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from: ueyonabaruさん
2010年11月19日 23時17分00秒
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神の概念
神の概念について、私の考えです。
哲学上の神というものがあると思います。これは、創造主であり、根本仏であり、根源神とも呼ばれるものであると思うのです。
エル・カンタ-レもその他の高級霊たち(神々と呼ばれるご存在も含め)、全てが哲学でいう神を指すものではありません。
エル・カンタ-レが至高神であるといいますが、これとて、創造神ではありません。人格神の最高におられる方だと位置づけたいと思います。
私は、現在そのように神を考えておりますが、皆さんはいかがお考えでしょうか?
コメント: 全20件
from: ueyonabaruさん
2010年11月28日 10時02分58秒
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「Re:Re:Re:エルカンターレをどの様に認識するか。」
hikaru0827さんへ>
> 永遠の仏陀には、更に次のような内容が書かれていたはずです。
> 私たちだって、心境次第で、星の誕生に対する喜びを感じる事ができる、と。
>
> つまり私たちでも、根源神と通じる事は可能だという事になります。
>
> なぜなら全ての魂の中心は、玉ねぎ理論を引くまでもなく、根源神と同質であるはずだからです。
>
> 私はそのように理解してます。
たしかにそのように書いてあります。hikaruさんに同感です。近日中に、「エマソンの偉人論」から、この辺りに通ずるくだりをアップしたいと思っております。
from: hikaru0827さん
2010年11月28日 08時11分40秒
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「Re:Re:エルカンターレをどの様に認識するか。」
もん吉。さんへ
> これは、僕のオープンマインドをもってしても分からないんだけど。
>
> 多分、仏陀再誕のほうが本当で永遠の仏陀のほうが信仰心を強めるための方便だと思うけどね。
>
> まあ、法を学ぶ上でどうでもいいんことではあるんだけど。
こちらで以前この話題がありました。
仏陀再誕も、永遠の仏陀も方便ではないようです。
先生は、永遠の仏陀の内容についての質問に対して
根源神と「通じている」と答えられたそうです。
一千億年の孤独感も、星の誕生に対する喜びも、「通じている」から、我が事のように分かるのだと思います。
彼我一体の境地と言いましょうか。
永遠の仏陀には、更に次のような内容が書かれていたはずです。
私たちだって、心境次第で、星の誕生に対する喜びを感じる事ができる、と。
つまり私たちでも、根源神と通じる事は可能だという事になります。
なぜなら全ての魂の中心は、玉ねぎ理論を引くまでもなく、根源神と同質であるはずだからです。
私はそのように理解してます。
from: ueyonabaruさん
2010年11月24日 10時53分25秒
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「Re:Re:Re:エルカンターレをどの様に認識するか。」
ainotaigaさん、もん吉さん皆さんへ
お二人と同じ意見であり、喜んでおります。
> それは、「一見強そうな信仰心が偏狭さを生んでいるのではないか?」と云う事です。
>
> 私から見て他の熱心な会員さんが、「主を絶対のご存在とみるあまり、その高みが他を寄せ付けない狭い信仰心になっているのでは」と感じた事があります。
>
> 今なら違う感想なのですが、その時感じた他の会員さんの信仰心とは、実は強いのではなく、「高み」だけだったのではないかと感じます。
高みであり、偏狭でもあります。そのような強い(高い)信仰心は尊いものであり、教団には必要だと思います。しかし、それだけで済む話ではありませんね。多くの人びとを受け入れ、救ってゆかねばならないのですから。どのようにすれば、多くの人びとが集まれるかと苦慮しているところです。
> 主は以前、『最高→最大→最強』の順番を目指せと云われた事がありますが、これについて深く感じるものがあります。
> エルカンターレ信仰を掴んだなら、最強になれるはずだと感じています。それは当然、同時に最大の理解者でもあるはずです。
> それが、他人に寛容ではなく、偏狭さを生んでいるのなら、最高から最大にもたどり着いていないと云う事だと思うのです。
> ここに、カギがある気がしてなりません。
そうなんです。あまりに強い信仰心は客観性を失うことがあります。強い(高い)信仰心と客観性を両立するようにしたいものです。
先生が常識を超える信仰心を持てとおっしゃるから、常識を超えてしまい、そして、超えたままであるとすれば問題がおこります。
今度の選挙戦で、ホントに信じれば当選できると言う信者さんもおられました。それを、私にも信じろと言うので、それはできない相談だと断りました。
私は、幸福の科学のみが尊い宗教だとは思いません。宗派にはこだわる気持ちは持たないようにしております。しかし、エル・カンタ-レを一番に尊敬している者でもあります。
from: ainotaigaさん
2010年11月24日 10時10分26秒
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「Re:Re:エルカンターレをどの様に認識するか。」
>もしかすると、これは方便ではなくて真実であり、同時に、永遠の仏陀で説かれることがらも真実なのかもしれません。
なるほど、そうですね。きっとそう理解するべきですよね。私も当然理解できるわけではないので、考えとして「主はそれだけ偉大な可能性がある」と片隅に置いているだけです。
実は私、以前こう云う見方だったのですが、ueyonabaruさんは、この様な事を懸念された事はありませんでしょうか?
