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from: ueyonabaruさん
2012/01/16 19:48:07
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死者の迷い
baku2さんみなさんへ
支部の伝道マニュアル作成のため、先生のご本「伝道Q&A」と「はじめての信仰」の二冊を読み込んでありますが、どうしても、感じが取れないものがありますので、どうぞみなさん分かりやすくご説明できますでしょうか?
次の先生のご文章です。
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「あの世はない」と思っている人は、死後、自分があの世にいることを認識できません。自分が霊であっても、「霊などない」と思っているかぎり、どうすることもできないのです。本当は、すでに霊体としての特徴が出てきているのですが、生前、霊やあの世について知識をまったく持っていなかったために、自分の今の状態が理解できずにいます。
「自分は、今、なぜ、このような姿で、このような所に存在するのか。なぜ、食べたり飲んだりしなくても生きていられるのか。なぜ、この世の人に話しかけても、向こうは、まったく返事をせず、何の反応もしないのか、それなのに、なぜ、この世の人の人が話していることや思っていることが自分には聞こえるのか」
これが意味不明で、まったく分からないわけです。
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言っている意味が分からないというのではなく、死んでいる霊が自分の死を覚らないことが理解できないのです。食事もしないのに生きていられる、壁も通り抜けられる、自分の声がこの世のものに通じないなどの現象があれば、おかしいと思うのは、さしたる困難もないように思いますが・・・・
この疑問点について、皆さん霊感もおありでしょうから、ウマイ説明をいただけませんか。
コメント: 全42件
from: もん吉。さん
2012/01/20 16:02:00
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「Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
僕が思うのは、宗教者には空海とか万能の天才っているよね。
もちろん、転生の過程での経験が巨大だったってこともあるだろうけど。
それだけでは、説明がつかない才能を発揮してるよね。
おそらく、未開発な能力を活用した超能力者だったんじゃないかな?
肉体とにしき鯉さんの言われるエネルギーを使うと人間の潜在的なパワーを引き出すことができるようになるんじゃないかな?
from: にしき鯉さん
2012/01/20 14:32:33
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「Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
> いや、チャクラについて興味はあります。
> 現在の科学では分からないけど、肉体と霊は精妙な繋がりがあるはずだから悟りによって肉体が霊エネルギーの吸収、放散できるように変化するんじゃないかな?>
チャクラについては、いろいろな理解が現代ではでているようで私にはヨーガ的解釈しか出来ていません
大まかですが、、、人間の肉体の回りに三つの重なり合っている複合体があると考えています(エーテル体とかアストラル体)
その中に、総ての体に中心に太いエネルギー気道があります
それに交差する形で二本の気道が絡み合っています
この交差する所がチャクラとして認識されています
各チャクラは呼吸のようなもので自分のエネルギーを放出したり相手のエネルギーを吸収する搬入口です
チャクラは誰にでもあるのですが花の開花にたとえられていて
普通の人は振動するだけで開いてはいません
どこのチャクラでエネルギーを使うかで霊性が決まります
人間として生まれてきたということは胸のアナハタチャクラまでは前世で開いていた可能性があります
チャクラはいろいろな形がユーチューブなどで出ていますが、霊視ができないタイプの修行者も多いので形はとらわれる必要はありません
チャクラの開花を目指す人はその場所への意識の集中、マントラなどの声のバイブレーションでの刺激などで開花させます
チャクラは教科書通り進めるヨーガ技法が一番わかりやすいと思います
(仙道や禅でも可能ですがセンスが必要です)
皆さんが伝道しようとする場合、アナハタチャクラに意識を集中させ、どうしたら、この人が幸せになるかを考えて同調させる事が大切です
ただ、この時に純粋に「相手の幸福」を考えているか、自分の自己満足のために話しているのかによってチャクラの活性度は違います
吸収についてです、子供を例にとります
子供を大声で叱る親がいます、大義名分は子供のためと言いながら、子供が屈服する時の征服感、それが三割がた占めています
そして逆に子供の方が、小さなチャクラで親などの怒りを吸収しています
怒りを吸収し続けて育った子供はチャクラが傷ついてしまいます
だからこそ、正しい知識と大きな励ましが必要になってきます
チャクラはその部位、総てに意味があり、食欲やセックスにも対応しています
チャクラは意識レベルの向上によっても開きます
皆さんが教学されているのはそのレベルを上げることだと思っています
お互いに頑張りましょう
from: にしき鯉さん
2012/01/20 12:12:57
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「Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
ueyonabaruさんへ
少し、死する時の心構えを書いてみたいと思います
人生70年〜80年生きたとします
それ相応に経験を積み、いろんな事を学んできました
なのに何故、宗教が必要なのでしょうか
それは臨終に際して「心の安定」が最も重要だからです
死後、霊体(魂)となった自分は外部からの干渉がほとんどありません
たとえば、病気で死ぬ時は生前、自分がどうなるか心配でどうしようもなかったはずです
人間の最大の関心事は「自分が無に帰すること」「自分の存在が無くなる事」これが総てではないでしょうか?
