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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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公開 メンバー数:152人

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  • from: にしき鯉さん

    2010年05月23日 18時40分42秒

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    hiraokaさん、復活

    hiraokaさんが復活してくれました

    新しいメンバーの方もその内、hiraokaさんのいろんな方面の知識にびっくりしますよ

    元、会員ですし多角的にKKを見つめています

    ソウソウさん、minamikazeさん、 ahuramazdaさんの疑問にも別の角度から答えてくれると思います

    ・・・・・・・・・・・・

    hikaru0827 さんへ

    <『 釈迦の弟子500人が、当時すでに釈迦と同様の悟りをひらいていたのかどうか 』>

    鋭い質問です、事実だけを書きます
    小乗という言い方は正しくないのでで上座部でいきます

    上座部(原始仏教)といわれる団体では釈迦と同等とされています

    arhat=アラハットは価値ある魂、尊敬に値する魂、又は完成した者と言う意味もあります

    釈迦も以前はアラハットと呼ばれていたこともあるようですが
    今生は独力で「悟り」を開いていますので、世尊、尊師、釈迦牟尼(釈迦族の聖者)と尊敬を込めて呼ばれ阿羅漢とは一線を画して呼ばれました

    ただ、釈迦が説いた瞑想上の「涅槃に入る境地」を獲得していたのは事実だと思います
    ↓  ↓    

    今度は大乗仏教の言い分です

    釈迦は「多くの人々を救いたい」という思想があった

    なのに、既存の上座部は「悟り」や「解脱」のことばっかりで
    我々、民衆の「生きる力となるべき教え」がないじゃないか!

    経典の言葉を理解して「釈迦の意思」を伝える事こそ本当の弟子だ

    そういう考え方で仏典をイメージ化していき色々な追記がおこなわれました

    その時に、「仏である釈迦」と「阿羅漢」を区別しました
    釈迦の話を一番多く聞いていた阿羅漢を「声聞」と呼び、仏ではないとしました

    その代りに考え出されたのが「菩薩」です

    阿羅漢は努力しても「独覚」、一人だけで悟りを得て楽し者、、、

    対して菩薩は今だ、悟りは得てないが多くの者を救いながら修行している気高い魂、、、だから心の境涯は阿羅漢より上だ

    この分類はそのまま日本に伝わってきました
    だから、大乗では阿羅漢は「仏」ではありません

    ・・・・・・・・・・・
    最後に、にしき鯉の個人的感想です

    私が釈迦に、昏倒しているのは理路整然としているからです

    瞑想にしても、「有処無処」とか「非想非非想」とか難しい事を書きましたがこれを体験できれば「涅槃」に入れるという理論があるんです

    それは悟りを得てない私でも想像の上で理解できる範囲なんです
    ましてや、一日のほとんどを修行していた阿羅漢なら、、、

    と、いうわけで修行上のステージという意味で「阿羅漢=仏陀」とする上座部を支持します








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    • 4

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コメント: 全4件

from: hikaru0827さん

2010年05月28日 06時18分18秒

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「Re:Re:Re:Re:hiraokaさん、復活」
にしき鯉さんへ

> <修業のスタイルとしては「利自即利他」が良いかと思っています。
> 自分を高める修業をしながら、その成果は他者の為に使う事を念頭に置くというカタチです。>
>
> それがベストですが、「最高のやり方は一つではない」というのが私の考えです


そうですね。道のりは人それぞれですね。
いつも丁寧な返信ありがとうございます。

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from: にしき鯉さん

2010年05月27日 23時37分50秒

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「Re:Re:Re:hiraokaさん、復活」
hikaru0827 さんへ
長くなったので二つにしました

大乗の進み方です(日本の大乗仏教ではないです)

大乗は二本の重要な柱で出来ています

一つは「霊性の開発(向上)」、もう一つは「魂の成熟」です
霊性の開発は純粋に瞑想修行や思索です

hikaruさんに話したいのは魂の成熟です

<「菩薩」という言葉の定義は立場によって違うでしょうけど、「慈しみの心で他人の為に行動する人」なのは確かかと思います>

そうです、では何が魂を成熟させるのでしょうか?
仏教では「四無量心」と説明されています

①慈無量心=皆さんが知っている慈愛です

愛を分け与える、人の幸せを願う、暖かく包む心、これに真理の道に入って欲しいと願う事も入ってます

②悲無量心 =皆さんが知っている慈悲です

他の苦を抜こうとする心
今は苦しみから救ってあげられなくともいつかは苦を取り除いてやると言う気持ち

③喜無量心 =他者の楽をねたまないこと

一歩進んで褒め称えること(他を称賛する事で自分にプライドを作らない)

