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from: ainotaigaさん
2011年11月11日 08時05分44秒
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ヒンドゥーの神々を探る
皆様へ
私の感想としては、「煩悩」という言葉は仏教固有の概念ではないかと思います。オウムが破壊神を用いて教義を組み、殺すこと=ポア思想と称して、殺人して救済してやったと言ってたわけです。その後、オウム崩壊後、「煩悩の破壊」と言い方を変えたのではないでしょうか?
以下は、前にあった霊言ご法話「ヒンドゥーの神々を探る」のレジメからの一部抜粋です。
シヴァ神について(総裁先生の事前のコメント)
・ヴィシュヌが創造の神とすれば、シヴァは破壊の神。毎年洪水を起こすガンジス川なんかの擬人化ではないかとも言われている。
・シヴァ神は、日本で大黒天に置き換えられている。〜
・シヴァ神は、オウム真理教でも祀っていた。破壊の神だと言って、破壊、殺戮をだいぶやったので、そちらの面が出たら怖い。
・ヴィシュヌ神とシヴァ神は、対等ということになっている。創造と破壊は一緒で、表裏という考え。宇宙のものは、破壊から創造が起き、創造から破壊が起きて、循環しているという考え方が基本にはあるので、一体だという考えが、裏にはあるよう。
[シヴァ神の霊言]
・私は、何千何万と人が死ぬ事件や大災害がある時には、いつも指導している。発展・繁栄の神みたいに言われるのは非常に心外。私の主たる使命は大量殺人。
・ただ、私はもう一方として、リンガを象徴に持つ。リンガとは、男性の性器のシンボル。インドでは木の根っこみたいなものを祀り、多産を願っている。人がこの世から生命を奪われる事で、あの世の魂を供給し、またこの世に新生するという、転生輪廻のシステムを自分は担っている。
・新生は結果で、実際は大量に殺すほうが役割。性器信仰が、シヴァ神の福の神の部分。破壊の神と、多産豊穣とが繋がっている。
(総裁先生のコメント)
・今、人間が無神論を説いているような社会では、人間が神様になりきっている様なところがある。徹底的に懲らしめて、神の怖さを知らせると。そのためには大災害や洪水、地震、戦争で大勢死んだりすると、初めて人間が謙虚になるということもあるから、全部、単なる善悪の悪と考えるのは甘い、それは次の再生とも関わっている、という世界観を基本的に持っている。
・彼らから見れば、今日の仏陀は、戦いを否定する、弱いほうの神だし、一見悪に見えるものの、破壊が次の創造に繋がっているという大きな世界観まで説けていないところを、まだ認識が狭いように見えているらしい。
コメント: 全40件
from: ueyonabaruさん
2011年11月14日 11時18分03秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
もん吉さんへ
> 人間が蟻をみて蟻も頑張って、いつかは人間になると感じることもあるかもしれないよね。
>
> 生きとしいけるものは向上を目指しているっていう観点からすればだけどね。
人間が蟻になるという考えは興味のあることです。そのように考えるべきかもしれませんね。進化という観点から見ればそのようになります。
万物は必ず変化していきます。向上していくのですね。
そこまで考えると、しかし、気が遠くなってしまいます。
当面の問題であるTPPがどうしても気になってしまいます。
from: ainotaigaさん
2011年11月13日 13時45分47秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
もん吉さん、皆様へ
> どうも、その多様性にも発展段階があるんじゃなかろうか?
そう思いますよね。近年インドが近代化して来たのは、ITなどの西洋的価値観を取り入れたからだと思いますが、大部分の地域では今も尚、古い生活様式と風習が続いているようです。もう何千年も前から変わらない様な生き方です。
今まで彼らが発展して来なかったのは、彼らの宗教性にも原因があるのではないでしょうかね・・。
しかし、近年ようやく、古い風習から新しい価値秩序を求める土壌が出来てきて、彼らも変わり得る準備が出て来たように見えますね。
ヒンドゥーの神々が、今後のインド人にも霊的な影響力を残せるかどうかは、人々の環境の変化に順応できる教えでありかつ、人々の求める心情にイノベーションできる教えなのかに掛かってくると思います。
でもおそらく私は、「新しいもの」が必要になってくるのではないかと感じてます。
from: もん吉。さん
2011年11月13日 10時15分15秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
う〜ん
僕はいままで信の有り様の多様性を言ってたんだけど。
どうも、その多様性にも発展段階があるんじゃなかろうか?
