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from: hikaru0827さん
2009年12月02日 05時46分09秒
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「即」考
「一即多、多即一」は、書籍では、如来の存在形式の話で、出てきます。
内容は以下のように解釈してます。
人間の本質を霊的エネルギーと捉えて、その統一意識を「一」と数えます。
しかしながら、その能力は、一度に多数の仕事をこなします。その仕事数だけ、意識も分派しますから、それをもって「多」とします。
八不中道(不一不異・不生不滅・不来不去・不常不断)と同様な、空の説明と思えます。
対して、「一即一切、一切即一」は、時間縁起と空間縁起を表すものと、私は捉えました。
皆さんの話を聞いて、「即」について見直しました。
仏教で「即」はよく使われますが、結構幅広く解釈されています。
色即是空の「即」は、イコールでしょうか?
「即」の意味を確認しました。以下
1.すぐに(即日)
2.接する・位置に着く(即位・不即不離)
3.すなわち・つまり(当位即妙)
4.同等で差別のない
「当位即妙… その立場、在り方のままに、真理にかなっている」
当位と妙は、同等の言葉ではなく、妙は当位の説明する言葉であり、4の、「当位とはすなわち〜」といった使い方です。
「すなわち」なら、例えば、このような使い方も出来ます。
「リンゴとは、すなわち、果物である」
しかし、この場合、果物とリンゴを入れ替えた文章は成り立ちません。
リンゴは、必要条件ですが十分条件ではありません。
対して、色即是空・空即是色…これは敢えて言葉を入れ替えています。
しかし、全くのイコールなら色やら空やら、違う言葉を使い分けません。
なにかしら見え方や、現れ方が違うからでしょう。
となると、この「即」は「その本質は」という意味合いでしょうか。
同じ「すなわち」でも、様々な使われ方があるようです。
2つの言葉の、何が同等だと言っているのかを見抜かねばならないのでしょうね。
コメント: 全11件
from: にしき鯉さん
2009年12月10日 17時49分34秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:「即」考」
ueyonabaruさんへ
返事がおそくなってすみませんでした
< 頻繁に支部へ通うことがないので、詳しくは分かりません。私の友人が脱会したあと、色々とお話しすることはありました。ただ、本人の意思なので、強く説得はしませんでした。これは、私のできるケア-です>
それでいいんだと思います
多くの方が希望をもって入会されたのだと思います、
それが続けていく内に矛盾を感じたり、聖なる人たちの集まりだと思ったのがそうではなかった、とかはどこの団体でもある事です
ただ、脱会したのと「希望を放棄」したのとは違うと思うので聞いてみました
どんな形であれ「真理を求める」気持ちに歯止めはなく、又、何かしらの縁で巡りあうと思っています
それが「挫折した」とか「地獄に落ちる」とか言われるのはとても悲しいことです
一生懸命やっていればいるほど離脱するときは悲しみがついてまわります
ueyonabaruさんのように止めるでもなく話を聞いてあげることが
一番のケアーだと思います
ありがとうございました
from: hiraokaさん
2009年12月10日 00時46分26秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:「即」考」
みなさん、こんばんは。
体力不足のため、返事が遅れ気味になるかも知れません。
>hikaru0827さん
ふと思ったのですが、・・・
「あまりにも出来すぎた偶然は、必然に違いない」
↑これでしたら、hikaru,kosmo折衷できそうです。 (*^_^*)
>不完全と見える事象や存在は、実は「不完全なもの」ではなく、「未だ完全ではないが、完全になろうとしているもの」ではないでしょうか?
完全なる神が存在するとして、その神が創造された多くの原石に与えられた性質が、向上指向であり、神はその成長過程を楽しんでいるとすると考えます。
これは、完全不完全の矛盾の説明になりませんか?
いえ、ぼくが書いた事はそう云う意味のことではありませんです。
「凡ては偶然である」とすると、「偶然であることが、すなわち必然である」と云うことになり自己矛盾します。
「凡ては必然である」とすると、「原初の必然が決まったのは、偶然であるか必然であるか?」と堂々巡りをします。
ですが、hikaruさんの言う意味はわかります。
時間の経過はかならず進化に繋がるでしょうか?
