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from: ともともさん
2011年03月10日 11時46分10秒
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波羅蜜多について。
今、医師専用のM3comというサイトで他の医師達と論議している最中です。 今論争している相手は、以前幸福の科学の教えに触れ一時著作を読んでいたのですが、今アンチとなり私に教義上の矛盾を
質問してきました。以下にその文を示します。
『大川センセイは、著作 「釈迦の本心」 で、 「波羅蜜多」 という仏教用語の意味を、以下の様に解説されています
「波羅」 は、インド語の 「パーラ」 で、 「内在する」 の意で、 「心の奥底」 を表します。 「蜜」 は蜂蜜で、 「非常に価値あるもの」 を表します。多は 「多い」 です。すなわち、心の井戸を深く掘ったら、こんこんと湧いてくる叡知、そういう意味で、 「波羅蜜多」 という言葉を使うのです・・・・・
この本、読まれましたか?
大乗仏教の経典は、サンスクリット語で書かれており、それを中国で同じ音の漢字に移したものが、日本に入って来た漢字の経典。つまり、漢字の経典は、サンスクリット語の 「音写」 に過ぎず、漢字自体には何の意味もありません。正しくは、 「波羅蜜多」 とは、サンスクリット語の 「パーラミター」 で、 「最高の状態」 とか、 「彼岸に到った」 という意味になるそうです。
つまり、大川氏は、音写で当てはめられただけに過ぎない漢字の意味を用いて、経典を解釈するという無茶苦茶をされている訳です。何故こんな間違いをされたのでしょうか? 実はこのトンチンカンな 「波羅蜜多」 解説は、GLAの高橋信次氏がしていた説明なのだそうです。大川センセイは、それを鵜呑みにして、同じ間違いをされたのですね。
これは 「記憶違い」 で済まされないレベルの決定的な誤りだと思います。』
この質問にがつんと返答したいのですが、皆さんのお知恵を
お借りしたくてお願いに参りました。よろしくお願いいたします。
コメント: 全16件
from: ueyonabaruさん
2011年03月11日 10時43分13秒
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「Re:Re:波羅蜜多について。」
もん吉さんへ
> > > 幸福の科学には実際に般若波羅蜜多を得てる人がたくさんいるからね〜 >
そうですか? そうであれば心強いものがありますね。受け売りの方々を多く見ていますが、それでは困りますね。先生の弟子ですから、相当に優秀な方々がいるはずです。いつか、お会いしたいものです。
> そういう意味ではその議論はあんまり意味はないと思うけどね。 > > ただ、アンチの人は木を見て森を見ないで鬼の首とったようなこと言うからね〜 > > 無神論信仰だよね。
森を見てないということですかね? そのお方は、読書自体がおかしいのでは? 2chのアンチのように、ただけちをつけいているだけのようにも思いましたが・・・・。
おっしゃるとおり、そのような議論は、そこでは、決して中心的なテ-マではありませんね。筆者が何を言いたいのかと考えるのが読書なんですから。先生がサンスクリット語を誤解したとも思えませんでしたが、・・・・・。まあ-細かい話ではありますね。
from: ueyonabaruさん
2011年03月11日 09時55分12秒
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「伝道の方法」
ともともさん皆さんへ
お医者様仲間の方々は、職業柄、科学的唯物論的な考え方になりがちなようです。
皆さんのご発言を読みながら、伝道の方法などについて考えているのですが、人を見て法を説けという言葉にもあるとおり、適切な方法論が模索されねばならないと思いますね。
ともともさんが現在議論をしている方には、大川先生のご本を材にお話をするのはいいと思うのですが、他のお医者さん仲間たちには、これは全く通用しない筈ですね。いきなり、エル・カンタ-レを出すと、通用しませんよね。
