を神と見る国民もまた神であるとお説きになりました。

見る主体が神なので、見られる客体である天皇もまた神であるというのです。大川隆法もまたそのように考えていいのではないでしょうか。

大川さんは、そのことを知っていると思われます。
知っていてやっている「個人崇拝」だと思われます。
自分の写真を本尊にして、それを前に正心法語を唱えることを薦めることなどの事です。
これは、無意味ではありませんが、個人を崇拝させる方向にしか向かいません。

>> >そうでなければ、幸福の科学を理解することも不可能ではないでしょうか。三帰誓願をしないとしても、仮定の信仰でももたない限り、幸福の科学の理解は深まらないでしょう。
上の私の理屈からすると、大川隆法も神であり、私も神としなければなりません。しかし、私は大川隆法を偉大なる神として尊敬するのです。同格ではなく、一目も二目いやそれ以上に目数を置かねばならないのです。大先生といってよいでしょう。

もちろん、同格ではありません。
ぼくは急進的平等主義者ではありません。
ぼくの云いたい事は、「贔屓の引き倒し」と云うことばの意味するところなのです。
かんたんに引き倒される大川さんではないでしょうが、その前に自分が引き倒されてしまうかも知れないのです。

>信仰を公にもっていない方々にもご立派な方々がいらっしゃいます。それは構わないのです。異なる宗派でもりっぱな方々がおります。宗教心なくして偏る人が問題です。

すこしも問題ではないと思います。ぼくは、さらに云います。
「宗教心が無くとも、りっぱな人たちはいくらでも居ます」
宗教心が無かったからと云う理由で地獄に行くことは考えられません。
ただし、そのような人の行く先は、地獄でないにしても「おらが春」の境遇でしょう。
その人たちも、いつかはその境遇に飽きてくることでしょう。

ueyonabaruさんの云われる「宗教心なくして偏る人が問題です。」は、
「愛の心なくして偏る人が問題です。」が、本当のところだと思います。

>宮沢賢治は、自分のことを仏の子と言っていたそうです。仏様が大好きだったのでしょうね。

大川さんは、宮沢賢治のことをチラリと云っていますね。あまり評価はしていないようです。
彼は法華経の信者でした。
ネット仲間から教えてもらったことがあります。

宮沢賢治は農学校の先生だった頃、生徒からつぎのように尋ねられたそうです。
生徒「先生。私達は何のために生きているんでしょうね?」
宮沢賢治「さあ・・・。 それを知るためなんじゃないでしょうか。」

ぼくはとても感激しましたよ。

>景山民雄さんのことをおっしゃておられるようですが、もういい加減に心からお解きになられてはどうですか。いつかの月刊誌かなにかで、先生が、景山さんもやがて幸福の科学の霊界における講師になるというようなお話をされてましたよ。このことは、前にもお話したつもりです。それでも、大川隆法はおかしいとおっしゃるのであれば、逆にhiraokaさんがおかしいのではと思えますね。

いいえ、これこそが僕の信仰心なのです。
これからも、云い続けるつもりです。
けっして、うらみで僕が云い続けるのではありません。

ueyonabaruさんが、「もう、聞きたくない」と云うなら、そうハッキリ宣言されてください。
ここにこそ、ぼくの信仰心の真髄があり、生きて知ってきた大集約があるのです。

およそ、世界の大偉人で「愛を拒絶した人」が居ますか?
イエスの前身と云われるクリシュナは戦争を前に、親類縁者と戦わなければならないことに大苦悩します。神霊の叱咤によってクリシュナは、意を決っします。
このことはヒンドゥーの人たちの人類的トラウマになっていると指摘されています。
ぼくには、このことがとてもよく分かる気がします。

人類の認める世界的大偉人で、自分を頼ってきた人を邪険にあつかった人が居ますか?
これこそ、もっとも簡単な真贋判定の試金石なのです。

景山さんが霊界での幸福の科学の講師になるなど証明のしようもなく、
そんな説明は、ぼくと意見を同じくする人たちへの取り繕い発表にしか受け取れません。
これまでもたくさんぼくが書いてきた「霊界の実相には、大川さんのものも在る」と主張するその世界でしか通用しません。
ちょうど、影山さん問題が、幸福の科学内での問題であるのと同じなのです。

> ここでも、難しいhiraokaさんが登場しました。信仰心は時代を超えているのではないですか。

信仰心は時代を超えますが、信仰する対象は時代と共に変わってゆくのです。
このことが、分かりますでしょうか?
簡単な事です。 イエスが現われる前に、イエスを信仰することはできません。

変わらないのは、「この全宇宙の自然界があり、それを認識できる自分があり、自分と同じように認識しているらしい人が居る」と云うことのみです。

>> そして、パウロ、アウグスティヌスより以降の人たちはたとえ善人であったとしても、信仰するがゆえにさらに分からなくなってゆき、歴史に汚点も残したんですよ。
>  科学的な過ちのことでしょうか。

もちろん、それも含みます。
科学的な過ちでしたら、ソクラテスを神格化しても同じ事が起こりえます。

さきに十字軍のことを書いたときに「宗教的な理由だけではない」ことを書きました。
ほんとうは十字軍遠征は「宗教を理由に奨励されたもの」なのです。
当時のイスラム世界は最高の文化を享受する、世界最大の宗教圏にまで成長していたのです。
それは、旧態以前としたキリスト教圏が、まさに田舎国家にしか見えないほどだったのです。
そのことに危機感を持った宗教指導者が、ひとびとに抗うことのできない「信仰心」に訴えて実行されたものなのです。
そしてこれが、ひとびとの苦悩と喜びである「歴史の綾」に織り込まれたのです。

