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from: にしき鯉さん
2010年04月04日 15時24分03秒
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仏教考察④
以前、「自灯明・法灯明」の話をしました
自己を拠りどころにしなさい、法を拠りどころにしなさいという話です
あれは私たち在家信徒に向けられていった言葉でしょうか
前後の仏典を見てみました
釈迦が亡くなるとわかった時点でアーナンダが聞きました
師がなくなった時に私たち弟子はどうすれば良いのでしょうか?
教団はどう運営すればいいんでしょうか?
新しい師はどこを探せばいいんでしょうか?
アーナンダよ、お前は何を学んできたのか、私は「真理」だけをお前たちに説いてきた
これ以上、私の説くべものは何もない、今生で私のするべき事はすべて終わったのだ
アーナンダは「では葬儀(亡骸の処理)はどういった形でしましょうか?」
アーナンダよ、お前たちはそういう事に関わるな、
師を探すとか、教団がどうなるかとか、そういう事に関わるな
修行を完成させよ、ひたすら修行にはげめ
「自己を拠りどころとしなさい、法を拠りどころにしなさい」
世間の雑事などに関わっていてはいけない
この頃、釈迦の遊行している近くの国々の王は激論していたそうです
我こそ釈迦の遺骨をもらって祭るとか、葬儀は自分たちがやるんだとか言い合っていました
それは在家信徒の釈迦に対する尊敬心の表れでしたが
釈迦はそれほど、皆が言うように在家の人に体系立てて法を説いてはいませんでした
在家の者に説法はしましたがそれは常に「対機説法」であって質問や内容においてその人にあった法を説いたのです
以前、ueyonabaruさんに「自灯明・法灯明」は在家の信徒に向けていった言葉ではないと書きました
それは釈迦の臨終の時はまだ仏典の編集もできておらず、在家の修行法も確定していなかったからです
釈迦は「解脱」「悟り」への道筋と方法は明確に示しましたが
それは直弟子だけに伝えられました
よって「自灯明・法灯明」の話はアーナンダとその仲間、直弟子だけに向けられたものだったのです
この辺をゴチャゴチャにすると「三宝帰依」との整合性がとれなくなります
コメント: 全1件
from: にしき鯉さん
2010年04月04日 15時26分41秒
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「:仏教考察④の続きです」
続きです、
釈迦が「三宝帰依」を言ったのではありません
釈迦入滅後、何百年かたってから「三宝帰依」の言葉が出来てきました
それは布施をし、持戒を守り、瞑想に入る前の段階として打ち出されました
これは「預流向(よるこう)」と言われ真理の道に入るためには
「ブッダ・真理の教え・それを実践する僧」に対して尊敬の念を持ち、心の拠りどころにしなければならないという考えから始まりました
それはそれで意味ある事ですし、賛成です
ただ、私はueyonabaruさんに正しい理解をして欲しくて書かせていただきました
・・・・・・・・・・・・
蛇足です(豆知識)
釈迦の遺骨を仏舎利といいます、そしてこれを祭ったものがストゥーパといって各地にあります
日本にその風習は伝えられ「卒塔婆」として今でも使われています
墓にあるギザギザの板、戒名が書いてあるアレです
葬式の焼香の時に香を三回、額に近づけてもどします
あれは仏、法、僧と心のなかでつぶやくんです
そして合掌の間、人間の三毒(貧・怒・痴)を滅して下さいと仏、法、僧にお願いする作法です
(三宝帰依の簡易版みたいですね)
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