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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

公開 メンバー数:152人

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  • from: にしき鯉さん

    2009年11月12日 09時20分47秒

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    釈迦の本心を読んで・・

    「釈迦の本心」を読み終えました

    内容的には法華経の概略説明で終わってしまいました
    ちょっと残念です(書いてあることは総て法華経経由です)

    独自の世界観(〇次元)は別にかまわないと思いますが初期の念仏、日蓮仏教に似ています
    共通点は「この教義を信仰すれば死後の心配はない」です
    本当にそうでしょうか?

    そして文の中で「反省」という言葉が多用されています
    釈迦は本当に瞑想中に反省を重ねて「悟り」を得たのでしょうか?
    瞑想は「集中」「思索」「観想」で構成されていますがその中で反省はありません
    (瞑想中で得た事が現実生活に戻った時に役に立つ事はありますが、、、)

    反省という言葉は「自分のやってきたことをふり返り見つめなおす」事が大まかな意味です

    釈迦は出家して苦行をしていました、その後、苦行を捨て瞑想中心に修行を進めるわけですが、日々の何を反省していたのでしょうか?
    私には「四正道」の中の反省を無理やり押し付けたように感じました(すみません)

    釈迦は論理的な人で「他人を思い通りに変える」ような思想は持っていなかったと思います
    どうも言葉の端々に独善的解釈を交え、釈迦を捻じ曲げているように感じるのは私だけでしょうか

    一般には肉体的「苦行」なども釈迦は否定したと言われていますがそれは釈迦自身が経験して「それだけでは最後の悟りまではいけない」から薦めなかったのだと思っています
    実際に心の痛みも苦痛ですが肉体的な痛みにも人間は弱いんですよ
    いつでも止められる状況の中で「苦行」を自分の意思で続けることは心の強化に他なりません

    スポーツでも武道でも肉体的鍛錬は必要です
    しかし宗教では「中道」の一言でそれらを排除しています
    とらわれではなく「肉体的苦行」の中にも得るものはたくさんあります

    総じて感じたのは釈迦が説いた「涅槃」の定義はどう説明されているんでしょうか
    それを抜きにしては大乗、小乗ともに成り立たないような気がするのですが、、、

    ueyonabaruさん、
    わたしの考え方は間違っているのでしょうか?

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コメント: 全24件

from: にしき鯉さん

2009年11月26日 06時00分54秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
ueyonabaru さんへ

一即一切、一切即一について追記です

ちょっとわかりにくい説明でした(反省)

一即一切。一切即一。天地同根。万物一体
総てのものは一つのなかにあり、一つは総てと関わっている

真理を目指す修行者はそのような見方で事象をみなさいという教えだったと思います

色眼鏡やプライド、嫌悪を通した目で見て区分けをすると「悟り」は遠くなるという事でしょう
これは自分自身も気をつけていきたいと思います






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from: にしき鯉さん

2009年11月25日 22時02分44秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
ueyonabaru さんへ

わかりました、本当に求道の対して真面目なんですね
言いすぎた面、謝ります

一即多、多即一の意味はこう考えます

心の連続体は遠い過去から転生をくり返している
そして縁のあった者と「今の生」でめぐり合っている

しかし、貴方の愛する人は過去世で敵であったかも知れない
もしかしたら、今日、可愛がっている猫は過去世で貴方が食べた
豚かも知れない


どうして他の生き物を別に考えられるのか?
動物にしてもそれぞれのカルマをもって生まれてくる
ペット以外は生まれること自体に「食物連鎖」のカルマが付きまとう

好き嫌いに関係なく、あらゆるものが一つにつながり、関わりあって存在しているということ、これも「縁起の法」の一つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下、ゾクチェンの教えです

この世界のありとあらゆる生き物の中にかって貴方の父や母でなかったものなど一つもないという事実に気づかなければならない

貴方がかって虫であった時、犬や猫であった時、あるいは餓鬼や地獄の住人であった時、貴方の父や母となった生き物たちは生まれたばかりの無力な貴方をありったけの愛情でつつみ、いつくしんでくれたものである。

貴方の父や母となった生き物たちもまた、この輪廻の中で再生をくり返してきた。
だから、今あなたのまわりにいる総ての生き物がかって貴方をやさしい愛情でつつんでくれた父母であったなつかしい物たちなのだ
・・・・・・・・・・・・・・・

「心の連続体」とチベット仏教は魂を表現します
そして、総ての生き物は「カルマの法則」において平等と説きます

(注)
カルマの法則は「為した事は帰ってくる」と単純に考えて下さい
罪とか罰とかの裁きは仏教ではあまり使いません
仏罰なんてのもありません、後世の宗派が勝手に作ったものです










