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from: minamikazeさん
2010年02月11日 18時48分11秒
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本当の修行とは
ueyonabaru さん、皆さんへ
僕は、去年、幸福の科学のあり方に疑問を持ってから、本当の修行とは何なのだろうということを、ずっと考えてきました。
僕はそれまで、「正しき心の探求」と、「愛・知・反省・発展」の四正道の実践が、修行だと思っていました。今も、確かにそれは、修行だろうとは思っています。
しかし、hikaru0827さんの言葉を借りれば、「あなたがたの目指す遠点はここです」と指し示されながら、やっていることと言えば、際限もなく続く、植福や献本、祈願や研修などの、活動です。僕は去年までは、それでいいのだと思っていました。その活動を通して、この地上を理想世界に導くのだと、信じていましたから。
しかし、幸福の科学は、煎じ詰めれば、大川さんへの個人崇拝に行き着きます。太陽の法、黄金の法、永遠の法、この壮大な法があれば、この教えが広がったときに、世界が平和になると思っていました。しかし今はそうは思いません。
修行について言えば、たとえば僕が勤める会社の、下請けの清掃会社の主任は、元ツッパリなのですが、さまざまな要請をこなしたり、下の者をまとめたり、もがき苦しみながら仕事をしています。僕はそれを見ていて、ああいい修行をしているなあと、思います。
仕事を意味する vocation という単語には、「神のお召し」という意味もあるそうです。人は仕事を通じて、充分、魂修行ができるようになっているのではないでしょうか。また、家庭や、友人関係を通してもそうでしょう。
修行というとやや肩が懲りますが、たとえば、「和顔愛語」で人と接することを心がけ、いつも上機嫌で暮らしている人は、それだけで、当会で言う、与える愛、ができているのではないでしょうか。僕は、活動していたときよりも、今のほうが、はるかに、職場でも、それ以外の人間関係でも、一人ひとりが懸命に生きている姿が良く見えて、「ああこの人も社会の片隅で精一杯生きているんだよな」と思えて、優しい言葉をかけられるようになりました。
以前でしたら、上から目線で、仏法真理を知らないこの人をわからせるにはどうしよう、などと考えていたものです。
しかし誤解なきように言いますが、幸福の科学の中にも、愛があり、素晴らしい人はそれなりにいますよ。他の組織と一緒です。いろんな人がいます。
でも、上からの方針に従って動き回り、苦しくなると裁いたりする姿も、ずいぶん見ています。だから、どうしてもそこには、無理があるように思えます。
植福菩薩、経典菩薩、布教菩薩、幸福維新菩薩、映画のときは、回転菩薩、などなど、菩薩という言葉で、操られているように思うのは、僕だけでしょうか。修行菩薩というのもありますね。30年間に渡って、精舎研修を受け続けるというものですが、こうした菩薩制度で、がんじがらめになっているような気がするときがあります。
本当の修行は、そうしたシステムによって操られるものではなく、足下にあるのだと思います。今与えられているリアル社会での環境こそが修行の場であり、それ以外にはあり得ません。
皆さんにとっての修行とは何なのかを聞かせてもらえれば幸いです。
コメント: 全6件
from: hikaru0827さん
2010年02月13日 05時20分41秒
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「Re:本当の修行とは」
minamikazeさんへ
> しかし誤解なきように言いますが、幸福の科学の中にも、愛があり、素晴らしい人はそれなりにいますよ。他の組織と一緒です。いろんな人がいます。
> でも、上からの方針に従って動き回り、苦しくなると裁いたりする姿も、ずいぶん見ています。だから、どうしてもそこには、無理があるように思えます。
> 植福菩薩、経典菩薩、布教菩薩、幸福維新菩薩、映画のときは、回転菩薩、などなど、菩薩という言葉で、操られているように思うのは、僕だけでしょうか。修行菩薩というのもありますね。30年間に渡って、精舎研修を受け続けるというものですが、こうした菩薩制度で、がんじがらめになっているような気がするときがあります。
> 本当の修行は、そうしたシステムによって操られるものではなく、足下にあるのだと思います。今与えられているリアル社会での環境こそが修行の場であり、それ以外にはあり得ません。
三宝帰依という事を考えると、僧団という組織にも逆らってはいけないだろう…と思っていた時もありましたが、仏・法はともかく、僧については、少し意味が違うのだと思います。
僧は、至らない部分もあるでしょうし、間違いもあるでしょう。
会員の方自身が、その僧団の一員であり、僧団を高めていく当事者です。
おかしい、と思う事は、建設的な意見として、どんどんアピールしていいと思います。
