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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい>掲示板

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  • from: にしき鯉さん

    2010年05月10日 00時09分06秒

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    現実におけるユートピアとは!

    hikaru0827さんとueyonabaruさんに質問です

    幸福の科学のいう「現世のユートピア」というのはどういうものなんでしょうか?
    幸福の科学の教えが浸透した時だと思いますがどうも現実感がわきません

    霊界論も矛盾があります、
    誰々が〇次元に生まれ変わったとよく聞きますが基準となるものが明確ではありません

    魂の創造の件に関しても到底信じられる内容ではありません
    私はueyonabaruさんのように「正しいと考える事」から始められる人間では無いようです

    仏教でいえば仏典のすり替えが数多く行われています
    これについては何度も書きました

    全く別の新しい思想を大川さんがかかげて「これが正しい」というのなら別にかまいません
    しかし、実際には仏教をベースにしています

    仏典の中のユートピア(たとえば阿弥陀如来の世界)
    聖書の中のユートピア(神の意思に従う国)は、個々それぞれ違います
    幸福の科学のユートピア構想とはどのような物なのでしょうか?


    hikaru0827さんは皆が幸福の科学の教えを信じたら本当に幸せに生きれると思いますか?
    もし、そうなら今の「幸福の科学」の信徒は幸せだと思いますか?

    最近のhikaru0827さんのコメントを読むと無理やり良い方に解釈しようとする意図を感じます
    言葉が過ぎたら申し訳ありません

    人の心がどうなって、社会がどうなれば現実の「ユートピア」になるんでしょうか?


    よろしくお願いします

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    • 31

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コメント: 全31件

from: hikaru0827さん

2010年05月23日 02時56分08秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ

返信ありがとうございます。

> いや、私は疑っていますよ
> だからこそ、確認するんです、自分で修行してそれが真実かそうでないか、体験でしか確認しようがないんです
>
> 経典至上主義にはなりたくないと思います
> ここで説明してるのは皆さんに《教え》そのものに興味をもってもらいたいからです
>
> それは「法施」をするときに必ず役に立ちます


失礼しました。了解いたしました。

ただ、引っかかる事が1つあります。

『 釈迦の弟子500人が、当時すでに釈迦と同様の悟りをひらいていたのかどうか 』です。

悟りが高くなればなるほど、その人が周囲に与える「影響力」も上がっていくと思います。殆どの場合。もちろん良い方向に。

しかし、釈迦の弟子500人について私が知らないだけかもしれませんが、釈尊ほどの仕事・実績を残した人はいないようです。

ある段階の悟りには到達しているのでしょうけど、釈尊のレベルには達していなかったと思います。












> <仏のタイプには大別して3種類あるという話です。>
>
> 面白いですね、私もそう思います
>
> ただ、二つ目の救世主のタイプはキリストよりもマイトレーヤの方が合っていると思いますがどうですか?
>
> 地球が滅する56億7千万年後に総ての魂を救済するという未来仏です
>
> 私にとってはキリストはあまり評価は高くないです
> それは「伝道」期間が少なかったこともあります
> 旧約との整合性も今一歩、納得がいきません
>
> 神の国を説明し、あこがれだけを助長したような気がします
> 当時は、それが一番必要だったかも知れませんが、、、
>
> ともあれ、これからもお互いに追っかけていきましょう
>
>

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from: にしき鯉さん

2010年05月21日 23時19分19秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
hikaru0827 さんへ

相変わらず、視点がすごい、感服します

「愛」については概ね了解です
同じような感覚を持っています

<釈尊は不殺生を説きましたが、すでに調理済のものであるなどの「条件」によってはOKだったと記憶しています。>

その通りです、托鉢で得るものは総て口にします
これは、釈迦の教えを理解してない人たちでも布施を受けると言う釈迦の愛でしょう、私個人はそれで納得しています
・・・・・・・・・・・

<500人での会議ですか…。
一人ひとりの本心を吸い上げる事は非常に難しい事かと思います。
えてして声の大きな人の意見が通ったり、中心人物に遠慮がちになったりしますが…。>

ちょっと説明があいまいでしたね、基本はアーナンダが「如是我聞」日本語でいうと「私はこのように聞いた」
と言う言葉でほとんどの経典が始まっています

たぶん、書物に頼らない時代でしたから「暗記」の能力が抜群に良かったのだと思います
当時、文字はすでにあったようですが、およそ二百年間は暗記によって保持されています

ここでたくさんの釈迦の説法がくり返されたわけですが、その中から「論」法を集めた物、「律」戒律や教団のルール、「経」実際に釈迦が話した説法などの編集が行われています

釈迦入滅の頃には釈迦と同じ境地、阿羅漢が500人いたといわれますからチェックもかなり厳しかったと想像します
・・・・・・・・・・・・・・
<何が言いたいかと申しますと、「経典の内容」若しくは「経典の解釈」について、コンマ1%でも真実ではないかもしれないという余地を残しておいて欲しいのです。>

いや、私は疑っていますよ
だからこそ、確認するんです、自分で修行してそれが真実かそうでないか、体験でしか確認しようがないんです

たとえば、仏教の「喜」や「軽安」は経典では説明がありません
(瞑想の段階としてはありますが)
でも、ヨーガの中にはやり方まで書いてあります

経典至上主義にはなりたくないと思います
ここで説明してるのは皆さんに《教え》そのものに興味をもってもらいたいからです

それは「法施」をするときに必ず役に立ちます

・・・・・・・・・・・・・・・・

<仏のタイプには大別して3種類あるという話です。>

面白いですね、私もそう思います

ただ、二つ目の救世主のタイプはキリストよりもマイトレーヤの方が合っていると思いますがどうですか?

地球が滅する56億7千万年後に総ての魂を救済するという未来仏です

私にとってはキリストはあまり評価は高くないです
それは「伝道」期間が少なかったこともあります
旧約との整合性も今一歩、納得がいきません

神の国を説明し、あこがれだけを助長したような気がします
当時は、それが一番必要だったかも知れませんが、、、

ともあれ、これからもお互いに追っかけていきましょう

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from: hikaru0827さん

2010年05月21日 06時59分49秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ


遅くなりました。
少し見ぬ間に随分盛り上がってますね。


> 表現が難しいのですが「心が再生する素」ならば心が一切動かない世界に入れば良いわけです
> 外側には総ての情報があるのに自分の心(真我)が一切、関心を持たない状態、これが最高の至福と[ニルバァーナ]を定義しています
> <『外側にある総ての情報』…この言葉の意図するところが、「人を惑わすような快楽的な刺激である情報」ではないかという気もするのです。>

>こちらから質問です
>愛情は人を惑わしませんか?
>正義は人を惑わしませんか?
>家畜を殺し、ペットは可愛がる、これは真理だと思いますか?


