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from: にしき鯉さん
2010年08月27日 23時51分17秒
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瞑想①
ソウソウさんへ
約束した「慈悲の瞑想」を上げて起きます
まず、やり方自体は難しくありません
正座か、半跏趺坐(あぐら)を組んで座ります
気をつけるのは背骨を真っ直ぐに保つ事です
ゆっくり鼻で大きく息を吸い、しばらく止めて、ゆっくり口から吐き出す
肉体的方法はこれをくり返すだけです(秒数は気にしない)
つぎに観想です
苦しんでいる人たちを目の前にイメージして、その相手から、苦しみやそのカルマが、黒いエネルギーになってにじみでている、と想像します
あなたはその黒いエネルギーを、呼吸とともに鼻から自分の中に入ってくると瞑想すると。そしてそれを吸い込むことによって相手は苦しみがどんどん減ってくる
それを見て喜ぶ自分まで想像して下さい
そして次に自分が息を吐くときに、自分が修行で培ってきた功徳、光のエネルギー、幸福のエネルギーが、白い光のエネルギーとなって、その相手に注がれると。
ここで注意するのは息をゆっくり吐けば吐くほど効果は高いです
できるだけ具体的な対象を思い浮かべないと、効果は薄いといわれます,
要は、いかに心を込められるかが大切です。心がこもっているほど、最初はやりにくいです。
何故なら、自分のエゴが嫌がりますから、、、
しかし、根本に「自分は菩薩になるんだ」、「他の苦しみを取り除いてあげたいんだ」という気持ちがあれば徐々に出来るようになってきます
この瞑想は回数で決まります、一日30分でかまいません、続けることが大切です
コメント: 全25件
from: hikaru0827さん
2010年09月07日 07時39分49秒
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「Re:Re:Re:瞑想①」
もん吉。さんへ
> 昔、凄ノ王っていう漫画があって超能力にあこがれたなあ。
永井豪ですね。兄の持っていたものを数巻読みました。
彼の作品で印象深いのは「デビルマン」です。
小学生の頃でしたが、子供心にも衝撃でした。
人間の心のまま、悪魔の肉体を手に入れたデビルマン・・・
人間の姿のまま、心を失い悪魔のような所業を行う人類・・・
眠っている間に、美しい星地球を滅茶苦茶にされた怒りと悲しみを持ち、人類から地球を取り戻そうとする堕天使サタン・・・
その壮大な世界設定と、人の心に生まれる闇の深さに圧倒されました。
from: hikaru0827さん
2010年09月06日 07時59分18秒
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「Re:Re:瞑想①」
cosmo77さんへ
> 大川先生は 確か ヨガ界の親玉が エンリル霊だと 書かれていましたね
> ヨガっていうのは 信仰とかは ないからでしょうか
> ヨガに懲りすぎると 裏の世界に行ってしまうのでしょうかね
なんでも行き過ぎはよくないんでしょうね。
バランスは大切ですね。
もん吉。さんのこちらの意見はとてもニュートラルな感じで好きです。
↓
------------------------
裏の教えであるとか、表の教えであるとか立て分けて考えがちだけど。
裏の人はバランスが悪いだけで、自己鍛練は霊的向上に必要なことではあるんだよね。
本当は裏的な鍛練と表的な愛の学びを統合してステージを上がるんだけど。
先生は裏だからといって、否定されてはいないはずです。幸福の科学の基本教義としてそっちに行き過ぎることを戒められてはいますけど。
不動心には、その自己鍛練の部分は無視は出来ないと説かれてますよね。
-------------------------------
レッテルを貼る事は避けないといけません。
表とか裏とか、いつだってひっくり返る可能性だってあります。
私はそのようなカテゴリーに執われることは避けたいと思っています。
私も幼少の頃(今も?)、超能力が使えたらなあ、と妄想してたものです。鉛筆を睨んで、「動け動け」と念じてみたりしてました。
ピクリともしませんでしたけど。
中学・高校と陸上部に所属し、長距離を専門としてました。
他の部の友達から何が楽しいの?と聞かれた事があります。
練習も試合も、同じ景色のトラックをぐるぐる走るだけです。
後から思えば、確かに苦行に近いな、と思いました。
単純にストイックな生き方や、自分が向上する感じが好きだったのかもしれません。
from: hikaru0827さん
2010年09月03日 07時53分56秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:瞑想①」
にしき鯉さんへ
> <反省や精神統一の手法として瞑想は積極的に取り入れられていたように思いますが、ヨガはどうでしょう?