僧団への帰依というのは、深いところでの信頼関係と考えています。
どんなシステムも、それは手段であって目的ではありません。
「なんとか菩薩」を励みにする事はあっても、すぐに忘れたい称号ですね。
どんな活動も無理を感じて行うなら菩薩果とはいえません。
己の欲せざるままに行えてこそ、菩薩です。
習慣化という修行にはなっているかもしれませんが、そこに無理があれば長続きしないでしょう。
> 皆さんにとっての修行とは何なのかを聞かせてもらえれば幸いです。
私の修行は、すべて日常生活にあります。そして、「上求菩提・下化衆生」が基本ですね。
私の知っている真理を如何に体現していくかですね。
家では、家事手伝い・子供の世話・妻の世話…。
会社では、仕事…。
心のコントロールは今なおヘタクソです。毎日自己嫌悪です。
支部活動でなくても、機を見て真理を伝える事は出来ます。
その言葉は、本当に腑に落としたものでなければ、うわっすべりするのみで、伝わりませんし、不自然な会話になります。
社会を良くするために貢献したい、という欲求は常に持っていますが、残念ながら今はその実力も立場もなく、ビジョンも描けておりません。
from: ueyonabaruさん
2010年02月12日 13時02分36秒
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「Re:Re:Re:本当の修行とは」
minamikazeさんへ
> > 先生が説かれる法が納得できるので、先生を崇拝しても構わないと思います。私は、最初からこのような書籍を全面的に信じて入信をしていませんので、minamikazeさんとは大分事情が違うようですね。ただ、この方の思想は、常人にはありえないという尊敬の思いはありましたね。これは、変わりありません。
> 人間として尊敬するのはとてもすばらしいことです。僕も吉田松陰や坂本龍馬は尊敬しています。
> しかし、人間を崇拝するのは、今はとても抵抗があります。
> 崇拝してしまうと、ありのままにその人を見ることができなくなるからです。
お気持ちはよく分かります。崇拝は強い感じがしますね。あえて、崇拝としたのは、先生ご自身がエル・カンタ-レとおっしゃるので、その位置づけで考えてのことです。
先生は大川隆法であり、同時にエル・カンタ-レという二面がありますね。実相においては、エル・カンタ-レであり、9次元霊のリ-ダ-であるわけです。現世では、幸福の科学総裁という人間になります。その二面性のところが、混乱するように思います。
人間大川隆法は人間的に欠点がないとは言えないのではないでしょうか。間違いもあります。しかし、エル・カンタ-レであると信じるのは信仰だと思います。
我々も、この世における人間としての自分と、実相における自分というものがあります。人間は、実相においては、霊であり、仏子であり、不滅の知性であり、不滅の力であると教えられております。このことを信じることもまた信仰になりますネ。我々にも、大川先生にも同様の二面性があるわけですね。これらの事情については、「信仰のすすめ」において、次のように書かれております。
「結局、信仰とは、「あなたは誰ですか。どこの家の子ですか」と訊かれ、「私は〇〇家の子です」と答えているのと同じようなことなのです。すなわち、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は仏の子です。私の親は仏です。神と言われることもありますが、仏が私の親です」と言えることが信仰です。」
> 精舎と言えば、沖縄正心館にも行きましたが、とても綺麗な精舎ですね。海が目の前にあって、眺めもいいし。
たくさんの信徒さんたちが来られるといいなと願っております。支部長から、「あなたも精舎に行けば、心境が変わるから」と勧められますが、もうしばらくしたらいくからと応えております。ユックリでいいと思っているんです。
何しろ今でも、考え方の大半は、大川さんから得たものを基礎にしていますからね。僕は大学に行っていないので、大川さんの書籍で、教養を身に付けたようなものです。
> 活動をやりながら心の修行もしている人がいるなら、それはとても立派だと思っています。現実にはとても難しいとは思いますが。
大学に行かれなくて、これだけの発言がおできになるのは、本来、力があるからだと思います。もっとも、大学で私達のここでのテ-マを教えてくれるわけでもありませんので、結局は、自分の興味と努力が大切なのでしょう。
心配ですね。長続きできるでしょうか。
from: minamikazeさん
2010年02月12日 00時24分26秒
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「Re:Re:本当の修行とは」
ueyonabaru さんへ
> この四正道は正しいと思います。これを、現実生活に行じることが向上の道だと思います。特に私にとっては、愛のところですね。これは大事です。調子の悪いとき、気分が優れない時には、他の人の望むところは何かを考えて実行するようにしております。これは、意志的な作業であっても効果的です。見返りを求めない、あるいは見返りとは関係のないところで行うのです。働くことですね。
