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幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい

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公開 メンバー数:152人

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  • from: hikaru0827さん

    2011年07月07日 11時15分12秒

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    出家について思う

    「出家」とは何でしょうか?

    字をそのまま追えば、「家を出る事」です。

    「家を出る事」は、家庭を捨てる事を意味しますが、いわゆる家出ではないですね。

    単に、家族を放り出す事、失踪、蒸発が「出家」ではありません。

    「出家」する事の本質とは、たぶん

    ①『何故に家庭や仕事を放棄するのか?』
    ②『放棄して、何を求め何をするのか?』

    その答えの中にあるのではないでしょうか?

    歴史的、状況的にはどんな状態でしょう。
    当時のインドで出家と言えば、世俗を捨て、サンガに参加する事となります。

    日本では、アニメの一休さんのイメージです。
    規則正しい集団生活。早寝早起き、掃除、お勤め、粗食という生活です。
    要するに修業中心の生活になるという事でしょうか。

    そして、そのような修業に家庭は不要という事ですね。

    守るべきものが多く有れば、しがらみになりますし、仕事に時間が取られます。
    それらの障碍が無くなれば、心置きなく修業に打ち込めます。

    修業出来る環境を整える為に「出家」するのですね。
    道を究め、神仏の手足として働きたいと願う時、「出家」という環境がより適している、という事でしょう。
    俗を棄て、聖に生きるという事です。

    では俗とは何でしょうか?
    生物はみな、種の保存、種族の継続繁栄という大命題をDNAに組み込まれています。

    その為にこそ、食欲も性欲もあり、家族を持つ事は、ホモサピエンスの繁栄に直接寄与するものです。
    欲望や執着は否定的に捉えられがちですが、それは生命力の顕れでもあるわけです。
    つまり、俗社会に生きるという事は、種族の繁栄発展という生物としての本能に従ったものと言えます。


    ①②の答えをまとめると、
    ①『何故に家庭や仕事を放棄するのか?』

    →しがらみが増えたり、時間を取られて修業の障碍になるから。

    ②『放棄して、何を求め何をするのか?』

    →道を究め(上求菩提)、神仏の手足として働く(下化衆生)事。

    こんな感じでしょうか。


    もし、「出家」の本質が、『上求菩提・下化衆生という生き方に没頭する事』であるなら、
    現代社会において、寺に入るという形にこだわる必要は無いように思います。

    なぜなら、本人にとって最も適した修業環境は、千差万別、人それぞれだからです。

    そうであるならば、上求菩提、下化衆生に生きる覚悟を決めて生きる人は、その生活スタイルに関わらず、実質「出家者」と言って良いのではないでしょうか。

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コメント: 全14件

from: もん吉。さん

2011年07月09日 09時02分00秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
霊的人生観を持って地上にいきながら、この世的にも大成するのはかなり難しいから。

例えば、宮沢賢治さんは、この世的には敗北の人生でしょうね。

でも、賢治さんが生きたことが後の世の人の心に与えた光は大きいんだよね。


地上は、天使には生きにくい世界だから。


でも、司馬遼太郎さんなんかはこの世的にも成功されてますよね。

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from: もん吉。さん

2011年07月09日 08時50分24秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
六次元的正論だと思います。

仕事と愛に説かれているように、職場というのは、生かす愛の実践の場ですよね。

実社会の厳しさの中で鍛えら器を大きくしながら、他の人に優しい光をなげかけていく人生こそ真実の優しさも得ていけるんでしょうね。


霊的人生観を持って地上に生きながら認識が180度ひっくり返って真理の側につく七次元的な人の生き方はちょっとそういうパターンと違うこともあるんじゃないかなあ?

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from: hikaru0827さん

2011年07月09日 08時00分00秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
もん吉。さんへ

> > もし、「出家」の本質が、『上求菩提・下化衆生という生き方に没頭する事』であるなら、 > 現代社会において、寺に入るという形にこだわる必要は無いように思います。 > > なぜなら、本人にとって最も適した修業環境は、千差万別、人それぞれだからです。 > > そうであるならば、上求菩提、下化衆生に生きる覚悟を決めて生きる人は、その生活スタイルに関わらず、実質「出家者」と言って良いのではないでしょうか。


>確かに、教学と伝道は王道だということはわかっているんですよ。
>でも、苦手な人もいるんだよね。
>だからといって、駄目っていうのは僕は極端だと思うんですよね。
>それならそれで、そういう傾向の機根の人にも悟りに至る道筋があるんじゃないかなあ。


