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from: ueyonabaruさん
2011年04月17日 00時24分11秒
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祈願について ヒント
従来、祈願のことについて疑問がありました。
幸福の科学では、盛んに祈願がなされておりますが、これの意義はどうなのだろうかということです。
自分の心で神仏に祈ったり誓うことで十分でないかと思っておりました。神仏はすべてお見通しなのですから。
先日、支部で作業をしながら「霊言」を聴いておりましたら、「心の中で祈り、思うだけではなく、具体的に祈るべきだ」という意味の言葉がありました。
この言葉はヒントなりました。
私の従来の考え方、即ち、神はわが祈りをすでに知り給うている式でいくと、ともすれば、宗教的行事や、式典、儀式、個人の命日での法要などが真剣に行われなくなってしまうのですね。そのような傾向が、現実私にはありました。
「具体的に祈る」ということの意味は、今、自分なりに考えますと、宗教的行事などで手順に従い、祈りを捧げることで、祈りは十分その効果がでるのだろうということです。
個人の内心において祈ることと、外的形式で祈るということの双方が備われば、祈りの有効性は高くなるのではないかということです。
そのようなことから、支部などで行う祈願という行事も大切なことだと思わねばならないようですね。
コメント: 全14件
from: ueyonabaruさん
2011年04月20日 11時26分22秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
にしき鯉さんへ
> 祈願と祈りについて > > KKでやられている「震災復興祈願」「放射能除去祈願」などは布施を募っている時点で何か違うような気がします > >
そのお気持ちは分かるような気はします。教団のすべての行事にはお布施が伴うような感じですね。先祖供養にお布施が伴うのは分かりますが、「震災復興祈願」「放射能除去祈願」など他者のために祈るのにお布施というのは、普通には納得できないかもしれません。他者のために祈るのに、お布施は必要ではないと断言もできませんが、・・・・・。
祈りに形式は必要か、、、 > > 初期の頃は必要です、特に日本人は形から入るのが得意です > > 日常の生活は、どうしてもエゴ中心になってしまいがちです > それをチェンジするために、作法という形で気持ちを入れ替えるのです > > 密教だと、塗香(ずこう)から始まり、坐法で姿勢を整え、呼吸から心を静める修行に入って行きます > > もし、24時間、いかなる社会的作業をしていても、心が祈りをしている状態の人なら形式や作法は必要ありません > > ※ 塗香(ずこう)とは > 天然の漢方薬で、この粉末を「清め香」として > 手に塗り、その香りを鼻や口から吸い込みます > (首、肩に塗ることもあります) > > これによって、気持ちを清らかにし、邪気に入られにくい状態にします > 宗派によっては読経、写経の時にも使います > > > > >
ご説明で、伝統仏教における作法の奥ゆかしさと丁寧さが目に浮かぶようです。
from: ahuramazdaさん
2011年04月19日 22時40分35秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
幸福実現党、というか、大川隆法という人の政治・経済に関する慧眼はすごいと思います。残念なのは、幸福の科学という宗教団体を母体にする政党に支持が集まらないと言うことです。
元The Economist の編集長、ビル・エモット氏が「今の時期に増税はまずい」とインタビューで発言したのを読みました・
from: にしき鯉さん
2011年04月19日 22時00分55秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
祈願と祈りについて
KKでやられている「震災復興祈願」「放射能除去祈願」などは布施を募っている時点で何か違うような気がします
祈りに形式は必要か、、、
初期の頃は必要です、特に日本人は形から入るのが得意です
日常の生活は、どうしてもエゴ中心になってしまいがちです
それをチェンジするために、作法という形で気持ちを入れ替えるのです
密教だと、塗香(ずこう)から始まり、坐法で姿勢を整え、呼吸から心を静める修行に入って行きます
もし、24時間、いかなる社会的作業をしていても、心が祈りをしている状態の人なら形式や作法は必要ありません
※ 塗香(ずこう)とは
天然の漢方薬で、この粉末を「清め香」として
手に塗り、その香りを鼻や口から吸い込みます
(首、肩に塗ることもあります)
これによって、気持ちを清らかにし、邪気に入られにくい状態にします
宗派によっては読経、写経の時にも使います
from: ueyonabaruさん
2011年04月19日 12時34分13秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
candleさんへ
両方あってはまずいのですか。 > > 今後は、形式よりも本質が問われる時代になっていくということです。
私は形式を決して否定しません。これの効用はあると思っております。形式は、必ずしも、本質を退けるものでもないでしょう。
> > 天上界はもう地上に宿る大川先生を指導してないとすると、誰が指導しているか、おわかりになるでしょう。 > >
サタンということですね。お考えは良く分かりました。
> > もちろん、憑依された者が悪霊と同通した、というかすでに同通していたのですけど。高橋信次先生は、その霊的な力でもって、悪霊に憑依された人の肉体を使い、しゃべるように命じたわけです。 > >
高橋先生はそのような能力をお持ちだったわけですね。高橋先生は、レムリアにおいては、高く評価されているのでしょうか?
