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from: ueyonabaruさん
2011年06月12日 23時21分50秒
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生長の家の世界観
月刊「生長の家」誌7月号には、次の谷口雅春師の世界観が書かれております。
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神が想念し給えるままに出現した世界には、一切のものはすべて美しく善であり、互いに調和して矛盾撞着(どうちゃく)衝突などはなかったのである。そのことを「創世記」第一章には、「神その創造(つく)りたるすべてのものを見給いけるに甚(はなは)だ善かりき」というふうに表現されているのである。この至美至善の調和せる霊の世界を「真創造の世界」または「第一創造の世界」と称するのである。そしてこの世界のみが真に実在せる世界であり、実相の世界というのである。
その完全なる「第一創造の世界」の上に人間の想念がつくり出した「第二創造の世界」が重なり合って二重写しとなり、二重撮影の写真が不完全な映像をあらわすのと同じように、不完全な状(すがた)をあらわしているのがこの現象世界なのである。すでに第一創造の実相世界においては、人間は「神の肖像(かたち)に造られて、他の一切の主宰者として一切を支配する権能を与えられているに拘わらず、「創世記第二章には、その完全なる霊的人間が、肉体人間として出現する過程を、「”土の塵”によって人を創造(つく)りというふうに形容して書かれており、それが単なる”土の塵”ではなく、内部の生命の押し出す力によって生かされて、仮りに”肉体”としてあらわれているのだということを、神が「生命(いのち)の息を嘘(ふ)き入れ給えり」というような象徴的な語句をもって表現されているのである。”土の塵”(物質分子の象徴)の集合体なる肉体と見えているのはどこまでも現象なのであって、その内部の真実の実相は霊的実在であるのが「本当の人間」なのである。この真実を知ることを、「実相を悟る」というのである。
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この谷口雅春師の世界観について、皆さんは、いかがお考えなさいますか?
ちなみに、生長の家では、この第二創造の世界は実在する世界ではないとしており、人びとが大調和の第一創造の世界を悟ることにより、あるいは、第一創造の姿(実相)を観ることにより、この地上世界がユ-トピアとなるという思想です。第一創造の世界のみが実在であり、第二創造の世界は実在ではなく、仮の世となります。
コメント: 全16件
from: minamikazeさん
2011年06月19日 01時23分12秒
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「Re:Re:Re:生長の家の世界観」
もん吉さんへ。
お返事が遅くなりました。僕は千葉の住人ではありません。半分東京都民、半分埼玉賢人であります。
もん吉さんは、広島ですか。広島といえば、矢沢永吉ですよね。あと、原田真二さんもそうですね。もっとも彼は、会員をやめてしまいましたけどね。
from: ueyonabaruさん
2011年06月13日 12時14分40秒
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「Re:Re:生長の家の世界観」
もん吉さんへ
> そうですね、 > > 光明思想だと人間世界の醍醐味を味わいにくくなるような気もしますよね。 > > 人の気持ちに対して同悲同苦に理解しないで、楽観的なことを言うと相手によっては無神経って感じるかもしれないんじゃないかな? > > >
谷口師は、病気を治すための祈りについて書いておられました。まず、病気にある方の苦しみを、自己に摂取するという気持ちをもつ。それは、同悲同苦の心を持つということです。それから、瞑想に入り、その病める方の本来の姿を、即ち実相を念ずるのです。
生長の家もそんなに単純なものでもありません。汲み取るべきところは多いのですよ。
しかし、私は幸福の科学が全般に優れていると思っております。でも、これにも、理想的な面ばかりではありませんね。どの組織も欠点があるようです。しようがないことです。
今の生長の家は自然主義の方向へ行きそうです。私のいた頃のように愛国運動はしなくなりました。当時は、その方向で頑張ったのですが、隔世の感がありますね。信者さんは、それでもついていくようですよ。
from: ueyonabaruさん
2011年06月13日 11時53分43秒
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「Re:Re:Re:生長の家の世界観」
ainotaigaさんへ
> ただ、他の宗教での「念仏」を唱える行為や「祈り」などもある意味、取り組みは「実相を念う」という光明思想に似ているところがあるかもしれません。 >
そうですね。
> したがって宗教というものの宿命として、多かれ少なかれ霊的な価値観とこの世の価値観に解離性があるのは事実だと思います。 >
そうですね。その他ai
notaigaさんの見方に同感です。
> > この間、手塚治虫の霊言を観たのですが、「映画・仏陀再誕」について面白いことを指摘していました。 > > 以下、一部転載 > > ___________________________________ > > 「もうちょっと自由な創造性が発揮できないとダメ。 > また、あなたたちは、悪を知らな過ぎる。 > > 善だけを書いて悪を描かない。しかし、実際の人は、 > 人間社会の悪で苦しんでいる。共感を得られていないのは、 > 人間悪についての学びが少ないのではないか。 > > その辺が、漫画としての面白みに欠けている。 > 現代的なものは、小説でも漫画でも、どんでん返しが > たくさんあるような、複雑な人格やストーリーが好まれる。 > > そういうところがないと、エンターテイメント性が出ない。 > > _____________________________________ > > > 映画のみならず政治活動においても、大いに参考になる意見ではないでしょうか?