大きなスパンで見ればそうかも知れません。
しかし人生のような限られたスパンでは、行きつ戻りつが普通であろうと思います。
hikaruさんはまじめな方ですので「進化、進歩、向上」を哲学に盛り込まれると思います。
「必然」に重点を置かれるのも、そうかもしれません。
ですが、「遊び」も重要な経験であろうと思われます。
「後退」に見えるものも、神にとっては重要な経験かも知れません。
だとすると、ここは「向上」であるよりも、「変化」と「変化を経験する場」が人生であるかも知れませんね。
>ueyonabaruさん
>ともあれ、大川先生のこの自信はどこから出てくるのでしょうか。ここで、イエス様の言葉を引いてみます。ヨハネ伝14「私は道であり、真理であり、いのちである。・・・・・・・・・
>この聖書の言葉にあるとおり、イエス様の自信も相当なものです。大川先生によく似ておりますね。
ueyonabaruさん、これは「最後の晩餐」で語られた究極の言葉なのですよ。
ちょうど、釈尊の入滅まぎわに悲しみ不安がる弟子達の問いに対する言葉と同じものです。
大川さんの「エル・カンターレ宣言」の自身表明とはまったく違うものに思えます。
釈尊「(私は私の知る凡てをあなたたちに語り、そのように生き、あなたたちはそれを見聞きしてきた。)わたし亡き後は『自灯明、法灯明』・・・・」
イエス「(愛するトマスよ。あなたは道が分からなくなると言う。だが、案ずることは何も無いのだ。わたしはあなたの前に道を示してきたではないか。わたしが行ったように行えばよいのだ。)私は道であり、真理であり、いのちである。・・・・・・」
福音書のトマスのくだりの直後、ピリポに対する言葉にぼくの解釈(かっこの部分)と同じことが書いてあります。
イエスの自信過剰が言わしめたものではなく、不安がるトマスに勇気を与えるために言った言葉だと解釈しています。
イエスはトマスに「私が全責任を負う」と宣言したのだと思っています。
ちょうど、不安がる子供をやさしくなだめる父親のようにです。
>救世主ともなると、このような言葉を発するのではないでしょうか。幸福の科学はある一面、キリスト教と非常によく似ております。
上に書きましたように、まったく似ていないと思います。
ですが、犠牲精神を価値あるものと認めつつも、それを薦めない大川さんの説は共感します。
これは、レ・ミゼラブルのような悲劇ですから。
しかし、大川さんの言説行動決断には、弱者への救済が薄いようです。
また、最高心霊エル・カンターレと宣言してのち、いつまで経っても人類の多くが共感でき得るような提案を示しておりません。
ほんとうに大川さんが救世主であるならば、もうすでに大きなうねりになっていると思われます。
大川さんがエル・カンターレの法を具体的に述べて下さったら、再度検討するつもりではありますが・・・・・・。
> ニ-チェは恐い人だという印象がありますので、読んではおりません。一方、すごく思索の深い方であるとの感じがあります。
ぼくもそうでした・・・・。 (^.^)
しかし、ちょっともったいない偏見であったかも知れません。
そもそも、「不敬罪」なるものを考案したのは人間です。
ぼくは「不敬罪」なる「罪」と云うものは、神に対する「おべっか」が原理にあると思います。
もう一つの面には、人を一つにまとめる効能があると思います。
国家も社会も会社も家庭もスケールこそ違え、ほぼ相似の原理が一般的に使われているようです。
>日本の税理士界の草創のときに大きな仕事をした方のTV番組がありました。名前は忘れたのですが、税理士の独立の地位を確立するキッカケを創った方のようです。その方は、ドイツに行かれ、そこでドイツ人に向けての講演をしたのですが、その際、ニ-チェの言葉を引き合いにしてお話されました。
TKCの創設者のことではないでしょうか?
余談ですが、ueyonabaruさんのところは個人経営でしょうか、それとも法人でしょうか?
