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from: cosmo77さん
2009年09月30日 23時19分20秒
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因果律関連
hikaru0827さん みなさま 話題がほとんど因果律になっていますので 新規スレッドを作らせていただきます
>まずあれだけ、会の中心で頑張っていたと見えた景山氏が、なぜあんな死に方をしたのか…。例えば「自分はこんなに頑張ってるのに評価されてない」と不満を抱いた。(景山さん、すみません。あくまで想像です。)裁判も思うようにいかず、疑いの心が芽生えた。心が曇り、彼を取り巻く霊的環境は最悪の状態だった。
hikaru0827さん うわー マズイですねー
景山さんは 7次元菩薩界に行かれてるらしいですよね
ついに 菩薩まで敵に回されるとは・・・・ (屮゜Д゜)屮
ところで 大川先生は 異熟果についても書かれていますよね
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/87044f59e5a58ef37a3dce848e8783f2
不幸な最期になっても その人が必ず 悪いカルマを作っていたとは限らないということですね
hikaru0827さんは あまりに 因果の連鎖を完璧に考えすぎではないでしょうか
>その経験を意義ある事と感じてられるようですし、その経験こそが、本来の目的だったとしたら… その挫折から得る教訓こそが目的だったとしたら…魂の成長の点からは大成功と言えます。
なるほど ありがとうございます。その通りかもしれませんね
時間がもったいなかった気もしますが。
>事実を重視する場合、認識力が低ければ、間違った結論になります。蛇縄麻の話のように、そこに落ちているものが「蛇」だと思って、逃げ出した人にとって、それは「蛇」であったという事実認識です。その人の「事実」が真実とは限らないわけです。
ですからそれが白紙ではない見方だということですよね
白紙で見るというのが 事実を事実として見るということですね
そういう見方を直しなさい というのが教えですよね
>他の道を探しもしない、行政に改善要求もしない、それでいて、愚痴だけは言うんです。
無力感で 変えられるという希望が持てなくなっている人もいるんじゃないでしょうか
hikaru0827さんのようなエリートの方には 理解ができないということもないでしょうか
いわゆる弱者という人たち(ボクもそうかもしれません)にはhikaru0827さんのようなツワモノと一緒に考えられない部分はないんでしょうか
元々能力のない人はどうすればいいんでしょうか
実際 子供のころなど 勉強をする気がぜんぜんわかないとしか思えない子がたくさんいましたが。
元々やる気がない子はどうすればいいですか
親鸞聖人もある種の無力感がなければ 絶対他力を説かなかったのではないでしょうか
キリストさまもそうでしょう
現実 弱者が圧倒的多数の世界を どうやって救えるのでしょうか
>いじめられる方に原因がある、なんて言ったら総攻撃を食らいます。そんな発言すら許さない「空気」が今の日本にはあります。いえ、ありました。幸福の科学が、この件で主張を始めた事について、思い切ったな〜という感です。実際は、1方だけが悪いのでなくて、いじめる側も、いじめられる側も、学校も、家庭も、社会も、それぞれに原因があるはずです。なのに、マスコミは学校と社会についてしか言いません。そこにまず、風穴を開ける必要もあったでしょう。
この点 hikaru0827さんの認識は違うのではないでしょうか
大川先生の息子さんがいじめにあった後 いじめ防止運動がはじまったのです
初期のころから 先生はいじめは いじめられる側に責任があるしかほとんど言われていません
>幸福の科学会員の傾向性についてですが、おっしゃるように、師が法の色メインの方ですから、集まる諸々の比丘比丘尼たちも、仏教的自力論者が多いでしょうね。イエス様や、親鸞さんのように、愛一筋の人とは、少し違います。
少し違うというより その点は 真逆と言える程に見えますが。
また 大川先生は 法の色では なくて 確か 七色光線を統合した黄金色と聞いたことがありますけど。
でも いじめは 自分のせいだ自分のせいだ といわれていたら 誰もいじめられてる人を助けようマインドは出てこなくなる ということには 問題意識は 持たれないわけですか
自分が悪いんだ 助ける必要なんかない こういう論理になってしまいます
支部長クラスの人でも こういうマインドの人に 何人か会ってきました
これは自分で直接聞いたのかどうか忘れてしまったのですが
息子さんがいじめに会っていて 助けようとされたときに 会員さんから こんな意見がたくさん来たそうです
何で助けるんだ 自助努力じゃなかったのか とか。
これを聞いてボクは はっきり言って びっくりして コワかったです
しかし 幸福の科学には こんなマインドが巣食っている というのはなんとなく あり得るお話です
こういったいろいろな お話を見聞きするうちに 思うのは
幸福の科学は ホントに愛の薄い宗教だなー というところでしょうか
これに類する お話として 今年の書籍の 朝の来ない夜はない の中 1章の1でしたかに 幸福の科学はいわゆる弱者に救済をしてこなかった これからは すこしずつやっていく というお話が出てきます
弱者の救済は宗教の当然のミッションなんだ といわれています
ボクはその通りなんだと思いました
幸福の科学が このミッションを果たしていくのは 私は 今の指導原理が相当変わらないと 難しいのでは と思っています
つまり エリートの人たちが自分の勉強をして満足し 弱者には冷淡な団体というイメージでしょうか
今の指導原理では このマインドを変えていくのは 相当難しいと私は思います
この団体が 人を救済しようという団体だとは 疑問としか思えないのです
悪性の小乗といってもいいのでしょうか
幸福実現党が大敗したのも 結局 弱者への裾野や 支持を得られないからではないのかと 思うのです
そういう裾野が広がらなければ 多数の得票がられるわけないです
このままいくと
それは自分が悪いんだ オレは関係ない
のような 文化が 歴史的に形成されていくのではないでしょうか
結局 これが修正されるのは 400年後と言われる キリストの再誕を待つということでしょうか
それとも大乗の菩薩の再来を待つのか?
何か私のいうことは違いますでしょうか
コメント: 全53件
from: hikaru0827さん
2009年10月26日 00時35分31秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:因果律関連」
hiraokaさんへ
> >恨みの有無についても、どちらの場合もあるでしょう。
>
> 虫たちが、人間のような恨み心を持っているほど発達していると思いますか?
> 虫たちが自分達全体の種の敵は人間だと判断できますか?
> 虫が「恨み」を理解するとは思えません。
恨みという明らかな感情や、または論理的反発ではないのかもしれません。
ある種族に対して、敵だと判断するような事もしないかもしれません。
hiraokaさんの言を借りれば、
”憑依する霊にとっては、気が付いたら目の前にと云うか、スッと入り込んでしまう・・・”との事ですので、ある法則が成立さえすれば、感情や論理や意図に関係なく憑依が起こりうるという事ですね。
> >しかし、波長同通の法則は働いてると思います。
>
> だから、波長のまったくちがう虫と人間では合いにくいのです。
親和性については、前に話しがありましたね。
私は、「生体としての親和性」と、「精神性の波長」とは別物として考えています。
生体としての親和性がなければ、憑依は難しいという話は納得のいく話でした。
しかし、親和性があるからといって、それだけで憑依出来る訳ではなく、心理的方向性のような波長が一致する事も、必須条件であろうかと思います。
果たして、虫の不成仏霊が集合した群魂と、インフルエンザウイルスの、親和性と波長が合うかどうか・・・。
それは証明出来る物では有りませんが、親和性と波長が合えば、”スッと入り込んでしまう・・・”事もあり得るということです。
> >ただ、宿主に危害を与え、自分が出て行かざるを得ない状況にしてしまう事は、ウイルスにとって、戦略上の失敗だいう話を以前専門家が話してました。にもかかわらず、インフルエンザウイルスの攻撃的な態度は何でしょう。まるで自爆テロです。
>
> その比喩はぼくも聞いています。
> 小生命と云うものはすべて、条件さえあれば繁殖しようとします。
> ウィルスにとっては攻撃的な態度でも、自爆テロでもないのです。
> これは、生命の現われなんです。
なるほど、ウイルスにとっては、自爆テロではなく、自然な生命活動なわけですね。
しかし、そうであるなら逆に、虫の不成仏群魂の波長と、ウイルスの波長が一致する話にリアリティが出てきました。
繁殖欲という方向性が自然一致しています。
虫の群魂と、ウイルスの生体の、スケール・質というものも(親和性)、なにやら似かよったものを感じます。
>「風邪の流行は虫の恨みによるもの」と世界に公表・発表すれば、世界中の人たちはどう思うでしょうか?
