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from: minamikazeさん
2010年01月03日 17時51分41秒
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守護霊について
皆さん、仲間に入れていただき、ありがとうございます。
早速ですが、皆さんのお考えを訊きたいので、書いてみます。
僕が疑問に思っていることの一つに、『守護霊についての当会の考え方』があります。
記憶に新しいところでは、『金正日守護霊の霊言』です。まるでやくざ者のようなこの守護霊に、僕はとても違和感を感じます。鳩山さんの守護霊についてもそうですが、幸福の科学の守護霊の解釈が変容してきたのは、僕の記憶によれば、2003年だったと思うのですが、リバティにおける朝日新聞社の社長の守護霊へのインタビューからだったと思います。あれを読んだときも、僕は大変、違和感を感じました。
『マンガで見る「幸福の科学」』という本の中に反省の章というのがあります。そこには仏陀を誹謗中傷する記事を書いたジャーナリストが、地獄に落ちる様子が描かれていますが、そこに出てくる守護霊は、とてもまともで、天使そのものです。しかしこのジャーナリストというのは、ある意味、金正日と同等かそれ以上に邪悪なはずです。しかしその守護霊は光り輝いており、生前仏陀を誹謗中傷したことを指摘し、反省の大切さを諭します。
どれほど地上を生きている本人に同化するとはいえ、守護霊の本籍地は霊界です。霊界に生きている存在の守護霊が、自分が霊である自覚がないなどということはありえないと思います。
皆さんは、当会の守護霊についての解釈の変容、変節をどう思っているのでしょうか。教えていただければ幸いです。
コメント: 全24件
from: にしき鯉さん
2010年01月14日 19時32分12秒
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「Re:お布施について」
ueyonabaruさん、
読んでいただきありがとうございます
> > 最後にイスラムの喜捨(ザガード)やキリスト教の寄付などとは成り立ちと全く意味が違いますので混同されませんように、、、
> そこのところ、もう少しご説明お願いできませんか。
了解です、専門家ではないので間違いがあったらお許し下さい
hiraokaさんが注釈をいれてくれるかもしれませんので期待しています
キリスト教もイスラム教も元は同じ一神教です
そしてイエスは神の国に入るための「心の道」を中心に説きました
そしてマホメットは現実の「実生活の規律」を中心に説きました
(裏づけとしての心の道はもちろんあります)
キリスト教では「施す」という行為は「愛」の実践として奨励されています
(もちろん見返りはもとめません、アガペー(博愛)に近い意味でしょうか)
イスラム教はもっと現実的なんです、ザカートははっきりとした税金として成り立っています
それはジハード(聖戦)によって夫を亡くした家族、 貧しい巡礼者、 托鉢修行者、 新規改宗者の援護に使われています
日本でいえば生活保護のような意味合いもあると思います
もう一つ、自発的な施しもあります
これはコーランの中でも書かれているように「富める者は貧しき者に施す」事はあたりまえの事なんです
しかし、両方とも自己の生活を崩してまでとは言いません
これは世界観の違いなんですが仏教では生まれ変わりが繰り返し続くと考えているので布施が強くでているのだと思います
一神教では天国に生まれ変われば永遠、地獄に生まれ変われば永遠と言っています
仏教では六道の中の天は人間の寿命よりもはるかに長いですが「功徳」がつきた時点が寿命で、又、六道を輪廻すると言われています
「永遠といわれる寿命」と「永遠の寿命」とは厳密には違います
人間の考えうる尺度での永遠はイメージとしてはあるでしょうが
現実では「不変の永遠」はないと思います
・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一つ、喜捨には意味があります
自分の物欲や執着を減らす作用です
布施は続けていく内に執着が減ってきます、それは自分にとって本当に必要な物と必要でない物がはっきりわかってくるからです
たとえば、一万円の欲しい服があったとします
それはそれで欲しいんだけど同じ一万円が「人を救済する宗教」に使われるならその方が今の私には嬉しいです
そうか、といって欲しいものや欲望がなくなったというわけではありません、念のため
ただ、今、私はどこの団体にも属してないので無理ですが、、
from: ueyonabaruさん
2010年01月14日 14時07分10秒
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「お布施について」
にしき鯉さんへ
お布施についてのありがたいご説明ありがとうございました。
本来はお布施というのは、おっしゃるようなことだと思います。ところが、多くの方々は、お布施を求めないのがよい宗教だと思っていることがよくあります。お布施を求めないのが、高潔な団体であると言うのですね。その場合、そのご本人が、実は他から与えられるのを潔しとしない高潔な魂である場合があるし、逆に、人から与えられるのはOKだが、お布施をすることや、人に与えることを怖れている場合とがあるように思います。
幸福の科学に行き始めたとき、お布施の数の多いのには実はビックリしたのです。生長の家ではそのようなことはありませんでしたから。宗祖の谷口雅春師が人格高潔の方でしたから、教団の運営もそのようになったのではないかと今は思っております。
谷口雅春師ご存命の頃、ある信者の方から土地建物の寄進を受けたことがあります。ところが、その後残された身内のものたちから不満が出てきたのですね。そこで、谷口師は、寄進で受けた財産を全部返却したということがありました。寄進するからには、すべての執着を断ってから、行うのが望ましいですね。デ-ル・カ-ネギ-でしたか、アメリカの大富豪ですが、亡くなる前に、「財産を持ったまま神のもとへいくのは恥ずかしいことだ」と言い、亡くなる前に親族をすべて集め、自身の財産を社会へ寄付することの了解を取り付けた上で、全財産を公のために寄付したということがあります。アメリカにあるキリスト教のよき精神であり、感動する話であります。
> 最後にイスラムの喜捨(ザガード)やキリスト教の寄付などとは成り立ちと全く意味が違いますので混同されませんように、、、
そこのところ、もう少しご説明お願いできませんか。
from: にしき鯉さん
2010年01月14日 10時10分17秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:守護霊について」
minamikaze さん
ありがとうございます、鋭い着眼点ですね!