もし、個人経営であまり儲かっていない上に計理士さんに委託しているのでしたら、個人レターをください。 (^.^)
>上のニ-チェの言葉ですが、私の心理状況を見つめたときには、これとは若干異なるように思います。
>[99]だれも自己を離れて思考をすることはできないのではないでしょうか。「鵜呑みにする」という言葉がでてきましたが、これは一時的に大川さんの言説に同感している状況であり、やがて別の言説に同感するようになれば、結局は大川さんから離れていくということもありえますね。腑におちるまでの理解が進まねば、あっちへいったり、こっちに行ったりでどうしても落ち着きません。
ueyonabaruさんの「腑におちるまでの理解が進まねば、あっちへいったり、こっちに行ったりでどうしても落ち着きません。」
↑これが、ニーチェの言う恐怖心のようです。西洋流誇張表現とお考えください。
> ニ-チェの有名な言葉に、「神は死んだ」というのがありますが、その辺のところかいつまんで教えていただけますか。
すみません、ぼくはニーチェをよく知っているとは言えないのです。
ぼくの感想ですが、「究極の自力本願の薦め」ではないでしょうか?
そうとうな秀才であったことは間違いないようです。
正岡子規の場合のように妹さんの尽力が相当に大きかったようです。
箴言には、いいものが多くあるようです。
さて、「神は死んだ」ですが、なぜ宗教家のほとんどはこの言葉を嫌うのでしょうか。
なぜ、この言葉を「神に対する冒涜」と思うのでしょうか?
神学家の「神の定義」からすれば、「神を傷つけることなどできない」はずなのに・・・・。
しかも、「神のような許しと寛容と理解」を旗印にしている宗教家であるはずなのに・・・・。
「神は死んだ」は、人智の限界を知るものにとってはある意味こっけいな言葉ですが、逆になんでもかんでも人智を超えたように見えるものについて原因を神に帰してしまうよりはましな効果があるかも知れませんね。
from: hikaru0827さん
2009年12月09日 18時43分30秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:「即」考」
にしき鯉さん・ueyonabaruさんへ
> アフタ-ケア-については、重要なご指摘だと思いました。どうでしょうか、幸福の科学の信者さんはおとなしい方が多いので、強く勧誘するようなことはしないのではないでしょうか。
少し、話が違うかもしれませんが、
布施(物施)に関しての、会員さんのケアについて思うところを述べます。
布施する側については、先に触れました。
もう一つ、布施を受け取る側も、少し考慮が要るのではないか、と思いました。
具体的には、支部のスタッフになろうかと思います。
または、チームの人でもかまいません。
その人が、しようとしている物施が、適正なものかどうか、布施されようとしている人と、一緒に考えてあげてほしいのです。
支部としては、目標数が設定されていれば、「あげる」と言われれば、「喜んで」となるかもしれませんが、それで無理な寄進をさせては、本末転倒です。
目標値の設定は、「手段」であって「目標」ではありません。
支部においては「適正な布施」を見守る担当者を置いてほしいですね。
今でも「植福部」でしょうか?そちらで常に留意するポイントとして押さえてほしいと思います。
from: hikaru0827さん
2009年12月09日 16時47分31秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:「即」考」
にしき鯉さんへ
>布施そのものは奨励されるべきものだと思いますが、家庭を壊すような布施はどう思いますか?
>幸福の科学では布施(財施、寄進)についてどのような意味に捉えていますか
これは、物施に限って、という意味ですね。
このサイトを見ておられるかもしれない会員さんへ、僭越ですがアドバイスを書かせていただき、それを、にしき鯉さんへの回答としたいと思います。
1.無理をしない。
…先生はこの世と、あの世と両方での幸せを目指せと言われています。この世での生活をないがしろにしないでください。
2.貧者の1灯とは、貧者なりの精一杯の財を投げ出せ、という事ではありません。
「まごころ」を込めよ、という意味に捉えて下さい。
金銭の多寡が問題ではありません。
その「まごころ」が、天の倉に積まれるのです。
3.布施をしないことは、信仰心がない、という事ではありません。
逆に、布施をすることで、自らの信仰心を確認しているのではないか?
他人に、信仰心を疑われる事を恐れているだけではないか?
と自らの心に問うてみてください。(私がそうでした)
以上です。
追伸 昔、講演会場にて書籍販売(売り歩き)のボランティアをしていたことがありますが、当時の関西本部婦人部長を見つけ、勧めましたが見事断られました。
少し、驚きました。
お金を出すことが、偉いこととは限りません、という事です。
from: ueyonabaruさん
2009年12月08日 11時27分11秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:「即」考」
にしき鯉さんへ
> 後、ueyonabaruさんに聞きたいのですが退会した者のケアなどは全然ないのでしょうか?