くどいようですが、過日私が質問を差し上げましたが、お考えをお示しくださいませんか。幸福の科学のお経についてです。
レムリアの霊的方面における考えの大方は把握できたように思いますが、こちらには霊能力がないので、その方面での議論をするのは適切でないようです。
私がものごとを判断する基準は、自分自身に備わっている理性、感性、経験などです。ここから、レムリアも見てゆきたいと思います。その意味で、幸福の科学の仏教的側面について、レムリアの皆さんがどのようにお考えか知りたいのです。
幸福の科学を抜けていった方々とは、このブログで幾度もお話しをしております。色々と原因はありますね。レムリアの方へ行かれた方々もいるでしょう。他に、すべて宗教的なものへの興味を失った方もおります。実に、様々な様相を呈しております。
こちらは、内部で頑張っておりますが、あまり無理もすることなくやっていこうと思っているんですよ。
from: candleさん
2011年04月19日 11時50分02秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
> 「これからは、個人の思いや生きざまそのものが、祈りになっていく」ということも何も目新しいことでもないように思いますが・・・・・。よき思い、行動が、大切であるということをおっしゃりたいのですか? それならば、賛成ですよ。
そうです。
> > > 皆が同じ「祈りの言葉」を唱えるというようなことから、自らの認識、愛の思いでもって、個性に応じた、自分自身の言葉で祈る時代になるということです。 > >
>
> これもハッキリとは分かりません。個性に応じた祈りが善であり、皆が同じ祈りをするのは不可ということでしょうか? 両方あってはまずいのですか。
今後は、形式よりも本質が問われる時代になっていくということです。形式にこだわる必要はないということです。
> > > スウェ-デンボルグは、幽体離脱して、高級霊に守られながら地獄界を見てまわったのです。 >
>
> 思い出しました。そのように書いてあったようですね。すると、大川先生は、守護の霊に護られていないということになりますか?
> もう、直にルシフェルと同通しているとお考えなのですか?
天上界はもう地上に宿る大川先生を指導してないとすると、誰が指導しているか、おわかりになるでしょう。
> > 高橋信次先生が、講演会で、悪霊の言葉をとったのも、憑依されている本人にしゃべらせているはずです。 > > 霊言をとるということは、霊媒と霊言をとる霊人との間に道筋がつくということです。一旦そこに霊的通路ができると、その通路を簡単にふさぐことはできません。 > > 地獄霊の霊言をとるということはそういうことなのです。
>
> 高橋先生は、悪霊と同通したのですか、それとも憑依された者が悪霊と同通したということなのですか?
もちろん、憑依された者が悪霊と同通した、というかすでに同通していたのですけど。高橋信次先生は、その霊的な力でもって、悪霊に憑依された人の肉体を使い、しゃべるように命じたわけです。
> それも、そのへんの浮遊霊や悪霊ではなく、ルシファーと同通するということは、大変なことなのです。普通の人なら狂ってしまうでしょう。 > >
>
> ルシフェルの霊言をとった大川先生が、ルシフェルの影響下に入ったという意味なのでしょうか?