一週間の断食も意思の強さを感じます
<「ブッダガヤに幸福の科学の学校を造るということで、年末に献金を募っておりましたね。支部への用事があり、たまたま行ったとき、支部の女性の方が100万円の献金をするというので、奉納式に立ち会うよう支部長から言われました。支部長のご説明によると、この方は家計をやりくりしてそのお金をためてきたたというのです。尊い行為です。喜捨というものでした>
お布施の「喜捨」について書いて見たいと思います
釈迦はこう説明しています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある時、お釈迦様が弟子達を集めてこう言った。
「貧しい人たちの家を訪ねて、お金を恵んできてもらいなさい」と。
これを聞いた弟子達はお釈迦様が勘違いをしているのだと思ったので、聞いてみた。
「貧しい人たちのところに行くのではなく、お金持ちの人たちのところに行くのではないのですか?貧しい人たちのところへ行っても、誰もお金を持っていません。」
そこで、お釈迦様は弟子達に言った。
「だから貧しい人たちのところに行くのだ」と。
弟子達はわけがわからないという表情をした。
お釈迦様は続けた。
「貧しい人たちは自分達はお金がないから、という理由でお金を与えたがらない。だからいつまでたっても貧しいままなのだ。
だからこちらからわざわざ私たちがこちらから出かけて行って、与えるという行為を彼らにさせてあげるのだ。そうすれば、貧しい人たちも救われる。」
要は、貧しい人たちは目先のことに精一杯で、与えるという行為をしないので、それがいつまでも貧しいという結果になっているということである。
だからお釈迦様はその人たちにムリにでも「与える」という行為をさせることで、救おうとしたのだった。
・・・・・・・・・・
これが「喜捨」の意味で「因果の法則」がちりばめられています
与えないから貧しくなる、貧しくなるから欲しがる物が多くなる
心の貧しさがスパイラルになっているんです
そのスパイラル状態を仏典では「餓鬼」と表現しています
貧しさのスパイラルから抜け出すための法話でもあると思います
さて物質的な「布施」は現代人にとって最初は抵抗があります
しかし、布施の意味をもう一度考えて見ます
布施する相手は「真理」の道を歩んでいる僧あるいは団体です
その方々を援護し支持し微力ながら応援することは未来において素晴らしい「果」の元の「因」を作る事です
それを仏典では「功徳」と表現しています
ただ、問題なのは受ける側です
受ける側が「大切な喜捨の気持ち」や「未来際においての縁」をただの営業収入と考え、教団の拡大や自分の利益のために使えば「因果の法則」はその通りの結果を出すでしょう
しかし、それでも布施は素晴らしいのです
以前、ueyonabaruさんが「浄財」について書かれました
大川さんがどのように皆さんの布施を考えているかはわかりませんが
自分が「真理の援護」のためや「未来の縁」を大切にする気持ちからならマイナスの要素はないと思います
世間の常識では「お布施」は教団の儲け話であるような風潮はとても悲しいです
布施=ご利益ではないんです、
自分の経験からすれば布施=功徳=修行を進めるエネルギーのようなものと考えます
最後にイスラムの喜捨(ザガード)やキリスト教の寄付などとは成り立ちと全く意味が違いますので混同されませんように、、、
from: ueyonabaruさん
2010年01月13日 18時00分20秒
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「Re:Re:Re:Re:守護霊について」
hikaru0827さんへ
> つまり、仏教は、人である者が悟りを得て人にあらざる者になった仏陀を信仰し、かつ自分も仏陀を目指す宗教です。
> もし、根源神や創造神というものに言及すれば、
> 上様と修行者の間に越えられない壁が出来ます。
> しかも、それにより他の一神教と同様に、その根源神への帰依に結びつきかねません。
> それは、釈尊の意図するスタイルではなかったのではないでしょうか。
> と、以上のように理由を考えますが。
スタイルの違いという表現はいいですね。なぜ、スタイルの違いがあるのでしょうか。スタイルの違いであるということは、仏教もキリスト教も同じものを求めているという理解がhikaruさんにはあるように推察します。
このあたりのことを今後議論してみたいものです。
> 宇宙の有限無限を問うた男に答えなかった理由の1つに、もしかこのあたりも関係あるのではないでしょうか…これは考えすぎですかね。
お釈迦さまの毒矢の例えですか。形而上的なことを言う前に、自分を正せということだったように思います。この例えを、お釈迦さまは、形而上的なこと一切認めなかったという風に持っていった人たちもおりますね。
おっしゃるように、形而上的な西洋の思考形式より、人間の心の状況を中心に考えていったのが仏教のようですね。スタイルのちがいですね。
あと、色々のテ-マでの議論がなされておりますので、それへの言及もお願いします。
from: hikaru0827さん
2010年01月13日 16時52分14秒
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「Re:Re:Re:守護霊について」
ueyonabaruさん・にしき鯉さんへ
> > ただ、根源神の話はイスラム教、キリスト教的な考え方です
> > 仏教には根源神のような創造主の考えはありません
> 仏教に創造神の概念がないというのは、一般的にそのように言われていることですね。なぜ、そうなのかという私の深い疑問が従来あります。この辺のところを、議論してみたいものですネ。
<なぜ、仏教には創造神の概念がないか?>
教義による根拠があるわけではありませんが、思うところを少し…。
端的に言えば、釈尊が、創造神について「語らなかったから」、という事ですね。
なぜ語らなかったのか?