手塚治の霊言もあったのですか? 知りませんでした。手塚治の言うとおりです。私はサスペンスものをTVでは見ております。悪をテ-マにしておりますので、後味がよくないものも結構あるのですが、面白みはあるわけです。幸福の科学も、その辺りは研究する必要があります。
from: ueyonabaruさん
2011年06月13日 11時43分24秒
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「Re:Re:生長の家の世界観」
もん吉さんへ
> 光のみ実在とみる人にとって氷は実在ではないんだけど。 > > あるとみる人にとっては、現れた悪因縁を信心によって善因縁に変えてゆくことが運命の開拓ってことだけど。 > > 悪因縁を本来ないとみて、善縁(三正行)を重ねて生きることによって悪因縁が自壊することになるんだけど。 > >
償いの理屈で謂えば、悪因縁はそれに相応する善因縁を積むことにより消滅できるということになりますが、信仰や悟りは、それを一挙に超越しうるということもありうることだと思うんです。
聖書には信仰により悪因縁を超克した例がたくさん書かれております。また、生長の家においても、悟りにより病の癒された例は多く語られております。
> どっちが、魂の成長になるかってことかなあ。 > > > 劣等感や罪の意識のような小さな自意識によって、人生が前に進まない時に生命の実相は素晴らしいと思うんだけど。 > > > それだけで生きるには人生は長いような気もすしますね。 > > >
from: ainotaigaさん
2011年06月13日 11時18分30秒
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「Re:Re:生長の家の世界観」
ただ、他の宗教での「念仏」を唱える行為や「祈り」などもある意味、取り組みは「実相を念う」という光明思想に似ているところがあるかもしれません。
したがって宗教というものの宿命として、多かれ少なかれ霊的な価値観とこの世の価値観に解離性があるのは事実だと思います。
しかしポイントとして、どこまでこの世的に取り組むかが『救済力』に繋がる部分があるのじゃないでしょうか?
別の言い方として「対機説法」と言って良いのも知れません。
この間、手塚治虫の霊言を観たのですが、「映画・仏陀再誕」について面白いことを指摘していました。
以下、一部転載
___________________________________
「もうちょっと自由な創造性が発揮できないとダメ。
また、あなたたちは、悪を知らな過ぎる。
善だけを書いて悪を描かない。しかし、実際の人は、
人間社会の悪で苦しんでいる。共感を得られていないのは、
人間悪についての学びが少ないのではないか。
その辺が、漫画としての面白みに欠けている。
現代的なものは、小説でも漫画でも、どんでん返しが
たくさんあるような、複雑な人格やストーリーが好まれる。
そういうところがないと、エンターテイメント性が出ない。
_____________________________________
映画のみならず政治活動においても、大いに参考になる意見ではないでしょうか?
