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from: hikaru0827さん
2012年10月24日 00時36分15秒
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女性宮家
ueyonabaruさんへ 沖縄では(一部を除いて)、民間でも男系継承を守ろうとしてるんですね。知りませんでした。私の田舎は愛媛県ですが、そういう事は聞いた事ありません。家(名字)を残す事が第一という感じですね。 さて女性宮家創立についてですが、憲法学者の竹田氏は、それは男系継承を断ち切ろうとする企みではないかと疑っているようです。女性宮家賛成派には、はっきり「本来女系であるべき」という方もいるようですから。 竹田氏が恐れるのは、このような事態です。 ………………… 皇位継承権は与えないし女性宮家は一代限りだからと説得して、女性宮家OKとなる。愛子さまや眞子さまや佳子さまが民間の男子と結婚される。その世帯が宮家として皇族にとどまられる。子供もどんどん生まれて、国民に認知されてくる。いざ男系男子の皇位継承者が居ない時、「この人達でよくない?」って話になる。 ………………… 動機は、「天皇制を壊すことは、左翼冥利に尽きる」なんだそうです。 ただ、今のままだと、宮家は1つも無くなってしまうんですよね。秋篠宮家ですら。 竹田氏は、旧宮家の復帰や養子縁組による男系継承を主張されてます。 また、女性宮家賛成派でも「仕方ない場合は仕方ない」という消極的賛成の方もいます。 「そこまで言って委員会」で、所氏は、「男系継承の伝統は尊重すべきだが、皇祖神が天照大神であることを考えれば、女系であっても本質的に問題ない。」と言われていました。 女性天皇なら推古天皇もありますが、果たして天照大神はどうなんでしょうね。伊勢神宮(内宮)で祭神は天照大神だし、皇祖神は天照大神だと、所氏は言われてました。幸福の科学では、日本神道の最高神は天御中主神だという話でしたよね。 天地開闢の神は抽象的過ぎるのでしょうか?
コメント: 全19件
from: hikaru0827さん
2012年11月29日 17時19分21秒
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cosmo77さんへ
なるほど、そんなことになってるんですね。ご子息の事は詳しく知らないので言及しませんが
、私の個人的な、で基本的なスタンスとしては、血筋ではなく、その人となりを重視したいですね。その人の語る言葉とか。
「人に付かず、組織に付かず、法に付け」
昔の話ですが、結構好きな言葉なんです。
会の事、またいろいろ教えてください。
from: cosmo77さん
2012年11月29日 16時34分29秒
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ヒカルさん
ご返答ありがとうございますー
>そもそも他の家族の方がどんな人なのか知りませんし
今は ご子息の方々が どんどん 理事長だとか 偉くなってますよ
次期総裁は おそらく ひろしさま でしょうし 宗教系政治系も ご子息が 活躍されるのではないでしょうか
まさきさまも 直系の 仏弟子ですしね
キリストや 釈迦のときとは 違って 今回は 大川家の 存在感は 相当 高いのではないかと
思うのですが。
そういう意味で 日本では 天皇家か 大川家か という本家ができて どうなるのかな と思った次第ですー
from: hikaru0827さん
2012年11月29日 03時53分40秒
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cosmo77さんへ
遅くなりました。
「大川家」と「天皇家」...並べ比べるには、違和感がありませんか?
まず「大川家」って変ですね。私は「家」を信奉してはおりません。
「教え」、大川総裁が説く「教え」を信奉しているという感じでしょうか。
先生も「私は法そのもの」と言われてましたよね。
そもそも他の家族の方がどんな人なのか知りませんし。
対して「天皇家」は自然に聞こえます...。なぜでしょう?
以前、総裁先生が言われていました。
「日本神道には教えらしい教えがなく、儀式自体が教義となっている。」と。
たぶん、神道の神道たる所以は、その連綿と受け継がれた儀式、作法、型にあるような気がします。
そして徹底的な血縁主義による天皇制も、すなわち型であり、神道の教義であり、教えそのものなんだと思います。
なので神道においては、天皇「家」が尊ばれるのは自然な事なのかもしれません。
私自身は、天皇陛下に対しては、日本人として最低限の敬意と尊崇の念はあっても、信仰心と呼べるものではありません。
from: ueyonabaruさん
2012年11月21日 22時14分48秒
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hikaru0827さんへ
<「日本神道は日本の国教でよいのでは」と言われていましたね。
私は少し違和感を覚えました。
天皇という存在は、国教に認められるようなものではなく、国教を決定し承認するようなところにおられるのではないでしょうか?当時、仏教を庇護し、広めようとしたがごとく、例えば「幸福の科学を国教と定める」と宣言するような存在ではないでしょうか?