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from: ueyonabaruさん

2009年11月25日 17時13分48秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ

 ご返事遅れましてすみませんでした。



> 真摯な書き込みに感謝します
> 少し、一緒に考えていただけますか?
>
> < どうでしょうか。生きる苦しみとして考えると、論理的におかしくなります。生・老・病・死の最初の生の言葉が人生の苦しみを表現するものとしてみますと、後の老・病・死なども人生の苦しみに違いないので、最初の語が全体をすでに含んでしまうようなおかしな論理構成になりませんか。ですから、この四つの語は、同格の語の並列表記として考えるのが妥当だと思います。>
>
> まず、違う意見を聞いた時、人間は過去の構築してきた心の世界から判断します
> ueyonabaruさんは大川さんの著書をたくさん読んでいるんだと思います
> それは「信」を持つ者のいいところですが、「観念」を作りやすいのも事実です
>
> 《自分の信じている教義と違う意見が出た場合、、、》
>
> いや、そんな事はない、私の敬愛する大川主宰はそうは言ってない

 できるだけ大川先生のおっしゃることを鵜呑みにすることなく、反対意見もお聞きし、正しいものを求めていく所存ですが、そのとおりいかない場合もあるかもしれません。これについては、どうぞ、そのつど具体的にご指摘をいただきたく思います。



> 私は大川さんの教えに不可思議な部分もあると思ってる
> しかし、偉大な方の教えを素直に受け入れられないのは私自身の勉強不足で信仰心不足も手伝ってる
> もっともっと勉強して自分の霊性を高めなければ、、、

 先生のおっしゃることについて、すべて正しいとの断定はまだありません。分からないことは、分からないままにしております。



> 幸いにして仏教は文献もたくさん解読されています
> 大川さんの書籍と同じ量だけデータをいれれば公平に比べられると思います
> 現代人の判断というのはほとんど「情報量と観念」によって決められています
> 疑問がわいたら他のの宗教書を読んでみるのも解決方法の一つだと思います
>
> 仏教は多くの先達の方が紆余曲折をしながら体系を作ってきました
> もちろん、間違って伝わった教えもあります
> しかし、どんな疑問からもはいれるところが仏教の凄いところです

 たくさんの仏教関係書を読んで、比較考量する作業は必要だと思います。ご存知の佐倉哲さんの縁起論を学んだのもその作業の一環でした。
 これまでに読んだ仏教関係の本は、多くが谷口雅春先生のお説きになった光明思想、万教帰一の観点から解釈したものが大部分です。法華経、大般涅槃経、維摩経、無門関などを谷口先生お説きになりました。これらの本を読んだそのときは理解していたつもりではありましたが、仏教用語など難しくて、ほとんど応用できるほどのものにはなっておりません。忘れております。

 申しましたように、読んでいて意味が分からなかったということはあまりありませんでした。生長の家の創始者が解釈したものなので、その実相論の立場で説かれているから、分かりにくいことが少なかったのかもしれません。これはいわば、谷口仏教とも言えるでしょう。

 霊友会、立正佼成会、創価学会なども法華経を奉じる仏教の一派ですね。それと同様に、谷口仏教があってもよし、大川仏教があってもよしと私は考えております。仏教は、人が自由に考えることを許容する大きな包容力があるようです。念仏宗と禅宗の違いは相当のものです。それでも同じく仏教です。

 伝統の仏教には多数の宗派がありますね。それぞれが異なるものを持っております。それらも、立宗した当時は、革新的な仏教だったと思います。新興の仏教でした。今、大法輪閣から出版されている本「日本仏教十三宗ここが違う」を手にしておりますが、これを読むと、それぞれの教祖たちが苦心したこと努力したことなどや打ち立てた思想の重みなどが感じ取れます。

 また、最近はチベット仏教もあり、原始仏教の記録を重んじる方々もおられます。

 私は、少ない読書量の中からではありますが、比較考量の上、大川仏教を選んだということはどうぞご理解ください。個人の悟りのことがもっとも大切ですので、大川仏教のおかしいというポイントをご指摘いただければ、幸いです。それをテ-マにして議論し考えてみたいと思っております。

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from: hikaru0827さん

2009年11月23日 16時21分15秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ

> 六根の否定は必要ないと思います
> 肉体や感覚が煩悩の原因ではないんです
> 心がどのように受け止めるか?なんです


了解しました。


> <「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない」は、それに執着してはいけない、という意味であり、心の重要性を説いたものだと思います。>
>
> 違うんです、そういう心の状態は修行を続けていると来るんです
> ハンバーグが大好きだったのに急にどうでもいいような気になるんです
> 飽きたとかじゃなく食べること自体に興味がわかなくなるんです
> もちろん、ちゃんとハンバーグの味はするんですよ
> まわりが「美味しい」と言ってもそうなのかな?みたいな感じです

涅槃とは、本当の価値に気がつくということでしょうか。
価値の順序というものが分った状態ということでしょうか。


> どうも皆さんは涅槃は何もない退屈なところと考えているみたいですね
> 大川さんは静かで落ち着いているだけの場所と教えているんでしょうか?

すみません。幸福の科学でどのように示されているかは、お待ちください。
決して、退屈なところだとは、思っていません。

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from: にしき鯉さん

2009年11月23日 08時32分23秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
ueyonabaru さんへ

真摯な書き込みに感謝します
少し、一緒に考えていただけますか?