> 釈尊が若い頃、苦行などしてみたり試行錯誤していた時期に、ヨガも体験したのかなぁ、というぐらいの認識なんですが・・・。>
> 今のヨガは仏教、バラモン教、ヒンドゥー教、インド哲学から派生して育っています
> だから、キリスト教の牧師さんや哲学者もけっこう実践しています
> 信仰とは別に牧師さんなどは行うと、懺悔を聞いても心が揺るがないといいます
> ただ、ヨガには体系的な心の教えはないんですよ
ヨガについて色々教えていただいてありがとうございます。
勉強になりました。
またよろしくお願いします。
from: にしき鯉さん
2010年09月02日 23時49分10秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:瞑想①」
hikaru0827 さんへ
返事ありがとうございます
<ご紹介頂いたような瞑想法の可否を語れる身ではありません。
私は数息観や満月瞑想レベルです。>
いやいや、違いますよ
数息観も立派な瞑想の入り口です
<深い瞑想を行ずる場合は、清々として安定した霊的磁場と、徳と実力のある導師が居ると安心だ、と…一般の方には申し上げたいと思います。>
その通りです、
しかし、いつ、その場面に遭遇(チャンス)するかはわからないのです
その時のヒントになればと書きました
ここのブログは真理を求める者には興味があるものだと思います
メンバーでない方が覗いても「求める物の破片」が見つかるかもしれません
そして仏縁ができることが私の望みです
<反省や精神統一の手法として瞑想は積極的に取り入れられていたように思いますが、ヨガはどうでしょう?
釈尊が若い頃、苦行などしてみたり試行錯誤していた時期に、ヨガも体験したのかなぁ、というぐらいの認識なんですが・・・。>
今のヨガは仏教、バラモン教、ヒンドゥー教、インド哲学から派生して育っています
だから、キリスト教の牧師さんや哲学者もけっこう実践しています
信仰とは別に牧師さんなどは行うと、懺悔を聞いても心が揺るがないといいます
ただ、ヨガには体系的な心の教えはないんですよ
この「行」を行えばこういう変化があらわれる
このアサナを行えばこの部分が健康になる
このクリア行法をおこなえばこの疾患は治る
と、いう具合に「結果は自分で感じろ!」的な進み方をします
だから、師がいなければ先に進めない日本人にはなじめないかも知れません
日本にあるヨガ教室も最初はハタ・ヨガから教えます
これは「ポーズ」という形のあるものから入るからわかりやすいんです
いきなり精神統一から入ったら誰も続かなくて月謝ももらえませんしね、、、
そういう意味ではハタ・ヨガも真理の入り口として素晴らしい役割を担っていると思います
from: hikaru0827さん
2010年09月02日 07時49分23秒
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「Re:Re:Re:Re:瞑想①」
にしき鯉さんへ
> 自分が傷つくのを恐れてはいけません
> たとえ、他の想念の影響を受けても、それは所詮借り物の影響です
> 借り物の想念など時が立てば消えます
まぁ大きな時間の流れを見れば、単に一時の寄り道でしかなく、寄り道もまた良し、なのかもしれませんが…。
ご紹介頂いたような瞑想法の可否を語れる身ではありません。
私は数息観や満月瞑想レベルです。
ここから先は一般論として聞いてください。
このような話を聞いた事があります。
ろくに心を治める事も出来ていないものが、山に入って、滝行など行っても、動物霊などに憑かれるのがおちだ、と。
使いこなせない子供が、包丁を振り回していたら、やっぱり「止めときなさい」て事になります。