そこで、多くの無宗教の方々への訴えの方法ですが、私は、その有力なものとして、仏教理論があると思うんです。仏教というのは、日本人にとっても、アジアや、いや世界の人々にとって確固とした評価がすでにあるわけです。かつて日本では、学問といえば、仏教でした。
例えば、四諦八正道という伝統的仏教の教えがありますが、四諦の最初のテ-マである苦とは何かということ、四苦八苦の内容を説明するだけでも、お釈迦様の叡智が一般人にも伝わると思います。
幸福の科学はまずはじめに、仏教であるべきで、その次にエル・カンタ-レの法が現在説かれていると考えていいのでしょう。
仏教の核心的な部分を基礎にして説明する、うまい伝道の方法がないかと思案しております。まずは、仏教の勉強が大事ですね。仏教も宗派ごとの個性があり、どれを仏教とするかかなり難しい部分もありますが、共通の仏教理論があるはずですので、先生のご本をもとに、まとめてみたいものです。これは、お医者さんなどの知識人階層のものには有効ではないでしょうかね。
普通の伝道は、今打ち出されている、他力的な宗教で良いと思います。エル・カンタ-レを主としてあがめ、四正道の実践、そして朝晩の正心法語の読誦です。これにより、個人の実生活が向上すると思うんですね。特に、四正道の最初、「愛」の実践がとても大切なように思います。「愛とは、自分以外の者のために尽くす」ことでしょう。
from: もん吉。さん
2011年03月11日 02時30分58秒
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「Re:波羅蜜多について。」
悟りとは何かってことだけど。
一言でいうと、自らの不滅の光エネルギー体としての作用を自在に把握することだよね。
そのためのよすがとして悟りたるものがまだ悟ってない人に八正道であるとか六波羅蜜であるとかをわかるようにに説いてるわけだよね。
だから、エネルギー体としての作用の把握に至る方法論として間違ってなければどういう説き方をしても導きが正しければいいわけだよね。
from: もん吉。さん
2011年03月11日 01時01分35秒
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「Re:波羅蜜多について。」
まあ、先生も学者じゃあないからね〜
そういう細かいことまでは知らなかったとしても不思議はないんじゃないかな。
問題は、説いてる内容が悟りに導くかどうかだよね。
幸福の科学には実際に般若波羅蜜多を得てる人がたくさんいるからね〜
そういう意味ではその議論はあんまり意味はないと思うけどね。
ただ、アンチの人は木を見て森を見ないで鬼の首とったようなこと言うからね〜
無神論信仰だよね。
from: にしき鯉さん
2011年03月10日 23時42分19秒
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「Re:波羅蜜多について。」
ともともさんへ
残念ながらそのアンチの方の言う事も正解に含まれます
「パーラミター」の意味そのものは極限、最高の状態、一線を超えた場所などの意味があります
元々、漢訳はほとんどが当て字です、皆さん、ご存知の般若心経にしても
サンスクリットでいえばパンニャー・パーラーミーター・プラジュニャー・スートラです
又は、プラジュニャーパーラミターフリダヤとも言います
これを漢字に当てるとパンニャーが智慧(般若)、パーラーミーターが極限(波羅蜜多)プラジュニャーが菩薩の知性、スートラは経です、フリダヤも経です
でも、やはり、経典に情緒的要素を盛り込むのは良くありません
この時の経典の言葉は「こう言った意味があると思う」というように補足するのはかまわないと思いますが、、、、
語源をごまかして伝えることは、控えるべきだと思います
蜜と多は明らかに補足部分です、実際は単なる音写です
・・・・・・・・・・・・・・・
南無はナマスカール、インドの挨拶で使われるナマステです
ナマステは
namas (聖なる呼びかけの言葉)+ te(あなたに)
(「南無阿弥陀仏」はアミターバにご挨拶申し上げます)という意味です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私のような勉強不足のものがこういうネットで幸福の科学についての論争してよいものなのでしょうか
良いと思います、信仰は疑いながら進んでもかまわないのではないでしょうか?