頻繁に支部へ通うことがないので、詳しくは分かりません。私の友人が脱会したあと、色々とお話しすることはありました。ただ、本人の意思なので、強く説得はしませんでした。これは、私のできるケア-です。
アフタ-ケア-については、重要なご指摘だと思いました。どうでしょうか、幸福の科学の信者さんはおとなしい方が多いので、強く勧誘するようなことはしないのではないでしょうか。
from: にしき鯉さん
2009年12月07日 23時28分07秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:「即」考」
hikaru0827 さんへ
<エルカンターレという名の9次元霊の意識体から、その分霊として、釈尊であったり、ヘルメスであったり、ラ・ムーであったりが地上にて使命を果たされるようです。
で、釈尊や、ヘルメスは9次元意識として、帰天されたようですが、もともと9次元霊の分霊であったにもかかわらず、8次元や、7次元に帰る事になる場合もあるようです。>
その教えをhikaru0827は信じているわけですね、わかりました
私の経験からいえば「魂の分化」というより「意識の分化」はあります
しかし、時間を越えて同時に存在することは有り得ないと確信しています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大川さんの本を読んで感じるのは自画自賛が多いことです
「霊界散歩」でも須弥山の上に行ったらインドの神々に最高の神の称号ををもらったとか、、、、
自分が日蓮を指導したとか、イエスを指導したとか、、、
これをueyonabaru さんは「自信」と取っているようですが、本当にそうでしょうか?
救世主や聖者にはその人なりの方法がある事は認めますが、、、
しかし、政治に参加の話でも自分たちの意見をいっているだけでしたよ
総てが一方的なんです(国家神道反対も含めて)
これは大川さん本人が出なかった事もあると思いますが、、
霊言集はズレがでてきたら廃刊
法の話でも、原始経典と照らし合わせもしない
世界観にしても、仏教と違う世界観を出してるのだから対比の説明がいると思う
私には未だに九次元世界の区分けがわかりません
信仰心が強いとか弱いではなく「構築された世界観」が見えないんです
・・・・・・・・・・・・・・
hikaru0827さんに一つ質問があります
反幸福の科学のサイトでは布施の事で窮地に立っている方が多くみられます
3〜400万の財を妻が教団につぎ込み、生活もままならない家族がいました
布施そのものは奨励されるべきものだと思いますが、家庭を壊すような布施はどう思いますか?
幸福の科学では布施(財施、寄進)についてどのような意味に捉えていますか
後、ueyonabaruさんに聞きたいのですが退会した者のケアなどは全然ないのでしょうか?
from: hikaru0827さん
2009年12月06日 01時00分53秒
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「Re:Re:Re:Re:「即」考」
にしき鯉さんへ
> 現在、地球にいる十体の九次元霊は、ある程度、先生役としての使命を果たすために創られた霊です(P218)
>
> 1 釈迦(ラ・ムー)
> 2 イエスキリスト(アガシャー)
> 3 孔子
> 4 マヌ
> 5 マイトレーヤー
> 6 クート・フーミー(ニュートン、アルキメデス)
> 7 ゼウス
> 8 ゾロアスター
> 9 モーセ
> 10 エンリル(アラー)
>
> マイトレーヤー、ゼウス、アラーはこの地球に存在していたんですか?
マイトレーヤーについては、アトランティス文明の時代に活躍したそうですが、以来地上には出てないとの事です。
ゼウスは、ギリシャにて宗教家兼政治家として、地球の歴史の中で実在したようです。
日本神話の神々と同様、今では神話としてしか扱われてませんが。
(孔子もそろそろ神話にされそうな話も出てますね)
アラーは、ヤハウェと同一人物で、地上のイエスを指導し、イエスが天の父と呼んだのは、アラーと、釈迦であるとの事です。
エンリル(アラー)は、幾度か、転生されているようです。
9次元霊の転生については、少し説明が必要だと思います。
9次元霊が転生する場合は、その意識体があまりに大きすぎるため、その全てが出陣するわけではないようです。
ですから、エルカンターレという名の9次元霊の意識体から、その分霊として、釈尊であったり、ヘルメスであったり、ラ・ムーであったりが地上にて使命を果たされるようです。
で、釈尊や、ヘルメスは9次元意識として、帰天されたようですが、もともと9次元霊の分霊であったにもかかわらず、8次元や、7次元に帰る事になる場合もあるようです。
> 「現在、地球にいるという表現」だと九次元界ではキリストとアラーが一緒に存在している事になります
> 思想の土台が違う者どうしが存在していてケンカになりませんか?