それは、「一見強そうな信仰心が偏狭さを生んでいるのではないか?」と云う事です。
私から見て他の熱心な会員さんが、「主を絶対のご存在とみるあまり、その高みが他を寄せ付けない狭い信仰心になっているのでは」と感じた事があります。
今なら違う感想なのですが、その時感じた他の会員さんの信仰心とは、実は強いのではなく、「高み」だけだったのではないかと感じます。
主は以前、『最高→最大→最強』の順番を目指せと云われた事がありますが、これについて深く感じるものがあります。
エルカンターレ信仰を掴んだなら、最強になれるはずだと感じています。それは当然、同時に最大の理解者でもあるはずです。
それが、他人に寛容ではなく、偏狭さを生んでいるのなら、最高から最大にもたどり着いていないと云う事だと思うのです。
ここに、カギがある気がしてなりません。
from: ueyonabaruさん
2010年11月23日 22時40分41秒
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「Re:エルカンターレをどの様に認識するか。」
> ueyonabaruさん、ご活動本当にお疲れ様です。私も何度も自己嫌悪になる事あります。不完全な人間同士で修行をさせて頂いているのですから、なんとか自他共に励まし祝福し許し合って、頑張ってまいりましょう。
どうぞ、よろしくお願いします。
> 永遠の仏陀には、この様な下りがあります。
> P217
>
> 我は、救世主として、この世に来たのではない。
> 我は、救世主以上のものとして、この世に来たのである。
>
> また、P225には、
>
> ああ、思えばはるかなる昔のことであった。
> 一千億年の、その昔に、
> この大宇宙を創らんとする時にも、
> 我は、すでに存在していた。
> 我は、念いのなかにて、
> この宇宙のあるべき姿を決めた。
このくだりは難しいですね。この本は難しいです。同書、181ペ-ジ辺りで、神とは姿、形がないものであるから、我が説く教えを理解するならば、神が何であるかを知ることができると、説かれます。神は、教えそのもの、法そのものということですね。
ここはどのようにとらえればよいのでしょうか。私は、神と一体となって得られる境地なのかと思います。とても神秘的なものです。ですから私たちには理解できないものではないでしょうか。
時間というのは本来存在しないという哲学があります。現実にはあるわけですが、覚者の神秘的能力では、時間を超えた認識力があるのも知れません。覚者には法そのもになるような認識力があるのかもしれません。神そのものになっているのでしょう。そして、神と共に宇宙を創造したという神秘的なことをおっしゃるのでしょうか。分かりません。
時間とはなにかということも私には分かりません。無限というものも、有限というものもホントに分かっているのかと言われれば、分からないとしかいえません。
仏陀再誕で説かれることがら、ainotaigaさんが方便だといわれる先生のご説明が今の私に理解できる最大限のものです。もしかすると、これは方便ではなくて真実であり、同時に、永遠の仏陀で説かれることがらも真実なのかもしれません。
要するに、今の私の認識力ではよく分からないということです。私は、仏陀再誕で十分に思います。
先生は、9次元の我々でも分からないこと、エル・カンタ-レの意識は10次元をも超えたところまでつながっているようだというお言葉を最近言われております。9次元の方で分からないことを、我々が理解できるはずはありませんね。仏陀の教えで、十分に救済力はあります。今しばらくは、難しいことは、分からないままおいておきます。
>
> また、マヌの霊言でマヌ様は、「主は、どうやら9次元のご存在ではないようだ。我々のこの宇宙以外の宇宙とも、どうやら関わりがあるようだ」とも云われております。
>
> 仏陀再誕は、方便的な部分を含んだ一般論じゃないでしょうか。
from: ainotaigaさん
2010年11月23日 20時54分55秒
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「エルカンターレをどの様に認識するか。」
ueyonabaruさん、ご活動本当にお疲れ様です。私も何度も自己嫌悪になる事あります。不完全な人間同士で修行をさせて頂いているのですから、なんとか自他共に励まし祝福し許し合って、頑張ってまいりましょう。
永遠の仏陀には、この様な下りがあります。
P217
我は、救世主として、この世に来たのではない。
我は、救世主以上のものとして、この世に来たのである。
また、P225には、
ああ、思えばはるかなる昔のことであった。
一千億年の、その昔に、
この大宇宙を創らんとする時にも、
我は、すでに存在していた。
我は、念いのなかにて、
この宇宙のあるべき姿を決めた。