あくまで私見ですが…「必要が無かった」更に言えば、「弊害があった」からだと思います。
仏教は、
・全ての人は仏性を持っている。
・悟った人…仏陀を目指せ。
・仏陀は、神(凡天)より上位。
・人は無限の可能性を秘めており、努力次第で神を越えた存在になれる。
…という教えかと思います。
つまり、仏教は、人である者が悟りを得て人にあらざる者になった仏陀を信仰し、かつ自分も仏陀を目指す宗教です。
もし、根源神や創造神というものに言及すれば、
上様と修行者の間に越えられない壁が出来ます。
しかも、それにより他の一神教と同様に、その根源神への帰依に結びつきかねません。
それは、釈尊の意図するスタイルではなかったのではないでしょうか。
と、以上のように理由を考えますが。
宇宙の有限無限を問うた男に答えなかった理由の1つに、もしかこのあたりも関係あるのではないでしょうか…これは考えすぎですかね。
from: ueyonabaruさん
2010年01月13日 11時35分38秒
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「大川隆法について」
minamikazeさんへ
> ありがとうございます。読書は助けになります。以前も書きましたが、ここ十数年というもの、読書の大半は大川さんのものでしたから、去年あたりから、幅広く読むように心がけています。
幸福の科学に限らず、その宗教の教義・神学だけで勉強するだけでは、大きな説得力の獲得は望めません。大川先生の説得力は、この方のものすごい教養が背景にはあるのですね。かと言って、その神学も分からなくてはいけませんね。minamikazeさんは、幸福の科学の神学を学ばれたのですから、これは財産になるかもしれませんよ。
大川さんに対する疑問は、口にすることはできません。特に婦人部の前では注意が必要です。
女性の信仰心は男性に比べ、相当に強いものがありますね。女性の麗しさでもあり、浅はかさもあるのでしょうか。
> 僕は今、スピリチュアリズムを基本から学ぼうと思い、勉強をしているところです。シルバーバーチの霊訓の中に次のような言葉があります。「あなたは、わたしの述べることをご自分の理性に照らして、納得がいけば受け入れてください。もしもわたしの言うことにあなたの常識が反発すればそれは拒否なさることです。わたしに限りません。いかなる霊媒の口から出たことでも、霊的というにはお粗末すぎると思われれば、それは受け入れる必要はありません。」
私もスピリッチュアリズムの本を多く読みました。究極のところではあまりに難しく専門的であり、閉口しました。シルバ-バ-チも時おり開きますが、よいことを言ってくれますね。
私が、霊的なものを学ぶことの意味は、多くの人に、多くの信仰をもたない方々に、最低限の霊知識を伝えたいことにあります。
人間が死ぬと、49日まではこの世にとどまり、それからトンネルのようなものを通り、三途の川を渡ることになる、親戚のものたちが迎えに来る、お花畑がある、霊界の裁きがあり、天国・地獄というものがある・・・・・。という具合に簡単に言葉で表現できることに意味があります。その相手の方が、霊界を信じていなくても、これぐらいのことは言ってあげるのが、信仰をもつものの義務だと思うのです。大川先生がおっしゃる最低限の知識ですね、これも、大きな社会改善運動のひとつだと思っているんです。
信仰のない方には、仏教の四苦八苦の意味を解説することも楽しみの一つです。仏教の、奥深い思想に目を開いてくれたら嬉しいですね。これからは、重要なことを手帳に書いておき、それで説明していこうかなと考えております。
多くの人達は、そして多くの優秀なひとたちは、初歩的な霊知識も持っていないことが多いのです。最低限の知識は皆が持たなければいけないと思います。これは、宗派を超えて、啓蒙の運動をすべきと思うのですが、多くの宗派は、難しい自らの教義を抱えていてそのうちで修行をしているのですが、社会へのインパクトが十分ではありません。その点では、幸福の科学に期待しております。
大川先生の高弟で脱会していった方々のことと、また、私が大川先生を遠くから見ていたいとすることとの関連で、昨日読んだエマソンの偉人論からの引用をしてみますね。何か、示唆してくれるものがありそうです。
偉人というものは、普遍的な理念に従って自然の声を聞き、時流に流されずに独立独歩の道を歩んでいるので、こうした因習的な隷従状態や同時代の腐敗した通念から、私たちを力強く解放してくれるでしょう。みなが同じ道を歩むのに対して、彼らは偉大なる例外者であります。こうした、人と違った独立独歩の生き方を貫いてこそ、時代の閉塞状況を破る新しい発想、新機軸を打ち出すことができるのではないでしょうか。
ただ、英雄の感化力にも、まったく際限がないわけでもありません。天才は、えてしてどこか近寄りがたい雰囲気を持っているものです、偉人というものは、とても魅力的なので、ある程度、距離を取って見ると、いかにも手の届く親しい存在のように錯覚してしまいますが、実際は人を寄せつけない側面も持っています。その不思議な魅力に惹かれて安易に近づくと、手痛いしっぺ返しを食らうのが落ちでしょう。
彼らのもたらす恩恵とても、当初は受け手の理解を超えていることが多いのです。彼らは、まず自分自身の探究心を満たすために偉大な発見をなすのであって、世間の人の歓心を買う気持ちなどさらさら持ち合わせていません。
そこで、その偉大なる発見の真価は、同時代の人たちにはしばらくは理解されないことが多いものです。世の普通の人々はなかなか天才の仕事を追体験することができないからです。それは、まるで天の神が、こうした天才を世に送り出すにあたって、他人には容易に理解できない秘密の才能や力を授けて、その魂に「あなたでけ」だとか「一代限り」といった文字を刻印したのではないかとおもわせるくらいです。
それでなくても、人と人との心の交流には、すれ違いや誤解がつきものです。ましてや偉人と普通の人との間には、目には見えないけれど、厳然たる開きがあるのです。
たとえ、一方が恩恵を与えんとし、他方がそれを受け取らんとしても、両者の間の懸隔は、そう簡単に乗り越えられるものではありません。ちょっと感化を受けたくらいで、自分も偉人な天才の仲間入りができる、とうぬぼれたとしたら、思い違いもはなはだしいと言わざるを得ないでしょう。
エマソンの「偉人論」 P303〜304
from: minamikazeさん
2010年01月13日 08時25分28秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:守護霊について」
みなさんへ
これからは、客体化して話すためにも、大川隆法総裁先生のことを、ここでは、大川さんと呼ぶことにします。以後、そのように統一しますので、御了解ください。
にしき鯉さんへ
「人間の肉体を持っている限り、間違いなどは誰でもあります
でも、間違いを訂正し、修正することができるのも人間だからです
ぜひ、これからも責任を持ったリーダーでいて欲しいと思います」
というにしき鯉さんの意見に、同感です。冷静に見れば、そしてありのままに見れば、明らかに失言であろうと思われるものや、結果的に見識が間違っていたと思われること(たとえばイラクの大量破壊兵器は発見される等々「この戦争をどう見るか」より)、についても、大川さん御自身が、自分を神々の主と宣言している以上、あれは間違いでしたとは、なかなか言えないのだろうと思います。そして当然、大川さんの発言というのは、テープやCD、書籍等に残るわけですから、あとからの検証が可能なのです。ただ、当会は、書き換え修正をするということをしますので、ここにも複雑な問題はあります。