< どうでしょうか。生きる苦しみとして考えると、論理的におかしくなります。生・老・病・死の最初の生の言葉が人生の苦しみを表現するものとしてみますと、後の老・病・死なども人生の苦しみに違いないので、最初の語が全体をすでに含んでしまうようなおかしな論理構成になりませんか。ですから、この四つの語は、同格の語の並列表記として考えるのが妥当だと思います。>

まず、違う意見を聞いた時、人間は過去の構築してきた心の世界から判断します
ueyonabaruさんは大川さんの著書をたくさん読んでいるんだと思います
それは「信」を持つ者のいいところですが、「観念」を作りやすいのも事実です

《自分の信じている教義と違う意見が出た場合、、、》

いや、そんな事はない、私の敬愛する大川主宰はそうは言ってない
大川主宰はブッダの再誕であり釈迦の生まれ変わりだからこそ仏教を自由に解釈できるんだ
なぜなら、あの方は素晴らしい教えをたくさん説き、いにしえの昔から私たちを指導しているからだ

私は大川さんの教えに不可思議な部分もあると思ってる
しかし、偉大な方の教えを素直に受け入れられないのは私自身の勉強不足で信仰心不足も手伝ってる
もっともっと勉強して自分の霊性を高めなければ、、、

ここからにしき鯉の意見です

「観念」というのはやっかいなものです
一度、真理と認めてしまうとそれを守り、伝え、実践していく事に希望を持ちます
それは悪い事ではないですが、「検証」を忘れてしまうと「観念が作った信仰」になってしまいます

では検証はどうやってすればいいのでしょうか?

幸いにして仏教は文献もたくさん解読されています
大川さんの書籍と同じ量だけデータをいれれば公平に比べられると思います
現代人の判断というのはほとんど「情報量と観念」によって決められています
疑問がわいたら他のの宗教書を読んでみるのも解決方法の一つだと思います

仏教は多くの先達の方が紆余曲折をしながら体系を作ってきました
もちろん、間違って伝わった教えもあります
しかし、どんな疑問からもはいれるところが仏教の凄いところです


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from: にしき鯉さん

2009年11月22日 20時46分08秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
hikaru0827さんへ

六根の否定は必要ないと思います
肉体や感覚が煩悩の原因ではないんです
心がどのように受け止めるか?なんです

たとえば美味しそうなケーキを目の前にすると過去の美味しく食べた記憶がよみがえって食べたくなります
これは「舌という感覚器官を使って習った事」を覚えているからです
これを喜びとしてくり返すと食べられなくなった時「苦脳」が発生するんです

これを訓練するために釈迦の時代は托鉢や布施の食事以外は食べてはいけない戒があったようです
(逆にいえば心が動かなければ何を食べてもいいんです)

こんな感じで釈迦は「苦悩」をバラバラにして解析したところに特徴があるんです
・・・・・・・・・・
<「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない」は、それに執着してはいけない、という意味であり、心の重要性を説いたものだと思います。>

違うんです、そういう心の状態は修行を続けていると来るんです
ハンバーグが大好きだったのに急にどうでもいいような気になるんです
飽きたとかじゃなく食べること自体に興味がわかなくなるんです
もちろん、ちゃんとハンバーグの味はするんですよ
まわりが「美味しい」と言ってもそうなのかな?みたいな感じです
たぶん識別作用が時々止まるんでしょうね

<涅槃に到達して、後ろを振り返れば、それは苦ではなく自らを磨く砥石であり、計らいであったと思えるのではないでしょうか。>

釈迦は「涅槃は素晴らしいから皆、後に続け>みたいな気持ちだったんではないでしょうか?
どうも皆さんは涅槃は何もない退屈なところと考えているみたいですね
大川さんは静かで落ち着いているだけの場所と教えているんでしょうか?

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from: hikaru0827さん

2009年11月22日 19時37分58秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ



> 1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである。」

> 「世人は歓喜に束縛されている」の一言でもわかるように
> これは客体があっての歓喜なんです(これも苦)


う〜ん、六根等々が、執着や煩悩の原因となる、という事が、、イコール六根の否定ではないと思うんですが…どうでしょうか。
いかにコントロールするか、ということではないでしょうか。
紹介してもらったサイトにも様々書かれてありました。
勉強になりました。
執着の原因を追求すると、「眼」で見た事で発生する事もあるでしょうが、だからといって眼で見ることが、なにもかも悪であるわけはないと思います。
釈迦は、肉体を滅ぼさんとするほどの苦行を、間違いであったと気付いたわけですから、それを思うと、人間の通常の感覚機能まで否定する事はしないと思うのです。

ですので、「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない」は、それに執着してはいけない、という意味であり、心の重要性を説いたものだと思います。


>しかし釈迦は「喜びも悲しみ」も苦と捉えているんです、そして生というものを迷いと定義しているんです

「苦」として捉え、で、そのままってことではないのでは?