自助努力による、気づきと自己変革による幸福への道が信の有り様としては最高階梯なんだろうと思うんだけど。
そこにいたるまでに、螺旋的な段階があるんじゃないかな?
シバ神のいう、大いなるものへの畏怖という段階もあるんじゃないかな?
from: にしき鯉さん
2011年11月13日 00時10分49秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
ainotaiga さんへ
<畏怖というより尊敬を感じる存在へとなって行くと思います。それが、にしき鯉さんが見ておられるシヴァ神ではないかと思いました。>
→その通りです
・・・・・・・・・・・
<心としての煩悩に気づかせてくれると云うより、行いとしての行動をコントロールされる様になるでしょうね。自分で気づいたり考えたりする力ではなく、心が抑圧され行動が萎縮して行くようになるのではないでしょうか。>
→その部分は仏教にもヨーガにもあるし、総ての宗教にあてはまると思います
抑圧されて、気がつく部分もありますが、その以前の判断基準として
経典があるのだと考えています
ヨーガの場合、それが具体的ではないんですよ
ヨーガは基本的に1対1の指導者と弟子の関係で進んでいくんです
ハタ・ヨーガの体操(アーサナ)はともかく、瞑想となるとイメージ、考え方、これと指導者の口伝だけで進んでいくんです
でも、日本では深い瞑想ヨーガを教えてくれる所はなかったんです
(禅がこれに近いですが、、、)
なのでその辺の理由がもとで私は仏教に移行したのかも知れません
当時はそこまで考えませんでした
・・・・・・・・・・・・・
<ヒンドゥー教徒のインド人の神概念では、神は絶大な存在で人は決して近づけなし、足元にも及ばないものとして崇めているようなのです>
→そうですね、ヒンドゥーの在家信仰は絶対神と捉えていると思います
日本の大乗仏教が釈迦を「万能の仏」と作り上げた状況と似ていますね
でも、ヒンドゥーの神話にはついていけない部分もたくさんありますが、、、それを許容できる国民性があるんでしょうね
・・・・・・・・・・
<儀式を重んじ生贄や供物を捧げるという、、、形式に拘る>
→これは私が一番嫌いな部分なんですが、バラモン教から延々と続いた風習です
常識的に考えて、他の命を奪って供物にするのは、、、私はイヤです
でも、これも狩猟民族からすれば「何で、、」という事だと思います
from: ainotaigaさん
2011年11月12日 23時24分38秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
にしき鯉さん
にしき鯉さんが仰る様に、畏怖ではなく畏敬する神はどのような神なのでしょか。○○神という名前ではなく、どういった精神で神を見ているのかによって、神の種類をうかがい知る事が出来るのではないかと、失礼ながら勝手に考えてみました(^^)外れていたら御免なさい。
分かりやすく例えれば、神をこの世的な人物に置き換えて考えて見ると良いかもしれません。
心においての煩悩を戒めてくれる存在ならば、気づかせてくれると云う意味において、その人に対して結果的に愛を感じる事でしょうし、智恵も感じられる事だと思います。そして、リーダーとしての資質を認める事となるでしょうし、尊敬も出てくる事になると思います。
そうすると、畏怖というより尊敬を感じる存在へとなって行くと思います。それが、にしき鯉さんが見ておられるシヴァ神ではないかと思いました。
しかしある人から、例えば上司や先輩でもいいですが、いつも欠点を見つけては裁きに来て、壊しにかかる人ならばどうでしょう?