ueyonabaruさんへ
「今日は支部の友から、日曜日に大川先生の衛星放送があるから来てくれと電話がありましたが、あまりいく気持ちになれません。お誘いには、ほとんど応えておりません。深くコミットしたくない気持ちが正直あるのです。」
というueyonabaruさんと、同じ気持ちの人が、僕の支部にもたくさんいるように思います。活動会員の中にもいろいろな人がいて、そのような、あまり支部に来られない人たちに対して、理解を示す人もいれば、裁き心で批判する人もいます。
「大川先生は遠いところから見つめることしかないので、先生の言動で私が傷つくようなことはありません。私は、遠くから拝んでいたいのがホンネです。」
これは、僕もまったく同じ気持ちです。近くにいたくありませんね。大川さんが支部巡錫に来られたときも、僕の心は妙に醒めていたのを覚えています。そのころからすでに人間を神格化することへの抵抗が強くなっていたのだと思います。生き神様に躓くとき、その信仰が強ければ強いほど、心には深い失望と、恐怖心が湧き上がります。それが怖いのです。大川さんの教えは素晴らしい。だからそういう素晴らしい教えを説く人はどこまでも素晴らしい人であって欲しい。そういう気持ちがあり、それとは矛盾した姿を見たくないのです。遠くから眺めている分には、嫌なことが目に入らなくて済みます。今まで、実に多くの人が、特に、高弟と言われていた人たちが、離れていきましたよね。そして彼らは、一部の人を除いて、堅く沈黙を守っています。彼らの苦しい心境を想像すると、生き神様は恐ろしいと思わざるを得ません。遠くで眺めているのが一番です。
「ブッダガヤに幸福の科学の学校を造るということで、年末に献金を募っておりましたね。支部への用事があり、たまたま行ったとき、支部の女性の方が100万円の献金をするというので、奉納式に立ち会うよう支部長から言われました。支部長のご説明によると、この方は家計をやりくりしてそのお金をためてきたたというのです。尊い行為です。喜捨というものでした。わたしも、いずれそのようなことができるよう願っております。」
活動やお布施についても、別のスレッドで、話してみたいと思います。
「私が、信仰心がぐらついたときに、読んだ本で、ソクラテスの弁明とパイドンがありますが、これをお勧めします。それと、キリスト教の信仰心を身近に感じるために、アウグスティヌスの告白もいいです。古典をじかに当たるのが一番です。幸福の科学と共通するものが必ずありますよ。古代の人が身近に感じることができるのは、とても嬉しいことです。」
ありがとうございます。読書は助けになります。以前も書きましたが、ここ十数年というもの、読書の大半は大川さんのものでしたから、去年あたりから、幅広く読むように心がけています。
cosmo77さんへ
「ご提案ですが
月刊 幸福の科学 の最後のページに サービスセンターというのの電話が出ています
こちらに 電話されて 率直に ご質問されてみては いかがでしょうか
何か 疑問が解消できるかもしれません」
これはほとんど期待できないと思います。まず、紋切り型の答えしか帰って来ません。精舎の研修などに参加したときも、そうでした。講師に質問しても、返ってくるのは、金太郎飴のような答えばかりです。
「私も 昨年末に 地区のリーダーを下ろしてもらいました
信仰とは ある面難しいものですね
批判といわれるが 建設的な提案も 時に批判的に見える場合も多々ありますし 内部批判がない 団体というのも どうなのかな と私は 思うのですが いかがでしょうか」
地区のリーダーご苦労様でした。内部批判が許されるのは、組織運営の方法論とか、そういったところまででしょうね。大川さんに対する疑問は、口にすることはできません。特に婦人部の前では注意が必要です。
僕は今、スピリチュアリズムを基本から学ぼうと思い、勉強をしているところです。シルバーバーチの霊訓の中に次のような言葉があります。「あなたは、わたしの述べることをご自分の理性に照らして、納得がいけば受け入れてください。もしもわたしの言うことにあなたの常識が反発すればそれは拒否なさることです。わたしに限りません。いかなる霊媒の口から出たことでも、霊的というにはお粗末すぎると思われれば、それは受け入れる必要はありません。」
アメリカの事を訊くにはアメリカ人に訊くに限ります。なぜなら、アメリカ人はアメリカに住んでいるからです。同じように、霊界のことを知るには、霊界に住んでいる霊人に訊くのが一番安全でしょう。アメリカも、西海岸もあれば東海岸もあるように、湖もあれば砂漠もあるように、住んでいる地域によって、その報告は若干異なるでしょうが、共通するものもあるはずです。
まだ学び始めて日も浅いのですが、いずれ少しずつでも、発見したことがあれば、書いていきたいと思っています。
いろいろと書いてしまいましたが、大川さんの基本的な教えは、今も輝きを失ってはいません。相変わらず、僕の思想の骨格となっているのは事実です。ただその骨格が、多少、骨粗しょう症になりかけているというところでしょうか。
from: にしき鯉さん
2010年01月10日 16時46分16秒
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「Re:Re:Re:守護霊について」
hikaru0827さん、cosmo77さん
バイトロンの件、了解しました
各自、捉えかたが少しずつ違っていて参考になりました
根源神の概念は仏教にはほとんどないと書いたので補足しておきます
劫(こう)=(カルパ)は宇宙が存続し、破壊され空無となる一つ一つの時期
宇宙は成劫(じょうこう)、住劫(じゅうこう)、壊劫(えこう)、空劫(くうこう)の四つの時期を永久のくり返すというものです
成劫とは宇宙が生成していく期間で一カルパ
住劫とは生成した期間が持続する時期で一カルパ
壊劫は宇宙が消滅していく時期で一カルパ
空劫とはその後、なにもない状態が続く時期で一カルパ
この四つのサイクルの一周を大劫とよびます
一説には今の「カルパ」の始まりはビッグ・バンだという人もいますが、、、その辺は置いといて、、
なにか、めんどうなことをやらなければならない時、大変な時間がかかるだろうと考える、だからめんどうくさい事を「億劫」(おっくう)と言います
中村元さんの訳ですと一カルパは432万年の千倍だそうです
ヒンドゥー教にはシバの神が創造、維持、破壊を司るといいますがこれも「キリスト教、ユダヤ教」の創造主の意味とは全く違います
人を作ったという概念ではなく「見つめている」ような感じでしょうか
人間は神々の「おもちゃ」ではなく自己の責任において「輪廻転生」していると仏教は説きます
だからこそ、自分を見つめる修行が必要であり、それを理解するために経典が必要なんです
根源神一つにしても「創造主」と捉えるか、「総てを見守っている存在」と捉えるかで認識と進む方向が違ってきます
今日は仏教の世界観を書いて見ました
from: hikaru0827さん
2010年01月10日 04時20分22秒
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「Re:Re:守護霊について」
にしき鯉さんへ
> ある反大川サイトで人類の起源はバイトロンで創った魂のコピーとありました
> メンバーの方はこれを信じているんでしょうか?
