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  • from: にしき鯉さん

    2010年03月07日 12時53分03秒

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    仏教考察③(三乗)

    hikaru0827 さん、ueyonabaru さんへ

    三乗思想の判断材料です

    まず、声聞乗は大乗仏教の判定からすれば

    「仏の教えは聞くが自分のみの悟りに使うから小さい乗り物である」よって声聞乗は人を救う教えではない

    縁覚乗は「師なしで山にこもったりして一人で悟りを目指す」
    よって自分だけが良ければいいというわがままな道で人を救う教えではない
    後に、縁覚は「辟支仏」とも「独覚」とも呼ばれましたが詳しい分類は今回はパス
     
    菩薩乗の説明はここのメンバーがすでに歩んでいる道だからパス
    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    上に上げたのは大乗側の言い分です

    では、実際にはどうだったのでしょう

    釈迦存命の頃から「遊行」と称してあちらこちらの国にでかけて法を説いていました
    釈迦がいた場所では本人が法話していましたが高弟と言われる方々は別の場所で説法することも多かったようです

    人々の悩み、苦しみを聞きながら「私はこう思う」ではなく
    「私の支持している方はこのように言われています」と釈迦の話として説法をしていたそうです
    もちろん、当時は記録するノートのような物はなく遊行での話は完全なる「暗記」だったようです

    当然、自分流解釈は出来ないのでわからない事があると釈迦本人までたびたび聞きに帰ってていたようです

    彼らは教えの流布を昼間やり、夜は自分の修行を続けていきました

    一日の大半を教えの流布と修行に使っていた彼ら(サーリプッタやモッガラーナ)を「声聞」「縁覚」といい小さな乗り物に乗る「独りよがり」と大乗は断定しました

    徳一さんは自分で山岳宗教のような修行をやっていたので「行」の必要性を感じていたのだと思います

    人間にはいろんなタイプがいるように修行者にもいろんなタイプがいるんです

    現代でいえば「行」中心のタイプ、「教学」中心のタイプ、意味はわからないが人に安心を与えることが得意な「徳の蓄積」タイプ
    どの入り口からはいっても「悟り」という出口は一緒なんです

    「最高」の方法は一つではないんです(最澄はそれがわからなかったんです)

    だから「菩薩乗」は間違いではないんですが合わない人もいるんですよ
    五時八教を主軸とした法華経信望の最澄に徳一さんが反発したのはわかるような気がします

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