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from: もん吉。さん
2010年08月05日 02時36分02秒
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真理を観る視点の違いについて。
釈尊の宇宙即我の悟りにおいては、光一元を包含する大力量人の悟りでもあると推測するのですけれど。
仏教の説いた仮諦と 生長の家の本来肉なし病なしの思想の差異についてですよね。
谷口先生が善悪二元による徹底的な自己観照の中で心もない霊もない魂もない光明遍照の実相を悟られたことによってゴールデンルールに帰一されたて。
自己を鏡として世界をありのままに縁起の法則を観たわけですけれど。
仏教は理法に対しての観照の視座を三次元において説かれているだけのことではないでしょうか?
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
光明精厳
の順序で悟るなら天上界に地獄も病気もないのは当たり前で取り立てていう必要はないですよね。
たいした問題とは思えないんですけども?
コメント: 全12件
from: hiraoka - 2さん
2010年08月17日 23時37分01秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:真理を観る視点の違いについて。」
ソウソウさん、こんばんは。
ぼくは、ここを離れることにしました。
とはいっても、毎日チェックはするつもりです。
その前に、ソウソウさんの以前の問いかけに、いまのぼくの解釈をお伝えしたいと思います。
ソウソウさんの、疑問はぼくにとっても大疑問だったんです。
「なぜ、大川さんはこうなったのか?」
現在のぼくの解釈は、「大川さんは、すこし霊能力のある精神分裂ぎみの人」、宗教的に言えば「霊障がある人」です。
こう考えると、さまざまな大川さんの不可解な「決断」が理解できました。
ぼくは退会せずに、しばらく様子を見ようと思います。
毎日、チェックしますので、なにかありましたら、メッセージをください。
from: ueyonabaruさん
2010年08月07日 08時45分23秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:真理を観る視点の違いについて。」
ソウソウさんへ
教えてくださって、ありがとうございました。
仏の三法印ですべてと勘違いしておりました。従来仏教は、涅槃寂静の次の境地など、体系的に説いているのかどうかに関心がいきます。道元の言葉のようですが、彼の独特の用語だったのでしょうか、それとも仏教全般に通用する言葉なのか今後気をつけていきたいとおもっております。
> 「理想国家日本の条件」幸福の科学出版の著書に収録されています。
>
> 私なりの理解で恐縮ですが、
>
> 仏教の旗印として、三法印すなわち、
> ①「諸行無常」(万物は流転し、すべては過ぎ去っていくもので)
> ②「諸法無我」(思いっきり端折って、一切は空、神のみが実在)を悟った時に得られる心の平和な境地が
> ③「涅槃寂静」
>
>
> 今回は、第四の法門、「光明荘厳」(こうみょうそうごんと私は直に聴きましたが、著書ではこうみょうしょうごんですね。)
> が追加されました。
>
> 意味は、「涅槃寂静」という個の悟りに落ち着くのではなく、神仏の子としての悟りを得たならば、積極的に、自らの思いや行動を光り輝かせ、世の光となれ、という幸福の科学的悟りの発展を説いています。
>
> しかし、大川先生が最初に言い出したかというと、そうでもなくて、道元禅師の「正法眼蔵」で「荘厳光明」という言葉が出てきます。参考にしたのでしょうか。
>
>
>
>
from: ソウソウさん
2010年08月07日 00時35分49秒
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「Re:Re:Re:Re:真理を観る視点の違いについて。」
ポロンさん アクロポリスさん はじめまして。
> 光明精厳という言葉は、どこからののもでしょうか、差し支えなければ教えてください。
ueyonabaruさん、
1991年第一回エルカンターレ祭、in 東京ドームで「新世界建設」で語られた仏の四法印のことですね。
「理想国家日本の条件」幸福の科学出版の著書に収録されています。
私なりの理解で恐縮ですが、
仏教の旗印として、三法印すなわち、
①「諸行無常」(万物は流転し、すべては過ぎ去っていくもので)
②「諸法無我」(思いっきり端折って、一切は空、神のみが実在)を悟った時に得られる心の平和な境地が
③「涅槃寂静」
今回は、第四の法門、「光明荘厳」(こうみょうそうごんと私は直に聴きましたが、著書ではこうみょうしょうごんですね。)
が追加されました。
意味は、「涅槃寂静」という個の悟りに落ち着くのではなく、神仏の子としての悟りを得たならば、積極的に、自らの思いや行動を光り輝かせ、世の光となれ、という幸福の科学的悟りの発展を説いています。
しかし、大川先生が最初に言い出したかというと、そうでもなくて、道元禅師の「正法眼蔵」で「荘厳光明」という言葉が出てきます。参考にしたのでしょうか。
from: ueyonabaruさん
2010年08月05日 19時47分39秒