パイトロンについて書かれているのは、基本書中の基本書「太陽の法」です。
しかし、このあたりのくだりは、結構ややこしいんです。流して読んだくらいではよく分かりません。
でもじっくり読んでも良く分からない部分があります。
ただ、そのサイトに示されている
”人類の起源はバイトロンで創った魂のコピー”
は、完全に間違っているわけではありませんが、正確でもありません。
まず、書籍にはどのように書かれているか、私なりにまとめてみます。
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初めての地球人霊の創造は、9次元霊と10次元霊が主導して、高度に発達した金星人の霊的生命体から、生み出されます。(何百体)
次に、マゼラン星雲から移住を受け入れます。(宇宙船にて・何人は不明)
次に、オリオン座から10億人受け入れます。(霊界経由?)
次に、ペガサス座から20億人受け入れます。(霊界経由?)
金星人由来のエルカンターレ系の霊が、分光現象を繰り返すことにより、1億3千万年前の時点でエルカンターレ系霊団は、400億人となります。
他惑星系が、30数億です。…(ここで30数億ということは、マゼラン星雲から来たのは、数億人という計算になりますね)
この時に、パイトロンが使われます。
使ったのは、多惑星系の霊に対してで、数億人増えた、というものです。
430億の人口に対し、パイトロンは数億人です。
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以上をふまえると、まず、「人類の起源をパイトロンによるもの」だけの説明はかなり乱暴です。
あと、「コピー」と言うと、なんだかがっかりしますが「分光」というのは、パイトロン以前にも行われています。
最初に金星人の霊的生命体から、何百体を創造した、というくだりも、複雑な過程を経て、増えています。
その後の、分光現象というものも、仕組みは分かりませんが、あります。
ただパイトロンと違うのは、本となる霊体が、8次元レベルであるところです。
パイトロンの場合は、6次元の霊体が対象です。しかも他惑星系のみ。
パイトロンは失敗だった、とありますが、それから生まれた霊で、6次元上段階、7次元菩薩界まで向上した霊もあり、悪い面だけではなかった、という記述もあります。
ただ、分光の仕組みや、6人1組の魂の在り方との整合性が、はっきりしません。
分からない事が多い部分です。
from: cosmo77さん
2010年01月09日 18時09分24秒
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「Re:守護霊について」
minamikazeさんへ
守護霊の定義というのは 確かに 最近変わってきていて 論理的に考えて 疑問になるのは 無理もないと 思います
つまり 統合的論理的な 守護霊の解釈 というのが できていない 状態にある ということでしょう
ただ ボクの場合などは 朝日の社長等は 特殊な例なのかな ぐらいに 考えてしまっていて あまり 深刻にはなっていません
疑問を持つ箇所というのは 人によって違うのでしょうね
ご提案ですが
月刊 幸福の科学 の最後のページに サービスセンターというのの電話が出ています
こちらに 電話されて 率直に ご質問されてみては いかがでしょうか
何か 疑問が解消できるかもしれません
そして こちらで ご報告いただけると 非常に助かります
私も 知りたいです
それと 金正日なんて方は 悪魔に憑依されていないのでしょうか
そういう状況下でも守護霊とは どんな状態なのか
ちょっと 私はわかりません
> もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、
> 静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て。
> その時を待て。
> 決して、何も批判を口にしてはならない。
こういう文章がありましたか
ありがとうございます。
私も 昨年末に 地区のリーダーを下ろしてもらいました
信仰とは ある面難しいものですね
批判といわれるが 建設的な提案も 時に批判的に見える場合も多々ありますし 内部批判がない 団体というのも どうなのかな と私は 思うのですが いかがでしょうか
信仰にも 愛や知と同様に 発展段階があるのではないかと 最近思っています
四正道により 発展していくものだと思っています
つまり 悟りが高まれば 信仰も高まるということです
疑問は 思考する限り 出てくるので これに 思考停止で 解決しようとしてはいけないのだと思います
思考し続けて 解決することで さらに高い段階に到達できるのではないでしょうか
思考停止することや イエスマンになることが 信仰ではない と思っています
あくまでも 真理を求め 悟りの高みと求めていきたいですね
何か疑問がありましたら こちらに書いていただければ みんなで 考えたいと思います
from: cosmo77さん
2010年01月09日 17時32分57秒
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「Re:守護霊について」
にしき鯉さん
> ただ、根源神の話はイスラム教、キリスト教的な考え方です
> 仏教には根源神のような創造主の考えはありません
> 私はここが「世界統一の宗教」が無理な理由の第一だと思っています
幸福の科学では 創造神も根源神も 想定されていると思います
> ある反大川サイトで人類の起源はバイトロンで創った魂のコピーとありました
> メンバーの方はこれを信じているんでしょうか?