愛には段階があると言われてます。
まず「奪う愛」は自他共に不幸にします。

次に「愛する愛」です。愛しいものを愛しいと感じるものです。ペットを可愛がるのもこのあたりかもしれません。しかし人として最低限持つべき気持ちでしょうか。

次に「生かす愛」です。他者の為に、あえて厳しい事も言い教導、善導するものです。知恵が必要です。

そして「許す愛」です。愛の思いで知恵をもって指導しても人は、過ちを犯し、失敗をするものです。それでも慈愛の眼差しで見守り待ち続けるものです。

あと、「救世主の愛」や、「存在の愛」というものがあると教わっています。

愛も正義も発展段階というものがあるのだと思います。
限りなくそれらを発展させていく事が、神仏に近づく事であり、悟りを深める事だと思っています。
もし、心の全てを滅尽する事が最高の悟りであるなら、魂の消滅もまた究極の悟りである事になりませんか?
「心の動きを無くす」、というのは、「心の全てを滅する」のではなく、「不動心の極致」のようなものではないでしょうか?
「心を純粋な慈しみの念いだけで満たす」でも可能ではないでしょうか?

それと、少し脇にそれますが、「家畜を殺し、食べる」という行為は悪なんだろうか、という事を考えてみます。
釈尊は不殺生を説きましたが、すでに調理済のものであるなどの「条件」によってはOKだったと記憶しています。
しかし、食べる為であっても自ら動物の命を奪う事は禁じたわけです。
その理由は、殺される側の苦しみ。そして殺す側が意図的に作らねばならない残酷性に対する麻痺感覚。
それらを因としたカルマの形成。
などでしょうか…。

では、例えば「許す愛」や「存在の愛」を体現できたような方は、食べる為の殺生をどのように捉えておられたでしょうか。
過去を生きた聖人や仏陀はどうだったのでしょうか…。
イエスはどのような気持ちで肉を食べていたのでしょうか…。
みな菜食主義だったわけではありません。いえ厳密には植物とて命です。

彼らは下生する前は悟りが浅く、この「苦界」に落ちてこられ生き物を食べる羽目に陥ったが、地上で悟りが進み、そのお陰で「何も要らない」境地・世界へ行ったという事でしょうか…。
そのように考えてもつじつまは合います。
ただ実際には一躍跳入如来地というのは稀であり、ごくごく普通の人が、今世の人生のみで、救世主並みの悟りに到達する事は、常識的にはありません。

涅槃を感得される方は生まれる前から蓄積があり、それなりの霊格であっただろうと思います。
…という事は、それなりの霊格であった人でも地上という苦界に生まれ、生き物を食べるという罪を積み重ねているのでしょうか…。

私は「輪廻転生」とは向上の為の手段だと言いました。
その考え方であれば、どうなるでしょう。
地上に生まれた私達は、そこにある命をいただかねば生きていけません。
全ての生き物は、全ての生き物に支え支えられ生きている事を学びます。
感謝を学びます。
殺される立場を経験すれば、その辛さも学びます。
食べて食べられる経験で得られる学びを全て修了したら、そのような世界には転生する必要が無くなるという事です。
前に触れました惑星意識などは、その例と言えるでしょうか。

ならば食べる食べられるという行為は、単純に悪だとは言えない、という事になります。
その環境は、学びの為に与えられたものだと言えるからです。


…………

>いやあ、ここまで正直に質問されるととても嬉しいです


お付き合い下さり感謝いたします。

…………


><1つ確認したいのですが、経典の1時結集は、釈迦存命中で立会のもとですか?>
>いえ、釈迦が亡くなってから7日後にマハー・カッサパが主導して500人の阿羅漢を集め、論・律・経をまとめています
>釈迦は、存命中は経典を残す事を禁止していました

>  <釈尊が語る言葉が原始仏典と違っていた場合、にしき鯉さんはどうされるでしょうか?>

> 納得のいく説明を求めます!


500人での会議ですか…。
一人ひとりの本心を吸い上げる事は非常に難しい事かと思います。
えてして声の大きな人の意見が通ったり、中心人物に遠慮がちになったりしますが…。

経典には、釈尊が体験した悟りの段階というものが示されているようですが。
釈尊を敬愛するあまり、その評価が甘くなるとか…ありませんか?
「先生ほど悟りを得た人は後にも先にも居りません」と言った弟子に、釈尊は
「お前は後と先の事を知っているのか!」と叱ったそうです。
釈尊の居ない場で、師の評価を正しく行う事は難しいかもしれません。
師を高く評価する事が信仰心の現れ、と取られる……そんな事はないでしょうけど、「釈迦は、もっと低い心境だったと思います」とは言いにくいでしょう。


>物質がなくても自分の中に総てがある、総てがあるから何もいらない、、、それを表現しようとして前回のコメントをいれました
>やはり、難しいですね、ニルバァーナの説明は、、、


そうなんです。言葉というものは100%には伝わりません。
特に悟りの境地などは感得してはじめて「あっ、こういう事か」と分かるようなものだと思います。
そういう意味からも、経典を正しく理解する事は難しいかと思います。

古来、経典の検証・研究は熱心に行われているようで、それに対し不勉強な私が口を挟むのはおこがましい事かもしれません。
私の言ってる事は、殆ど言いがかりです。
要するに、何が言いたいかと申しますと、「経典の内容」若しくは「経典の解釈」について、コンマ1%でも真実ではないかもしれないという余地を残しておいて欲しいのです。


…………
 
> <釈尊が説きたかった事は、苦しみから逃れる方法ではなく、苦しみの意味を正確に捉え、苦しみに屈しない自分を作れ、乗り越える力を身に付けよ、という事ではないでしょうか。>

>それは違います、「釈迦は苦しみを逃れる法方」ではなく「苦しみをなくす法方」を説いたんです

> <2:釈尊は真に全てに関心のない境地に達したのか?>を考えます。

>質問の答えですが、総てに関心がなかったんではないでしょうか?
>釈迦は自分からではなく「梵天の懇願」によって法を説くことを決めています

> <すると、釈尊は弟子たちの成長具合や、世界の幸不幸にも全く興味関心を無くしたという事ですか?>

>無くしたのではなく、最初から無かったんだと私は考えます
>ただ、責任感は強かったと思います、「真理」を知りたいとおもう人間にはカースト制度関係なく弟子入OKしてましたし、最初は女性の出家は許可してなかったのにアーナンダの再三の願いによって
>許可になりました
>戒律も最初は数えるほどだったのに問題が起こるるたびに増えていきました(最終的には227戒だったような、、、?)
>これも釈迦の責任感でしょう
>だから、40年あまりの伝道の中で言いたいことは伝えつくした気持ちがあったのではないでしょうか
>釈迦は人類救済のために生まれたなどと言われていますがそれは大乗仏教の神格化されたつくりものの釈迦ですよ


にしき鯉さんの話を聞いていて思い出しました。
そして合点がいきました。

ゴータマと大川総裁は別人です。
いえ、総裁が仏陀であり釈尊の生まれ変わりである事は信じています。
しかし、総裁は釈尊その人ではありません。

以前にも霊言の話で触れました。
久しぶりに見ると、皆さん、霊言や、過去世認定の話で盛り上がっていますが、関連があります。
霊言しているチャーチルは、チャーチルではあるが、しかし、私達が知るチャーチルではないんだと。
帰天し本体と融合した時点で、地上で生きたチャーチルではなくなっているのでは、という話をしました。