日本の国土そのものといったイメージです。
どうでしょうか?>
ご返答ありがとうございます。
天皇は日本の国土と歴史とともにあられる方です。日本の国土という表現をされましたが、美しい表現です。
天皇の位置は、仏教を国教とした時代とは様相が大分違うのではないでしょうか? 当時は、天皇が政治を行っておりました。祭政一致の時代だったと思います。ですから、天皇の意向で仏教にも向かうことも可能だったとのではないでしょうか。
現代は、国民主権の法治国家となりました。それからすると、天皇の位置を政治で、すなわち国民が議論し、定めるということになると思うんです。そのようなことから、憲法において、天皇をどの位置に置くかという議論は必要となります。
明治憲法も実際は政治家が定めたものです。明治憲法は欽定憲法という名が付されますが、実際には維新のリ-ダ-たちが、天皇を君主とするためにつくりました。天皇は元首とされておりましたが、しかし、昭和の時代を見ると、必ずしも元首としての権能を行使するということはありませんでしたね。
天皇は、日本の国土のようなもの日本の象徴であるものとして、憲法上位置づけをすることは現在の私たちの務めなのでしょう。これをどのように憲法上表現するか。これが私には難しくて手に負えません。実現党憲法草案で、天皇条項を14条に置いていいのでしょうか、悩んでおります。
from: hikaru0827さん
2012年11月20日 23時33分53秒
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ueyonabaruさん・cosmo77さんへ
「日本神道は日本の国教でよいのでは」と言われていましたね。
私は少し違和感を覚えました。
天皇という存在は、国教に認められるようなものではなく、国教を決定し承認するようなところにおられるのではないでしょうか?
当時、仏教を庇護し、広めようとしたがごとく、例えば「幸福の科学を国教と定める」と宣言するような存在ではないでしょうか?
日本の国土そのものといったイメージです。
どうでしょうか?
from: ueyonabaruさん
2012年11月20日 01時35分04秒
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hikaru0827さんへ
<ならば同じ事が現在にも起こり得るでしょうか。 天皇陛下がエルカンターレに帰依される、そのような事があれば、幸福の科学と神道は共存します。天皇陛下を信奉する方々も、陛下の意向に従わざるを得ません。>
現代ではそのようなことは考えられませんね。ですが、神道自体が日本の伝統として今後も継続すると私は思っております。ですから、こことの融和を考えるべきです。
現天皇様も、幸福の科学へ忌避感をもたれるとは思えませんが。
<ボールは天皇陛下をはじめとする天皇家にあるのではないでしょうか? ...日本列島に激震がはしりますね。>
現代では、天皇様がボ-ルを投げ返すことも禁じられている状況です。天皇様をもっと自由な立場に置きたいと思いますが。小沢の天皇侵害などが二度とないようにしなければ、と思います。いまさら元首というのも非現実的ですよね。
* 改行、段落などが可能になりました。万歳!!
