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from: にしき鯉さん
2011年05月20日 22時55分33秒
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【勧戒】について①
仏教の歴史を離れてヨーガの世界からです
現実の在家の修行について書きたいと思います
「霊性」の開発と「徳目」についてです
霊性は瞑想、呼吸法、止観と言った技術的な方法になります
もちろん、肉体的な気道の浄化、特殊な「業」の落とし方なども含まれます
今日、書くのは徳目の方です
ヨーガではヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)といわれています
禁戒は仏教でも説かれているんで勧戒でいきます
私たちが、望んで実行していくべき戒です
【勧戒】
1.清浄 :心身の清浄を保つこと
2.知足 :満足を知ること
3.苦行 :あらゆる環境で心を乱さぬこと
4.読誦 :心を高めてくれる書物を読むこと
5.最高神への信仰:真理の導きに従うこと
一つ一つ、意味はありますが三番目に「苦行」がでてきます
これは、何故でしょうか?
これは、右道的な肉体を痛めつける事ではありません
いかなる時にも心を乱さぬこと、これが一番ヨーガでは苦行としています
会社で悪口をいわれた、知らない内に悪者にされていた
たとえば、「あいつはKkの信者だから洗脳されている」
「思想的に危ないやつだ」など
普通の人は他人のせいにする人がほとんどです
あいつが悪い、政治が悪い、間違った情報を流すマスコミが悪い
何故、悪口は自分にとって受け入れ難いのでしょうか?
ueyonabaruさん、答えていただけますか?
他のメンバーの方も考え方も聞かせてください
コメント: 全16件
from: ueyonabaruさん
2011年05月24日 09時34分20秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
Hikaru0827さんへ
「秘儀、微笑返し」と「挨拶」のこと、大切ですね。秘儀としたのは、ユ-モアのある表現でもあり、一方、秘儀と称するに値する効用がありそうです。挨拶だってそうですね。
hikaruさんがそのような努力をされていることをお聞きし、人柄が偲ばれるようです。
その秘儀は、実践となると結構むつかしいですね。自然にできる人は、ある悟りをした人と言ってもよいでしょうね。
組織活動の円滑油ともなります。挨拶するのが恐いような感じの人もいます。自分がそのような人であったりもします。機嫌よくあらねばなりませんね。そのためには、日頃の心の調律が大切ですね。
from: hikaru0827さん
2011年05月24日 00時26分00秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
遅ればせながら…。
「対人関係問題」として捉えて、思い出した事がありますので書きます。
私が今の会社に入った頃、実践した事です。
まず第一に、「秘儀、微笑返し」です。
(命名は私ではありませんが)
相手がどんな悪意があろうが罵詈雑言を発しようが、微笑みで、その心持ちで返す、という感じです。
「立ち向かう人の心は鏡なり」そして、「他人の心は自由にならないが、自分の心は変えられる。そして自分が変われば、周りも変わる」と教わっています。
相手の悪態を、合わせ鏡なんだと反省とするだけでなく、鏡である事を利用して、相手を変えてしまおうという発想です。
結構、効果がありました。
バリエーションとして、「挨拶」があります。
苦手だと感じている相手や、嫌われているのかなと感じる相手の、フトコロに飛び込む気分で積極的に挨拶します。
すると相手の接し方が変わってきます。
あと、自分の心に現われる邪念や妄念の処し方は、このような事をしていました。
あらかじめそのような事を思えば自分で自分を引っ叩くと決めます。
で、あ、今考えた、と気付けば自分のほっぺを平手打ちです。
結構痛かったですね。誰かに見られたら、変な人だと思われるので気をつけないといけません。
「そのような事を考えれば、痛い」これを体に心に思い知らせてました。
すると防衛本能でしょうか。それを思う事を脳が(心が?)避けようとします。
これもそれなりの効果がありました。
from: もん吉。さん
2011年05月22日 01時41分28秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
アノミーになると
まさか、暴走
ってこともあるからね〜
だから、信仰にもとずく修行の姿勢は把持しつつ、世界を成立させているエネルギーの方向性を人間関係の中で見直してみるとなんとなくわかるんじゃないかなあと思うんだけど。
対人関係の中で相手がどういう生き方をしてどういう考えをしているかってことなんだけど。
皆さん、それぞれの考え方があるんだけど。
たとえば、自分が所属する職場の中で人間観察をすると進歩向上の競争のエネルギーと人と人を結びつける調和の愛のエネルギーがその職場の全てに作用しているんだよね。
でもって、その中でお互いに何を学びあっているかってこと を思うことも自己の拡大じゃあないかなあ?