人それぞれの生き方、多様性を否定しているわけではありません。
「上求菩提、下化衆生」を大きな意味で使っています。

例えば、シュリハンドク。
 より早くより綺麗に掃除するコツを掴んだ。道具の使い方がうまくなった。 → 「上求菩提」
 道行く人が清清しい気持ちになって欲しいと、掃除を頑張る → 「下化衆生」

誰もが、今の生活の中で、「上求菩提、下化衆生」を全うする事は可能です。
自分や、自分の人生を否定したり、それを環境のせいにしたりしないで欲しいと思います。自戒を込めて。

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from: hikaru0827さん

2011年07月08日 12時12分55秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
もん吉。さんへ

>霊的に深くなることと、この世的な才能を両立するっていうのは至難の業でしょう。
>だから、宗教者としてどういう生き方が今の自分に合っているかってことをまず自覚するほうが無難じゃないかな?
>できる人はそれでいいと思うんだけど。
>大半の人には無理だから。
>で、自分がどのパターンであるかをまず自覚してその上で上求菩提、下化衆生の理想を求めるための道筋を重ねてのがいいんじゃないかな?


松下幸之助さんは、経済発展に寄与しつつ、政経塾のような発展的投資など行われました。
釈尊やイエスは、俗を離れ、宗教家として生き切りました。

基本的に、人は自分の進むべき道に引き寄せられるように歩む事になるように思います。
自分に合うパターンにおのずから落ち着くのではないでしょうか?

大事なのは、自分の信じる道・生き方を正しく肯定し、覚悟を持って真摯に生きる事かと思います。
「自らの今」を決して卑下する事はしないで欲しいのです。

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from: もん吉。さん

2011年07月08日 05時02分19秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
修行者の転落は。

霊覚の時と、カルマとの対決の時と、悟った時になりやすいんだけど。


菩提心が吹き出した後の善悪を峻別する命がけの阿羅漢修行はポイントだよね。

ここは抑えてないなら、なまじ修行しないほうがいいんじゃないかな?

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from: もん吉。さん

2011年07月08日 04時55分58秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
在家と出家だと。

出家のほうが心の塵や垢を掃除しやすいっていう利点はあるんじゃないかな。

まあ僕は、心の可能性の追求に出家や在家にこだわる必要はないと思うんだけど。


いつの間にか、出来上がって自惚れいる心。

執着を掴んで離さない心。


いつの間にか精進を失っている心。

悟りの維持っていうのは本当に難しいから。

在家の厳しいんだけどそれだけに悟った時はそれだけの価値はあるんじゃないかなあ。

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from: ueyonabaruさん

2011年07月07日 22時26分42秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
 もん吉さんへ


> 確かに、教学と伝道は王道だということはわかっているんですよ。 > > でも、苦手な人もいるんだよね。 >

 私は伝道が苦手です。熱狂的な信仰も苦手です。自分のできることを探して、それを行い、支部へ貢献したいと思うんですね。

 おっしゃるように、色々の道があってよいと思います。


> だからといって、駄目っていうのは僕は極端だと思うんですよね。 > > それならそれで、そういう傾向の機根の人にも悟りに至る道筋があるんじゃないかなあ。 > > > いわゆる、裏的な才能を封印して正統的な仏弟子のスタイルに無理やり嵌め込もうとしたことは失敗だったんじゃないかなあ。 > > > 仙人なら仙人のスタイルでまず悟って、そこで自己完結さえしなければ仏の理想に向かって徐々に切り替えていけると思うんだけど。 > > > 永遠の学びの中で遠回りでもいいんじゃないかなって思うんだよね。 > >

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from: ueyonabaruさん

2011年07月07日 22時21分32秒

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「Re:Re:Re:出家について思う」
もん吉さんへ


 私の場合、考えられるのは、次の順でしょうね。

 ① 信仰篤く、この世的な生き方。

 ② 霊的に深くこの世的にも発展する生き方。

 ③ この世的には不適応だけど深く霊的に生きる生き方。

信仰篤く、この世的にな生き方。 > > > > 霊的に深くこの世的にも発展する生き方。 > > このパターンがあるよね。 > > > で、自分がどのパターンであるかをまず自覚してその上で上求菩提、下化衆生の理想を求めるための道筋を重ねてのがいいんじゃないかな? >

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from: もん吉。さん

2011年07月07日 21時16分46秒

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「Re:Re:出家について思う」
生長の家は表で大本教は裏だっていうけど、それはバランスの問題だと思うんだよね。