>
ルシフェルの影響下に入ったからこそ、初期の素晴らしい会が、カルト教団に墜ちてしまったのではないでしょうか。
世界に神理を拡げることもかなわず、多くの光の天使たちが、心にトラウマを負い、傷つき、倒れていったのです。
from: ueyonabaruさん
2011年04月19日 01時01分03秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
ahuramazdaさんへ
> 僕が最終的に疑問なのは、ルシファーにせよ、何にせよ、あれは本当に何かの霊が入って大川きょう子に語らせたのか、それとも、現在の幸福の科学の霊言がやらせで、きょう子が、その片棒をかつがされたのか、というごく低次元の話です。 > > もしやらせなら、大川きょう子は、そのことを正直に告白すべきだし、そうでないなら、やはり幸福の科学ではなんらかの霊言現象が起きていることを認めることになりますよね。きょう子は大川総裁の霊言は、霊現象ではなく、本人の妄想であるかのように証言してましたから。 > >
おっしゃる疑問は分かるつもりです。きょう子さんは、論理的一貫性はないのかもしれません。数々の霊言は大川隆法の妄想であると悪口を言い、かたや自分がルシフェルの霊媒になったことに対しては説明をしていないとすれば、一貫した論理性は彼女にはないと言わねばなりませんね。
霊的なことは良く分かるものではありませんが、すべてが霊現象だと思いますね。ルシフェルの霊媒を務めさせられた、きょう子さんがかわいそうにも思えます。
何ゆえ、先生はそのようなことをなさるのかは問いたいとは思いません。特別な、霊能力者たちのあいだの事情があるのでしょうかね。私には、分かることではありません。
誰にも分かることは、きょう子さんが分派活動に走ったということだけです。
from: ueyonabaruさん
2011年04月19日 00時38分51秒
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「Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
candleさんへ
> > 神理は普遍です。それを降ろす方の認識力により、説き方に違いが出るだけです。 > >
そうですね。candleさんは、「これまでは、そういった霊的本質が分からなくなったこともあり、様々な宗教では、祈りの形式を大事にしてきたこともあり・・・・・」と言っておられるので、そのように書いています。形式的な祈りが不要ということをおっしゃりたいのでしょうか? すこし、分かりにくいところがあります。
「これからは、個人の思いや生きざまそのものが、祈りになっていく」ということも何も目新しいことでもないように思いますが・・・・・。よき思い、行動が、大切であるということをおっしゃりたいのですか? それならば、賛成ですよ。
> > 皆が同じ「祈りの言葉」を唱えるというようなことから、自らの認識、愛の思いでもって、個性に応じた、自分自身の言葉で祈る時代になるということです。 > >
これもハッキリとは分かりません。個性に応じた祈りが善であり、皆が同じ祈りをするのは不可ということでしょうか? 両方あってはまずいのですか。
> > スウェ-デンボルグは、幽体離脱して、高級霊に守られながら地獄界を見てまわったのです。 >
思い出しました。そのように書いてあったようですね。すると、大川先生は、守護の霊に護られていないということになりますか?
もう、直にルシフェルと同通しているとお考えなのですか?
> 高橋信次先生が、講演会で、悪霊の言葉をとったのも、憑依されている本人にしゃべらせているはずです。 > > 霊言をとるということは、霊媒と霊言をとる霊人との間に道筋がつくということです。一旦そこに霊的通路ができると、その通路を簡単にふさぐことはできません。 > > 地獄霊の霊言をとるということはそういうことなのです。
高橋先生は、悪霊と同通したのですか、それとも憑依された者が悪霊と同通したということなのですか?
それも、そのへんの浮遊霊や悪霊ではなく、ルシファーと同通するということは、大変なことなのです。普通の人なら狂ってしまうでしょう。 > >
ルシフェルの霊言をとった大川先生が、ルシフェルの影響下に入ったという意味なのでしょうか?