で、その拡大は自分の中では宇宙まで拡げることも出来るんじゃないかな?
from: もん吉。さん
2011年05月22日 01時10分36秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
えーっと、そんな深い意味でもないんだけど。
僕としては、経験則の中で起こりうる事態をあらかじめ想定することができるようになるんじゃないかなってことなんだけど。
まあ、人間は経験したことがない事を反省することはほとんど出来ないんだけど。
経験の中で学んだことは反省することによって次に活かせるんじゃないかなってことなんだよね。
で、その反省を複眼で捉えるとみえてくることもあるんじゃないかなあってことですよね。
なんていうかなあ、自分に対してのみ正しさを探求してた時は神様とは交流出来ても人間とは付き合えないっていう偏狭な悟りを求めてたような気がするんだけど。
物事の両極を観るようになって魂が小さくなって縮こまっていたことがわかったんだけど。
まあ、両極ばっかり見てもあれもこれもっていうアノミーなんだろうけど。
from: ShKさん
2011年05月22日 00時22分31秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
もん吉。さんへ
もん吉。さんのおっしゃることは、多分、個としての自から世界を見るという観点から離れて、世界のなかの自他を見るという、一段上の観点からの真理だと思うのですが、実際の具体的な状況のなかでは、なかなか、そういう境地になれないですね。
難しいです。
状況のなかでは、あくまでも、個人としての判断が求められ、個人としての役割がありますから。
状況のなかの自分としては、どうすれば、自分の役割として、全体に寄与しうるだけの最適化された行動を取るか、という観点で考えてしまいますね。
エヴァからはすごく影響を受けましたが、
映像作品を見ているひとが、シンジ君とゲンドウとの関係を意味あるものとして認識することと、現実のシンジ君が、自分の父親であるゲンドウとどう向き合い、対峙するのかというは、問題の観点が異なると思うのです。
状況の一部としてのシンジ君が、「ありのままを受容する」ことは、ゲンドウと対峙しないことを意味しないような気がします。
現象人間としての有り様としては、「選択」を迫られます。
例えば、人類の未来と、エヴァ3号機に乗るパイロットの命とを、選択しなければならない場面において、選択を放棄し、自分が殺されること(つまり、選択を放棄すること)を望んだシンジ君。
あるいは、人類の未来と、カヲル君の命を選択しなければならない場面で、前者を選んだシンジ君。
霊的観点に立てば、自分の人生を映像を見るように把握できるのかもしれませんが、肉ある現象存在としての自己としては、なかなか難しいですね。
from: ueyonabaruさん
2011年05月21日 23時57分36秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
にしき鯉さんへ
このような話し合いができるチャンスを与えていただき感謝します。
from: もん吉。さん
2011年05月21日 23時46分26秒
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「Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
僕の言いたいことは、人間は感化を与え合うことによって学びあっている存在だってことなんだよね。
エバンゲリュオンの人類補完計画じゃあないけどさ。
人との出会いには全て意味があるんだけど。
たとえば、無理解な人との出会いが何を教えてくれているかだけど、その中で耐え忍びながら時を待つというのも一つの答えではあるんだけど。
それだけだとその出来事の中に教訓を半分しか見いだせないんじゃないかな。
その出来事の中で両極あるいは多面性を認識して細分化することによって霊的知覚を高めれば自分なりにベストを尽くす自己を把持しつつ、より完成された自己を顕すことができるよね。
その蓄積の中に智慧の獲得があるんじゃないかな。
from: もん吉。さん
2011年05月21日 23時30分06秒
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「Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
まあそれは、あれじゃあないかな?