「恨み」というのは止めます。納得しましたので変節いたします。
> >食物連鎖下位者は「虫に限りません」というお話ですが、一度に大量に食べられる虫以外の生き物については、もしかして何か他の霊障を起こしているのかもしれませんよ。そんなこともありえない話ではありません。
>
> 「仮定論」と云うのは無限に作れるのですよ。
前段の話で、食物連鎖下位である事は、直接関係ないと思えてきました。
単純に繁殖欲という部分での波長同通でしょうか。
> hikaruさんは、大川さんにまちがいは無いと信じたいでしょうが、大川さんにもいくらでもまちがいはあるのですよ。
> ueyonabaruさんは、すでにそのことを認めておられます。
総裁先生が話された事が出発ですが、その後の考察は私自身の責任で発言しております。
なので、先生が言われた言われていないという話は、今関係のないところです。
話の内容が、支離滅裂だと思われるのは、きっと私の頭が悪いだけです。あしからずご了承ください。
from: hiraokaさん
2009年10月25日 23時18分05秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:因果律関連」
ueyonabaruさん、こんばんは。
1>地獄を究極的な実在として考えないというのが私の考えなんです。
2>二元論的に天国と地獄があるとするのも正しいでしょう。
3>しかし、この二元論を超える境地はないのかと考えてみるのです。より高い境地に到達すれば、地獄そのものが違って見えてこないかということです。
そうです、そうです、おっしゃるとおりです。
ぼくも、ueyonabaruさんと同じ考えです。
人類は長い長いあいだ、死後の世界を天国地獄の二元論として捉えてきました。
この考えは、それなりの意味があったと思われます。
社会的動物としての人間、動物的本能を持った人間の行動基準として一定の方針を与えてくれていたと思います。
と同時に、生きている人間の誤解から弊害もあったように思います。
地獄に行きたくないがために非道を思いとどまる善き抑制にもなれば、・・・。
過去にやってしまった罪を消すことのできない恐怖も同時にあるでしょう。
もうそろそろ、人類は天国地獄の旧態以前としたあの世の二元論から解脱して、自己責任と他者に対する同通を原理とした天国志向の思想に切り替えるべきだと思います。
from: hiraokaさん
2009年10月25日 02時29分57秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:因果律関連」
みなさん、こんばんは。
>hikaru0827さん
>どっちが表だ裏だという話は、尾を引くテーマなのかもしれません。
おっしゃるとおりですね。
>憑依が、意識的行為か、無意識の行為かは分かりません。どちらの場合もあるのではないでしょうか。
ほぼ、自動的のようです。ですから、虫たちが食物連鎖の頂点憎しで人間に取り付く事は無いようです。
>恨みの有無についても、どちらの場合もあるでしょう。
虫たちが、人間のような恨み心を持っているほど発達していると思いますか?
虫たちが自分達全体の種の敵は人間だと判断できますか?
>しかし、波長同通の法則は働いてると思います。
だから、波長のまったくちがう虫と人間では合いにくいのです。
>ただ、子孫が残せずに、死に絶えた場合は、それまでの苦労が大きかっただけに執着になりそうです。寒くなり死ぬ・寿命が来て死ぬ、事についてではなく、死ぬまでに子孫が残せなかった事に対して、大きな未練が残りそうです。
群魂は群魂全体としての個性を持つようです。
子孫が残せずに、死に絶えた場合は群魂全体として行動を行うようです。
托卵されてばかりいる鳥は群魂として発達し、やられたかもしれないと思えばその巣をあきらめ別の巣を作ります。
かたや、カッコウのような托卵する鳥はさらに巧妙な本能と擬態を身につけていきます。
自然界は「うらみ」を原動力にしているのではなく、つぎにどうするかを選ぶのです。
「うらみ」を行動の原動力にするのは、人間くらいです。
いづれにせよ、虫たちは人間が理解するような「恨みこころ」で冬の寒さを捉えるわけではなく、たんに「寒い」と思うだけでしょう。
虫が「恨み」を理解するとは思えません。
>夏風邪は、そんな虫の仕業なのでは、という事も想起します。
真夏の夜に酒を飲んで寝込み「凍死」することもあるのと同じですよ。
>ただ、宿主に危害を与え、自分が出て行かざるを得ない状況にしてしまう事は、ウイルスにとって、戦略上の失敗だいう話を以前専門家が話してました。にもかかわらず、インフルエンザウイルスの攻撃的な態度は何でしょう。まるで自爆テロです。
その比喩はぼくも聞いています。
小生命と云うものはすべて、条件さえあれば繁殖しようとします。
生命の中には必ず別の生命が、寄生か共生しています。
一つの細胞内にあってさえ、ミトコンドリアはもともとは「寄生または取り込み」が始まりだったようなのです。
宿主と寄生生物の、特定の関係が共にあるのです。
たとえば、エキノコックスと云う寄生虫がいます。キタキツネを宿主とする寄生虫です。
エキノコックスはキツネの体内に居るあいだは共存しています。
寄生虫の卵はフンと共に出て、それをキタキツネの主な餌である野ねずみなどが食べます。
すると、孵化したエキノコックスはいつもの宿主で無いことを知るや、新たな宿主の肝臓に取り付き暴れまわって肝炎を起こします。
肝炎を起して死んだ野ねずみは別のキタキツネに食べられます。
こうして、キタキツネとエキノコックスは共生関係を保っています。
この寄生虫の卵の入ったフンが川辺などにあると、その近くの水を飲んだ人間はどうなるでしょう。
エキノコックスは仮の宿主である場合はいつもそうするように、人間に劇症肝炎を起します。
人間の場合は、ほとんどが死んでしまう劇症です。
キタキツネはあの映画にもなった愛らしさもあると同時に、自然界では目に見えない舞台ではさまざまな生命活動がいつもあるのです。
これと、おなじようなことがウィルスにとってもあるのです。
ウィルスは簡単に変種ができます。
いくつかの分子がくっつくか離れるかだけで変種になります。
そうした変種で種を越えて繁殖できる条件のそろったウィルスがパンデミックを起こすのです。
ウィルスにとっては攻撃的な態度でも、自爆テロでもないのです。
これは、生命の現われなんです。
この意味ではueyonabaruさんの言われる「防衛論」は、生命の高下、組織の大小を問わず必ず必要になるものです。
ここでも、神は「相反するもの」を同時に作っているのです。
>牛や豚は、1年中食べられてますから、季節性の話としては適しませんね。
ぼくは反例として出したのですよ。
それを云うなら、企業は季節の少し前から需要を予測して牛ブタをより多く屠殺しています。
>食物連鎖下位者は「虫に限りません」というお話ですが、一度に大量に食べられる虫以外の生き物については、もしかして何か他の霊障を起こしているのかもしれませんよ。そんなこともありえない話ではありません。
「仮定論」と云うのは無限に作れるのですよ。
霊の存在を知った人はえてして、なんでもかんでも「霊」のせいにしたがる傾向があります。
ちょうど、なんでもかんでも宇宙人のせいにする人もいれば、なんでもかんでも「ユダヤの陰謀」にする人もいます。
エイズ・ウィルスやエボラ出血熱は、アメリカの国防省がアフリカのコンゴで作ったものが管理ミスから広まったものだと云う説が在ります。
これなら、すこしはもしかしてと云う気持ちにはなりますが、「風邪の流行は虫の恨みによるもの」と世界に公表・発表すれば、世界中の人たちはどう思うでしょうか?
hikaruさんは、大川さんにまちがいは無いと信じたいでしょうが、大川さんにもいくらでもまちがいはあるのですよ。
ueyonabaruさんは、すでにそのことを認めておられます。
>波長同通の話。インフルエンザウイルス自体が、テロリスト並の攻撃性という特徴を本来持ってると仮定します。
ウィルスにとっては、攻撃ではないのです。ほとんどが、分子のやり取りで説明できます。
外殻が無いので非常に壊れやすいのですが、それがウィルス自身にとっての変幻自在性になっているのです。
しかし、生命の定義はいまだわかっておりません。
ウィルスがどのように思っているのかは分かりません。
何年か前にノーベル賞を貰った、狂牛病のプリオン説はウィルスではなくて単なる「分子」なんですよ。
ぼくはプリオン説は違うだろうと思いますが、まだ分かりません。
>すると、この攻撃性が、子孫を残せず生を失った虫の、食物連鎖上位者に対する怒りと波長が一致すると考えるのは無理があるでしょうか。
このことも、否定はできません。
ですが、現在わかっていることで推測するしかないのですね。
推測するにあたって、なるべく主原因を考慮するのが一般的な思考方法なんです。
from: hikaru0827さん
2009年10月25日 00時54分39秒
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「Re:Re:因果律関連」
cosmo77さんへ
> 確かにいろいろな見方があると思うのですが
> やはり 経済的には もう少し 底上げできないのかな と私は思います
> そのぐらい ワープアのような方が広がってしまっています
>
やはり民主党政権には、早々退場してもらわねばいけませんね。政官の癒着など、行政改革関連などの仕事が終われば、あとはベクトルの違う人達の集まりなので、空中分解しそうです。
from: cosmo77さん
2009年10月24日 21時36分35秒
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「Re:因果律関連」
hiraokaさんへ
> 現在、認知症の母と約3年前に能出血で左半身不随になった女房のふたりを介護しながら、小商売をやっております。
たいへんなご苦労じゃないですか!