生長の家にも裏的なところがあるし、大本教にも表的なところがあるんだよね。
要するに、トータルで霊能力信仰がメインか愛の教えがメインかっていうだけのことじゃないかな?
そんなこと言ったら裏的なところがない宗教はないと思うんだよね。

真言密教だって陰陽道だって、霊能力信仰を否定したら成立しないよね。

まあ、GLAの教義は宗教としてはちょっと完成度が低いんだけどね。

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from: もん吉。さん

2011年07月07日 20時58分03秒

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「Re:Re:出家について思う」
確かに、教学と伝道は王道だということはわかっているんですよ。

でも、苦手な人もいるんだよね。

だからといって、駄目っていうのは僕は極端だと思うんですよね。

それならそれで、そういう傾向の機根の人にも悟りに至る道筋があるんじゃないかなあ。


いわゆる、裏的な才能を封印して正統的な仏弟子のスタイルに無理やり嵌め込もうとしたことは失敗だったんじゃないかなあ。


仙人なら仙人のスタイルでまず悟って、そこで自己完結さえしなければ仏の理想に向かって徐々に切り替えていけると思うんだけど。


永遠の学びの中で遠回りでもいいんじゃないかなって思うんだよね。

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from: もん吉。さん

2011年07月07日 18時56分18秒

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「Re:Re:出家について思う」
霊的に深くなることと、この世的な才能を両立するっていうのは至難の業でしょう。


だから、宗教者としてどういう生き方が今の自分に合っているかってことをまず自覚するほうが無難じゃないかな?


できる人はそれでいいと思うんだけど。

大半の人には無理だから。

信仰篤く、この世的にな生き方。

この世的には不適応だけど深く霊的に生きる生き方。

霊的に深くこの世的にも発展する生き方。

このパターンがあるよね。


で、自分がどのパターンであるかをまず自覚してその上で上求菩提、下化衆生の理想を求めるための道筋を重ねてのがいいんじゃないかな?

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from: ueyonabaruさん

2011年07月07日 18時32分20秒

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「Re:Re:出家について思う」
 もん吉さんへ

 プロの出家者ではなくても、それぐらいの気持ちで日々を生きていきたいという気持ちの表明です。プロにはなりたくありません。

 よき生活者であり、伝道者でありたいものですね。


> まあ、ほとんど可能性はないと思うけど、天来の宗教者が悟り得て霊能力を駆使するようになったような本当に万が一の場合ですけど。 > > > 谷口先生も最初は仕事と両立されながら人類光明化運動をされてますよね。 > > だから、本当のプロの宗教者は霊的な仕事に専念しないと深くならないんじゃないかな? > > 孔子も、この世的な活動を断念した後に教えを残しているし。 > > イエスも大工としては大成しなかったし。 > > お釈迦様は家出したし。 > > > 修行者としてこの世的な仕事と霊的な悟りを求めることが両立できるならそれはスゴイけど。 > > > 導師の悟りを得た人はどこかで切り替えているんだよね。 > >

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from: もん吉。さん

2011年07月07日 15時58分07秒

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「Re:出家について思う」
まあ、ほとんど可能性はないと思うけど、天来の宗教者が悟り得て霊能力を駆使するようになったような本当に万が一の場合ですけど。


谷口先生も最初は仕事と両立されながら人類光明化運動をされてますよね。

だから、本当のプロの宗教者は霊的な仕事に専念しないと深くならないんじゃないかな?

孔子も、この世的な活動を断念した後に教えを残しているし。

イエスも大工としては大成しなかったし。

お釈迦様は家出したし。


修行者としてこの世的な仕事と霊的な悟りを求めることが両立できるならそれはスゴイけど。


導師の悟りを得た人はどこかで切り替えているんだよね。

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from: ueyonabaruさん

2011年07月07日 12時22分03秒

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「Re:出家について思う」
 hikaru0827さんへ


> > > もし、「出家」の本質が、『上求菩提・下化衆生という生き方に没頭する事』であるなら、 > 現代社会において、寺に入るという形にこだわる必要は無いように思います。 > > なぜなら、本人にとって最も適した修業環境は、千差万別、人それぞれだからです。 > > そうであるならば、上求菩提、下化衆生に生きる覚悟を決めて生きる人は、その生活スタイルに関わらず、実質「出家者」と言って良いのではないでしょうか。

 そのような気持ちでいたいと思います。心の出家者ですね。

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