人間は言葉を使えるから、いくらでも自分に言い訳はできます
「死んだらそのときはその時さ」「もう、どうなってもいい」
そう言いながら、多くに人は真理から、かけ離れた行動をとっています
でも、中有に入ったら言い訳はききません
ごまかしの一切きかない世界がバルド(中有)の過程だからです
だからこそ、心を安定させ、死の瞬間に自分が行ってきた中で良かった部分に心を集中させることです
人に優しくする心、
苦しむ他人に関心を持つ事、
頑張ってる人を尊敬する心、
自分の劣っている部分を反省させる心、
これらを増幅させて堂々と死を迎え入れましょう
それだけが、「死の恐怖」と戦う唯一の武器です
伝道とは人に愛を持ってそれを伝える事だと思います
from: にしき鯉さん
2012/01/20 10:43:06
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「Re:Re:Re:死者の迷い」
もん吉さんへ
<実際に出口王仁三郎や高橋信次は悪霊を説得して天国に帰しているんだよね>
そうですね、あったようです
本当に悟りの深い高僧はバイブレーションで説得すると言います
誰でも、仏の種子はあるわけですからそこらあたりを浮かび上がらせるのだと思います
出口さんや役小角(えんのおづね)さんなどは相当のスーパーパワーを持っていたようです
・・・・・・・・・・・・・・・・・
<何で7なのかってことが不思議だけど。>
これは私にも正確には、わかりません
ただ、この世は七つと九つの複合で出来ていると聞いたことがあります
チャクラも七つ、対応する大きなカテゴリーも七つ、、、、
・・・・・・・・・・・・
蛇足です
人間には九つの門があります
目で二つ、耳で二つ、鼻で二つ、口で一つ、肛門と性器で合計九つです
でも、ヨーガでは十門あると言われています
最後の一つは頭頂、つむじの所、ここを門としています
悟りを得た釈迦はここからエネルギーが噴出し、頭が盛り上がったといいます(仏教用語では肉髷(にくげい)といいます)
そして人が死ぬときにはこのいずれかの門から意識(魂」が抜けていくとあります
つまらなかったでしょうか?、、この辺にしておきます
from: にしき鯉さん
2012/01/20 01:49:15
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「Re:Re:死者の迷い」
もん吉さんへ
> あっ、にしき鯉さん仏教の中有についてもう少し詳しく教えてくれますか。
>
日本仏教でおおまかに書きます
「中有」は49日間、転生を決めるための通過期間です
七つの大きな区分け、更にそこから七つの世界としています
それを一日で一個づつ降りてきます
七×七で49です
最初が光の国からのお誘いです、これが七日間続きます(初七日)
次がふた七日、み七日、、、七日ごとに行く世界が落ちてきます
42日あたりから、私たちの物質世界(天、人間、動物、修羅、餓鬼、地獄)の審判が行われます
そして「中有」の終わり49日をもって「満中陰」として死者にたいする法要が事実上終わります
でも、お寺のお坊さんは生活があるので一周忌、三回忌、七回忌などと新しい法要を考え出しました
・・・・・・・・・・・
蛇足です
チベット仏教ではもっと明確です
死の寸前の体が、魂にアプローチする事も書かれています
呼吸が止まった時から死後ショックが三日間、初七日で光りが魂にどのように迫ってくるか、、、
そして最大の日本仏教との違いは、どのカルマを積みすぎるとどの世界に転生するかまで教えています
でも、実際はそんなに杓子定規に行きませんよ
ただ、「伝道」として使うなら初七日と満中陰、生前の審判を受けなければならないと伝えられれば良いんではないかと思います
皆さんの真剣な考え方に共鳴しています、頑張って下さい
from: にしき鯉さん
2012/01/20 01:05:46
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
<TVなどの霊番組で、憑依された者を浄霊するという様子が映し出されます。憑依している霊を被憑依者から剥がすということですが、憑依霊がはがれるときに、浄霊を行なう行者が成仏するようにと憑依霊に対し強い口調で言いますよね。
これを見て思うのですが、これは成仏(極楽世界に還る)ではなくて、憑依霊を追い出したにすぎないと思われるのです。行者が、成仏するように言うのは、行者の願いであり、実際は即座に成仏とはならないのではないでしょうか?>
これは成仏ではありません、除霊です
「成仏」の定義です
成仏という言葉は大乗仏教から使われています
日本では「中有」の過程に入ることが成仏と考えているようです
日本では宗派の違いはあっても、皆、仏の国に生まれることが幸福と考えていました、、
ですから、霊能者のいう成仏とは「審判を受けさすために引き剥がす」ですね
・・・・・・・・・・・
浄霊について
これは不可能です、霊に綺麗も汚いもありません
人は皆、正も邪も混濁した状態で持っている生き物です
憑依霊を浄化するという霊能者がいるなら、私は信用できません
なぜなら、本人以外は浄化できないのがカルマです
(例外として導師と弟子の瞑想を通じての浄化は「秘儀」としてあります)
私はいつも思うんです、霊能者と称してTVなどで除霊をやっている人達
彼らは宗教をオモチャにして生活の糧にしている
大変ですよ、カルマの重さは、、ウソを何億人という人に教えているんだから、、、
from: にしき鯉さん
2012/01/20 00:21:36
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「Re:死者の迷い」