私などは比べ物になりません
hikaru0827さんへ
>結構、高次元の方でも派閥的なものはあるようですから、どっちが表だ裏だという話は、尾を引くテーマなのかもしれません。
霊系団ということになるのでしょうね
私も 愛とか正義が希薄な方々には ちょっとビックリします
hikaru0827さんがそうというわけではありません
また 自分は愛と正義がある という慢心に思われるかもしれませんね
例えば 渡辺昇一さんの論説にもビックリしました
その中で人間には同情心も大切だ といったことも書かれていましたのでまだ 安心する面もあるのですが。
高級霊でもいろいろな方がおられるのかもしれません
渡辺昇一氏の場合ですと 政治的には 大きな愛があって菩薩なのかもしれません
ただ マザーテレサ的な 人に対する愛 のようなところが希薄なのかもしれません
そういう意味で ここで いろいろ議論させていただいて もう少し みなさんのように 寛容さを見習う必要があるかな と思っております
結局 あまりに価値観が違う人をみると じんの心が出てくるのがまずいと思っています
それは違うだろ みたいな感じですね
まあ 長い歴史に目を向けるのも手なのかもしれません
長い目で見るということですね
>しかし、cosmo77さんのように、裕福な生活を避けたいと思ってる方もおられます。もちろん理想は人それぞれです
そんなこと言っておりましたっけ (^∧^)
貧乏が好きなわけではないのです
派手な消費が好きになれないだけです
資産は持ちたいと思っております ないと不安ですし 精神的に安定するからです
>問題は、裕福になりたいけどなれてない人、かもしれませんが
確かに 清貧が好きだという方は別として お金があまりなくても苦にならない方もいらっしゃるようですね
ワープアでも 苦にならない方は 放置すればいい というのも なんだか 違うような気がします
今の日本は ワープアが相当広がっていると聞きますが やはり 構造的な問題を変えていかなければいけない と思っています
儲からないバイトのような仕事が 増えてしまっているということがあります
>霊的な事に興味を持つ人の中には、現実社会にうまく馴染めない場合もあるようです。
せっかく、色の世界に来てるのですから、世間解の修行の大切さにも目を向けて欲しいですね
確かにそういう方もおられるのでしょうね 宗教的なことをやってきた方とかでしょうか
ただ その会員の方は また違っているようで ホントに理解に苦しみます
確かにいろいろな見方があると思うのですが
やはり 経済的には もう少し 底上げできないのかな と私は思います
そのぐらい ワープアのような方が広がってしまっています
from: ueyonabaruさん
2009年10月24日 12時51分00秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:因果律関連」
hiraokaさんへ
> >聖書に「普通のものが語るようには語らなかった」という意味の言葉がありましたが、それに似ているのです。
>
> ぼくは、ぎゃくに大川さんは「普通のものが語るように語った」と云うことにおどろきました。
> イエスの「普通のものが語るようには語らなかった」と云う言葉は、ほんとうに聞くものをして酔わせるような力があっただろうと思います。
> それだけに、反対するものたちにとっては怒り心頭に達するくらいの力もあったのだろうと思います。
> 大川さんにも、そのような言霊(ことだま)がありますが、ueyonabaruさんの云われる「普通のものが語るようには語らなかった」は、「通常人とは違う意表をついたもの」と云う意味ではないでしょうか?
「普通のものが語るようには語らなかった」のくだりは、ヨハネ伝7で、正確には「あの人のように話す人を、いままでに見たことがありません」という表現となっております。
このくだりを読んだときに、大川隆法がそのような語り方をすると思ったのです。似ていると思いました。大聖に共通するものがそこにはあると感じました。これは私の直感です。
意表をつくことについてですが、当時のユダヤの人々にとっては、イエスの言葉、行動の多くが意表をつくものであったに違いありません。ヨハネ伝を読んでおりますが、イエスの言葉に対しての大衆の驚きと反発のようなものがイキイキとして描かれております。
ヨハネ伝では、ほかに、イエスの兄弟達の不信仰について語られており、また、「わたしは道であり、真理であり、いのちである」の言葉もありますね。
> >二元的な思考が天国と地獄という二つが存在すると言わせます。先生は、霊界の高層のところまでに至れば、これを超え、一元の思考が可能としておりますので、そこでは天国のみが存在するということになりませんでしょうか。それは言語表現を超えた神秘的、悟りの境地なのかとおもうのですが・・・・・。その境地から見れば、地獄も地獄ではなくなるのではないでしょうか。実在するものではないという感覚です。
>
> いえ、一元の思考と云うのは天国のみが存在するのではなくて、天国や地獄を併せ持つ世界感のはずです。
>
> ueyonabaruさんはどうしても、地獄は神の作ったものと認められないでいるようです。
> 神の定義からすれば、地獄を否定するのは神を否定することと同じことになります。
>
> これは、ちょうど「自分自身の中にも人の中にも同じように地獄も天国もあることを認め、なおかつ自分自身も人も愛でられる自分でいられるか」、と云うことになると思われます。
天国、地獄というときに、二元論的に考えるとすれば、両者同格の位置づけをすると思います。アウグスティヌスははじめマニ教を信じておりました。これは神と悪魔の対立する二元論の世界観だと思います。やがて、彼は母親モニカなどのキリスト教の信仰やプロティノスのイデア論の影響も受けて神優位の一元論的神学理論をうちたてることになります。
アウグスティヌスの神学論のいうところは、私の考えとは違いません。ここにおいては(アウグスティヌス)、地獄の存在を否定しているものではありません。私も地獄の存在を認めております。しかし、地獄を究極的な実在として考えないというのが私の考えなんです。
生きていくうえで、二元論的考えを捨て去ることは難しいでしょう。幸福の科学で、「悪をさり、善を取れ」と口すっぱく教えているのは、二元論的な思考に基づいており、この教えは正しいと思います。二元論的に天国と地獄があるとするのも正しいでしょう。
しかし、この二元論を超える境地はないのかと考えてみるのです。より高い境地に到達すれば、地獄そのものが違って見えてこないかということです。
from: hikaru0827さん
2009年10月24日 01時44分18秒
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「Re:Re:因果律関連」
cosmo77さんへ
> > 私は見事にそれにはまりまして、ひがなそれに明け暮れ、見事1番になったんです。
>
> hikaru0827さんは 能力がある方なのだと思います
全然ですよ。
写すだけのことですから、ほかの事に比べて、1位になれるチャンスは多かったといえます。
あとは、人よりちょっと見栄っ張りで、自己顕示欲が強かった部分もあります。
> 私の大学の教授が 努力できるというのは一つの能力なんだ と言っていました
> どう思われますか
天才とか、能力が高いと言われる人は、その業種について、努力し続ける事が出来るからだと聞いた事あります。
「やり続けるということにおいて、天才だとは言えるかもしれない」
だそうです。
そしてなぜ続けられるのかといえば、好きだからですね。
いつまでも飽きずに続けれる人こそ、その道の天才と呼ばれるようになるのでしょうね。
> もし 誰もが なんとかなるものがあるなら 現在 という時間において もう 困窮する方は いなくなって みんな 裕福になっているのではないでしょうか
しかし、cosmo77さんのように、裕福な生活を避けたいと思ってる方もおられます。
もちろん理想は人それぞれです。
問題は、裕福になりたいけどなれてない人、かもしれませんが。