おっしゃるとおりです。 四正道は理想です。その理想をいかに、生活の場に下ろしていくかですよね。
>
>
> 先生が説かれる法が納得できるので、先生を崇拝しても構わないと思います。私は、最初からこのような書籍を全面的に信じて入信をしていませんので、minamikazeさんとは大分事情が違うようですね。ただ、この方の思想は、常人にはありえないという尊敬の思いはありましたね。これは、変わりありません。
人間として尊敬するのはとてもすばらしいことです。僕も吉田松陰や坂本龍馬は尊敬しています。
しかし、人間を崇拝するのは、今はとても抵抗があります。
崇拝してしまうと、ありのままにその人を見ることができなくなるからです。
> 私は、いつも、皆が幸福の科学の信者になってもらいたいという気持ちがありますが、現実はナカナカできないでおります。これが、自然に伝道ができるようになればいいのですが、これは、ホントの信仰ができていない故なのかもしれません。信仰を実生活の中に生かしている人は、巧まずしてこれが可能でしょう。その人の思いが他者によく通じるはずですから。まず、自分がホントに幸福になることが大事でしょうね。
いわゆる、背中で語るというやつですね。おそらく生長の家にも、そのような徳のある方がいたのではないでしょうか。
徳による感化力こそが、本当の伝道のように思います。
大川さんを見ていて気になるのは、自分を大きく見せることに懸命になっているように思えるところです。組織も、大きく見せようとしていますね。これは、教団の会員数を始め、公式発表と実際の違いを見ればわかります。大川さんの昨年の発言を、時系列を追って見ていけば、いろいろなことが見えてくると思います。
>私の修行は、四正道と正心法語の読誦しかありません。瞑想は、精舎に素直に行けるようになってからやりたいと思います。だんだんに素直になっているようですが、まだ精舎に自発的に行こうという気持ちには至りません。
精舎と言えば、沖縄正心館にも行きましたが、とても綺麗な精舎ですね。海が目の前にあって、眺めもいいし。
僕は全部を否定していません。精舎で気づいたこともあります。
ゼロか百課というような極端な考えは持っておりません。
家庭の事情もあり、会員は今後も続けていくつもりです。ただ、やめる可能性もあるということです。
人間、大川隆法としてなら、今でも充分に尊敬していますから。何しろ今でも、考え方の大半は、大川さんから得たものを基礎にしていますからね。僕は大学に行っていないので、大川さんの書籍で、教養を身に付けたようなものです。
活動をやりながら心の修行もしている人がいるなら、それはとても立派だと思っています。現実にはとても難しいとは思いますが。
from: にしき鯉さん
2010年02月11日 21時04分26秒
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「Re:本当の修行とは」
minamikaze さんへ
本当に素晴らしい正直な見方ですね
<僕が勤める会社の、下請けの清掃会社の主任は、元ツッパリなのですが、さまざまな要請をこなしたり、下の者をまとめたり、もがき苦しみながら仕事をしています。僕はそれを見ていて、ああいい修行をしているなあと、思います。>
同感です、自分もそう思います
自分にとって修行とは生きる事、自分のこころと戦うことです
自分の心にはエゴという「魔」が住み着いています
普段は平静です、しかし、一旦自分に不利益な事がおきるととたんに「エゴ」が動き始めます
性欲もそうですし特にプライドはやっかいです
他人に何かして感謝されれば嬉しい、
でも、逆に努力して助けたとしても感謝されなければ、、、
「ああ、あいつはこういうヤツなんだ」と今度は批判する事で自分を正当化する「エゴ」が起きてきます
本来、仏教には「頓着(とんちゃく)するな」の言葉があります
それは「善の行為」にも適用されます
それが中々難しいんです、今でも、、、
だからこそ教義の復習がかかせないんです
自分の中の「魔」というエゴが動き出した時に止めるのはキチンとした教義データなんです
それが今生、生きているうちに確立できるかが最大の課題です
from: ueyonabaruさん
2010年02月11日 20時23分08秒
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「Re:本当の修行とは」
minamikazeさんへ
> 僕は、去年、幸福の科学のあり方に疑問を持ってから、本当の修行とは何なのだろうということを、ずっと考えてきました。
> 僕はそれまで、「正しき心の探求」と、「愛・知・反省・発展」の四正道の実践が、修行だと思っていました。今も、確かにそれは、修行だろうとは思っています。
この四正道は正しいと思います。これを、現実生活に行じることが向上の道だと思います。特に私にとっては、愛のところですね。これは大事です。調子の悪いとき、気分が優れない時には、他の人の望むところは何かを考えて実行するようにしております。これは、意志的な作業であっても効果的です。見返りを求めない、あるいは見返りとは関係のないところで行うのです。働くことですね。