また、マヌの霊言でマヌ様は、「主は、どうやら9次元のご存在ではないようだ。我々のこの宇宙以外の宇宙とも、どうやら関わりがあるようだ」とも云われております。
仏陀再誕は、方便的な部分を含んだ一般論じゃないでしょうか。
from: ueyonabaruさん
2010年11月23日 16時24分20秒
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「Re:Re:観念は難しいものですね。」
ainotaigaさん皆さんへ
色々トラブルがあり、落ち込んでおりましたが、「仏陀再誕」を読んで反省をしております。自分の思いが通らないからといってひねくれないようにしたいと思いますね。
さて、議論中の、神様の概念ですが、同書の293ペ-ジに次の言葉があります。
あなたがたは、また、
仏と神の違いがわからずにいることも多いであろう。
あえて、その違いを説く必要もないという考えもあるだろう。
仏教的には仏といい、
またそれ以外の宗教、キリスト教や、あるいは日本神道などで、
神という概念があるように思われているかもしれない。
ただ、これだけは言っておかねばならん。
仏や神とか称されているもののなかには、
いわゆる高級霊としての仏神、
人格神としての仏神が存在するということは事実だ。
仏と呼んでも、神と呼んでも、高級霊を称していることも事実だ。
しかしながら、高級霊を超えるものがあることも事実なのだ。
高級霊というものは、
少なくともかつて地上で肉体を持ったことのある方、
そういう方だと言える。
しかし、この天地を創り、大宇宙を創った仏が、
小さな肉体に宿って、
魂修行をするということはないと思ってよいだろう。
その意味において、人間の人格というものを遥かに超えた、
大きな意識があるということは、真実なのだ。
以下省略しますが、この辺りの先生のお言葉は是非ご覧頂きたいと思います。
from: ueyonabaruさん
2010年11月22日 13時54分56秒
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「Re:Re:観念は難しいものですね。」
ainotaiaさんへ
> 私は以前から「地獄と天国を同じにしようとすれば、天国が地獄になる」と考えておりましたから
悪が染めてしまうような感じでしょうか。
私は、天国と地獄は画然として、別れていると考えております。
> 同じように「根源の神のお考えが善悪を含む」と見るよりは、偉大なるご存在はそれだけ、より積極的に善を推し進めるレベルが高いと考えております。
悪人も地獄人も悪霊も悪魔も神様のフトコロに抱かれており、本来は仏性をもつものであるというのが、神様の視線だと思います。
しかし、悪を肯定し、悪魔を肯定するものではありません。
> そう云う意味で私は、「根源の神は善悪競うものではなく、善悪を越えるもの」と云う方が肌合いが合います。
>
> また許す愛が前提となっている「悪」の存在も、良いと思います。
同感です。
> しかし単に「善も良し、悪もまたこれ良し」だけでは、寛容ですが、普通の人間は理解しにくく、生かす愛で挫けそうです。
悪をそのままの状態で良しという感覚ではなく、悪を、非真理を正すために努力する(戦う、折伏する)必要があります。これが伝道であり、選挙運動だと思います。
> 知恵として消化しきれないと、根源の神自体が「虚無的な存在なもの」としての誤解を与えてしまうかも知れません。
そうですね。決して虚無的な根源の神を想定しているものではありません。
> 日本人はニヒリズムとかアニミズム信仰が多いですからね。
アニミズムは容認できますが、ニヒリズムは良くないですね。
> もしかして、私の認識できる能力をueyonabaruさんが越えていらっしゃるため理解出来ないだけなのかも知れませんが、どこか虚しい様な感じがしました。なぜでしょう?すみません。
私が哲学的な神という言葉を使ったので難しく思われたのでしょう。虚しい感じがしたそうですが、私には知らずに虚無感があるのでしょうか。この世の出来事を見ていて、若干虚無感や無常観はあります。これが、思想として、どこかにあるのかも知れませんね。
from: ainotaigaさん
2010年11月22日 11時40分26秒
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「Re:観念は難しいものですね。」
なるほど、少し難しいですが深いお考えですね。
私は以前から「地獄と天国を同じにしようとすれば、天国が地獄になる」と考えておりましたから
同じように「根源の神のお考えが善悪を含む」と見るよりは、偉大なるご存在はそれだけ、より積極的に善を推し進めるレベルが高いと考えております。
そう云う意味で私は、「根源の神は善悪競うものではなく、善悪を越えるもの」と云う方が肌合いが合います。