しかし、そういう人のためにこそ、幸福の科学は、幸福を科学しているのではないでしょうか。
> 会員のニートの方。
> 幸福の科学の勉強は不思議に結構してます。でもこれはという趣味を持っていないようです。このままいくとホームレス確実な状況です。
霊的な事に興味を持つ人の中には、現実社会にうまく馴染めない場合もあるようです。
せっかく、色の世界に来てるのですから、世間解の修行の大切さにも目を向けて欲しいですね。
from: hikaru0827さん
2009年10月24日 01時10分26秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:因果律関連」
hiraokaさん・みなさんへ
> どちらが表も裏もないと思うんです。
>
> そのときそのときで、最適なさじ加減を調節するのが一番いいんじゃないでしょうか。
> おなじことを、大川さんもそう云ってました。
臨機応変かつ、融通無碍といきたいとこですが、やはり好き嫌いというのはありまして、まあ食わず嫌いはよくありませんが、好みはそれぞれ出てきますね。
結構、高次元の方でも派閥的なものはあるようですから、どっちが表だ裏だという話は、尾を引くテーマなのかもしれません。
> hikaruさんのような、苦労はまだありませんです。
> 現在、認知症の母と約3年前に能出血で左半身不随になった女房のふたりを介護しながら、小商売をやっております。
>
> cosmo77さんも仕事でずいぶん苦労されたようですので、cosmoさんの弱者に対する気持ちが良くわかります。
> ぼくも、年間の休みが10日間しか無いと云う商売を40年近くも続けてきて、元気なころは毎日毎日夜中の2時頃まで働いていました。
> そのため、ノイローゼや欝になりかかったことが何度もあります。
> いまでも、ここ3年間ちかく朝食と夕食は立ったまま食べているような毎日です。
>
> ぼくは、意外にもけっこう強いんですねぇ・・・。(*^_^*)
わたしなんぞは、まだ苦労のうちには入りません。
hiraokaさんはかなり強靭な魂の持ち主ですね。
「神は、その人が耐えられない試練は、お与えにならない」
という話も聞きます。
それにしてもみなさん波乱万丈ですね。
自分の世界ばかりで生きていると、自分ばかりが苦労しているような気になってきます。注意しないといけませんね。
それぞれ分厚い問題集を抱えてるんですね。
> >逆に、総裁先生の発言を正しいとした上での考察をしてみました。
>
> アッハハハ〜〜。(*^_^*)
> こんな話し、・・・・・
> ほかの誰もまともに聞いてはくれないでしょうねぇ。(^.^)
>
> >基本、憑依には目的があろうかと思います。
>
> 目的があって表意するわけではないようです。
> 憑依する霊にとっては、気が付いたら目の前にと云うか、スッと入り込んでしまうと云うか、・・・
> 意識してやっているわけではないんですよ。
> ほぼ、自動的に瞬時に起こることなんです。
> 憑依現象は、うらみによるものだけではないんです。
憑依が、意識的行為か、無意識の行為かは分かりません。どちらの場合もあるのではないでしょうか。
恨みの有無についても、どちらの場合もあるでしょう。
しかし、波長同通の法則は働いてると思います。
> >では、成仏しなかった虫たちは、どのような執着心があるのでしょうか。
>
> 虫たちが成仏しなかったか、どうかは分かりません。
総裁先生は、「不成仏の虫の霊が浮遊霊となり、集まり・・・」と言われてますので、その前提での話です。
> 虫たちは寒くなったから、死ぬわけではありません。
> 越年性でない虫たちは、寒くなる前に子孫を残す作業をだいたい済ませています。
> 寒くなる頃は、虫たちの定められた寿命にほぼ一致します。
それもそうですね。
寒くなった事に対して、虫が怒るという事は考えにくいですね。
ただ、子孫が残せずに、死に絶えた場合は、それまでの苦労が大きかっただけに執着になりそうです。
寒くなり死ぬ・寿命が来て死ぬ、事についてではなく、死ぬまでに子孫が残せなかった事に対して、大きな未練が残りそうです。
> 暖かくても死ぬ虫は死ぬんです。
夏風邪は、そんな虫の仕業なのでは、という事も想起します。
> >宿主の健康に悪影響が出るのは、明らかにやり過ぎで暴走だといえます。ウイルスにとっては自殺行為です。すると、この暴走の部分は憑依の影響と考えられなくもありません。
>
> 宿主に危険が起こるのは、宿主が対応できないからです。
> ウィルスが変種だから宿主の対応が間に合わない時のことなのです。
> 変種のウィルスに対して宿主は抗体を作って応戦しますが、それが間に合わないときが危険なのです。
> その間、体内で高熱を出して熱に弱いウィルスを死滅させようと生体反応が起こります。
>
> 体内のウィルスや雑菌は、宿主が限界とみるとすぐに生物本来の生き残りを始めます。
> 外に出ようとするのです。そのために自分を増やし始めます。
> それが、ヘルペスや帯状疱疹などの症状なんです。
人体の仕組みや、免疫の働きは、hiraokaさんのおっしゃるとおりだと思います。
ただ、宿主に危害を与え、自分が出て行かざるを得ない状況にしてしまう事は、ウイルスにとって、戦略上の失敗だいう話を以前専門家が話してました。
にもかかわらず、インフルエンザウイルスの攻撃的な態度は何でしょう。まるで自爆テロです。
> >② 人への攻撃性は→ 食物連鎖上位者に対する怒りや反発
>
> アッハハハ・・・ (*^_^*)
> なにも、虫に限らなくてもよいのでは?
> 寒くなって死ぬ食物連鎖下位者はたくさんいますよ。
> たとえば、寒くなってきたから「今夜はすき焼きにしょうか? 豚汁にしようか?」などとなれば、まっさきに恨むのは牛かブタでしょうね。
牛や豚は、1年中食べられてますから、季節性の話としては適しませんね。
しかも、食べた人が「いただきます」と言って手を合わせ、「おいしかった」と言ってくれるわけですから、それで随分救われそうです。
あとは、群れか、単体かという霊体のスケールの問題もあります。
食物連鎖下位者は「虫に限りません」というお話ですが、一度に大量に食べられる虫以外の生き物については、もしかして何か他の霊障を起こしているのかもしれませんよ。
そんなこともありえない話ではありません。
波長同通の話。
インフルエンザウイルス自体が、テロリスト並の攻撃性という特徴を本来持ってると仮定します。
すると、この攻撃性が、子孫を残せず生を失った虫の、食物連鎖上位者に対する怒りと波長が一致すると考えるのは無理があるでしょうか。
from: cosmo77さん
2009年10月23日 23時47分09秒
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「Re:因果律関連」
hikaru0827さんへ
> いじめる側の子供たちも、そういう安心感がなく、どことなく不安があり、自分の存在を守るために、そういう行為に出てしまうという側面が、あるいはあるかもしれません。
やはり 何らか 悪にいってしまう人も 原因があるのでしょう
それは 一つの宗教的な大切な見方だと思いますです
> 私は見事にそれにはまりまして、ひがなそれに明け暮れ、見事1番になったんです。
hikaru0827さんは 能力がある方なのだと思います
私の大学の教授が 努力できるというのは一つの能力なんだ と言っていました
どう思われますか
もし 誰もが なんとかなるものがあるなら 現在 という時間において もう 困窮する方は いなくなって みんな 裕福になっているのではないでしょうか
ネガティブな考えといわれるかもしれませんね
私も 何人かの方を 人助けをしようとしたことがあります
今のところ 確か全員 挫折してます
たとえば あるうつ病の 女性。
とにかく実務能力がないようで 会社でのいろいろな 課題を解決できず うつ病からも 抜け出せないのです
休職して 快方に向かって出社すると 会社の方が 病み上がりだということを考えずに 使い 再発。
このくり返しです