心としての煩悩に気づかせてくれると云うより、行いとしての行動をコントロールされる様になるでしょうね。自分で気づいたり考えたりする力ではなく、心が抑圧され行動が萎縮して行くようになるのではないでしょうか。
ヒンドゥー教徒のインド人の神概念では、神は絶大な存在で人は決して近づけなし、足元にも及ばないものとして崇めているようなのです。
そして、儀式を重んじ生贄や供物を捧げるという事が多く宗教なのに心より形式に拘るところがあるようなのです。つまり心というより行動を重んじる部分が強い宗教であり、心の煩悩を破壊するというより、行動を破壊する印象がありますし、そこに畏怖を感じているのではないかと思われます。
> ①<どんな環境でも心を乱さぬこと>、②<心を高めてくれる書物を読むこと>
面白いですね。②が深まれば、①の能力が上がることに繋がりそうですね。
HSでも原因と結果の連鎖に対しての理解が深まれば深まるほど、問題処理能力が上がり、よりスピーディーになるので、結果的に心の平静心が得られ易くなると考えています。
from: にしき鯉さん
2011年11月12日 21時31分11秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
ainotaiga さんへ
<愛されているというより、畏怖しているという感じではないでしょうか。インドでは昔から、日本のように自然に立ち向かえるような土木工事は発達しておらず、ありのまま自然のままに、川の濁流で家や畑が押し流されたりして、日本よりも脅威を感じていたに違いありませんから・・。>
その部分は確かにあります、認めます
私自身、ヨーガ修行中は絶対の神として恐れていました
畏怖というより畏敬の部分が強かったと思いますが、、、
ヨーガにも禁戒・勧戒があります、
やるべき事、やってはいけない事、はっきりと明記しています
禁戒は仏教とほとんど同じですが勧戒はすこし違います
進んでやらねばならない事、これがけっこう難しいんです
勧戒の3番と4番目に
<どんな環境でも心を乱さぬこと>、<心を高めてくれる書物を読むこと>があります
ところが世間に流されていると、つい、忘れがちになります
そして心はうつろいやすいものですから、つい自分のエゴで肯定してしまいます
今日は仕事が忙しかった、あの時は仕方がなかったんだ、など、自分を守るために「自分の心」に言い訳していました
その時は、やはりシバァ神に懇願します、キリスト教の懺悔、HSの反省と同じものでしょうか?
一生懸命努力していれば暖かく見守り、道から外れた行為を続けていれば罰が与えられる、そんな感じでしょうか!
私はインド人ではないから、天変地異の事は詳しくはわかりませんが
洪水や疫病の事で心配するのはわかります
そういう事も含めて「力のある見守る神」として見ているのではないでしょうか
from: もん吉。さん
2011年11月12日 12時50分14秒
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「Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
あっ、それと僕もにしき鯉さんとはけっこう衝突したんだけどね。
にしき鯉さんが悪意のあるコメントをしたことは一度もなかったんだよね。
にしき鯉さんは悪意のあるコメントをすることはないからそれは知っておいてください。
まあ、悪意と受けとることもあるんじゃないかなっていうコメントはするけどね。
でも理性的な人ですよ。
from: ainotaigaさん
2011年11月12日 10時29分44秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
bakusuikaiin2さん
実は私もTPPあまり詳しくないので判断しかねていますが、実現党の掘り下げ方には少々甘く感じています。
HSの法に則って、あるいは中道に則ってどうなのか・・。そこが興味のポイントですよね。こちらこそ、またお願いします。(^^)
from: ainotaigaさん
2011年11月12日 09時54分26秒
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「コミニケーションの難しさ」
enzoさん、皆様へ
やはり掲示板は難しいところです。顔が見えないですからね。思い込みや誤解が多く、逆に説明不足が不親切に感じられる。そんなコミニケーション方法が限定された場所だと思います。(^^)
霊が肉体に宿ると不自由だと言いますが、掲示板では更に不自由な自己表現の方法だと思います。
それが2段階飛び越えて「心」や「信仰」、「霊」の話をする分けですから、そりゃあ大変ですよね(^^)。
同じ信仰を共有している者同士なのか、仲良し同士。それとも他信仰の方なのかアンチなのか・・。いろいろな場を一緒くたにしているのは、間違いのもとかも知れませんね。カテゴリ別でのある程度の棲み分けは必要かも知れませんね。
私も信者さんには、もう少し話したい事をかなり抑えて話しているつもりでも、一般人や他信仰の方に分かる様には話していなかったと思います。
コンセンサスを無視して話すと、人には理解の差がありますから、結果的に誰かをすっ飛ばして話てる事あるんですよね。
こういう場で信者同士仲良くなれるのは有り難い事なんですけど、一般人には遠い世界に感じられるかも知れませんね。
from: ainotaigaさん
2011年11月12日 09時19分55秒
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「Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
もん吉さん
> 天空戦記シュラトって知ってますか。
> シバが破壊神でと調和神がビシュヌあと創造神ブラフマーっていうのがいたな。
そうなんですか。同じような感じですね。あくまで私の感想なんですが、山の神だとか川の神みたいに本当はそれらは厳密な意味では固有名詞でない様に感じます。
もしかしたら、薬師如来のような役割上の霊を呼び出したら、それに当たる霊が出てきたというものかも知れませんね。
ハッキリと歴史にも実在した人物を呼び出すのとは、意味あいが違うように思います。
from: にしき鯉さん
2011年11月12日 06時47分59秒
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「Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
enzo さんへ
<「なに様」ってのは、あんたこそ相応しい言葉なんだ。
知りたまえ。
礼を欠くボーズに説教たれる資格あんのか。>
わかりました、ほとんど恫喝ですね!