また許す愛が前提となっている「悪」の存在も、良いと思います。
しかし単に「善も良し、悪もまたこれ良し」だけでは、寛容ですが、普通の人間は理解しにくく、生かす愛で挫けそうです。
知恵として消化しきれないと、根源の神自体が「虚無的な存在なもの」としての誤解を与えてしまうかも知れません。
日本人はニヒリズムとかアニミズム信仰が多いですからね。
もしかして、私の認識できる能力をueyonabaruさんが越えていらっしゃるため理解出来ないだけなのかも知れませんが、どこか虚しい様な感じがしました。なぜでしょう?すみません。
from: ueyonabaruさん
2010年11月21日 16時16分13秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:神の概念」
> 神は悪を含むものなのか?に関しては、そんな事はないと云うのも私の考えです。なぜ、悪を含めて考えるのか理解できません。
> それでは、悪魔の教えじゃないでしょうか?
神は悪を含むという表現で誤解を招いたかもしれません。
神は悪をも包含する大きなものとしたらどうでしょうか? 若しくは、神は善悪を超越した存在であると定義したらどうでしょうか。
神が善の代表であり、サタンが悪のの代表であり、この二人が戦っているとするのは、二元論的な神を信仰することになるのではないでしょうか。
私たちは、幸福の科学で「悪を去り善を取れ」と教えられています。これは正しいことに違いありません。逆では困るのです、当然ですね。そして、今の時代は善悪の基準が分からなくなっているので、仏法真理の流布により正しい善悪の基準の確立が求められているということでしょう。
これとは別に、私のいう哲学的な神とは、申しましたように善悪を超えた存在、陰陽の未分のときにあるもの、一即他を成り立たせるもの、有限であると同時に無限であるものという 非常に観念的であり神秘的な神なのです。それは、光明思想の生長の家で説く、光一元、善一元の哲学で説く神でもあります。
幸福の科学は、このような哲学的な神というものを当然教義の中に持っているのです。一見二元論的な、悪と戦う神が中心であるかのように思えてしまうのですが、それだけであれば、高等な宗教ではないと思うんですよ。
サタンは悪です。サタンを潰せばすべて解決でしょうか? サタンがあるのは、存在しうるのは、哲学的な神(これは私の独自用語です。)が、人間にサタンにまで堕ちることをゆるしているからではないでしょうか。そして、そのような、迷えるもの、道を外れるものたちをも生かしているのが、哲学的な神なのです。
悪はどうして発生するのでしょうか。それは、哲学的な神が人間に自由を与えたからだと思います。心の自由であり、行動の自由を与えられたのです。迷うことの自由も与えられているのでしょう。
この世は、二元的なものです。ですから、悪と戦うということが必要になります。そして、戦うということは一体何かと考えると、戦っている相手を正しき道に導くということなんだと思います。仏法真理に導くという作業をすることだと思うんです。
> 私が感じるキーワードは、神は、この世のルールを使ってのみユートピアを造ろうとしているはずだと云う事です。
> 宇宙人の出現が安易になされないのもこのルールを尊重している事と関係があると思います。
>
> 釈尊も6大神通力の内、2つぐらいしか使わなかったと聞きます。
> 使えなかったのではなく、使わなかったと。
>
> 先生もこの世の存在のルールを破る事なく、活動されているのではないでしょうか。
エル・カンタ-レが下主されたことで、すでに奇跡的な働きをされているものだと考えます。先生の説かれる法です。その上、悪なるものとの戦い、無知との戦いを率先指導されているのだと思うんですね。救世主としてのお働きです。
この世で奇跡が起こらないのは、人びとの信仰が足りないのが原因だと先生はおっしゃっているように思います。そうかも知れません。人びとの不信仰というのは、根強いものがありますね。バイブルを読むとそのことがよく分かります。私も、ホントの信仰者ではありません。ただ、先生についていっているだけの信者でしかありませんね。
人びとの信仰にかかわらず、先生が奇跡を起こせることがあるのでしょうか? 例えば、宇宙人を使って、人びとをショック療法的に、客観的な大きな奇跡現象を起こすなどで、悪しき流れの向きを変えるとか。
from: ainotaigaさん
2010年11月21日 12時41分15秒
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「Re:Re:Re:Re:神の概念」
神は悪を含むものなのか?に関しては、そんな事はないと云うのも私の考えです。なぜ、悪を含めて考えるのか理解できません。
それでは、悪魔の教えじゃないでしょうか?