ボクがかかわった 数人は みんなこんな感じで 容易には立ち直れない状況から 抜け出せないのです
こんな経験が 私をネガティブにしているのかもしれませんし 自分で引き寄せているのかもしれませんが。 +▽+
> なにか、自分に自信の持てるものを1つでも見つければ、学校も楽しいものになるし意欲も出るのでは、と思います。
会員のニートの方。
幸福の科学の勉強は不思議に結構してます。でもこれはという趣味を持っていないようです。このままいくとホームレス確実な状況です。
>それは自己肯定感が薄いという事かもしれません。
十分な成功体験を積む ところまでいけないんですね
ですから自信がつかないんでしょうね
いろんな方がいますね
hikaru0827さんも刑務所で更正のボランティアでもやられると 相当ネガティブになるかもしれません
(ネガティブにさせてどうするんだ(笑))
相当たいへんなのは想像に難くありませんし。
知らぬが仏なんて。
from: hiraokaさん
2009年10月23日 01時48分31秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:因果律関連」
みなさん、こんばんは。
>hikaru0827さん >意見が合い、うれしいです。
み〜んな、思いはおんなじなんですよね。
>「言い分はわかるんですが、それでも表はこっちでしょ」って。
どちらが表も裏もないと思うんです。
そのときそのときで、最適なさじ加減を調節するのが一番いいんじゃないでしょうか。
おなじことを、大川さんもそう云ってました。
>また機会があれば、hiraokaさんのお話も聞かせてくださいね。
hikaruさんのような、苦労はまだありませんです。
現在、認知症の母と約3年前に能出血で左半身不随になった女房のふたりを介護しながら、小商売をやっております。
cosmo77さんも仕事でずいぶん苦労されたようですので、cosmoさんの弱者に対する気持ちが良くわかります。
ぼくも、年間の休みが10日間しか無いと云う商売を40年近くも続けてきて、元気なころは毎日毎日夜中の2時頃まで働いていました。
そのため、ノイローゼや欝になりかかったことが何度もあります。
いまでも、ここ3年間ちかく朝食と夕食は立ったまま食べているような毎日です。
ぼくは、意外にもけっこう強いんですねぇ・・・。(*^_^*)
>逆に、総裁先生の発言を正しいとした上での考察をしてみました。
アッハハハ〜〜。(*^_^*)
こんな話し、・・・・・
ほかの誰もまともに聞いてはくれないでしょうねぇ。(^.^)
>基本、憑依には目的があろうかと思います。
目的があって表意するわけではないようです。
憑依する霊にとっては、気が付いたら目の前にと云うか、スッと入り込んでしまうと云うか、・・・
気が付いたら、「あっ、自分は虫だった」と云う感じです。
カフカの「変身」も、まあまあよくできてますね。
自分がものごころついた頃の状況とよく似ているようです。
>酒が飲みたいという執着のある霊は、酒飲みの人間に憑依し、その欲望を満足させようとします。
意識してやっているわけではないんですよ。
ほぼ、自動的に瞬時に起こることなんです。
>では、成仏しなかった虫たちは、どのような執着心があるのでしょうか。
虫たちが成仏しなかったか、どうかは分かりません。
虫たちは寒くなったから、死ぬわけではありません。
越年性でない虫たちは、寒くなる前に子孫を残す作業をだいたい済ませています。
寒くなる頃は、虫たちの定められた寿命にほぼ一致します。
暖かくても死ぬ虫は死ぬんです。
>宿主の健康に悪影響が出るのは、明らかにやり過ぎで暴走だといえます。ウイルスにとっては自殺行為です。すると、この暴走の部分は憑依の影響と考えられなくもありません。
宿主に危険が起こるのは、宿主が対応できないからです。
ウィルスが変種だから宿主の対応が間に合わない時のことなのです。
変種のウィルスに対して宿主は抗体を作って応戦しますが、それが間に合わないときが危険なのです。
その間、体内で高熱を出して熱に弱いウィルスを死滅させようと生体反応が起こります。
体内のウィルスや雑菌は、宿主が限界とみるとすぐに生物本来の生き残りを始めます。
外に出ようとするのです。そのために自分を増やし始めます。
それが、ヘルペスや帯状疱疹などの症状なんです。
(ぼくも何度かやってますが、・・・ヘルペスが出たときは気をつけてください。それは、自分が思っている以上に体力が落ちているときです)
>② 人への攻撃性は→ 食物連鎖上位者に対する怒りや反発
アッハハハ・・・ (*^_^*)
なにも、虫に限らなくてもよいのでは?
寒くなって死ぬ食物連鎖下位者はたくさんいますよ。
たとえば、寒くなってきたから「今夜はすき焼きにしょうか? 豚汁にしようか?」などとなれば、まっさきに恨むのは牛かブタでしょうね。
憑依現象は、うらみによるものだけではないんです。
from: hikaru0827さん
2009年10月22日 03時39分29秒
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「Re:Re:Re:Re:因果律関連」
hiraokaさんへ
> 人は、1人でも自分のことを「愛している」「信じている」と言ってくれる人がいれば、それが実感できれば、自分を肯定できるのではないかと思いました。
> いじめる側の子供たちも、そういう安心感がなく、どことなく不安があり、自分の存在を守るために、そういう行為に出てしまうという側面が、あるいはあるかもしれません。
>
> いいこと書きますねぇ!!
> もう一度、握手しましょう! (*^_^*)
> ぼくの云いたい「神は愛」と云うのは、じつにこのことなんです。
意見が合い、うれしいです。
> hikaruさんとcosmoさんのディベートで述べられた事柄は、コインの裏表では無いでしょうか?
>
> コインや紙幣の表や裏だけ欲しいと思っても、それはかなえられません。
> 同じように、真理のコインをこの世的に表現するとき、かならず一面ずつしか表現できないのがこの世のルールであるように思われるのです。
>
> このことは、「完全なる神は、自分が完全であることを知る事はできない」と云うパラドックスにも通じる宇宙の真理であるように思われます。
たぶん、どちらが表であるべきだ、という話が続いていたような感じですね。
「言い分はわかるんですが、それでも表はこっちでしょ」って。
ピカソの絵には、まるであらゆる角度で見たような手法で描かれたものがあります。
人の横顔と正面の顔が、同時に描かれたような形です。
これは、ピカソの認識力が影響しているのだと思います。
私も、コインの表裏を同時に見るような能力を得たいものだと思います。
> 奇しくも、たったの五人の中にほとんど同じ境遇の人が出会ったのですから。
また機会があれば、hiraokaさんのお話も聞かせてくださいね。
from: hikaru0827さん
2009年10月22日 03時28分57秒
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「Re:Re:Re:因果律関連」
hiraokaさんへ・みなさんへ
> 「虫の霊がウィルスに憑依する」と、本気で思っているのかと思いましたよ。(^.^)
>
> 大川さんは、動植物のほとんどがウィルスを持っていることを知らなくて言った発言じゃないのかなぁ〜?、って思うんですよ。
> ウィルスはタバコの葉から見つかりました。虫にも魚にも居ますし、人間の体内にはさまざまなウィルスが潜んでいます。
> 虫の不幽霊がウィルスに憑依するんでしたら、まず体内のウィルスに憑依するほうが手っ取りばやい筈ですね。
>
> そもそも、憑依と云うのは悪意のあるものばかりではないんです。
> それを、悪意的なニュアンスで発言していることも、霊界と物質界の関連を正しく伝えるべき大川さんの役目を逸脱していると思います。
逆に、総裁先生の発言を正しいとした上での考察をしてみました。
なぜ、虫本人の身近に居るウイルスに憑依しないのか?
なぜ、わざわざ、インフルエンザや、風邪菌などを選んで憑依しているのか?