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「Re:Re:Re:Re:真理を観る視点の違いについて。」
オリンポスのポロンさんへ
大川先生の「悟りの挑戦 下巻」を見ると、涅槃寂静を阿羅漢に達すれば得られる悟りと書いてありました。これを、読み落としておりましたね。
皆さんとも意見の交換などなさってください。
from: ueyonabaruさん
2010年08月05日 18時51分32秒
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「Re:Re:Re:真理を観る視点の違いについて。」
オリンポスのポロンさんへ
> 涅槃寂静までは、物質の束縛から解脱までの道程が示されていると思います。
>
> 光明精厳になると物質からの解脱が前提だと思います。
>
> 甘露の法雨に光エネルギーの作用としての本来の有り様がどういうものであるか示してありますよね。
「甘露の法雨」がでてまいりました。驚きです。うれしいですね。
「涅槃寂静」までは、物質の束縛から解脱までの道程という言い切りかたもいいですね。
光明精厳という言葉は、どこからののもでしょうか、差し支えなければ教えてください。
from: ueyonabaruさん
2010年08月05日 17時28分22秒
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「Re:Re:真理を観る視点の違いについて。」
オリンポスのポロンさんへ
> 涅槃寂静のなかに光明精厳を含められるかどうかですか。
> 光エネルギー体としての自らがどういう作用をする存在であるかということのなかに答えがあると思います。
>
> 解脱ということにおいては同じでしょうけど。
>
> 世界に対する鏡(悟り)としての作用の広がりは違のではないでしょうか?
私の理解というか要求水準というのは、今のところ、涅槃寂静までの3段階での考え方で頭の整理をしようと思っておりました。
悟りの境地そのものにも更に、高低があるということは感じられはします。おっしゃるのは、このあたりの事情をを言っておられるのでしょうか?
ポロンさんのお考えを、もう少しお聞きしたいと思います。
from: ueyonabaruさん
2010年08月05日 10時31分20秒
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「Re:真理を観る視点の違いについて。」
オリンポスのポロンさんへ
ポロンさん、このブログに異色の新人登場というところですね。禅的な、光明思想的な観点から色々と議論ができそうですね。
> 釈尊の宇宙即我の悟りにおいては、光一元を包含する大力量人の悟りでもあると推測するのですけれど。
光一元が悟りの極致でしょう。きっと。それは、物質はない、悪はない、病気もない、心(揺れ動く心)もないとする生長の家の光明思想です。そこは、神の無限の愛、智慧、悦び、豊かさ、自由、連帯、調和などすべての神の徳に満ち溢れる世界です。時間もあると思えばあり無いと思えばなくなるような、自在の世界なんでしょう。
> 仏教は理法に対しての観照の視座を三次元において説かれているだけのことではないでしょうか?
>
> 諸行無常
>
> 諸法無我
>
> 涅槃寂静
>
> 光明精厳
>
> の順序で悟るなら天上界に地獄も病気もないのは当たり前で取り立てていう必要はないですよね。
仏教や幸福の科学と光明思想(生長の家、アメリカのニュ-ソ-ト)との違いは、現世(仮諦)の取り扱い方だと思います。仏教は現世の生き方(修行)を教えます。現世は「苦」とまず見て、これからの脱却法を説いてまいります。これが、四諦八正道の方法論でしょう。
幸福の科学もそうですね。まさしく仏教に違いありません。同じような説き方です。しかし、八正道を基にするも、現代的に、四正道というものを編み出し、これを信者の修行の要諦としております。これは、大変に画期的なもので、仏教を現代的に新たな観点から、見直したものと考えていいと思いますね。これは、重要です。
大川先生は、生長の家の哲学から大きく影響を受けております。これは、GLAからの影響より、もっと大きいでしょう。そのような方が生長の家の光明思想の欠点を指摘されたのですね。
涅槃寂静の中に、光明精厳を含められませんか?
from: hiraoka - 2さん
2010年08月18日 00時27分01秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:真理を観る視点の違いについて。」
minamikazeさん、ahuramazdaさん、こんばんは。
ぼくは、ここを離れることにしました。
とはいっても、毎日チェックはするつもりです。
みなさんも、「事実はどうであるのか?」を追求されてください。
そして、徹底的に自分で考え、自分で行動されてください。
「信じる」と云うことは、「既定のものとして、無意識に組み込むもの」です。
これ自体が無意識になされることでして、これなしには人間は生きていけません。
そうであるからこそ、「信じる」と云うことは、ときに諸刃の剣になるようです。
どうぞ気をつけて、これからも「事実はどうであったか?」、そして「その事実を見て、自分はどう考えるか?」と云うことに最大の注意を持って探求されてください。
なにかありましたら、ぼくにメッセージをください。
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