>
> もし、信じているならば矛盾は山ほどでてきます
> ueyonabaruさん、 hikaru0827さん、cosmo77さん、いかがでしょう
パイトロンというのは 太陽の法 か何かに出てくるものですね
宇宙からきた 9次元霊が これを使って 地球の人類を増やして今の人口になった というお話だったと思います
方便の時代と その後で 内容は変わりましたが これは 一つの 創世記ですね
旧約聖書にしても 古事記にしても 創世記なんて わけのわからないものが多くないですか
それに比べれば 幸福の科学の 創世記は 現代的ではあるのではないかと 思っていますが。
私はざっぱくに捉えていますので 特に問題意識はないですが。。
from: ueyonabaruさん
2010年01月08日 00時17分06秒
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「Re:Re:Re:守護霊について」
minamikazeさんへ
私は、人を裁くようなことを言ったといって、cosmoさんにたしなめられました。すこし、落ち込んでもおりましたが、この様な名文でご自身の胸中を書いてこられて、嬉しく思います。
信仰生活は、厳しいものがあるように思いますよ。長く信仰生活が送れるようにしたいものですネ。
今日は支部の友から、日曜日に大川先生の衛星放送があるから来てくれと電話がありましたが、あまりいく気持ちになれません。お誘いには、ほとんど応えておりません。深くコミットしたくない気持ちが正直あるのです。
昔、生長の家の青年会の役員をやっていて、minamikazeさんのように一生懸命に活動しておりました。そのとき、そこで疲れてしまったのですね。私ものめりこむほうなんです。あまり力を入れすぎると長くは持ちません。コツコツと勉強していけたらいいな-と思っております。
大川先生は遠いところから見つめることしかないので、先生の言動で私が傷つくようなことはありません。私は、遠くから拝んでいたいのがホンネです。この方は、しかし私の最も関心を寄せている方なのです。偉大な方だと思っているんです。家族では信者は私だけであり、ひとりで信仰生活を送っているのですね。機会があれば、幸福の科学の話もしますが、信者にさせねばとは思いません。
伝道ができないのです。成長の家にいたときから、伝道には自信がありませんでした。でも、幸福の科学に何らかの形で貢献したいという気持ちはいつもあります。運動に動員されるのが嫌いなんでしょうね。
ブッダガヤに幸福の科学の学校を造るということで、年末に献金を募っておりましたね。支部への用事があり、たまたま行ったとき、支部の女性の方が100万円の献金をするというので、奉納式に立ち会うよう支部長から言われました。支部長のご説明によると、この方は家計をやりくりしてそのお金をためてきたたというのです。尊い行為です。喜捨というものでした。わたしも、いずれそのようなことができるよう願っております。
minamikazeさん、ここのブログで色々議論してみるといいですよ。そして、元気になってください。それと、私の読書をご紹介し、信仰心の助けになるようになってもらいたいですね。私が、信仰心がぐらついたときに、読んだ本で、ソクラテスの弁明とパイドンがありますが、これをお勧めします。それと、キリスト教の信仰心を身近に感じるために、アウグスティヌスの告白もいいです。古典をじかに当たるのが一番です。幸福の科学と共通するものが必ずありますよ。古代の人が身近に感じることができるのは、とても嬉しいことです。
では、又
from: にしき鯉さん
2010年01月07日 14時12分48秒
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「Re:Re:Re:守護霊について」
ueyonabaruさんへ
<仏教に創造神の概念がないというのは、一般的にそのように言われていることですね。なぜ、そうなのかという私の深い疑問が従来あります>
はい、これは私見だと思って聞いて下さい
仏教では「真我独存意」という言葉があります
エゴ意識にも環境や生命にも干渉されない意識状態という意味に捉えてもらっていいと思います
実はこれが涅槃(ニルバァーナ)ではないかと思っています
もともとは経験の少ない「魂」がニルバァーナから飛び出していろいろな経験をしたい、、、そして欲を膨らませて出来たのがこの世界だと考えています
だから修行とはこの逆の道をニルバァーナに向かって行く、その過程で「無明」から始まってしまった世界を経験し尽して帰っていく道だと思っています
釈迦は生まれながらの「運命」や司祭階級の「祈祷」を嫌いました
しかし、王子であった時バラモン教のベースは教育されていたはずです
だから、あえてバラモン教の「創造、維持、破壊、虚空」の四劫は当時の人たちには説明しなかったのではないでしょうか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ueyonabaruさん
バイトロンの件、了解です
hikaru0827、 cosmo77さんはどうですか
三億人の魂のコピーとか信じられますか?
