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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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公開 メンバー数:152人

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  • from: ueyonabaruさん

    2009年11月26日 11時33分13秒

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    小沢一郎の宗教

     ブログでは、因果論が論じられてきました。非常に興味のあるテ-マですね。

     ところで、因果とは何なんでしょうか。辞書でも定義もあるでしょうが、とりあえず、自分の持つ知見に基づいて定義してみます。おかしければ、即訂正します。

     因果とは原因・結果の法則である。原因があり、それに条件(縁)が備わり結果をもたらす。

     と、このように簡単な定義をしたいと思います。

     因果論はある意味単純な理解しやすい法則であると思います。未開の人間にとっても、幼いものにとっても自然に分かる法則であると言えましょう。

     仏教は、唯一神を認めないで、因果、縁起の法で教えが成り立っているような感がいたします。そして、悟りです。



     ここで、表題の件について愚見を申します。最近の新聞報道で知りましたが、小沢一郎さんが天台宗の比叡山を訪れたそうです。
     同じくその後の報道によると、小沢さんが、西洋の宗教は唯一神を信じるので、争いが起こる、戦争が絶えないという風なことをおっしゃったようですね。これが、キリスト教批判ではないのかとの物議をかもしたようなことも報道されました。これからすると、小沢さんは、親仏教的な宗教観がおありのようですね。

     小沢さんのような考え方は、巷には多くある考えでもあります。この間の衆議院選挙のときに、幸福実現党とチャンネル桜の論客との議論においても、チャンネル桜の論客は、実現党の掲げる憲法草案前文の文言において、神仏の心を心としてというくだりに猛反発をされました。いわく、キリスト教の神概念と仏教の考え方は天地の開きがあり、両者の融和はありえないと。憲法前文がおかしいというのです。その論客氏は禅宗をやったということを言っておられました。

     仏教とキリスト教はどのようにしたら、融和が図れるでしょうか。一般に、仏教は悟りの宗教で、キリスト教は唯一神へのひたすらの帰依を求める宗教であるとされております。 

     キリスト教と仏教の融和のこと、また、幸福の科学のこれについての考え方について、皆さんのご意見を伺えませんか。 

     

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コメント: 全7件

from: ueyonabaruさん

2009年11月30日 18時57分37秒

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「Re:Re:小沢一郎の宗教」
cosmo77みなさんへ


> ><神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
> >神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?
> >相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか
>
>
> チャンネル桜のクリスチャンの方が言われていたのは 確か キリスト教では 人間は神の子ではない 神の子はキリストです
> 人間を神の子とすることは傲慢であり認められない というお話だったと記憶していますが。

 そうでしたね。でも、彼の捉え方は、すべてのキリスト教に共通するものでもありません。カトリックでさえ、いつでしたか、神の光はキリスト教以外にも降りているということを公表したようです(私の叔母で、カトリックの修道女の言)。スウェ-デンボルグの教会もあるようですが、ずいぶんと融和的なキリスト教です(ネットで調べられます)。そして、アメリカのエマ-ソンから始まる光明思想がありますね。ここでは、イエスのみを貴しとする考えから脱皮し、各人に宿る神性を強調しております。
>

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from: ueyonabaruさん

2009年11月30日 18時44分41秒

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「Re:Re:Re:小沢一郎の宗教」
hikaru0827さんみなさんへ


> 大きく、みんなが正しいと思える枠を設定する事は可能ではないでしょうか。
> 全ての、宗派共通、とはいかないでしょうけど…。

 それは可能だと思うんです。この表現ではどうだろうかと、それぞれの宗教関係者に根回しをするとかの手段が考えられます。

 日本人の多くが、宗教を考えるようにするためには、幸福実現党がやったように、憲法草案の前文に入れるということをおおっぴらに提言し皆にショックを与えることも必要なことであり、今後とも幸福実現党この姿勢は変わらないだろうと思います。社会は改革を求めているようです。民主党の改革もその一つではあるでしょうが、これには不安も大きいのです。民主党が成功すればよいのですが、大きな失敗に終わらないか、危惧しております。

 昨日当方の属する南部支部に初めて行き、教義を良く知っている方とお話しする機会がありました。その方の信仰心は堅く、エル・カンタ-レ信仰をストレ-トに主張する段階に来ているとのことを申しておりましたが、これは私も同感です。幸福実現党が立党してから、内部でなにか変わってきたような気がします。

 その日は、相談事があり支部を訪れたのですが、まず支部長にお会いしたいと申しましたら、私が支部長だというので、Yさんの冗談かと思いました。プロの支部長にお会いしたいのだと再度申しましたら、これまでのプロの方々は、これからは海外伝道などに振り向けられることになったので、全国の支部はすべてが基本的には普通の会員の方々で運営するようになったと言うんです。宗教行事も行うようです。事務なども含め、すべてが、ボランティヤ-で運営するそうです。ビックリです。まるで、アメリカの西部開拓時代に、開拓民達が自前で教会をつくっていったようなものですね。すごいです。こんな組織はほかにあるでしょうか。カトリック修道院は独立運営をする点で少し似ているかもしれませんね。キリスト教の新教も独立運営ですね。まあ-とにかく感動しました。

 私の属する南部支部は、つい2カ月前に落成したばかりですが、かなり立派な建物であり、駐車場は30台もとめられるものです。
多くの方々の布施があったようです。幸福の科学の教えでは、大黒天とも言うべき方々が、各地にはいるということのようで、思わぬ寄進があるようですね。私も、大黒天になりたいものです。
 