対面する人の心は鏡なりっていうのも一つの真理だから肯定はするけどさ。
それだけだと、一面の真理なんじゃないかなあ。
他の人は自分とは違う人生を生きているわけだから、自分の心境を高める方法論だけだとちょっと弱いんじゃないかな。
他者との相克の中で自分の信仰なり生き方を貫くというのは優れたことではあるとは思うんだけど。
世界に対する認識としては自分と他者の存在の有り様をありのままに受容することによって自己をどこまで拡大しうるかってことじゃないかなあ。
from: にしき鯉さん
2011年05月21日 23時03分12秒
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「Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
shkさん、ともともさん、ueyonabaru さん
返信ありがとうございます
ともともさん、
苦難を霊性の向上と受け取られるのですね
とても、それは素晴らしいことです
shkさん
<噂や悪口の類は、「誤解」や「無理解」に基づくものなので、こちらが一々反応せず、心動ぜず、粛々と何事に対しても真面目に対応し、仕事でも実績を上げていくと、自然と周りは認めてくれるようにはなりますね。>
その通りです、全くその通りです
正に修行者の鏡とも言える発言です
ueyonabaru さん
私としては一番好きな答えです
私自身はとても不完全な人間だと思っています
それは修行が進めば、進むほど感じることです
瞑想、その他の行は心を落ち着かせる作用があります
でも普段、社会に居てなかなかその心が持続しません
それは私自身の、真理のデータ不足にほかなりません
私は、いつも自分を変えようとしています
決して、ネガティブにならず、慢心せず、横暴にならないように生きたいものです
私も何度も陰口、悪口のたぐいは言われています
そのときは、「相手の言っていることに大儀(真実)はあるか?」
自分が「何故、悪口を言われる原因」を作ったか?
(原因がなくても、言われる場合は知らずに人を傷つけてる事が多いです)
それを、取り除くには、何の戒を気を付ければいいか
それらを徹底的に検証します
そうすると、見えてくるんですよ、自分の欠点が!
そして出た結論が
「自分が変われば、周りも変わる」と言うことです
だから「検証」はとても大事だと思います
皆さんはきっと私より心が綺麗なんでしょう
本心からの言葉なら、私より「悟り」へのスピードは速いでしょう
ありがとうございました
from: ueyonabaruさん
2011年05月21日 14時56分18秒
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「Re:Re:【勧戒】について①」
hikaruさん、Shkさん、ともともさんのご意見みなごもっともだと思いますね。私にも、かならず参考にしていくもの、また時に触れ思い出す言葉となるでしょう。
人間同士は、時として争うものです。争いは、一つの経験です。そしてそれは、何らかの人間成長の材料となる面があるともいえます
幸福の科学の教えを人に理解してもらい幸せになってもらいたいとの思いから伝道もするのですが、時には反発されることもありますね。考えが違うわけです。それでも私たちの伝道は継続されてゆきますネ。他の宗教でもまったく同じでしょう。
私の叔母はカトリックのシスタ-です。これまで、私がカトリックに入信することをズ-ット祈り続けてきたと思います。この甥っ子はそれでも洗礼を受けませんでした。叔母にとっては、非常に残念なことでしょう。
二、三年前にこの叔母と政治的なことで大喧嘩をしたことがあります。戦争中のことですが、沖縄の渡嘉敷島の守備隊長が、住民に自決命令を出したのか出さなかったのかという裁判がテ-マでした。叔母とは、平和憲法のことでも真っ向から対立します。
大喧嘩の後でも、身内で一人だけの叔母ですから、お付き合いはそれでも続きますよね。私が尊敬し愛する叔母であることには間違いありません。
人生は人が皆理解しあえるものでもないのです。そのようなときには、神様に祈るしかないのでしょう。また、時がたつのを待つしかありません。
争わずに徳の力で相手を感化していくというのは、ありうることだとは思いますが、いかんせん、小人の私にはそれができないわけです。