ピサロやコルテスの蛮行も、ナチスの所業も、「信仰心」があったからこそなしえた歴史なのです。

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from: ueyonabaruさん

2009年09月30日 13時22分23秒

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「Re:信仰とは個人を神格化することであるか?」
> 尊敬されるべき個人は神格化すべきか? あるいは、信仰とは個人を神格化することであるか?
>
> ぼくとueyonabaruさんの最大の違いは、
>  ↓これだろうと思うのです。
>
> >クリスチャンがイエスを神、神の子として信仰するように、幸福の科学の信者は、大川隆法を神、神の子として信仰するのです。
>
> ぼくは、その道の選択は、「自分自身にとっても、社会にとっても危険だろう」と思っているのです。
> とは云え、ueyonabaruさんと真反対が良いと云っているわけではありません。

 そこが違うんですね。
 危険とおっしゃるのは、具体的には何なんでしょうか。戦前の軍国主義や十字軍、イスラムのテロなどをお考えなのでしょうか。これらは、全て宗教の信仰とからんでおります。しかし、それだけが原因といえるでしょうか。ともあれ、危険の具体的なご説明をお願いします。



> ueyonabaruさんの云われる、「大川さんを信仰する」と云うことは、戦前の天皇を「現人神」として崇敬信仰すると云う意味でしょうか?

 天皇を現人神とするのと似ているのかもしれません。心理的には同じものではないでしょうか。

 生長の家の谷口先生は、天皇を神とし、天皇を神と見る国民もまた神であるとお説きになりました。見る主体が神なので、見られる客体である天皇もまた神であるというのです。大川隆法もまたそのように考えていいのではないでしょうか。



> >そうでなければ、幸福の科学を理解することも不可能ではないでしょうか。三帰誓願をしないとしても、仮定の信仰でももたない限り、幸福の科学の理解は深まらないでしょう。

> なぜ、そのように思われるのでしょうか?
> 「もう、何度もその指摘は聞いた」と云われるかもしれませんが、信仰が欲しいからですね。
> つまり、信仰の対象を持つことによって、自分の存在根拠を確認したいのです。

 上の私の理屈からすると、大川隆法も神であり、私も神としなければなりません。しかし、私は大川隆法を偉大なる神として尊敬するのです。同格ではなく、一目も二目いやそれ以上に目数を置かねばならないのです。大先生といってよいでしょう。




> ほんとうは、信仰を持たなくても自己を確立している人はたくさん居ますが、たしかにそれも危ない道である確率は高いものです。

 信仰を公にもっていない方々にもご立派な方々がいらっしゃいます。それは構わないのです。異なる宗派でもりっぱな方々がおります。宗教心なくして偏る人が問題です。


 
> ぼくは、イエス、ソクラテス、孔子、仏陀を、尊敬すべき敬愛すべき大偉人、人類の恩人と思うと同時に、かれらをひじょうに善き友人、善き先輩、善き先達と実感します。
> おそらく、かれらと一緒に楽しく歓談できるような気がします。
> もちろん、ぼくが教えてもらうことばかりでしょうが、ときには冗談も云いあえるような気がするんです。
> ぼくには、これこそほんとうの「信仰」のすがたと思えるのです。

 ここのところは、賛成します。友人とまでいえるかどうかはあります。宮沢賢治は、自分のことを仏の子と言っていたそうです。仏様が大好きだったのでしょうね。私は自分のことをエル・カンタ-レの子、大川隆法の弟子というぐらいに位置づけておきたいと思います。
>


> 9次元の神が居たとして、よるべなき迷えるたましいが救いを求めにやってきたとき、そのあわれなたましいを邪険に追い払うでしょうか?
> 9次元の霊は、自分をいくつにでも分けることができる存在です。
> ueyonabaruさんに、会えないはずはありません。
> ueyonabaruさんが霊界に帰ったとき、大川さんの分霊にせよ会ってもらえるのでしょうか?

 霊界で先生の霊(分霊)に会いたいのかなんて考えたこともないです。その様な欲求は今のところありません。

 景山民雄さんのことをおっしゃておられるようですが、もういい加減に心からお解きになられてはどうですか。いつかの月刊誌かなにかで、先生が、景山さんもやがて幸福の科学の霊界における講師になるというようなお話をされてましたよ。このことは、前にもお話したつもりです。それでも、大川隆法はおかしいとおっしゃるのであれば、逆にhiraokaさんがおかしいのではと思えますね。



> >パウロもアウグスティヌスもイエスを神として信仰したので、その点では何の間違いもありません。
>
> その点では間違いではありません。当時としては、ほとんどのひとたちがほんの瞬間にしか思い至れなかった境地です。
> しかし、「これこそが信仰」と思う「信仰」が、時代の制約なのです。そして、この過程が人類史を織りなすドラマなのです。

 ここでも、難しいhiraokaさんが登場しました。信仰心は時代を超えているのではないですか。




> そして、パウロ、アウグスティヌスより以降の人たちはたとえ善人であったとしても、信仰するがゆえにさらに分からなくなってゆき、歴史に汚点も残したんですよ。
>

 科学的な過ちのことでしょうか。

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