目を瞑って走ってばかりいれば、いずれは転んだり、ガケから落ちてしまいます
確認して、間違ったら訂正して、いろんな意見を聞いて進んで行くのも一つの方法ですよ
心を盲目的に縛ると、教条主義になってしまいます
でも、野放図に開放してると必ず堕落します
バランスをとるためにも、他人の意見も聞いたほうがいいですよ
法施は、そのためにもあるんです
真理だ、真理だというより、なぜ真理が必要なのかをアンチの方に話したらどうでしょう
from: hikaru0827さん
2011年03月10日 20時53分31秒
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「Re:Re:波羅蜜多について。」
なんだか見当違いの事書いていたようです。
申し訳ありません。
総裁はもちろんパーラミッタというサンスクリット語はご存知ですね。
もともと「パーラミー」と「タ」に分かれるサンスクッリト語であるのに、「蜜」や「多」について解説するというのは不自然な事です。
そういう質問ですね?
例えば、日本仏教界独自の学問として、そのようなものがあるのではないでしょうか?
> つまり、大川氏は、音写で当てはめられただけに過ぎない漢字の意味を用いて、経典を解釈するという無茶苦茶をされている訳です。何故こんな間違いをされたのでしょうか? > > > ”音写で当てはめられただけに過ぎない漢字の意味を用いて、経典を解釈” > と言われたそうですが、…そもそも漢字としての「波羅」に「内在する」なんて意味なんてあるのでしょうか?ないと思うのですが。 > > 総裁が言われたのは「波羅」と表記される「パーラ」の意味は…という事だと思います。 > 「蜜」と「多」は当て字として適した漢字があった、という事ではないでしょうか? > > 「南無」だって、『「帰依します」という意味です』と言われていますが、南と無でそんな意味にはなりません。 > 当て字である事は分かった上で、そもそもの意味を説明されていると理解しています。 > >
from: ともともさん
2011年03月10日 18時33分25秒
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「Re:Re:Re:Re:波羅蜜多について。」
ueyonabruさんへ。ありがとうございました。
「黄金の法が書き換えられる可能性がある」ってすごい
事ですね。貴重な内容をありがとうございました。
今、論議している相手の医者はまだいいほうです。霊や心の話をしようものなら、ここで紹介できないくらいの悪口雑言を他の医者から浴びせかけられます。特に医者は唯物論者が多く、一般の人と比べてはるかに真理から遠い印象です。ただ真理を知るきっかけになればと思って論議をしているのですが、相手の書き込みの悪い毒気にあたり気分が悪くなったりする事が多々あります。
私のような勉強不足のものがこういうネットで幸福の科学についての論争してよいものなのでしょうか。ほどほどにするのがよいのでしょうか。注意点があったら教えてください。
質問ばかりで申し訳けありません。
from: ueyonabaruさん
2011年03月10日 17時52分23秒
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「Re:Re:Re:波羅蜜多について。」
ともともさんへ
問題はありませんが、反論が来るはずですね。心配しいているのは、相手の方は、学ぶ意思がないように思えることです。アンチでも誰でも、相手を尊重し、良い点は潔く受け入れるということが理想ですが、人間ナカナカ理想どおりはいかないものです。
論戦そのものを続け楽しみたいのならいいのですが、相手のかたは、まじめに本を読んでいないようです。実りある議論とはなりそうもありませんが。
高橋信二さんのくだりの修正の件ですが、このことは私は不満に思っておりました。
先日、先生がデリ-講演のDVDを拝見していましたら、黄金の法も修正はありうるとの先生のご発言がありました。それは、インドの方の質問「なぜインドに聖者、光の天使が現れないのかという」に対し、先生は、「黄金の法」に書かれたことを固定的にとらえてはいけない、インドが発展するとき、それに応じて、光の天使がやってくるのだ、そのときは、「黄金の法」も書き換えられるという内容のことをおっしゃっておりました。