「魂の兄弟」の事は太陽の法にありましたよね。
9次元霊の場合は、その魂が大きすぎて、兄弟というより、魂の一部が下生されると言われています。
言うなれば、ゴータマと大川総裁は、同じエルカンターレの魂でありながら、別の個性を持った魂である、と考えます。

だから、にしき鯉さんが、大川総裁を釈迦のイメージと違うと思われるのも当然です。
釈尊を非常によく知っているにしき鯉さんだからこそ違和感を持つのかもしれません。

私は釈尊を誤解していました。
にしき鯉さんの話を聞いていて釈尊のイメージが変わりました。そして思い出しました。
仏のタイプには大別して3種類あるという話です。

1つは、法を作り上げる仏。その仕事は、長い年月に耐え得る法体系を築き、法の頂を示す事です。毘慮遮那仏という言葉を使われたと思います。
釈尊がこの特長が強いタイプではないでしょうか。

2つ目は、救世主タイプです。
愛や利他の念いが全面に出るタイプです。
イエスキリストがこのタイプになるでしょうか。

3つ目はバランスタイプです。1と2の面、どちらも持っているという事です。
大川総裁がこのタイプだそうです。

「釈迦の生まれ変わり」と言っても、前世での経験や教訓を共有してはいるものの、釈迦本人ではないわけです。
「ならば釈尊を持ち出すな」と思われるでしょうかね。
エルカンターレという魂は、釈尊の意識による実績を活かしたいと考えた、と私は思いますが…。

それでもにしき鯉さんは、仏典の曲解を許されないでしょう。
それでいいのかもしれません。
その矛盾をどのように幸福の科学は答えるのか、私も聞いてみたいと思います。

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from: hikaru0827さん

2010年05月21日 06時37分19秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
みなさんへ


【菩薩以上ではカルマでは転生しない】

私も少し意見を述べさせていただきます。

カルマ自体は、「全ての魂が持つ」としてよいかと思います。

上の言葉は、転生のルールを説明したものではないでしょうか。このような喩えをされてたと思います。

菩薩未満の方は、小学生中学生であり、義務教育なんです。
必修課程があり、半強制的です。
…勿論その必修課程はカルマに基づくと思います。

菩薩以上は、高校生大学生です。

自分で学ぶ科目やを選択出来るのです。
それを選択出来る実力、判断力があると認められているわけです。
菩薩の境地というのはそのようなレベルなのかもしれません。
カルマの精算も含め、①自分が今より成長するためには何が必要か…②それとも人助けしたいという心に従い邁進し、その経験を得るのか…などを自分で選択が出来るという事かと思います。

『修業者達は、カルマから解放されるために修業し、涅槃に入ったはず』、という話が、にしき鯉さんからありましたが、

この喩えを使うと、解脱とは卒業であり、涅槃とは新しい学校生活です。

つまり涅槃にも段階があるという事です。

小学生の頃は、認識力もなく、廊下を走り回ります。他のクラスが授業中だろうが、狭い廊下だろうが、見通しが悪かろうが、気遣いも危機意識も足りません。
だから、小学校では「決して廊下を走ってはいけません」と校則で定められ、先生からも度々指導されます。

中学生になると、今廊下を走るべきではない、という判断が出来ます。先生もいちいち言いません。
友達がケガをすれば走って先生を呼びに行きます。

中学生は「廊下を走って良いか悪いか」というカルマから卒業した、解脱した、という事です。

それをクリアすれば、また次の課題があるわけです。


既に大学院で学んでいる者から見れば、小学生は校則でがんじがらめで可哀想に思えるかもしれません。
しかし、小学校の先生がなぜそんな細かく校則を定めるのかも理解出来るのです。

これが透き通った湖中の石や貝殻を見ているような状態でしょうか。

そして「あなた方は、よくよく学び理解し成長した暁には、そのような校則には縛られませんよ。」このように声を掛けるかもしれませんね。
「大学まで進学すれば自由に好きな勉強が出来ますよ」と。

しかし、大学院生でも完全に制約(カルマ)がないか、というとそんな事はきっとありません。
どんな制約があるのか詳しくは知りませんが。

涅槃にも段階があるという論理は、釈迦仏教からの進化だと思います。



ゴーディカの自殺を釈尊が「よし」とされたのは、彼の「どうしても悟りたいんだ」という意気を認めてあげたという事ではないでしょうか。
「その意気やよし」という事です。
自殺を勧めるはずはありません。

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from: にしき鯉さん

2010年05月19日 11時51分55秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
ueyonabaru さんへ

如来の表現ですが「心の状態」としては認めます
理解が同一の部分が出てきました、嬉しいです

<> 阿羅漢の中には悟りが持続せず悟った瞬間に自殺し、涅槃に入った者もいます
> それを釈迦は容認しています(ゴーディカという弟子)>

これについては私も賛成派ではありません、邪道です
しかし、一つの法方として理解しています

サンユッタ・ニカーヤ』(相応部)の第四篇第三章第三節

<ゴーディカは、熱心に修行に精励しまして、さとり(心解脱)が得られますけど、そのさとりは一時的なものであって、再び元に戻ってしまいます。
そこで更めて熱心に修行に精励しまして、さとりが得られますが、また戻ってしまう、そういうことを計6回繰り返します。その7度目にさとり(心解脱)に到達しましたときに、今回もまた従来と同じように、それが一時的であって元に戻ることを恐れまして、剣をとって自殺しようとします。
それを知った悪魔が釈尊のところに来まして、そのことを告げたそのときに、ゴーディカは自殺をとげました。
そこで釈尊はその悪魔に向かい、「ゴーディカは英雄のように渇愛を根絶してニルヴァーナに入った」という詩をとなえます>

思慮ある人々は、実にこのようにするのである。
生命を[延ばすことを]期待していない。
妄執を根こそぎにえぐり出して、ゴーティカは安らぎに帰したのである
・・・・・・
正見について

< 私は、正しく見るとは、偏見なくして正確に物事を見ることと考えます。>
<自己も 世界も 原因の種が 蒔かれて (因)水を やり(縁)果実が実り(果)報いあり>

大乗の言い回しで比喩的な詩句ですね
私は偏見のない基準というものをueyonabaru さんに聞いています

仏教もキリスト教もイスラム教も哲学であり思想です
思想の偏りを「偏見」というのではありませんか?






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from: ueyonabaruさん

2010年05月19日 00時04分28秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ



> >< ueyonabaru さんは「敬虔なる信仰者」の落とし穴に落ちているような気がします
> この意味は分かりません。>
>
> ueyonabaru さんが一途な人であることは誰でも認めることです
> でも、信じる事を第一に考えると見えるはずのものが見えなくなります

 私が一途な性格であることがどうしてお分かりですか?不思議です。そうかもしれませんね。たまに、そのように言われますよ。

 大川隆法という方は、私は相当に評価しております。こんなに興味深い方はありません。ファンですよね。精神的にも大分助けになっております。いずれ、功徳話をここでご披露できるようになるかもしれません。宗教には功徳話がなければならないと私は思っているんですよ。
 
 先生に従うことは、また一種苦しみも伴います。ここでも取り上げられますが、先生は、思ったことをすぐに口にする人のようにも見えますね。予言も違うことがありました。しかし、それでも予言することをやめようとは決してなさいません。天才の行状は、凡人には分からないものがあります。幸福の科学が生長し、世界宗教にもなることを夢見ておりますが・・・・・。



> 霊言にしてもズレが出てきたので非売品として封印したのではなかったのですか?