かすり傷ぐらいなら教訓にもなっていいかもしれませんが、大怪我する危険があるなら止めます。
深い瞑想を行ずる場合は、清々として安定した霊的磁場と、徳と実力のある導師が居ると安心だ、と…一般の方には申し上げたいと思います。
> もちろん、正式なやり方には黒いエネルギーを消す方法もあります
> でも、それは口伝されるものではなく体験するものです
> ( hikaruさんが望むなら個人レターで送ります)
ありがとうございます。でも、今は聞かないでおきますね。
> <○釈尊の教えとヨガは、どのような関係と捉えられていますか?>
> はい、釈尊が説いたものは一つの哲学です、そしてやっていたのはヨガです
> そのラジャ・ヨガを体系的にまとめ上げたものが釈尊の教えに非常に近いです
う〜ん。全くヨガの道には暗いのですが。
「瞑想」も「ヨガ」も釈尊が創出したものではなく、釈尊以前からインドにはあったものですよね。
当時のインドには古来からの宗教やインド哲学と呼ばれる思想が、根付いていて、釈尊も仏教も、その影響を受けたと思います。
反省や精神統一の手法として瞑想は積極的に取り入れられていたように思いますが、ヨガはどうでしょう?
釈尊が若い頃、苦行などしてみたり試行錯誤していた時期に、ヨガも体験したのかなぁ、というぐらいの認識なんですが・・・。
from: にしき鯉さん
2010年08月30日 22時11分01秒
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「Re:Re:Re:瞑想①」
hikaru0827 さんへ、続きです
<○釈尊の教えとヨガは、どのような関係と捉えられていますか?>
はい、釈尊が説いたものは一つの哲学です、そしてやっていたのはヨガです
ヨガは体操ではなく技術です、日本に伝わってきたのはハタ・ヨガと言われるアーサナを中心とした技法です
肉体が弛緩、緊張をくり返すことによって「緊張なき集中」を得ることを目的にしています(健康面だけで日本は取り入れています」
その上に、至高のヨガといわれるラジャ・ヨガがあります
そのラジャ・ヨガを体系的にまとめ上げたものが釈尊の教えに非常に近いです
・・・・・・・・・・・・・・・
<上座部教典に比べ、大乗教典は信頼感が低いと言われていましたが、龍樹は評価されているのですか?>
はい、竜樹は素晴らしい人だと思います
竜樹だけに限らず、各開祖はみんなそれなりのものを得ていたと考えます
釈迦が説いた一つの哲学を「信仰」という形まで発展させたのは後世の優れた弟子たちです
これによって仏教に縁のない者達に「教えという形」で縁を作りやすくしたと考えます
「三宝帰依」も釈迦が説いた物ではありません、しかし、釈迦滅後どうして在家の者たちに心の成り立ちを説明する事ができるんでしょう
「帰依」の心を「信仰」に変換したことで仏教は大きくなったと思います
私の評価が低いのは日本に伝わった大乗です
開祖はそれなりに救済者の意識があったと思います
それは空海にしろ、日蓮にしろ、同じです
ただ、日蓮が説いた法は段々拡大解釈され、今や、日蓮を拝む事が信仰の要で法華経は「大宇宙の真理」となっています
空海にしても、困った人々に自分が使える技で救っていたのに
今の密教はその技術(加持祈祷)だけをメインにして布教をしています
護摩法も本来は神への供養のはずなのにいつの間にか「祈願」の法になっています
正直な気持ちでこれは私にとって辛いです
from: にしき鯉さん
2010年08月30日 22時08分27秒
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「Re:Re:瞑想①」