私はボーズではありません、一般の民間人です
返事がないという件ですが、一日中パソコンの前にいるわけではないですから、、、、
でも、内容でなく書き方が悪いというのであればこれ以上enzoさんにコメントするのは止めましょう
他の方への返信は仕事から帰ってから書かせていただきます
まあ、気分を害したという面では、お詫びさせていただきます
申し訳ありませんでした
from: ainotaigaさん
2011年11月12日 00時04分01秒
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「Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
改めて調べて分かった事ですが、ヒンドゥーのヴィシュヌ神とシヴァ神とブラフマーはインド固有の民族神であることが分かりました。但しクリシュナ神はグローバルな神のようです。
from: ainotaigaさん
2011年11月11日 23時53分15秒
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「Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
シヴァ神の霊言の追加です。
質問者:太陽神、スーリヤという神はご存知ですか?
シヴァ神:ヴィシュヌとシヴァに、スーリヤとサラスバティは対置されている。ヴィシュヌやシヴァは霊的、宗教的存在として考えられているが、スーリヤは太陽の象徴で、サラスバティは川の象徴。
太陽は万物を作るエネルギーのもとなので、ヴィシュヌ的な存在に考えられている。サラスバティは川の神。インドの川は暴れ川で制することができない。人の命も奪うが、豊穣ももたらすという意味を持つ。
太陽と川が対になっている。この考え方には、古来からの太陽信仰や、水に対する信仰がインド以外からも入って来ていると思う。
自分は人間的な側面があるように描かれるが、スーリヤやサラバスティは、もう少し自然的な霊存在として語られている。
にしき鯉さんへ
HSではヒンドゥーのシヴァ神はやはり破壊の神と見ているようですね。
>もし、ただの破壊神ならばヒンドゥーの信徒は世の中が壊れたほうがいいという思想を持った人たちですか?
壊れないで欲しいから破壊の神に祈る風習があるのだと思います。
>基本的にシバァは「心の煩悩を破壊する」という意味で長くヒンドゥーの信徒に愛されているんです
愛されているというより、畏怖しているという感じではないでしょうか。インドでは昔から、日本のように自然に立ち向かえるような土木工事は発達しておらず、ありのまま自然のままに、川の濁流で家や畑が押し流されたりして、日本よりも脅威を感じていたに違いありませんから・・。
インド人の生活様式から彼らが信じる神を類推する事は健全な道しるべとなると思います。
そういう意味でシヴァ神はインドの民族神なわけで、霊的にお願いしても普通、遠く離れた日本に指導霊としてはやって来ないものと思います。
たとえシヴァ神をイメージして霊的に感応したとしても、やはり日本人にあった霊神がくるのではないでしょうか。
にしき鯉さんに及んだ霊的な体験を否定している分けではなく、人間の認識よりも、あちらの考えが優先されれば、方便を使い、その人にあった指導霊が及ぶ事が十分考えられると思います。
from: ainotaigaさん
2011年11月14日 11時42分55秒
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:ヒンドゥーの神々を探る」
もん吉さん
> 神と人間の線引きをどこに置くかによっインド的学習もあり得るのかな?
だから今も神様やってるという事なのでしょうね。インドの神様は物凄く自信を持っていらっしゃる見たいです。
理由は、人口です。世界宗教じゃないのに、信仰している人数が多いので、これに比例して自負心が強いらしいですよ。
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