<「あの世はない」と思っている人は、死後、自分があの世にいることを認識できません。自分が霊であっても、「霊などない」と思っているかぎり、どうすることもできないのです。本当は、すでに霊体としての特徴が出てきているのですが、生前、霊やあの世について知識をまったく持っていなかったために、自分の今の状態が理解できずにいます>
これは本当です、
自分中心にものを考える人たちほど自分を認識できません
それは、死んで霊となっても同じです
もう一つ、霊体となると物理的な干渉がなくなるからです
生きていれば、失敗や成功によって喜びや悲しみ、反省することもできます
でも、霊体は憑依するくらいしか干渉ができません
つまり、言葉や刺激による「自己変革」や「自己認識」ができないんです
特に、事故死や突発的な死をむかえた人は「心が固定」されています
それは自縛霊となるものもいますし、生前、行動していたところをウロウロしている人もいます
基本的に心が動く状態であればカルマの力によって「無常の風」に流されて行きます
(その後、行く世界が決まるわけですが、その過程を仏教では「中有」「中陰」などと呼びます)
それは「唯物主義者」でも敬虔なクリスチャンでも同じだと思います
< 言っている意味が分からないというのではなく、死んでいる霊が自分の死を覚らないことが理解できないのです。食事もしないのに生きていられる、壁も通り抜けられる、自分の声がこの世のものに通じないなどの現象があれば、おかしいと思うのは、さしたる困難もないように思いますが>
いえ、困難なんです
ueyonabaruさんの周りにはいませんか?
一度、信じたら思い込む人、どんなに道理が通っていても、自分の感性に合わないと認めない人
死者の心と同期できる人だけが彼らを変えられるんです
(簡単ではありませんよね)
from: ueyonabaruさん
2012/01/19 09:42:57
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
enzoさん、もん吉さん
ご教示、ありがとうございました。
このようにくどくお聞きするのは、伝道の有効な方法を考えてのことです。
友人達と酒を飲むことがありまして、その際には、正当な法を説いても駄目のような感じがあります。酔っていて、お互いが相手の言うことを最後まで聴こうともせず、相手の言葉を言いだしっぺからさえぎり、自分の思うことを先に言おうとします。
霊界知識だけでも彼らには知ってもらいたいのです。そのためには、短く語る必要があり、彼らの脳裏に畳み込んでいきたいものです。
from: ueyonabaruさん
2012/01/18 23:11:29
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
もん吉さん皆さんへ
もう一つだけ、霊界についての私の考えを皆さんでチェックして下さい。
成仏という言葉がよく使われますね。これは、二つの意味で使われているのではないかとかねてより考えておりました。
TVなどの霊番組で、憑依された者を浄霊するという様子が映し出されます。憑依している霊を被憑依者から剥がすということですが、憑依霊がはがれるときに、浄霊を行なう行者が成仏するようにと憑依霊に対し強い口調で言いますよね。
これを見て思うのですが、これは成仏(極楽世界に還る)ではなくて、憑依霊を追い出したにすぎないと思われるのです。行者が、成仏するように言うのは、行者の願いであり、実際は即座に成仏とはならないのではないでしょうか?
成仏への階梯は、閻魔大王に象徴される、裁きの門を通過してはじめて決まるものであり、場合によっては、天国へいけず地獄行きもあると思うのです。
このようなことから、成仏という言葉には ①迷える霊が本来行くべきところとしての裁きの門へ行くことを指す場合 ② 地獄霊が反省し悟り、天国へ昇る場合 の二通りの意味があるように思うのですが、どうでしょうか?
また、憑依現象は、地獄霊によるものと、まだ地獄にも行ってない者が迷っている中で、この世の人に憑依するという二種があると思われるのですが、これは正しいでしょうか?
from: ueyonabaruさん
2012/01/18 22:36:05
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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
もん吉さんへ
> えーっと。 > > 大本神喩に書いてあるんだけど。 > >
ありがとうございました。大本神喩に合致しているということで、喜んでおります。
from: にしき鯉さん
2012/01/20 16:43:28
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「Re:Re:Re:Re:Re:死者の迷い」
もん吉さんへ
<心のバイフレーションが精妙になれば自然に開くだろうから、チャクラを開くことに囚われると本末転倒だけど、人間には未開発の能力としてあるってことですか?>
そうだと思います
でも、皆さんは道を極めるより崇高な「人を救いたい」という気持ちが強いようです
それは素晴らしい事ですし、称賛されるべきことです
チャクラ開花も神通も付いて来るものであって目標にするべきものではないんです
自分たちが、今、高めたいものを意識して進めばゴールは一緒です
その一つの手助けになればと思って私も書いています
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