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from: ueyonabaruさん
2011年01月04日 18時38分19秒
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「救世の法」を読んで ①
「救世の法」を読んでの感想です。
自力宗教と他力宗教という分類があります。日本の仏教で言うと、禅宗は自力宗教であり、法然や親鸞の念仏宗は他力宗教ということになります。キリスト教、イスラム教は絶対神を信奉する他力宗教ということになりますね。
この頃になって、幸福の科学は、他力宗教の側面を強く打ち出してきております。すなわち、エル・カンタ-レ信仰ですね。
この本の43ペ-ジには、次のように書かれております。
― 確かに、他力信仰を説かない宗教は、あまり大きくなりません。個人の修行だけを強調すると、エリ-ト型宗教にはなるのですが、「難行道」になってしまい、「易行道」、つまり「修行のスタイルが易しいので広がる」というかたちにはならないのです。他力の宗教には、自力の宗教の十倍ぐらいのニ-ズがあります。やはり、人間は、「修行のスタイルは易しいほうがよい」と考えるからです。―
世の中の多くの宗教を客観的に見てみると、先生のおっしゃるとおり、他力の易行道の宗教が発展しております。キリスト教、イスラム教がそうですし、国内においても念仏宗や日蓮宗などがそうなんだろうと思います。先日、根本博中将のことを書きましたが、あれは禅宗の高等な悟りの次元のお話なんだろうと思います。エリ-トであった、軍人根本中将にして、なし得る業でしょう。
大衆は、修行は易しくて、功徳の多い宗教を求めているのではないでしょうか。易行道だけが全てでは決してありませんが、多くの人々を信仰に導くためには、大衆の基本的な欲求に応える必要があると思いますね。
毎日の生活において、神仏のことを心に思い、善を選ぶ、そして、現実生活もうまくいくというのが最低限あって欲しいものです。それは、エリ-トもそうでない者にも必要なことでしょう。
高い悟りを得ることができれば良い、それだけあれば十分であるとするのは、大方の人が考えることではありません。しかし、高い悟りが得られた人には、それなりの功徳が付随するのではないでしょうか。功徳を求めることを否定する必要もありません。悟りを得たいと思う修行者でも、悟りの境地で得られる精神的な満足という功徳を求めているというのが真実ではないでしょうかね。真理を知るという喜びです。
功徳について、幸福の科学に入り、エル・カンタ-レを信じ、教えを実践することによる功徳について先生はお説きになっておられます。数々の病気の治験例、苦境からの脱出、繁栄の例などを挙げておられます。このような、功徳の例が多く輩出するというのが幸福の科学であれば、これらの実例をを公に宣伝し、布教に結び付けていくということでしょう。
伝道の基本は、① 人間は霊的存在であること ② 正しい生き方(仏法真理) ③ エル・カンタ-レ信仰 の三点を伝えていくことにあると先生はお説きになられます。
私には、いきなりエル・カンタ-レ信仰を他人に熱心に主張するということはできそうにありません。個人としては、エル・カンタ-レ信仰を受け入れますが、他者には言えないでしょうね。ホントに信じるということができていないと言われそうです。弁解はできませんね。
今日の午後は、それでも、ザ・伝道誌を200部ほどポスティングしてまいりました。
この伝道誌を読んで、幸せの方向へ行く方が、一人でも増えればよいという気持ちが、ポスティングをする上での原動力となっております。
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