from: ahuramazdaさん
2011年04月18日 22時59分09秒
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「Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
僕が最終的に疑問なのは、ルシファーにせよ、何にせよ、あれは本当に何かの霊が入って大川きょう子に語らせたのか、それとも、現在の幸福の科学の霊言がやらせで、きょう子が、その片棒をかつがされたのか、というごく低次元の話です。
もしやらせなら、大川きょう子は、そのことを正直に告白すべきだし、そうでないなら、やはり幸福の科学ではなんらかの霊言現象が起きていることを認めることになりますよね。きょう子は大川総裁の霊言は、霊現象ではなく、本人の妄想であるかのように証言してましたから。
from: candleさん
2011年04月18日 21時18分22秒
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「Re:Re:Re:祈願について ヒント」
> 波長同通の法則は正しいですが、天台大師智〓の一念三千論がそのことを言っておりますし、現代では、生長の家でも説かれており、もちろん幸福の科学でも、アメリカの光明思想でも説かれることです。前から知れている、真理なんです。これは、何も新しいものでもないですよ。
神理は普遍です。それを降ろす方の認識力により、説き方に違いが出るだけです。
> 祈りに形式が必要ないとの意味が理解できかねますが、どういうことでしょうか。キリスト教では常に祈れと教えますが、そのときには、自分自身の言葉で頻繁に祈るはずです。それには、形式がないでしょう。しかし、有名な「主の祈り」というものは伝統的な形式として固定化しております。結局、どちらもあるということでしょう。
皆が同じ「祈りの言葉」を唱えるというようなことから、自らの認識、愛の思いでもって、個性に応じた、自分自身の言葉で祈る時代になるということです。
> ルシファ-の霊言ができることが、ルシファ-と同通しているいう論理もおかしいでしょう。スウェ-デンボルグは地獄の様相を詳しく描写しました。悪魔と話もしたかも分かりません。
スウェ-デンボルグは、幽体離脱して、高級霊に守られながら地獄界を見てまわったのです。
高橋信次先生が、講演会で、悪霊の言葉をとったのも、憑依されている本人にしゃべらせているはずです。
霊言をとるということは、霊媒と霊言をとる霊人との間に道筋がつくということです。一旦そこに霊的通路ができると、その通路を簡単にふさぐことはできません。
地獄霊の霊言をとるということはそういうことなのです。それも、そのへんの浮遊霊や悪霊ではなく、ルシファーと同通するということは、大変なことなのです。普通の人なら狂ってしまうでしょう。
from: ueyonabaruさん
2011年04月18日 12時35分47秒
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「Re:Re:祈願について ヒント」
candleさんへ
> 天上界の高級霊に対して、謙虚に語りかける言葉、それが祈りの原点ではないでしょうか。 > > そして、波長同通の法則により、その祈りの波動に従って、その祈りが通じる世界が違ってくるわけです。 > > これまでは、そういった霊的本質がわからなくなったこともあり、様々な宗教では、祈りの形式を大事にしてきたところがありますが、これからは、祈りの形式などは重要でなくなり、私たちの思いや生きざまそのものが、祈りとなっていく、そういう時代が来るのだと、私は思います。 > > >
波長同通の法則は正しいですが、天台大師智〓の一念三千論がそのことを言っておりますし、現代では、生長の家でも説かれており、もちろん幸福の科学でも、アメリカの光明思想でも説かれることです。前から知れている、真理なんです。これは、何も新しいものでもないですよ。
祈りに形式が必要ないとの意味が理解できかねますが、どういうことでしょうか。キリスト教では常に祈れと教えますが、そのときには、自分自身の言葉で頻繁に祈るはずです。それには、形式がないでしょう。しかし、有名な「主の祈り」というものは伝統的な形式として固定化しております。結局、どちらもあるということでしょう。
霊的本質について説いていくのは、レムリアも幸福の科学も一緒のようです。
レムリアの方が優れているということをおっしゃりたいようですが、今ひとつ訴える力が弱いように思いますね。
ルシファ-の霊言ができることが、ルシファ-と同通しているいう論理もおかしいでしょう。スウェ-デンボルグは地獄の様相を詳しく描写しました。悪魔と話もしたかも分かりません。
レムリアでは、悪魔の霊言はとらないのですか? 悪魔など汚らわしいのでノ-タッチでしょうか。
from: candleさん
2011年04月18日 11時32分24秒
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「Re:祈願について ヒント」
天上界の高級霊に対して、謙虚に語りかける言葉、それが祈りの原点ではないでしょうか。
そして、波長同通の法則により、その祈りの波動に従って、その祈りが通じる世界が違ってくるわけです。
これまでは、そういった霊的本質がわからなくなったこともあり、様々な宗教では、祈りの形式を大事にしてきたところがありますが、これからは、祈りの形式などは重要でなくなり、私たちの思いや生きざまそのものが、祈りとなっていく、そういう時代が来るのだと、私は思います。