from: ueyonabaruさん
2011年06月13日 11時02分26秒
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「Re:Re:生長の家の世界観」
もん吉さんへ
> > 生長の家は般若の思想は方便法であるってことを説くんだけど、 >
生長の家と般若については考えたことは当時ありませんでしたが、囚われのない生き方、神は智慧であることを強調しておりましたので、般若の思想に反することはなかったかも。
> この世が魂の磨き場であるっていうことを半面見落とすことになるかもしれないんじゃないかなあとも思うんだけど。 > > その点はどう考えられますか? > >
この世は仮の世であるが、魂の学校だと教えられておりました。この谷口師の教えを、すべての信者さんがどれだけ理解していたかは個々人によって異なりましたね。根本的に、見落としということは言えないように思います。
人間神の子、実相論がすぐに先に立ちますので、現実無視の観念論のとりこに思えるような事象が感じられるところもありました。
谷口師の神の子というときの心と、一知半解な信者さんが神の子と言うときの心には大きな差異があると思っておりました。
これは、幸福の科学でも同じことがあるのかもしれませんよ。
from: ueyonabaruさん
2011年06月13日 10時47分52秒
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「Re:Re:Re:生長の家の世界観」
minamikazeさんへ
> しかし、こうした内容の霊示が、先生31歳のときのものだと思うと、改めて、総裁先生の偉大さを実感します。 > 氷をないとまでは言い切ることは出来ないが、その存在そのものが本質的ではなく、過渡的な形態であるとして、この三次元世界を説明していますね。 > > 千葉正心館などは、僕は、天之御中主の波動を感じますね。 > >
先生はただものではないという感じですね。
from: ainotaigaさん
2011年06月13日 09時30分11秒
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「Re:生長の家の世界観」
光一元の思想ですよね。この世は仮の世であの世が実相の世界。
でも教え方の違いこそあれ宗教の最後は、結局あの世の価値観を押し出すところにあるのじゃないでしょうか?
HSでは、「一元論か二元論のどちらが正しい」という議論は一応決着がついてますよね。相対的二元論でしたっけ?
「次元が低いところでは二元的に現れ、高次元に行くほど一元的になる」と以前先生から聞いた事があります。
総裁先生のご指摘は「悪に対して分析し反省しないから取り組みが甘い」と言う主旨だったと思います。
その為、風邪引いて病院に通うのにコソコソと裏口から通院したり現実の苦しみに対して逆の意味で罪悪感がありえたのではと言う話も以前ありましたよね。
ある生長の家だった方の話ですが子供の頃「練成会?」に夏休み参加してたけどイジメとかも結構あったらしいです。
組織からくる私のイメージは、人の痛みや優しさに対する取り組みが甘いのではと感じておりました。
from: もん吉。さん
2011年06月13日 01時25分00秒
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「Re:生長の家の世界観」
光のみ実在とみる人にとって氷は実在ではないんだけど。
あるとみる人にとっては、現れた悪因縁を信心によって善因縁に変えてゆくことが運命の開拓ってことだけど。
悪因縁を本来ないとみて、善縁(三正行)を重ねて生きることによって悪因縁が自壊することになるんだけど。
どっちが、魂の成長になるかってことかなあ。
劣等感や罪の意識のような小さな自意識によって、人生が前に進まない時に生命の実相は素晴らしいと思うんだけど。
それだけで生きるには人生は長いような気もすしますね。
from: minamikazeさん
2011年06月13日 00時28分14秒
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「Re:Re:生長の家の世界観」
もん吉さんへ
さすが、よく勉強されていますね。第三章の、「生命の本質」の中で述べられているペンギンと氷のたとえですね。
しかし、こうした内容の霊示が、先生31歳のときのものだと思うと、改めて、総裁先生の偉大さを実感します。
氷をないとまでは言い切ることは出来ないが、その存在そのものが本質的ではなく、過渡的な形態であるとして、この三次元世界を説明していますね。
千葉正心館などは、僕は、天之御中主の波動を感じますね。
from: もん吉。さん
2011年06月19日 01時57分24秒
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「Re:Re:Re:生長の家の世界観」
そうなんですか。
ごめんなさい。
広島は、京野ことみもいますよ。
僕の親戚なんだけど。
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