神様の導きによるしか、心の平安は得られません。
私の政治的主張を収めれば、和解が成立するというものでもないでしょう。
争いは、悪だけでもないというのも真実です。
from: ShKさん
2011年05月21日 11時20分56秒
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「Re:Re:Re:【勧戒】について①」
対処法:
具体的な心のケアという点では、反省的な瞑想をしておりますね。
自分の心の動きを、常にトレースしている感じです。
自分をモニタリングする自分がいる、という感覚です。
(というより、私は、瞑想体質の人間なので、一日中考えに耽っているところもあるのですが。)
個々の社会的な人間関係という点では、
「自他の違い」を認識し、その違いの認識こそが、相手に対する敬意の前提となっているので、「他人に正確に理解されないのは当たり前である」という心構えで生きています。
私が、学生時代によく心のなかで唱えていた、西田幾多郎の詩を用いるならば、
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」
という心境ですね。
基本的に、批判を受けることは多いですが、誘導尋問のようなものは、相手にしない主義ですし、感情的な非難に対しては、黙って言わせたままにしておきます。
正しい指摘に関しては、受け入れます。
ただ、時間の経過のなかで、私の人格的な部分を認めてくれる人が多いし、批判的なことを言ってくる人は、「私に関心がある人」でもあるので、最終的には、和解することは多いように思います。
まともに議論をすれば、そもそも、あまり負けることはないですけどね。
要するに、噂や悪口の類は、「誤解」や「無理解」に基づくものなので、こちらが一々反応せず、心動ぜず、粛々と何事に対しても真面目に対応し、仕事でも実績を上げていくと、自然と周りは認めてくれるようにはなりますね。
私にとっては、幸福の科学の職員をしていた父が一番の難敵で、小さい頃から、父の念力にかなり苦しめられたので、それがよい修行になっていたと思います。
(信仰者としては尊敬している面もあるのですが。)
父は、舌鋒の鋭いうえ、非常に念力が強く、ある人の言葉では、普通の人の10倍くらいの力があるらしいです。
普通に会話していても、体に反応がある感じですね。
そういったひとを、日常的に相手にしていたというのもあり、私の感覚は、普通のひととはかなり違うのだろうと思います。
> > ShKさんは「自分の心のケア」をどうやっていますか? > > ・・・・・・・・・・・・・ > >
from: ともともさん
2011年05月21日 09時49分18秒
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「Re:【勧戒】について①」
にしき鯉さんへ。
他人の自分に対する悪口への心の対処法ですが、これまた幸福の科学で教えて頂いた対処法でなんとかやっています。
回りの全ての環境は自分の霊性向上のために神が配剤してくださったものと考えると、他人のイライラする言動や行動はまさに私自身のそうゆう心が他人の心に映っているだけにしか過ぎないのではないか。天使が私のそういう部分を教えてくだっているのだと考えるようにしています。
from: にしき鯉さん
2011年05月21日 05時56分35秒
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「Re:Re:【勧戒】について①」
ShK さんへ
凄い、素晴らしい考察です
哲学的分析はビックリしました
では、実際にどういう指針(心構え)で自分の心を納得させているんでしょう
「他人の言うことは聞き流せ」これも一つの方法です
でも、聞き流しても、一度、流れたうわさなどはなかなか消えませんね
多くの人は「私の信仰だから」の言葉で納得させています
ShKさんは「自分の心のケア」をどうやっていますか?
・・・・・・・・・・・・・
ueyonabaruさんへ
返事ありがとうございます
< 他人のせいにすることで、解決はできないことは承知しております。批判者も自分の勉強にはなるとも思うんです。>
そうなんです、2ちゃんに限らず、自分が非難されることはたくさんあります
一歩、進みます、どのように心を整理しますか?