from: hikaru0827さん
2012年11月17日 18時02分05秒
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昔は天皇は政治家でもあり、寺を建立し、仏像を造ってましたね。 神道の頂点の方が、仏教に頼る…帰依していたわけではないのでしょうか?…まぁそのような事が、自然に行われていたわけですね。ならば同じ事が現在にも起こり得るでしょうか。 天皇陛下がエルカンターレに帰依される、そのような事があれば、幸福の科学と神道は共存します。天皇陛下を信奉する方々も、陛下の意向に従わざるを得ません。 政治的発言を禁じられている現状では、難しいでしょうか。しかし、政治的発言はダメでも宗教的発言がダメという事はないかもしれません。 「幸福の科学の教えや世界観を真実だと認識しております」 このような発言がなされれば天武天皇~の頃のような事も可能となるでしょう。 ボールは天皇陛下をはじめとする天皇家にあるのではないでしょうか? …日本列島に激震がはしりますね。
from: ueyonabaruさん
2012年11月14日 10時06分52秒
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hikaru0827さんへ <幸福の科学の立場から言えば、伝統、そして天皇制という制度は許容しても、日本神道における皇宗、現人神という存在は不都合になるのではないでしょうか。> 戦前の国家神道であれば、皇祖皇宗への信奉や現人神という概念がありましたので、かなり窮屈でありました。 敗戦後そのシステムが崩れましたね。その後何が残ったのでしょうか?残された神道は祖先崇拝のように、日本人の祖先を拝むということなんでしょう。むろん、必ずしも各家の祖先ではありませんが、戦前は国民みな天皇様の子供としておりました。 神道には教義らしいものはなくて、戦前でも日本人としての生き方など心がまえを示しているのみです。例えば、赤心、まごころ、清潔、きよらか、いさぎよさなどです。 そして、これらは人間として当然のことでもありますね。 幸福の科学の会員さんは、みな神社の氏子であるというのはどうでしょうか。 hikaruさんへ反論を書いているつもりが、自分自身が無理をしているな という感じをすこし自覚しております。 < 論理的には共存は可能なはずですが、幸福の科学がエルカンターレ神の一神教路線を突き進むなら、いずれ神道ともぶつかると思います。> すでに神道側からの反発を受けております。これを克服したくて腐心しているのです。 <それは世界観や教えの問題ではなく、布教の問題なんだろうと思います。> 現実的な布教の段階で出てくる問題でしょうね。 <信仰が2つあれば力は分散すると思うのです。 ueyonabaruさんには辛いことだと思いますが、後々、信仰選択を迫られる時が来る気がします。> 私の信仰選択は、いま幸福の科学の信者として名乗っておりますが、エル・カンタ-レ信仰一辺倒ではありません。神道を生きてきた日本人への限りない尊敬の思いがかたやあるわけで、これをなしにすることは未来永劫ありえないのです。 桓武天皇の時代でしたか、天皇は皇祖皇宗への信仰(祭事)を行うとともに仏教への厚い信仰をもっていたとのだとは言えないでしょうか? この心の内は、想像できないことではありません。ですから、信仰は二つあってもいいと思われるのです。 辛いのは、神道側がこちらに反発してくることなんです。 私が憲法草案において、天皇条項を1条にもってくるべきであるという主張をするのは、日本国民の多くをこちらと同じ陣営におきたいという願いがあるからなんです。 <私も日本人です。一神教より心学が落ち着きます。前のようなピラミッド型の多神教なら抵抗感も下がるんですが。会としては、たぶん布教のスピードの問題があり、今の路線を選択したのではと感じています。> 同じ気持ちです。 どうでしょうか、幸福の科学は以前とおなじく、 ピラミッド型の多神教ではないでしょうか。多神のうちの最高神がエル・カンタ-レであるということではないでしょうか。 イスラム教徒のするように、エル・カンタ-レ絶対の信仰は私にはできません。もっと寛容なのがエル・カンタ-レ信仰なのだと思います。周りには、エル・カンタ-レ一辺倒の方がおりますが、私はその方とは違います。エル・カンタ-レを絶対だと信仰することを否定はしません。エル・カンタ-レのみが絶対として他宗を排斥するのを否定するのです。 布教のスピ-ドを挙げるためにそのようにしているのでしょう。あっちもこっちも良いでは信仰は固まりませんので、それはいいのです。この方針は私も賛成なんです。
from: hikaru0827さん
2012年11月14日 02時47分15秒
