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コメント: 全8件
from: cosmo77さん
2010年07月03日 22時38分27秒
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「Re:悟りとは何か?」
にしきごいさんへ
>パーニャパラミッタが直感力という事でしょうか?
>事象を見た瞬間に奥にある真相を掴み取るような事でしょうか?
そうですねー
物事の本質を見極める洞察力みたいなものもあるでしょうし。
例えば 以前 にしきごいさんが 会社の方で 社長とケンカして やめる人のお話のとき 私が こんな状況でなったのでしょう
と書いたら その通りといわれていましたよね
あんな感じで 状況がみえてくる というか 理解できたりする
ということでしょうか
経験からもくるかもしれませんし いわゆる 瞑想や 思慧の結果かもしれません
まあ たいしたことはないですが (^^ゞ
> バランスがとれている状態が「悟り」と考えていいんでしょうか?
中道を バランスのとれた状態と教わっている部分があります
愛 智 正義 秩序 など七色光線 のバランスもあると思います
from: にしき鯉さん
2010年07月02日 14時26分26秒
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「Re:Re:悟りとは何か?」
hikaru0827 さんへ
> 釈尊が目指せと説いた「涅槃」は最終地点でしょうか?
> ニルヴァーナに入る事が最終の目的であり、永遠にそこに留まる事をよしとするものでしょうか?
> もちろん、釈尊がニルヴァーナを目指せと説いた事は、対機説法としては全然理解出来ます。
> しかし、対機説法ではなくそれが真理であると説かれるなら、恐れ多くも私は釈尊に異議申し上げます。>
その道もあるという事です
涅槃とは寂静の場所、心が波立たない場所です
釈迦はその場所があるという証明のために入られたのではないでしょうか
悟りを目的に生まれて来たと言っても皆が皆、救済者というわけではありません
中には「真理」を解き明かし、そこに至る道を説く事こそ「真理の王道」だと考える人もいるでしょう
「釈迦は二度と転生しない」が常識になっている理由として
悟りを得、解脱をしたら「無色界」を超えたところのアーカシックレコードが読めるそうです
釈迦の後に続き涅槃に入るものと 、苦界を泳いで他の魂を救う事に意義を見い出す魂がここで選択するそうです
私は「涅槃」という、寂静、心の安静の場所がある事が一つの救いだと考えているんです
瞑想が進んでくると自分の汚い部分を認識させられるんです
他人にも自分にも隠していた影の部分を見せ付けられるんです
それは綺麗なものでなく自分がもっとも嫌いな部分です
エゴイステックな自分、傲慢な自分、正義と称して自分の優位性を高めようとする自分、捻じ曲がったような性欲、甘えを土台にした妥協、数えだしたらキリがありません
これらの煩悩が主役となって夢の中で暴れるんです、そして最後は追い詰められます
現世の果熟果(カルマの返り)より明らかに早く返ってきます
その度に打ちのめされます、私は未熟者だと、自分の中にまだ、こんなに汚い部分があったのかと、、、
そして思います、「器など小さくてもいいや、涅槃に入ろう」
涅槃など出来るかどうかもわからないのに、毎回、挫けている自分です
私もゴールのない真理の道を歩いている自覚が足りませんね(反省)
hikaru0827 さん、ありがとう
from: hikaru0827さん
2010年07月02日 07時39分17秒
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「Re:悟りとは何か?」
にしき鯉さんへ
おそくなりました。
> 幸福の科学で言う「悟り」とはどんなものなんでしょうか?
>
> 私が理解した範囲では、物欲や思いやりのバランスがとれている状態が大川さんの言う「悟り」のような気がします
>
> そうすると人間的に「成熟した人」「偉人」などが悟りを得ていると解釈して良いのでしょうか?
私の思うところでいいんですよね。
では。
私の考える「悟り」とは、【人間力の向上】でしょうか。人間力には、「認識力」「愛」「仕事力」など全て含みます。
にしき鯉さんの言われた『>そうすると人間的に「成熟した人」…』と似た意味かもしれません。
「悟り」とは、【最上位の目的であり、かつ至高の喜び】でもありましょう。
そして「悟りの道のり」には到達点は無い、と考えます。悟りに段階は有っても、ここで終わりという最終ゴールは無いと思っています。
なので、たとえ「悟りを得た」という事があっても、その場所はゴールではなく、いつまでも安住してよい場所だとは思いません。
「悟りに至る道」に終着は無く、皆がその道中にあり、まさに永遠の旅人なんだと思います。そのようなイメージを思うと、後方から歩いてくる人から見れば、今現在の私が立つこの地点も、ある意味「悟り」の地なのかもしれません。
「悟りに至る道」は、同時に「悟りに包まれた道」であると言えるのかもしれません。全ての人が既に悟りの上に立っているという見方です。
悟りに最終到達点は無いと言いました。
かつ、最上位の目的であるとも言いました。
それでいて既に悟りに包まれていると言いました。
禅問答の様ですね。
「悟り」とは【目指すものでもあり、今ここに在るものでもある】という事でしょうか。
考えてみると…目的であるものが、最終到達点がない、つまり定点が無いというのは、少し変です。(各段階の悟りを目標設定する事は可能ですが)
目的である「悟り」とは、「この境地だ、この領域だ」という定まった一点ではなく、常に変転を続け向上し続ける姿そのもの、なんでしょうか。
【向上し続ける事、そのプロセス、その姿】こそ、悟りの神髄かと考えたりします。
釈尊が目指せと説いた「涅槃」は最終地点でしょうか?