まずは苦である事を、理解し、その上でそれを乗り越え、その先には向上や、悟りがある、ということではないでしょうか。
涅槃に到達して、後ろを振り返れば、それは苦ではなく自らを磨く砥石であり、計らいであったと思えるのではないでしょうか。

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from: にしき鯉さん

2009年11月21日 23時38分06秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
hikaru0827 さん

追伸です、
「禅」の欠点ですがあくまでも私見として聞いてください

1 世界観の体系ができていない
2 師匠と弟子の関係だけで修行が進むので弟子が師匠の境涯を超える事ができない
3 仏典を大事にしない、他人を救おうとしない

だから瞑想技術が素晴らしくても私にはダメでした

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from: にしき鯉さん

2009年11月21日 23時23分00秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
hikaru0827 さんへ
<主体と客体があってこそ、人は、喜びも悲しみも覚え、成長があります。>
それはその通りです、しかし釈迦は「喜びも悲しみ」も苦と捉えているんです、そして生というものを迷いと定義しているんです

スッタニパータ 第五章 学生ウダヤの質問

◆<14、学生ウダヤの質問>◆
--------------------------------------------------------------------------------
1105 ウダヤさんがたずねた、
「瞑想に入って坐し、塵垢を離れ、為すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明を破ること、正しい理解による解脱、を説いてください。」
1106 師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、

1107 平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」

1108 「世人は何によって束縛されているのですか? 世人をあれこれ行動させるものは何ですか?何を断ずることによって安らぎ(ニルヴァーナ)があると言われるのですか?」

1109 「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

1110 「どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのですか? それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのおことばをお聞きしたいのです。」

1111 「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは中村元さんがパーリ語の原書から訳したものです
直訳で一切の説明は入っていません
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
hikaru0827さん  どう、思います
「世人は歓喜に束縛されている」の一言でもわかるように
これは客体があっての歓喜なんです(これも苦)

縁起の法

無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取著→有→生→老死(外縁起、十二縁起)
この十二縁起が生を受けるまでの魂のプロセスです

信→悦→喜→軽安→楽→三昧→如実知見→遠離→離貪→解脱 (内縁起)
この内縁起が「悟りと解脱」のプロセスです

この中の、悦→喜→軽安→楽は客体のない状態での歓喜です

何か、わかりやすい説明をしているサイトはないかと探したところ

http://ugpc.hp.infoseek.co.jp/r-bukkyou2.html

ここの五番目に出ていました
(自分もこんなには難しく考えてないですけど)
・・・・・・・・・・・・・・
中沢新一さんは、以前オウムよりの意見をしたとかでマスコミに叩かれていました、日本では宗教学者で通っていますが実際は修行者です、チベット仏教のゾクチェンの教えをケツンサンポというラマ(導師)から教わって書いた本です




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from: hikaru0827さん

2009年11月21日 19時23分58秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ

> そして主体と客体の話は涅槃に入る条件というふうに捉えてもいいと思います

主体と客体があってこそ、人は、喜びも悲しみも覚え、成長があります。
しかし、それを学びきった時、涅槃の境地に達するということでしょうか。

それを思うと、幸福の科学の世界観でいう、10次元以上の地球意識や、銀河系意識、宇宙意識が該当しそうです。
人格神を越えた世界ですね。
確かに釈迦は、その境地を実感したとされてますので、それを涅槃と呼んだのかもしれません。

そのような意識体レベルでも、更に段階はあるでしょうから、それをもって「寿命」と称しているのかもしれませんね。

しかし、私にはまだまだ気の遠くなるほど先の話です。思いを馳せる程度は出来るかもしれませんが。

道元禅師の霊言に、禅は、「一人完結の修行スタイルで愛が弱い」という趣旨で、自ら道元禅の限界を話されていました。

客体が必要ないという境地を目指すと、いつの間にか、禅の弱点と言われる方向に行ってないか注意が必要ですね。
目指すのではなく、気付いたら、そういう境地となっていた、というのが良いのかもしれませんね。


> 「虹の階梯」という本で中沢新一さんが著作したものです
> 2000円位の本ですが図書館でも置いてあるところもあります
> ダライ・ラマさんが説く法よりもリアルにかつ厳しく説明しています
> 大川さんのように抽象的な表現でなくダイレクトに仏教について
> 心構え、方法、ニルバァーナについても説明しています
> きっと私が大川さんに対して持つ疑問がわかってもらえるかと思います
> ぜひ、御一読を考えて見て下さい

評価していただき嬉しく思っています。

本屋に行った際には、注意して見てみますね。

中沢新一さんという方、どこかで聞いたことある気がします・・・。

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from: ueyonabaruさん

2009年11月21日 12時57分09秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
> <友人などに宗教の話をするときに、この四苦八苦から始めます。身近なことを取り上げ、お釈迦様の教えの宣伝をしております> 素晴らしいですね、
> 布教などと言うことでなくて相談事を受けていても一貫した哲学や宗教がないと慰めや励ましだけで終わってしまいます

 怨憎会苦のことを話して、相手がどのような反応をするのかを見るのも楽しみです。



> <生については、生きていく苦しみとわたしは思い違えておりました。幸福の科学では、生まれる苦しみになりますね。>
>
> 生きていく苦しみは「生の苦しみ」でいいと思いますよ
> 「幸福の科学」では生まれ出る時の産道の苦しみや胎児の時の不安とか説明してるようですがそれだと10ヶ月前後だけの苦痛になってしまいます