④捨無量心= 執着心を捨てる心

これは良い行いにも適用されます、布施にも適用します
総ての行為に見返りなどを求めず、淡々と善行を続けます

この「四無量心」を高めていく事が菩薩の修行であり、「魂の成熟」なんです


<菩薩と称される方は、自己を確立した上で人助けをするものかと思います。>

その通り、阿羅漢になってから真の菩薩の修行が始まるんです

菩薩の道は素晴らしいですが、しかし、それを選ばない魂もいるんです

菩薩と阿羅漢を比べるような事に意味などありません
阿羅漢は「霊性の開発」を完成しただけなのです

阿羅漢が涅槃したとしてもそれはその魂の「個性」であって卑下するような物でもないと思います

<修業のスタイルとしては「利自即利他」が良いかと思っています。
自分を高める修業をしながら、その成果は他者の為に使う事を念頭に置くというカタチです。>

それがベストですが、「最高のやり方は一つではない」というのが私の考えです

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from: にしき鯉さん

2010年05月27日 23時34分32秒

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「Re:Re:hiraokaさん、復活」
hikaru0827 さんへ

<私は、上座部にも大乗仏教にも、その認識に異議があります。>
<個人の精神が、それほど高みに上ったならば、おのずから周りを教化せずにおられない輝きを見せるものではないかと思っております>

わっ、厳しいところを突かれた、困りました・・・・・

でも、実はその通りなんですよ、本当は私もそう思っています

私が原始仏典を説明してると誰でも「上座部推進派」だと思いますよね
でも、違うんです、ここから先は仏典には載っている内容ではないので個人的見解と思ってください
////////////////////////////////////////////

大乗の意味

上座部の教えを根幹に置き、その周りに大乗の生きる知恵や方便があると考えます
つまり、上座部の教えがあって初めて方便やイメージ的な教えが生きてくると思います

hikaru0827さんのライフセーバーの話は的を射ています

<自己を確立出来ていない人…例えば…泳げない人はライフセーバーの職にはつけないという>

その通り、修行の実践をしてない人に「心がどう変わって行く」かは説明できません
そのために上座部の綿密な教えも必要なんです

上座部の教えを厳密に理解し、包含した上でそれを生かしながら他の心を救っていくのが真の大乗だと思っています
(早い話、対立してる暇があるならお互いに勉強をもっとするべきと考えます)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記の質問に自分の考えを書きます

500人全員が涅槃に入ったとは思いません

釈迦入滅後も伝道活動はは続いてますし、死後、自分で再生の道を選んだ人も多かったのではないでしょうか?

なぜ仏典にあまりそういう例が残ってないかというと、やはり釈迦が大きすぎたのかとも考えます

ただ、釈迦は涅槃に入ったと思います
あれほど、弟子に対して涅槃を説明して「自分は入らない」はないでしょう
救済意思は大きかったと思いますがそれ以上に「涅槃の証明」を選んだのだと個人的に思っています

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from: hikaru0827さん

2010年05月26日 23時03分45秒

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「Re:hiraokaさん、復活」
にしき鯉さんへ

> <『 釈迦の弟子500人が、当時すでに釈迦と同様の悟りをひらいていたのかどうか 』>

すみません。いまさらのような話題です。


●弟子の悟り

私は、上座部にも大乗仏教にも、その認識に異議があります。
上座部は、何人もの弟子が釈尊と同等の悟りを得たという見解ですが、私には信じがたい事です。
理由は、先にも言いましたが、その影響力です。
「周囲に対する影響力」…この概念が既に大乗的だという事かもしれませんが。
しかし、個人の精神が、それほど高みに上ったならば、おのずから周りを教化せずにおられない輝きを見せるものではないかと思っております。


いまだに大乗側は上座部に対するあざけりというか、敵意に似た感情を持っているのでしょうか。

「菩薩」という言葉の定義は立場によって違うでしょうけど、「慈しみの心で他人の為に行動する人」なのは確かかと思います。

しかし、誰でもそのような事がすぐに出来るわけではありません。
自己を確立出来ていない人…例えば…泳げない人はライフセーバーの職にはつけないという感じです。

泳げなくても溺れている人を助ける事は可能かもしれません。浮き輪を投げ入れたり、長い棒を差し出したり…。
しかし、助ける事が出来たとしても、それは突発的なお手柄です。
安定した実力ではありません。
いつも上手くいくとは限らないわけです。

浮き輪を抱えて、ひがな海を眺めていても、クラゲに刺されたと訴える人が現れれば、たちまちどうすればよいのか分からず立ち往生です。


菩薩と称される方は、自己を確立した上で人助けをするものかと思います。

ライフセーバーという本職は、体を鍛え、海の事故に対する知識を習得し、自覚と責任感を持ち、そのような不断の努力を続けながら、皆の為に働いているのです。

自分が修業するばかりで、他人はどうでもよいというのでは菩薩にはなれないし、ライフセーバーにもなれません。
人助けばかりに躍起になって自分を棚上げしているのではアラハンにもなれない…溺れた人を助けれないばかりか自分も溺れる危険がある…という事です。


修業のスタイルとしては「利自即利他」が良いかと思っています。

自分を高める修業をしながら、その成果は他者の為に使う事を念頭に置くというカタチです。


●マイトレーヤーについては詳しくありませんが。
私はイエスも偉大だと思っています。
何かのタイトルにもありましたがまさに「押し寄せる愛の大河」です。

彼の場合は理屈抜きです。伝道期間実質3年とも言われていますが、その巨大な愛の力のみで、今も全世界に影響を与え続けています。
心を揺さ振る力はとても強い方だと思っています。

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