hikaru0827 さんへ
ご質問ありがとうございます
<自己の確立が出来ていれば良いかもしれませんが、心は不安定なものです。体調も影響します。
そのまま闇に飲み込まれる恐れがありはしませんか?>
大丈夫ですよ、
瞑想は「身、口、意」の順番に出来上がっています
そしてこの瞑想は一番深い「意」、意識にアプローチする方法です
野菜でいえば、この瞑想は「種まき」の種なんです
だから、なかなか根付かないんです、
人間はエゴが強いんです
そして、エゴが本質的に嫌がるのが無償の「自己犠牲」だからです
ほとんどの人が代償を求める形で「自己犠牲」を容認します
それは賞賛であったり、自分に対する満足感であったり、達成感であったりします
賞賛も満足感も達成感もそれ自体は悪いことではありません
大事なのはそれにこだわらないことです
hikaruさんはもう、このステージは卒業されてるのかも知れません
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ただ、根付いた場合と現実に他人を前にしての場合は、お話にあるように影響は出てきます
それを、どう捉えるかです
考えて見て下さい
カルマの理法は「為した事は帰ってくる」ですよね
たとえば、生まれて真理に出会うまでどれほど、業を積んだのでしょう
輪廻転生があるとしたら無始の過去からどれほどの善と悪のカルマを積んだのでしょう
今、真理にめぐり合ったからといって過去の業が即、浄化されるのでしょうか
それは絶対にありえません
だから、自分からアプローチしてイメージの種をまき、そこから変えていく必要があるんです
自分が傷つくのを恐れてはいけません
たとえ、他の想念の影響を受けても、それは所詮借り物の影響です
借り物の想念など時が立てば消えます
もちろん、正式なやり方には黒いエネルギーを消す方法もあります
でも、それは口伝されるものではなく体験するものです
( hikaruさんが望むなら個人レターで送ります)
ただ、瞑想は人によって合う、合わないがあります
仏教も哲学的な教えから入る人、信仰心からたどり着く人、神秘的要素から入る人、いろんなパターンがあります
瞑想も呼吸から入る、観想から入る、思索から入るものがあります
もし、独学でやるとすれば「合わないと思えるもの」はやらない方がいいでしょう
from: ueyonabaruさん
2010年08月30日 10時51分00秒
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「Re:Re:天狗たちの世界」
もん吉さんへ
> ところで、陰陽師についてはどう思いますか?
> 平安の世を守った安部清明は裏側の菩薩だそうですけど。
陰陽師は、DVDで見ることができました。裏側の菩薩ですか、そうなんですか。陰陽師のDVDには驚きました。大川先生と同じように、守護霊と語れるとか、念返しをするとか驚きの世界です。原理は、すべて二元論に基づくものなんですね。
> 霊能力を動的に使いこなすという意味では天狗の世界と同じように感じました。
> 陰陽の二元の考えは仏教の因果の理法と同じだと思いますけど。
天狗の世界とよく似ておりますね。因果の理法は、二元論とは少し別に考えたいのですが・・・・・。二元論は、この世のありように密接に関連しております。我々は、二元的な思考が一番分かりやすいと思います。善悪、右左、高低、深浅、無限有限、有無、正誤などこれなしにはこの世を語れません。二項対立であり、どちらかに傾こうととするものではないかと思います。
因果律は、原因結果の法則であると単純に考えられませんか?