基本、憑依には目的があろうかと思います。
憑依は、不成仏霊や、地獄霊が、生きているモノにとり付く行為です。
そして、その場合、波長同通の法則が働くとされています。
つまり類は友を呼ぶという事です。
酒が飲みたいという執着のある霊は、酒飲みの人間に憑依し、その欲望を満足させようとします。
では、成仏しなかった虫たちは、どのような執着心があるのでしょうか。
それは、インフルエンザウイルスに虫が憑依する事を前提とすれば、その後のインフルエンザが、どのような動きを見せるかで、想像出来るかもしれません。
インフルエンザウイルスの動き・・・水鳥を出発点とした感染の広がり→ 人に感染拡大→ 発病し症状が出る→ 重病化も
そもそも、インフルエンザウイルスの本分は何か・・・?インフルエンザウイルスにしてみれば、宿主である人間が、熱出して弱ったり、最悪死んでしまうなんて事は想定外のはずです。
宿主が元気でいてくれないと、自分の住処がなくなるわけですから。
つまり、宿主が元気なままで、自分達ウイルスの勢力拡大が理想的なはずです。
宿主の健康に悪影響が出るのは、明らかにやり過ぎで暴走だといえます。ウイルスにとっては自殺行為です。
すると、この暴走の部分は憑依の影響と考えられなくもありません。
これらの事を考慮し、不成仏の虫達の執着を想像すると・・・
① 感染力の増大は→ 種の保存繁栄や勢力拡大への執着
② 人への攻撃性は→ 食物連鎖上位者に対する怒りや反発
人間以外の生物は、とても種の保存にこだわります。それしか考えてないと思われるほどです。
虫も例外ではありません。
それを妨げるものが、寒さと外敵です。ゆえに①②の執着がこの世に残る事もありうるのかもしれません。
そしてその執着を、満足させる適正と念いの方向性の一致が、インフルエンザウイルスを憑依の対象として選ぶ原因となってるのかもしれません。
from: hiraokaさん
2009年10月21日 01時51分01秒
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「Re:Re:Re:Re:因果律関連」
ueyonabaruさん、こんばんは。
>憑依というのは、生命体以外にもあるのではないでしょうか。石へ霊が憑依する話はどうですか。
日本にも九尾のきつねが「玉藻の前」に変身しているのを安部の仲麻呂に見破られ、九尾のきつねは石に閉じこもり、それが「殺生石」になったと云うのがありますね。
まあ、これは伝説としておいていいかもしれませんが・・・・
まず、形こそ変われ「生命体でないものは無い」と考えてみて下さい。
石には石の生命が在るはずです。なぜなら、全てが神の現われですから。
じつは、石に限らず樹木にも土地場所にも動物にも憑依はあります。
いや、ぼくは断言をできませんので、「在るようです」
聖書に、イエスがたくさんの悪霊に取り付かれて狂った男からエクソシストのように悪霊を追い払うところが記述されています。
イエスはいきなり、その男に向かって「出て行けっ!!」と一喝します。
その男は(じつは、その男に取り付いている霊たち)「どうか、こちらに移るのをお許し下さい」と懇願して豚を指差します。
イエスはそれを許すと、豚たちは狂ったようになって崖から跳び落ちたと云う記述がありますね。
また、ケイシーのリーディングによると、先史の古代ではスフィンクスや牧神のパンやケンタウロスや半人半木なども実際に居たとの事です。(先史の古代エジプト時代、アトランティスの末裔がエジプト地方に入植したころだそうです)
これは、「自分を投射すること」によって物質化したとのことですが、それはさておき、この「自身を投影する」の雛形をぼくらは無意識に使っています。
「同情心」がそうです。
心理学では「共感能力」と云われています。
以前にも書いたと思いますが、幼稚園の遊戯で「さあ、こんどは大きくなって大きくなってゾウさんになろう・・・・」とやりますが、これもその練習をしているようです。
こうやって、遊戯をとおして人の気持ちを自分の気持ちになるような訓練をしているわけです。
しかし、しかし、・・・・
長くはいられないのです。
いったん、人間の自由性を体験した霊にとっては、さらに不自由をかこつことになるからです。
ケイシーのリーディングによると、半人半獣たちを癒すための施設があったそうです。
まあ、これらについてはわからないことではありますが・・・・。
>その国が滅びてしまったのでは、防衛論がなかったといってもいいし、防衛論に瑕疵があったとも言えます。防衛論は国が滅びないための法だといえましょう。
このことと、宗教史を同列に論じる事は不都合だと云うことです。
仏教国がイスラム教圏に滅ぼされたと見えるものは、歴史を皮相に捉えていると思います。
仏教国は仏教を守るために戦って敗れたのではなく、国として戦ったはずです。
ueyonabaruさんは、今大戦で日本人の全てが神道を守るために戦ったと思いますか?
ほとんどのひとたちは、国を守るためであったと思われます。
結果として日本は破れ、神道は破れたのでしょうか。
そうではなく、仏教も神道も生き残っているのです。
はたして、この宗教史は防衛論の問題でしょうか?
>この国のいまの防衛論が気になっております。・・・・・・・・・・
どうすればよいと思われますか? できたら、具体的な方策を教えてください。
>安保条約をいらないほどの防衛構想をももたねばならないと思うんです。
ぼくは、オバマの理想に日本が一役こなせることを願っています。
そのほうが、より恒久的だからです。
>> このシリーズで一番の特徴は「人生に意味は無い」と断言している事です。
>受け入れがたいというより、信じがたいことです。現世での成功などは意味があまりないというぐらいの、無常観に似たようなものでもないのですか。
ueyonabaruさんが、そう思われることも当然ですし、よくお気持ちがわかります。
ぼくとて、長い長いあいだ「人生の意味」を問い続けてきたのですから・・・・。
「人生に意味は無い」の言葉の後、次ぎのように続きます。
「人生上で経験したことをどのように感じどのように思い、どのようにしようと思うかだけだ。」
もし、読まれる事がありましたら。どうぞ、偏見や思い込みをなるべく排除しながら読まれて下さい。
けっして、虚無感におちいる事はありません。
ぎゃくに、このシリーズで自称する神はひじょうに自愛に満ちたイエスの精神に近いものである事が分かると思います。
>最近靖国のことについてもご発言がありました。私にとってはショッキングのことではありました。後ほど、ここで書いてみたいと思います。
期待しています。
>聖書に「普通のものが語るようには語らなかった」という意味の言葉がありましたが、それに似ているのです。
ぼくは、ぎゃくに大川さんは「普通のものが語るように語った」と云うことにおどろきました。
イエスの「普通のものが語るようには語らなかった」と云う言葉は、ほんとうに聞くものをして酔わせるような力があっただろうと思います。
それだけに、反対するものたちにとっては怒り心頭に達するくらいの力もあったのだろうと思います。
大川さんにも、そのような言霊(ことだま)がありますが、ueyonabaruさんの云われる「普通のものが語るようには語らなかった」は、「通常人とは違う意表をついたもの」と云う意味ではないでしょうか?
>二元的な思考が天国と地獄という二つが存在すると言わせます。先生は、霊界の高層のところまでに至れば、これを超え、一元の思考が可能としておりますので、そこでは天国のみが存在するということになりませんでしょうか。それは言語表現を超えた神秘的、悟りの境地なのかとおもうのですが・・・・・。その境地から見れば、地獄も地獄ではなくなるのではないでしょうか。実在するものではないという感覚です。
いえ、一元の思考と云うのは天国のみが存在するのではなくて、天国や地獄を併せ持つ世界感のはずです。
ueyonabaruさんはどうしても、地獄は神の作ったものと認められないでいるようです。
神の定義からすれば、地獄を否定するのは神を否定することと同じことになります。
これは、ちょうど「自分自身の中にも人の中にも同じように地獄も天国もあることを認め、なおかつ自分自身も人も愛でられる自分でいられるか」、と云うことになると思われます。
from: hiraokaさん
2009年10月20日 23時46分27秒
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「Re:Re:Re:因果律関連」
みなさん、こんばんは。
>hikaru0827さん >にしき鯉さんとの話で、気付いたんですが。
人は、1人でも自分のことを「愛している」「信じている」と言ってくれる人がいれば、それが実感できれば、自分を肯定できるのではないかと思いました。
いじめる側の子供たちも、そういう安心感がなく、どことなく不安があり、自分の存在を守るために、そういう行為に出てしまうという側面が、あるいはあるかもしれません。
いいこと書きますねぇ!!
もう一度、握手しましょう! (*^_^*)
ぼくの云いたい「神は愛」と云うのは、じつにこのことなんです。
hikaruさんとcosmoさんのディベートで述べられた事柄は、コインの裏表では無いでしょうか?
コインや紙幣の表や裏だけ欲しいと思っても、それはかなえられません。
同じように、真理のコインをこの世的に表現するとき、かならず一面ずつしか表現できないのがこの世のルールであるように思われるのです。
このことは、「完全なる神は、自分が完全であることを知る事はできない」と云うパラドックスにも通じる宇宙の真理であるように思われます。
>cosmo77さん
>私の聞いている範囲から推論すると 大川先生はほとんどタッチしてないようです。まあ 記事等にもよるのかもしません
お答え、ありがとうございます。
cosmo77さんや、ueyonabaruさんのように勇気ある真の探求者が幸福の科学内に増えることを願っています。
お聞きしたい事があります。
大川さんがタッチしていないとすると、リバティ誌の内容について誰が責任を負うのでしょうか?
特に霊的な記事について書いてあることについての責任は、だれが負うことになっているのでしょうか?
というのも、霊的なことがらに関する限り情報は限られており、しかもその情報がかならずしも正しいとは限らないことが、ぼくの経験上からあきらかだからです。
以前、リバティ誌できょう子さんが言ったという記事。
「マホメットとミカエルはケンカをしている」
これは、幸福の科学にとって世界宗教になる道をみずから閉ざす発言ですが、この記事の信頼性を幸福の科学内ではだれが担保しているのでしょうか?
また、広報誌に以前の発言(特に霊的なことがらや政策方針など)を変更した場合、訂正理由を述べているのでしょうか?