ニルヴァーナに入る事が最終の目的であり、永遠にそこに留まる事をよしとするものでしょうか?
もちろん、釈尊がニルヴァーナを目指せと説いた事は、対機説法としては全然理解出来ます。
しかし、対機説法ではなくそれが真理であると説かれるなら、恐れ多くも私は釈尊に異議申し上げます。
一瞬で論破されるでしょうけど。
from: にしき鯉さん
2010年06月30日 09時48分25秒
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「Re:Re:悟りとは何か?」
cosmo77さんへ
<まず パーニャパラミッタ でしょうか
直観力のようなものが 高まってきているとは思います
善悪判断のような直観力が鋭くなってきている気はします>
パーニャパラミッタが直感力という事でしょうか?
事象を見た瞬間に奥にある真相を掴み取るような事でしょうか?
バランスがとれている状態が「悟り」と考えていいんでしょうか?
この辺をもう少し詳しくお願いできますか
from: にしき鯉さん
2010年06月30日 09時34分27秒
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「Re:Re:悟りとは何か?」
ueyonabaru さんへ
<わたしの今の悟りの道は、この世で出てくる種々の問題や他人との葛藤を乗り越えていくなかでの、自分の発展です>
< わたしは、あまりにも現実が苦しくなると、開き直ります。仏教の無常観に一時的に逃げ込みます。この世は、幻なんだという、洋の東西にもある無常観に逃げこみます。そして、心が落ち着いたら、また、現世の問題にあたることにします。>
いい感じで進んでいると思います
人は誰でもとらわれがあります、観念と言った方がいいでしょうか?
その自分の観念が正しいと思っている人の集まりが人間界なんです
だから、同じ指導者を信じ、崇拝しているのに受け取り方が各自、違うのは「生きてきた過程」によって判断が違うからでしょう
無常観に逃げ込むという考えではなく、離れて検証すると考えたらいいと思います
私もここでこれだけ皆さんの教義に反対する考え方を述べています
もちろん、言葉には気をつけているつもりですが時にはムッとする言葉もあると思います
ですが信仰は一生物なんです、異論について考えられなくなると妄信の道を一直線です
今、現在、反対意見を受け入れられなくても、時がたてば考えも変わっていきます
それは「縁」によって変わるんです、自分と全く違った道を歩いてきた人との「縁」で変わるんです
ueyonabaruさんが大川さんを今、100㌫信じていても、今後、大川さんの教えや行動が変容していかないという保障はありません
「諸行無常」という言葉がありますがそれは人の心にも言えます
「自性」(自分だと思っている物)も又、無常なんです
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。努力して修行を完成させなさい」
釈迦の最後の言葉として有名ですが、これを実践してるように感じます
ueyonabaruさんの「悟り」への理解、承りました
ありがとうございます
from: cosmo77さん
2010年06月29日 21時38分15秒
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「Re:悟りとは何か?」
にしき鯉 さん
> 幸福の科学で言う「悟り」とはどんなものなんでしょうか?