私が感じるキーワードは、神は、この世のルールを使ってのみユートピアを造ろうとしているはずだと云う事です。
宇宙人の出現が安易になされないのもこのルールを尊重している事と関係があると思います。
釈尊も6大神通力の内、2つぐらいしか使わなかったと聞きます。
使えなかったのではなく、使わなかったと。
先生もこの世の存在のルールを破る事なく、活動されているのではないでしょうか。
from: ainotaigaさん
2010年11月20日 21時38分11秒
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「Re:Re:Re:神の概念」
今の私の考えは、総裁先生≒根本仏と云うことです。先生は、この様に自ら仰っておられます。私はエルカンターレの全てではない。天上界にエルカンターレが存在する。その内、私は本体の中心部分に近いところの一部であると。
ueyonabaruさんがお考えの様に、方便は必要だと思います。普通は理屈では理解仕切れるものではないかも知れません。伝道する立場の人間の神認識も、それぞれ段階があってよいものだと思います。
しかし、真実はどうなんでしょうか?少なくとも先生は、根本仏と自ら思っているはずです。そして、悟りの高い側近の方や、とくに信仰心厚い活動会員の方も、その様に信じているはずです。
待機説法として相手に合わせる事と自分自身が信じてゆくべき努力は分けて考えるべきだと思います。
過去、キリスト教でもイスラム教でも、根源の神を信じて信仰していたと思います。もし、「自分のところの教祖は、神に近いけど半分は人間で、我々と変わらない」と云えば、三次元的には正しいのですが、世界宗教になりえなかったと思います。
彼らの時代と違い、我々は高度な真理知識を与えていただいています。そのため、処女マリアから生まれたとは思っていないし、先生は肉の身で神仏だと思う方も誰もいません。しかし、それ故に、正しい理解をしなければ信仰を失ってしまうのです。
「主は、まず肉体は人間です。そして魂は、エルカンターレの本体に近い一部分です。そしてエルカンターレとは、9次元以上のもしかして20次元に通じる程の何かを司っている」
と信じる事によって偉大な未来社会が拓けて行けるような気がしております。
from: ueyonabaruさん
2010年11月20日 16時13分04秒
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「Re:Re:神の概念」
ainotaigaさんもん吉さん皆さんへ
> そうですね。私の場合でお話しますと、エルカンターレ信仰が、固まって来ると、「主は根本仏である」と信じられる様な気がしています。
それでもいいと思ってはいるんです。ですが、哲学的な思考で考えていくと、根本仏と必ずしも言わないほうが、良いように思えます。エル・カンタ-レを根本仏、若しくは創造神であると説明すると、それでは何でも間違いなく実行できるのではないのか、選挙選にも負けないだろうと言ってくるのです。そのようなことがあるので、高級霊であるとまずは説明したいのです。
そしてその高級霊なるものの価値を説いた方が有効かと思うんです。エル・カンタ-レは根本仏であると同時に、人間でもあります。人間であるかぎりは、根本仏ではありえません。この世に生きている限りは、根本仏にはなりえません。それが論理的な考えです。
哲学的な神というのは、善悪を超えたものです。ここでの議論のなかで、かつて、hiraokaさんは、神は、悪をも含むものでなければならないという意味のことをおっしゃいました。神が善のみの存在であれば、悪人や地獄の住人はどうなるのでしょうか。サタンはどうなのか。神の敵となってしまいます。それでは、二元論の神になってしまいますね。それは、神を矮小化するものです。
哲学的な神というものは、二元論を超えた存在なのでしょう。在りて在るもの、アルファでありオメガであるもの、一即多をなりたたせるもの、陰陽未発のときにあるもの、法そのもの、生命そのもの等々色々と象徴的に言えるかと思います。
しかしながら、哲学的な神だけで、人間は満足するものではありません。実生活を、この世を生き切るためには、指導者が必要とされます。指導者の言葉が必要となります。そして、預言者、救世主が登場してくると思うんです。それは、過去の宗教の教祖達であったり、幸福の科学のエル・カンタ-レであったりするわけです。哲学的な神は、言葉を発せず、沈黙のままですから。