ご存知でしたら、教えていただけませんでしょうか。
>ueyonabaruさん
>つぎの文章は、大川先生が、2007年に広島支部精舎でのご講話をされた際の信徒との質疑応答です。障害児のことが語られます。・・・・・・・・・・・・・・
こういう教えはいいですね。
とにもかくにも、まず勇気を与えてくれます。
>にしき鯉さん
ここで語り合うのも不思議な縁ですね。
奇しくも、たったの五人の中にほとんど同じ境遇の人が出会ったのですから。
ぼくもけっこう苦労してきたつもりですが、おそらくueyonabaruさんもcosmo77さんもそれぞれに苦労されているはずです。
にしき鯉さんが、仏教に強く惹かれたのもわかる気がします。
from: ueyonabaruさん
2009年10月20日 22時34分03秒
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「Re:Re:Re:因果律関連」
hiraokaさんへ
> ソクラテスも同じ事を云ってますね。
> 「だれでも、善きものをすでに知っている」
> プラトンのイデア想起説も同じものですね。
> ギリシャの賢人達はスゴイ!!
ギリシャ時代にすべてのものが現れたかのようで、ホントすごいです。偉大なるギリシャです。
> >かならずしも無意識的ではないんです。大体が弁護しようという意識でやっておりますので・・・・・。
>
> アッハハハハ・・・・。そうでしたか!
> 「虫の霊がウィルスに憑依する」と、本気で思っているのかと思いましたよ。(^.^)
憑依というのは、生命体以外にもあるのではないでしょうか。石へ霊が憑依する話はどうですか。
> >イデオロギ-史観というと、マルクスの唯物論史観のことを普通言いますが、これが間違っているのです。イデオロギ-という語はイデアから派生してきていると思うんですが、一種の理想主義であり、人生
> 観のようなものでしょう。イデオロギ-の語そのものに罪はありませんので、大切なのはその内容でしょうね。間違っていたら問題です。
> 何百年か後の歴史学者が宗教史を書いたとします。
> 「20世紀に日本神道はキリスト教国たちと戦った。日本神道は壊滅的状況に追い込まれたが、すでにそのころには、信教の自由が認められる世界情勢であったので、日本神道は消え去ることは無かった。」
> ↑ と、記述されていたとします。
>
> 未来の学生達はこの文を読んで、「これは、日本の防衛論欠如の問題である」と結論するでしょうか?
その国が滅びてしまったのでは、防衛論がなかったといってもいいし、防衛論に瑕疵があったとも言えます。防衛論は国が滅びないための法だといえましょう。
この国のいまの防衛論が気になっております。民主党、大丈夫でしようか。沖縄の普天間基地が要らないというからには、自分達で新たな防衛施策を打ち出し、万全の国防策を講じねばなりません。安保条約をいらないほどの防衛構想をももたねばならないと思うんです。
> このシリーズで一番の特徴は「人生に意味は無い」と断言している事です。
> 幸福の科学の日蓮の教え「人生は一冊の問題集」に得心した人たちにとっては、受け入れがたいものかも知れません。
受け入れがたいというより、信じがたいことです。現世での成功などは意味があまりないというぐらいの、無常観に似たようなものでもないのすか。
> >自分も神、相手も神なのです。でもその相手はどうも自分より
も優れたもののように思える-という感覚でしょうか。
>
> 究極の神は人格を越えたものであることを必然的に納得されるのであれば、自分よりも優れた部分を誰れにでも見つけられるはずであることも納得されるはずであると思うんです。
それはおっしゃるとおりです。大川先生は、ご自身をエル・カンタ-レとし、このことをを信仰の原点にしなさいとのことをおっしゃいます。幸福の科学から、このことを除いたら、他の宗教と似たようなものになるでしょう。
最近靖国のことについてもご発言がありました。私にとってはショッキングのことではありました。後ほど、ここで書いてみたいと思います。
> しかし、ueyonabaruさんが先に書かれたように、「尊敬すべきその人の背後にある広がりに畏敬の念を持つ」と言われる信仰心はほんものであろうと思います。
ありがとうございます。しかし、この方のご発言は普通のものではないですね。聖書に「普通のものが語るようには語らなかった」という意味の言葉がありましたが、それに似ているのです。私には驚きの連続ですよ。だから興味は尽きず、この人から離れることはできません。
> >おっしゃるのは分かります。これは二元的思考ですね。この世は二元的な思考法で成り立つものだと思います。このことについて、先生は、霊界でもある程度のところまでは二元的思考でものごとをすすめてゆくが、高次の霊界にいたれば一元的な思考が見えてくるとおっしゃっております。二元的な思考を超えるのに、このような説明は聞いたことはありませんでした。
>
> 地獄も霊界のうちではないでしょうか。
> ちょうど、地獄的なところも在るこの世も、この世のうちであるようにです。
二元的な思考が天国と地獄という二つが存在すると言わせます。先生は、霊界の高層のところまでに至れば、これを超え、一元の思考が可能としておりますので、そこでは天国のみが存在するということになりませんでしょうか。それは言語表現を超えた神秘的、悟りの境地なのかとおもうのですが・・・・・。その境地から見れば、地獄も地獄ではなくなるのではないでしょうか。実在するものではないという感覚です。
from: hikaru0827さん
2009年10月20日 02時21分57秒
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「Re:Re:因果律関連」
cosmo77さんへ
> 勉強のできない子も ご自分の小学校時代 たくさんいませんでしたか?
> 容易に変われるとは思えないのです
> でなければ 世界そのものが こんなに弱者を抱えて 苦悩することもないのではないでしょうか
とは、いうものの、だからと言って世界を変える努力を止めるわけにはいきません。
またその努力の過程が実は重要なのかもしれません。
私も小学4年まで、ろくに勉強しませんでした。
4年の2学期だったでしょうか。担任が産休で休み、代理の先生が来られました。
その先生がすっごく怖い先生だったんですが、「もじのけいこ」という国語の教材の書き写しを何回もさせ、その回数を競わせるという事を始めたんです。
授業時間外にです。
私は見事にそれにはまりまして、ひがなそれに明け暮れ、見事1番になったんです。
それから「勉強する=気持ちいい」ということに気が付いたんです。
別に、勉強に限りません。
絵画でも、スポーツでも、ものまねでも、文学でも何でもいいんです。
なにか、自分に自信の持てるものを1つでも見つければ、学校も楽しいものになるし意欲も出るのでは、と思います。
本人の興味を持てる何かを見つけてあげたいですね。
> 基本的に意欲がないようです 最初からあきらめているような感じです
>
> 教育で変われる要素がどのぐらいあるものなのでしょうね
確かに、教育だけで解決するわけでもないでしょうね。
「意欲がない」のは、自己イメージが低いのだ、といわれています。
それは自己肯定感が薄いという事かもしれません。
にしき鯉さんとの話で、気付いたんですが。
人は、1人でも自分のことを「愛している」「信じている」と言ってくれる人がいれば、それが実感できれば、自分を肯定できるのではないかと思いました。
いじめる側の子供たちも、そういう安心感がなく、どことなく不安があり、自分の存在を守るために、そういう行為に出てしまうという側面が、あるいはあるかもしれません。
from: cosmo77さん
2009年10月18日 21時37分08秒
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「Re:因果律関連」
hikaru0827さんへ
ご返答ありがとうございます。
> 基本的に穏健なんですよ。
私の拝見するところでは結構誤解を受ける要素がおありのように思いますが。。
> いえいえ、そういう意味ではありません。
そうでしたか
それはすみませんでした
確かにネットで弱者を検索していると書いてありますが
弱者という言葉自体が 差別になりやすく 危険性は確かにあるとは思います
その点は 注意が必要ですね
> 人は、常に「弱い者」であるわけではありません。
> 常に「強き者」でもありません。
> 昨日、弱かった者が今日は強い者になってるかもしれません。
> 今、強かった者が、1分後には弱くなってるかもしれないんです。
しかし 世の中を観察すると 弱者は弱者で 固定的な場合も 結構多いように思えます
遺伝するケースも結構あるようですし 大川先生も類するお話をされてます
つまり 同じような人たちが家族になって生まれるケースが多いということです
ホームレスの方とは 最近よくお話したり してますが 社会制度的な問題もあるようですが 容易に立ち直ることができ難いようです。
勉強のできない子も ご自分の小学校時代 たくさんいませんでしたか?