宇宙戦艦ヤマトなどは自分も好きですがSFが好きなのと自分の生きる道の指針とする事は違います
これを「総裁先生が言ったのだからありえる話」だと捉えるならすでに「ありのままに見る」事ができなくなっています
私が大川さんに望むのは本の出版だけでなくもっと修行の体系を理論だてて信徒に伝えてほしいと思います
そして、霊言と御自分の世界観との整合性をとってもらいたいと思います
人間の肉体を持っている限り、間違いなどは誰でもあります
でも、間違いを訂正し、修正することができるのも人間だからです
ぜひ、これからも責任を持ったリーダーでいて欲しいと思います
from: minamikazeさん
2010年01月06日 18時00分36秒
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「Re:Re:守護霊について」
ueyonabaruさんへ
>どうぞ信を堅く持してください。疑うと、すべてがおかしく見えてまいります。
信仰とは決意なのです。私の場合は、最後にはそのようなことがありました。決意できなければ、信仰を放棄せざるを得ません。簡単な真実です。
おっしゃるとおり、このような疑いを持つということは、きわめて信仰的には危険な状態であることは、自分でも自覚していました。だからこそ僕は、沈黙を保ちました。和合僧破戒の罪だけは、犯したくなかったからです。
もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、
静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て。
その時を待て。
決して、何も批判を口にしてはならない。
静かに自らの心を平らかにして、過去の人生を振り返れ。
そして、自分がどれほど多くの光を、多くの愛を、
与えられてきたかということを感謝せよ。
そのことを感謝せずして、みだりに疑いをはさみ、
みだりに人の心を迷わせてはならない。
そのような心と行為は、
最も地獄に近いところにあるということを知らなければならない。
(仏陀再誕より)
御存知のように、「仏陀再誕」にも、上記のように書かれています。だから支部活動からも遠ざかりました。でも、今も会員を続けているのは、cosmo77さんも「大川先生も 現実的には完璧ではない という見方も 結構大切ではないかと 思っております」とおっしゃっていたように、総裁先生の無謬性にこだわることはやめよう、と、心をやわらかく持つことができたからです。
「皆さん、はじめまして」のスレッドでも言ったように、総裁先生が、優れた宗教家、そして国を憂う国師であるということについては疑っておりません。今でも、過去の霊言集を読めば、「この人こそ救世主だ」と思わざるを得ないだけの、言霊の力と高い宗教性を感じます。
このことは、別のスレッドを立てて論じたかったことでもありますが、話の流れの中で少し書きますが、ueyonabaruさんは「minamikazeさんの疑問は、大川さんが恣意的に、つまり勝手にそのようなことをして世にインパクトを与えようとしているという疑いなので、これを認めてしまうと、幸福の科学の霊言現象のすべてを否定しかねないことにもなり、由々しき問題になります。これには、ハッキリとNOと言わせていただきます。」とおっしゃいました。この気持ちは良くわかります。だからこそ、僕も苦しんだのです。そして、僕なりに、今はこのように考えるようになりました。
それは簡潔に言えば、白か黒かで物事を考えないということです。総裁先生の霊言集の素晴らしさは、ここで改めて言うまでもないことです。そもそもそこに感動し、その後基本書などを読み、僕なりに石橋を叩くようにして、三帰誓願をしたのです。
だから首を傾げたくなるような教えに出くわしても、霊言集と基本書(法シリーズ)の高み、高度な認識力、人類史を俯瞰するような壮大さ、霊界についての詳細な記述、神秘性と合理性を備えたところなどなどの素晴らしさゆえに、僕もわからないところはわからないと、あっさりした気持ちでスルーして、活動に邁進してきたわけです。
ところが昨年の、政党結党あたりからの総裁先生の言動や、小林幹事長の発言などを、仏教で言うところの正見、僕なりの言葉で言えば、ありのままに見ることをしてみたら、次々に矛盾が見えてきたのです。
しかし矛盾が見えてきたことと、総裁先生が本気で国を憂い国師として立たれたことは、きちんと区別して考えています。先生は本気でした。本気で先頭に立たれ、戦われました。自己保身があればとてもできないことです。
この夏の出来事をきっかけに、当会の教えなどももう一度自分のできる範囲で検証し(ちなみに僕は、正心法語が仏陀意識で統一されてからの会員です)、更なる矛盾に突き当たることになりました(たとえば、聖アントニウスの記述など)。これも話すと長くなりますからはしょりますが、誤解をして欲しくないのは、今後仮に僕が、当会を離れることがあったとしても、決して総裁先生を悪く言うことはありません。なぜなら、この十余年間、間違いなく僕にとって最高の師は、大川先生であったからです。読む本も、実に95パーセントは、当会の本で占められていました。僕の人生観の骨格でした。「太陽の法」のまえがきに、『あなた自身の「常識」を、本書によって入れ替えていただきたいのである』と書かれているとおりのことを実践してきたからです。
今もまだ検証の途上にあり、当会の言葉で言えば、疑にとらわれていることには違いなく、だから支部活動にも今は距離を置いています。そのような未熟者であることを、ここで改めて記しておきます。
にしき鯉さんへ
僕もこの夏に、疑問を持ち始めてから、仏教書も読むようになりました。まだ少ししか読んでいませんが、仏教についても、いろいろ教えていただければ幸いです。よろしくお願いします。
from: ueyonabaruさん
2010年01月06日 16時08分12秒
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「Re:Re:守護霊について」
にしき鯉さん久しぶりです。お帰りなさい。早速ですが、お答えします。
> ただ、根源神の話はイスラム教、キリスト教的な考え方です
> 仏教には根源神のような創造主の考えはありません
>
> 私はここが「世界統一の宗教」が無理な理由の第一だと思っています
> もちろん、私はキリスト教、イスラム教も素晴らしいものだと認めています
> 現実に生活をするにはキリスト教の「愛」やイスラム教の戒律など仏教より事細かに示してくれていて役立つものもたくさんあります
世界統一の宗教というのは無理だと思います。幸福の科学が将来において大きく成長し、世界に影響力を発揮できるようになれば、世界の状況も違ってくるのかなと思ってはおりますが、私にはまだ明瞭なイメ-ジが作りきれておりません。
仏教に創造神の概念がないというのは、一般的にそのように言われていることですね。なぜ、そうなのかという私の深い疑問が従来あります。この辺のところを、議論してみたいものですネ。
> しかし、大川さんの言うような「創造主の痕跡」とかあいまいな表現で煙に巻くような話は納得できません
> ある反大川サイトで人類の起源はバイトロンで創った魂のコピーとありました
> メンバーの方はこれを信じているんでしょうか?