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●ueyonabaruさんへ 幸福の科学の立場から言えば、伝統、そして天皇制という制度は許容しても、日本神道における皇宗、現人神という存在は不都合になるのではないでしょうか。 論理的には共存は可能なはずですが、幸福の科学がエルカンターレ神の一神教路線を突き進むなら、いずれ神道ともぶつかると思います。それは世界観や教えの問題ではなく、布教の問題なんだろうと思います。信仰が2つあれば力は分散すると思うのです。 ueyonabaruさんには辛いことだと思いますが、後々、信仰選択を迫られる時が来る気がします。 私も日本人です。一神教より心学が落ち着きます。前のようなピラミッド型の多神教なら抵抗感も下がるんですが。会としては、たぶん布教のスピードの問題があり、今の路線を選択したのではと感じています。
from: cosmo77さん
2012年11月07日 23時24分16秒
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サムライとか軍人とかは レプタが多いのではないでしょうか
ということは サムライ国家というのは レプタが支配する社会ということでしょうか
そもそも 国民は全員が軍人ではありませんし 全員が 軍人の使命をもつわけではありませんよね
お国のために 死ぬとかっていうのは 軍人の使命として 自分が 納得している分には 正しいかもしれません
ですが 国民全体に 押し付けるようになると 正しくはならない のではないでしょうか
そもそも 軍人は 国民の一部ですし 理想としては 軍人なんて いない社会の方が いいのではないでしょうか
いかがでしょうかー
from: ueyonabaruさん
2012年11月07日 21時13分51秒
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hikaru0827さんへ <地球至高神であるエルカンターレによる幸福の科学が、この日本で生まれたわけで、そんな中、果たして日本神道という日本民族の宗教は、その未来は、どうなっていくのでしょうか?どうなっていくべきでしょうか?高天ヶ原の神々はどうしたいと思ってられるのでしょうか? 仏教の発祥国のインドにおいて、今多くのインド人の信仰はヒンズー教です。 ヒンズー教のように、日本においてはやはり日本神道に帰着するかもしれません。> 沖縄では、11月18日に、沖縄に行幸される天皇陛下の歓迎の提灯行列が予定されており、私もこの運動を推進するべく支部の皆さんに呼びかけをしているところです。天皇家の求心力によ混迷する沖縄の安定を願う気持ちがあるのですね。 国の安定は、天皇家における役割ではないでしょうか。陛下は、日々国家、国民のため祈りを捧げておられます。私たちもそれに応えるべく日々精進、努力するのが務めかと思います。 われわれエル・カンタ-れ信仰者は、まず天皇を崇敬することから始まるべきです。さらに、それに加え、エル・カンタ-レ信仰をするという二重の信仰をするのが望ましいのではないでしょうか? 神道は狭量なものではありません。神道の神々のみを信仰しなければならないとは決して言いませんよね。 このようなおおらかな神道は国教として定めていいのではないでしょうか。強制力のない国教として、そしてそれの祭主としての天皇を尊重してゆくわけですね。 いまだ、新憲法草案において、天皇条項を14条としたことについてはひっかかっているのです。これは、わたしの課題かもしれませんね。もう少し時間がかかりそうです。 <世の中には多くの宗教団体がありますが、そんな中、教勢の拡大などの他団体との競争や切磋琢磨があるものです。個別の団体ごとに、自らの教えの優越を主張し拡張を目指しています。それは幸福の科学においても同じだと思います。> おっしゃるとおりです。切磋琢磨も悪くありません。しかし、日本の伝統的神道は教派勢力の拡大運動はしませんよね。拡大運動をするのは、神道から派生してできたいわゆる教派神道なんです。 天皇様は十分に中立であり、無我の精神に立脚されているのではないでしょうか。 国民の統合の象徴として、そして信仰心の中枢としての役割を担えるのではないでしょうか。 <幸福の科学の立場から考えれば、日本神道や天皇制について「軽んじるわけにはいかないけども、エルカンターレと同列にするわけにもいかない」と考えるのも理解できます。万が一にも、天皇の下にエルカンターレがくるような形は決して許さないでしょう。 憲法草案で、1条から天皇制にふれないとか、日本の伝統文化として尊重するといった物言いは、天皇を尊崇する方にとって不満だろうとは思いますが、宗教的立場を思えばギリギリの線での妥協案かもしれません。> 不満だろうと思いますよ。 天皇信仰もして、エル・カンタ-レ信仰もするというのは考えられませんか? 昔、日本人は国家護持をするための仏教寺院を当時の天皇の命により建立しましたね。神道と仏教が両立した時代があったわけです。 今後も、なにか、うまい考え方はないものか・・・・・。 * なんとか書き上げましたが、パソコンの動きが遅くて大変です。もう一度、Beachの方へ要望してみますね。今回は打ち上げて後、段落、改行作業をするなど大変に手間のかかる作業でした。今のままでは使えません。しばらく待ちましょう。