パワーとしてのオカルティズムに説かれていることと少し違う内容のような感じですよね。
> どちらかというと、出口王仁三郎のような感じだけど。
> ちなみに僕は子供の頃は大本教の信者でした。
> 大本教も教義は二元論ですね。
大本教とは珍しいですね。今は、勢力は弱くなっているのでは。
谷口雅春師は元大本の信者で、そこから離れ、善一元、神一元の考えになりました。
from: ueyonabaruさん
2010年08月30日 08時51分57秒
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「Re:Re:天狗たちの世界」
もん吉さんへ
非常に参考になりました。ありがとうございます。
> 裏の教えであるとか、表の教えであるとか立て分けて考えがちだけど。
>
> 裏の人はバランスが悪いだけで、自己鍛練は霊的向上に必要なことではあるんだよね。
>
> 本当は裏的な鍛練と表的な愛の学びを統合してステージを上がるんだけど。
>
> 先生は裏だからといって、否定されてはいないはずです。幸福の科学の基本教義としてそっちに行き過ぎることを戒められてはいますけど。
>
> 不動心には、その自己鍛練の部分は無視は出来ないと説かれてますよね。
>
> 先生のお心には偏りがないからね。
>
> 弟子の理解力の問題だと思いますよ。
>
from: もん吉。さん
2010年08月30日 06時17分36秒
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「Re:天狗たちの世界」
ところで、陰陽師についてはどう思いますか?
平安の世を守った安部清明は裏側の菩薩だそうですけど。
霊能力を動的に使いこなすという意味では天狗の世界と同じように感じました。
陰陽の二元の考えは仏教の因果の理法と同じだと思いますけど。
悪霊撃退や念返し予知ですね。
パワーとしてのオカルティズムに説かれていることと少し違う内容のような感じですよね。
どちらかというと、出口王仁三郎のような感じだけど。
ちなみに僕は子供の頃は大本教の信者でした。
大本教も教義は二元論ですね。
from: もん吉。さん
2010年08月30日 04時49分35秒
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「Re:天狗たちの世界」
裏の教えであるとか、表の教えであるとか立て分けて考えがちだけど。
裏の人はバランスが悪いだけで、自己鍛練は霊的向上に必要なことではあるんだよね。
本当は裏的な鍛練と表的な愛の学びを統合してステージを上がるんだけど。
先生は裏だからといって、否定されてはいないはずです。幸福の科学の基本教義としてそっちに行き過ぎることを戒められてはいますけど。
不動心には、その自己鍛練の部分は無視は出来ないと説かれてますよね。
先生のお心には偏りがないからね。
弟子の理解力の問題だと思いますよ。
from: hikaru0827さん
2010年08月29日 23時35分00秒
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「Re:瞑想①」
にしき鯉さん・もん吉。さん・みなさんへ
○無師独悟?
にしき鯉さんは「無師」ではなく、2500年前にインドに生まれた「釈尊」を師とされていると理解しております。
もちろん釈尊は既にこの世にいませんから、上座部教典の学習、咀嚼を中心に釈尊の教えを理解実践されようとしていると思っています。
ヨガにも興味をお持ちなんですよね?
○瞑想
瞑想法については、各部で参考になる言葉があります。ご紹介ありがとうございます。
しかし、
【> 苦しんでいる人たちを目の前にイメージして、その相手から、苦しみやそのカルマが、黒いエネルギーになってにじみでている、と想像します
> あなたはその黒いエネルギーを、呼吸とともに鼻から自分の中に入ってくると瞑想すると。そしてそれを吸い込むことによって相手は苦しみがどんどん減ってくる】
のところは少々危険な香りが漂いますね。
自己の確立が出来ていれば良いかもしれませんが、心は不安定なものです。体調も影響します。
そのまま闇に飲み込まれる恐れがありはしませんか?
私のような初心者が、自宅で1人で行うのは危ないかもしれません。
○行法
>行法に関しては理論より体験です
修行方法は人それぞれで、タイプも違いますし、いちがいにどのやり方が正しい正しくないとは言い難いものです。
私にとって行法は日々の生活が中心です。ありふれた平凡な日々の中に修行があり、学びがあります。
瞑想も大事な事ですが、私はあまりウェイトを置いていません。
自分の心を見つめる時に、静かに集中するくらいでしょうか。
○にしき鯉さんに質問ですが、釈尊の教えとヨガは、どのような関係と捉えられていますか?
