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from: ueyonabaruさん
2011年10月17日 17時22分22秒
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慰霊・鎮魂
Liberty誌11月号に表題の記事が載っております。
内容は、伝統仏教や無宗教により慰霊・鎮魂の儀式を執り行うことが、実際に効果があるのかどうかを問うております。
現在の仏教の僧侶の多くははあの世(霊界)の存在を信じきれていないようです。葬式において読経をするのは宗派の代々伝わるしきたりに従い行なうのでしょうが、あの世のあるかどうかも分からない僧侶が慰霊・鎮魂の儀式を行なっても、その効果が薄いことは容易に推察できるところです。
無宗教の儀式による慰霊・鎮魂の儀式もその効果は知れたものでしょう。何もしないよりは、何かやるほうがいいに違いありませんので、やってもいいとは思います。効用は、一つに、遺族の心に一定の満足感が起こりうることです。それは、供養したという満足感、というより安心感のような心境になれることではないかと思います。心の整理でしょう。諦めでしょうか。二つ目は、儀式を霊界で見ている霊魂が、自分が死んだことを悟る可能性があるということです。
しかし、慰霊・鎮魂の儀式は、もっと積極的な効用を求めるとすれば、幸福の科学式の供養をしたほうがよさそうです。
大事なことは、第一に死者に対し、自分が死んでいることを自覚せしめること、第二に自分の死後の行く先を早めに決めて、そこでの反省と償いをズム-ズに行なえるようにすることではないでしょうか。これには、霊界知識を知っている幸福の科学の葬式が一番だと思います。
Liberty誌は、この記事を書くに当たり、仏教各派にアンケ-トを依頼したようで、唯一回答が得られたのが真言宗で、次のとおりです
「亡者に戒を授け、灌頂(かんじょう)の作法をします。その作法の中で御大師さまのご加護のもと後の時代を生きる人々のため、仏様の仕事をしてくださいますよう、そしてそれが成就するように、お不動様、阿弥陀様、観音様を始め、さまざまな仏様が導き守ってあげてくださいますようにお祈りをしています。」
他の宗派はコメントなしとのことですが、真言宗は回答をしてくれただけでも良心的ではありますね。
この真言宗の祈りですが、二つの点で不満があります。① 事故死の場合には多くの人々が自身が死んだことさえ知らないという問題があることです ② 普段から真言宗を学んでいる方であれば、真言宗のこの最後の祈りを理解できるでしょうが、単に檀家の一員であったぐらいの方であれば、どうでしょうか、少し難しいのかと思うんです。
この「自分が死んだことさえ知らない」という現象ですが、私はそんなこともあるのかと疑問をもっておりましたが、色々と本を読み、また幸福の科学で学ぶうちに、どうもそのようなことらしいと今は思えてきております。
金曜日には、支部で私が世話役で、フリ-ト-キングの時間をもうけております。何でも、おしゃべりする会ですね。形式的な祈りなども省いての自由討論会です。
先週の金曜日のことです。信者の方で、幼い頃から霊感のあるTさんが出席されておりました。この方は、死んだ者は多くが自分の死を自覚していないといいます。この亡者(死者)を説得するのが疲れる作業だと言うのですね。前に親しい叔父さんが亡くなったときには、霊眼でみていると、亡くなったその叔父さんは、葬式の際に、まず自分の妻の方へ行き話しかけるそうです。喪服をつけかしこまって座っているだけの彼女が何も反応してくれないので、次に自分の子供達のところへいき同じように話しかけるのですが、これも反応なしです。
いよいよ自分の所へ来るなと思うと、案の定、Tさんのところへやってきます。霊能者が誰であるかが分かるのでしょうか? そこで、死者とTさんとの問答が始まるのですが、死者はナカナカ頑固のようで、自分は死んでいないと主張するそうです。そこで、Tさんが、叔父さんの入院していた病院のベッドには、もう別の患者が入っているんだよと言うと、叔父さんはそれでは見てくると言い、一秒とたたずに戻ってきて、確かにお前さんの言うとおりであると認めてくれたそうです。そのような難儀な説得があるようで、それが疲れる作業だというのですね。
これは大川先生のおっしゃるとおりのとおりのことをTさんはやっていることになります。「自分が死んだことを知らない」というのはやはり大きな問題点だと思いますね。
伝統仏教の僧侶達は、巷のこのような不思議な霊能者達の作業のことを知らないようです。それでいて、葬式という儀式を執り行うのですね。おかしなことです。歴史上、仏教僧侶の中には霊能者がたくさんいたはずです。この霊能者たちの得た体験・真実を、己の宗派の教義に取り入れるべきでした。これしなかったのは、怠慢です。
コメント: 全4件
from: ainotaigaさん
2011年10月17日 17時40分24秒
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「Re:慰霊・鎮魂」
ueyonabaruさんへ
>Liberty誌は、この記事を書くに当たり、仏教各派にアンケ-トを依頼したようで、
情報有難うございます。そのようなアンケートを実施したとは知りませんでした。
>伝統仏教の僧侶達は、巷のこのような不思議な霊能者達の作業のことを知らないようです。それでいて、葬式という儀式を執り行うのですね。おかしなことです。歴史上、仏教僧侶の中には霊能者がたくさんいたはずです。この霊能者たちの得た体験・真実を、己の宗派の教義に取り入れるべきでした。これしなかったのは、怠慢です
イノベーション出来なかったなら組織は形骸化してゆくしかないのでしょうね。
from: にしき鯉さん
2011年10月18日 18時27分57秒
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「Re:慰霊・鎮魂」
ueyonabaruさんへ
< 無宗教の儀式による慰霊・鎮魂の儀式もその効果は知れたものでしょう。何もしないよりは、何かやるほうがいいに違いありませんので、やってもいいとは思います。効用は、一つに、遺族の心に一定の満足感が起こりうることです。それは、供養したという満足感、というより安心感のような心境になれることではないかと思います。心の整理でしょう。諦めでしょうか。二つ目は、儀式を霊界で見ている霊魂が、自分が死んだことを悟る可能性があるということです。。
いや、耳が痛い意見を聞きました
その通りだと思います
原始仏教では基本的に葬式はないんですよ
釈迦も、荼毘にふされましたが、、、
本当は意味がない事だと思っていたはずです
弟子には自分の葬儀は関わるな、そんな事を考える前に自己の修行を進めろと言っています
では、何故、葬儀を行なったかというと、それは在家の豪族の方たちの強い依頼があったからです
人間には、何か、物質的な物があったほうが信仰が続きやすい事を釈迦は知っていました
葬儀を執り行った、釈迦の最後の締めくくりを自分たちがやったと言う満足感
在家の豪族は釈迦に感謝すると共に、多大な徳を積んでいるつもりだったと思います
これが「葬儀」の原型です
葬儀とは、悲しむ事ではなく、今生を生き抜いた方々に感謝の意を表明し、霊となった方の、よりよい転生を願う儀式なのです
それが現代では、、、
遺骨を納めた仏塔(ストォーパ)の言葉も、日本では「卒塔婆」と言われ一本5000円位の布施集めの道具になっています
私は、本当の仏教の素晴らしさや、葬式の本当の意味をここにいる方々だけでも理解して欲しいと考えています
これからもよろしくお願いします
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