預言者エル・カンタ-レを根本仏として拝むのは幸福の科学の教義ともなっております。それは、実相のエル・カンタ-レを至高神として拝むものであり、現象のエル・カンタ-レそのものを神として拝むということではありません。現象のエル・カンタ-レをないがしろにするというものでは決してありませんが、救世主、預言者として信頼、信仰していくべきものではないでしょうか。若しくは、創造神の化身であると言っても良いかと思います。しかし、同じく人間ではあります。ですから弱点もありうるのです。
高級霊というのを、人格神として拝むとともに、宇宙創造の神と
同一の神として拝むことは多くの宗教が行っていることです。仏教では、高き悟りの境地に達することを目的とするわけですが、悟りの境地に達した方々を拝むということをしており、仏像をつくりこれを通して、フッダや仏達を拝んであり、根本仏との区別もせず拝んでいるのが実情かと思います。
大川隆法の言うことは賛成できるが、自身を神とすることが許せないという方々が現実には多いのです。このような方々へのメッセ-ジをどのように伝えればいいかについて腐心しております。いきなり、エル・カンタ-レを神だとして主張すれば、反発も買うでしょう。
> そして、あれも正しいこれも正しいで、いろんな神様に翻弄される感じがあって、結局エルカンターレ信仰に戻りました。
私が幸福の科学を学ぶのは、大川先生の知性、霊感などについて、だれも及ぶものがないということが第一にあります。分からないことはたくさんあって、悩みも多いのですが、世界の知性だと思ってついてゆきたいものです。
> 総裁先生は、根本仏を垣間見れる、よすがなんだと思います。
> それなくして、勝手に大宇宙の神に祈っても通じないです。
> それは、自分流の理解度(認識)においてのみの信仰になってしまって、直通電話がない感じになるんですよね。
それは、同感です。
from: ainotaigaさん
2010年11月20日 10時19分36秒
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「Re:神の概念」
> エル・カンタ-レが至高神であるといいますが、これとて、創造神ではありません。人格神の最高におられる方だと位置づけたいと思います。
そうですね。私の場合でお話しますと、エルカンターレ信仰が、固まって来ると、「主は根本仏である」と信じられる様な気がしています。
でも以前私も「主は大霊のお一人であって、本当は根源の神は別にいるのでは」と勝手に思っておりました。
それで二つの神様に信仰しているつもりだったのですが、結局は守護霊信仰しているだけだったのですよね。
そして、あれも正しいこれも正しいで、いろんな神様に翻弄される感じがあって、結局エルカンターレ信仰に戻りました。
総裁先生は、根本仏を垣間見れる、よすがなんだと思います。
それなくして、勝手に大宇宙の神に祈っても通じないです。
それは、自分流の理解度(認識)においてのみの信仰になってしまって、直通電話がない感じになるんですよね。
from: ueyonabaruさん
2010年11月28日 15時01分43秒
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「Re:Re:Re:エルカンターレをどの様に認識するか。」
> ヒカルさんありがとうございます。
>
> なあるほど。
>
>
> エルカンターレは根本神に通じる人格神 ってことだね。
>
>
> それなら、仏への信仰は創造神への信仰 と同じっていうことになるけど。
そうなりますね。覚者は神として尊崇していいことになりますね。しかし、大方に説明するときに、いきなり、大川隆法は神だから信じよという言い方のみであれば、理屈のある人には、受け入れがたいものとなります。
そこで、申しましたように、段階を踏んでの説明をしたいと思うのです。仏陀再誕に書かれた説明ですね。
創造神は語りません、私の言う、哲学的な神は語りません。そこで人格神(=預言者=高級霊)の語る言葉を頼りに生きるということでしょうか。
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