> しかし、幸福の科学は、煎じ詰めれば、大川さんへの個人崇拝に行き着きます。太陽の法、黄金の法、永遠の法、この壮大な法があれば、この教えが広がったときに、世界が平和になると思っていました。しかし今はそうは思いません。
先生が説かれる法が納得できるので、先生を崇拝しても構わないと思います。私は、最初からこのような書籍を全面的に信じて入信をしていませんので、minamikazeさんとは大分事情が違うようですね。ただ、この方の思想は、常人にはありえないという尊敬の思いはありましたね。これは、変わりありません。
> 以前でしたら、上から目線で、仏法真理を知らないこの人をわからせるにはどうしよう、などと考えていたものです。
私は、いつも、皆が幸福の科学の信者になってもらいたいという気持ちがありますが、現実はナカナカできないでおります。これが、自然に伝道ができるようになればいいのですが、これは、ホントの信仰ができていない故なのかもしれません。信仰を実生活の中に生かしている人は、巧まずしてこれが可能でしょう。その人の思いが他者によく通じるはずですから。まず、自分がホントに幸福になることが大事でしょうね。
> 植福菩薩、経典菩薩、布教菩薩、幸福維新菩薩、映画のときは、回転菩薩、などなど、菩薩という言葉で、操られているように思うのは、僕だけでしょうか。修行菩薩というのもありますね。30年間に渡って、精舎研修を受け続けるというものですが、こうした菩薩制度で、がんじがらめになっているような気がするときがあります。
こういうのは、好きでありません。私は、このように説明されると反発する性格ですね。教団がお金を必要としているのは分からないでもないですが、・・・・・・。どうも困ります。
> 本当の修行は、そうしたシステムによって操られるものではなく、足下にあるのだと思います。今与えられているリアル社会での環境こそが修行の場であり、それ以外にはあり得ません。
幸福の科学のシステムも大事ですし、これを現実に生かさねば本物ではないでしょう。両方大事です。
私の修行は、四正道と正心法語の読誦しかありません。瞑想は、精舎に素直に行けるようになってからやりたいと思います。だんだんに素直になっているようですが、まだ精舎に自発的に行こうという気持ちには至りません。
from: minamikazeさん
2010年02月15日 18時50分32秒
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「Re:Re:本当の修行とは」
>hikaru0827さんへ
> 僧は、至らない部分もあるでしょうし、間違いもあるでしょう。
> 会員の方自身が、その僧団の一員であり、僧団を高めていく当事者です。
> おかしい、と思う事は、建設的な意見として、どんどんアピールしていいと思います。
hikaru0827さんの支部はどうかわかりませんが、僕のところは、アピールなどできる雰囲気ではありません。
> どんなシステムも、それは手段であって目的ではありません。
> 「なんとか菩薩」を励みにする事はあっても、すぐに忘れたい称号ですね。
> どんな活動も無理を感じて行うなら菩薩果とはいえません。
> 己の欲せざるままに行えてこそ、菩薩です。
このサイトの会員さんは、みんなまともで、話が通じるのでありがたいです。hikaru0827さんの意見に、全面的に賛成です。
> 私の修行は、すべて日常生活にあります。そして、「上求菩提・下化衆生」が基本ですね。
> 私の知っている真理を如何に体現していくかですね。
>
> 家では、家事手伝い・子供の世話・妻の世話…。
> 会社では、仕事…。
> 心のコントロールは今なおヘタクソです。毎日自己嫌悪です。
>
> 支部活動でなくても、機を見て真理を伝える事は出来ます。
> その言葉は、本当に腑に落としたものでなければ、うわっすべりするのみで、伝わりませんし、不自然な会話になります。
>
> 社会を良くするために貢献したい、という欲求は常に持っていますが、残念ながら今はその実力も立場もなく、ビジョンも描けておりません。
>
hikaru0827さんや、cosmo77 さんのような、会員がいるなら、幸福の科学も捨てたものではありません。
僕も、おかげさまで、今では会員だけは続けようという気になっています。縁があって入ったわけだし、家庭の事情もあります。
大川さんは巨大過ぎて、僕の物差しでの理解が及ばないだけなのかもしれませんしね。ただ、どうしても納得できないことは、それはそれとして、きっちりと、考えることだけはしていきたいのです。
大切なのは、距離のとり方だと思っています。自分にとって、最善の距離をとり、大らかな心で会員を続けます。いろいろとアドバイスをいただき、ありがとうございます。
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