私も含め、多くの方々が、固定的に考えていたようです。
> ueyonabaruさんありがとうございまいた。 > ueyonabaruさんのご返事がきているのを知る前に > 以下の文章を相手に送ってしまいました。 > 内容的に問題なかったでしょうか。心配です。 > > 『先生も最も初期に書かれた「黄金の法」を読まれた事があるでしょう。 > 私の手元に1987初版の「黄金の法」があるので以下に示します。 > P105〜 > > 『釈迦お考えの第四番目の柱は、利自即利他の考えです。これは、いわゆる 六つの完成と言われる六波羅蜜多(サスパーラミター)の思想です。 > 波羅蜜(パーラミ)とは、内存する叡智という意味であり、多とは、その 叡智があふれ出てくるさまを言います。』 > > わざわざサンスクリット語の意味まで解説してくださっていますよ。 > > 高橋信次について同じく初版「黄金の法」P212〜以下示します。 > > 『人間.高橋信次の教えのなかには、残された時間が少なかったという 焦りのためにさまざまな誤解や矛盾が残っています。しかし、それらは 今後、彼から伝えられる霊界通信によって、修正されていくはずです。』 > > 高橋信次は死後、霊界から「幸福の科学」の釈迦関係の本の指導に入っていましたが相変わらず矛盾点が多かったようです。総裁先生はあえて修正せず、そのまま書籍にして様子 をみていたようですが、高橋信次の過去世が明らかになり、途中でストップをかけざるを得なかったようです。 > > あなたは「幸福の科学」をもう少し勉強してから意見を言っていただけますか。 』 > >
from: ともともさん
2011年03月10日 17時11分25秒
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「Re:Re:波羅蜜多について。」
ueyonabaruさんありがとうございまいた。
ueyonabaruさんのご返事がきているのを知る前に
以下の文章を相手に送ってしまいました。
内容的に問題なかったでしょうか。心配です。
『先生も最も初期に書かれた「黄金の法」を読まれた事があるでしょう。
私の手元に1987初版の「黄金の法」があるので以下に示します。
P105〜
『釈迦お考えの第四番目の柱は、利自即利他の考えです。これは、いわゆる 六つの完成と言われる六波羅蜜多(サスパーラミター)の思想です。
波羅蜜(パーラミ)とは、内存する叡智という意味であり、多とは、その 叡智があふれ出てくるさまを言います。』
わざわざサンスクリット語の意味まで解説してくださっていますよ。
高橋信次について同じく初版「黄金の法」P212〜以下示します。
『人間.高橋信次の教えのなかには、残された時間が少なかったという 焦りのためにさまざまな誤解や矛盾が残っています。しかし、それらは 今後、彼から伝えられる霊界通信によって、修正されていくはずです。』
高橋信次は死後、霊界から「幸福の科学」の釈迦関係の本の指導に入っていましたが相変わらず矛盾点が多かったようです。総裁先生はあえて修正せず、そのまま書籍にして様子 をみていたようですが、高橋信次の過去世が明らかになり、途中でストップをかけざるを得なかったようです。
あなたは「幸福の科学」をもう少し勉強してから意見を言っていただけますか。 』
from: hikaru0827さん
2011年03月10日 17時10分46秒
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「Re:波羅蜜多について。」
ともともさんへ
よろしくおねがいします。
> つまり、大川氏は、音写で当てはめられただけに過ぎない漢字の意味を用いて、経典を解釈するという無茶苦茶をされている訳です。何故こんな間違いをされたのでしょうか?
”音写で当てはめられただけに過ぎない漢字の意味を用いて、経典を解釈”
と言われたそうですが、…そもそも漢字としての「波羅」に「内在する」なんて意味なんてあるのでしょうか?ないと思うのですが。
総裁が言われたのは「波羅」と表記される「パーラ」の意味は…という事だと思います。
「蜜」と「多」は当て字として適した漢字があった、という事ではないでしょうか?