 どうでしょうか。生きる苦しみとして考えると、論理的におかしくなります。生・老・病・死の最初の生の言葉が人生の苦しみを表現するものとしてみますと、後の老・病・死なども人生の苦しみに違いないので、最初の語が全体をすでに含んでしまうようなおかしな論理構成になりませんか。ですから、この四つの語は、同格の語の並列表記として考えるのが妥当だと思います。

 魂が胎児として母親の子宮に囚われてから(妊娠3ヶ月頃)生が始まり、それから生まれるまでの間の不安感というのは相当に大きいものがあるようです。胎児の間には、すでに3歳ぐらいの智能と意識は備わっているそうです。



> 仏教は人間の「生の苦しみ」を四苦八苦の他に三苦として別に説明しています

 お釈迦様在世の当時のインド人の間では、苦苦、壊苦、行苦という考え方があって、お釈迦様を、それをもっと的確に分類していったのだと、先生は説明されておりますが、どうでしょうか。私には確認の方法もありませんので、意見保留です。(「悟りの挑戦 下巻」)



> ただ、一つの教えを信じようとすると他の意見を真っ直ぐに聞かないという傾向が必ずでてきます
>
> それは自分の生きる道や敬愛する人を守ろうとする気持ちなんですが、、、
> もし、仏典と違うところがあれば、自分は信徒ということを忘れて公平な目で見てもらえればと思います


 公平にいくよう努めたいと思います。仏典に照らして、おかしいと思われる点はどうぞご指摘ください。私には、勉強になりますので、よろしくお願いします。

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from: にしき鯉さん

2009年11月20日 21時56分59秒

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「Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」

hikaru0827 さんへ

いつもながら素晴らしい視点で考えていますね

《涅槃とは、悟りの境地であり、
涅槃寂静とは、悟りの境地は、とても穏やかで安らかなものだ、という意味である。
燃え盛る煩悩の火が消えて無くなっている状態でしょうか。》

悟りを得るという事は解脱と同義語ではありません

悟りはエンライトメント、「光明を得る」みたいな意味です
ありのまま現象を見て心が一切のエゴを交えず、一切の執着を持たない状態が悟りの状態だと思っています

解脱はhikaru0827さんの言うようにカルマの束縛から離れられる事です
もちろん「六道輪廻」もそうです、欲の六つの世界から解き放たれる事も解脱です
しかし、釈迦は六道を超えた神に転生しても寿命はあると説いています(人間に比べてとても長いですが)

そして釈迦はこの神(梵天と訳す方もいます)に対しても絶対ではないと言っています
これはスッタニパータにはっきり書かれています

「涅槃というスペース」という言い方はちょっと誤解をまねく言い方だったかも知れません(反省)
森羅万象(神の存在を含めて)を超えた世界と言い換えます

そして主体と客体の話は涅槃に入る条件というふうに捉えてもいいと思います

でも hikaru0827は本当に視点が凄いと思います
そこでにしき鯉からお勧めの著書があります

「虹の階梯」という本で中沢新一さんが著作したものです
2000円位の本ですが図書館でも置いてあるところもあります
ダライ・ラマさんが説く法よりもリアルにかつ厳しく説明しています
大川さんのように抽象的な表現でなくダイレクトに仏教について
心構え、方法、ニルバァーナについても説明しています
きっと私が大川さんに対して持つ疑問がわかってもらえるかと思います
ぜひ、御一読を考えて見て下さい

蛇足
今度は「霊界散歩」を読んでいます




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from: にしき鯉さん

2009年11月20日 20時31分44秒

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「Re:Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
ueyonabaru さんへ
本当に心の広い方ですね、感謝します

<友人などに宗教の話をするときに、この四苦八苦から始めます。身近なことを取り上げ、お釈迦様の教えの宣伝をしております>

素晴らしいですね、
布教などと言うことでなくて相談事を受けていても一貫した哲学や宗教がないと慰めや励ましだけで終わってしまいます

<生については、生きていく苦しみとわたしは思い違えておりました。幸福の科学では、生まれる苦しみになりますね。>

生きていく苦しみは「生の苦しみ」でいいと思いますよ
「幸福の科学」では生まれ出る時の産道の苦しみや胎児の時の不安とか説明してるようですがそれだと10ヶ月前後だけの苦痛になってしまいます
仏教は人間の「生の苦しみ」を四苦八苦の他に三苦として別に説明しています

苦の原因を友達などに説明する時は三苦(苦苦・壊苦・行苦)の説明もわかりやすいと思います

「苦苦」は肉体的な痛みや餓え、感覚的な刺激の苦しみです
「壊苦」は希望や夢が打ち壊される苦しみ
「行苦」は行う事の苦しみ(やりたくないのにやらなければならない事など)

ともあれ、真理を語る事は素晴らしいことです
私は大川さんの教えをを否定しているのではなく、ここにいるメンバーの方に少しでも釈迦の奥深さを知ってもらいたいだけなんです

ただ、一つの教えを信じようとすると他の意見を真っ直ぐに聞かないという傾向が必ずでてきます

それは自分の生きる道や敬愛する人を守ろうとする気持ちなんですが、、、

もし、仏典と違うところがあれば、自分は信徒ということを忘れて公平な目で見てもらえればと思います

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from: hikaru0827さん

2009年11月20日 03時02分32秒

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「Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ

> 「涅槃」について
> 現実の世は相対的な幸福、「主体と客体」との間で幸福を感じてるのではないでしょうか?
> 総てが自分がいて認識できる相手(又は物)があって成立する幸福ではないでしょうか?
> 「涅槃」とは死後に行く一つのスペースであり、そこに留まっている限り、エネルギーや煩悩の影響を受けない場所ではないでしょうか

涅槃とは、悟りの境地であり、
涅槃寂静とは、悟りの境地は、とても穏やかで安らかなものだ、という意味である。
燃え盛る煩悩の火が消えて無くなっている状態でしょうか。
私は、その程度しか考えていませんでした。

ただ悟りというものは、1つのものではない、と思ってます。
人それぞれに悟りの形は違う、と。

悟りという名の山に皆が登っている途中なわけですが、山の頂へと伸びる道は、1本ではない。
そして、山も1つではないかもしれません。

そうなると、先ほどの「涅槃というスペース」があまりに限定的すぎるように感じます。

にしき鯉さんが、想定されたとは思いませんが、六道輪廻を想起しました。

人は、6つの世界をローテーションよろしくグルグル転生を繰り返す定めであり、そのくびきから逃れる事を、解脱といい、その境地を涅槃とする考えです。

仏教で言う転生輪廻は、、これだと思っている人も多いようです。


> 釈迦はそれを瞑想でダイレクトに理解できたから「私の迷いの生は終わった、もはやこの世に再生することはないであろう」と言い残したのだと思っています

 「私の迷いの生は終わった、もはやこの世に再生することはないであろう」
 この言葉の真意ですが、2通りに取れると思います。
 まず1つは、cosmo77さんの言われました、
 「菩薩になりますと 煩悩からの苦しみの転生はなくなり 地上を救済する使命をもって 生まれてくるそうです」
 という面です。
 菩薩以上になりますと、個人的事情での転生はしないという事ですが、しかし釈迦は「もう再生しない」と断言しています。

 また、釈迦はアラハンの世界から地上に生まれてきたわけではないはずです。
 たぶん菩薩界からでもないでしょう。
 既に菩薩以上の階層から生まれてきた釈迦が、「菩薩の境地に達したから迷いの生は終わった」、と言うでしょうか・・・。

 2つ目に考えれる意味は、釈迦が宇宙即我の体験をした時の、神との会話の内容からの推測です。
 神は、今にも根源神の意識と1体にならんとする釈迦に言いました。
 「お前は、まだ神になることを許されておらぬ。お前にはまだ使命がのこっているだろう」と。
 釈迦は
 「そうだ、まだ私には執着が残っている。衆生を救いたいという聖なる執着が」
と言って肉体に戻るのです。

釈迦の「もう生まれることはない」という言葉は、今生でその聖なる執着をも決着させる意気込みを語ったもの、もしくは一応の満足をした時の言葉かもしれません。



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from: hikaru0827さん

2009年11月18日 11時31分26秒

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「Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ

涅槃・涅槃寂静について、ですが
もうすこしお時間くださいね。

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from: ueyonabaruさん

2009年11月17日 11時59分38秒

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「Re:Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ

> すみません、私のは我流なので、、、
> 基本的な瞑想方法は「ヴィパッサナー瞑想」
> http://www.meisou1.com/
> で、見るといいと思います
> もっとも釈迦が多用していたといわれる方法です
> 他で密教系ですと梵字を眉間にイメージする方法
> 息を8秒で吸って16秒止めて、8秒で吐く(数息観)などもあります
> 私がやっていたのは佐保田鶴治訳の「ヨーガ根本経典」でした
> 一般の体操(アーサナ)ではなく純粋に心の内側に入っていく行法が中心のラジャ・ヨーガというものでした
> 霊的覚醒のためのムドラー、体のエネルギーを感じるためのクリア・ヨーガ(浄化法)、心を静め思索するための観想などでした

 ご自分で勉強されたんですか。よほど、ヨガなどがお好きだったのですね。私の知り合いの者にもそのような方がおります。とにかく好きなようなんです。前世で、インドあたりでそのような修行をされていたのかもしれませんね。 



> 私は釈迦はひたすらに集中をして「苦しみの原理」に対しての思索をしていたんではないかと思っています
> そして彼が得たものは理論上のゴールではなくインスピレーションのゴールではなかったでしょうか?