 初期の霊言集は封印されてはおりません。入手可能です。高橋信次さんの霊言が省かれたという風に聞いております。これは、問題になりました。


> 竜馬にしても勝海舟にしてもこの後、予言どうりにならなかったら封印するつもりですか?

 封印しようもないですよ。一般に販売されているのですよ。先生は偉いです。もし、そのように霊言どおりにならなければ、非常に汚名をかぶることになるでしょうに、堂々と出版していきます。この積極的な姿勢がある限り、私はついてゆくでしょう。幸福の科学に間違いがあり社会に有害となるのであれば、結局は社会が正すと思っております。しかし、今は、社会のほうを正すと言っているのです。


> そして、何も知らない新しい信徒が入ってきたら5000円の布施で支部の一角で拝聴させるつもりですか?


この意味はわかってもらえると思いますが、、、
>
>

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from: ueyonabaruさん

2010年05月18日 23時21分38秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ



> 如来の件ですが<これは私だけの考えです。間違いがあればお教え願います>
>
> そうですね、私の言い方も変えます
>
> 悟った時点で「涅槃」に入ることは可能です
> そこは総ての「縁」が干渉しないところと解釈しています
> (そこでは肉体もありません、霊といわれるボディもありません)

 涅槃の境地について、大川先生は次のように述べておられます。

「涅槃の境地に達した方は、ちょうど澄み切った湖の底の小石や貝殻を、透き通った水を通して見るようなかたちで、みずからのこの世の苦しみというものが見えるようになってくるのです。これが、涅槃寂静の境地なのです。」

 この叙述は、にしき鯉さんの仏教では認められることでしょうか。私は、これが涅槃の境地として考えたいのですがいかがでしょうか?とりあえず、これで進めさせてください。にしき鯉さんが言われるように、そこでは、肉体もなく霊もなく縁の干渉(因果律)もないのでしょう。境地ということですから、心の状況を指すと考えるのですね。



> 如来であっても涅槃に入らず、再生を選べばカルマの制約を受けます
> 何故なら両親の血と肉を受け継いで再生するからです

 涅槃は境地として捉えるのであれば、再生を選ぶというのは言葉の上からおかしくなりますので、如来格の者が涅槃という境地を離れ生死の世界への再生を選ぶという意味なのですね。そうなるとカルマの制約(=因果律)を受ける、このご説明は分かります。


> ただし基本は悟った時の状態ですから「カルマの制約」を受けないと言ってもかまわないと思います

 涅槃の境地に住すれば、カルマの制約を受けませんが、生死を選べば、カルマの制約を受けるという風に私には考えられます。この世は、因果律に支配されているので、如来でも逃れるわけにはいかないでしょう。


 
> 阿羅漢の中には悟りが持続せず悟った瞬間に自殺し、涅槃に入った者もいます
> それを釈迦は容認しています(ゴーディカという弟子)

 涅槃が境地を表すのであれば、自殺ということにより、その境地が維持されるという発想は私には受け入れられません。ここらあたりは、申し訳ありませんが、にしき鯉さんの仏教を疑います。


> 悟った後、涅槃に入るか、再生して人々を救う道を選ぶかは本人の心の器次第でしょう

 人救いに動く如来たちが好きです。


> 「正見」とは何を基準に正しく見るのですか?

 私は、正しく見るとは、偏見なくして正確に物事を見ることと考えます。幸福の科学のお経があります、仏説・八正道といいますが、正見の項では、次のように書かれております。

 まず第一は
 「正見」なり
 縁起の 理法を 信じては
 己れの 道を 正すなり
 原因 必ず 結果あり
 因・縁・生・起が 縁起なり
 自己も 世界も 原因の
 種が 蒔かれて (因)
 水を やり   (縁)
 果実が 実り  (果)
 報いあり    (報)
 果実の 甘さ 苦さにも
 種と 育ちに 理由あり
 己れ 自身の 幸・不幸
 過去に 必ず 原因あり
 振り返りみて 反省の
 こころ 起こすは 正見なり



> お布施一つをとっても大川さんと釈迦は考え方のベースが違いますよ
> 肉食はどうですか?妻帯はどうですか?
> 正見といいますが、基準が明確でなければ反省はできません
>
> 「大川さんが正しくあって欲しい」と考えていたら公平には見られないです
> ・・・・・・・・・・・
> 念仏宗では悟りの一部分しか得られない
> 日蓮宗では迷路から抜け出すまでまわり道
> 禅宗では自力がある人しか悟れない
>
> 個人的考えですがこのように考えています
>
> しかし、どの開祖も人を幸福にしたいとの考えから立宗しています
> その部分は平伏するくらいに認めています
>
>
>
>
>

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from: にしき鯉さん

2010年05月18日 19時59分54秒

icon

「Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
ueyonabaru さんへ

> これは苦・集・滅・道の「集」の定義です

 ここは分かりません。

他サイトのコピーです

<仏教の根本的な教義である四諦(したい)のこと。「苦」とは人間の生が苦しみであること、「集」とは煩悩(ぼんのう)による行為が集まって苦を生みだすこと、「滅」とは煩悩を絶滅することで涅槃(ねはん)に達すること、「道」とはそのために八正道に励むべきであることをいう。四聖諦(ししようたい)>

・・・・・・・・・

>< ueyonabaru さんは「敬虔なる信仰者」の落とし穴に落ちているような気がします
この意味は分かりません。>

ueyonabaru さんが一途な人であることは誰でも認めることです
でも、信じる事を第一に考えると見えるはずのものが見えなくなります

霊言にしてもズレが出てきたので非売品として封印したのではなかったのですか?
竜馬にしても勝海舟にしてもこの後、予言どうりにならなかったら封印するつもりですか?
そして、何も知らない新しい信徒が入ってきたら5000円の布施で支部の一角で拝聴させるつもりですか?