「南無」だって、『「帰依します」という意味です』と言われていますが、南と無でそんな意味にはなりません。
当て字である事は分かった上で、そもそもの意味を説明されていると理解しています。
from: ueyonabaruさん
2011年03月10日 15時57分57秒
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「Re:波羅蜜多について。」
ともともさんへ
私は、「釈迦の本心」を開いてみました。次のとおり書いてあります。
―
漢訳の波羅蜜多」というのは、インドの言葉パ-ラミタ-の音写で、至彼岸、つまり「理想状態に達すること」という意味ですが、「六波羅蜜多」は意訳もよくできています。「波羅」を「内在する」あるいは「心の奥底の」という意味にとり、「蜜」は「非常に価値あるもの」、「多」は、「こんこんと湧いてくるさま」に意訳すると、筋が通ります。
すなわち、「心の井戸を深く掘ると、こんこんと叡智が湧いてくる」という意味で、「波羅蜜多」という漢語訳を使っているのです。
したがって、「布施波羅蜜多」というのは、布施という行を通して、こんこんと湧いてくる叡智を味わい、それを身につけるための修行です。
―
相手の方はアンチとのことですが、そのような方は寛容を自認する私でも、相手にはしないでしょう。お相手なさらぬが、利口でしょう。
from: ueyonabaruさん
2011年03月10日 11時55分37秒
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「Re:波羅蜜多について。」
皆さんへ
ともともさんも色々議論をしているようです。議論って面白いし、ためにもなります。お医者さんのサ-クルなので、汚い言葉の応酬はないと思われますね。
だれか、うまい答えはありませんか?
> 今、医師専用のM3comというサイトで他の医師達と論議している最中です。 今論争している相手は、以前幸福の科学の教えに触れ一時著作を読んでいたのですが、今アンチとなり私に教義上の矛盾を > 質問してきました。以下にその文を示します。 > > > 『大川センセイは、著作 「釈迦の本心」 で、 「波羅蜜多」 という仏教用語の意味を、以下の様に解説されています > > 「波羅」 は、インド語の 「パーラ」 で、 「内在する」 の意で、 「心の奥底」 を表します。 「蜜」 は蜂蜜で、 「非常に価値あるもの」 を表します。多は 「多い」 です。すなわち、心の井戸を深く掘ったら、こんこんと湧いてくる叡知、そういう意味で、 「波羅蜜多」 という言葉を使うのです・・・・・ > > この本、読まれましたか? > > 大乗仏教の経典は、サンスクリット語で書かれており、それを中国で同じ音の漢字に移したものが、日本に入って来た漢字の経典。つまり、漢字の経典は、サンスクリット語の 「音写」 に過ぎず、漢字自体には何の意味もありません。正しくは、 「波羅蜜多」 とは、サンスクリット語の 「パーラミター」 で、 「最高の状態」 とか、 「彼岸に到った」 という意味になるそうです。 > > つまり、大川氏は、音写で当てはめられただけに過ぎない漢字の意味を用いて、経典を解釈するという無茶苦茶をされている訳です。何故こんな間違いをされたのでしょうか? 実はこのトンチンカンな 「波羅蜜多」 解説は、GLAの高橋信次氏がしていた説明なのだそうです。大川センセイは、それを鵜呑みにして、同じ間違いをされたのですね。 > > これは 「記憶違い」 で済まされないレベルの決定的な誤りだと思います。』 > > この質問にがつんと返答したいのですが、皆さんのお知恵を > お借りしたくてお願いに参りました。よろしくお願いいたします。
from: ガンタレさん
2024年04月09日 07時22分17秒
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■ChatGPTで、「仏教経典を漢訳する際に、サンスクリット語をその音だけでなく意味も含めて音写した例がありますか。」、と聞いてみました。
■答えは以下のようでした。
「はい、仏教経典の漢訳において、サンスクリット語の音だけでなく意味も含めて音写された例があります。その代表的な例としては、「般若心経」(はんにゃしんぎょう)が挙げられます。
「般若心経」は、サンスクリット語の「प्रज्ञापारमिताहृदय」という表現を漢訳したものです。通常の音写では「はんにゃしんぎょう」と表記されますが、この場合、意味も含めて音写されています。以下にその意味を解説します。
「般若」(はんにゃ):般若(はんにゃ)は、「智慧」や「覚悟」を意味します。
「心経」(しんぎょう):心経(しんぎょう)は、「心の経典」という意味で、この経典が心の本質を表していることを示しています。
したがって、「般若心経」という漢訳は、「智慧の心の経典」という意味になります。このように、意味を含めて音写された漢訳が、仏教経典の多くに見られます。」
■「波羅蜜多」も同様で、サンスクリット語の、「パーニャパラミタ」を、音写する際に意味を含めて音写したものかと思います。その意味の方を大川隆法総裁が説明されたと言うことになります。
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