 苦しみの原理ですが、四苦八苦という言葉がありますね。意味も考えず、ただ相当に苦しいということをいうのだろうと思っておりました。

 お釈迦様は、ホントに人間の苦しみを見つめていらっしゃいます。生・老・病・死の四苦についてはあまり説明は要りませんね。ただし、生については、生きていく苦しみとわたしは思い違えておりました。幸福の科学では、生まれる苦しみになりますね。

 あと、八苦なのですが、怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五陰盛苦とさらに人間の苦しみを分類されました。ここらあたりは知らない人が多いと思います。お釈迦様の透徹した眼に感服するばかりです。

 友人などに宗教の話をするときに、この四苦八苦から始めます。身近なことを取り上げ、お釈迦様の教えの宣伝をしております。



> 瞑想を続けた後、眠るとよく夢を見ます、
> その中で、とても自分らしくない自分がいます、自我が吹っ飛んだように別人格の自分がいるんですよ
> それを見ているだけの自分が、又、いるんですよ
> ちょっとパラノイアの状態ですね
> 真理というのは善悪を超えたものだと思っています

 瞑想については、以前にも申しましたが、私の場合は少々敬遠気味です。私は元は「生長の家」の信者ですが、そこでも瞑想の修法があります。神想観といいますが、実相世界を瞑想するものです。

 ここでの経験ですが、体調がすぐれないときなどに神想観をすると悪影響があるということがありました。それ以来、瞑想から遠ざかっております。これは大切なものですので、いずれ再開したい気持ちはあります。幸福の科学の精舎で瞑想行があるようですので、機会を得て、そこで実践しようかと思っております。

 「生長の家」にいたころ、修行道場にいったことがあります。朝から晩まで、宗教のお話とお経と神想観の実習です。心は清まります。やがて、すべてがすばらしいものに見えてきます。そして、道場を去るときには、再び現実世界に帰るのがイヤになるほどの心のたかまりがありました。現実生活に戻らねばなりませんが、そこではもう道場での心のたかまりは忘れてしまっております。その落差は大きいものがあります。

 落差というものが好きではありません。それで、今は、幸福の科学のお経(正心法語など)を毎日読むだけの行はしますが、瞑想は
避けております。瞑想時の心境と現実生活の心境との落差があるんです。私の理想は、ソクラテスのように現実生活をしながら、守護霊の声を聞けるという状態です。声でなくても、ささやきでもいいのです。

 

> 自分が釈迦の教えを求める限り、大川さんの説法でズレを感じたら質問することを許してもらいたいと思います

 こちらこそよろしくお願いします。私は大川隆法をお釈迦さまと言う男ですが、これもお許しくださいね。

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from: にしき鯉さん

2009年11月15日 19時16分05秒

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「Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
ueyonabaruさんへ

<どのようなところで説かれているのかお教え願えますか。出典など、教派など教えてください。>

すみません、私のは我流なので、、、

基本的な瞑想方法は「ヴィパッサナー瞑想」
http://www.meisou1.com/
で、見るといいと思います
もっとも釈迦が多用していたといわれる方法です

他で密教系ですと梵字を眉間にイメージする方法
息を8秒で吸って16秒止めて、8秒で吐く(数息観)などもあります

私がやっていたのは佐保田鶴治訳の「ヨーガ根本経典」でした
一般の体操(アーサナ)ではなく純粋に心の内側に入っていく行法が中心のラジャ・ヨーガというものでした

霊的覚醒のためのムドラー、体のエネルギーを感じるためのクリア・ヨーガ(浄化法)、心を静め思索するための観想などでした

しかし、ヨーガには生き方の指針となるような教えが少なかったのです(他を害するなとかはありましたが)
その後、仏教に出会い、釈迦の生き方に傾倒していきました

<八正道そのものが反省のように思いますが、いかがでしょう>
そうかも知れません、それも正しい解釈だと思います

私は釈迦はひたすらに集中をして「苦しみの原理」に対しての思索をしていたんではないかと思っています
そして彼が得たものは理論上のゴールではなくインスピレーションのゴールではなかったでしょうか?

瞑想を続けた後、眠るとよく夢を見ます、
その中で、とても自分らしくない自分がいます、自我が吹っ飛んだように別人格の自分がいるんですよ
それを見ているだけの自分が、又、いるんですよ
ちょっとパラノイアの状態ですね

「四正道の反省の意味合い」と「涅槃の三宝印」は了解しました

真理というのは善悪を超えたものだと思っています

自分が釈迦の教えを求める限り、大川さんの説法でズレを感じたら質問することを許してもらいたいと思います








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from: にしき鯉さん

2009年11月15日 17時12分06秒

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「Re:Re:釈迦の本心を読んで・・」
cosmo77さんへ

<涅槃ていうのは確か 阿羅漢になった方が到達できる心境だったかと思います>

その通りです
阿羅漢の境涯で瞑想を続けると「涅槃寂静」を垣間見ると言われています
そして死後、涅槃(一般には再生不可)に入るか、菩薩として転生するかは本人がその時の状態で決めるようです(菩薩として生きる人はそれからが本当の大乗と言われています)=(チベット仏教)

実際には「言うは易し、行うは難し」で「他の者を救いたい」と考えている人は多くても、「現実の世界に転生」してつぶれてしまう方も多いようです、やはり、その人それぞれの心のうつわの奥深さによるものではないでしょうか?