from: hikaru0827さん
2012年11月07日 20時29分33秒
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真実の右翼さんへ そういえば、江戸時代には石田心学というものが流行りました。普通、宗教といえば大切な神様、ご本尊があり、信者はご本尊に信仰を捧げるというスタイルが主です。 しかし、心学の場合、主役は自分自身です。儒教や仏教やキリスト教の教えを、自身の心を磨く為に学びます。 日本人ならではのスタイルです。 さて、武士道精神は、日本、そして日本人にとって、とても大切な理念であり、世界に対しても誇るべき思想です。 "武士道とは死ぬことと見つけたり"という言葉がありますが、これは私は「滅私奉公の極み、その覚悟」と解釈しています。自らの命を投げうってでも、より高い価値基準(例えば仕える殿様への忠義とか) の為に生きる事、その覚悟です。 しかし、武士道とは基本的に武士の為の道を想定したものです。農民や商人は武士道を知っていたのでしょうか? それとも日本人が古来から共有している精神がそもそもあり、それが形として顕れたものの1つが武士道精神でしょうか? ただ私の解釈する武士道は勇ましすぎて、一般人の日々の暮らしとは縁遠く感じます。 司馬遼太郎氏は、日本人のモラルの高さについて、「恥ずかしいと思う気持ち」を皆が高いレベルで共有しているからではないか、という趣旨の事を言われています。 私はこうも考えます。日本人の気品やモラルの高さは、太陽や森や川…万物に神を見、感謝をし、その八百万の神に恥ずかしくない行いをせねば、という思いが作ってきたのでは、と。 そうすると、武士道精神を含む日本人の気品は、やはり1つの信仰心がその原点ではなかったか、と思い巡ります。
from: 真実の右翼さん
2012年11月04日 21時47分21秒
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皆さんこんにちわ。私は天皇家のお話も、幸福の科学の教えも基本としては同じこと。つまり日本がどのような国であるか解れば、どちらがどうだということよりもむしろ日本国民が重要なのだということがわかります。そのことを話したいと思います。救世主という言葉は、世界に向けて言われます。つまり救世主がお生まれになった場所などはインドなどを見ればあまり重要視する必要がありません。それは世界宗教であえば当然でしょう。然るに総裁先生は日本におられる必要がありません。もっと安全なスイスにでも住まわれたらいかがかと思うのです。これがご不満な方は何ゆえご不満か説明下さい。さて次に天皇家ですが、天皇家の場合は日本神道の祭司ですから日本においでになられなければいけません。なぜなら世界宗教では無いからです。ここで天皇と総裁先生の関係は大きなズレがあるとお考えの会員の方はそれは間違いです。つまり何が間違いかと申し上げれば、幸福の科学は何よりも仏教を中心とした教義であること。ということはまず世界の仏教をシャクフクさせなければいけません。もちろん日本にある仏教も同じです。しかしながら日本神道はそもそも限定的な日本の宗教です。シャクフクするのは最後でも良いわけです。又既に1000年以上前に仏教・景教・キリスト教など日本に伝来した時に本地垂迹説のとおり、その教えの良いところを取り入れていることもあり敢て感化される内容はないと考えるわけです。日本人がなぜ重要かと申しますとそれは武士道です。世界に今必要なことは武士道にすべてあります。宗教では救えないから戦争が起きている事実は会員がよく知っている事中東の緊迫した状況を幸福の科学が救えるか。それは厳しいでしょう。今でも宗教といえば誰を祭っていることを重用しているようですが、日本はすべてにおいて武士道精神があってこその日本神道・仏教であります。これが理解できなければいけない。世界の国と大きな違いはここです。一番重要な精神とは武士道精神です。義勇仁礼誠名誉忠義があればが日本の屋台骨を作っていたのです。そして日本神道のお祈りは感謝と祈願のみですよ。日本人ならばすぐ分かること。誰にどうしろ出はなくて、昨年まではありがとうございまし、本年も宜しくお願いいたします。誰に対して「根源なる神仏に対して祈っている要るのが事実です。」
from: ueyonabaruさん
2012年11月02日 23時22分45秒