パイトロンのことですね。これは私は分からないと申し上げておきます。なにゆえ、大川先生はこのようなことをおっしゃるのか理解不可能ですが、大川先生がそのようなことをおっしゃるので、大川隆法は間違っているという価値判断はしません。
この方は、仏教論などで、私から見れば超一流の法を説かれる方なんですが、パイトロンとのこの矛盾は一体なんでしょうね。分かりません。この疑問はキ-プのままにせざるを得ません。他にもこのような信じがたいことはありますよ。ここでそれをあげて論じることは、分からないものを論じるという不可能に直面することになりますので、やめます。
from: にしき鯉さん
2010年01月06日 15時22分28秒
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「Re:守護霊について」
みなさん、お久しぶりです
しばらく、忙しかったのもありまして参加できませんでした
新しいメンバーの方も入ったようで盛り上がっていますね
いい事だと思います
ただ、根源神の話はイスラム教、キリスト教的な考え方です
仏教には根源神のような創造主の考えはありません
私はここが「世界統一の宗教」が無理な理由の第一だと思っています
もちろん、私はキリスト教、イスラム教も素晴らしいものだと認めています
現実に生活をするにはキリスト教の「愛」やイスラム教の戒律など仏教より事細かに示してくれていて役立つものもたくさんあります
私は心の中に「神」をもつことはいい事だと思います
自分の中に「生き方の理想(神)」を持ち、邪悪心を抑えつつ生きることは理にかなってると思います
しかし、大川さんの言うような「創造主の痕跡」とかあいまいな表現で煙に巻くような話は納得できません
ある反大川サイトで人類の起源はバイトロンで創った魂のコピーとありました
メンバーの方はこれを信じているんでしょうか?
もし、信じているならば矛盾は山ほどでてきます
ueyonabaruさん、 hikaru0827さん、cosmo77さん、いかがでしょう
minamikazeさん、
私は会員ではありませんが仏教をベースに真理を探究しています
ueyonabaruさんの好意で参加させてもらっています、よろしくお願いします
from: cosmo77さん
2010年01月04日 19時52分39秒
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「Re:守護霊について」
>なんでも守護霊にこじつけて、ご自身の思うとおりになさろうとしておられるとは思いません。恣意的ではないのです。そうであれば大変なことです。
私もこれは おやめになった方がいいと思います
もし 先生がそうされるなら それ自体が仏法にも 反してしまうと思うのです
これは [疑] につながると思うので その点は 信心を強く持たれた方がよろしいかと 存じますね
>オバマでも鳩山でも金正日でもそのような考えは深層のところでは先生の言われるとおりかもしれないと私は思っております。
訴えられる可能性があるように思うので その点 気にはなりますね
>奇想天外のことを言って社会の信用を失うという問題があるんですね。
大川先生にしろ その他の 方々にしろ これは 誤解されるから止めた方がいい と思うような 言動を 私は結構見かけて 苦しむことがあります
誤解されるようなことは やめた方がいい と思うのですが やられてしまいます
それと 大川先生の 直説以外は あまり 真に受けすぎない方が よいようです
リバティなどの内容で 私もずいぶん 苦しんできました
また 会員さんは こうおっしゃる方が 多いのですが 大川先生も 現実的には完璧ではない という見方も 結構大切ではないかと 思っております
幸福実現党でも いろいろ悩みましたが 最近 得た考えは 大川先生も わからないことが 結構あるのではないか ということです
王さまみたいな ことばかりやられているので 庶民とか 大衆という観点が どうも よくおわかりではないのかな と思っております
こう考えましたら なんだか 最近精神的には 調子がよくなりましたです
基本的に 幸福実現党の政策とは 民主主義をやめた方が 実現できるのが 本当のところでしょう
つまり 投票権を制限して ブルジョア共和制にすることです
しかし 実際はそれは ムリだ ということですね
from: ueyonabaruさん
2010年01月04日 11時19分43秒
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「Re:Re:守護霊について」
minamikazeさんみなさんへ
> hiraokaさんの言われる「ご指摘の通り、恣意的な発表であろうと思います」の意味が、充分にわからないのですが、もしかしたら僕が危惧していることと同じことを言われているのかもしれないので、改めて書きますと、僕は、あのような形(金正日や鳩山さんの守護霊を呼び出すという形のこと)で守護霊を持ち出されると、何でもありの世界が展開されるのではないかという恐ろしさを感じたのです。
なんでも守護霊にこじつけて、ご自身の思うとおりになさろうとしておられるとは思いません。恣意的ではないのです。そうであれば大変なことです。
先生は現実にそのようにお考えですよ、きっと。まじめなんですよ。問題は、先生のお考えが世の中に受け入れてもらえるかどうかだと思うんです。個人的に言えば、オバマでも鳩山でも金正日でもそのような考えは深層のところでは先生の言われるとおりかもしれないと私は思っております。しかし、このようなことを公言することの意味なんです。得策かどうかでしょう。
奇想天外のことを言って社会の信用を失うという問題があるんですね。この頃の幸福の科学の行動を見ていると、霊的な考えをストレ-トに発表することに何の制御もないように思えます。これも方針であると今は観念しております。
大事なのは、自分自身は先生のお考えを受けることができるかどうかです。第一にこのことを考えてみるのですね。次に、社会がどう思うかなんですが、教団の方針がストレ-トでいくということであれば、これに従わざるを得ないのではないでしょうか。我々も十字架を背負うことになりますね。変な宗教を信じているという疑惑の目で見られることがあるということです。
どうぞ信を堅く持してください。疑うと、すべてがおかしく見えてまいります。
信仰とは決意なのです。私の場合は、最後にはそのようなことがありました。決意できなければ、信仰を放棄せざるを得ません。簡単な真実です。
そこまで考えてはおられないかもしれません。大川隆法の教えで分からないことがあるということかもしれません。私にしてもそれは現在でもあります。幸福実現党の政策の一部にはそれがあるんですね。どうぞ、幸福実現党のことを取り上げてくださいね。
from: ueyonabaruさん
2010年01月14日 19時58分24秒
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「Re:Re:お布施について」
にしき鯉さんへ
ザカ-トのことなど、よく分かりました。ありがとうございました。
> ・・・・・・・・・・・・・・・・
> もう一つ、喜捨には意味があります
> 自分の物欲や執着を減らす作用です
>
> 布施は続けていく内に執着が減ってきます、それは自分にとって本当に必要な物と必要でない物がはっきりわかってくるからです
>
> たとえば、一万円の欲しい服があったとします
> それはそれで欲しいんだけど同じ一万円が「人を救済する宗教」に使われるならその方が今の私には嬉しいです
そのような心境までいきたいものです。
すがすがしい気持ちになりました。
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