<通常の仏教では確か 菩薩=仏陀 というのもあったと思いますが 幸福の科学では 仏陀は 大如来 9次元であり 菩薩は 7次元で かなり差があります>

そうですね、ブッダという言葉は目覚めた人という意味ですから
阿羅漢も目覚めた人には違いないと思います
如来(タターガタ)に関してはいろいろな解釈(仏の十号とか)があるのですが文献的なものは専門家にまかせるとして、、、

私が思うに如来は何度も何度も他人を救うために転生しているのではないか、そしてそのたびに独自の教説や修行法を説いているのではないか、パドマ・サンババァやダライ・ラマなどもそういう方だと思います、菩薩とは「如来の一面」を勉強した魂みたいな受け止め方をしています








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from: ueyonabaruさん

2009年11月15日 15時02分10秒

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「Re:釈迦の本心を読んで・・」
にしき鯉さんへ 


> > 瞑想は「集中」「思索」「観想」で構成されていますがその中で反省はありません
> (瞑想中で得た事が現実生活に戻った時に役に立つ事はありますが、、、)

 瞑想の構成はそのようになっているのですか。知りませんでした。勉強になります。このことは、どのようなところで説かれているのかお教え願えますか。出典など、教派など教えてください。



> 反省という言葉は「自分のやってきたことをふり返り見つめなおす」事が大まかな意味です
>
> 釈迦は出家して苦行をしていました、その後、苦行を捨て瞑想中心に修行を進めるわけですが、日々の何を反省していたのでしょうか?

 八正道そのものが反省のように思いますが、いかがでしょう。



> 私には「四正道」の中の反省を無理やり押し付けたように感じました(すみません)

 八正道を簡略化して四正道にしたと思うんです。現代に有効にしようとのお考えではないかと推察します。八正道では、少し現代人には面倒くさいはずです。勝手に変えるなとのご意見もあろうかと思いますが、大川先生は伝統仏教をそのまま踏襲しなければならないとのお考えはないと思われますので、独創的な修行方法など独自のものを出されます。これが、大川仏教とお考えください。



> 釈迦は論理的な人で「他人を思い通りに変える」ような思想は持っていなかったと思います
> どうも言葉の端々に独善的解釈を交え、釈迦を捻じ曲げているように感じるのは私だけでしょうか
>
 そのおっしゃる独善というものは、独自のものと受け取ります。この独自のものが、ホンモノかどうかは受け取るものが判断していかねばなりません。伝統仏教とは異なる面はいくつも出てきていると思います。



> 一般には肉体的「苦行」なども釈迦は否定したと言われていますがそれは釈迦自身が経験して「それだけでは最後の悟りまではいけない」から薦めなかったのだと思っています
> 実際に心の痛みも苦痛ですが肉体的な痛みにも人間は弱いんですよ
> いつでも止められる状況の中で「苦行」を自分の意思で続けることは心の強化に他なりません
> スポーツでも武道でも肉体的鍛錬は必要です
> しかし宗教では「中道」の一言でそれらを排除しています
> とらわれではなく「肉体的苦行」の中にも得るものはたくさんあります

 確かにおっしゃるとおりです。肉体的な痛みに人間は弱いですね。それを耐えていく訓練は、心を強くしてくれます。
 石原慎太郎氏が、比叡山で千日回峰行を何度もやった方との対話のことを書いております。その修行者の言うには、特にとりたてて言うようなものはなかったという意味のことを語ります。この方にとっては、苦行も、悟りの大きな因にはならなかったのですね。
 バランスなんでしょうね。人によっても違うのでしょう。カントがしたように、毎日一定の時刻に散歩するのも思索にはいいでしょうね。
 
 

> 総じて感じたのは釈迦が説いた「涅槃」の定義はどう説明されているんでしょうか
> それを抜きにしては大乗、小乗ともに成り立たないような気がするのですが、、、

 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静をもって、仏の三法印と教えてもらっております。この三つがあれば、形は違えど仏教のうちに入るということですね。仏教徒の最終の目的が、この涅槃寂静という境地にはいるということです。涅槃とは解脱の意味ですが、涅槃が境地を示すのに対し、解脱はそこにいたる過程の意味をもつ場合があるということです。以上は、「悟りの挑戦 下巻」に書かれていることですが、先生は色々と書いておられるので、まとめるのは大変です。



 にしき鯉さんは、このご本を読むのに、分析的な見方でお読みになったように感じます。

 私の場合は、この方がお釈迦様であると思っていながら読むのです。ご本人が再誕のブッダだとおっしゃっております。このことばを念頭に置き、それは確かなことだろうかと思い読んでまいりました。この自由自在な論理の展開は、お釈迦様でなければできません。

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from: cosmo77さん

2009年11月14日 22時07分45秒

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「Re:釈迦の本心を読んで・・」

にしき鯉さんへ

横レスすみません

>「涅槃」について

涅槃ていうのは確か 阿羅漢になった方が到達できる心境だったかと思います

阿羅漢果とは 幸福の科学では 6次元最上段階です

その上は菩薩界になります

菩薩になりますと 煩悩からの苦しみの転生はなくなり 地上を救済する使命をもって 生まれてくるそうです

通常の仏教では確か 菩薩=仏陀 というのもあったと思いますが 幸福の科学では 仏陀は 大如来 9次元であり 菩薩は 7次元で かなり差があります

いわゆる 三界というのは 6次元以下の世界のことを言っています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%95%8C

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