容易に変われるとは思えないのです
でなければ 世界そのものが こんなに弱者を抱えて 苦悩することもないのではないでしょうか
> cosmo77さんは、「弱きを助け、強きをくじく」性格なのかなとお見受けしました。
以前は確かにそうだったかもしれません
でも 大川先生の教えで ずいぶん変わっているかもしれません
ただ 強きをくじくは よくないですよね
強くても 良い方もおられるでしょう
> ただ、cosmo77さんが強き者と判断した人も、あっというまに弱き者に変わるという事に留意していただきたいのです。
> それは、経済力や、体力だけでなく、心の状態もです。
確かに それもあると思います
例えば お金もちでも 争や病を抱えている方もいらっしゃいますし。
> cosmo77さんが、弱者の問題点として「意欲がない」と言われました。
弱者というか ホームレスの方とか ニートの方に多いのかと思います
フリーターの方なども多いのかもしれませんね
> 子供のときに、様々な経験を積むことが、それを防ぐ1つの方法ではないかと思います。
そうですか
有効な方法があるといいのでしょうし これは とても大きな ことだと思います
> 温室で育てられ、挫折も負ける事も経験せずに大きくなり、現実に打ちのめされると、そこから這い上がるのは大変です。
ボクもそういうタイプだったと思います
ただ 意欲のある人は なんとか 立ち上がってくるのではないでしょうか あるいは 能力もですね
意欲も能力もないと 困難に対して 負けてしまうのです
ですから 意欲や能力不足が 立ち上がれない要因として大きいと思うのです
わかりませんが 何か根があれば どんな環境からでも立ち上がってくるのではないでしょうか
こう育てれば誰でもそうなれる というものなのでしょうか
この当りの解明は 大きな課題なんだと思いますです
近所の会員さんでニートの方がいるんですが
この方の場合だと 例えば これは大好き というような ものがありません
基本的に意欲がないようです 最初からあきらめているような感じです
教育で変われる要素がどのぐらいあるものなのでしょうね
> ところで、cosmo77さんは今の民主党政権については、どのように捉えているのでしょうか。
民主党については リバティ等でさんざん聞かされていまして よくないイメージですよね
なんでも 来年度の予算が90兆円を超えているようですね
例えば 地方の公共工事を削減して こども手当に代える とどうなるかと考えてみたのですけど
結局 地方の仕事がなくなり貧しくなって 子供はたぶん都市圏に多い と思いますので 都市に落ちるお金が 増えるということではないでしょうか
格差格差と騒いでいた 民主党が こういう格差拡大政策をとるのも 何を考えているのかよくわかりませんが 結局 格差拡大が問題になって 来年の参院選に影響してくるかと 考えられます
また 幸福実現党が 最近 民主党の 地方の公共工事削減を 格差拡大に つながる と批判しているのも びっくりしてます
リバティ時代から 格差問題を とにかく 無視の姿勢をとり 自由市場主義を 振り回してきたと思うのですが
ここにきて 格差が広がる ときてます
この当り 幸福実現党も何を考えているのか 基本となる理論というのでしょうか 理解に苦しんでおりますです
現実の政治では 格差問題 というのを無視して 支持を得ることは 実際 難しいのでは と思っております
それが 大川先生も言われていましたが 小さな政府が 歴史的に 実現できない 原因なのではないでしょうか
極端に小さな政府は 現実には できない というのが 私の推論です
from: cosmo77さん
2009年10月18日 20時35分41秒
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「Re:因果律関連」
hiraokaさん こんばんは♪
> 1)現象は偶然か必然か?
> 2)幸福の科学(特にリバティ誌)のスタンスは偏っていないかどうか?
>
> さらに云うなら、幸福の科学を広報するリバティ誌はすべて大川さんの意見のとおりなのかどうかも知りたいところです。
>
私の聞いている範囲から推論すると 大川先生はほとんどタッチしてないようです
まあ 記事等にもよるのかもしません
基本 自由と寛容という精神を尊重されているのかもしれませんね
よろしくお願いいたします。
from: hikaru0827さん
2009年10月18日 01時57分01秒
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「Re:Re:因果律関連」
cosmo77さんへ
> 2回目の書込みで だいぶ穏健路線になられたようですが (^_^X)
基本的に穏健なんですよ。
ただ、文章にすると、全ての事情について注釈いれるわけにもいきませんので、過激に思われるのでしょうか。
> >あと、「弱者」と言われますが、どういう意味でしょうか。
> その人達は、本当に弱者ですか。
>
> ここらへんが また極端な論理なわけですよね
> hikaru0827さんのお得意な v(゜ε゜v)
>
> また こういうノリの方が 教団に多いと 私は思っています
> 空いた口がふさがらない というのはこういうことです
>
> 人間は仏の子ですごく強いんだ なんていわれるわけです
> ホント ふざけるなって言いたいですよ (゜_゜)
いえいえ、そういう意味ではありません。
人は、常に「弱い者」であるわけではありません。
常に「強き者」でもありません。
昨日、弱かった者が今日は強い者になってるかもしれません。
今、強かった者が、1分後には弱くなってるかもしれないんです。
cosmo77さんは、「弱きを助け、強きをくじく」性格なのかなとお見受けしました。
とても、下化衆生の意識の高い方だと思います。
ただ、cosmo77さんが強き者と判断した人も、あっというまに弱き者に変わるという事に留意していただきたいのです。
それは、経済力や、体力だけでなく、心の状態もです。
> リバティ等が 弱者や格差問題を無視するような 論調であることを私は 疑問視してきたわけですが
> hikaru0827さんなどの論理は 弱者は存在しない という立場です
> これは 結論的に 弱者無視 というスタンスになるのです
>
> >散歩中に、けつまずいて倒れた子供に対し、母親は自分で立ち上がるのを待ちます。
>
> それでは ケンカを売っているようで申し訳ないですが
>
> 例えば 足の歩けない お子さんがいたとする
>
> 親が
> お前は 前世で 怠け者で バカで 心が悪くて 行いも悪かったからそうなったんだ 自分が悪いんだよ
> と常々 言って聞かせれば その子にとってよいということなんでしょうか
>
> むしろ とんでもない 曲がった人に育ちませんでしょうか
>
> リバティ等の 言論とは こんな感じではないのでしょうか
> ボクの理解がおかしいのでしょうか
リバティの記事を見てませんので、リバティについてのコメントは控えさせていただきますね。
> >「ヨコミネ式教育法」強く育てる事には、私も賛成です
>
> それも 一つの方法ではないのではないでしょうか 他にも方法はあるのかもしれませんし。
> 精神論ではなく まずは 現実的に 生活する技術をしっかり教えるというのも 一つの手です
> 例えば 掃除や料理なども きっちり教えるとか。
> この教育法について知らずに口をはさんですみません
> ただ やみくもにキビシクすればいい という考え方もちまたに結構あるように思うので 書きたくなってしまいました
なんかちらりとネットで見ただけですが、単なるスパルタではないようですよ。
好きこそ物の上手なれという方向で、子供の自然な競争心や、達成する喜びとかによって、伸ばしていく感じですね。
cosmo77さんが、弱者の問題点として「意欲がない」と言われました。
子供のときに、様々な経験を積むことが、それを防ぐ1つの方法ではないかと思います。
温室で育てられ、挫折も負ける事も経験せずに大きくなり、現実に打ちのめされると、そこから這い上がるのは大変です。
> むしろ hikaru0827さんなどのような 中流?のサラリーマン 正社員の方は よほど 優遇されており 社会主義的な所得移転の恩恵を受けているのではと思います
>
> 私も おそらく現在は中流の正社員でして ホント 楽でいいです
> +▽+
> だからこそ 困っている人の助けをしないといけない と思ってます
そうですね。
報因は重要です。
その方法も人それぞれかと思います。
ところで、cosmo77さんは今の民主党政権については、どのように捉えているのでしょうか。
from: ueyonabaruさん
2009年10月26日 05時14分08秒
icon
「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:因果律関連」
> ueyonabaruさん、こんばんは。
>
> 1>地獄を究極的な実在として考えないというのが私の考えなんです。
> 2>二元論的に天国と地獄があるとするのも正しいでしょう。
> 3>しかし、この二元論を超える境地はないのかと考えてみるのです。より高い境地に到達すれば、地獄そのものが違って見えてこないかということです。
>
> そうです、そうです、おっしゃるとおりです。
> ぼくも、ueyonabaruさんと同じ考えです。
hiraokaさんと共通するところですね。
私は、しかし、地獄論がもっとはやって欲しいと思っているのです。今の世の中は、善悪の基本さえわかっていない人々が多いのです。学校のイジメの問題にしても、教師が善悪についての見解がなく、生徒達にも善悪について教えることができません。戦前の教育にはそれがシッカリとありました。今は人権とかが表面に出すぎて、当たり前のことが教えられなくなりました。
hiraokaさんは、幼少の頃から恐ろしい善悪論の中でお育ちになったので、二元論を超えた世界を強調されたい心情が強く出てくるのではないでしょうか。
私は、逆に、生長の家の光明思想の中で育ちましたので、善悪論を強調しがちかもしれません。
このバランスだと思います。時には、光明思想を振り返ってみることも必要ではあります。人間の善性をみる心です。
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