from: ueyonabaruさん
2011年04月17日 11時04分05秒
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「Re:Re:祈願について ヒント」
チョコスッキ-さんへ
> ueyonabaruさんへ > > 祈願。 > 私もueyonabaruさんと同じような疑問を持っていました。 > ueyonabaruさんに概ね同意です。 > > 形が無いものにお布施をできない現代人に対しての方便でもあるのかもしれませんね。 > >
ご同意いただきうれしいです。心の思いは、かたちに表さねば本物にならないという原理があると思いますね。アメリカでは、夫婦の愛情をかたちで表さねばホンモノとされないようで、愛していると常時言わねばならないようですが、日本人の見方からすれば、ゆきすぎとも思われます。しかし、表現することの大切さはアメリカでも日本でも同じことなんでしょう。もちろん、かたちは嘘をつくし、他方心も嘘をつくことは承知しております。
宗教の祈りに関しての、祈りの具体的表現として祈願というのがあるということは、私にとっては、一つの悟りのようなものでもありました。霊言を拝聴した、功徳でしたね。
そういえば、最近の御法話の質疑応答で、 > 「総裁の法話より祈願の方が高いのは本来なら逆でしょう」というなことおっしゃってましたね。 > この質疑応答は聞いていて胸が締め付けられるような思いでした。 > 私が日頃感じていることを質問してくれていたのですが、 > 総裁に直接これを聞くのはあまりにも弟子として悲しいとも思わずにいれませんでした。 >
この件は直接は知りませんが、地区の法友から聞いております。先生の価値は、祈願を司る神々より価値高いということは当然誰もが信者であれば承知していることではないでしょうか。
一々のご講話に一々のお布施が必要だというのは、やはり困ることです。お金がないからご講話を拝聴できないというシステムに異議を唱えているのです。自由に先生のお話を拝聴できないことは、私には不満です。また、新人さんで熱心な方には聴いていただきたいのです。
先生のお話のその価値は、お布施の額で計るべきではありません。
この件に関して、本当のところはどうなのかという疑問があります。
と言うのは、沖縄本部長が、この件を説明されたようですが(当地では)、私は地区の法友から、その件について聞いたとき、これからは、もとのお布施の目安額いっぱいにお出しするシステムに戻るのかという心配をしておりました。地区の集まりでも、その方向での今後の自分の身の振り方を話合ったものです。
しかし、本部長からそのような話(説明)があってから後、こちらの支部長に尋ねてみたのです。ご講話拝聴のシステムは元に戻るのかと問うと、そうではないというのですね。現に、支部のある方は、先生のDVD録画が誰でも見られるようにするために、便利な検索方法を作ろうとしております。
どの方向へいくのでしょうかね?
お金の話をくどくどとするのも気持ちの良いものではありませんが、現実これが伝道の障害にならないかとかねてから心配しておりました。
お布施が十分できない私ですが、教団のお布施を募る運動に反対のつもりは毛頭ないのです。教団が世界に伸びるために、できるだけ自分のお布施を増やしたいという気持ちはあります。
from: チョコスッキーさん
2011年04月17日 08時40分45秒
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「Re:祈願について ヒント」
ueyonabaruさんへ
祈願。
私もueyonabaruさんと同じような疑問を持っていました。
ueyonabaruさんに概ね同意です。
形が無いものにお布施をできない現代人に対しての方便でもあるのかもしれませんね。
そういえば、最近の御法話の質疑応答で、
「総裁の法話より祈願の方が高いのは本来なら逆でしょう」というなことおっしゃってましたね。
この質疑応答は聞いていて胸が締め付けられるような思いでした。
私が日頃感じていることを質問してくれていたのですが、
総裁に直接これを聞くのはあまりにも弟子として悲しいとも思わずにいれませんでした。
from: ueyonabaruさん
2011年04月20日 11時36分10秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:祈願について ヒント」
> 幸福実現党、というか、大川隆法という人の政治・経済に関する慧眼はすごいと思います。残念なのは、幸福の科学という宗教団体を母体にする政党に支持が集まらないと言うことです。 > > 元The Economist の編集長、ビル・エモット氏が「今の時期に増税はまずい」とインタビューで発言したのを読みました・
海外の識者たちの発言はうれしいですね。国民の多くは増税を望んではおリません。それは、ほんと精神的にダメッジが大きいですよ。 増税なき成長がどのようにすれば可能なのか、現在勉強中であります。
幸福実現党の諸君が、先生の受け売りでなく、自分の言葉で、自分自身のものとして経済理論などが発表できるほどに生長してもらいたいものです。頭はいい方が多いようですので、努力すれば可能だと信じております。
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