上座部教典に比べ、大乗教典は信頼感が低いと言われていましたが、龍樹は評価されているのですか?
from: ueyonabaruさん
2010年08月29日 11時40分30秒
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「天狗たちの世界」
もん吉さんみなさんへ
もん吉さんのご意見参考になります。
ところで、天狗たちは私たちの敵でしょうか? 敵とは言えないと思うんです。天狗たちも良いことをするんだろうと思っております。
5,6年前でしょうか、当時の支部長が、江原浩之さんは天狗界のものだと言いました。江原さんを忌避している感じを受けたのですが、私としては、彼の社会への貢献度も認めたい気持ちがあります。
彼は多分組織活動が好きではないでしょう。個人で、自分を磨いていく方向に行くでしょう。ですから、幸福の科学という団体に入り、エル・カンタ-レの救済運動に協力するということは考えられません。
それはそれでいいのではないですか。良いことを多く実行していただければそれでいいと思っております。
エル・カンタ-レの救済力を信じ、団体として個々人の力を結集し、より多くの善を実行しようとするのが、幸福の科学なんでしょう。
個人の悟り、救済力というのは限られたものです。そこでとどまってはいけないと考えるのが幸福の科学であり、他の宗教の開祖達ではないでしょうか。大きな悟りを得た開祖たちは、己が得た悟りにより大衆救済をしようとするのは、まったく自然なことです。
> いや、天狗も心を磨いてはいるんだよね。
>
> 天狗は自我力だっていうのは既成概念による思い込みでしょう。
>
> 本当に自我力だけなら天国には居られないからね。
>
> 彼らは自己発揮によって自分だけが高くなって他の人の向上を抑えてしまう傾向があるんだよね。
>
> 彼らも無我の心境は得ているから神通力を使えるんだよね。
> そこを直せば彼らも菩薩の世界に入っていけれるだけの資質はあるんだけどね。
> まあ、なんというか頑固者だよね。
>
>
from: もん吉。さん
2010年08月29日 10時14分41秒
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「Re:Re:瞑想①」
いや、天狗も心を磨いてはいるんだよね。
天狗は自我力だっていうのは既成概念による思い込みでしょう。
本当に自我力だけなら天国には居られないからね。
彼らは自己発揮によって自分だけが高くなって他の人の向上を抑えてしまう傾向があるんだよね。
彼らも無我の心境は得ているから神通力を使えるんだよね。
そこを直せば彼らも菩薩の世界に入っていけれるだけの資質はあるんだけどね。
まあ、なんというか頑固者だよね。
from: にしき鯉さん
2010年08月28日 21時29分57秒
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「Re:Re:瞑想①」
ソウソウ さんへ
ご理解ありがとうございます、あいかわらず鋭いですね
確かに基礎の瞑想ですね、大乗的にいうと四無量心の瞑想です
この後、悲哀、喜び、執着しない、と瞑想は続いていきます
それぞれが、過去の先達の努力した結果、出来上がったものです
私はそれに対して説明はしますが出来不出来を発言できるほど傲慢ではないつもりです
なにより瞑想はメソッド(方法)であり、悟りがどの段階であるとかは関係ないと思います
ueyonabaru さんは論戦のなかでの発展を望んでいるようですが
、、、
申し訳ありません、それは遠慮します
人の理解は人それぞれですが、行法に関しては理論より体験です
竜樹が説いた「大智度論」がベースになっている四無量心の瞑想を
「天狗」扱いされては返す言葉も見当たりません
マッチポンプ的な話でなく「この方法が最良なんだ」「私のやっている瞑想はここが素晴らしいんだ」と、いうものを提示していただければ、返事も出来ると思います
それがなければ、他のメンバーにも「益」はないと考えます
不毛な論議は平行線で終わってしまい、徒労にしかなりませんから、、、
from: もん吉。さん
2010年09月07日 10時28分43秒
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「Re:Re:Re:瞑想①」
70年代に描かれたデビルマンは凄いドラマだったよね。
200万年前の太古の世界より蘇りしデーモン達よこの地球はすでにお前達のものではないことを、この デビルマンが教えてくれるって言って回ってました。(笑)
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