この意味はわかってもらえると思いますが、、、

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from: にしき鯉さん

2010年05月18日 19時29分32秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
ueyonabaru さんへ

ベートーベンの件は了解です
音楽的才能も済度のために必要だと言うことですね
・・・・・・・・
如来の件ですが<これは私だけの考えです。間違いがあればお教え願います>

そうですね、私の言い方も変えます

悟った時点で「涅槃」に入ることは可能です
そこは総ての「縁」が干渉しないところと解釈しています
(そこでは肉体もありません、霊といわれるボディもありません)

如来であっても涅槃に入らず、再生を選べばカルマの制約を受けます
何故なら両親の血と肉を受け継いで再生するからです

ただし基本は悟った時の状態ですから「カルマの制約」を受けないと言ってもかまわないと思います
 
阿羅漢の中には悟りが持続せず悟った瞬間に自殺し、涅槃に入った者もいます
それを釈迦は容認しています(ゴーディカという弟子)

悟った後、涅槃に入るか、再生して人々を救う道を選ぶかは本人の心の器次第でしょう
ただし、釈迦は「独覚」(個の完成の後、一人で歩む者)と菩薩を比べるような事はしませんでした

蛇足ですが
釈迦が涅槃に入らなかったならば弟子も後には続かなかったと思います、それだけ《ニルバァーナの幸福》は重さがあったんです
・・・・・・・・・・・・
<如来だから、原因-結果の法則からのがれることはできないだろうというのは、私のまじめな考えなんです>

私たちはまだ発展途上です
誤解や曲解も含めて検討する事がお互いに有益かと思います
・・・・・・・・・

<八正道については違わないはずです。>

これについては次回キチンと説明します

私は現代において実践できない修行法と最初の頃、書きました
それは今も変わっていませんが「八正道」の意味を理解するのは
価値があると考えます

ueyonabaru さんに聞きます

「正見」とは何を基準に正しく見るのですか?

お布施一つをとっても大川さんと釈迦は考え方のベースが違いますよ
肉食はどうですか?妻帯はどうですか?
正見といいますが、基準が明確でなければ反省はできません

「大川さんが正しくあって欲しい」と考えていたら公平には見られないです
・・・・・・・・・・・
 <私が前にも申しましたように、谷口先生の仏典解釈もあり、大川隆法の仏典解釈もありで、谷口仏教も大川仏教もありで構わないのではないでしょうか? 仏教の法門は広い筈です。念仏宗などどのようにお考えでしょうか。あれも仏教です。釈迦の教えは何かを求めるのが、仏教者です。>

念仏宗はどうと言うより大乗そのものが仏教の入り口、ゲートだと思っています

念仏宗では悟りの一部分しか得られない
日蓮宗では迷路から抜け出すまでまわり道
禅宗では自力がある人しか悟れない

個人的考えですがこのように考えています

しかし、どの開祖も人を幸福にしたいとの考えから立宗しています
その部分は平伏するくらいに認めています




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from: ueyonabaruさん

2010年05月18日 11時00分44秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ
>
> <菩薩の境地に達したものでなければ、、、>
>
> 確かに私もマザー・テレサは尊敬していますし気高い思想を持ってると思います
> でも、ベートーベンがどうして、、、菩薩なのかがわかりません

 これは仏典を勉強したから分かると言うものではありません。大川隆法が初めて表明した分類法なのです。私も分かりませんが、非常に興味があります。推量になりますが・・・・、ベ-ト-ベンは音楽の分野での才能を開花させている方ですが、音楽というものは人間の心的作用という点では人間の共通するところがありますね。人間の心は愛という感情、憎しみという感情という具合にさまざまなものがあります。作曲家も人間ですから、高い感情もあり、怒るなどの望ましくない感情も起こします。良き音楽家というのは、高い感情が低い望ましくない感情よりも優っており、その点で魂のランク付けができるのではないでしょうか。一芸に秀でれば、万芸に通じるという言葉もあります。


> <如来でもカルマの影響の下にあると考えております>
>
> 大川さんもそう考えているんですか?

 これは私だけの考えです。間違いがあればお教え願います。そのために書かせてもらいました。

 cosmo-hikaru論争があり、因果論が論じられることがありました。そのときに、伝統仏教とは異なるかもしれませんが、私の因果論を少し出してみました。それは、単純に、原因と結果の法則として因果論を捉えるものです。科学もそのような因果論に含まれると思います。宗教となるさらに細かくなり、因に加わるに縁が必要となりますね。それでも、因と果には違いありません。

 カルマについては、大川先生は人間の行為、傾向ということをおっしゃいました。業だとも思います。如来だから、原因-結果の法則からのがれることはできないだろうというのは、私のまじめな考えなんです。どうぞ、ご批判をお願いします。




> 釈迦の「言葉」や「八正道」の意味をすりかえて使うならば私のように反感を持つ人は数多くいます

 八正道については違わないはずです。


> 当団体では、菩薩はこういう理解、真理はこういう理解
> 八正道はこうだと言って仏典と違う内容を示していたら
> それはもう釈迦のの教えではありません

 私が前にも申しましたように、谷口先生の仏典解釈もあり、大川隆法の仏典解釈もありで、谷口仏教も大川仏教もありで構わないのではないでしょうか? 仏教の法門は広い筈です。念仏宗などどのようにお考えでしょうか。あれも仏教です。釈迦の教えは何かを求めるのが、仏教者です。 



> まして、如来でもカルマの影響下にあるというのなら「カルマからの解放」を説いた釈迦は大うそつきとなります
> 「解脱」はカルマからの解放がメインの意味です

 カルマからの解放、このあたり私も大川仏教の観点とにしき鯉さんの仏教の観点から比較考量しながら学んでいきたいと思っております。今回は、お待ちください。どうぞ、ご指導のほど願います。



> 前にも言いましたが仏典の内容をキチンと説明した上での加筆、注釈はかまいません
> しかし、記録に残っている言葉を捻じ曲げて民衆に「教え」として伝えては絶対にいけません
>
> ・・・・・・・・・・・
> <。カルマというのは、因果律から派生してきた結果の集積のようなものではないでしょうか?行為が因果律により結果を生じ、その結果がさらに原因となり新たな結果を生じるという具合に進むのですが、同じことを行っていると、ある偏りのようなものができると考えられます。これがカルマなのかと思うのですが・・・・・。

> ueyonabaru さんは「カルマ」と言う言葉を悪業のイメージで捉えているのではないでしょうか?
> そう思わせるのはは日本の仏教者の責任ですね

> マザー・テレサの行ったこともカルマですよ
> 善のカルマと慈悲のカルマを積んだんです
> マザー・テレサは非常に偏った善のカルマを積んでいます
> そしてそれはキリスト教のカルマでもあると自分は考えます
>
> 話をもどします、因果律=カルマの法則です
>
> 《原因と原因が「縁」によって集まって表面化したのが因果》


 ここまでは賛成します。


> これは苦・集・滅・道の「集」の定義です

 ここは分かりません。



> ueyonabaru さんは「敬虔なる信仰者」の落とし穴に落ちているような気がします

 この意味は分かりません。



> 皆さんは大川さんの教義を「擁護する段階」ではなく教義を「検証する段階」なのではないでしょうか?

 鋭いですね。そのような面があるようです。


> 今は書き込まなくなりましたがhiraokaさんもそれを望んでいたと思いますが、、、(今も読んでると思います)
>
> この言葉を重く捉えてご一考下さる事を望みます

 hiraokaさんもお書きくださいね。

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from: にしき鯉さん

2010年05月18日 09時27分53秒

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「Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
 ueyonabaruさんへ

<菩薩の境地に達したものでなければ、、、>

確かに私もマザー・テレサは尊敬していますし気高い思想を持ってると思います
でも、ベートーベンがどうして、、、菩薩なのかがわかりません

私の勉強不足かも知れませんが、、、

・・・・・・
<如来でもカルマの影響の下にあると考えております>

大川さんもそう考えているんですか?