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from: ueyonabaruさん

2009年11月30日 17時53分51秒

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「Re:Re:小沢一郎の宗教」
 にしき鯉さんみなさんへ


> 融和は無理だと考えています、しかし共存は可能だと思います
> 私は友達にイスラム教の人やキリスト教の人もいます
> しかし、改宗は勧めません、なぜなら考え方の土台が違うからです
> 同じ仏教徒なら教義の理解も含めて話し合う事はありますが、、、

 融和は難しく思えますが・・・。同じく仏教でも、曹洞宗と念仏宗、創価学会を並べても、とてもじゃないがケンカにしかならないような気がします。ましてや、外国のキリスト教、回教などはさらに難しく思えてきますね。

 幸福の科学の信者の私としては、この難問について挑戦したい気持ちがあります。



> イスラム教の人は人生の中で教義が完結しています 
> 他を受け入れる要素はほとんどありません

 イスラムの国の方とあるカフェ-で少しお話したことがあります。酒を飲まないのですね。酒を飲まないのら、カフェ-など来なければいいのにと後で思いましたが、同時に我々日本人の知らない宗教の影響力のことを思い知りました。


人はいろんな考えがある、しかし、政治になると何を決めるにも
> 「定義」が必要になります
> 定義は万人が納得できるものでなくてはなりません
>
> <神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
> 神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?

 そうです。チャンネル桜の水島さんは、自身が禅宗をやっておられるので、なにを言い出すかという感じでしたね。こいつらは仏教とキリスト教の違いも知らないと思われたでしょう。水島さんは、日本主義者であり、神道の天皇主義者であるようです。この方の活動には賛同できるところが多いのです。私のみならず、幸福の科学の友だちも私同様、好感をもっているようです。幸福の科学のことを彼ら、右翼に理解をしてもらいたいのですが、時間はかかるでしょうね。



> 相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか

 個人的なお付き合いは紳士的にできると思うのですが、集団となり、国家となるとこれが非常に難しくなります。



> 政治に宗教を持ち込む事は時期が早すぎるのではないかとも思います
> 現状ではどっちが正しいかという摩擦にしかなりません

 おっしゃる通りではあります。しかし、幸福の科学の理想を世間にぶち上げて宗教論争でも起こって欲しい気持ちがあります。

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from: hikaru0827さん

2009年11月29日 19時00分29秒

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「Re:Re:小沢一郎の宗教」
みなさんへ

> チャンネル桜のクリスチャンの方が言われていたのは 確か キリスト教では 人間は神の子ではない 神の子はキリストです
> 人間を神の子とすることは傲慢であり認められない というお話だったと記憶していますが。。
>

なるほど。つまり、

『 ●神仏=畏れ多い尊ぶべき存在
として、
神仏の心を心として 』

ならOKなのでは?


ところで、小沢一郎の過去世にアジャセ王子ありませんでしたっけ?
となると、仏教とは縁深いですね。

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from: cosmo77さん

2009年11月29日 16時00分29秒

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「Re:小沢一郎の宗教」

><神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
>神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?
>相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか


チャンネル桜のクリスチャンの方が言われていたのは 確か キリスト教では 人間は神の子ではない 神の子はキリストです
人間を神の子とすることは傲慢であり認められない というお話だったと記憶していますが。。

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from: hikaru0827さん

2009年11月28日 15時59分18秒

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「Re:Re:小沢一郎の宗教」

> <神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
> 神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?
>
> 相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか
>
> 政治に宗教を持ち込む事は時期が早すぎるのではないかとも思います
> 現状ではどっちが正しいかという摩擦にしかなりません


今でも、世界宗教者会議など、(正式名は知りませんが)ありますし、日本でも同様な集まりがあるようです。

全ての、細かな教義が、一致しなくても、大きな部分で共通の認識を持てれば、その上で政治的な話し合いは、可能ではないでしょうか。
大きな部分…例えば、
●神仏=畏れ多い尊ぶべき存在 
●重要な思想=慈悲や愛の精神・自助努力の精神、ほかに自由・平等・平和・調和・正義・発展…。

大きく、みんなが正しいと思える枠を設定する事は可能ではないでしょうか。
全ての、宗派共通、とはいかないでしょうけど…。

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from: にしき鯉さん

2009年11月26日 20時23分17秒

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「Re:小沢一郎の宗教」

ueyonabaru さんへ

< キリスト教と仏教の融和のこと、また、幸福の科学のこれについての考え方について、皆さんのご意見を伺えませんか。>

融和は無理だと考えています、しかし共存は可能だと思います
私は友達にイスラム教の人やキリスト教の人もいます
しかし、改宗は勧めません、なぜなら考え方の土台が違うからです
同じ仏教徒なら教義の理解も含めて話し合う事はありますが、、、

イスラム教の人は人生の中で教義が完結しています 
他を受け入れる要素はほとんどありません

キリスト教は人間として幸福に生きるなら最高に美しい宗教だと思います、キリスト教を納得できる人は素直な人です
それはそれでいいと思っています

人はいろんな考えがある、しかし、政治になると何を決めるにも
「定義」が必要になります
定義は万人が納得できるものでなくてはなりません

<神仏の心を心としてというくだり>は神と仏の定義をしないまま
神仏の心という言い方をしたので反発を買ったのではないでしょうか?

相手の宗教を同等と考え、認めた上で人間同士のつきあいをすればいいんではないでしょうか

政治に宗教を持ち込む事は時期が早すぎるのではないかとも思います
現状ではどっちが正しいかという摩擦にしかなりません

 

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