>
> このあたりを解明する事は宗教の統一に関与できるかも知れませんね
まさに、この9次元におけるイエスや、アラーや、釈迦が、指導し合っていたのだ、という世界観が理解されれば宗教間の争いは無くなっていくのではないかと思います。
ケンカするかどうか、ですが、競争心はあるかもしれません。向上心を持ってお互い切磋琢磨している、という面はあろうかと思います。
しかし、基本的には役割分担がされていて、お互いの仕事を遂行されているようなので、路線争いが起きる、ということはあまりないと思います。
仏教と、イスラム教では、教義は全く違いますが、それはその地域、時代に合わせたものとしての教えです。(それぞれの9次元霊の傾向性も確実に表れてますが)
それは9次元霊も、お互いに理解されている事と存じます。
とはいうものの、実は主導権争い、というものがある事も、明らかにされております。
表の世界、裏の世界と言われるものです。
どちらが、表か?は主導権を握っている方が、自らを表と呼ぶだろうとは思いますが。
これは、9次元だけでなく、霊界全体に表と裏があるということです。
現在、裏と呼ばれる世界は、天狗界・魔法界・仙人界などが言われています。(少し超能力信仰が強い世界のようです)
from: にしき鯉さん
2009年12月05日 08時17分20秒
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「Re:Re:Re:「即」考」
hikaru0827 さんへ
くわしい説明ありがとうございます
<ここに、今こうして座っている私は1人ですが、独りの力で存在しているわけではありません。
まず、私を産み育てた両親の存在と努力があります。その両親にも親が居て…。
一緒に育った兄弟がいて。今の私の知識、経験の土台として、学校生活というものもありました。
社会経験など全て、今現在の私の人格形成に影響しています。
目の前の、パソコンも、その技術を開発する人が居て、作る人が居て、それを売る人が居て、会社同士の関わりも経て、今私が使っています。
私のお腹を満たしている食べ物は、食物連鎖の関わりもありつつ、多くの人の手を経てきたものです。
つまりは、1人1人が独立して存在しているのではなく、全ての人と何らかの形で繋がっている。
お互いに支え合っている関係がある。(相依性)
それが私の言う空間縁起です。>
これこそが「一即多・多即一」だと思っていました
しかし、言葉の定義というものは使う人によって違います
信号機の青といえばブルーのはずですが日本では緑(グリーン)を採用しています
「目に青葉、山ホトトギス、、」などもそうですね
青と緑は使う人によって同義語です、この件、了解しました!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在、地球にいる十体の九次元霊は、ある程度、先生役としての使命を果たすために創られた霊です(P218)
1 釈迦(ラ・ムー)
2 イエスキリスト(アガシャー)
3 孔子
4 マヌ
5 マイトレーヤー
6 クート・フーミー(ニュートン、アルキメデス)
7 ゼウス
8 ゾロアスター
9 モーセ
10 エンリル(アラー)
マイトレーヤー、ゼウス、アラーはこの地球に存在していたんですか?
私は異次元の世界と対話ができた釈迦、キリスト、ムハンマドが言った交信記録というべきものだと考えていたんですが、、、
「現在、地球にいるという表現」だと九次元界ではキリストとアラーが一緒に存在している事になります
思想の土台が違う者どうしが存在していてケンカになりませんか?