もし、そうでしたら「縁起の法」「四聖諦」は使わないで自分の思想を展開したほうがいいですよ

釈迦の「言葉」や「八正道」の意味をすりかえて使うならば私のように反感を持つ人は数多くいます

当団体では、菩薩はこういう理解、真理はこういう理解
八正道はこうだと言って仏典と違う内容を示していたら
それはもう釈迦のの教えではありません

まして、如来でもカルマの影響下にあるというのなら「カルマからの解放」を説いた釈迦は大うそつきとなります
「解脱」はカルマからの解放がメインの意味です

前にも言いましたが仏典の内容をキチンと説明した上での加筆、注釈はかまいません
しかし、記録に残っている言葉を捻じ曲げて民衆に「教え」として伝えては絶対にいけません

・・・・・・・・・・・
<。カルマというのは、因果律から派生してきた結果の集積のようなものではないでしょうか?行為が因果律により結果を生じ、その結果がさらに原因となり新たな結果を生じるという具合に進むのですが、同じことを行っていると、ある偏りのようなものができると考えられます。これがカルマなのかと思うのですが・・・・・。>

ueyonabaru さんは「カルマ」と言う言葉を悪業のイメージで捉えているのではないでしょうか?
そう思わせるのはは日本の仏教者の責任ですね

マザー・テレサの行ったこともカルマですよ
善のカルマと慈悲のカルマを積んだんです
マザー・テレサは非常に偏った善のカルマを積んでいます
そしてそれはキリスト教のカルマでもあると自分は考えます

話をもどします、因果律=カルマの法則です

《原因と原因が「縁」によって集まって表面化したのが因果》

これは苦・集・滅・道の「集」の定義です

ueyonabaru さんは「敬虔なる信仰者」の落とし穴に落ちているような気がします

皆さんは大川さんの教義を「擁護する段階」ではなく教義を「検証する段階」なのではないでしょうか?

今は書き込まなくなりましたがhiraokaさんもそれを望んでいたと思いますが、、、(今も読んでると思います)

この言葉を重く捉えてご一考下さる事を望みます



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from: ueyonabaruさん

2010年05月17日 10時53分07秒

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「Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ

 こちらの方で先にお答えしたいと思います。


> <三界の方々は カルマにより転生するが 菩薩以上では カルマでは転生しない>

> 菩薩以上とはどういう意味でしょうか?
>
> 菩薩はボーディサットバァの音訳で「今だ、悟りは得てないが自分の悟りより他の救済を優先する修行者」と理解しています


 菩薩以上になると、他律的(強制的)な生れかわりでなくて、自立的、目的のある生まれ変わりをするという意味ではないでしょうか?

 菩薩の意味ですが、大乗でいう菩薩はおっしゃるように、「おのれ未だ渡らずに、他を先に彼岸に渡さんとするもの」という意味合いがあります。ここでcosmoさんが言われるのは、幸福の科学でいう菩薩を指していると思います。それは、菩薩の境地に達したものでなければなりません。菩薩の境地とは、ホントに愛の行為を行える者たちがいける世界で、幸福の科学でいう7次元の世界です。7次元の境地に達していなければなりません。



> ようするに心の大きさというか慈愛の大きさを表すものであって
> 魂のランクを表すものではないと思いますがどうですか?
> 菩薩はカルマの影響を受けないとお考えですか?

 上にも書きましたように、幸福の科学ではランク的な意味合いで使われる場合が多いです。
 菩薩は、カルマの影響をうけるし、如来でもカルマの影響の下にあると考えております。カルマというのは、因果律から派生してきた結果の集積のようなものではないでしょうか?行為が因果律により結果を生じ、その結果がさらに原因となり新たな結果を生じるという具合に進むのですが、同じことを行っていると、ある偏りのようなものができると考えられます。これがカルマなのかと思うのですが・・・・・。



> もう一つ、KKで菩薩と言っているのは大乗仏教の架空の地蔵菩薩などですか?

 多くは、幸福の科学の定義する7次元の具体的な霊を指すと考えられます。地蔵菩薩という言葉を使うことがあるとすれば、一般の人たちが使うように、使っているはずです。




> 日本の歴史の中で菩薩に転生された方はいるのですか?

 先ほど来申しているように、魂のランク付けですから、過去の人たち、現在生きている人たちでも具体的な名前をあげて示すのが幸福の科学のやり方になります。今、私の頭に浮かんでくる名前をあげてみましょうか。宮沢賢治、マルクス・アウレリウス、夏目漱石、岡潔、マザ-・テレサ、ベ-ト-ベン、モ-ツアルト、などなどですが、その他多くの具体的な名前があげられます。面倒くさいのであとは省きます。

 宗教者のみならず、一流の人物は菩薩の境地にあるものとして、認定しているわけで、これは幸福の科学の奇抜な面を現しているわけです。私は、このような幸福の科学の見方に非常な興味をもっているのですが、一般にはまだこれが受け入れられていない状況にはあると認識しております。

 

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from: にしき鯉さん

2010年05月16日 08時10分38秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
hikaru0827 さんへ
朝、自分のコメントを確認したらウィキペディアのページに間違いがありました

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
ではそのページに飛びません

天界の部分ですが書き直します
グーグル検索で「天 仏教」で検索すると一番最初にでてきます

申しわけありませんでした

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from: にしき鯉さん

2010年05月16日 01時41分22秒

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「Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
cosmo77 さんへ

コメントありがとうございます

<三界の方々は カルマにより転生するが 菩薩以上では カルマでは転生しない>

菩薩以上とはどういう意味でしょうか?

菩薩はボーディサットバァの音訳で「今だ、悟りは得てないが自分の悟りより他の救済を優先する修行者」と理解しています

ようするに心の大きさというか慈愛の大きさを表すものであって
魂のランクを表すものではないと思いますがどうですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

菩薩はカルマの影響を受けないとお考えですか?

もう一つ、KKで菩薩と言っているのは大乗仏教の架空の地蔵菩薩などですか?

日本の歴史の中で菩薩に転生された方はいるのですか?

よろしくお願いします

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from: にしき鯉さん

2010年05月16日 01時01分31秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
hikaru0827 さんへ、続きです

<2:釈尊は真に全てに関心のない境地に達したのか?
を考えます。不遜な事ですね。>

そんな事はありません、自分が真に知りたいと思うことに遠慮はいりません、不遜なこともないです

私は、不可侵条約を言い出しましたが、それは無意味なケンカをしたくないだけで「真実を求める」気持ちがあれば、どこまででもOKです

質問の答えですが、総てに関心がなかったんではないでしょうか?
釈迦は自分からではなく「梵天の懇願」によって法を説くことを決めています

「釈迦は、この悟りを得た喜びの中で、このまま浸っていようと考えた。一部の経典には「このまま無余涅槃に至ろうと考えた」との記述があることから、3カ月間禅定にあるまま死を迎えようとされたと思われた。ところが梵天と帝釈天によって衆生に説くよう勧められた(梵天勧請)。3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた5人の仲間に説こうと座を立った>

ここはKKの説明と違いますね、とりあえずウィキペディアからです
・・・・・・・・・・
<すると、釈尊は弟子たちの成長具合や、世界の幸不幸にも全く興味関心を無くしたという事ですか?>

無くしたのではなく、最初から無かったんだと私は考えます

ただ、責任感は強かったと思います、「真理」を知りたいとおもう人間にはカースト制度関係なく弟子入OKしてましたし、最初は女性の出家は許可してなかったのにアーナンダの再三の願いによって
許可になりました

戒律も最初は数えるほどだったのに問題が起こるるたびに増えていきました(最終的には227戒だったような、、、?)
これも釈迦の責任感でしょう

だから、40年あまりの伝道の中で言いたいことは伝えつくした気持ちがあったのではないでしょうか

釈迦は人類救済のために生まれたなどと言われていますがそれは大乗仏教の神格化されたつくりものの釈迦ですよ
・・・・・・
<この言葉の意図するところが、「人を惑わすような快楽的な刺激である情報」ではないかという気もするのです。>

こちらから質問です

愛情は人を惑わしませんか?
正義は人を惑わしませんか?
家畜を殺し、ペットは可愛がる、これは真理だと思いますか?