> ueyonabaruさん、 hikaru0827さん、cosmo77さんの個別の理解を聞きたいと思います
私なぞ たいしたことは ありませんが
まず パーニャパラミッタ でしょうか
直観力のようなものが 高まってきているとは思います
善悪判断のような直観力が鋭くなってきている気はします
また 問題を解決する能力が高まってきます
さらに 理性的な部分もありますが 極端なところがなくなって 人格的に バランスが とれてきているとは思います
まあ たいしたことはありませんです (・_*)\
from: ueyonabaruさん
2010年06月29日 17時25分13秒
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「Re:悟りとは何か?」
にしき鯉さんへ
時おり、にしき鯉さんからのこのような問いかけがあり、基本に立ち返って、おのれ自身を考えさせてくれます。
わたしの悟りについての定義は色々とありますが、今回は、現在の自分の心境からみた悟りについて短く述べてみます。
いま、ご存知のように幸福実現党の選挙運動のお手伝いをしております。これを機会に支部の方々やその他多くの方々と知り合うようになり、幸福の科学の内情をだんだんに分かるようになっております。この世の運動ですから、イヤなこともやはり出てきます。運動目標あるがゆえに出てくる問題もあるし、他人との考え方の違いからでてくる葛藤などもありますね。
わたしの今の悟りの道は、この世で出てくる種々の問題や他人との葛藤を乗り越えていくなかでの、自分の発展です。自分が種々経験し大きくなっていくことを楽しみたいと思います。問題点に深く執着しないようにしております。教団の問題にも、ある程度までの関わりでとどめたいと思います(大きな門題があるということではありませんが)。教団の運営のこともあまり立ち入って心配するようなことはしたくありません。
現世の問題に深くかかわることはしないが、さりとて現世の問題から離れずという状況でしょうか。
わたしは、あまりにも現実が苦しくなると、開き直ります。仏教の無常観に一時的に逃げ込みます。この世は、幻なんだという、洋の東西にもある無常観に逃げこみます。そして、心が落ち着いたら、また、現世の問題にあたることにします。
わたしは、また、悟りの程度は、信仰心の程度と比例するという仮説を立てております。これについては、一つのテ-マとして今後とも考えていきたいと思っております。
> 幸福の科学で言う「悟り」とはどんなものなんでしょうか?
>
> 私が理解した範囲では、物欲や思いやりのバランスがとれている状態が大川さんの言う「悟り」のような気がします
>
> そうすると人間的に「成熟した人」「偉人」などが悟りを得ていると解釈して良いのでしょうか?
>
> ueyonabaruさん、 hikaru0827さん、cosmo77さんの個別の理解を聞きたいと思います
>
> あっ、教義を聞きたいのではなく各人の「悟りとはこうだ!」みたいなものを聞きたいんです
>
> 「大川さんがこう言っている」は無しにして下さい
>
> よろしくお願いします
from: hikaru0827さん
2010年07月04日 05時01分45秒
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「Re:Re:Re:悟りとは何か?」
にしき鯉さんへ
>悟りを目的に生まれて来たと言っても皆が皆、救済者というわけではありません
>中には「真理」を解き明かし、そこに至る道を説く事こそ「真理の王道」だと考える人もいるでしょう
私の言う「人間力の向上」は、全てを含みます。
宇宙には「進歩」と「調和」の2つのベクトルがあり、どちらも「人間力の向上」だと思いますし、
全ての精進の方向を否定しません。
>「釈迦は二度と転生しない」が常識になっている理由として
>悟りを得、解脱をしたら「無色界」を超えたところのアーカシックレコードが読めるそうです
>釈迦の後に続き涅槃に入るものと 、苦界を泳いで他の魂を救う事に意義を見い出す魂がここで選択するそうです
釈迦が生まれ変わるかどうかは別にして、私達が見上げる涅槃という世界は最上階に見えますが、もしそこに到達し、よくよく目を凝らしてみれば、その部屋の奥には更に上の世界に繋がる階段があると思うんです。これは私見です。
>私は「涅槃」という、寂静、心の安静の場所がある事が一つの救いだと考えているんです
失礼な事を言うようで恐縮ですが…、苦しみから逃れたい、目を逸らしたいという気持ちで心が満ちていては、涅槃には行けないのではないでしょうか…。涅槃に到達した人の心には、消極的な感情はないように思います。
涅槃に入れるような境地であれば、それはつまり煩悩を消し去り無明からくる苦しみから脱した、とても安らかな心を持っているという事であり、だからこそ涅槃に入る事が可能なんだと思います。
>その度に打ちのめされます、私は未熟者だと、自分の中にまだ、こんなに汚い部分があったのかと、、、
>そして思います、「器など小さくてもいいや、涅槃に入ろう」
>涅槃など出来るかどうかもわからないのに、毎回、挫けている自分です
>私もゴールのない真理の道を歩いている自覚が足りませんね(反省)
いいえ、にしき鯉さんはとても努力されていると思いますよ。
そして、とても自分に厳しい方です。だからそのようにご自身を責められるのかもしれません。
ただ自分を責める事も、行き過ぎるとバランスを損ないます。
そのような反省の後は、ご自身の良いところを数え上げる瞑想なんか如何ですか?
私は、にしき鯉さんを尊敬してますし、頼りにしてますよ。
私なんぞは野狐禅もいいところで、それでいて自分のしてきた過ちには目を塞いで償おうともしないのです。それでも安穏と生きているんです。
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