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  • from: ueyonabaruさん

    2010年07月21日 14時44分07秒

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    cosmo-hikaru論争を思い出して

     cosmo-hikaru論争のことを思い出しました。この世に偶然はあるのか、それとも原因-結果の因果律に支配されているのかという長期にわたる議論でした。

     その議論の成果は何だったのでしょうか?私は、その成果の一つは次に述べることだったと思うんです。

    「現在の自分は、過去の自分の行為、周囲の人びとの行為、その他の原因による。しかし、その因果関係は、そのすべてをどの原因でそのようになったという具合に、解き明かすことは不可能である。人間にその認識力はない。それは、偶然があるとしか言えないほど複雑である。他方、未来はどうであるかというと、未来も同じく、複雑な要因が重なって起こるだろうから、だれもそれを完全に予測することはできない」

     これからすると、大川先生の予言、予測が必ずしも当たるとはいえない筈です。神様は人間に自由意志を与えられたということを考えると、どのような結果が将来現れるのかは、結論として、それは分からないということになります。人の心の中にどのような思いが起こり、行動に移るか心の中だけの思いなのかは別に、だれもそれを知ることはできないし、制御することもできません。それこそ自由なんです。これを神様が制御するとすれば、神様は、人間に自由を与えたことにはなりません。論理的に言えば、神様さえ未来は予測不可能だと言えるではないでしょうか?

     大川先生が未来のことを完全に当てることは不可能であることは、この論争から明らかになったことです。

     それでも、預言者は予言をしようとし、人びともそれを望んでいるというのが、世の中なのではないでしょうか。

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