これについてはhikaru0827さんの答えを聞いてから書きたいと思います

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from: にしき鯉さん

2010年05月16日 00時57分04秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」

hikaru0827 さんへ

いやあ、ここまで正直に質問されるととても嬉しいです
本当に求道者なんですね、感激しています

<1つ確認したいのですが、経典の1時結集は、釈迦存命中で立会のもとですか?>

いえ、釈迦が亡くなってから7日後にマハー・カッサパが主導して500人の阿羅漢を集め、論・律・経をまとめています
釈迦は、存命中は経典を残す事を禁止していました

釈迦が亡くなったことで気が緩む弟子が出てきたので教えをまとめなければ、法が霧散してしまうとカッサパが考え、阿羅漢を集め同意を得て結集しました
・・・・・・・・・
<最終目標は、再生しない事ですか?つまり輪廻せず苦しみの世界に行かずにすむ事ですか?
その為の手段として、心を動かさないようにするのですか?>

正直な疑問だと思います

心を動かさないようにするのは、瞑想の途中で起こることです
その先に煩悩そのものの破壊をする修行があります

釈迦はこの世は総て「苦」と考えていました、移ろい行くものに執着することが苦の原因とも言っています

簡単に言えば、一見綺麗に見えるものに興味を引かれる、これが「無明」の始まりです
そして綺麗なもののように見えるものをもっと味わいたい、実感したいと願い、六識が生まれ、六処、愛、取、有を得て生存に行き着く、最後に老死がきます
この過程を説いたのが「十二縁起」の法です

釈迦はこれを逆に進む事で、元々、幸福だった場所に帰れる
その場所が「ニルバァーナ」なんです
だから、この世(苦界)は「迷いの生」と言っているんです

「真我」という言葉は表現するのが難しい、、、、光の塊ですべてが内在しているんです
何々があるから幸せというような対象があるから幸せじゃなくて
何もなくても満たされている

だから欲求が起きてこない、、、とでも言えるでしょうか

輪廻転生で経験するものは偽物であって本当に自分を幸福にするものではない、無明そのものを滅した自分には必要ない

物質がなくても自分の中に総てがある、総てがあるから何もいらない、、、それを表現しようとして前回のコメントをいれました

やはり、難しいですね、ニルバァーナの説明は、、、
現世的にいえば「対称がなくても幸福」の状態でしょうか

<最終目標は、再生しない事ですか?>

そうです、再生しない方法が幸福への道と説いたんです
そして阿羅漢というのは釈迦と同じく「ニルバァーナ」に入れる心の状態になった人の事を言います
・・・・・・・・・・・・
<私が思う、大きな目標は、神仏に近づく向上です。
平静心不動心も、手段ではなく、神性の1つとしての目標です。>

それは良いことだと思います、釈迦も550回の生を受けて初めて完全なる「悟り」を得ています
神の心を目標にするのはいいでしょう、ただし、仏教の神はキチンと段階がありますよ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9_(%E4%BB%8F%E6%95%99)

ある程度、仏教の世界観が書いてあります
・・・・・・・
<釈尊が説きたかった事は、苦しみから逃れる方法ではなく、苦しみの意味を正確に捉え、苦しみに屈しない自分を作れ、乗り越える力を身に付けよ、という事ではないでしょうか。>

それは違います、「釈迦は苦しみを逃れる法方」ではなく「苦しみをなくす法方」を説いたんです
・・・・・・・・・・・
<:『一切に関心を持たない』という一切とは、真に全てを意味するのか?>

hikaru0827 さんは麻薬患者が「このアヘンは素晴らしい、この世で最高に幸せになれる」と言っても使わないでしょう?
何故でしょう、まがい物の幸せしか得られないと言う事を知っているからです

では麻薬の知識がない人はどうでしょう、幸福にするクスリとして売っていたら、、、無明から始まる縁起の法と合わせて考えて見て下さい
・・・・・・・・・・・・・・・・つづく

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from: hikaru0827さん

2010年05月15日 17時08分29秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ

丁寧に答えていただき感謝しております。
少し不可侵条約に抵触してるかもしれない、と思いましたが、とても重要なポイントだと思い述べさせていただきました。


> <釈尊が語る言葉が原始仏典と違っていた場合、にしき鯉さんはどうされるでしょうか?>
>
> 納得のいく説明を求めます!


釈迦の魂は、インドでその命を全うされたあと、何処に行かれたでしょう。
しかし、何処には存在されているはずです。

問題は原始経典が正確であるかどうか?でしょうか。

1つ確認したいのですが、経典の1時結集は、釈迦存命中で立会のもとですか?


●涅槃&釈尊の悟りについて

> <釈尊とて例外ではないと思います。
> 私達からすれば、神のような人だとしても、無限遠点を目指し歩む修行者であるという点では私達と同立場ではないですか?>
>
> 「649」のコメントで第一禅から第四禅までとあります
> ここまでが仏教の「天」なんです
>
> 涅槃は「天」ではありません
>
> 仏教は世界を「無色界」「色界」「欲界」と分けています
> それは欲界の上の方から無色界までを「天」と呼んでいます
> 表現が難しいのですが「心が再生する素」ならば心が一切動かない世界に入れば良いわけです


最終目標は、再生しない事ですか?つまり輪廻せず苦しみの世界に行かずにすむ事ですか?

その為の手段として、心を動かさないようにするのですか?

そのように読めます。

私が思う、大きな目標は、神仏に近づく向上です。
平静心不動心も、手段ではなく、神性の1つとしての目標です。

そしてその目標を達成する為に、手段としてあらゆる世界に輪廻転生し、修行しているという理解です。

普通の輪廻転生では大して成長しないという段階に進めば、別の修行をする事になると思います。

釈尊が説きたかった事は、苦しみから逃れる方法ではなく、苦しみの意味を正確に捉え、苦しみに屈しない自分を作れ、乗り越える力を身に付けよ、という事ではないでしょうか。


> 外側には総ての情報があるのに自分の心(真我)が一切、関心を持たない状態、これが最高の至福と[ニルバァーナ]を定義しています
>
> 大乗仏教では「涅槃寂静」と言われています


前に涅槃についてはやりましたね。
『>自分の心(真我)が一切、関心を持たない状態』
釈尊は解脱され、そのような涅槃の境地に達したというわけですね。

1:『一切に関心を持たない』という一切とは、真に全てを意味するのか?