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hikaru0827さんへ 真摯な論考、ご返事も差し上げたいのですが、掲示板の今回の改めは実に使い勝手が悪いので、新しいところへ引越しをしてから、そこでの投稿をしたいとおもいます。
from: hikaru0827さん
2012年11月01日 22時53分13秒
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高天ヶ原の神々は何を目指しておられるのでしょうか?要するに、それ次第な気がしますね。 高天ヶ原の意思が、「男系継承という伝統を守りたい」なら、男の子が産まれるように段取りすると思うんですね。もちろん、地上側の都合もありますから、天の意思がそのまま100%実現というわけにはいかないでしょうが、流れは作れますよね。あれほど姫君ばかり産まれるのは、何か意図があるのか?それとも高天ヶ原の意図に反する意思、または要因があるのか?どちらにせよ偶然とは思えません。 ただ、悠仁様誕生により選択の岐路は先に伸びました。 地球至高神であるエルカンターレによる幸福の科学が、この日本で生まれたわけで、そんな中、果たして日本神道という日本民族の宗教は、その未来は、どうなっていくのでしょうか?どうなっていくべきでしょうか?高天ヶ原の神々はどうしたいと思ってられるのでしょうか? 仏教の発祥国のインドにおいて、今多くのインド人の信仰はヒンズー教です。 ヒンズー教のように、日本においてはやはり日本神道に帰着するかもしれません。それを目指しているのでしょうか?それとも、幸福の科学と共に、少しずつでも世界進出を目指すでしょうか?もしくは、幸福の科学に緩やかに、吸収合併し、なにかしら個性を保つ体制を目指すでしょうか? 世の中には多くの宗教団体がありますが、そんな中、教勢の拡大などの他団体との競争や切磋琢磨があるものです。個別の団体ごとに、自らの教えの優越を主張し拡張を目指しています。それは幸福の科学においても同じだと思います。 幸福の科学の立場から考えれば、日本神道や天皇制について「軽んじるわけにはいかないけども、エルカンターレと同列にするわけにもいかない」と考えるのも理解できます。万が一にも、天皇の下にエルカンターレがくるような形は決して許さないでしょう。 憲法草案で、1条から天皇制にふれないとか、日本の伝統文化として尊重するといった物言いは、天皇を尊崇する方にとって不満だろうとは思いますが、宗教的立場を思えばギリギリの線での妥協案かもしれません。
from: ueyonabaruさん
2012年10月25日 12時35分50秒
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hikaru0827さんへ <伊勢神宮(内宮)で祭神は天照大神だし、皇祖神は天照大神だと、所氏は言われてました。幸福の科学では、日本神道の最高神は天御中主神だという話でしたよね。 天地開闢の神は抽象的過ぎるのでしょうか?> この問題は難しいです。 男系血筋を絶対のものとすれば、皇族を復活して男系で皇位継承をはかるべきとなります。 女系血筋の方の皇位継承なれば、万世一系の天皇家はなくなるのでしょうか? 万世一系という呼称はできなくなるのでしょうか? 分かりませんね。 分かることは、天皇家は日本の文化、伝統、国家統合のカナメとして守るべきだということです。また、天皇家は、祖先崇拝の象徴でもあり、宗教でもあります。国民が目に見えない神、仏を尊崇するための一つのよりどころでもあります。 私は、天皇様を中心とする神道を日本の国教としてもいいのではないかと思っております。幸福の科学では、現在の国体では、神道を国教であるとしておりますね(チャンネルさくらでの幹部の発言あり)。天皇は国家のものであり、天皇家の財産も国有財産になっておりますので、国教は神道であるとみなし得ると思うんです。国家儀式も神道形式で構わないと思いますよ。 幸福実現党の憲法試案で、天皇を第4条で、文化的価値として天皇を護持する旨のことをいっておりますが、これは右派の方々、保守伝統の方々の同意を得ることは難しいのではないでしょうかね。
from: cosmo77さん
2012年11月29日 19時38分42秒
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ヒカルさん
なるほど 人物本意は大切ですよねー
ただ ご子息は 過去世は すごい 如来とかの方が多いです
ひろしさまは エロスや 後誰だっけ
まさきさまは 天台チギ や 文殊菩薩
あと 明治天皇とか 天照大御神 とか
蒼々たるメンバーのようですが。
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