ヨーガで「苦行」と言っているからには簡単な解決法ではありません
これはKkの事だけでなく、一般の人もいろんな形で同じ思いをします
「今、やっていることに価値がある」
これは、わかります
でも、それだけでは、永遠に押し問答です
是非、発展的に考えてアイデアをお願いします
今日は仕事なので、帰ってから必ず、返信します
よろしくお願いします
from: ShKさん
2011年05月21日 01時29分37秒
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「Re:【勧戒】について①」
にしき鯉さんへ
こんばんは。
> > 何故、悪口は自分にとって受け入れ難いのでしょうか? > >
問いに対する回答になっているか分かりませんが、
自我意識を離れることができないから、
他からの誹謗中傷、あるいは、批判(ここで言われる「悪口」)
を受けることに困難を感じるのではないかと思います。
自我意識とは、自他を分離して考える心。
我のみ可愛しと思う心。
我の快楽を優先する心。
自己保存欲に基づく防衛本能。
肉体の生存を守ろうとする心。
要するに、肉体に端を発する自我意識があるからこそ、悪口を受けることに苦痛を感じるのだと思います。
他より自を優先する心がある限り、公平な曇りなき鏡のような心で物事を見ることができないのではないか、公正な判断ができないのではないかと思います。
また、「自由」という面から考察してみると、他からの誹謗中傷や批判に心乱れるということは、みずからの自由が、他によって容易に犯されることだと思います。
「あらゆる状況で心が乱されないこと」は、自由の消極的な条件であり、正しい判断をするうえでの前提条件であるように思います。
from: ueyonabaruさん
2011年05月21日 01時18分07秒
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「Re:【勧戒】について①」
にしき鯉さんへ
「あいつはKkの信者だから洗脳されている」 > 「思想的に危ないやつだ」など > > 普通の人は他人のせいにする人がほとんどです > あいつが悪い、政治が悪い、間違った情報を流すマスコミが悪い > > 何故、悪口は自分にとって受け入れ難いのでしょうか? > > ueyonabaruさん、答えていただけますか? > 他のメンバーの方も考え方も聞かせてください
他人のせいにすることで、解決はできないことは承知しております。批判者も自分の勉強にはなるとも思うんです。
2chの方々が、全部間違っているとも言いません。彼らの、暴露的な攻撃が好きでないだけです。法戦も結構だと思っているのですが、応じてくれませんね。
にしき鯉さんも、議論に応じないで、予期せぬ反応がかえってくればイヤではありませんか。こちらは、ホンネで、正直に、紳士的に議論する場であって欲しいのです。
hikaruさんがおっしゃるように、救済運動も苦労や学びであり、徳積みの作業だと観念しなければなりませんね。楽しくやっておられる方々もなかにはおりますが、私は、疲れることがあります。多分、批判心があるからでしょう。しかし、自分で選んだ道ですので、使命感で頑張るしかないです。組織活動は自分を鍛えてくれます。
宗教活動をしない生活は、私には似合わないのかもしれません。行基、徳一のような菩薩のような生き方、また、カトリックの聖人たちの生き方が私は惹かれますし、一方、優れた経営者にもあこがれます。欲張りです。まだまだあります。夢は多いのです。
from: にしき鯉さん
2011年05月24日 21時49分27秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:【勧戒】について①」
皆さんへ
歓戒についてこんなに返事をいただけるなんて嬉しい限りです
正直、びっくりしています
hikaru0827さんの [717]についてですが、、、
素晴らしい瞑想ですね、瞑想というのは座るだけではありません
日々の生活でいかに、良いイメージを作り、実践して行くかです
「秘儀、微笑返し」良いですね、人間は言葉と印象で話しかけるか、どうか、決めますからね
<あと、自分の心に現われる邪念や妄念の処し方は、このような事をしていました。
あらかじめそのような事を思えば自分で自分を引っ叩くと決めます。
で、あ、今考えた、と気付けば自分のほっぺを平手打ちです。>
これはバクティヨーガの秘儀です
バクティヨーガは神への献身のヨーガです
最初は、神に供物をささげます、次に心をささげます
食事をする時も、神に食べてもらうつもりで食べます
常に神はどのようなことをされたら喜ぶのか?考えながら生きるのです
そして、いつか神と同化する気持ちを持ちながら生活します
hikaruさんがいったように、少しでも、邪心が生まれたとき、「神ならこういう事は考えない」と
少しでも、他人に対する妬みが生まれたら、「神は他を妬まない、妬みは下降する心」と
少しでも、他に対する「怒り」が生まれたら「神は怒りや言動で人を変えない、慈悲と愛だけが人を変えられる」と
このくり返しで、心をクリアな状態に持っていきます
この「神」は宗派によって違いますが、、、
キリスト教なら、天の父、ヒンドゥー教ならシバァ、仏教なら釈迦でいいと思います
自分の信仰を大切にするのはとても大事ですが、自分の「良心」をたよりに神の心に変えていく方法もあります
本当に素晴らしい意見でした、感謝!
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