2:釈尊は真に全てに関心のない境地に達したのか?

を考えます。不遜な事ですね。


1→

> 外側には総ての情報があるのに自分の心(真我)が一切、関心を持たない状態、これが最高の至福と[ニルバァーナ]を定義しています


すると、釈尊は弟子たちの成長具合や、世界の幸不幸にも全く興味関心を無くしたという事ですか?


言葉を杓子定規に解釈するのでなく、その意味するところを汲み取る事も大切です。
ご都合主義な解釈かもしれませんけど…。

前の涅槃の話で、私は「執着の炎を消し去り心静かな状態」
というような定義を提示したように覚えています。

他者の幸福を願う心や、向上心、同胞に対する親しみを否定したり捨て去る事をしないでも、このような心境にはなれます。

『善なる念いはあり、しかし、そのような自らの善念すら鳥瞰し達観した平静心を保ちつつ、自我我欲というものの「一切」は消し去った状態』という捉え方も出来ると思います。

にしき鯉さんの言われたニルヴァーナの説明にある「一切」の対象は、「外側にある全ての情報」ですが、この言葉の意図するところが、「人を惑わすような快楽的な刺激である情報」ではないかという気もするのです。

涅槃とは、「外側にある五感を刺激する快楽的な全ての情報」から心が揺れない状態という解釈も可能です。

『> 外側の総ての情報』という文言が、他の箇所でどのようなニュアンスで使われているか…それを見る事で推測も可能ですが…。


2→

>…釈迦個人はもう「悟り」も「向上」も
> 必要ないんです
> 求めるものがないのに何が必要なんでしょう
>
> 「総てがあるのに総てがいらない」=「だから涅槃に入る」だったのではないでしょうか?


にしき鯉さんが提示された釈尊の悟りは、幸福の科学の概念でいうと、10次元以上の境地に思えます。

つまり惑星意識や、恒星意識、更には太陽系意識、銀河系意識の境地です。

彼らは、ただ慈愛の眼差しで見守り、包み込む存在です。

ほとばしる救世の情熱という雰囲気はありません。
ただ存在し、内包する命を存在あらしめる役割です。

釈尊が入滅の時、もう転生しないと言い、積極的な心の動きの全てを滅却した境地に到達したと自覚したなら、ご本人はそのような10次元意識となる事を想定していたのかもしれません。
そういえば、菩提樹下の悟りのくだり(幸福の科学の)で、宇宙意識と一体化しようとして、制止される話がありましたが、その話と符合はします。

人間釈迦として人生を全うした暁には、宇宙意識と一体化するつもりでおられたのでしょうか…。

しかし、その場合も、「それ以上の進歩はない」境地ではありません。

とはいえ、私らにとっては、理解の及ばない次元に突入している事も確かです。

> <しかし、大川総裁が再誕の仏陀であると信じる私達の立場もご理解下さい。>
> 信仰を誹謗中傷するつもりはありません、紆余屈折はあってもここにいる人、総てが真剣な仏教徒だと思っています


ありがとうございます。



> 経典の意味を誤解するように大川さんの書籍が書いてあるので訂正して欲しいと言う意味です
> キチンと説明した上で自分の意見を加筆するのはかまいません


了解です。
改めて、経典の内容を誤解させると思われる箇所を要点だけでいいので教えていただけますか?
大悟のくだりと、入滅の時の言葉あたりでしたでしょうか?

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from: cosmo77さん

2010年05月14日 22時56分02秒

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「Re:現実におけるユートピアとは!」

>清浄行はすでに確立した。なすべきことは、すでになし終わった。もはやこのような状態にもどることはない」とさとった。>

つまり 解脱したので カルマによる転生はなくなった ということではないでしょうか

三界の方々は カルマにより転生するが 菩薩以上では カルマでは転生しない

我々は 菩薩以上の神々は 使命 つまり 人類救済の使命により 地上に降りる と聞いております

釈迦にしても 高度な神さまであるなら この 混乱する苦界である地上を救うために 降りてこられる というのは ごく 普通に考えられることで 幸福の科学の方々は ほとんどの方がそう考えている と思います

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from: minamikazeさん

2010年05月13日 20時49分25秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
にしき鯉さんへ

わざわざありがとうございます。
 再誕の予言というのも、どこにあるのか探して見たいです。とにかく、会員は、すべて大川さんの教えを一切の批判なしに受け入れているだけなので、圧倒的に勉強不足なのです。
 僕は今は、会員ではありますが、あまり熱心には活動していないので、ゆっくりと、仏教やスピリチュアリズムを学んで行きたいと考えています。


> minamikaze さんへ
>
> たびたびで、申し訳ありません
>
> 私は「大パリニッパーナ経」で釈迦の言葉としてコメントしてしまいました
>
> 正しくは釈迦の最後の弟子「スバッタ」の言葉でした
> 間違った文面を載せます
> //////////////////////
>
> <教団に受けいれられてまもなく、尊者スバッダは、ひとりで、群衆から離れて暮らし、怠ることなく、熱心に、精神修養につとめ励んでいた。……その無上の清浄行という究極の目標を、現世においてみずから、さとり、証し、具現していた。そして「生存は尽きた。清浄行はすでに確立した。なすべきことは、すでになし終わった。もはやこのような状態にもどることはない」とさとった。>
> //////////////////////
> と、あります
>
> これを、釈迦の言葉として記憶していたことが私の間違いでした
>
> ただ、その後のアーナンダとアヌルッダの会話で涅槃突入のようすは説明されています
> (お手元の本を確認下さい)
>
> ただ、不特定多数の見るネットではミスは訂正しておかないと誤解を生みます
> 深い反省をするとともに、ご迷惑をおかけしました

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from: にしき鯉さん

2010年05月13日 09時49分09秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:現実におけるユートピアとは!」
minamikaze さんへ

たびたびで、申し訳ありません

私は「大パリニッパーナ経」で釈迦の言葉としてコメントしてしまいました

正しくは釈迦の最後の弟子「スバッタ」の言葉でした
間違った文面を載せます
//////////////////////

<教団に受けいれられてまもなく、尊者スバッダは、ひとりで、群衆から離れて暮らし、怠ることなく、熱心に、精神修養につとめ励んでいた。……その無上の清浄行という究極の目標を、現世においてみずから、さとり、証し、具現していた。そして「生存は尽きた。清浄行はすでに確立した。なすべきことは、すでになし終わった。もはやこのような状態にもどることはない」とさとった。>
//////////////////////
と、あります

これを、釈迦の言葉として記憶していたことが私の間違いでした

ただ、その後のアーナンダとアヌルッダの会話で涅槃突入のようすは説明されています
(お手元の本を確認下さい)

ただ、不特定多数の見るネットではミスは訂正しておかないと誤解を生みます
深い反省をするとともに、ご迷惑をおかけしました

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