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from: にしき鯉さん
2010年04月27日 19時37分28秒
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仏教考察⑥
この前、「四向四果」の話を少し書きました
難しいことは抜きにして本筋を書いてみます
四つの向かう道、四つの結果です
預流向(よるこう)、預流果
一来向(いちらいこう)、一来果
不還向(ふげんこう)、不還果
阿羅漢向(あらかんこう)阿羅漢果
悟りの段階は四段階あると原始仏教は説きます
仏典では「誰々は悟った、確かに悟った」と釈迦は言っていますが
それは皆さんの知っている「大悟」とは違う場合があります
預流果には預流果の悟りがあります、一来果には一来果のさとりがあります(同様に不還果にも阿羅漢果にもあります)
真理を知らなかった人が真理の道を歩き始める事が「預流向」です
そして真理の一端、「この世の無常」(諸行無常)を実体験できた時が預流果です
それは真理の体系を頭で理解すること、何が煩悩で、何が苦しみの素で何を実践していけばそこから脱出できるかわかること
もちろん、頭で理解しても人格はすぐには変えられませんし、すぐに「怒らない人」にはなれません
でも、「この世で変わらないものは何一つない」と理解できれば些細なケンカも「こんな事で怒っていても仕方がない」という気持ちも生まれます
ようするに預流果の段階になるとやってはいけない事とやったほうが良い事の区別がはっきりわかります
人間を再生させる煩悩というのを見つめ、高い世界に生まれるための構成要素を増やし、悪趣といわれる地獄や餓鬼の構成要素を潰していく修行です(その先に「大悟」があります)
この預流果の悟りも釈迦は「悟り」と表現しています
ただ、間違えないように仏典ではキチンと各段階においての悟りと明言しています
日本では禅の教えで「頓悟」と「漸悟」の考え方がありますが、、
難しい事は止めにします、実戦主義なので、、、
もう、一つ、ウソがつけなくなります
これが、預流果の最高の「果」ではないかと思います
ウソは「自己防衛」の気持ちからうまれます
自分がまずい立場に立ったとき、又は自分が利益を受けたいと思った時、人間はウソをつきます
(ガンの人に、身内がガンじゃないと言うのは例外ですが、、、)
真理の流れに入るとウソをつく時のプレッシャーは多大なものになります
ポッと出たウソも後で後悔の念でいっぱいになります
自分の心と仏典を照らし合わせた時、過去にいかに多くのウソをいって自分を誤魔化したか考えると自分で自分が嫌いになります
人間の脳で理解できる範囲のさとりを原始仏典では「預流果の悟り」としています
「預流向」と「預流果」について書いて見ました
皆さんに興味があれば続けます、、、なければ終わり、、、かな?
久しぶりに書いたので誤字、脱字あったらすみません
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