このあたりを解明する事は宗教の統一に関与できるかも知れませんね
これはhikaru0827 さんの返事を待ちます
from: hikaru0827さん
2009年12月05日 01時02分41秒
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「Re:Re:「即」考」
にしき鯉さんへ
評価していただきありがとうございます。
みなさん博学で、向上心のある方ばかりで、私も随分、刺激を受け勉強にもなっています。と同時に、こちらでの会話・議論は大きな楽しみにもなっております。
とはいえ、最近は「このままではいけない。学ぶだけでなく、この世界を良くする為に、もっと役に立ちたい」と少し歯がゆい感覚を持っております。
●ご質問の九次元霊については以下の方々です。
1 釈迦(ラ・ムー)
2 イエスキリスト(アガシャー)
3 孔子
4 マヌ
5 マイトレーヤー
6 クート・フーミー(ニュートン、アルキメデス)
7 ゼウス
8 ゾロアスター
9 モーセ
10 エンリル(アラー)
詳しくは「太陽の法」にあります。幸福の科学の原点と言ってよい基本三部作の一冊です。気が向きましたら、どうぞ。
●一即多・多即一
<八次元如来界の霊は「一即多、多即一」というかたちで、いろいろな現れ方が同時にできます。すなわち、同一の霊が複数の場所に同時に現れ、違った姿で、違った仕事をする事ができます。如来になるとこういうことが可能です>
この言葉は、如来の説明として紹介されてますが、
如来独自の能力とか、如来にしか当てはまらない特別な霊能力だ、という意味ではありません。
魂の本質は、心であり、念いであり、霊的エネルギーだと言われています。
しかるに、今三次元で生きる私達は、自己の認識を顔や身体に頼ります。
そういう身体という固定概念を捨て、本来の霊体というものの姿を感得された事により、数の概念を超越するものだと、思います。
他の書籍にて、一即多について、このような説明もありました。
「今この講演会場にて、3万人のみなさんの前で、私が話しをしています。
私にとっては、みなさんは3万人。みなさんにとっては、壇上の私は1人です。
しかし、霊的に見るとそうではありません。
霊的に見ると、皆さん一人ひとりに私が、1人ずつ話をしているのです。
霊的には、私は3万体いて、みなさんと話をしているのです。」
これは、霊や、念いの特性について語られたものであり、神通力の類ではないと思っています。
●時間縁起
これはいわゆる、原因結果の法則です。
私の解釈については、色々発言してますので、承知されていると思います。
●空間縁起
ここに、今こうして座っている私は1人ですが、独りの力で存在しているわけではありません。
まず、私を産み育てた両親の存在と努力があります。その両親にも親が居て…。
一緒に育った兄弟がいて。今の私の知識、経験の土台として、学校生活というものもありました。
社会経験など全て、今現在の私の人格形成に影響しています。
目の前の、パソコンも、その技術を開発する人が居て、作る人が居て、それを売る人が居て、会社同士の関わりも経て、今私が使っています。
私のお腹を満たしている食べ物は、食物連鎖の関わりもありつつ、多くの人の手を経てきたものです。
つまりは、1人1人が独立して存在しているのではなく、全ての人と何らかの形で繋がっている。
お互いに支え合っている関係がある。(相依性)
それが私の言う空間縁起です。
にしき鯉さんが言われた
”好き嫌いに関係なく、あらゆるものが一つにつながり、関わりあって存在しているということ”
”天地同根。万物一体
総てのものは一つのなかにあり、一つは総てと関わっている”
についても、空間縁起の事だと認識しました
from: にしき鯉さん
2009年12月02日 20時01分29秒
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「Re:「即」考」
hikaru0827さん、みなさんへ
「霊界散歩」を読み終えました
P170のくだりです
<八次元如来界の霊は「一即多、多即一」というかたちで、いろいろな現れ方が同時にできます。すなわち、同一の霊が複数の場所に同時に現れ、違った姿で、違った仕事をする事ができます。如来になるとこういうことが可能です>
これは密教でいう六神通の神足通の説明であって「一即多、多即一」とは意味が全く違うと思いますがいかがですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時間縁起と空間縁起について教えてください
あと、現在、地球にいる十体の九次元霊というのは誰と誰なのでしょうか?
よろしくお願いします
from: にしき鯉さん
2009年12月10日 18時09分04秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:「即」考」
hikaru0827 さんへ
<支部においては「適正な布施」を見守る担当者を置いてほしいですね。
今でも「植福部」でしょうか?そちらで常に留意するポイントとして押さえてほしいと思います。>
素晴らしい考えです
本当にそうですね、多くの団体が布施の意味合いを考えず上のものが下の者に当たり前のように「徳を積む」の一言で半強制しています
これが一般の人が宗教を嫌う理由の一つになってます
もし、上の者(支部長など)がキチンと「仏教の中の布施」の意味を理解して説明していれば「お金を貢いだ」などの言葉はでてこないはずなんですが、、、
hikaru0827 さんのような方がこれからもたくさん出てくれる事が
「幸福の科学」でも大切な事かも知れません(期待しています)
ありがとうございました
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